HOME > 通訳 > 通訳者のひよこたちへ

放送通訳者直伝!

第253回 覚悟を決めるということ 

通訳者デビューをして間もないころ、とある案件でエージェントからご依頼をいただきました。しかし、いよいよ通訳業務日を翌日に控えた前夜、突然言いようのない不安感に襲われたのです。

理由はいくつかありました。一つ目は私にとって全く初めての分野であったことです。担当者からは事前に資料を頂いており、自分なりに用語集を作ったり、専門書などを読みこんだりと準備をしてはいました。けれども予習をいくらしてもまだ自分は何もわかっていないように思えてしまったのです。

もう一つ不安だった理由は、出張業務であったことでした。それまでも泊りがけの仕事は受けていたのですが、今回の仕事は首都圏からだいぶ離れており、しかも人里離れた場所でした。コンビニもなく、仕事が始まればそこにずっと缶詰状態。当時はインターネットもありませんでしたので、不明点があっても図書館や大型書店に駆け込んで調べることができません。

このようなことから、「やはり私のような初心者にこの仕事は無理なのではないか?請け負うことでかえってお客様にご迷惑なのではないか?」と思えてきたのです。

夜は刻一刻とふけていきます。「今の私のレベルでは絶対通訳などできない。そもそも受けてはいけない案件だったのだ」という感情が一層強くなり、何を思ったのか、私は真夜中になってそのエージェントに電話をかけたのです。こちらの状況を説明して、この業務から外していただこうと思ったのですね。

当時はまだメールもなく、携帯電話もなかったころです。当然ながら、会社の固定電話にかけたところで誰も応対せず、私の「やっぱりやめさせてください」作戦は実りませんでした。翌朝、不安感と逃げ出したい感に押しつぶされつつ、私は指定された場所へ向かいます。ところがいざ業務が始まってみると、私が想像していたよりもはるかに基礎的な内容の会議に終始し、何とか私の予習レベルでも対応できたのでした。

この「事件」を機に私は大きな教訓を得ました。1点目は、「依頼を受けた段階でどう考えても無理そうであれば、そもそも受けてはならない」ことです。もちろんエージェントはプロですので、どの通訳者にどういったレベルの業務を割り当てるかは把握しています。それでも内容を聞いたうえで自分には不可能と思えるならば、勇気をもって断ることも誠意だと私は考えます。

もう一つの教訓は「覚悟を決める」ということです。仕事を受けた以上、とにかく最善を尽くすしかありません。自分が納得いくまで予習を行い、できる限りのことをした上で当日を迎えるしかないのです。請け負うと決めたならば、たとえ当日になっても予習の手を緩めず、不明点は最後の最後まで担当者や講演者に尋ねることが大切なのです。そこまで備えたら、あとは運を天に任せ、ベストのパフォーマンスをめざします。そしてこの仕事で一番大切なこと、つまり「お客様のお役に立つ」という気持ちを強く持って業務終了まで切り抜けるのみだと私は思っています。

覚悟を決めるというのは、良い意味での「あきらめ」とも言えます。業務さなかになってもクヨクヨ思い悩んでしまえば、発揮できるはずの実力も表に出てきてはくれません。努力と覚悟と達観。こうしたものを自分の中でバランスをとりつつ、前に向かっていくのが通訳という仕事だとしみじみ思います。

(2016年3月28日)

【今週の一冊】
hiyoko-160328.jpg

「流されて八丈島~漫画家、島にゆく~」 たかまつやよい著、ぶんか社コミックス、2009年

仕事や休暇などでどこかへ出かける際、私は東京・永田町にある都道府県会館へ向かいます。今の時代であればインターネットで情報は手に入りますが、あえて都道府県会館に入居している各県の事務所に行くことが私にとっては楽しみなのですね。会館内にはすべての県がオフィスを構えており、観光パンフレットなども豊富に取り揃えています。地図やグルメマップ、県の広報誌などを一通り頂くとかなりの紙の量になり重くなるのですが、紙の資料には選りすぐりの情報が掲載されています。全体像をつかむにはネットよりも便利だと私は思っています。

