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放送通訳者直伝!

第320回 今日もていねいに言葉を発する

独身の頃はよくイギリスへ旅行に出かけました。幼少期に過ごした街を訪ね、懐かしのイギリス料理を味わうというのが定番でした。私にとってのイギリス郷愁の味は、トースト用の薄いパンとスコーンです。旅の最終日にはスーパーへ立ち寄り、パンやスコーンを入手してはホテルの部屋でせっせとラップフィルムで包み、日本へ持って帰ったほどでした。ちなみに食品用ラップフィルムは英語でcling filmと言いますが、イギリスのものはcling(ひっかっかる)ということはせず、単なる薄いビニールという感じでしたね。日本のグッズの質の高さを感じます。

パンやスコーンが味覚経由で私に記憶を呼び起こすのと同様、生活の中における香りも、昔のことを思い出させるきっかけになります。イギリスの空港に降り立って最初に「ああ、イギリスに帰ってきた!」と思うのは、空港内の香りを感じたとき。具体的には「イギリスの建物が有するにおい」です。おそらく壁などに使われているペンキのにおいだと思うのですが、これが幼少期に私が通っていた学校の中のにおいと同じなのです。ヒースロー空港に降り立ち、この香りがすると、子どもの頃の小学校生活が鮮やかによみがえります。それまで忘れていた記憶がどんどん出てきます。

そのように考えると、味や香り、音など五感を刺激するものは思い出を彷彿させるのでしょう。しばらく聞いていなかった往年のヒット曲を偶然耳にして、若かった当時の自分を思い出すなどということもあります。ずっと記憶の底に封印してしまい、あえて直視したくないような、心がチクリと痛むような思い出もよみがえります。けれども時というのは素晴らしいもので、そうした辛い記憶も、今となっては慈しみと懐かしみさえ覚えます。先日、放送通訳で出てきたニュースの中に「アルツハイマー病患者に音楽を聞かせて記憶を呼び起こさせる」という研究結果のレポートがありましたが、たとえアルツハイマーになってしまっても、音楽のメロディにより目に輝きが生じ、同じメロディを口ずさむことができたと報道されていました。

では「ことば」はどうでしょうか?言葉によって記憶の底に秘められていた事柄が出てくることはあるのでしょうか?私は「ある」と思っています。たとえば私は社会人になりたての頃、とある悩みに直面していた時期がありました。その時、仲の良かった友人から「しっかりね!」とエールを送られたのです。彼女は細かいことを長々と話すことはせず、ただ一言、このことばを私にプレゼントしてくれたのでした。以来、「しっかりね」という言葉をどこかで別の状況で聞くと、当時のことを思い出すのです。「大変だったけれど、彼女のあの一言で救われたなあ」と懐かしく、ありがたく思い出します。

そう考えると、私が携わる「通訳」という仕事は、ことばが大きな意味を持つ職業だと思います。通訳者の用いたことばそのものが多大な感動をもたらして会場内は涙涙・・・とまでは行かないかもしれません。けれども私たちが通訳した内容をお客様が理解し、話者の話から人生のきっかけを得る聴衆がいることは大いにあり得ます。

通訳者というのは黒子の存在です。通訳現場では目立たず控え目にあり続けます。けれども私たちが発することばは肉体的存在をも上回る役割を担います。そう考えると、今日もていねいに通訳のことばを発していきたいと思うのです。

(2017年8月28日)

【今週の一冊】
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「首里城への坂道」 与那原めぐみ著、中公文庫、2016年

毎年8月になると色々な側面から戦争について考えます。平和な日本にいると戦争というのは少し縁遠い気がしてしまいますが、放送通訳の現場では毎日と言ってよいほど、戦争のニュースが出てきます。今、この原稿を書いているさなかに、世界のどこかでは戦いが続いているのです。武装グループ同士の衝突もあるでしょう。その一方で、無差別に市民を攻撃する事件もあります。たまたま今の日本の、自分の身近なところでそうした出来事が起きていないという偶然にすぎません。広く世界に常に目を向けていたいと私は考えます。

