INTERPRETATION

Vol.39 「通訳と9:1の法則」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】
朝比奈ゆかりさん Yukari Asahina
幼少から高校卒業までの大部分を、トルコ・NY・ブラジルにて過ごす。国際基督教大学教養学部語学科在学中より、フリーランス通訳として活動を始める。医学、IT、金融、運輸を主に得意とし、それ以外の分野でも幅広く活躍中。現在、トップクラス会議通訳者として多忙な毎日をおくる。

Q. 幼い頃海外にいらっしゃったと伺いましたが。

1歳半から3歳までをトルコ、小学3年から中学1年までをNY、そして高校はブラジルで過ごしました。通算で9年間海外にいたことになります。トルコ滞在時は、お手伝いさん相手にトルコ語を話していたようですが、ほとんど記憶に残っていません。3歳で日本に戻り、その後小学3年の時にNYに行きました。これが私にとって初めての海外経験と言えるでしょう。ちょうど夏休みだったこともあって、YMCAの夏休みキャンプに参加することになったんです。悪夢でしたね。日本を出発したと思ったら、いきなりアメリカでキャンプ。電話もないような場所で、親との唯一の通信手段は郵便のみです。言葉が話せないことも手伝って、かなりサバイバルでした。
学校が始まってからも大変でした。当時は、日本人が物珍しいのか、髪の毛を引っ張られたこともありました。子どもながらに、「英語が話せないと、ここでは生きていけないんだ」と感じたのを覚えています。例えば、身に覚えのないようなことで責められ、潔白を証明したくてもうまく話せず泣いていたとします。日本では、誰かが泣いていたら、周りが「どうしたの?」と話しかけますよね? でも、アメリカでは、自分で潔白を証明しない限り、負けを認めたことになるんです。言葉の面だけでなく、精神面でもかなり鍛えられました。
親が非常に厳しかったので、海外にいる間も、自宅では必ず日本語を話すように躾けられました。日本帰国後、漢字を覚えるのに苦労しましたが、逆カルチャーショックにも戸惑いました。それまで、「アメリカ人にならないといけないんだ」と思って必死に生きてきたわけじゃないですか。昔の友人は、私の変わり様に驚きを隠せないようでしたし、学校でも、先生が何かを質問する度に手を挙げる私は、奇異の目で見られていましたね(笑)。

Q. 海外の大学に進もうとは思いませんでしたか?

アメリカの大学への進学を希望していましたが、家庭の事情もあり、日本の大学に進むことにしました。しかし、日本に帰って大学を出たとしても、自分に何ができるんだろうという思いもありました。そんな時、頭の中に辞書が丸ごと入っているような女性に出会ったんです。妹の家庭教師なんですが、何がすごいかというと、どんな言葉に対しても4ー5通りもしくはそれ以上の意味を知っているんですよ。不思議に思って聞いてみたところ、彼女は通訳者でした。そこで初めて「通訳」という職業があることを知りました。私も語学を生かした職業に就きたいと思っていたので、彼女の話を聞くうちに、「私も通訳になるしかない! 」と思ったんです(笑)。高校2年生の時の話です。

Q. 大学時代に通訳デビューを?

大学では、最初に逐次通訳のクラスを受講しました。その後、通常は3年生からしか受講できない同時通訳のクラスを、「どうしても通訳になりたいんです! 」と先生の部屋に押しかけ、2年生から受けさせて頂きました。
私の通っていた大学では、毎月各界の著名人を招いて講演を行っており、学生が同時通訳を担当することになっていたんです。3年生になった頃、先生からやってみないかと言われ、挑戦することにしました。これが私の通訳デビューです。今から考えると恐ろしいことですが……。とにかく必死でしたが、OJTを経験することの大切さを教えて頂きました。またその頃から、先生の薦めもあって、通訳学校にも通い始めました。自分では、もう私にはこの道しかない! と思っていたんですが、少しずつプロの方と組むようになってくると、自分のレベルの低さに愕然とするわけです。このままでは、卒業しても通訳者として食べていけるのだろうかと不安になり、モチベーションも少し下がってしまいました。
ところが、ある時「英語を使う仕事」という1ヶ月間のアルバイトを先輩に紹介されたことがきっかけで、また通訳熱がアップしました。英語を使うという条件だったのですが、ふたを開けてみたら、仕事はコピー取りとデータ入力だけ。「これはひどいじゃないですか」と先輩に言ったところ、「あなたはまだ知らないかもしれないけど、これが社会というもの。大学を卒業したら、最初はこういうことをやるんだよ」と言われたんです。これにショックを受けて、「あぁやっぱり私には通訳しかないわ! 」と思い直しました(笑)。それからは必死に勉強し、4年時には基礎知識を身につけるために、政治経済の科目を聴講しました。プロとしてやっていくためには、語学力以上に背景知識がないと話にならないと思ったんです。
もしかしたら、このアルバイトを経験しなかったら、今の私はないかもしれないなと思うんですよ。そう考えると、とても貴重な経験をさせて頂いたと思っています。

