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放送通訳者直伝!

第348回 応援者が一人でもいれば

新年度が始まりました。新しい環境や仲間の中に身を置きながらスタートなさった方もおられることでしょう。皆様にとって、幸多き新生活となりますようお祈りしています。

さて、今回は新年度と学びについてお話します。4月というのは新しいことを学習したくなる、そんなワクワク感が出てくる時期ですよね。学校や大学も4月から始まりますし、書店へ行けば4月開講の語学テキストが並んでいます。何かを始めるにはちょうど良いきっかけとなる、そんな季節です。好奇心と未知への探求心というのは、人間が生きる上で励みになると私は思います。

そのような中で大きな支えとなるのが仲間の存在です。同じ志で学ぶクラスメートというのは、あるときはライバルに、あるときは苦しい最中、共にゴールを目指す戦友にもなってくれます。良きクラスメートに恵まれるほど、学びも充実してきます。

一方、たとえ仲間がいなかったとしても、自分を応援してくれる人がいれば、前に進む力になります。家族や恩師、友人などが自分をサポートしてくれると、やはり歩み続ける勇気が湧いてきます。

「応援してくれる人」で思い出したことがあります。少し前に何かの本で読んだエピソードです。ちょうど「アダルトチルドレン」や「毒親」が問題視されていた時期、目に留まった文章でした。

そこに紹介されていたのは、Aさんという30代前半の女性でした。一人娘のAさんは幼少期から学校の成績が良く、何事も計画通りに進めてすべてを「きちんと」おこなうタイプの人でした。Aさんの母親はそんな娘が自慢でした。

けれども当の本人であるAさんは自己肯定感が低く、いつも自分いじめをしていたそうです。その理由はAさんの生い立ちにありました。Aさんの両親はAさんが幼いころから仲が悪かったのです。物心ついたころからAさんは四六時中、両親の罵り合う姿を目にし、気が休まらなかったと言います。母親は夫や舅姑の悪口を常にAさんにこぼしていました。Aさんは「母親はここまで傷ついている。こんなことをした父も祖父母も許せない。母を守れるのは私しかいない」と思うようになります。そこで「テストで良い点を取ること」「良い子になること」がAさんの至上命題となったそうです。「そうすれば親は喜んでくれて仲直りしてくれる」という思いがありました。

けれどもそんな努力を両親は理解しようとせず、一向に真正面からAさんに向き合うこともないまま、Aさんは大人になってしまったそうです。

その後Aさんは結婚して家庭を築いたものの、母親は気まぐれで連絡をしてきては、Aさんに愚痴をこぼし、Aさんはまたもや「自分が頑張らねば」と思い、傷ついていたそうです。

その本ではこうした母親を「毒親」と定義しています。娘たちはこうして傷ついたまま成人どころか中年になり、母親の死後でさえ「母を許せない」と苦しみ続けます。そして自己肯定感が抱けず、子育てにも仕事にも自信が持てず、大いに苦悩すると出ていました。

子どもというのは永遠に「母に褒めてもらいたい、母に応援してもらいたい」という気持ちを抱いています。けれどもそれが叶わないと大きな傷を負ったままになってしまい、それが負の連鎖として今度は自分の子どもへ愛情を注げないという形になるのだそうです。

私はこのエピソードを読んだとき、何をどうやっても母親の愛情を得られないのであれば、どこかで自分なりに踏ん切りをつけて次のステップを踏む必要があるのではと感じました。血のつながった母娘である以上、達観して諦めるというのは相当勇気のいることです。けれども"You're barking up the wrong tree"(お門違いだ)という英語表現にもある通り、ないものねだりをしても叶わぬものは叶わないのでしょう。悲しいことではあります。

そうなのであれば何も血のつながり「だけ」にこだわるのでなく、身近なところで自分を応援してくれる人を探していく方が心の安寧も取り戻せると思います。自分のことをありのままに受け止めてくれてエールを送ってくれる。そのような人はきっとどこかにいるはずです。

応援者が一人でもいれば前に進める。

新たな年度の始まりにあたり、そのようなことを私は感じています。

(2018年4月2日)

【今週の一冊】
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「日本のブックカバー」 書皮友好協会監修、グラフィック社、2016年