今年は沖縄返還に関するドラマを観たこともあり、私の中では「沖縄」が一つのキーワードとなっています。私は何か課題を見つけると、それについて多方面から調べたくなる習性があります。今回ご紹介する一冊は芸術の側面からとらえた沖縄関連の本です。

本書に描かれているのは鎌倉芳太郎という実在の人物。大正末期から昭和初期にかけて琉球の芸術について徹底的に調査をしたのが鎌倉でした。調べたことをひたすらノートやメモに書きつけ、その資料は膨大な量にのぼります。

今でこそ沖縄は那覇市が中心ですが、琉球王国時代の中心都市は首里でした。かつては東南アジアと日本を結び、栄えていたのです。しかし後に王国は崩壊し、鎌倉が首里にやってきた大正末期は王国時代の建物が荒れ放題となっていました。鎌倉は今の東京芸術大学を卒業後、美術教師として赴任してきたばかりだったのです。

著者の与那原氏は鎌倉の軌跡をたどりながら、現代にいたるまでの沖縄を描いています。とりわけ私が興味を抱いたのは、沖縄とサントリーの関係でした。1938年のこと。サントリーの創業者・鳥井信治郎は沖縄で泡盛工場を視察します。その後サントリーは戦争中に日本海軍の指示を受け、ブタノールという航空燃料を沖縄で製造していました。

一方、戦後の沖縄は米軍統治下となり、沖縄の人々はアメリカのウィスキーに親しむようになりました。日本本土で人々が洋酒に親しむためにはどうすれば良いか、サントリーはマーケティングの観点から沖縄に注目したのです。そうしたきっかけが沖縄文化支援へとやがてつながり、サントリー美術館では沖縄の本土復帰前に沖縄の美術展を大々的に開催しました。サントリーは当時の沖縄ブームの立役者でもあったのです。

私はこれまで沖縄に一度だけ出かけたことがあります。大学卒業後間もないころ、当時暮らしていた神奈川県が主催した「ピーストレイン」という青少年交流事業に参加したのです。戦跡などを訪ね歩くというもので、当時訪問した場所や戦争を体験した方々のことは今でも覚えています。

沖縄が今直面している様々な課題というのは、こうして過去をひも解くことでより理解が深まると私は考えます。沖縄の音楽や食文化など、個人的に私が関心を抱く側面から沖縄についてさらに深く学びたいと思っています。


第319回 もう一つの手段がある

母語以外の言語を学ぶメリットには色々とあります。多様な視点を得られること、交友関係を広げられること、たくさんの知識を吸収できることなどはその一部です。たとえば英語の力があれば、原書を読むことができますので、日本語訳の出版を待たなくて済みます。著名な方の来日講演会に出かければ、通訳なしで内容を理解できます。語学力や知識力が高ければ高いほど、オリジナルのニュアンスでメッセージを吸収できるのです。これは多大な時間節約となり、微妙な内容もありのまま把握できることになりますので、非常に便利です。

こうした長所に加えてもう一つ、最近感じることがあります。それは母語以外の言語を使うことによる「発信」です。

今の時代、SNSを用いれば世界中に向けて自分が伝えたいことを表に出せるようになりました。Facebookやインスタグラムのメンバーになっていれば、日本語以外で書き込むことで、世界中の誰とでもつながることができます。そこから新たな交友関係が始まり、自分の世界が広がることが可能となるのです。私が学生の頃など、文通紹介雑誌を見てはこちらから手紙を書いて封筒に入れて切手を貼り、投函。返事がくればラッキーという感じでした。隔世の感があります。

今の時代、英語を使って自分のことを知ってもらえる機会が無限大にあるのです。

ところで「発信」に関してはさらにメリットがあります。 それは「自分の内省したことを表現しやすい」という点です。

たとえば、母語であれば言いにくいことも外国語を使えば自分の想像以上に自由に表わせることがあります。私は日ごろ日記をつけているのですが、母語で書くのも何だか気恥ずかしいような自分の思いも、あえて英語で書き始めると堂々と表現でき、躊躇しがちな自分を解放できるのです。

