INTERPRETATION

Vol.35 「通訳とは、最後の職業である」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】
田村安子さん Yasuko Tamura
経歴:東京女子大学英米文学科卒業後、結婚。子育てを終え、通訳学校に入学。在籍時より通訳者としての活動を開始、卒業と同時に通訳学校にて講師も担当する。これまでに担当した会議は、アジア人口会議、北京女性会議、日、米、欧教科書会議、北方生物保護会議など。現在、国際会議通訳者として第一線で活躍中。

Q. もともと、語学はお得意だったのでしょうか。

読書好きで、特に歴史書、経済書、哲学書、古典などを好んで読みましたが、英語に関しては劣等生でした。父の仕事の関係で、自宅に外国人が出入りすることもありましたが、特に熱心に勉強した記憶はありません。大学で英文学部を選んだのも、両親の影響なんです。法学部に行きたいという私に、お嫁にいけなくなるといけないからという理由で両親は反対しました。時代、でしょうね。

Q. ご卒業後は?

卒業後すぐに結婚し、それから20年間ずっと家庭におりました。たまに、英語ニュースを見ることもありましたが、あくまでも趣味程度でしかありませんでした。
末娘が大学に入り、子育てもそろそろ終わりかなと思い始めていた頃でしょうか。近所の画廊ビルの5階に、通訳学校があるのを見つけたんです。何となく興味を引かれ、ちょっとのぞいてみるかなという気持ちで、入学試験を受けることにしました。英語の試験はさっぱりでしたが、日本語力が高かったということで、入学を許可されました。当時は知るよしもありませんでしたが、今から考えると、これが私の人生を変えるきっかけだったのだと思います。
大学で学んだ古典とは異なり、通訳学校では「現代の言葉」を学びました。最初はかなり戸惑いましたが、大学で聖書やギリシア、ローマなどの話を勉強したことが非常に役に立ちました。とはいっても、最初はそれほど勉強熱心ではなく、まぁ英語が少しでも話せるようになればいいかなぐらいの気持ちだったんです。それが、先生にある日「あなた、通訳になれるわよ」と言われたことで、目の前が一気に変わりました!それからは猛勉強(笑)。これまで、通訳者になろうと考えたことなどありませんでしたが、不思議なものです。

Q. 初めてのお仕事は?

通訳ではありませんが、初めての「英語を使う仕事」は、当時出来たばかりの成田空港で、乗降客の人数を数えることと、外国人旅行者の案内でした。一日一万円で、交通費は実費、約10日間の仕事です。朝から晩まで空港で立ちっぱなしでしたが、当時は「初めて仕事を頂いた」ということが嬉しくてたまりませんでした。趣味や友人との約束であれば、体調不良の時などはキャンセルすることも可能ですが、仕事となるとそういうわけにはいきません。そして、当日まで一生懸命勉強します。それまでずっと家庭にいたこともあり、「あぁ仕事ってすごいんだなぁ」と改めて思いました。
また在学中には、先生の担当する会議に助手として何度か参加させて頂く機会を頂き、卒業後、フリーランス通訳としての生活が始まりました。

Q. 印象に残っているお仕事は?

やはり一番印象深いのは、北京女性会議でしょうか。初めて、女性が二千人規模で集結した会議です。国連の援助でようやく北京にたどり着いたような人もいれば、日本のように、贅沢な旅行さながら来た人もいましたが、いずれにしても、「世界の女性が集まる会議が行われる」という情報が世界中に届いているということに感銘を受けました。これこそまさに情報社会の到来だなと。
ただ、世界の女性が集まるといっても、そこには文化的、社会的、宗教的、歴史的、環境的といったあらゆる相違が重なりあってきます。一言で「女性の地位向上」といっても、これらの要素を全てクリアした結論を導き出すことは非常に難しいということを実感しました。
また、警備の厳しさは相当なものでした。同時通訳機材を新兵器だと疑われ、会場に持ち込むことが出来なかったんですよ!英語や中国語の通訳ブースは元から会場に設置されていたのですが、日本語のブースはありません。日本から持ち込んで設置する予定だったのに、機材を搬入出来ないんです。最終的には、エージェントが裏口から搬入してくださり、事なきを得ましたが、あれは今思い出しても悲惨でした。
また、参加者の人数が予定より増えたことで、メイン会議以外を郊外の会場で行うことになったんです。でも、建物の建設が間に合わず、会議当日は壁のない三階で通訳をしました。恐ろしいことこの上ありません。今思い出しても、大変な会議だったと思います。
それから、ショックだったことは、日本女性の社会的地位の低さ。国連による世界の女性地位統計によると、医療や教育面では上位につけているものの、社会的地位はこんなに低いのかとショックを受けました。また、統計を見たアフガン女性に、「日本の女性はかわいそうだ」と言われ、非常に複雑な胸中でした。
いずれにしても、この会議では、新聞で語られる表面的なことだけではなく、会議を裏側から見ることが出来たことは、本当に貴重な経験でした。

