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放送通訳者直伝!

第255回 得意なことは得意な人に 

通訳の仕事を始めてから早や20年以上が経ちました。フリーランスで働いていますので、年金や保険などは国管轄のものに入っています。一般企業の保険と比べれば割高ですし、住宅手当もなければ通勤定期券の支給もありません。慶弔時の祝い金もないですし、仕事で使う文具などもすべて自腹です。業務に必要なスーツも靴もカバンも辞書もコンピュータも、何から何まで自分でそろえ、自分のお金で賄うという生活を長年続けてきました。

会社員生活からフリーになった時、周囲からはずいぶん心配されました。「せっかく安定した企業人なのに、収入が不安定になるわよ」「自分が病気になったらどうするの?」「ただでさえ高齢化社会になっているのに、年をとった時どうやって暮らしていくの?」といった質問が投げかけられました。

当時の私は若かった分、「大丈夫、その時になったら考えるから」「何とかなるし、何とかしてみせる!」と答えていました。事実、そう応じる以外自分に選択肢はなかったのです。けれども不安に思ったことは一度もありませんでした。なぜなら、自分が心から好きと思える仕事をできる喜びの方が大きかったからです。

当時の私のロールモデルは、乳がんでわずか40代で亡くなったジャーナリストの千葉敦子さんでした。病が進行していたにも関わらず、あえて日本での生活を捨てて念願のニューヨークに拠点を移し、亡くなるまで現地で精力的に暮らしていたのです。日本のことを英語で海外に発信するという大きな使命を抱いていた千葉さんは、最期までジャーナリストとして勇気ある姿を見せながら生き抜いたのでした。

私自身は英語が好きで、通訳という作業が楽しくて今に至っています。放送通訳の現場では多様な話題が飛び出しますので、予習のしようがありません。けれども新聞を読むこともネットサーフィンをすることも、美術館や映画館に出かけたりすることも、すべていつか自分の蓄積になると私は考えます。日々の生活の中で体験することや見聞することすべてが仕事に結びつくと思えるからこそ、不安定さや不安感よりも喜びの方が大きいのです。

組織にいると、私のような楽観的な生き方では済まされないかもしれません。企業には企業としての方向性があり、人事もそれに基づいて決定されます。時には意に反する配属があることでしょう。それでも文句を言わず、与えられた環境の中で精一杯仕事をすることが組織にいる場合は求められます。私もかつて会社に勤めたことがありましたが、自分にはそうした働き方や組織への帰属が向いていないのだとそのとき痛感しました。ですので、このまま働き続けていては自分もハッピーになれず、そのようなメンタリティの私が組織にいること自体、その会社にとってもむしろマイナスになるだろうと思ったのです。

以来、「得意なことは得意な人に任せる」という考えが私の中では大きな指針になっています。そうすれば本人も幸せに感じますし、それが周囲にも伝染します。本人が意欲的に動けば、それは組織にとってもプラスになるでしょう。私の場合、組織にフルタイムで所属してはいませんが、通訳や教える仕事が好きですので、この分野であればささやかなりともお役にたてるのではという思いがあります。

人間というのは、好きなことであれば周囲から止められてもあきらめないものです。寝食を忘れても取り組めるはずです。幸せそうに取り組む人を見れば、周囲にも明るい雰囲気が伝わってきます。それがさらに周りを感化し、相乗作用を起こしていけるのです。逆に、本人がイヤイヤ取り組んでいれば、周りにも暗い空気が伝わりますし、組織であれば全体的な沈殿に至ってしまいます。

本人が自分の得意分野を自覚すると同時に、組織を率いる者も部下の強みを把握し、そこを伸ばしていく。

それができればどのような組織も飛躍していけるのだと思います。

(2016年4月11日)

【今週の一冊】
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「小倉昌男 祈りと経営 ヤマト『宅急便の父』が闘っていたもの」 森健著、小学館、2016年

私には「大好きな組織」がいくつかあります。その会社自体が好きという以上に、たまたま優秀なスタッフの方がその組織に属していたと言った方が正しいかもしれません。ただ、良き社員がいる組織というのは往々にしてその会社全体が素晴らしいと私は感じています。