さて、今回ご紹介する一冊は、八丈島に移住したイラストレーターが描いたものです。「たかまつやよい」さんというのは、実は「たかまつ」さんという男性と「やよい」さんという女性のユニットで、八丈島に暮らしているのはやよいさんの方です。八丈島に縁もゆかりもなかったのですが、ふとしたきっかけで島に魅了され、移住したそうです。第一巻目となる本書には、移り住むまでのエピソードが描かれています。

私は過日、仕事で八丈島へ行きました。その準備段階として、永田町の東京都事務所で伊豆諸島のパンフレットを頂いたのです。それを読み進めるうちに、「そうだ、八丈島を舞台にした小説やマンガはないかしら?」と思ったのですね。そう思ったときにピンポイントで調べられるのがインターネットの良いところ。早速検索したところ、本書を知ったのでした。

大学生や社会人になりたての頃の私は目が海外ばかりに向いていました。けれども今回本書を読み、実際に八丈島を訪ねてみると、日本にもまだまだ素晴らしい所がたくさんあると感じます。これまで「日本国内の島」として訪れたのは沖縄と江の島(!)ぐらいです。「流されて八丈島」はすでに5冊出ていますので、さらに読み進めてまた近い将来、八丈島を訪問したいと思っています。



第252回 ミス・手柄 

子どもの頃、私はマンガの「ドラえもん」が大好きで、コミック本で全巻そろえていたほどでした。当時私は父の転勤でオランダのアムステルダムにいたのですが、今のようにインターネットはなく、日本から届く新聞も1週間遅れだったのです。小学校2年生にして日本語の活字に飢える日々でした。ドラえもんの単行本が新発売になるたびに親戚に送ってもらっていたのですが、航空便も高額だったため、いつも船便で1か月以上かかっていましたね。待ちに待った小包が届くと、何度も何度も繰り返し読んでいました。懐かしい思い出です。

「ドラえもんは海外の人にもきっと楽しんでもらえる」と思った私は、当時まったく英語力がなかったものの、自分なりに翻訳しようと考えました。選んだのは「翻訳コンニャク」が出てくるエピソードです。秘密道具のコンニャクを食べれば、口から日本語を話しても目的言語の言葉になって相手には聞こえるという、当時としては夢のような道具でした。辞書を引きながらセリフを英語に直したあのノートは、残念ながら今手元にはありません。度重なる引っ越しで処分してしまったかもしれませんね。今やドラえもんも海外で放映されていますし、あの「翻訳コンニャク」も今日ではスマートフォンのアプリに似たような機能があります。技術の進歩を感じます。

ところでドラえもんと言えば、ジャイアンの有名なせりふがあります。「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ」です。のび太が大事にしている物がジャイアンのこの一言で奪われ、挙句の果てに返してもらえず壊されてしまい、のび太がドラえもんに泣きつくという光景は、ストーリーの中で何度も出てきます。今の時代なら学校や教育所轄官庁で大問題になりそうな「いじめ」ですが、私が子どもの頃はこうした子ども同士の争いは珍しくありませんでした。強い子やいじめっ子、そして気の弱い子にいじめられっ子という図式があったのです。「早く大人になりたい。大人にさえなればこんな理不尽なことはないはず」と当時、子ども社会のヒエラルキーに苦しんだ私は真剣に思っていました。

では大人になればバラ色の世界かと言えば、そうでもないのですよね。むしろ大人の方が別の意味で「賢い」ですので、もっと複雑かもしれません。上司と部下の関係にせよ日常生活における人との関わり合いにせよ、そうした悩みはつきもののように思います。

私は大学卒業直後、いくつかの組織で働きました。初めて転職した先は外国人上司と私のみという小さな事務所で、まさに毎日が異文化コミュニケーションでした。文化や価値観の違いなどが理由でその上司と意見が衝突したこともありましたね。けれども今でも上司に感謝していることがあります。それはミスと手柄に対する上司の姿勢でした。

