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放送通訳者直伝!

第285回 好奇心

先日、日帰りで大阪へ出張してきました。その前後に仕事があったため、朝一番の新幹線での強行軍です。

最近は放送通訳と指導の仕事が多いため、業務拠点は関東がほとんど。ですので、新幹線に乗れるというだけで心の中はワクワク感でいっぱいでした。手元の東海道新幹線ポケット時刻表(相変わらず紙版が大好きです)をパラパラとめくりつつ、どの電車に乗ろうかなあ、途中駅にはどのような場所があるのかしらと、出張のずいぶん前から空想して楽しんでいました。

出張当日は祝日。東京駅までの早朝電車はガラ空きでした。しめしめ、きっと新幹線も空いているのではと期待大で東京駅へ降り立つと・・・ものすごい人出。そう、祝日だからこそ世間は行楽地へ向かうのですよね。

行きの道中は仕事準備のため、車窓からの風景はほとんど見られませんでした。品川、新横浜で指定席もほぼ満席です。乗客の大半は京都で下車していきました。京都は紅葉シーズンなのです。

無事新大阪に着き、駅構内の観光案内所でマップをもらおうと思いました。ところが近くに案内所らしきものは見当たりません。集合時間も迫っていましたので、とりあえず地下鉄の路線図だけ手に入れ、そのまま現地へ向かいました。旅先で私は必ず案内所に立ち寄り、市内マップをもらいます。スマートフォンなしの私ですので、今回は地下鉄マップと方向感覚だけを頼りに動き始めました。それでも何とかなったのが今回の出張でした。

大阪はずいぶん前に訪ねたきりですので、土地勘はほとんどありません。その分、目の前の光景は何もかもが新鮮に映りました。地下鉄の車内アナウンスに広告が流れたり(関東の場合はバスアナウンスのみです)、アナウンスの音声ボリュームが小さいことに気づいたりと自分なりに色々と発見がありました。ちなみにアナウンスの速さは関東よりわずかだけ速いように感じましたね。

ちなみに先週のこのコラムで橋の本をご紹介しましたが、あの本を読んでいたおかげで車窓から見える橋も楽しく眺められました。現地での仕事を終えてからはイチョウ並木を見ながら歩き、片道6車線の車道に驚いたり、建物の高さがほぼ均一であることに注目したりと、何を見ても楽しいひとときでした。

物事をエンジョイできるか否かは、今、目の前のことを好奇心でとらえられるかです。通訳の仕事を始めて以来、「何事も面白がること」が感覚的にしみついてきたようです。お金をかけなくても、大きな刺激がなくても、とりあえず「今、この瞬間」をワクワクしながら味わえるかどうか。それが日々の充実感につながると私は考えています。

(2016年11月28日)

【今週の一冊】
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「バカボンのパパよりバカなパパ」 赤塚りえ子著、幻冬舎文庫、2015年

相変わらず紙新聞に紙辞書が好きな私にとって、もうひとつ「アナロググッズ」として手放せないものがあります。ラジオです。我が家は洗面台と台所に小型ラジオを供えています。それまでは電源コードにさし込むタイプの大きいラジオだけでした。しかし東日本大震災を機に「電池で動くラジオ」をそろえたのです。単4電池2本さえあればどこにいても聞けますし、小さいので部屋から部屋へと持ち歩くこともできます。コンパクトで軽く、大いに重宝しています。

私は朝の身支度の際、NHKラジオをつけることが多く、他のことをしながら「耳で」情報を仕入れています。先日興味深く聞いたのは「著者に聞きたい本のツボ」という、日曜日の朝に放送されたコーナーです。その日番組に出ていらしたのは漫画家・赤塚不二夫さんの長女、赤塚りえ子さんでした。

私自身、「天才バカボン」や「ひみつのアッコちゃん」などの赤塚作品はいくつか読んだことがありました。しかし、それほど詳しいわけではありません。今回、りえ子さんのインタビューが非常に面白かったのを機に、本書を入手しました。