ヤマト運輸はそうした私のお気に入り企業の一つで、荷物を送る際には多少割高でも利用するようにしています。そう思うようになったきっかけは、我が家を担当するスタッフさんが素晴らしいからというのが一つ。そしてもう一点はクロネコヤマトの生みの親である小倉昌男氏の本をこれまで何冊か読み、その企業哲学に魅了されていることが挙げられます。

官庁と闘ったり、不正に対しては毅然とした態度を示したりという姿から、小倉氏というのは近寄りがたいイメージを持たれています。けれども以前読んだ著作からはむしろ謙虚さや控えめさの方が大きく、実際にテレビインタビューの映像などを見ても、今でいう「カリスマ経営者」からはほど遠い雰囲気の持ち主です。

そんな小倉氏がヤマトを引退した後、なぜ福祉の世界に全力を注いだのかを本書の著者・森健氏は切り込んでいきます。かつてのインタビューで小倉氏は、ただ何となく福祉の分野に身を置くようになったという趣旨の答えをしていました。しかし、もっと本質的な理由があるのではないかと森氏はとらえ、それを探っていったのです。

本書は小倉氏の使命感の、深い或る部分にまで読者を連れて行きます。その内容は、これまでクロネコヤマトのオモテだけを見ていた者にとっては衝撃的かもしれません。けれども私はこの本を読み、精神科医・神谷美恵子先生が心の中に抱えていた使命感に共通するものを感じ取りました。

「小倉昌男」「ヤマト」となれば、書店のビジネス本コーナーに本書は置かれることでしょう。けれども私が書店員であれば、本書を精神医学の棚に置くと思います。「こころ」に関心のある方にお勧めしたい一冊です。


第254回 目に見える達成感を 

デジタル全盛期の今でもあえてこだわって使っているモノがあります。「紙の辞書」と「紙新聞」です。今や混んだ電車の中で紙新聞を広げるのは迷惑行為とみなされてしまうようですので、私も読む場所には気を付けていますが、それでも紙新聞を止められない理由がいくつかあります。

一つ目は「一覧性があること」。どんなにスマートフォンやiPadが発達しても、あの紙新聞を広げた大きさまでスクリーンが巨大化することはありません。それではかえって携帯性の意味がなくなってしまうでしょう。私は自宅で新聞を読む際には食卓に新聞を広げて立って読むのですが、そうすると瞬時にしてすべての記事が目に入りますので、概要を素早く把握しやすいのです。それが最大の利点です。

もう一つは「意外な情報にありつけること」です。「ページの下の方に目をやったら、ふと雑誌広告に気づいた、しかも面白そうな特集が掲載されている」という具合です。その雑誌になじみがなかったとしても、このようなふとした出会いで新たな世界が広がることもあるのですよね。

3つ目は「読んでみたら面白かった」という記事との出会いです。たとえば日頃スポーツニュースに興味がなかったとしても、写真やタイトルが面白くてつい引き込まれて読んだら楽しめた、というケースです。これを機にその分野にどんどん引き込まれることもあります。

以上3点は紙新聞だけでなく、紙辞書も同様です。放送通訳の仕事をしていると、物事を大局観的にとらえて瞬時に同時通訳する必要があります。だからこそ、こうした把握方法にこだわるのかもしれません。

ところで紙新聞と紙辞書でもう一つ私が好きなことがあります。それは「達成感が目に見える」点です。紙新聞であれば、1ページ目から読み始めて最終頁までをパラパラとめくります。するとそれまで空気が入っておらず、くっついていたページ同士が最終頁に到達するころにはほどよくほぐれ、最後のページをめくり終えると、未読の時より新聞紙全体が明らかにふっくらと(?)しているのです。それが私にとって「よし、読み終えた!」という達成感につながります。

一方、紙辞書に関しては私の場合、引くたびに必ず下線を引くようにしています。最近はあえて基礎的な単語も引き直して通読しているのですが、その際にも面白いと思った語義や例文などにはアンダーラインをしています。インクの色にはこだわりませんので、その場にある筆記具で線を引きます。もちろん、物差しなども使わずバッと無造作に引くのですが、その気軽さが私は好きなのですね。

辞書も紙新聞同様、購入当初はページ同士がくっついています。引くたびにページがほぐれてくるとますます引き易くなりますので、辞書を使うのがさらに楽しくなります。おそらく紙辞書が面倒に思える方の多くは、物理的に引きづらいのが原因なのではないでしょうか。