よく言われたのは「最終的な責任は僕がとる。だからサナエはのびのびと仕事をしてほしい」ということでした。小さな事務所ゆえ、総務・経理・翻訳・通訳とあらゆることを任されていたのですが、「自分の判断で正しいことをしてほしい。究極的な責任は代表者である自分が担う」というのが上司のスタンスだったのです。おかげで安心して仕事をすることができました。

もう一つ、その上司は私の仕事ぶりを外部に対して褒めてくれました。私がおこなったのはあくまでも補佐的で、本来であれば上司自身の功績でも、自分の手柄とせず、部下を大切にしてくれたのです。上司とはかくあるべきという見本を私は学ぶことができました。

随分前のこと。雑誌の人生相談にこんなお悩みがありました。「上司の自己顕示欲が強くてついていけない。私が頑張ったことを全部自分の功績にしてしまい、一方で私のささいなミスも公にしてしまう」というものです。こうした上司の元で働くのはさぞ大変とその文章を読んで私は思いました。おそらくその上司自身があまりにも怖い人物で、周りも進言できなかったのでしょう。「裸の王様」状態でありながら、上司本人は気づいていないのかもしれません。

ところで今回このコラムのタイトルを「ミス・手柄」としましたが、ミスコンテストの新部門に「ミス手柄」がお目見えした・・・というような話題ではありません。間の「・」はいくつかの単語をつなぐための点で、区切りの役割を果たします。ことばの仕事をしていると、こうした表記ひとつも大事なのですよね。

【今週の一冊】

hiyoko-160321.jpg
「天気予報はこんなに面白い!―天気キャスターの晴れ雨人生」 平井信行著、角川oneテーマ21、2001年

お天気キャスターの平井信行さんと言えば、夕方や夜のNHKニュースでおなじみですよね。学生時代はスポーツにも励んでおられたそうで、私も以前、地元のマラソン大会に出場した際、ゲスト走者として平井さんが走っていらっしゃる姿を見たことがあります。

本書は天気予報について綴った一冊ですが、天気の世界も実に奥深いことがわかる内容でした。10年以上前にBBCワールドで天気予報を同時通訳する際、「良いお天気・悪いお天気」は主観的な表現なので使わないようにと上司から言われたことがあるのですが、本書にはそうした言葉の解説もたくさん出ています。気象予報士やお天気キャスターを目指す方はもちろん、放送の世界に興味のある方に参考となる一冊です。

中でも印象的だったのが「気象予報士が完璧でない理由」という一節でした。通訳の世界同様、天気予報の世界でもどんどん技術は向上しています。スーパーコンピューターのおかげで物理的には優れた天気予報は可能な時代になっているのです。けれども平井氏は次のように綴っています。

「スーパーコンピューターの物理的な計算結果と実際の天気とのズレがあると、気象予報士は過去の統計や地域的な天気特性などに応じて修正する。だが、この修正も完璧ではない。その理由は過去の統計にも当てはまらない天気になることがあるし、経験や研究などにも左右されるからだ。」

これは通訳の世界でも同じですよね。確かに人工知能や自動通訳翻訳機でかなりのレベルの言語変換は可能な時代です。けれども人間の通訳者に「しか」できないことがあります。それは「経験」によって訳出される部分です。ニュアンスの微妙な差などは、人間だからこそ通訳できるとも言えるのです。

平井氏は本書の終わりを次のように結んでいます。

「気象予報士は天気予報を変えることができても、天気まで変えてしまうことはできない。」

通訳者も通訳自体を変えることはできます。クライアントに合った訳出をしたり、場合によっては取捨選択をしてのアウトプットをしたりという具合です。けれども、スピーカーが語ることそのものを変えることはできないのです。また、言葉が本来持つ意味そのものを変更することもできません。