赤塚ワールドというとギャグ満載のイメージですが、実は赤塚家も「今」を大いに楽しみながら生きていたことが本書からはわかります。りえ子さんのお母様はもともと赤塚さんのアシスタントを務めており、お父さん顔負けのギャグセンスがあったそうです。しかし両親はその後離婚してしまい、それぞれまた再婚しています。しかし、りえ子さんは二人の「ママ」がそれぞれ亡くなるまで実に仲良くしていたそうで、そのエピソードは読みごたえがありました。「典型的な家族観」からとらえれば、赤塚家のそれは波乱万丈だったかもしれません。そんな赤塚家に当時、世間は冷やかな目を向けていました。けれども赤塚家の誰もが前を向いて明るく暮らしていく様子から、読者はエネルギーを感じられるはずです。

本書を読み進めるにつれて、「小さな世界での価値観」や「人目を気にすること」がいかに人生を寂しいものにさせているかがわかります。「ちょっと最近疲れているなあ」という方、日々の生活に息切れしつつある方など、本書を読めばきっと元気が出てくるはずです。



第284回 先生の偉大さ

私は手紙を書くことが好きです。メール全盛期になっても旅先では葉書を買います。文具店へ行けばおしゃれな便箋セットに目がありません。私の机の引き出しを開けると、これまで買いためたカードや便箋、記念切手などが所狭しと収納されています。

幼いころから手紙で近況報告をしてきたことが幸いし、今でも懐かしの先生方とお手紙のやりとりをしています。暑中見舞いや年賀状から先生方のお元気な様子をうかがうことができると、とても嬉しく思います。

長年そうした手紙の往復をしていると、お互いの文体にも変化が表れます。たとえば小学校時代にお世話になった先生の場合、その直後は「児童」と「先生」の関係です。私の文章も当時は拙く、先生からのお返事も「教員らしい」文章でした。

しかし、児童生徒であった私が大人になったころから、先生方の文は敬語に満ちたものとなってきたのです。私を一人の人間として見て下さり、それを文言で表してくださっていることがわかります。私からすれば先生はあくまでも一生私にとっては先生なのですが、こうして尊重して下さることを本当にありがたく思います。

手紙と言えば、先日、次のようなことを経験しました。とある講演を聞きにいったときのこと。その先生がお話なさったことに大変感銘を受け、お手紙を差し上げたのです。一人の聴衆としてお送りしたわけですのでお返事はまったく期待せず、むしろこちらの感想を読んでいただけるだけでも幸せと思っていました。

ところが投函して数日後にご丁寧なお返事を頂戴したのです。多忙な方でおられるにも関わらず、わざわざ時間を割いてお手紙を書いて下さったことに心からありがたく感じました。

もう一つは、高校時代に教えていただいた先生からのお葉書です。数週間前、私はとある高校の資料館を訪れる機会があり、そこに展示してあった記念誌を手に取りました。後ろの方に歴代教員名簿があり、何気なく眺めていると、高校時代にお世話になった先生のお名前があったのです。同姓同名の方はおそらく日本にはいらっしゃらないくらい、先生のお名前は非常に珍しいものです。先生はすでに定年退職なさっていたため、とりあえず母校気付でお手紙をお送りしたのでした。

少しすると先生からは毛筆で書かれたお返事が届きました。一卒業生のためにわざわざ美しい筆跡でお手紙を下さったのです。文面を拝見すると、先生は大学を卒業した直後、その高校で教鞭をとられていたそうです。

「先生」というのは何も直に教わっている間だけにとどまりません。こうして何年も何年も経った後、その先生の偉大さに気づかされることもあるのです。私も一人の教員として、どのように次世代と歩み続けるか考え続けたいと思っています。

(2016年11月21日)

【今週の一冊】
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「橋の形を読み解く」 エドワード・デニソン、イアン・スチュアート著、ガイアブックス、2012年

BBCワールドで放送通訳をしていたときのこと。ナローボートを貸し切り、イギリスの運河を家族で旅しました。イギリスは産業革命を機に貨物輸送用として運河とナローボートが発達しています。鉄道網が全国的に張り巡らされていることは有名ですが、イギリスの運河もずいぶん広範囲に広がっているのです。