Q. そして、ご卒業後はフリーランスとして本格的に活動を始められたのですね。

最初の頃は、通訳の収入だけでは生活できなかったので、翻訳も並行して請けていました。卒業して1年後に、NHKの二ヶ国語放送に通訳・翻訳者として入ることになりました。衛星放送の試験放送段階から随分と長いおつきあいをさせて頂き、ここでは、時事英語だけでなく、正しい日本語の使い方も学びました。新聞も必ず読むようになりますしね。並行して、他の仕事も少しずつ頂くようになり、基本的には今日までずっとフリーランスできています。

Q. 特に印象に残っているお仕事は?

FIET(国際商業事務専門職技術労連)という団体の、第7回アジア太平洋地域大会での通訳です。会議の最後に、当時のアジア太平洋地域会長が、任期終了にあたり退任挨拶をすることになりました。非常に感動的なスピーチで、通訳し終えた時に、皆さんが涙ぐんでいるのが目に入ったんです。あぁうまく伝わったようでよかったと思っていたところ、イギリス人事務局長がやってきました。今まで一度も通訳を褒めたことがないということで有名だったのですが、「今の通訳は本当に素晴らしかった」とおっしゃったんです。「会長のご挨拶が素晴らしかったからです」と申し上げたところ、「例えそうであったとしても、君の通訳がうまくなければ、オーディエンスがあれだけ感動することもなかっただろう」とおっしゃったんです。単純かもしれませんが、この時ほど通訳をやっていてよかった! と思ったことはありませんでしたね。

Q. 今だから言えるハプニングは?

「地獄の脱出」と私が呼んでいる出来事があります。20年も通訳をやっていると、いろんな出来事がありますが、このハプニングは今でも忘れることができません。約10年前に、ネパールで開かれたある国際会議での出来事です。エージェント側が手配してくれた飛行機チケットは、関西国際空港からカトマンズまでの直行便。現地の航空会社だったのですが、プロペラに毛が生えたような飛行機で、窓には蜘蛛の巣がびっしり、トイレは入れないぐらい汚いという環境でした。しかも、途中でいきなり「ガス欠になったので、緊急着陸します」とのこと! 着陸後、一旦外に出ないといけなくなり、「荷物を置いたままにしておくと盗難被害の恐れがあります」という機内アナウンスが流れました。私はTIME Magazineを座席に置いておいたのですが、戻ってきたら、見事に無くなっていました。
何とか無事に到着し、会議も残すところあと一日、帰りのチケットのリコンファームをしたところ、「飛行機はいつ飛ぶかわかりません。客席が満席にならないと飛びません」と言われたんです! そんな馬鹿な話があるわけがないと思っても、飛ばないものは飛ばないのです。日本代表として会議に参加していた人たちは、日本の航空会社を利用しているようで、そちらに変えてもらったほうがいいのではないかと言われました。そこで、24時間対応可と書いてある、ホテルの受付に行ってみると、コンシェルジュはいません……。何度か行って、ようやく出てきた! と思ったら、「チケット変更は受付けていません」の一点張り。日本の団体の人に相談したところ、そういう時は袖の下を使ってみるとうまくいくこともあるからということだったので、日本円で千円を渡したところ、すぐにチケットを用意してくれました。帰国前夜8時にチケットが取れ、何とか日本に帰国することが出来ました。ほんとに地獄の大脱出でしたよ! まさかこんなことになるとは思ってもみませんでしたし、エージェントも直行便の方が便利だと思って全て手配してくださったことでしょうから(笑)。でも、先輩たちはもっといろんな体験をしていらっしゃるようなので、私なんかは序の口かもしれません!