書店で本を買うと店員さんがかけてくださるブックカバー。わざわざそのためだけに紙を使うことを私は「もったいないなあ」と思っていました。バブルの頃の話です。

当時はあらゆることがぜいたくな時代でした。カバーもレジ袋もふんだんに提供されていたのです。書店でカバーをかけられそうになると、「あ、カバーは結構です」と私はその都度辞退していました。けれどもそう伝えるたびに「え?」という反応が返ってきましたね。それぐらい「エコ」とは縁遠い時代だったのです。

ちなみにイギリスではブックカバーなど誰もかけず、表紙が見える状態で読書をしています。しかし、日本では「自分が読んでいる本のタイトルを知られるのが恥ずかしい」という思いがあるのでしょう。いわゆる「恥の文化」です。

とは言え、私自身はブックカバーのデザインを眺めるのが大好きです。特に近年は書店数が激減しています。大手チェーン書店、個人経営や地元に根差した店舗がどのようなブックカバーを導入しているのか、今でも気になるのですね。そのような思いを抱いていたところ、運よく本書に出会いました。タイトルはそのものズバリ「日本のブックカバー」。監修している「書皮友好協会」の「書皮」とはブックカバーの意味です。

本書にはカラーで日本各地のブックカバーが網羅されています。大手書店のものもあれば、地方書店や閉店してしまったお店のものもあります。ブックカバーの中には、武者小路実篤のなごみ系絵画を採用しているところもありました。相田みつをを思い起こさせるタッチです。

ページをめくると「あ、子どもの時に見たことがある!」というカバーもありました。一方、同じ基本デザインではあるものの、時代の流れとともに微調整して今のデザインに至っているものもあります。ブックカバー自体の歴史を振り返ることができます。

デザインというのは、何もギャラリーやデザイン本に限る世界ではないのですよね。自分たちの身近なところにもたくさんの商品デザインが存在します。その「美」に気づかせてくれる一冊です。



第347回 情報の選択権

昔から活字が好きだったこともあり、自宅のポストに入るミニコミ誌やフリーペーパーなどもつい読んでいました。地元の最新情報やレシピ、コラムなど、目を通していると意外な発見や出会いがあり、それが楽しいのですね。他にもクレジットカード会社や保険会社などからの刊行物も定期的に届きます。こうした紙媒体もせっせと読んでいたのです。通訳の授業でも「フリーペーパーは情報の宝庫。ぜひ目を通して」と積極的に話していました。

ただし、これも「程度問題」なのですよね。時間があるときなら読むのも娯楽の一環となり、そこから元気をもらったりリフレッシュしたりできます。けれども私の場合、どうも性格上、「~ねばならない」モードに一旦なってしまうと、それが多大な苦痛になってしまうのです。

たとえば通訳学習を本格的に始めたころのこと。英字新聞や英字雑誌などを定期購読して英語力アップを図ろうとしました。けれども会社員生活を続けながらの勉強でしたので、勉強時間には限りがあります。自分としては何とか時間を切り詰めて学んでいたつもりではありました。でも限度があるのです。そうこうしているうちに「読まねばならない媒体物」はどんどん積み重なっていきます。床に山積みされた雑誌などは「きちんとできていない自分」の象徴です。「もっと頑張ればできるはずなのにできない自分は怠けている」「こんなはずではなかった」「あのとき現実逃避したから今こんなに時間不足になった」という具合に、自己嫌悪のフレーズがひたすら頭の中を堂々巡りしてしまったのです。

いつまでもこのような状況が続いたため、自分としてもかなり追い詰められてしまいました。そこで「時事問題を扱うそうした媒体は生鮮食料品と同じ。旬が過ぎたら捨てても良い」と割り切り、ようやく中身も見ずに処分することができました。そして定期購読も解約し、やっと呪縛から逃れることができたのです。それまでの月日は心の安定を失っていたように思います。