私たちが運航したのはウェールズの北東にあるランゴレン運河でした。緑豊かな中、ゆっくりと進むナローボートで私たちはくつろぎました。食事は運河沿いのパブへ。そして夜はボートを係留させて小さな船内で体を休めます。日頃はなかなか味わえない「ゆっくりとした時の流れ」に身を任せることができました。

そのランゴレン運河にある有名な橋が「ポントカサステ水路橋」です。長さは300メートル強、そして高さは地面から何と40メートル近くもあります。穏やかに進むボートから眺める光景は実に美しいものでした。と同時に、高所恐怖症の私にとってはなかなかchallengingでもありましたね。懐かしい思い出です。

今回ご紹介する本のキーワードは「橋」。橋と言っても実に多様です。構造や用途も異なり、素材もさまざまです。本書は橋の歴史や建築学的なポイントが詳しく書かれており、カラー写真と豊富なイラストで分かりやすい一冊となっています。ページをめくるたびに、橋の奥深さ、美しさが視界に入ります。

ちなみにエッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルは橋も設計していました。山口県の錦帯橋は大洪水に耐えるためのデザインだそうです。一方、徳島県・祖谷渓谷の橋は「かずら橋」として有名です。こちらは有機材料の葛類で作られています。

鉄やコンクリートだけでなく、植物やレンガなど、橋の世界は実に奥深いものです。本書を機にこれからは「橋ウォッチング」が楽しめそうです。


第283回 電子辞書あそび

私の知り合いの先生で「携帯電話が苦手」という方がいらっしゃいます。このようなご時世ですので仕方なく持ち歩いてはいるものの、出先にまで電話やメールが追いかけてくるのが嫌なのだそうです。自宅から一歩出たら自分で物事を考えたい、だから何かを引きずられるようなことはしたくないのだとおっしゃっていました。

実は私も同感です。通訳業に携わっていながらいまだにスマートフォンも持たず、モバイルPCも購入していません。ここ数年は放送通訳業にほぼ特化しつつありますので、スタジオ内のPCで間に合っているのが大きな理由でもあります。携帯電話は昔ながらのガラケーですが、私にはこれで十分です。移動時間は私にとって書籍や資料を読んだり、あれこれ考え事をしたりする貴重な時間と今やなりつつあります。

ごくたまに移動中、何もすることがなくなるときがあります。新聞も本も読み終えてしまい、とりたてて仕事準備をする必要もないときなどです。そのようなとき、私は電子辞書を取り出してはもっぱら「遊んで」います。

中でも最近のお気に入りは「例文検索ボタン」の活用です。私が愛用する電子辞書のトップ画面は「複数辞書検索」で、そこには「例文検索」というボタンがあります。これは電子辞書内に搭載されている辞書すべてが検索の対象となります。キーワードを入れればその単語を使った例文が一気に網羅されるのです。

目下私が好んで表示するのは、オックスフォード英英辞典とロングマン英英辞典の例文です。英和辞典の例文も参考になるのですが、英英辞典の場合、学習者でもわかりやすいような英文が練られており、読み応えがあるのですね。

最近検索でハマったのは地名です。たとえばSaitamaと入れたところ、なんとロングマンではprefectureの例文としてSaitama prefectureがありました。ChibaもYokohamaもKawasakiも出ていないのに、なぜかSaitamaだけはあるのです。編集者はSaitamaにゆかりがあるのでしょうか。

これに味をしめて(?)、今度はサッカー・プレミアリーグのチーム名を入力してみました。するとイングランドのArsenalでは例文が24個もあったのです。辞書編者はきっとアーセナルの大ファンなのでしょうね。例文も"Arsenal rules OK"などのスローガンから、他チームとの試合結果を表す例文まで色々と出ています。おおむねアーセナルが「勝った」という前提の文章が見られますので、やはりこの部分を執筆した担当者はアーセナル好きだと推測できます。

かつて私は航空会社に勤めていたこともあり、それではと次に航空会社名を入れてみました。すでに日本から撤退しているギリシャの「オリンピック航空」や、数年前に「英国航空」から「ブリティッシュ・エアウェイズ」に社名変更をしたBAもロングマンには出ています。例文を読みながら「懐かしい~」とつい心の中で歓声をあげてしまいました。