なぜなのでしょう?おそらく母語というのは自分の心身に染みついているので、如実に書けば書くほど、恥ずかしさが増してしまいます。しかし外国語の場合、自分で表現してはいるものの、外国語であるがゆえにどこか他人事のように思えるのかもしれません。それがかえって幸いして、堂々と自分の正直な思いを表わせるようになるのでしょう。

小学2年生からつけ始めた日記は、私にとって人生の伴走者でもあります。嬉しかったことや辛かったことなどをこれまで書き留めてきました。子どもの頃というのは
今よりも考え方が単純でしたので、それほど自分の考えを書くのに躊躇することはなかったのですが、大人になるにつけ、自分だけの日記帳であってもどこか書くことにブレーキをかけている自分がいました。だからこそ、あえて英語で書いてみた方が客観的に真正面から自分に向き合えたのだと思います。

自分にはもう一つの手段がある。

そう考えると、私は英語という言語にどれほど救われているかわかりません。

(2017年8月21日)

【今週の一冊】
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「『憧れ』の思想」 執行草舟著、PHP研究所、2017年

何かを学ぶ際に必要なことは3つあると私は考えます。指導者の教え方が上手なこと、使用教材が優れていること、学習者が学ぶ意欲に満ち溢れていることなどです。そのどれかが欠けてしまうと、向上への道のりは険しくなるのではないか。私は長年そう感じてきました。

けれどもここ数年、上記に加えてもう一つ、実は肝心なことがあると気づかされました。それは「憧れ」です。指導者への憧れ、学ぶ対象物そのものへの憧れです。たとえば通訳学習であれば、通訳スクールの先生がそれにあたりますし、通訳そのものが好きということが求められると思うのですね。こうした憧れがあって初めて、学ぶ側も自主的にやる気を抱けるのではないかと考えます。

だからこそ、指導に携わる者は自己研さんを怠ってはならないと思います。学習者以上に勉学に励み、人格を磨き、身なりを整えること。そうした総合的な努力をして教壇に立つ必要があると私は考えるようになりました。

今回ご紹介する一冊は、人生において「憧れ」こそ必要であるということを唱えたものです。私はこの本を偶然、立ち寄った書店で見つけました。生きる上で大切なのは憧れという思想であり、その憧れとは人生のはるか先にある「ともしび」であると著者は説きます。そのともしびに向けて私たちは限りある人生を歩んでいかなければならないのです。

その歩みというのは、もの悲しく遠いものです。著者はそうした到達不能なものにあこがれることを「焦がれうつ魂」と表現します。自己向上心も恋もすべて、その「焦がれうつ魂」が根底にあると説きます。

憧れというのは、一見、当事者が目をキラキラさせて憧憬するというイメージがあります。けれども、むしろもの悲しさを伴うものという内容に私は大いに納得しました。だからこそ、そのともしび目指して私たちはたゆまぬ努力をし続けるのでしょう。
 


第318回 与えられた時間を自覚する

通訳という仕事は、現場で自分が時間をコントロールできません。たとえば逐次通訳の場合、話し手が2分間話したのであれば、通訳者も同じぐらいの時間で通訳しなければいけないのです。2分間のスピーチを4分で通訳すれば長すぎます。かと言って20秒にしてしまえば、それは「通訳」ではなく「要約」です。同時通訳も同じで、話し手が話し始めてから話し終わるまで、ほぼ同じ長さとタイミングで通訳をすることが求められます。時間にシビアさが必要な職業です。