あれからずいぶん年月が経ったのですが、その一方で自分の性格というのはそう簡単に変わるわけでもないのでしょうね。最近もまた似たような状況に陥っていました。ポストに投げ込まれるフリーペーパーこそ堂々と捨てられるようになったのですが、郵便で「わざわざ」私宛に送られてきた定期刊行物は相変わらず「読まねば対象」と化していったのです。どうもその境目というのは「冊子としてホチキスで綴じてあるか否か」という自分でもワケのわからない基準です。そして机の上はそんな紙が山積みです。やれやれ・・・。

またもやかつての自分のような自己嫌悪モードに陥るのを避けるためには、自分なりに「開き直り基準」を設ける必要があります。そこで考え付いたのが以下の自問自答用の質問項目でした:

1.私はその情報を本当に必要としているか?
2.その情報を得たいと心から欲したがゆえに、お金を払って入手したものか?
3.それを読まないと自分の仕事や日常生活に差し支えがあるか?

このような感じです。

こう考えてみると、情報もダイエットも似ているように思います。本当にその食べ物を食べたいのか、それとも何となく口に入れようとしているのか?それを食べて幸せになりたいからこそ、あえてお金を費やしてでも入手しようとしているのか?それを食べなければ自分の仕事や生活に支障が出るのか?

このような観点から見ると、「情報」というものこそ自分のイニシアチブで選択するのが大事だと思えます。今の時代は自分からアクションを取らなくても、それこそいつでもどこでもネットから大量の情報を得られます。自分の心身が元気なときは、他人のツイッターもインスタグラムも「リア充」も気にはならないでしょう。けれどもいつも人は絶好調というわけにはいきません。それだからこそ、「情報の選択権を持つのは他でもない自分なのだ」と言い聞かせ、健全な精神状態を保ちたいと私は思っています。

(2018年3月26日)

【今週の一冊】
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「ドイツこだわりパンめぐり」 見市知著、産業編集センター、2017年

過日イギリスを旅行した際、かつて滞在していた大学寮に泊まりました。ゲストステイ制度があったためです。学生たちと混ざって朝食をとっていると、論文に苦戦していた大学院時代を思い出しました。寮の食事も当時とさほど変わっていません。

寮では朝食にトーストやペストリーを選ぶことができます。食パンは白パンかライ麦パンです。私はイギリスの全粒粉パンが好きで、今回の滞在中もそればかりいただいていました。ちなみに日本でもホームベーカリーでパンを作っており、色々な粉を混ぜて作るのが日課となっています。

さて、今回ご紹介するのはドイツのパンに関する話題です。最近は日本でも輸入食材店へ行けばドイツから真空パック入りで輸入されたパンを買うことができます。色は濃い目の茶色で酸っぱめの味です。これにおかずを載せて食べるのですね。手のひらサイズながらずっしり感があり、食べると満腹になります。

本書にはドイツの各地で著者が取材したパン店が紹介されています。パンの種類もわかりやすくカラー写真で示されており、見ていて楽しめる一冊です。パン用語も充実しており、たとえばBrot(ブロート)は「250グラム以上の重さの大型パン」を指すのだそうです。

最近は売れ残ったパンを専門に売る店舗もあるようです。こうしたエコ・マインドもドイツならではなのでしょうね。



第346回 新年度のたびに思い出すこと

中学2年生でイギリスから帰国した私は、地元の中学校に編入しました。そのころはまだ学校が日本全国で荒れており、いわゆる「校内暴力」と言われていた時代でした。「金八先生」などの学園ドラマがはやったのもちょうどそのころです。

我が家はその中学校のグランドの裏手にありました。その学校は野球の強豪校として地元では有名で、その応援のためにブラスバンド部が校庭でよく練習をしていたのです。海外へ行く前の幼稚園時代、学校から金管楽器の奏でるメロディが聞こえてきたことを幼心に覚えています。

14歳で改めてその学校に通うようになってみると、荒れた状況を打開しようと先生方も苦心されていたのでしょう、授業や部活の現場では怒号と罵声が飛んでいました。ここに今書くのは憚られるような日本語が飛び交っていたのです。グランドにスピーカーを通して流れるそうした言葉は、近所中に鳴り響いていました。