ちなみにロングマンの場合、自動車会社のトヨタやホンダは出ています。メーカーでは日立、ソニー、韓国のサムスンもありました。自分のなじみのある固有名詞や単語を入力して例文を検索する。そしてその例文をきちんと読み、語義も確認することは、自分の興味にのっとった「楽しみながらの英語学習」になると私は感じています。

(2016年11月14日)

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「ビリービンとロシア絵本の黄金時代」 田中友子著、東京美術、2014年

みなさんは書店や図書館を日ごろ活用なさっていますか?「本の調達はもっぱらネット書店」「最近は電子書籍で読むことが多い」など、本との関わり方もここ数年で大幅に変わってきました。本は自分の知らない世界をもたらしてくれる「きっかけ」であり、「知識の扉」だと私は感じます。人それぞれ自分に合った方法で書物と一生お付き合いができればと思います。

以前の私は書店へ出かけても「チェックする棚」はたいてい決まっていました。雑誌コーナーでは最新のタイトルを確認し、あとは興味のある語学コーナーや文庫、新書の棚を見て必要なものを買って書店を後にしていたのです。一方、あまり足を踏み入れなかったのは理工系、法律、文化芸術のエリアでした。もちろん、時間があるときはそうしたところもくまなく見ていました。けれども日々の生活があわただしくなると、そこまで余裕が出なくなってしまったのですね。

ここ数か月は勤務先の大学図書館で本を借りることが増えました。良書がそろっており、コンパクトにまとまっていることから最近はヘビーユーザーです。学生たちのために司書のみなさんが厳選した書物が大学図書館には並びます。よって、棚の間を歩いていても飽きることがありません。

今回ご紹介するのは、そのような「ブラブラ図書館さんぽ」で見つけた一冊です。今月末にロシアの音楽をクラシックコンサートで聞く予定があることから、私の頭の中では「ロシア」と曲名「火の鳥」がキーワードとして常にありました。そのような状態のときというのは、物事もうまくアンテナに引っかかってくれるようです。

ビリービンは19世紀のサンクトペテルブルクに生まれた画家であり、ロシアの昔話絵本で一躍有名になりました。その絵のタッチはアールヌーボーを彷彿させるものであり、細部にまで美しさが施されています。ビリービン自身はロシアの政情不安を受けて一時期亡命し、のちに帰国したそうです。その理由は「金銭的理由」とも「愛国心」とも言われています。

本書はビリービンの絵本原画を始め、グラフィックデザインや舞台芸術の絵など、美しい作品がカラーで掲載されています。絵をじっくり見ると、当時のロシア文化や人々の暮らしぶりがわかります。ビリービンは北斎の浮世絵の影響も受けており、当時のジャポニスムや日露関係などを想像することもできます。

他文化を知るには活字だけの書物が手段とは限りません。こうした視覚的なものからも様々なことを私たちは知ることができるのですよね。


第282回 「身の丈に合う」ということ

大学卒業後に入社した航空会社では、本社研修が入社一年目の社員に課されました。アムステルダムの本社へ出向き、数日間にわたり世界各国から集まった社員と共に座学や現場研修を行います。幼いころオランダに暮らしていたこともあり、懐かしのアムステルダムへ行けるだけでもワクワクしましたね。

当時はバブル経済末期だったためか会社側の羽振りもよく、往復ともにビジネスクラスでした。それまでエコノミー以外に乗ったことがありませんでしたので、ビジネスクラスの食事の質やアメニティの豊かさなどに私は驚きました。特に座席は、私が座っても両側にビジネスバッグを置けるほどの幅です。これは実に快適だと思いました。

けれどもその時、強烈に思ったことがあります。もともと学生時代は貧乏旅行ばかりをしてきた身分です。「こうした豊かさが自分の『当たり前』になってはならない」と自分を制したのです。会社のお金で研修に行かせていただくわけですから、ここはしっかりと学んで帰国し、会社のお役にたてるようにならねばと思いました。また、「本当にビジネスクラスに乗りたいのなら、しっかり働いて自分のお金で乗ること」および「そうしたステータスにふさわしい人格を身につけること」を痛切に感じたのでした。

