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放送通訳者直伝!

第329回 価値観の違い

通訳の仕事をしていると、様々な価値観や文化に触れる機会を得ます。日本は真冬なのに薄着でも平然としている海外からのビジネスパーソンもいれば、ノーメイクでもOKという方もおられました。来日前に日本のエチケットを予習してはいたものの、ついつい片手で名刺交換をなさっていた方もいらっしゃいましたね。こうした状況を見るたびに、世界にはたくさんの考え方や重きの置き方があり、「郷に入っては郷に従え」とは言え、細かいことに目くじらを立てるより色々と受け入れる方が良いなあと感じます。

今まで多くの方と接してきましたが、中でも強烈だったエピソードがあります。それは海外の方の商談通訳で、関西へ新幹線で向かっていた時のことでした。

季節は梅雨。東海道新幹線が新横浜を過ぎて静岡県に入ったころでした。あたりは田んぼが広がり、青々とした光景が富士山と共に見えてきたのです。

来日していたのは司法関係の方でした。一面の田んぼを見るや、「サナエ、あの田んぼの周りになぜ柵は無いのか?」と尋ねてきたのです。

「田んぼの周辺にフェンス」という発想自体、私にとって初めてのことでしたので、一瞬答えに戸惑いました。するとその方は続けて「子どもは数十センチの水深でもおぼれて死んでしまう。裁判になったらどうするのか?」とおっしゃったのです。なるほど、訴訟が多い国ならではの考え方だったのですね。

とは言え、私は内心考え込んでしまいました。少なくとも私がそれまで生きてきた間、「田んぼにおぼれて幼児死亡」などという新聞記事を見たことがなかったからです。そこで私は苦し紛れに「日本では赤ちゃんの頃から田んぼが身近にある。親もよくよく言い聞かせている」と答えるのがやっとでした。

その方は私の答えに今一つ納得できないような様子でしたが、少なくとも日本では田んぼの周りに柵は設置しないこと、親子にとってもその状態が当たり前であるという点は理解なさったようです。

こうした異文化間の違いは色々な場面で見られます。たとえば私の場合、小学校時代を英国で過ごしましたが、鼻をすすっただけで友達から「気持ち悪いからちゃんとかんで」とたしなめられたことがありました。その一方、正式な場面で女子全員が胡坐をかくという行為は日本で考えられませんでしたので、面食らったこともあります。ロンドンの大学院時代には、階段教室が満席で階段の部分に直にドカッと座る学生を見て驚いたこともありました。かと思うと、授業中に居眠りをする学生は一人もいませんでしたので、日本との違いを大いに感じました。

このような体験から、「価値観」というのは文化によるものであり、ひいては一人一人の人生哲学によっても異なるのだと思うようになりました。日本にいると、ついつい「同調圧力」を感じてしまい、「自分がこういう言動をとると迷惑なのではないか」「こんな恰好をしたら恥ずかしいのでは」と思い、基準が「自分」ではなく、「他者から見た自分」になってしまいます。もちろん、調和を重んじる上ではそれも大切でしょう。けれどもそうした他者からの目「だけ」に縛られてしまうと自分が窮屈になってしまいます。

価値観の違いを受け入れつつも、自分の思いは大切にして、自分の行動には自分自身が責任を持つこと。

そうした「静かな強さ」も必要だと感じています。


(2017年11月6日)

【今週の一冊】
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「倫敦から来た近代スポーツの伝道師 お雇い外国人F.W.ストレンジの活躍」 高橋孝蔵著、小学館101新書、2012年

数週間前、東京国際フォーラムで大正時代のスポーツに関する映画を観ました。記録映画で音声はなく、専門の先生の解説と共にピアノ伴奏が即興で付くというイベントでした。古い映画を観てみると、当時の生活様式、とりわけ今とは大幅に異なるスポーツウェアが興味深かったですね。

その映画がきっかけとなり、日本の近代スポーツの歴史に関心を抱くようになりました。そこでご紹介するのが本書です。F.W.ストレンジはイギリス出身。開国直後の日本にお雇い外国人として来日しました。テニスやボート、サッカーなど、今でこそ普及しているスポーツも、かつての日本では知られていませんでした。そうした競技を伝えたのがストレンジです。

ストレンジが日本にやってきたのも、ある意味では偶然と言えます。当時、日本政府は外国に留学生を派遣していました。現在のロンドン大学ユニバーシティ・カレッジに留学した日本人学生とストレンジが偶然出会ったことから、ストレンジは日本に興味を抱くようになりました

