INTERPRETATION

Vol.51 「パートナー感がインハウスの醍醐味」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】

小野田若菜さん wakana onoda

チェコ共和国(当時のチェコスロバキア)生まれ。日本語、チェコ語、英語を使用する環境で育ち、13歳で日本へ帰国。早稲田大学政治経済学部卒業。その後、大学院在籍中に、通訳デビュー。フリーランスを経て、現在は某外資系飲料メーカーにてインハウスの通訳者。

Q1、語学にご興味をもたれたきっかけは?

物心がついたときには興味があったような気がします。ヨーロッパにいたおかげで、日本語・チェコ語・英語以外も身近にあり、その中で自然に語学に対する興味が育くまれていきました。今考えると、幼い頃から「ナンチャッテ通訳」をしていたのかもしれません。

Q2、気がついたときには、日本語とチェコ語のバイリンガルだったのですか?

現地の幼稚園に行くようになって日本語のアウトプット力が薄れてしまい、母にチェコ語で話しかけるようになりました。でも、母は頑として日本語でしか返しませんでした。4歳くらいの頃でしょうか、幼稚園の友達の名前を一人ひとり挙げ、「どうして私だけ日本語を話さなければいけないの?」と反抗したそうです。母がそれでも譲らずに日本語での会話を続けてくれたおかげで、日本語の土台が築かれました。両親は共に文学部の出身で、言葉には厳しい方だと思います。言葉へのこだわりだけでなく、言語の向こう側に広がる世界への興味を育ててくれたのはとても感謝しています。

Q3、英語との出会いはいつ頃でしょうか。

小学校に上がるときに、現地校にするかインターナショナルスクールにするか、どういうわけか私の判断に委ねられることになりました。両方の学校へ見学に行きましたが、共産主義時代のチェコの学校というのは、過保護の一人っ子の目にはとても恐ろしいものに映りました(大げさに言うとカフカの『城』やオーウェルの『1984』のイメージです)。迷うことなくインターナショナルスクールを希望しました。英語は全くゼロの状態でしたから、まずはイギリスの幼稚園に編入して、なんとか半年後にインターナショナルスクールに受け入れてもらうことができました。最初の半年くらいは、先生が一対一でESLのサポートをしてくれていたのを覚えています。いつもにこやかで、やさしく、アメリカの古き良き時代を象徴するような先生のおかげで、すぐに英語が大好きになりました。それからは学校では英語、買い物やテレビはチェコ語、家族との会話は日本語という生活になりました。

interviewr-onoda2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

Q4、13歳で日本へ帰国してから、ご苦労や戸惑いはありませんでしたか?

語学や文化とは違った意味で戸惑いがありました。ISP(International School of Prague)は1年生から9年生の全学年合わせても100人いるかいないかの小さな学校。そこから1学年7クラスある巨大組織(と私は感じていました)へ転校したのです。しかも、いきなり修学旅行!(笑) 

小さな学校にいたせいか、はたまた子供の頃からKYなのか、友達を作ろうとして、初対面の同級生にまるで昔から知っていたかのように声をかけてしまったりします。そうすると、「一体誰?」という反応が返ってきたり(笑)

文化の違いには慣れていました。チェコの幼稚園では、いわゆる西側諸国(つまり資本主義国)の子供は私だけ。アジア人でさえ1人もいませんでした。両親はもともと学生としてチェコに渡った珍しいケースだったこともあり、いわゆる駐在員の方々ともまた少し異なる世界で育ちました。そのような特殊な環境にいたことが逆に強さにもつながったと思っています。

日本の子供の文化についてはマンガから学んだ部分が大きいと思います。

Q5、通訳者になられたきっかけはありますか?