結局私はそれから1年も経たないうちに留学をめざして転職します。けれども「自分の身の丈に合う環境」については、その後も心の中に強く抱いていました。

一方、通訳者デビューをしてからも、グリーン車やビジネスクラス、ホテルのスイートルームなどを提供されたことがありました。思えばまだまだ日本経済が潤っていたのですよね。通訳業は頭脳労働ですので、仕事を依頼するエージェントさんも通訳者へ色々と心遣いをして下さったのだと思います。おかげで移動中に落ち着いて仕事の準備をしたり、ホテルでは資料を広げて読み込みをしたりと、業務に集中できる環境を提供されたのは本当にありがたかったです。

そうした感謝の気持ちを抱きつつも、それでもなお、自分には身に余るそうした環境に申し訳なさを覚えていたのです。その感覚は今でも私の中で大きく存在します。企業やよその方から素晴らしい環境をお受けすることにはありがたさを覚えつつも、自分でそうしたことを欲するならば、しっかり自分でお金を払おうと思い、今に至っています。

ところで先日、レンタカーを借りました。これまでも家族旅行でレンタカーを利用しており、いつも小ぶりの車を選んでいたのです。けれども子どもたちが大きくなったこともあり、少し大きめの車種を考えました。

今回選んだのは、現在我が家で乗っている車の新型バージョンです。その車は1年ほど前に全面刷新しており、街中でもずいぶん見かけるようになりました。同じ車種でもどのような変化が施されたのかずっと気になっていましたので、今回はこの車を選びました。

我が家の車より少しだけ大型になり、デザインもカッコよくなっています。中に乗り込むと、ハイブリッド車ならではのエコ関連表示があり、車のキーもボタン式。内装も洗練されており、ずいぶん進化していることがわかりました。音も格段に静かになり、スムーズに運転できます。技術の進歩に一家全員驚いたほどでした。

ではすぐに乗り換えたいかと言うと、これまたそうでもないのですよね。今乗っている車はあちこち擦り傷だらけで内装もくたびれています。でも愛着があり、私にとっては「身の丈に合った車」なのです。どうやら私は自分なりの「心地よさ」というものがあり、それに浸れれば幸せなのでしょう。

(2016年11月7日)

【今週の一冊】
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「重機の世界」 高石賢一著、東京書籍、2013年

毎日の生活を続けていると、スムーズに物事が運び、嬉しくなることがあります。かと思うと、何をやってもうまくいかず、嘆かわしく感じることも少なくありません。人間は機械ではないのですよね。照る日曇る日あるのが人生です。

先日のこと。いつも通る道を運転していると、突然渋滞に遭遇しました。普段であればスムーズに車が流れている通りです。いったい何が起きたのかとよくよく見ると、道路工事でした。片側通行になっていたのです。ちょうど夕方のラッシュ時に差し掛かっていたこともあり、なかなか車は前に進みません。

何かに直面した際、私はいつも「3つの選択肢」を頭の中に描きます。一つ目は「打開のために建設的な意見を考えること」です。不満を言うばかりでは前進できません。多少苦言を呈することになっても、それが改善につながるならば勇気をもって前向きな意見を述べるに限ると考えます。

2つめは「我慢すること」です。あえて意見を述べるほどでもなく、その事態が一期一会のようなものであるならば、何も言わずに我慢するに限ります。軋轢を生まず、その時だけ耐えれば何とかなるからです。

以上の二つが選べない場合、「その場を立ち去る」ということも考えます。どうしても耐えられなかったり、そこから離れたりすることが許されるならば、「立ち去る」という選択肢もありだと思うのです。人生は一回しかありませんので、あとは自分の心と体の反応次第ということになります。

話を交通渋滞に戻しましょう。この日私は3つの選択肢のうち「我慢する」を選びました。立ち去ることは前後に車がいたため難しかったからです。また、建設的意見として「工事は夜間にやるべし」などと工事関係者に言うのは、どう考えても無理ですし常識はずれです。裏道を探して渋滞から抜けるという選択もなかったため、「このままガマンしよう」と思ったのでした。