校内暴力以前の日本では、「巨人の星」やスポーツマンガに見られるような、いわゆる「根性もの」が流行していました。指導者からどれほど(体罰を含めて)きつい指導を受けようと、それを乗り越えて勝利を手にするということが良しとされていたのです。それこそ「そんなにやる気がないなら、やめてしまえ!」と教員は捨て台詞を吐き、職員室へ引き上げる。そして部員全員が悔し涙を流し、部長と副部長が職員室へ謝りに行き、「先生、もう一度指導してください!」というのがお決まりのパターンです。私自身、そうした光景をその学校でも目撃しました。

私にとって、その展開はあまりにも衝撃的でした。と言いますのも、先生の態度というのは「思い通りにならない生徒に対して単にキレているに過ぎない」と映ったからです。自分よりも若輩者ができないのは当たり前です。できないから指導するのが教師の役目です。たとえ虫の居所が悪くても、言うことを聞いてくれない生徒たちであったにしても、捨て台詞を吐いたり、物を投げつけたりというのは、単に恐怖を若い世代に与えるだけにすぎません。むしろ「思い通りにならないとき、人間はキレて良いのだ」ということを体で若い人たちに教え込み、染み込ませていることになります。指導法としては最悪です。

私はイギリス暮らしが長かった分、このコラムでもイギリスを引き合いに出すことが多くなります。もちろん、イギリスが「すべて」ではありません。日本の方が優れている部分も数えきれないほどあります。けれども、こと上記のような指導に限って言えば、当時の14歳の私は先生のやり方に大きな反感を覚えました。イギリスの学校の先生は、厳しい指導をしたものの、「キレる」ことはなかったからです。むしろスポーツや芸術などの課外活動の場合、どうすれば楽しく子どもたちがプレーしたり演奏したりできるかに心を砕いていました。練習日が日本と比べて圧倒的に少ない分(週2,3回)、限られた時間をどのようにして密度の濃い練習にするか工夫をしていたのです。

日本によくあるパターンというのは、たとえば「中学のバスケ部は本当にきつかった。もうバスケなんてやりたくない。でも良い経験だった」と後述することです。自分のそうした辛い時代を振り返った際、「良い経験だった」とでも言わない限り、あまりにも当時の自分が浮かばれないからでしょう。確かに「理不尽さ」を体験できたという意味では何かしらの修行にはなったかもしれませんが、同じ時間を費やすならもっと別の方法があるはずです。イギリスの中学校の場合、「スポーツや芸術などの課外活動をきっかけに、自分を生涯支えられる楽しみを身につけさせる」という方針があったのです。

怒号と罵声とまでは言いませんが、私が若いころに学んでいた通訳スクールも、やはり「根性論」的な要素がありました。講師があまりにも高圧的で怖く、本来であれば出てくる訳語にも詰まってしまうという授業は私にとって苦痛でした。結局私はそのようなクラスに早々と見切りをつけ、それでも通訳者になるという夢はありましたので、自力で100社近いエージェントへ履歴書を送り続けました。「緊迫した雰囲気で通訳する訓練」というとらえ方も、あの授業にはあったかもしれません。けれども少なくとも私は、自分が教壇に立つならば別の方法で指導をしようと当時、心に誓いました。そして4月が近づいてくるたびに、そのことを思い出しているのです。


(2018年3月19日)

【今週の一冊】
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「世界鉄道切手夢紀行」 櫻井寛(写真・文)、日本郵趣出版、2017年

著者の櫻井氏は日経新聞の夕刊でコラムをお持ちです。鉄道や旅に関する氏の文章を毎週興味深く読んでいたところ、偶然今回ご紹介する本に出合いました。本書は切手をキーワードに世界の鉄道を紹介するというコンセプトで作られています。

私は幼少期に切手を集めていました。今では収集をやめてしまったのですが、子供のころは切手を通じて国名を覚えたり、図柄を読み解いたりして何時間でも切手とにらめっこしていましたね。本書で紹介されている切手の中にはなじみのものもありました。

私はイギリスが好きなので旅行もロンドンなどがメインになるのですが、本書を眺めていると、世界には本当にたくさんの国があり、美しい光景が存在することに気づかされます。テレビの紀行番組や書籍などで「一生に一度は行きたい・見たい」と紹介されている場所がありますが、本書を読み進めるにつれ、同様の思いが沸き上がってきます。