自然を前に謙虚になるのと同様、ことばに対しても私たちはもっともっと謙虚になるべきではないか。そんなことを感じた一冊でした。


第251回 平常心の保ち方

東日本大震災から5年が経ちました。あの大地震の際にどのような状況にいたのか、皆がその記憶をたぐりよせた3月11日だったと思います。復旧・復興は着実に進んでいますが完璧とは言えません。いまだに苦しい環境に置かれている方たちは大勢いらっしゃいます。マスコミ報道からこぼれ落ちてしまった方々や場所があることを、私たち一人一人が意識していきたいと思います。

日本はもともと自然災害に見舞われる国ですので、一つの天災から教訓を得て、それを次の防災へとつなげてきました。残念ながら世界の国々が皆そうとは限りません。東日本大震災の数年前には中南米のハイチで大地震が起きました。ほかにも中国や台湾、トルコ、ネパールなどで地震が発生しています。そうした国ではもともとインフラがぜい弱であったり、国の予算が潤沢でなかったりというケースもありますので、その場合復興もなかなか進みません。以前、キヤノンの御手洗富士夫会長が「日本は防災技術を輸出産業にすべきだ」とおっしゃっていました。日本だからこそできる貢献に、もっと政府も本腰を入れると良いのではと私も思っています。

さて、5年前のあの日、私は放送通訳のシフトでCNNのスタジオにいました。その日はペアの通訳者と30分交代で、私は後半30分の担当だったのです。大きな揺れが生じたときには通常番組を同時通訳していました。その数日前から何度か大きめの地震が発生していましたので、心の準備はそれなりにできていたのでしょう。14時46分のあの瞬間、私の中では「怖い」という気持ちよりも、いかにして「通訳し続けるか」という思いが浮上しました。目の前にあるPCスクリーンが倒れないよう両手で押さえるべく立ち上がり、そのまま画面を見ながら通訳していたのを覚えています。

日ごろ私は突発事態になるとついつい焦ってしまい、「ゼーハー、ゼーハー」するタイプです。たとえば自宅に夕方戻った際、早く夕食を作らねばと、いわゆる「テンパる」状態になるのですね。そういうモードになると語気も強くなってしまい、つい子どもたちへもパシパシした言い回しをしてしまいます。それを敏感に察知した子どもたちもそこでテンパり、兄妹で言葉の応酬がとげとげしくなり・・・という悪循環になってしまうのです。そのたびに反省です。

ところが、こと「仕事」となると私の場合、スーッと心が落ち着くように思います。なぜなのかはわかりませんが、おそらく「何としても落ち着いた声でお客様に通訳をして差し上げたい」という思いがあるからだと考えます。ただでさえ同時通訳現場というのは緊張感でいっぱいになりますので、逆にこれ以上テンパってしまうと自分の身が持たなくなります。ですのでそれを防ぐための「自己防衛」としてあえて冷静になるのかもしれません。

通訳の授業をしていると、「どうすれば緊張せずにいられますか?」という質問をよく受けます。私自身、長年この仕事を続けていてもマイクのスイッチを入れるときは非常に緊張します。教壇に立つときも同様で、「今日の授業はうまく進められるかしら?」と思うととてもドキドキします。「緊張しない秘訣」があるなら私が知りたいほどなのですよね。

ただ、このようにも考えています。「緊張感は悪ではないのだ」と。神経を研ぎ澄ませて最善の訳出をするためには、適度な緊張感はむしろ必要だと私は思うのです。「アガる」必要はありません。ただ、緊張感を失えば姿勢も悪くなり、発声への意識も行き届かなくなります。そうなってしまえば、最善の商品をお客様に届けることはできなくなり、お役に立てなくなってしまうのです。

通訳現場で必要なのは、そこそこの緊張感と平常心でしょう。平常心を維持するには、今の状況を冷静に見つめることと、良い意味での「あきらめ・達観」を意識することです。今更ジタバタしてもどうにもならない以上、今与えられた環境でベストを尽くすにはどうすべきかを考えるのみなのです。

大震災のさなかに同時通訳を続けられたのは、おそらく私の中で「地震が起きて揺れてしまった以上仕方がない。あとはどうすればベストのちからを発揮できるか」ということだったのだと思います。今後はこの平常心をプライベートの場面でもしっかりと意識して暮らしていきたいと考えています。