Q. 通訳現場での、予想外のハプニングは?

アジア・ヨーロッパ科学大臣会議での出来事です。リレー通訳をすることになり、私は中国語通訳者が英語にしたものを日本語に転換していくことになりました。それが突然、どういうわけか英語の通訳者と中国語の通訳者がケンカをはじめたものですから大変!私たちは通訳のしようがありませんし、あっけにとられてしまいました。しかしその間も、スピーカーは話していますし、通訳がストップしたままだと具合が悪いですよね。急遽、原稿にあった文章を読んで急場をしのぎました。まさか、「隣で通訳がケンカをしているので、通訳できません」とは言えませんよね(笑)。

Q. 田村さんの強みは?

遅いスタートでしたし、特に自分の通訳力に自信があるわけでもありません。ましてや、今でも自分が優秀な通訳者だとは思っていません。ただ、遅く始めたことでメリットがあるとすれば、気持ちの面での余裕、人生経験、そしていろいろな人に会ってきているということでしょうか。もともと「私は通訳を極めてやるんだ!」という野望を抱いていなかったので、駆け出しの頃に仕事が毎日来なくても、特に気にはなりませんでしたし、それなら他のことを勉強しようかなと思うことが出来ました。また、割とあちこち旅行するのが好きなので、いろんな国の文化に触れているかもしれません。仕事にかかりっきりだと、こういった時間もなかなか取れませんものね。
また、取り柄があるとしたら、日本語でしょうか。年齢のこともあるのかもしれませんが、企業のトップの方には好感を持って受け容れられることが多いように思います。ただ、最近はトップの方が30代、というケースも増えて来たので私も若い方の言葉を勉強しようと、文章教室に顔を出しています。若い通訳者さんの中には、本当に自由に英語を扱う方がいらっしゃいますが、同じぐらい日本語にも気を配って頂きたいですね。例えば、帰国子女の方は非常に英語に優れていて、欧米文化にも馴染んでいらっしゃいます。その反面、日本語力、日本文化には、それほど馴染みがないことが多いかもしれません。相手との距離のとり方、接し方には、非常に文化的な要素が絡んできます。これは、言葉にも如実に表れます。昔からある言葉の美しさを尊重しつつ、そこに新しい言葉をどう組み込んでいくか、これが今の私の課題でもあります。その中で、自分の日本語を探していけたらと。むしろ、これは仕事というよりも、私の個人的な目標かもしれませんが。

Q. 卒業後すぐに、通訳学校で教えるようになったと伺いましたが。

学校から依頼を頂いたのですが、これには驚きました。今も教えていますが、仕事としての通訳とは違った面白さがあります。私にとっても勉強の場でもあるんです。若い人は今こういう表現を使うのか、と知ることが出来ますしね。また、学生さんや企業に勤めている方など、幅広い年齢層の方にお会い出来るのも楽しみです。クラスでは、日本語ばかり教えているんですよ私(笑)。若い方は、なぜか一様に言葉が不明瞭ではっきりしないのが特徴ですね。また、漢字を知りません。これは、年々悪化の傾向を辿っているように見受けられます。電子辞書は確かに重宝しますが、漢字力がなければ、辞書を引いてもすぐに理解出来ないのではないでしょうか。何となく分かったような気で済ませているかもしれませんが、こういったことはすぐに相手に悟られてしまいますからね。
そういえば、宇宙飛行士の毛利さんを教えたことがあるんですよ。飛行前に、英語を訓練したいということで、私がマンツーマンで教えることになりました。毛利さんに英語教育だなんて、一体私に何が出来るんだろうと思いました。それから数年後、彦根で行われた宇宙関係の会議に、通訳として参加したところ、ゲストスピーカーとして毛利さんがいらっしゃったんです。向こうも驚いていらっしゃいましたね!
今は同時通訳クラスを教えていますが、今期から、新設のビジネス英語クラスも担当することになりました。通訳クラスとはまた違った生徒さんがいらっしゃるでしょうから、私も今から楽しみにしています。

