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Training Global Communicators

原不二子先生は通訳の先駆者として活躍される傍ら84年に通訳・翻訳会社、ディプロマットスクールを設立。併設スクールでは、21世紀、世界レベルで活躍できる人材育成を目指し「グローバル・コミュニケーション・スキルズ」という新クラスを開講し、後進の指導にも大変力を入れていらっしゃいます。著書に『通訳という仕事』『通訳ブースから見た世界』(ジャパンタイムズ)、英訳書に『尾崎咢堂自伝』(プリンストン大学出版会)、『笹川良一研究』(イーストブリッジ出版社)などがあります。

第17回 「言葉」の重み

「言葉」の重みを改めて思う出来事がありました。
異文化に暮らす人々が協力し合いながら幸せに生きられるよう、相互理解を深める各種の試みがなされていますが、その任を担う方々の思いを夫々の言葉に置き換えて伝えるコミュニケーターとしての私たち通訳者の責任は言うまでもなく重いのです。通訳ブースという密室の中では、軽い気持ちで冗談や私情を交わすことがあっても、常に、マイクがオンであっても恥ずかしくない言動をしなければと思いました。

グローバル化が進む世の中では、課題もますます膨大に、かつ複雑になっています。そのため、各国政府間の協力だけでは事が進まないと、政界・財界・学界の三者が協力して課題にあたろうという試みが久しく行われています。日本では、「政・産・学」間の協力と言うように、まず「政府」を先にもってきますが、アメリカなどでは、「産・学・政」の順序です。「民」優先のビジネスを筆頭に、アカデミック(大学関係)、最後にガバメントの順となります。「民」が主体である国とまだ政府が主導である国の違いを感じます。
今回の災害が、日本を「民」主導に切り替える機会になるでしょうか。

原 不二子


第16回 「想定外」は通訳者には通用しない

3月11日の東日本大震災以来、「想定外でした」という言葉があちこちで頻繁に使われ、あたかも「仕方がなかった」という決論が導かれようとしています。

多言語、多文化間のコミュニケーションを担う私たち通訳者に「想定外」は通用しません。演者から原稿をいただくこともありますが、いただかないことの方が多く、仮に原稿をいただいていても、その通りに読まれる、発言されることはむしろ稀です。現場での危機管理が期待されるのです。そのために、日頃の研鑽を怠らず、取り上げられるであろう諸問題について事前に勉強をして仕事に臨むことが必要になります。また、現場では、同時通訳機材が思うように機能しないこともあります。床を這っている電線に人が躓いて切れてしまったこと、エンジニアが席を外していてマイクがオンにならなかったこともありました。与えられた環境で最善を尽くすのが通訳者としての務めなのです。   

私たちは、通訳者であると同時に有権者でもあります。不慮の事故、災害を想定してそれに備えるのが、国民の生命財産を護る立場にある政府の役目であり、そのために納税しているのです。立法府、行政府、司法府から成り立つ政府が、国民の生命財産、国益、国の安全保障を護る機能を果たすよう、管理責任を託されるのが、私たち有権者が選出する政治家であるはずなのです。有事を想定することが仕事であるはずの人たちが責務を怠ると、その付けが国民に回ってきます。それを分かっていて何もしない政治家は、無責任で無能、政治家失格です。私たちは、自身が有権者として票を投じた政治家に対して叱咤激励する責任もあると思うのです。

原 不二子


第15回 ジャンク・カルチャーに目覚める

またひとつハードルを越えました。私の人生は、目の前のハードルを1つひとつ越えることの連続です。
先週、ピューリッツァー賞と全米批評家協会賞をダブルで受賞した『オスカー・ワオの短く凄まじい人生(原題:The Brief Wondrous Life of Oscar Wao)』の著者、ジュノ・ディアス(Junot Diaz)と翻訳者2人(都甲幸治/久保尚美)の対話を通訳する仕事をいただいたのです。ファンタジー小説、SFやRPGに夢中なオタク青年――。
私にとってまったくの別世界。「大丈夫かな。通訳ができるかな」と不安でしたが、本人に会ってみると「コトバ」こそ別の世界だけれど、好感がもてる普通の人だったのです。しかも、非合理なことの多い社会、その陰で生きる人たちを気取らず、奢らずありのままに描いている「本物人間」に思えたのです。聴衆からの「ジャンク・カルチャーとは何か」という質問に対し、「マスコミや公の場で言ったら首になる、あるいは取りあげてもらえないことを言う場であり、異論を受け入れてくれる器として重要な役割を果たしている」と答えていました。マスコミなどに造られる時流に流されず、自ら考え発言できる社会は、その重要性を理解した人が造っていくしかない、と改めて思った仕事でした。
仕事が終わり、壇上でノートなどを片付けていたら、ジュノがつかつかと(と言っても2~3歩でしたが)やって来て、「Keep being a communist...」と言いながら、何日か剃っていない髭顔で私の両頬に軽くキスをしました。「いつまでもコミュニストでいろよー」ということだったのでしょうか。私は、なんとなく仲間にしてくれたのかなと思い、悪い気がしませんでした。
堅物の私をいつも笑う私の子どもたちが知ったら何と言うだろうと思うとおかしくなりました。「ママも進歩した」と言われるかしら?