(2016年3月14日)

【今週の一冊】

hiyoko-160314.jpg
「If Life is a Game, These Are the Rules」 Cherie Carter-Scott, Broadway Books, 1999

本を買う際、私はいくつかの「選定ポイント」を持っています。タイトルや著者名などはもちろんですが、表紙の装丁や本の大きさ、文字のフォントなども気になるのですね。今回ご紹介する一冊は表紙に魅了されて入手したものです。

著者のシェリー・カーター・スコット氏はアメリカの人気セミナー講師です。この本はすでに日本語に翻訳されており、「小さなことから自分が変わる―あなたの人生がうまく行く10の大切なルール」と題して三笠書房から出ています。あいにく今は絶版のようですが、古書店や図書館であれば読めるはずです。原書の方は紙版および電子書籍版で入手できます。

紙版の方は表紙がツルツルとしていてさわり心地が良く、少し古風な英文フォントが関心をそそります。ページをめくると全部で10のルールが出ており、生き方の指南が記されています。ありのままを受け入れること、無理に変えようとせず素直に認めること、自分を尊重することなどが文言として出てきます。

どうすれば私たちは苦しみから自由になれるか。その答えとして本書に書かれていることはごく一般的かもしれません。けれども私たちは悩みに直面するとどう行動すべきかわかってはいるものの、ついついグチグチ・ウジウジしてしまいます。だからこそこうした行動指針をあえて文字で読むことが大事だと私は考えます。

色々と印象的なフレーズはあったのですが、中でも次の一文が心に残りました。

Focusing on the unfairness of circumstances keeps you comparing yourself with others rather than appreciating your own special uniqueness. You miss out on learning your individual lessons by distracting yourself with feelings of bitterness and resentment.

おそらく大半の悩みというのは、「比較すること」から来るのではと思います。他者との比較、過去の自分との比較などにより、私たちは辛くなってしまうのですよね。比べてみじめになるぐらいなら、そこからどういう教訓が得られるかをひたすら考える方が一歩前に進めることになります。その大切さに気付かされた一冊でした。


第250回 手書きの礼状から感じたこと

通訳学校で指導をしていてよく受ける相談があります。それは「どのようにメモを取るか」「どうすればすべてきちんと拾えるか」です。

メモ取りに関しては正直なところ、私も何か良い秘訣があったら知りたいところです。と言いますのもノート・テイキングにおける絶対的正解がないからです。もっとも、通訳という行為自体、「これが正解でこれは間違い」とは言い切れない世界のようにも思います。極端な話、100人通訳者がいれば100通りの訳語があっても良いからです。要は話し手が伝えたいメッセージを最大限くみ取り、それを最も効果的に聴衆に理解していただくための言語変換をするのが私たちの最大使命ということになります。

その「最も効果的」という基準も実は難しいですよね。私自身、最近興味深い経験をしましたので、そのことに改めて気づかされました。その出来事とは次のようなものでした。

私は毎年年末になると、ささやかながらNGOに寄付をしています。CNNの放送通訳をしていると、日本という国に暮らせる偶然の恩恵が非常にありがたく思えるからです。確かに日本国内にも課題はたくさんあります。けれども世界を見渡せば紛争や経済的混乱、社会インフラの未整備などが見られる国がたくさんあります。そうした状況と比べれば、日本で安心して生きていけるというのは大きな恵みだと思うのです。その感謝の気持ちを込めての寄付でもあります。

つい最近のこと。そうした援助団体の一つからダイレクトメールが届きました。あるプロジェクトが緊急で実施されており、それへの寄付金を募る内容でした。何かお役に立てるかもという思いでDMを開封し、後でじっくり見るためにファイルに入れておきました。その団体から電話があったのは10日後のことでした。

スタッフの方はとても丁寧で、日頃の援助に感謝する旨をおっしゃっていました。ただ、その日あいにく私は仕事に出る直前だったのです。「お時間よろしいでしょうか?」と言われましたので、「出かける前なので1、2分でしたら」と私は答えました。