それゆえ私自身、日常生活の中でも時間は意識しています。時間に厳しくなるということは、今、自分がこの瞬間に何ができるかを日々意識することを意味します。たとえば私の場合、電子レンジでご飯を温めている2分間ももったいないので、手持ちの英字新聞を音読したり、目の前にあるキッチン道具を英訳したり(もちろん、声に出します)と、すべてを英語学習につなげるようにしています。AMで流れるAFN(米軍放送)は毎時00分になると2分間の英語ニュースを放送するのですが、あえてその時間に合わせて台所に立ち、洗い物をしながらニュースのシャドーイングをすることもあります。一方、外出先でも知識力アップのためにカバンの一番取り出しやすいポケットに文庫本を入れ、信号待ちやスーパーのレジ待ちの際、目を通したりします。わずか数分間でも私にとっては貴重に思えるのですね。

こうして時間を意識するようになったのは、振り返ってみると、通訳者になる前からだったかもしれません。私の根底にあるのは「命に絶対的保証はない」という考えです。

小学校4年生で父の転勤でロンドンに暮らすようになったとき、驚いたことがあります。それは地下鉄に乗った時のこと。「不審物を見かけたら触るな・動かすな・車掌へ連絡せよ」という表示が目立つ所に掲げられていたのです。当時のイギリスは北アイルランド問題を抱えており、爆弾テロも起きていました。「いつテロが起きてもおかしくない」という認識が当時のイギリス社会にはあったのです。

もう一つ、命を意識するようになったのは1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件でした。

当時、私は霞ヶ関にある外郭団体で派遣社員として翻訳の仕事をしていました。事件の数日前、私はスポーツクラブのレッスン中に足をくじいてしまい、松葉杖状態でした。朝のラッシュ時に松葉杖は大変ですので、ケガをしてからしばらくの間、早めの電車に乗って出勤していたのです。しかし、そのことが幸いしました。事件当日、もしいつも通りの電車に乗っていたら霞ヶ関駅で事件に巻き込まれていたからです。

もう一つの事件は、BBCの爆破でした。2001年3月4日未明のことです。当時、BBC日本語部では夜シフトが導入されており、その場合、夜12時過ぎにタクシーで帰宅することになっていました。犯行グループが予告を出していましたので、BBCの職員たちは全員避難しましたが、もし私がその日、夜シフトを担当していたらと思うとぞっとします。当時私は妊娠5か月だったのです。

こうしたことを経験したからなのでしょう。今、自分に与えられた時間を私は常に強烈に意識します。「朝、家を出発して夕方また無事に帰宅できる」という保証は何一つないのです。私たちは日々の生活を続けていると、ついつい妙な思い込みに陥ってしまい、「自分だけは大丈夫」と錯覚してしまいます。もちろん、必要以上に恐怖心をあおってはいけませんが、だからといって「すべて当たり前」ととらえてもいけないのですよね。自分に与えられている命を自力でコントロールすることは、実はできないのではないか。そう私は感じます。

だからこそ、今の自分には何ができるのか真剣に考えたいと思うのです。この瞬間、自分はどうすれば与えられた仕事や人生をしっかりと生きられるか考えます。自分一人の力というのは小さいかもしれません。けれども、「自分が生きることで、世界のどこかを支えている」という自覚をして毎日の生活を大切にしたいと思っています。

(2017年8月14日)

【今週の一冊】
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「僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫」 宮川徹志著、岩波書店、2017年

私と沖縄の接点は社会人になってからです。当時私は神奈川県に住んでおり、県主催の「ピーストレインかながわ」という青少年交流事業に参加しました。これは県内在住の留学生と共に沖縄を訪れ、平和について学び語り合うというものでした。1週間近い日程でしたが、理解ある上司のお陰で休みをとることができ、参加したのです。

今となってはだいぶ記憶の彼方になってしまったのですが、バス数台で移動していましたので、100人近い参加人数だったと思います。私たちは飛行機で那覇入りし、戦跡を訪れ、祈りを捧げました。夜になるとグループになり、留学生たちと平和や未来のこと、アジアにおける日本や和解の話などをしました。非常に密度の濃い研修旅行でした。

そのときに訪れたのが伊江島です。伊江島にはヌチドゥタカラの家という反戦平和資料館があります。そこで私たちが耳を傾けたのが、阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)館長のお話でした。沖縄戦のお話やご自身の体験、そして米軍基地のことなど、私にとっては初めて知ることばかりだったのです。学校の歴史の授業では教わらなかったことです。戦後、伊江島の土地の60%がアメリカ軍に接収されたことも初耳でした。