本書には日本におけるストレンジの活躍が生い立ちからその死に至るまで記されています。惜しくもストレンジは齢34歳の時に心臓発作で亡くなり、青山霊園に埋葬されています。

日本の近代化には数多くの外国人が貢献しました。その一人がストレンジです。2020年のオリンピックに向けて、日本のスポーツ史を知ることのできる一冊です。



第328回 気配を察する

数年前、何かで読んだエッセイに興味深いことが書かれていました。電車内での座り方、具体的には「パーソナルスペース」に関する話題です。

その執筆者は電車で座っていた際、見知らぬ人と隣同士並んで座っていました。次の駅に着くと、その方のさらに向こうの席、具体的にはドア隣の端の席が空いたそうです。ところがお隣の方は、特に移動もせず、端の席は空いたままだったとのこと。「せっかく端の席が空いたのだから移動するのかと思いきや、ずっと自分の隣にくっついたままその人は座っていた。昔であればそういう時、あえてスペースを保つために移動する人が結構いたのに」とそのエッセイには綴られていました。

実は同様の経験を私も何度かしています。私自身、人混みが苦手であることから、余計パーソナルスペースには敏感なのかもしれません。今でも乗車中、端の席が空くとすぐ移動してしまいます。端の席であれば寄りかかれますし、両側から挟まれて窮屈な思いをせずにすみます。荷物が多いときなど、なおさら端の席はありがたいと思うのですね。たとえ空いた席が端でなかったとしても、空いている車内であれば、なるべく人とくっつかずに座りたいと思います。

一方、「席を移動しない理由」はもちろん人それぞれでしょう。パーソナルスペースにこだわらない方もいらっしゃるでしょうし、端の席も真ん中の席も、座れたのだから特に気にしないという乗客もいるはずです。

けれども、私が子どもの頃はそのような時、もっと席を移す人が多かったように思うのです。ではなぜ今は異なるのでしょうか?考えられる理由の一つとして、私はデジタル機器の普及を挙げたいと思います。

今は誰もがスマートフォンを持ち歩く時代で、いつでもどこでもメールを確認したり調べ物をネットでおこなったりできます。車内が「移動型オフィス」となり、そこで集中して作業ができるのですよね。忙しい今の時代において、そうした便利な機器はありがたいと言えるでしょう。

けれども集中してしまうがゆえに、周りが見えなくなるということもありえます。画面に見入ってしまい、隣の席が空いても「まったく気づかなかった」となりうるのです。言い換えると、「気配」への敏感さが減った状態です。

私は大学卒業後、会社員生活や留学を経て通訳者となりました。フリーランスで働いていますので、一回一回の仕事が真剣勝負です。体調管理も仕事のうち、失敗しないのが大前提ですので、それなりのプレッシャーはあります。どれほど予習して行っても、訳語が思い浮かばず苦戦したり、想定外で失敗をしたりということも少なくありません。謙虚に反省しつつ、必要以上に後悔を引きずらないことも、この仕事を続けていく上では必須です。

そのような職場環境下にありますので、「気配を察すること」は大切だと思うようになっています。ガイド通訳時代には、「時差が出てお疲れではないだろうか?」「そろそろお手洗い休憩をはさむべきか?」などと考えました。一方、ビジネス通訳をメインにしていた頃は、「今日の会議時間は30分。限られた時間なのでテンポよく通訳しよう」「移動中のタクシーでお客様に訪問先企業の最新情報をお伝えしよう」などを思いつきました。放送通訳に従事するようになってからは、「FBIやCIAなどの略語もわかりやすく正式名称で言おう」「国家元首のスピーチなので、アウトプットを意識しよう」などを意識しています。「相手が望むこと」「状況において自分に要求されること」を「気配」としてとらえ、それに応じて対応することが大切だと思うのです。

「気配を察知する能力」は一朝一夕でできるものではありません。私は学生時代、サークルのメンバーとスキー旅行に出かけたのですが、その時に忘れられない体験をしました。先輩のお茶碗にご飯をよそってお渡ししたときのこと。「あのねぇ、もう少し思いやりのあるよそい方をしてよ」と冗談交じりに注意されたのです。確かにお茶碗をのぞくと、しゃもじで無造作によそったご飯がありました。まったくおいしそうではなかったのです。「こういう風に盛り付けたらおいしそうになるだろうな」という思いやりが欠如していたのでした。