こうして書き込みや下線だらけになってくると、自分の勉強の足跡を目で把握できるようになります。これは何物にも代えがたい達成感です。私の場合、日常生活の中でまとまった時間を勉強に充てることがなかなか叶わないのですが、「ちょっと調べて線を引いた」という蓄積が残っていることは、自分の努力の跡を見るようで本当にうれしくなります。

「今日は体力的にくたびれているなあ」「何となく気乗りがしない」などという日こそ、私はあえて紙辞書を開きます。すると「そうそう、この単語はCNNのニュースに出てきたっけ」と引いたときのことを思い出すのです。今は使っていないペンのインキ跡を見つけると、「これを調べたのはもう1年以上前かも」という具合に、過去のことがよみがえってきます。

このような「目に見える達成感」があるからこそ、学習スピードが落ちても前を向けるのだと私は感じています。

(2016年4月4日)

【今週の一冊】
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「戦場カメラマンの仕事術」 渡部陽一著、光文社新書、2016年

カメラマンの渡部陽一さんと言えば、あの独特の語り口でバラエティ番組でもおなじみですよね。独自のキャラで知られていますが、本職は戦場を専門に取材活動を続けるジャーナリストです。その渡部さんがこれまで経験してきたことを文章で表した一冊をご紹介しましょう。

私は自分が放送通訳業という、ジャーナリズムの世界に関わる仕事をしていることもあり、ニュースキャスターやディレクター、新聞雑誌記者、編集職、カメラマンなどに興味があります。私はもっぱら空調の効いた安心安全快適な同時通訳ブースで仕事をしていますが、その大元の素材を見つけて伝えてくれるのは、過酷な現場で活動する記者やカメラマンたちです。

かつて私がBBCワールドで働いていたころ、東南アジアの東チモールで独立運動がありました。インドネシアから分離して国家を新たに作るという動きだったのです。ところが独立と一言で言っても、そう一筋縄ではいきません。様々な利害関係がからみ、衝突もあったのです。その様子を取材していたBBCの現地特派員が、取材中に暴徒に襲われてけがをする事件がありました。その一部始終が映像として伝えられ、非常に衝撃を受けたことを覚えています。

そのような危険と隣り合わせにいるジャーナリストたちがいるからこそ、私たちは世界においてひっ迫している問題点を知り、その解決策を見出そうと知恵を絞ることができるのです。一般市民が何か具体的な改善方法を実施することが今すぐできなくても、「事実を知ることそのもの」が非常に大切だと私は考えます。

本書は渡部さんがカメラマンを志したいきさつから、中東での紛争地を撮影した経験談まで、たくさんのエピソードが盛り込まれています。テレビではひょうひょうとしたイメージですが、実はおびただしい数の古典や名作を読破しています。なぜ本を読むのか、読書を通じて何を感じたのかを知ることもできます。本との関わり方について知りたい読者にもお勧めしたい一冊です。


第253回 覚悟を決めるということ 

通訳者デビューをして間もないころ、とある案件でエージェントからご依頼をいただきました。しかし、いよいよ通訳業務日を翌日に控えた前夜、突然言いようのない不安感に襲われたのです。

理由はいくつかありました。一つ目は私にとって全く初めての分野であったことです。担当者からは事前に資料を頂いており、自分なりに用語集を作ったり、専門書などを読みこんだりと準備をしてはいました。けれども予習をいくらしてもまだ自分は何もわかっていないように思えてしまったのです。

もう一つ不安だった理由は、出張業務であったことでした。それまでも泊りがけの仕事は受けていたのですが、今回の仕事は首都圏からだいぶ離れており、しかも人里離れた場所でした。コンビニもなく、仕事が始まればそこにずっと缶詰状態。当時はインターネットもありませんでしたので、不明点があっても図書館や大型書店に駆け込んで調べることができません。

このようなことから、「やはり私のような初心者にこの仕事は無理なのではないか?請け負うことでかえってお客様にご迷惑なのではないか?」と思えてきたのです。

夜は刻一刻とふけていきます。「今の私のレベルでは絶対通訳などできない。そもそも受けてはいけない案件だったのだ」という感情が一層強くなり、何を思ったのか、私は真夜中になってそのエージェントに電話をかけたのです。こちらの状況を説明して、この業務から外していただこうと思ったのですね。