今回ご紹介する本は、沖縄返還交渉に携わった外務省の千葉一夫氏に関するものです。千葉氏は外務省退官前にイギリス大使を務められたことから、私はオックスフォード大学日本事務所の仕事を通じて千葉大使を存じ上げていました。会食などでお話を伺った際、「沖縄の仕事に携わったことがある」とはおっしゃっていたのですが、返還交渉の知られざる立役者であったことを知ったのは、数年前のNHKドキュメンタリー番組を通じてです。すでに千葉氏は鬼籍に入られていました。

沖縄返還に関しては、おそらく外務省や氏に近い方々のみが千葉氏の功績をご存じだったのでしょう。それぐらい、氏は黒子に徹しておられました。私たちは「沖縄返還」というと、「佐藤首相とニクソン米大統領との間で日米共同声明が発表された」という教科書的記述が頭に浮かびます。けれども、大きな歴史的出来事の背景には、必ず誰かが多大な努力をしていることを、本書から知ることができます。

自らの功績を誇ることなく、静かに胸に秘めながらひっそりと表舞台から去るということ。

通訳者の仕事をしている私にとって、生きるとは何か、仕事とはどうあるべきか、使命感とはどういうものかを考えさせられた一冊でした。


第317回 良き「伝染」の源になる

相変わらず外出先ではフリーペーパーをせっせと頂いては楽しく眺めています。先日入手したのは、シルバー世代向けの冊子でした。子育てママさん向けの冊子同様、自分とは今現在ご縁がない読者層を想定したものでも、何かしら参考になる情報はあるものです。今回もご年配の方々がどのような内容のものを読むのか興味を抱き、頂いてきました。

読んでみると結構楽しいものなのですね。旅の話題あり、健康に関するコラムありという具合に、世代を超えてエンジョイできる話題が満載でした。もっとも、フリーペーパーというのは広告収入で成り立っていますので、冊子の後半は健康関連のPRが多かったですね。ケアホームや健康グッズなど、今は本当に種類豊富です。いずれお世話になったときの参考にと思い、そちらもしっかり目を通したのでした。

さて、今回その冊子に出ていたコラムの一つに、自律神経に関する話題がありました。それによると、ネガティブな感情を抱いてしまうと自律神経が乱れてしまうのだそうです。しかも、その乱れは周囲に伝染してしまうとのこと。その一例として、集団スポーツの話がありました。チームメンバーの一人が不調になってしまうと、その動揺が他の選手たちに伝染してしまうのだそうです。こうした「周囲への伝染」は日常生活でも起こり得るとのことでした。

通訳者の仕事でも同様のことが言えます。私は自分の授業で指導の際、「今、おこなっている通訳がどのような状況下なのかを考えるように」と伝えています。開会式のような晴れやかな状況であれば、通訳者もそれに合った声色や口調で訳出する必要があります。一方、ニュース通訳や法廷通訳など、深刻な場面であればそれに応じたアウトプットが求められるのですね。どれほど正確に訳出できても、場に応じた通訳であることが肝心なのです。言い換えれば、話者の気持ちを通訳者自身が「伝染させていただく」という思いを抱きながら通訳することが大事だと私は思います。その「伝染」をうまく自分のアウトプットに乗せることが大切です。

一方、同じ「伝染」でも気を付けなければいけないことがあります。たとえば準備段階においてです。複数名の通訳者で業務に携わる大規模な国際会議の場合、登壇する話者の数も多く、資料も大量に出され、通訳者の間で分担を決める必要があります。何分交代にするか、資料はどう割り振るかという具合に、直前までやるべきことが沢山あるのですね。