原 不二子


第14回 歴史を見る視点はひとつではありません

 来年は、米国ワシントンのポトマック湖畔に桜が贈られて100年を迎える記念の年になります。ワシントンの桜と言えば、私は幼少の頃から、当時、東京市長をつとめていた母方の祖父、尾崎行雄が寄贈したと聞かされて来ました。ところが、今年になって、新しい情報が寄せられました。タカジアスターゼとアドレナリンの発明で名高い、富山県出身の高峰譲吉博士が桜の贈り主だということでした。公開された高峰譲吉の映画を見た人たちは、「尾崎の名前が一回も出てこなかったけど、どうなっているの?」という反応。私は、尾崎行雄の咢堂全集を見直しましたが、高峰譲吉の名はありませんでした。
 1890年の第1回総選挙で選出されてから1953年まで25回連続当選を果たした尾崎行雄(1858~1954)は、当時、三重県選出の衆議院議員であり、東京市長(現在の都知事)として2期(1903~1912)目を務めていたその間、日露戦争(1904~1905)が勃発。ローズベルト米大統領の斡旋により、かろうじて敗戦の謗りを逃れましたが、戦況の実情を知らされていなかった国民は、ロシアから賠償がとれなかったことに激怒し、交番や日比谷公園の焼き打ち事件を起こしました。日露戦争に際し、アメリカは戦争債を購入し、ロシア帝国に挑む極東の島国日本を支援しましたが、桂太郎率いる当時の日本政府は、米国に礼を言う立場にありません。そこで、尾崎は、「世話になったらお礼を言うのは礼儀。政府ができないなら、東京市民の名において東京市がお礼を言おう」と決意。何か良い方法はないかと考えていた矢先でした。タフト大統領夫人がポトマックの沼地に日本の桜を植えたいと所望しておられることを知った尾崎は、東京市議会の決議を受け、桜の木を寄贈することになったのです。
 現在も横浜の外人墓地に眠る親日のシドモア女史(紀行作家)経由でタフト夫人の要望を知ることとなった高峰譲吉博士は、外交ルートを通して尾崎にそのことを伝え、その経費を支払った方なのです。ポトマックの桜は、日米関係を大事にしようと願う人たちの想いが結集し、贈られることになったのです。
 私が聖心インターナショナル・スクールに通っていた頃、クラスにはドイツ人、フランス人、オランダ人、中国人、韓国人など、それぞれ異なるバックグランドのクラスメートが多く、歴史の時間はいつも激論が繰り広げられたのを思い出します。歴史の視点は決してひとつではないと思うのです。

原 不二子


第13回 聞き手に心をよせた通訳

この週末、ディプロマットがいただいた通訳の仕事を通して素晴らしい経験をしました。
聖路加看護大学において「がん医療 The Next Step」の国際フォーラムが開催され、サバイバーシップ(がん経験者および家族が遭遇する問題への対処)の支援とその役割や、わが国のがん医療の次なる課題についてなどが話し合われました。
今の日本では2人に1人が、がんを発病する、そして3人に1人が、がんで亡くなることを知りました。また、小児がんと成人がん、それぞれのフォローアップの違いについても学びました。今では、がんの治療を受け、その後長く生活を続けられる人も少なくないそうです。自分らしく生きることができるよう、周りはどのようにサポートしていくのかが社会として問われているということでした。アメリカでは、その概念全体を「キャンサー・サバイバーシップ」と呼んでいます。
米国で開催されたフォーラムにおいて、通訳者が「サバイバル」を「生き残り」と訳したことがあったそうで、自身も乳がんを経験し、同志と同じ経験を持つ方々をサポートするグループを立ち上げて活発に活動している方が、『通訳者が「サバイバル」を4回も「生き残り」と訳した。5回言ったら抗議しようと思った。』という発言をされました。
まさに通訳者は発言者の意向を「正確」に伝えると同時に、当事者を含む異なる立場の人がおられるであろう聴衆を意識して訳出する必要があることを改めて思いしらされました。「サバイバル」、または、「サバイバーシップ」をどのような日本語で表わすかが議論になりました。実情のないところには、概念がなく、言葉も存在しないのです。カタカナになっている言葉をどのように置き換え、聞き手に伝えるかは通訳者の大事な作業の1つであると思います。         

原 不二子



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プロフィール

原不二子

原 不二子さん
上智大学外国語学部国際関係史研究科博士課程修了。 祖父は「憲政の父」と呼ばれた尾崎行雄、母は「難民を助ける会」会長の相馬雪香。母の薫陶により幼い頃からバイリンガルで育ち、21歳の時MRAスイス大会で同時通訳デビュー。G7サミット、アフガニスタン復興会議、世界水フォーラムなど数多くの国際会議を担当。AIIC(国際会議通訳者協会)認定通訳者で、スイスで開催される世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)、ILO総会の通訳を務め、最近では、名古屋における生物多様性(COP/MOP)会議、APEC女性リーダー会議、アジア太平洋諸国参謀総長会議、ユニバーサル・デザイン(IAUD)会議、野村生涯教育センター国際フォーラム等の通訳を務めている。