当時はまだメールもなく、携帯電話もなかったころです。当然ながら、会社の固定電話にかけたところで誰も応対せず、私の「やっぱりやめさせてください」作戦は実りませんでした。翌朝、不安感と逃げ出したい感に押しつぶされつつ、私は指定された場所へ向かいます。ところがいざ業務が始まってみると、私が想像していたよりもはるかに基礎的な内容の会議に終始し、何とか私の予習レベルでも対応できたのでした。

この「事件」を機に私は大きな教訓を得ました。1点目は、「依頼を受けた段階でどう考えても無理そうであれば、そもそも受けてはならない」ことです。もちろんエージェントはプロですので、どの通訳者にどういったレベルの業務を割り当てるかは把握しています。それでも内容を聞いたうえで自分には不可能と思えるならば、勇気をもって断ることも誠意だと私は考えます。

もう一つの教訓は「覚悟を決める」ということです。仕事を受けた以上、とにかく最善を尽くすしかありません。自分が納得いくまで予習を行い、できる限りのことをした上で当日を迎えるしかないのです。請け負うと決めたならば、たとえ当日になっても予習の手を緩めず、不明点は最後の最後まで担当者や講演者に尋ねることが大切なのです。そこまで備えたら、あとは運を天に任せ、ベストのパフォーマンスをめざします。そしてこの仕事で一番大切なこと、つまり「お客様のお役に立つ」という気持ちを強く持って業務終了まで切り抜けるのみだと私は思っています。

覚悟を決めるというのは、良い意味での「あきらめ」とも言えます。業務さなかになってもクヨクヨ思い悩んでしまえば、発揮できるはずの実力も表に出てきてはくれません。努力と覚悟と達観。こうしたものを自分の中でバランスをとりつつ、前に向かっていくのが通訳という仕事だとしみじみ思います。

(2016年3月28日)

【今週の一冊】
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「流されて八丈島~漫画家、島にゆく~」 たかまつやよい著、ぶんか社コミックス、2009年

仕事や休暇などでどこかへ出かける際、私は東京・永田町にある都道府県会館へ向かいます。今の時代であればインターネットで情報は手に入りますが、あえて都道府県会館に入居している各県の事務所に行くことが私にとっては楽しみなのですね。会館内にはすべての県がオフィスを構えており、観光パンフレットなども豊富に取り揃えています。地図やグルメマップ、県の広報誌などを一通り頂くとかなりの紙の量になり重くなるのですが、紙の資料には選りすぐりの情報が掲載されています。全体像をつかむにはネットよりも便利だと私は思っています。

さて、今回ご紹介する一冊は、八丈島に移住したイラストレーターが描いたものです。「たかまつやよい」さんというのは、実は「たかまつ」さんという男性と「やよい」さんという女性のユニットで、八丈島に暮らしているのはやよいさんの方です。八丈島に縁もゆかりもなかったのですが、ふとしたきっかけで島に魅了され、移住したそうです。第一巻目となる本書には、移り住むまでのエピソードが描かれています。

私は過日、仕事で八丈島へ行きました。その準備段階として、永田町の東京都事務所で伊豆諸島のパンフレットを頂いたのです。それを読み進めるうちに、「そうだ、八丈島を舞台にした小説やマンガはないかしら?」と思ったのですね。そう思ったときにピンポイントで調べられるのがインターネットの良いところ。早速検索したところ、本書を知ったのでした。

大学生や社会人になりたての頃の私は目が海外ばかりに向いていました。けれども今回本書を読み、実際に八丈島を訪ねてみると、日本にもまだまだ素晴らしい所がたくさんあると感じます。これまで「日本国内の島」として訪れたのは沖縄と江の島(!)ぐらいです。「流されて八丈島」はすでに5冊出ていますので、さらに読み進めてまた近い将来、八丈島を訪問したいと思っています。