このようなとき、たとえギリギリになって夥しい量の資料が通訳者控室に持ち込まれたとしても、通訳者は淡々と分担を決めてひたすら読み込み作業をしなければなりません。本番に向けて緊張状態は高まっていますので、関係者がいない控室はかなり「テンパっている状態」であるのも事実です。ボヤきたくもなります。通訳者とて人間ですので、「えぇ?なぜ今になって?」という思いを抱くのも当然です。

けれども、ネガティブな感情や言葉というのは、どうしても伝染しがちになるのですね。幸い私が今までご一緒してきた先輩通訳者の方々は、そのような環境下でも常に冷静沈着な姿を見せて下さいました。まるで緊急事態に陥ったコックピットのパイロットのごとく、ただただ冷静に対処なさっていたのです。そうした先輩方の姿を見られたことは、私の仕事人生において財産になっています。

だからこそ、日常生活でも落ち着きさが必要だと自戒の念を込めて私は今、これを書いています。家族を相手にすると、つい甘えが出てしまうものですが、最愛の家族や身近な友人だからこそ、本来は気を配り、大切にしていくことが求められるのですよね。負の感情を伝染させてはいけないと反省します。

良き「伝染」の源になれる、そんな人間をめざしたいと思います。

(2017年8月7日)

【今週の一冊】
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「シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン」 ブルーシープ編集、ブルーシープ、2011年

オランダに私が暮らしていたのは小学校2年生から4年生まででした。インターナショナル・スクールに編入したのは9月のこと。日本よりも北にあるオランダは日が短く、真っ平らな国土には北からの冷たい風が吹きつけ、厳しい冬を転入早々体験しました。そのような日々において、学校の図書館の本は私に温かい風を送り込んでくれたのです。

まだ英語が読めなかった私が借りたのは絵本たち。学校には幼稚園もありましたので、図書館の絵本は充実していました。そのとき初めて出会ったのが、ディック・ブルーナさんの作品でした。

ミフィーちゃんシリーズの絵本は正方形の形をしています。子どもの手にも収まるものであり、少ない文字数は私にとって安心するものでした。色も鮮やかで心が和み、次々と借りてはブルーナ・ワールドを楽しみました。今でも懐かしく思い出します。その頃は他にも「スカーリーおじさん」シリーズにはまっていましたね。

本書にはミフィーちゃんはもちろんのこと、ブルーナさんの初期の作品もたくさん紹介されています。見開きの右側が作品、左側にはタイトルと出版年などが記されています。巻末の年表を見てみると、ブルーナさんの若かりし頃は必ずしも順風満帆ではなかったことがわかります。けれども良き伴侶を得て、自ら人生を切り開いてきたからこそ、世界中の人々が愛してやまないミフィーちゃんを生み出したのでしょう。

私にとっては「ミフィーちゃん」より一世代前の「うさこちゃん」という名の方がしっくりきます。そんなファンの皆さんはもちろんのこと、デザインそのものに興味のある方にもぜひ読んでいただきたい一冊です。


第316回  せめて伝わる口調で

相手に何かを伝えたいとき、どうすれば一番効果的に伝わるか。

コミュニケーションの仕事に関わる私にとって、これは永遠の課題となっています。

相手が聞き取りやすいように「大きい声で」「はっきりと」話すというのは、必要最低限と言えます。けれどもそれだけでは伝わらないというのが最近実感しているところです。

たとえば、難しい交渉相手にこちらの要求を伝える場合、単に声高にパキパキと畳みかけるような話し方だけで先方がこちらの要求をいつも飲んでくれるとは限りません。むしろ、そうした話し方に相手は拒絶反応を示してしまい、聞く耳持たずということもあり得るのです。

これまで携わってきた通訳業務を振り返ってみると、成功のカギが3つほどあることに気づかされました。

1つ目。穏やかに話すことです。

もちろん、相手が聞き取れる声の音量は必要ですし、滑舌の良い話し方が求められます。けれども、パンパンパンと迅速さ「だけ」で話しても一筋縄では行かないことがあります。むしろ少しゆっくり目のペースで穏やかな口調の方が、相手にとっても聞いた内容を吟味・解釈する余裕が出てきます。「声に笑顔を持たせる」と言えば良いのでしょうか、声そのものが微笑んでいるような雰囲気です。