学生の頃からチェコ語の翻訳や通訳のお仕事をいただいていました。チェコ語のできる日本人は少なかったため、有難いことにエージェントの方から声をかけていただきました。学問の道をあきらめ、さあ、どうやって食べていこうか、と考えあぐねていた時に、一番自然な道が予備校の先生か通訳でした。学校と名の付くものはもう十分、ということで通訳の道を選びました。今と比べるとまだまだ若かったのに、団体行動の必要な職種は無理とか、もう歳だから大手企業はどこも採ってくれないだろうとか、振り返るとずいぶん近視眼的な選択の仕方でしたが(笑)

具体的なきっかけとしては、チェコ語のお仕事をいただいていたエージェントにお願いして英語でも登録していただきました。最初は英語の依頼は皆無でしたが、たまたま緊急の案件があり、どなたも手配ができずに私に声をかけていただいたのだと思います。本当にラッキーでした。そのお仕事が、非常に厳しいお客様のFGIだったのですが、運よく気に入っていただくことができて、そこから少しずつ英語のお仕事をいただけるようになりました。そうすることで、わずかですが実績表ができ、次はその実績表を持ってほかのエージェントに登録することができました。

Q6、現在、英語のお仕事を中心にされている理由はありますか?

理由の一つには、チェコ語については正式な学校教育を受けていません。いわゆるpassive vocabulary があっても、active vocabulary がかなり錆びついています。特に同通をするには支障があり、チェコ→日本語の通訳はお引き受けできても、日→チェコだと難しい場合があります。現在は英語の分かるチェコ人が多いので、日→英/チェコ→日でお仕事をさせていただくこともあります。

もう一つの理由ですが、特殊言語は需要も供給も少なく、とかく狭い世界になりがちです。子供の頃からなじみのある世界でもありました。一方、英語で食べていくことを決意するのは孵化したばかりの魚が大海に臨むような感覚です。同業者はもちろん、お客様の中にもバイリンガルの方がたくさいいらっしゃいます。チャレンジングである一方、閉所恐怖症気味の私は自由もあるように感じました。

結果的には、英語を主体にすることによって、チェコ語に関しても、むしろ純粋な形で接することができ、よかったと思っています。

<小野田さんの訳書(チェコ語)>

ブロンズ新社刊 カレル・チャペック著 『子犬の生活 ダーシャニカ』、『ふしぎ猫 プドレンカ』

Q7、通訳の現場で学ばれたことはどんなことですか?

たくさんの貴重なことを先輩・後輩の通訳の方に教えていただきました。怖いもの知らずで、通訳学校を経ずにいきなり現場に出たということもあり、今考えるとずいぶんとパートナーやコーディネーターの方に失礼を重ねてきました。二人以上で組んで通訳業務を提供する場合、一つのチームとして最高のパフォーマンスを提供することが最も大切なことだと思うのですが、そのためには互いに人としての基本的な気遣いが必要です。それなのに、ついつい自分のエゴやプライドで動いてしまったり、パートナーの方にいらぬ気を遣わせたり。十数年経った今でも毎日が勉強です。

基本的なマナー違反をして、パートナーの方を不快にさせたこともあります。最初のエージェントに登録した直後のことですが、パナガイドを手に会議室の壁際でウィスパリングをしていて、パートナーに替わっていただいた後、ホッとしてその先輩の後ろではなく、前を通ってしまいました。その方は親切にもそれを後でご指摘くださいました。その先輩には本当にアレコレと教えていただき、大変お世話になりました。その後も仲良くしてくださって、今でもとても感謝しています。(テンナインに紹介してくださったのもその先輩です)

interview-onoda1.jpg

Q8、現在、インハウスでご活躍されていますが、どんなところにやりがいを感じられますか?