Q. 一週間のスケジュールは?

去年まで、ほぼ毎日仕事をしていたんですが、そろそろ少しゆっくりしようかと思っています。今は少しペースを落として、もっと自分の日本語を見つめなおしたいと感じています。なので、今は週に三日程度しか仕事を入れていません。その他に、週一日は通訳学校で教えており、時間が空いた時には、なるべくいろんな人に会うようにしています。報道関係の方ともよく食事をしますが、ここからいろんなニュースが入ってくるので、とても貴重な時間なんです。
そうそう、毎日必ず朝の英語・仏語ニュースを録音しているんです。これは毎日欠かしません。料理も好きです。それから、主婦なので、もちろん家事もします。そう考えると、結構毎日バタバタしているのかもしれませんね。毎日あっという間に過ぎていきます。

Q. ご趣味は?

絵を見たり、たまに買ったりすることでしょうか。また、自分の趣味もだんだん変わりますし、狭い家にいくつも置けないので、昔買った絵はオークションに出しています。絵は昔から好きで、不思議なことに、大抵の嫌なことは絵を見ると忘れてしまうんですよ。

Q. もし、通翻訳の世界にいなかったら?

いずれにしても、子育てを終えた段階で、何かをしていたのではないかと思います。昔は違ったかもしれませんが、この時代、誰も私に「家でじっとしていなさい」とは言いませんよね?法律が好きだったので、もしかしたらその道に進んでいたかもしれません。それとも、経済関係か。ただ、当時は今以上に何をするにも、女性の年齢制限がありましたから、なかなかこういったことは難しかったかもしれませんが。

Q. 田村さんにとって、通訳とは?

私を教育してくれた場、です。通訳者でなければ、これだけ広い世界を見ることは出来なかったでしょうし、あれだけいろんな人にも会えなかったでしょう。そして、一番大きなことは、今私が物事を考え行動する際に核となっているのは、通訳で得た知識なんです。そういう意味でも、教育の場だったと思います。

Q. 通訳を目指している方へのアドバイスをお願いします。

人間の心を無くさないでください。通訳者を目指している方の多くは、おそらく最初から「職業としての通訳」を目指していらっしゃると思います。もちろんそれは素晴らしいことですが、最終的には通訳は、人と人をつなぐ仕事なので、常に人間的な気持ちを持って通訳することを忘れないで頂きたいです。
技術的には、継続して勉強し経験を積めば、誰でもかならず上達します。もしそれが、国際会議で通訳をするというところまでいかなかったとしても、かなりのレベルまでは皆さん到達可能です。でも、「いい通訳者」というのは、やはり人間性、これに尽きます。
通訳学校で初めてもらった資料に、「通訳は最後の職業である」と書いてありました。当時は、あまり意味がよく分からなかったのですが、今ようやくその真意を噛み締めているところです。例えば、民間企業や政府で働き、その後会社経営もしたような人が、たまたま英語が好きで、誰かと誰かをつないであげる、こういう感覚でしょうか。例えそれが、職業としての通訳ではなく、ボランティアだったとしても。いろんな人に会い、いろんなことを経験して初めて通訳が出来るんじゃないかって、最近思うんです。そういう意味では、確かに最後の職業なのかもしれません。お金にはならないかもしれませんが、年をとってから通訳をするのはいいことだと思います。人と人をつなぐ能力を身につけるには、とても時間がかかりますから。ですから、今の若い方が、その過程で、通訳を「お金を稼ぐだけの手段」にしてしまうとしたら、それは本当に勿体無いことだと思います。せっかく人生の貴重な時間の大半を使うわけですし、仕事といえども楽しくありたいと思いませんか?そのためには、人間の気持ちを忘れないことだと思います。
言葉自体の習得は、努力で何とかなります。それほど難しいことではありません。問題は、その言葉の転換をする時に、どれだけ相手を思いやり、どういう言葉を選ぶことが出来るのか。これは、もう人間性の問題です。コンピュータが人間に代わる時が来るかもしれないと言われていますが、相手の気持ちを本当に伝えるのは、やはり人間にしか出来ないと思います。
そして、通訳者としてのスキルや人間性は、いずれにじみ出てくるものです。何事も無駄ではありません。遠回り、近道はありません。私自身も、残りの人生を、人間の気持ちを忘れることなく歩んで行きたいと思っています。
7つ道具。イヤフォン(会場設置のヘッドフォンだと頭が疲れることがあるので)、双眼鏡、ペンの替インク。

<編集後記>
まだインタビューの余韻が残っています。終始、「私なんてまだ素人だ」とおっしゃっていましたが、田村さんの通訳者としての素晴らしさの秘密が、このインタビューでほんの少し分かったような気がします。どんな時でも人間の気持ちを忘れない、これは全ての仕事に共通して言えることではないでしょうか。「通訳とは、最後の職業である」、この一言に田村さんの全てが集約されているのかもしれません。

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テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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