ところが前置きから始まり、「新たな寄付をお願いしたい」という本題に入るまで、結構手間取ってしまったのですね。おそらく「電話口で話す内容マニュアル」が先方にはあり、その通りにスタッフの方はおっしゃっていたのでしょう。ですので、そのスタッフさんに非があるわけではありません。ただ、何しろタイミングが悪かったと思います。

いよいよ時間切れという段階で、申し訳なく思いつつ私はこうお伝えしました。「すみません、今から仕事に出かけますので、先日頂いたダイレクトメールを私の方で拝見して、何かありましたらこちらから改めてご連絡したいのですがよろしいでしょうか?」と。これでようやく電話でのやり取りが終わりました。

そういえば、別件で次のような経験をしたことがあります。まだ会社員の頃だったのですが、とある企画を先方の会社と詰めていました。うまく行きそうに見えたのですが、最終的には先方の上司からゴーサインが出ず、立ち消えになることが決まったのです。その時、先方の担当者はお詫びの品とお手紙を送ってきてくださいました。わざわざ労をとってまでそうしてくださったことにとてもうれしく思ったのですが、開封して少し違和感を覚えてしまったのですね。

と言いますのも、お詫びの品に添えられた手紙はワープロ打ちで数ページにわたっており、企画がボツになった理由が延々と述べられていたのです。私は社会人になりたての頃、お詫びやお願いに関して先輩から次のように教わっていました。「お願いやお詫びは自分の誠意を見せるものである。だからできれば直接会って伝えること。会うことが難しいなら電話で自分の声で伝えること。それも無理なら手書きの手紙にすること」というものです。ワープロ打ちの手紙やメールというのは、順位としては最下位にあると言われたのです。

お願いやお詫びに関してそのようなことを考えていた数日後、今度はある雑誌社から小包が届きました。私が寄稿した記事の掲載誌が中には入っていたのですね。雑誌の中には封筒が挟まっており、きちんとあて名書きがなされていました。挟んであった個所は私の掲載文のページで、そこには付箋紙も貼られていたのです。封筒を開けると、縦書きの便箋に丁寧な字でお礼文が綴られていました。

その雑誌社はコンセプトのしっかりした媒体物を作っており、世の中の流行が動いてもぶれることなく、その哲学を大事にしながら発行を続けています。栄枯盛衰の激しいマスコミ業界において、その姿勢を維持するだけでも大変なことでしょう。けれども今回のお礼状1枚から、その会社の編集者たちが自らの仕事に誇りを持ち、業務に勤しんでいる様子が想像できたのです。こうした会社のお役に立ちたい、この企業の応援をしたいとそのとき強く思ったのでした。

相手に何かを伝える際、何が最も効果的かは悩むところです。伝える側と受け手の温度差も当然あることでしょう。けれどもメッセージを発する側が、受ける側の気持ちを徹底的に考え、自分がどうすべきかをしっかりと熟慮することが、実は最大の正解ではないかと私は考えます。

通訳行為も同じです。「自分がすべて拾えて訳せたからOK」ではなく、どうすれば聴衆に最もよく理解していただけるか。お客様の立場に立った仕事ぶりが評価の最大ポイントだと私は信じています。
(2016年3月7日)

【今週の一冊】

hiyoko-160307.jpg
「考えない台所」 高木ゑみ著、サンクチュアリ出版、2015

私の読書形態はどうやらムラがあるようです。古典に凝るとそればかりを読むようになり、ビジネス本に関心が出れば書店でもそのコーナーばかりを覗きます。昨年秋はもっぱら文庫本にこだわり、文庫本の棚だけを眺めては買っていました。いわゆるマイブームですよね。

そんな状態が続いていたのですが、なぜか今年に入ってから読書量が落ちました。取り立てて理由があるわけではありません。ただ、手軽に読める自己啓発本は、何となく急き立てられるようで敬遠するようになり、食指が動きませんでした。かと言って文庫本コーナーも新しい著者が多く、昔の作家の本はなかなかありません。そのような理由から「本を読まない期間」が続いていました。