第252回 ミス・手柄 

子どもの頃、私はマンガの「ドラえもん」が大好きで、コミック本で全巻そろえていたほどでした。当時私は父の転勤でオランダのアムステルダムにいたのですが、今のようにインターネットはなく、日本から届く新聞も1週間遅れだったのです。小学校2年生にして日本語の活字に飢える日々でした。ドラえもんの単行本が新発売になるたびに親戚に送ってもらっていたのですが、航空便も高額だったため、いつも船便で1か月以上かかっていましたね。待ちに待った小包が届くと、何度も何度も繰り返し読んでいました。懐かしい思い出です。

「ドラえもんは海外の人にもきっと楽しんでもらえる」と思った私は、当時まったく英語力がなかったものの、自分なりに翻訳しようと考えました。選んだのは「翻訳コンニャク」が出てくるエピソードです。秘密道具のコンニャクを食べれば、口から日本語を話しても目的言語の言葉になって相手には聞こえるという、当時としては夢のような道具でした。辞書を引きながらセリフを英語に直したあのノートは、残念ながら今手元にはありません。度重なる引っ越しで処分してしまったかもしれませんね。今やドラえもんも海外で放映されていますし、あの「翻訳コンニャク」も今日ではスマートフォンのアプリに似たような機能があります。技術の進歩を感じます。

ところでドラえもんと言えば、ジャイアンの有名なせりふがあります。「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ」です。のび太が大事にしている物がジャイアンのこの一言で奪われ、挙句の果てに返してもらえず壊されてしまい、のび太がドラえもんに泣きつくという光景は、ストーリーの中で何度も出てきます。今の時代なら学校や教育所轄官庁で大問題になりそうな「いじめ」ですが、私が子どもの頃はこうした子ども同士の争いは珍しくありませんでした。強い子やいじめっ子、そして気の弱い子にいじめられっ子という図式があったのです。「早く大人になりたい。大人にさえなればこんな理不尽なことはないはず」と当時、子ども社会のヒエラルキーに苦しんだ私は真剣に思っていました。

では大人になればバラ色の世界かと言えば、そうでもないのですよね。むしろ大人の方が別の意味で「賢い」ですので、もっと複雑かもしれません。上司と部下の関係にせよ日常生活における人との関わり合いにせよ、そうした悩みはつきもののように思います。

私は大学卒業直後、いくつかの組織で働きました。初めて転職した先は外国人上司と私のみという小さな事務所で、まさに毎日が異文化コミュニケーションでした。文化や価値観の違いなどが理由でその上司と意見が衝突したこともありましたね。けれども今でも上司に感謝していることがあります。それはミスと手柄に対する上司の姿勢でした。

よく言われたのは「最終的な責任は僕がとる。だからサナエはのびのびと仕事をしてほしい」ということでした。小さな事務所ゆえ、総務・経理・翻訳・通訳とあらゆることを任されていたのですが、「自分の判断で正しいことをしてほしい。究極的な責任は代表者である自分が担う」というのが上司のスタンスだったのです。おかげで安心して仕事をすることができました。

もう一つ、その上司は私の仕事ぶりを外部に対して褒めてくれました。私がおこなったのはあくまでも補佐的で、本来であれば上司自身の功績でも、自分の手柄とせず、部下を大切にしてくれたのです。上司とはかくあるべきという見本を私は学ぶことができました。

随分前のこと。雑誌の人生相談にこんなお悩みがありました。「上司の自己顕示欲が強くてついていけない。私が頑張ったことを全部自分の功績にしてしまい、一方で私のささいなミスも公にしてしまう」というものです。こうした上司の元で働くのはさぞ大変とその文章を読んで私は思いました。おそらくその上司自身があまりにも怖い人物で、周りも進言できなかったのでしょう。「裸の王様」状態でありながら、上司本人は気づいていないのかもしれません。

ところで今回このコラムのタイトルを「ミス・手柄」としましたが、ミスコンテストの新部門に「ミス手柄」がお目見えした・・・というような話題ではありません。間の「・」はいくつかの単語をつなぐための点で、区切りの役割を果たします。ことばの仕事をしていると、こうした表記ひとつも大事なのですよね。

【今週の一冊】

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「天気予報はこんなに面白い!―天気キャスターの晴れ雨人生」 平井信行著、角川oneテーマ21、2001年