このような話し方は相手に安心感を与えます。そしてこちらに対しても「あ、穏やかな人なのだろうな」と思ってもらえます。それが好感となり信頼感となって、「では、話を聞いてみよう」と相手に思わせるのですね。

2点目は、自分と相手を明確にすることです。「私はこう思う」「私はあなたにこうして欲しい」という具合に、誰が主体となるのかを明らかにします。「一般論では」「世間の常識では」と言ってしまうと、それを聞いた相手は「自分には関係ない」と思いかねません。そうなってしまうと、どれだけ良いことを伝えていてもシャットアウトされてしまいます。

3つ目は、根気強く語り続ける点です。大事なことは伝わるまで何度も言い続けなければなりません。一度言ったから大丈夫と思わず、自分や相手にとって大切なことは繰り返し口にする必要があります。特に先方の壁が厚いほど、粘り強く繰り返すことが求められるでしょう。

これは仕事だけでなく、日常生活でも応用できそうです。特に家族の場合、甘えが出てしまい、かえってこちらの言うことが伝わらないというケースがあります。家族とは言え、やはり独自の個性を持った一人の人間です。「家族だから許してくれる、だから何でも言って良い」「どういう伝え方でもOK」とするのではなく、家族だからこそ、粘って粘って伝え続けなければならないこともあるのですよね。

コミュニケーションというのは本当に奥が深いと思います。相手が誰であれ、誠意を持って伝え続けること。伝わりにくいのであれば、せめて伝わる口調を工夫すること。

この作業は私にとって一生続きそうです。


(2017年7月24日)

【今週の一冊】
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「日野原重明 一〇〇歳」 日野原重明、NHK取材班著、NHK出版、2011年

私が日野原先生のお名前を最初に知ったのは、確か高校生ぐらいの時だったと記憶しています。確か朝日新聞でした。著名人が寄稿するコラムに先生の文が掲載されていたのです。すでに当時から聖路加国際病院の先生として著名でいらっしゃいましたが、そのコラムにはご自身の半生を振り返る内容が綴られていました。

中でも衝撃的だったのが、「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれ、人質となった体験談でした。乗客乗員全員がとらわれの身となり、いつ解放されるかもわからない。そのような中、犯人たちが何冊かの本を乗客たちに提供したのでした。日野原先生はそこで「カラマーゾフの兄弟」を選び、機内で大切に読み進めたことがそこには書かれていました。無事解放されてからは、自分の人生が自分のためだけではなく、人への奉仕であるという思いで生きている旨が綴られていたのでした。

以来、日野原先生のご活躍をテレビや書籍などで拝見するように私はなりました。私たちは日々、生きているとたくさんの恩恵を受けます。けれどもそうした御恩を施して下さった人へいつも直接お礼ができるとは限りません。ありがたいことをしていただきながら、孝行することもできず、ということが少なくないのです。だからこそ、いつかどこかで別の形でどなたかにその御恩を渡していくことが大切である、というのが日野原先生のメッセージです。この訓えを知って以来、私自身、どのようにすれば御恩のバトンリレーを続けていけるかを考えています。

本書はNHKのドキュメンタリーを土台とした一冊です。99歳の日野原先生をNHKは1年かけて密着取材をおこないました。巡回回診の様子、ご自宅で若手研修医たちを招いた懇親会、小学生向け命の授業など、先生の多様なご活躍が本書では紹介されています。先生は惜しくも105歳で先日お亡くなりになりましたが、使命感を持って生き続けることの大切さを率先して示されました。

部下を持つ上司、指導の場に立つ教員、学ぶ側の児童・生徒・学生、介護に携わる人を始め、あらゆる方が本書を読むことで勇気づけられると思います。ぜひこの一冊を通じて在りし日の先生のお姿に触れ、未来を担う私たちに与えられた「課題」を一人一人気づくことができればと私は考えています。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 現在は通訳学校でも後進の指導にあたる。ESAC英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。