通訳の仕事をする以上、広く浅く、いえ、できれば広く「深く」物事を知ることは大切だと思います。本も「常に読んでいる状態」であるのが理想です。出かけるときも読みかけの仕事関連本をカバンに入れ、趣味の本も一緒に入れてメリハリをつけた読書をこれまではしてきました。それなのに、この「活字吸収量激減」と来たわけですので、我ながら不思議です。

今回ご紹介する一冊は、そんな記念すべき(?)「読書復活第一号」と言えるかもしれません。「考えない台所」というタイトルに惹かれて買いました。書店の棚に平積みされており、何か訴えるものを私は感じたのです。オビには「一日中、ずっと料理のことを考えていませんか?」という問いかけ文があり、私の心を揺さぶりました。と言うのもその答えがまさに「イエス」だったからです。私の場合、朝食の片づけをしながら夕食の献立を考えており、仕事に向かう際もメニューのことを思い描いてばかりいました。帰り道には野菜の切り方やその順序までシミュレーションしていたほどだったのです。

本書はそんな「頭の中は一日中料理のことだけ」という人向けに書かれたものです。献立の立て方や台所に何をどう置くか、整理収納に至るまで詳しく説明されています。著者の高木さんはシンク回りやコンロ回りにモノを一切置かないそうで、私も同じ考えだったことから、とても共感を抱きました。

中でも参考になったのは、調理の際の手順です。料理を始める前に、切った食材を入れる容器を何個も出しておくことや、味見用のスプーンを10本ぐらいセットしておくことなど、私には目からウロコでした。実際そのようにしてみると、台所内での動線を大幅に省略できますので、動きに無駄がなくなったのですね。必要なものをあらかじめ出しておき、右往左往しないことが時短につながることを改めて感じました。

もう一つ高木さんが紹介していたエピソードでお寿司屋さんの話がありました。板前さんはお寿司を握ってはまな板を拭き、次の食材を出してからも拭いてと頻繁に目の前を拭いていますよね。これも私には参考になりました。なぜなら、私の場合、電子レンジで温めたものを作業台に出そうとしたら台が濡れているということが頻繁にあったのです。これではせっかく温めたお皿も濡れて冷めてしまいます。けれども濡れたらすぐふきんで拭くという習慣をつけておけば、何かを置く際にもすぐに堂々と(?)置けますよね。

こうした小さな、そして大切なヒントが満載の一冊です。 


第249回 最善策を考え続ける

随分前に「マーフィーの法則」に関する本がベストセラーになりました。失敗が起こる際、さらに悪いことも付随して起きたり、立て続けに嫌なことに直面したりという様子を指します。

たとえば歩行者用青信号が点滅しているので急いで渡ろうと走り出した途端、携帯電話を道路に落としてしまった、しかもその日は雨上がりで道路が濡れていた、屈んで拾おうとしたら白いコートの裾を泥道に引きずってしまったという具合です。

先日の私も似たようなことがありました。

通勤時に座席に座って眠れたまでは良かったのですが、降車駅に到着した際慌てて立ち上がり、どうやらそこで大のお気に入りのイヤリングを落としてしまったのです。気づいたのはその電車が出発した後でした。ホームから滑り出した電車を横手で見ながら歩きつつ、耳元を触った時です。「あ、落としてしまった!」と思ったときには後の祭り。このピアスはひっかけ型の大判で、首元にスカーフなどを巻いているとその厚みで持ち上がり、ピアスごと外れてしまうことがこれまでもあったのです。以前も何度かそのピアスがなくなりかけたことがありましたが、幸い奇跡的に見つかるということを繰り返してきました。スカーフの中に紛れていたり、運よくコートのポケットに滑り落ちていたりということがあったのですね。