お天気キャスターの平井信行さんと言えば、夕方や夜のNHKニュースでおなじみですよね。学生時代はスポーツにも励んでおられたそうで、私も以前、地元のマラソン大会に出場した際、ゲスト走者として平井さんが走っていらっしゃる姿を見たことがあります。

本書は天気予報について綴った一冊ですが、天気の世界も実に奥深いことがわかる内容でした。10年以上前にBBCワールドで天気予報を同時通訳する際、「良いお天気・悪いお天気」は主観的な表現なので使わないようにと上司から言われたことがあるのですが、本書にはそうした言葉の解説もたくさん出ています。気象予報士やお天気キャスターを目指す方はもちろん、放送の世界に興味のある方に参考となる一冊です。

中でも印象的だったのが「気象予報士が完璧でない理由」という一節でした。通訳の世界同様、天気予報の世界でもどんどん技術は向上しています。スーパーコンピューターのおかげで物理的には優れた天気予報は可能な時代になっているのです。けれども平井氏は次のように綴っています。

「スーパーコンピューターの物理的な計算結果と実際の天気とのズレがあると、気象予報士は過去の統計や地域的な天気特性などに応じて修正する。だが、この修正も完璧ではない。その理由は過去の統計にも当てはまらない天気になることがあるし、経験や研究などにも左右されるからだ。」

これは通訳の世界でも同じですよね。確かに人工知能や自動通訳翻訳機でかなりのレベルの言語変換は可能な時代です。けれども人間の通訳者に「しか」できないことがあります。それは「経験」によって訳出される部分です。ニュアンスの微妙な差などは、人間だからこそ通訳できるとも言えるのです。

平井氏は本書の終わりを次のように結んでいます。

「気象予報士は天気予報を変えることができても、天気まで変えてしまうことはできない。」

通訳者も通訳自体を変えることはできます。クライアントに合った訳出をしたり、場合によっては取捨選択をしてのアウトプットをしたりという具合です。けれども、スピーカーが語ることそのものを変えることはできないのです。また、言葉が本来持つ意味そのものを変更することもできません。

自然を前に謙虚になるのと同様、ことばに対しても私たちはもっともっと謙虚になるべきではないか。そんなことを感じた一冊でした。


第251回 平常心の保ち方

東日本大震災から5年が経ちました。あの大地震の際にどのような状況にいたのか、皆がその記憶をたぐりよせた3月11日だったと思います。復旧・復興は着実に進んでいますが完璧とは言えません。いまだに苦しい環境に置かれている方たちは大勢いらっしゃいます。マスコミ報道からこぼれ落ちてしまった方々や場所があることを、私たち一人一人が意識していきたいと思います。

日本はもともと自然災害に見舞われる国ですので、一つの天災から教訓を得て、それを次の防災へとつなげてきました。残念ながら世界の国々が皆そうとは限りません。東日本大震災の数年前には中南米のハイチで大地震が起きました。ほかにも中国や台湾、トルコ、ネパールなどで地震が発生しています。そうした国ではもともとインフラがぜい弱であったり、国の予算が潤沢でなかったりというケースもありますので、その場合復興もなかなか進みません。以前、キヤノンの御手洗富士夫会長が「日本は防災技術を輸出産業にすべきだ」とおっしゃっていました。日本だからこそできる貢献に、もっと政府も本腰を入れると良いのではと私も思っています。

さて、5年前のあの日、私は放送通訳のシフトでCNNのスタジオにいました。その日はペアの通訳者と30分交代で、私は後半30分の担当だったのです。大きな揺れが生じたときには通常番組を同時通訳していました。その数日前から何度か大きめの地震が発生していましたので、心の準備はそれなりにできていたのでしょう。14時46分のあの瞬間、私の中では「怖い」という気持ちよりも、いかにして「通訳し続けるか」という思いが浮上しました。目の前にあるPCスクリーンが倒れないよう両手で押さえるべく立ち上がり、そのまま画面を見ながら通訳していたのを覚えています。

日ごろ私は突発事態になるとついつい焦ってしまい、「ゼーハー、ゼーハー」するタイプです。たとえば自宅に夕方戻った際、早く夕食を作らねばと、いわゆる「テンパる」状態になるのですね。そういうモードになると語気も強くなってしまい、つい子どもたちへもパシパシした言い回しをしてしまいます。それを敏感に察知した子どもたちもそこでテンパり、兄妹で言葉の応酬がとげとげしくなり・・・という悪循環になってしまうのです。そのたびに反省です。