組織ではやっていけないタイプと思って通訳者になったのに、皮肉にも通訳業を通じて、案外人好きで、組織の中でもなんとかやっていけるのではないかということが分かってきました。私にとってインハウスで働く一番のやりがいは「人」です。今の職場を例に挙げると、まず通訳者のチームが素晴らしい! 有能で寛容な先輩、おっちょこちょいな私を温かく見守ってくれる同僚に囲まれて、組織は思っていたほど怖くない、否、楽しいではないか、と日々噛みしめています。個人的にもお酒を飲みに行くような仲間と一緒に仕事ができて本当に幸せです。また、現在の幹部の大半が外国人ですが、ちょうど私と年齢が同じくらいの方が多いせいか、「語学サービスのサプライヤー」というよりは「仲間」として扱ってくださっていると実感できる場面が多々あります。飲料なら飲料のビジネスのことを深く理解できるのはもちろんですが、このような「パートナー感」がインハウスの醍醐味だと思います。

Q9、小野田さんの趣味や息抜き法があったら教えていただけますか?

固定した趣味のようなものはあまりないですが、昨年、VWゴルフのGTIを購入し、運転が息抜きになっています。見た目と違って、エンジン音が快い、タイトな走り心地の車です。ただ、私の駐車技術があまりにもお粗末なので到底「趣味」とは言えませんが…

もう一つの息抜きといえば読書。どちらかというと活字中毒だと思います。

視覚芸術も大好きです。子供のころは絵も落書きも良く描いていました。通訳中はさすがに落書きできませんけど(笑) その代わりというのも変ですが、今年に入って、高校以来の写真熱が復活しました。人と共有する技術が発展したのが楽しいですね。

家には歴史書や思想書から生物学の本、漫画やら画集まで、なんの脈絡もなく本が散乱しています。昨年はキンドルが我が家にやってきたことで読書環境がずいぶん変化しました。出張の多い職場ですから、キンドルは手放せない相棒です。入浴中に読めるキンドルのハードが開発されるといいなと思っています。

Q10、小野田さんの将来の夢を教えてください。

通訳を通して人好きな一面を再発見したと同時に、若い頃志したように、発信側に立つことも捨てがたい夢です。

とはいえ、大学院時代、誰にも会うことなく何時間も図書館にこもるということが結局できなかったことを考えると、物書きだけでずっとやっていくのは難しいかなと…。

なんとか人と一緒に仕事をすることと、文章を書くことを両立できないか。いい歳なのに、今もそんな悠長なことを考えています。

Q11、通訳を目指されている方へメッセージがありましたらお願いします。

このインタビューは早51番目ですから、バックナンバーをご覧いただければきっといろいろな方の的確なアドバイスがたくさん載っているのではないでしょうか。そこで、ちょっと角度を変えて、通訳をするために翻訳をされることをお勧めしたいと思います。よく通訳と翻訳は違うと言いますが、個人的には翻訳をすることで勉強になった部分が沢山ありました。翻訳だからこそ、一つのトピックについてじっくりと調べたり、時間をかけてフレーズを練ったり、論理の流れを追って読み手に伝わる構成を考えたり、文化的な要因まで掘り下げて英語と日本語の違いに気づくことができます。通訳者になってからも、同時通訳やウィスパリングばかりをずっとしていると、学習曲線が停滞するときがあるように思います。少しペースを変えて、一字一句にこだわりぬいて文章を訳出することも時としてお役に立つのではないでしょうか。

それと、会議やプレゼンテーションの題材そのものに純粋な好奇心を感じられる通訳者は強いと思います。私は決して一流の通訳と言えるような立場にはありませんが、少なくとも何にでも興味を持てるというところは強みかもしれません。ビール一つ取っても、酵母が…というような具合で、成り立ちや仕組みが気になります。職場の先輩には「また小野田さんのしつこいのが始まった」と叱られることがありますが、そういう意味で私の趣味は色々なことに興味をもつことなのかもしれません(笑) 

編集後記

小野田さんとお話をしていると、言葉や仕事への探求心がぐいぐいと伝わってきます。それでいて、とても気さくで、インタビューの際にも逆にこちらが緊張しないように気遣ってくださったり。異国で育ってきたからこそ、ご自身のアイデンティティをしっかり持ちつつ、周りの人を大切にされる姿にたくさん刺激をいただきました!これからもよろしくお願いいたします!

Written by

記事を書いた人

ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

END