ところが今回は違いました。どこをどう探しても見当たりません。大好きな一品でしたので、片方だけの喪失感は大きいものでした。しかも私の場合、仕事でイヤリングを付けているというのは「お仕事時の制服の一環」的な位置づけとなっています。残った片方だけを付けたままにするわけにはいきませんので両方外さねばならず、そうなると耳周りがスカスカしてしまい違和感を覚えたのでした。

ここから得られる教訓はいくつかあります。

まずは落ちやすいピアスであれば、ストッパーを別途購入して付けるということが最大の落下防止策でしょう。それ以外としては、それこそ数分おきに耳周りを確認するしかありません。特に私の場合、ガンガン外を歩くのが好きですので、歩いている途中であってもピアスの有無を適宜チェックすることが必要となります。とにかく「落とさない」工夫を自分なりに考えねばなりません。

では落ちてしまったらどうするか。
これはもう事実として受け止め、損失そのものへの心のダメージを最大限に食い止めることが求められます。なくしてしまったことを悔やまない、あれこれ考えすぎないということがあって初めて、目の前の仕事にも集中できるからです。

通訳の仕事も同じです。「ああ、あの単語が訳せなかった。どうしよう?」と悔やんでも、じっくりと訳語を練り直すことはできません。翻訳であれば辞書を引き比べたりインターネットで探したりすることができますが、通訳の場合、そうした時間的余地はないのです。訳せなかったという後悔に引っ張られることなく、次にできる最善策は何かを常に常に考えることが必須となります。

同時通訳者の頭の中というのは、訳語選びと瞬発力に加えて「最善策を考え続けていること」なのかもしれません。
(2016年2月22日)

今週の一冊

生きづらさからの脱却.jpg

生きづらさからの脱却:アドラーに学ぶ」岸見一郎著、筑摩選書、2015年

ビジネスや心理学の世界には流行があるということを書店めぐりのたびに思います。数年前にはドラッカーが大流行となり、少し前はピケティが注目を集めました。最近では内村鑑三、アドラー、広岡浅子に関する本が目立ちますよね。テレビドラマや教養番組など、そのきっかけは様々なようです。

アドラーの名前は聞いたことがあり、アドラー自身の本も昔読んだことがありました。けれども今回あえて手にしたのはアドラーの著作をどう解釈したか、専門家がとらえた一冊です。岸見一郎氏はベストセラー「嫌われる勇気」という本で知られています。

「選書」もここ数年で出版社がずいぶん増えました。かつては単行本、文庫、新書がメインでしたが、新書より少し大きいサイズでソフトカバーの選書も最近はよく見かけます。新書よりも専門性が高く、より学術書に近い位置づけになっているようです。

岸見氏によれば、人間が抱く悩みの根本にあるのは「対人関係」であり、その起因となるのは人の持つ「虚栄心」だとしています。人は一人で生きていくことはできませんので、必然的に他者と関わって暮らしていきます。そこに喜びや愛情が生じる一方で、悩みや苦しみも他人との関係から生じるのです。「自分は自分、人は人」と割り切れれば多少の悩みも気にならなくなりますが、自分の心の中に潜む虚栄心が自分を苦しめてしまうというのですね。

悩みにぶつかると私たちはつい過去を振り返り、「あのときああすれば良かった」「あの人がこうしてくれさえすれば」と考えてしまいます。けれどもアドラーの考えに基づけば、過去や生育などはさほど関係ありません。大事なのは「これからどうするか」ということだけなのです。

私の敬愛する慈善活動家・佐藤初女先生は「今、ここが幸せ」と著作で説いておられます。初女先生の考えも、「過去をあれこれ思い悩むのではなく、今を見つめ、これからどう生きていくか」ということなのでしょう。

本書を読んだ第一の感想。それは頭を後ろに振り返らせて過去を振り返りがちなメンタリティに対して、頭をグッと抑えられて「はい、前向いて!」と言われたような感覚でした。



《 前 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 次 》


↑Page Top

プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 通訳学校で後進の指導にあたるほか、大学の英語学習サポートルームにて英語学習アドバイザーも務める。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。