Q. 医学をご専門にしていらっしゃると伺いましたが。

主に得意としているのは、医学・IT・金融・運輸です。医学を始めたのは、通訳学校の先生に薦められたのがきっかけなんです。「帰国子女で英語の発音がいいから、医学用語を覚えるといいわよ」と言われたんです。医学用語は、頭文字一つで意味が変わってくるので、それを瞬時に聞き分けないといけませんし、発音にも非常に気を使います。でも、やってみると面白いですよ。また、もともと理数系が得意だったこともあり、特に抵抗なく入っていけたように思います。

Q. 朝比奈さんの、通訳者としての強みは?

英日、日英両方ともにバランスが取れていると言われます。皆さん、割とどちらか片方が優れていることが多いかと思うのですが、私の場合は、両方ほぼ同じレベルだと思っています。英語はネイティブなので日英もスムーズに訳出できますし、英日は、大和言葉で訳すため、企業のトップの方には、すごく聞きやすいとお褒めの言葉を頂きます。
二つ目は、声のトーンです。これは生まれもったものかもしれませんが、私の声は、マイクを通すとすごく聞きやすいそうです。NHKで通訳をしていたときには、ラジオやアナウンサーの仕事をしませんかと声をかけられたこともありました(笑)。声が高い通訳者は、意識して低い声を出すようにしていると聞くので、そういう意味では私はラッキーなのかもしれません。
また、20年間この仕事をやっているので、ほぼどの分野にも対応できるということでしょうか。例えば、金融だと言われて現場に行ったら、ITの知識が必要だったということもあるので、オールマイティに対応できるということは大事かもしれませんね。

Q. 一週間の大体のスケジュールは?

最近のテーマは「ロハス」なんです(笑)。春秋のような繁忙期は、週5日フルで仕事を入れていますが、普段は平均して3-4日ですね。医学は、土日や平日夜の会議が多いので、うまく組み合わせて週2日は休むようにしています。準備時間も必要ですしね。空いた時間は、陶器の絵付けをやっています。ブラジルにいた頃にもやっていたんですが、今年からまた学校に通い始めました。

Q. もし通訳者になっていなかったら?

もし、アメリカの大学に進んでいたら、数学の方面に行っていたんじゃないかなと思います。研究所にいたか、もしくは大学教授かな?

Q. 通訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。

通訳には、9:1の法則があります。90%が準備に充てる時間で、10%が当日のアウトプット。これで評価されるんです。つまり、事前準備を最大限やって、当日自分の力をどこまで発揮できるかということ。ただ、この9:1の法則が、人によって当てはまらないこともあるように思います。もちろん、皆それぞれ生活におけるプライオリティが異なるので、仕方がないことかもしれません。家庭を大事にする人もいるでしょうし、子供が小さいから勉強時間が取れないという方もいらっしゃいます。でも、もしあなたがまだ駆け出しの通訳者なのであれば、最大限準備しないと、経験がない分当日苦労します。また、一緒に組む通訳者にも迷惑をかける可能性があります。もちろん、準備する必要がないぐらいスキルがある人なら別ですが、なかなかそのようにはいきませんよね。例えば、ブースに入ってから、封も切っていない資料を取り出すのを目にした時などは、びっくりしてしまいます。どんな理由があるにせよ、準備をしないということは、お客様に対して一番失礼なことです。通訳は、簡単にできる仕事ではありませんから。もし、事情があって準備時間が充分に取れない場合は、仕事を制限することもプロとして必要だと思います。どんな仕事でもそうかもしれませんが、あまりに簡単に通訳という仕事を捉えている人が多いように思います。日本人の英語力は相対的にアップしているので、わざわざ通訳を依頼するということは、それだけのものが求められているということなんです。
昔から先輩に言われてきたことは、「10年でやっと一人前」ということ。まずは10年やってみなさい、努力しなさい、ということです。その後、どうやって自分がレベルアップし、通訳者として生き残れるかというのは、また別の話。でも、まずは10年。長期的な視野をもつことです。

<編集後記>
プロとは朝比奈さんのような人のことをいうのでしょう。特に、最後のアドバイスには、これから目指す人だけでなく、現役通訳者にとっても貴重なメッセージが満載です。「9:1の法則」、これは通訳だけでなく、どんな事にも言えることかもしれません。通訳者の皆さん、未来の朝比奈さんを目指してがんばってください!

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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