ところがそのおかげで、日頃見慣れない道路工事用機械をじっくりと見物できたのですね。よく見るとタイヤに溝の付いていない大きなローラー車が前後にゆっくりと動いては道路を固めています。近くにはショベルカーもあり、色々な「働く車」が控えています。「へえ~、こうして道路の工事が進むのね」と興味津々で見ていると、あっという間に時間が過ぎました。

今回ご紹介する一冊は、その時の経験がきっかけとなり入手したものです。著者の高石氏は重機の専門家で、都内でショップもお持ちです。本書はたくさんの働く車を紹介しています。サイズや機能、実際の作業現場での様子などが文章と写真で表されており、重機の世界がここまで奥深いのかと魅了されます。考えてみたら、私たちの住む家も、日頃使う道路も、乗っている電車なども、こうした工作機械が活動したからこそ機能しているのですよね。交通渋滞がきっかけで重機の世界を知ることができた、そんな一冊でした。


第281回 「やる気あるわけ?」

先週のこのコラムで、中学2年時に帰国した際のことを書きました。イギリスでは父の勤務先が住宅を用意してくれたこと、また、イギリスの住宅事情が日本より良かったこともあり、当時我が家が暮らしていた家も3人家族にとっては申し訳ないぐらい大きな一軒家でした。ところが真夏の最中に帰国した日本の家は木造の小さな家。エアコンもなく、近隣の道路も狭くて軽自動車しか使えず、しかも隣の藪からは蚊や毛虫が入り込むなど、私にとってはかなりのカルチャーギャップが待ち構えていました。

幸い中学校は家の隣にありましたので、迷わずそちらへ編入しました。イギリス時代は市バス通学だったのですが、バスの運行もメチャクチャでしたので、歩いて1分というのは本当にありがたかったですね。嬉々として2学期の途中から地元公立中学に転入したのでした。

ところが当時はまだ「帰国子女」が珍しい時代だったのです。「2年生にガイジンが転校してきたんだってさ!」という噂が全校に広まり、学年を問わず、大勢が私のクラスに覗きに来ました。廊下からジロジロ見る生徒もいれば、「ガイジンってどこ?え、あの子?日本人じゃん!」などあれこれ話す声も聞こえました。かつて通ったイギリスの学校でも転入当初は「日本人」と珍しがられていたのですが、日本に帰ったら帰ったでここでも見世物状態なのかとショックを受けました。

横浜のその家には生まれてから7歳まで住んでおり、海外へ引っ越すまでは地元の小学校に通っていました。そのため、編入した中学校にも幼馴染はいたのです。幸いその友達のおかげで部活動に入ろうという気持ちになり、早速放課後に見学に行きました。イギリス時代、私は硬式テニスをしていましたので、少しでもそれに近い「軟式テニス部」を入部先に選んだのです。

練習の合間に友達が3年生の先輩をつかまえてくれて私を紹介してくれました。私は先輩に挨拶し、テニス部に入りたい旨を話しました。ところがその時の先輩の返事に、またまた私はショックを受けてしまったのです。その一言とは、

「あなた、本気で軟式テニスをやる気があるわけ?」

でした。

「ええっ?テニスが好きだから入ろうと思って来たのに、『やる気あるわけ?』ってどういうこと?私、何も悪いことしていないのに、どうしてそんな高圧的なの?しかもこの先輩、全然笑ってないし、腰に両手をあてて私のこと睨んでるし。何で?どうして?」

このような疑問で頭の中がいっぱいになってしまったのです。

イギリスの学校に転入した10歳当時の英国は外国人も少なく、日本人というだけで差別されたこともありました。英語がわからないため友達の輪に入れなかったり、先生との相性が悪くてきつく叱られてしまったりということも少なくありませんでした。授業によってはペアワークがあり、奇数クラスでの私はいつもペアを組めずにいました。運動オンチだったため、チーム作りの際には誰も私を仲間に入れたくないという状況だったのです。