以来、相手の立場に立ち、自分はどう振る舞うべきかを心掛けるようになりました。けれども今なお試行錯誤の連続です。「気配を察すること」の習慣化は、日常生活でも通訳の現場でも大切だとしみじみ感じます。


(2017年10月23日)

【今週の一冊】
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「音楽と病―病歴にみる大作曲家の姿」 ジョン・オシエー著、菅野弘久訳、法政大学出版局、2010年

数週間前のこのコラムでラフマニノフの本を紹介しました。以来、私の音楽熱は続いており、ラフマニノフのノイローゼをキーワードに色々と調べてみました。そしてたどり着いたのが、今回取り上げる「音楽と病」です。

本書の著者は医学史が専門のジョン・オシエー氏。メルボルンのモナッシュ大学で医学を専攻した後、医学史を始め作曲家と病などに関して執筆を続けています。バッハやヘンデル、ベートーベンにモーツァルトなど、著名な作曲家がどのような病気にかかり、亡くなったかが一冊でわかる構成です。

巻末には詳しい索引があるため、本書を入手するや私が真っ先に調べたのはやはりラフマニノフでした。読むと、ラフマニノフは鬱病に苦しんだだけでなく、最期は皮膚がんが原因で亡くなっています。

一方、ラフマニノフは生前、手が大きいことで知られていました。ピアノのオクターブを優に超えることができ、普通の体格の人では演奏できないような作品も残されています。実はこの手の大きさも「マルファン症候群」(膠原病の一種)だったと本書では説明しています。難解な作品が残された理由も実はこうしたところにあったのでしょう。

私が敬愛する精神科医・神谷美恵子先生は作家のバージニア・ウルフを精神医学的観点から分析し、書籍を記しています。本書は芸術家を医学の側面からとらえることができます。音楽作品への理解が一層深まると感じらました。



第327回 やりたくないことから

数年前、とあるセミナーに参加しました。時間管理術に関するものです。私は昔から手帳や時間術に興味があります。一日に渡る講習は、私にとって大いに刺激的な内容でした。

中でも興味深かったのは、すべてのタスクを緊急度と重要度に分けるという点でした。具体的には「緊急」「緊急でない」「重要」「重要でない」とチャート化します。そうすると「緊急かつ重要」「緊急でないが重要」「緊急だが重要でない」「緊急でも重要でもない」と4分割されるのですね。物事をこの4つに当てはめ優先順位をつけ、「自分は今、何をすべきか考える」というのがこのセミナーの趣旨でした。

以来、私もこの理念を念頭に日々どのように過ごすべきかを考えながら暮らしています。本来であれば、「緊急でないが重要」という部分、すなわち勉強や読書など将来の自己投資こそ大事になるはずです。けれども私の場合、つい「取り掛かりやすく楽なものから」という思いが浮上してしまいます。すなわち「緊急だが重要ではないこと」を「今すぐやらなくちゃ!」と錯覚してしまい、それらをせっせとおこなってしまうのです。取り組みやすいがゆえに、そして「緊急度が高い」という部分があるがゆえに、完了後の達成感も一見高くなります。そして結局、本来やるべきことが二の次になってしまうのです。

ではどうすべきでしょうか?

試行錯誤を経た末、最近私は次のように考えています。

「緊急かつ重要かつ一番ニガテなことを最初におこなう」

自分にとって最も不得手なこと、一番やりたくないことを他の何よりも優先順位が高いと言い聞かせて取り組もうと考えるのです。

以前の私は「緊急かつ重要かつ得意なこと」を始めにおこなうことでリズムと勢いをつけ、その後に苦手なことをしていました。タタッとできることをやればどんどんはかどりますし、達成項目も増えます。そうすればじっくりと腰を落ち着けて難しいタスクにも取り組めると思っていたのです。

けれども私の場合、これではうまくいかないと思うようになりました。と言いますのも、どれだけ得意なことをさっさとしていても、頭のどこかで「ああ、これが終わったらあのニガテなことをやらなければ」という負の意識が常にあったのですね。そして次第に「この得意作業が終わったら、次はあの大変なタスクかぁ。うーん・・・」と気分もどんよりしてきます。

そしていよいよ苦手項目を残すだけとなった段階で、「あ、やっぱりあれもやらなきゃ!」と別のことを思い立ち、「緊急だが重要でない項目」をやってしまうのです。苦手なことに取り組まない自己正当化にほかなりません。