ところが、こと「仕事」となると私の場合、スーッと心が落ち着くように思います。なぜなのかはわかりませんが、おそらく「何としても落ち着いた声でお客様に通訳をして差し上げたい」という思いがあるからだと考えます。ただでさえ同時通訳現場というのは緊張感でいっぱいになりますので、逆にこれ以上テンパってしまうと自分の身が持たなくなります。ですのでそれを防ぐための「自己防衛」としてあえて冷静になるのかもしれません。

通訳の授業をしていると、「どうすれば緊張せずにいられますか?」という質問をよく受けます。私自身、長年この仕事を続けていてもマイクのスイッチを入れるときは非常に緊張します。教壇に立つときも同様で、「今日の授業はうまく進められるかしら?」と思うととてもドキドキします。「緊張しない秘訣」があるなら私が知りたいほどなのですよね。

ただ、このようにも考えています。「緊張感は悪ではないのだ」と。神経を研ぎ澄ませて最善の訳出をするためには、適度な緊張感はむしろ必要だと私は思うのです。「アガる」必要はありません。ただ、緊張感を失えば姿勢も悪くなり、発声への意識も行き届かなくなります。そうなってしまえば、最善の商品をお客様に届けることはできなくなり、お役に立てなくなってしまうのです。

通訳現場で必要なのは、そこそこの緊張感と平常心でしょう。平常心を維持するには、今の状況を冷静に見つめることと、良い意味での「あきらめ・達観」を意識することです。今更ジタバタしてもどうにもならない以上、今与えられた環境でベストを尽くすにはどうすべきかを考えるのみなのです。

大震災のさなかに同時通訳を続けられたのは、おそらく私の中で「地震が起きて揺れてしまった以上仕方がない。あとはどうすればベストのちからを発揮できるか」ということだったのだと思います。今後はこの平常心をプライベートの場面でもしっかりと意識して暮らしていきたいと考えています。

(2016年3月14日)

【今週の一冊】

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「If Life is a Game, These Are the Rules」 Cherie Carter-Scott, Broadway Books, 1999

本を買う際、私はいくつかの「選定ポイント」を持っています。タイトルや著者名などはもちろんですが、表紙の装丁や本の大きさ、文字のフォントなども気になるのですね。今回ご紹介する一冊は表紙に魅了されて入手したものです。

著者のシェリー・カーター・スコット氏はアメリカの人気セミナー講師です。この本はすでに日本語に翻訳されており、「小さなことから自分が変わる―あなたの人生がうまく行く10の大切なルール」と題して三笠書房から出ています。あいにく今は絶版のようですが、古書店や図書館であれば読めるはずです。原書の方は紙版および電子書籍版で入手できます。

紙版の方は表紙がツルツルとしていてさわり心地が良く、少し古風な英文フォントが関心をそそります。ページをめくると全部で10のルールが出ており、生き方の指南が記されています。ありのままを受け入れること、無理に変えようとせず素直に認めること、自分を尊重することなどが文言として出てきます。

どうすれば私たちは苦しみから自由になれるか。その答えとして本書に書かれていることはごく一般的かもしれません。けれども私たちは悩みに直面するとどう行動すべきかわかってはいるものの、ついついグチグチ・ウジウジしてしまいます。だからこそこうした行動指針をあえて文字で読むことが大事だと私は考えます。

色々と印象的なフレーズはあったのですが、中でも次の一文が心に残りました。

Focusing on the unfairness of circumstances keeps you comparing yourself with others rather than appreciating your own special uniqueness. You miss out on learning your individual lessons by distracting yourself with feelings of bitterness and resentment.

おそらく大半の悩みというのは、「比較すること」から来るのではと思います。他者との比較、過去の自分との比較などにより、私たちは辛くなってしまうのですよね。比べてみじめになるぐらいなら、そこからどういう教訓が得られるかをひたすら考える方が一歩前に進めることになります。その大切さに気付かされた一冊でした。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 通訳学校で後進の指導にあたるほか、大学の英語学習サポートルームにて英語学習アドバイザーも務める。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。