そのような経験をしていましたので、「日本であれば同じ日本人として仲間に入れてもらえる」という期待を私は抱いていました。それなのに「やる気あるわけ?」と言われてしまい、「同胞にすら私は受け入れてもらえないのか」と悲しくなってしまったのです。

おそらく先輩としてみれば、大会出場や他部員との兼ね合いもあったのでしょう。「実力があり、調和を重んじ、先輩方に従順で本気でテニスをしたい」という人物を入部させねばという考えがあったのだと思います。けれども「楽しく自由に」というイギリスのスポーツ環境に慣れて帰国した私にしてみれば、上から目線の応対は理解に苦しむものだったのです。

先日、ラグビーの平尾誠二さんが亡くなりましたが、平尾さんも「楽しく、自由に」を掲げてプレーなさっていたそうです。最近でこそ一部のスポーツ界ではそうした考えも受け入れられてきましたが、いまだに「根性論」の根強いところが少なくありません。引退後に「厳しかったし辛かったけど、良い経験になった。でも二度とやりたくない」としていくのか。それとも「自由で楽しかった。アマチュアではあるけれども一生続けていきたい」と思っていくのか。

スポーツであれ英語であれ、このことを私はいつも考えながら指導をしています。

(2016年10月24日)

【今週の一冊】
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「パン・アメリカン航空と日系二世スチュワーデス」 クリスティン・R・ヤノ著、久美薫訳、原書房、2013年

大学を卒業して最初に勤めたのがKLMオランダ航空会社でした。幼少期にアムステルダムで暮らしていたこともあり、オランダへの望郷の念があったのでしょう。就職活動時には、かつて自分が住んでいたオランダかイギリスに関連した仕事に就きたいと思っていたのでした。

KLMで配属されたのは貨物部です。「エアライン=旅客」というイメージが強かった私にとって、車から動物、精密機器から重機に至るまでカーゴが担当していたというのは新たな驚きでした。仕事は刺激的で学ぶことも多かったのですが、もともと文章を書くことが好きだったため、日本語機内誌の仕事に携わりたいと思うようになったのです。周囲や上司にもその旨をアピールしていましたが、なかなか人事と言うのは思うようにならないのですよね。そのうちに留学熱の方が高まってしまい、せっかく入った会社をあっさりと辞めてしまったのでした。就業期間はわずか2年弱でした!

そのような短い年月ではあったものの、私は今でもKLMが大好きですし、航空会社全般に対しての愛着もあります。民間航空のみならず、軍用機などへの興味も尽きません。書店や図書館で本を探しているときも、そうしたトピックの書名が目に入ってくると、つい手に取ってしまいます。

今回ご紹介する本も、そのような思いから偶然出会った一冊です。著者のヤノ氏はハワイ大学で教授を務めるハワイ日系人女性で、本書は日系人としての観点からパン・アメリカン航空のスチュワーデス(今では客室乗務員と言いますよね)に焦点を当てた学術書です。引用や参考文献、脚注もしっかりしており、戦後の日米関係やPAN AMがどういった戦略を念頭に置きながらスチュワーデスを採用していたかが網羅されています。終戦直後の日本人女性に対するステレオタイプ、日本航空とPAN AMの競争、そしてPAN AMの非白人採用に関することまで取り上げられており、多角的にとらえることができます。

PAN AMは1977年に大西洋・テネリフェ島でKLMと滑走路上で正面衝突事故を起こしました。死者数は583人、航空史上最悪の事故と当時報道されています。私もこのニュースはリアルタイムで観たのですが、全速力の2機が真正面から衝突したという内容は衝撃的でした。

ちなみに本書によれば、1967年5月1日号の"LIFE Asia Edition"誌で日本人スチュワーデスが特集されたそうです。1960年代の時点ですでにPAN AMだけでなく、KLMやエア・フランス、カンタスなどが日本人を採用していたのですね。私がかつて勤めていたKLMが本書の中でも何度か出てきており、嬉しい読後感となりました。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 通訳学校で後進の指導にあたるほか、大学の英語学習サポートルームにて英語学習アドバイザーも務める。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。