自分の習慣を変えるのは簡単ではないでしょう。何歳になっても、これは日々の訓練あるのみです。だからこそ「一番嫌なこと」にまずは取り組めば、「これが終わると、あの得意項目に取り掛かれる!」とむしろ思えるようになります。好きなことを次のご褒美にとっておき、何はともあれ不得手項目に着手すべきだと思っているのです。

まだまだ実践途中です。自己トレーニングは続きます。

(2017年10月16日)

【今週の一冊】
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「廃墟遺産 ARCHIFLOP」アレッサンドロ・ビアモンティ著、高沢亜砂代訳、エクスナレッジ、2017年

どうも世の中には「廃墟」が好きな人と嫌いな人がいるようです。私の周りにも「え?廃墟?不気味だからノーサンキュー」「廃線跡や古いトンネルは勘弁」という人がいます。私は廃墟や古いものに興味があり、そうした写真集やインターネットのページなどをよく眺めます。実際に現地を訪れて見学するのが安全上難しい分、余計関心が高まるのかもしれません。

今回ご紹介するのは、世界中の廃墟を厳選して集めた一冊です。表紙を飾るのはガリバー。こちらは山梨県にあった「富士ガリバー王国」です。巨大なガリバーが横たわったまま今は閉園し、廃墟と化しています。このテーマパークはかつての上九一色村に造られ、オウム事件もあったことから来園者数が伸びず、2001年に閉園しました。

他にも幻の地下鉄駅(ベルギー)や、イギリスの東側沖合いにできた自称「国家」のシーランド公国、建築途中で中断したニュータウンなど、様々な場所が写真つきで紹介されています。不気味と言えば不気味なのですが、軍艦島のようにかつて人々の生活が営まれていた場所などが廃墟となった様子を見ると、複雑な思いに駆られます。生活道具を残したまま住み慣れた場所を離れるにあたり、当事者はどのような気持ちだったのだろうと思うからです。

そう考えると、今、戦争下にある人たちは、まさにそれを体験していることになります。鑑賞対象として「廃墟」に魅せられる一方で、家も財産も失い、命からがら逃げる人が今この瞬間、世界のどこかにはいます。そのことを忘れてはならないと感じます。


第326回 なかったことに?

デジタル時代全盛期の今でも、私は紙新聞が好きで日経新聞を自宅購読しています。たいていポストに入るのは午前4時過ぎ。早朝シフト勤務の日、私は3時半に起床しますので、身支度をしていると玄関から「ストン」という音が聞こえてきます。半径数メートル以内で目を覚ましているのは、私と配達員さんだけなのではと思うと、朝の静寂さがより感じられます。

ところが先日のこと。なぜか4時半を回っても新聞が入っていませんでした。大きな事件が発生した際、新聞印刷が追い付かないときは配達も遅れるのですが、ラジオニュースを聞く限り、至って平穏な感じです。「今日だけ遅いのかしら?」と思ったものの、その後数日、遅い配達が続きました。ルートが変わったのか、何かしら事情があったのでしょう。

そう思いながら過ごしていたところ、なんと先日は日経新聞ではなく、別の新聞が入っていました。販売所に電話をしたところ、こちらが申し訳なく思うぐらい店長さんは謝罪なさっていました。ついでに配達時間について少し尋ねたところ、勤めていたスタッフさんが退職され、少ない人数で回しているとのこと。新聞配達の仕事は本当に大変です。店長さんにとって少しでも状況が好転されればと思います。

さて、件の誤配ですが、その別の新聞には広告が挟まっていました。日経新聞にはチラシが一切入らないので、分厚い広告を手に取るのは久しぶりです。近所のスーパーや大手通販、不動産広告(←実は眺めるのがとても好きです)などのチラシが入っているはずですので、久しぶりに一枚一枚めくってじっくり見たいなあと思いました。

「でも・・・」と思い直したのは次の瞬間でした。その日、私は大きな仕事を夕方から控えていたのです。まだ準備は終わっておらず、家族を送り出した朝食後に急ピッチで予習をしようと思っていたのでした。「さあ、勉強しよう!」と思っていた矢先に、新聞チラシの存在を発見したのです。一方、心の中からは「せっかく届いたチラシなのだし、ちょっとの時間で済むのだもの。見ても罪にはならないのでは?」という思いも浮上しています。チラシの束を前にして「うーん、どうしようかなあ」としばし悩みました。買い物時で悩むならともかく、対峙するは「チラシ」です。真剣に悩んでしまうこと自体、振り返ってみると自分でもおかしくなります。けれどもその時はかなり本気でした。

そして結局、私が出した結論は「見ないでそのまま古紙回収袋へ処分する」というものでした。普段はチラシのない生活をしているのです。もともと「無い」状態で暮らしているのですから、件の束も「我が家に来なかったこと」にすれば良いのです。なまじ来てしまったがゆえに悩んだのであり、もともと手元に届かなかったと思えば、失うものは何もありません。

そのようなことを考えていてふと思い出したのは、とある栄養補助食品の広告でした。電車内で見かけたのですが、確かキャッチコピーが「食べなかったことにする」という文句です。過食してしまっても、そのサプリメントを飲めば脂肪分解が促されるという商品だったと記憶しています。

今回私は自分の仕事準備時間を確保するために、見なくても済むチラシの誘惑に踊らされずに何とか済みました。「なかったこと」にすれば、悔いも少ないものです。そう考えると、モノも情報も、このようにして思い切って選別できるのではないかと感じます。なまじ大量の情報が手に入る時代だからこそ、迷ってしまうからです。たとえばどのレストランへ行こうか考えたとき、口コミサイトを眺め始めて、結局決めあぐねてしまうということが私にはありますし、書籍を買う際にも、つい星の数を確かめてしまいます。そうして時間だけがどんどん過ぎてしまい、一歩も行動に至らなかったということがあるのです。

必要以上に情報を仕入れない。タダで頂いたおまけなども、今の自分に不要なのであれば、最初からもらわなかったことにして思い切って処分する。

そうした潔さも必要だと痛感しています。

(2017年10月10日)

【今週の一冊】
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「ところで、きょう指揮したのは?秋山和慶回想録」 秋山和慶・冨沢佐一著、アルテスパブリッシング、2015年

本書にありついたのも、五月雨式読書によるものでした。私が敬愛する指揮者、マリス・ヤンソンス氏はお父様も著名なマエストロで、アルヴィド・ヤンソンスと言います。アルヴィド氏は今の東京交響楽団を育て上げた人物としても知られており、そのアルヴィド氏について色々調べていたところ、東京交響楽団の歴史を知ることとなったのです。楽団の発展に尽力したのが当時の楽団長の橋本鋻三郎氏でした。 

ところが楽団はその後、資金繰りに苦しみ始め、橋本氏は責任をとって入水自殺してしまうという悲劇に見舞われます。それを知ったアルヴィド氏はたいそう悲しみ、後に来日して追悼公演をおこなったのでした。こうしたエピソードを別の書籍で読み、橋本氏についてもっと調べたいと思っていたところ、巡り合ったのが今回ご紹介する一冊です。

秋山氏の師匠は桐朋学園大学の礎を作った斎藤秀雄先生です。小澤征爾さんは秋山氏の兄弟子にあたります。弟弟子は尾高忠明さん、秋山さんの弟子には大友直人さんなどがいらっしゃいます。音楽好きにとっては、著名な方の名前がたくさん出てきます。

中でも印象的だったのは、音楽や後進の指導に対する秋山氏の姿勢でした。たとえば、わかるように教える大切さや、教える際には決して怒らず紳士的であることなどが具体的に綴られています。また、弟子たちには「音楽によって名声を求めようとしてはならない」「仕事は天から与えられるものだ。よけいなことは神様にお預けして、ひたすらいい音楽を求めろ」ということを繰り返し説いておられるそうです。

タイトルの「ところで、きょう指揮したのは?」の由来ですが、これは秋山氏いわく、聴衆がコンサート終了後、「ああ、良いコンサートだった。で、指揮したのは誰だったっけ?」と言われるぐらいがちょうど良いのだそうです。これは通訳者に通じますよね。通訳者が目立つのでなく、あくまでもメッセージをお客様に聞いていただくこと。その伝達者であるべきだと私も感じます。



第325回 Please, not now!

共働きを続けてきましたので、子どもたちは赤ちゃんの頃から保育園でした。長男はイギリス生まれ。イギリスの保育料は日本と比べ物にならないほど高額です。日本のような認可・認可外といった区分はなく、政府の認定を受けた民間の保育園と、「チャイルドマインダー(保育ママさん)」宅に預けるという2通りがありました。テレビ局は土日も出勤でしたので、平日は保育園、土日は保育ママさん宅で息子を見ていただいていましたが、やがて高額保育料が原因で夫婦の貯金が底を尽きてしまい、後先考えずに帰国したのでした。

日本に戻ってからも保育園のお世話になりました。イギリスと比べれば良心的な価格できめ細やかに養育していただき、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。ただし唯一大変だったのは「37度の壁」、つまり「お熱出ました迎えに来て下さい」連絡でした。イギリスの保育園は日本と比べて検温はほとんどなく、具合が悪そうになったら連絡が来るという感じです。よって帰国後、仕事中に携帯電話がなると「すわ、お迎えコール?」と心臓がドキドキしましたね。

しかも「お願い!今日だけは勘弁して」という時に限って、子どもは体調を崩したりしたのです。大きな会議を控えてどうしても予習をしなければという日に、「お熱出ています」「ケガしました」などの電話がかかってきたのですね。マーフィーの法則ではありませんが、"Please, not now!"と内心叫んだものでした。

幸い今はティーンエージャーになり、そうした連絡は以前ほどかかってこなくなりました。けれども面白いもので、「困難」が一気に重なることがあります。たとえばここ2週間で我が家は以下のことに直面しました:

(1)義父母宅の駐車場へ車を入れ、自動シャッターを閉めた途端、シャッターが閉まったまま故障。再度開けることができなくなる
→車を出せなければ、翌日の仕事に差し支えることに。しかもその日は台風!→幸いメーカーのスタッフが1時間以内に来宅。とりあえず開けることはできた

(2)ささいなことで子どもと意見不和
→あのタイミングで私が注意したがゆえに険悪に。ヤレヤレ・・・。

(3)給湯器が故障
→突然のお湯シャワー停止。仕方なくお風呂のお湯だけでその日は入浴。ところが追い炊きも自動給湯もその後すぐに全滅→修理担当者来宅まで数日。いったん給湯器復活→その日の夕方再度故障

とこのような具合です。

幸いなことに私たち夫婦はイギリスで水回り故障には慣れていました。現地の建物は古く、配管も年季が入っていてどうしても壊れやすいのですね。私など一度、ロンドンのアパートでお風呂のお湯をためていたら止まらなくなり、あやうくグリム童話の「おいしいおかゆ」状態になったこともありました。「修理を頼んだのに来なかった」など珍しくありません。 "How to write complaint letters"といった類の本には、配管工事会社宛の「苦情の手紙ひな形」が掲載されていたほどです。

そうした当時の大変な経験があったことを考えれば、今、自分が直面しているピンチも「ま、こんなものよね」と思えてきます。渦中にいるときはついアップアップしてしまいますが、いざ、放送通訳現場で世界の悲惨なニュースを訳すと、ささいなことで文句を言いがちになる自分が恥ずかしくなります。「住む家がある、食べるものがある、家族も今日一日無事に過ごせた」ということが、どれほど感謝すべきことなのかと思うのです。

(2017年10月2日)

【今週の一冊】
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「マーラーを語る 名指揮者29人へのインタビュー」 ヴォルフガング・シャウフラー著、天崎浩二訳、音楽之友社、2016年

マーラーの交響曲第1番。この曲はずいぶん前に所沢のコンサートホールで聞いたことがあります。オランダのコンセルトヘボウと指揮者マリス・ヤンソンスの組み合わせです。開演前、ホール近くのコンビニで買い物をしていたところ、偶然にも楽団員数名と居合わせました。いずれも燕尾服姿です。開演に間に合うのかしらと思っていたところ、1曲目で出番はなかったのでしょうね。休憩後のマーラーでその楽団員さんたちが登場しました。打楽器パートの方でした。

そのとき聞いたマーラーの美しさは今でも忘れられません。特に第2楽章の弦楽器の音色はそれまで耳にしたこともないような、たとえて言うならビロードのような質感のものでした。オーケストラによって、そして指揮者によって、音色というのは変わるのですね。以来、私にとってマーラーの曲は特別なものとなっています。

今回ご紹介するのは、29名の指揮者たちが語るマーラー像です。ヤンソンスを始め、新進気鋭のドゥダメルや大ベテランのアバード、マゼールやメータなどが登場します。著者のシャウフラーはウィーンで音楽学を修めています。指揮者たちへのインタビュー項目は「マーラーとの出会い」「マーラーの曲のリハーサル方法」「楽器の配置」など多岐に渡ります。どの指揮者もそれぞれの答えがあり、興味深い一冊です。

マーラー好きな方はもちろんのこと、往年の指揮者たちのマーラー観がこの一冊から吸収できます。書籍サイトや図書館などの検索画面ではすべての指揮者の名前があいにく網羅されていないのですが、音楽に興味のある方にはぜひ一読していただきたい一冊です。 



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 現在は通訳学校でも後進の指導にあたる。ESAC英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。