中でも興味深かったのがイギリスで2016年に発行された「アガサ・クリスティ」の切手です。没後40年を記念したもので、図柄は「オリエント急行の殺人」です。櫻井氏の説明によると、この切手は温度によって色が現れる「示温インキ」が使われており、切手が温まると電車の窓辺に凶器を持った犯人の絵が浮かび上がるのだそうです。


第345回 どうせ現実逃避をするなら

授業や通訳、原稿執筆など、好きな仕事に携わるチャンスをいただけているというのは本当にありがたいと思います。自分が情熱を傾けられる分野で少しでも社会のお役に立てればという思いがあるからです。確かにフリーランスで生きる以上、仕事をしなければ無収入ですし、福利厚生手当は一切ありません。私は「有休」「慶弔休暇」「住宅手当」などとは縁がないのですが、それでも日々幸せを感じられる仕事ができることを考えると、本当に幸せな人生なのだと思います。

「好きなこと」を仕事に日々生きているとは言え、私も人間ですので、気乗りしないときというのはよくあります。たとえば「授業準備をしなければいけないのに今一つやる気が出ない」「テストの採点をせねばとわかっているのだけど、その量に圧倒されている」「喜んで請け負った原稿依頼なのに、一文字も入力できない」という具合です。

要はそのようなときというのは、気力体力が衰えつつある時期なのでしょうね。スタミナ不足ということです。本来であれば休養を取ったり、気分転換を図ったりして切り替えれば良いのでしょう。けれどもそれすら面倒ということもあります。

そのような際、私が陥りがちなのが「ダラダラとインターネットを閲覧する」という行為です。ネットの世界は無限ですので、キーワードを入力しては検索してただひたすら眺めることを繰り返してしまいます。普段なら大して興味のないページをぼーっと眺めてしまうこともあります。ページを見つつ「こんなことしてる場合じゃないでしょ」という声が頭の中をぐるぐると回るのもわかります。

「せっかく手帳にチェックリスト付きでやるべきことを書き出してあるのに、それら何一つ片づけないで、一体何やってるの?」

「こんな状態だから、あとになって焦って慌ててクオリティが下がるのよ」

「ああ、どうして私って意思が弱いんだろう。前もそうだったし、全然進歩してない」

このような感じで自分を責める声やボヤキやら愚痴やらの思いが心の中を占めていくのですね。要は私の場合、ネットを見ることで「やらないための言い訳づくり」と「逃避行動」をしているわけです。

ではどうすれば良いでしょうか?

どうせ逃避するのであれば、

*他人に喜ばれることをする
*自己達成感を抱けるものをする

このようにすれば良いのだと思うようになりました。

たとえば料理が好きなのであれば、ダラダラと不本意なことをして時間を無駄に過ごすのではなく、それこそ山のようにごちそうを作り、家族に食べてもらったり、職場の仲間におすそわけしたりするのでも良いでしょう。お裁縫が好きなのであれば、布地を買ってきて好きなものを作るのでも良いと思います。後悔することをして自己嫌悪に陥るぐらいなら、自分が好きなことをして現実逃避をすれば、自己肯定感も高まると思います。

私の場合、手っ取り早くできる「生産的現実逃避」は掃除と片づけです。とりあえず掃除機をかける、ごちゃついているあれこれのものを整える、不用品を捨てる、斜めにかかっているタオルの端をそろえるということをすると、とても幸せな気持ちになってきます。後悔だらけの現実逃避ではなく、達成感を大いに抱ける現実逃避なのですね。

こうして気分転換が図れれば気持ちも前向きになり、「よし、大変だけど仕事に戻ろう」という思いが沸き上がってきます。まだまだ私自身、発展途上ですが、少しでも進歩できればという思いで毎日を過ごしています。 


(2018年3月12日)

【今週の一冊】
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"An Illustrated History of Japan" Shigeo Nishimura, Tuttle Publishing, 2005

日本の歴史を時代の流れに沿って説明したのが今回ご紹介する一冊です。原本は福音館書店発行「絵で見る日本の歴史」(西村繁男著、1985年)ですが、直接の英訳ではないのが特徴です。

私は中学2年の途中でイギリスから帰国し、編入した地元中学校の歴史授業では「徳川家康」が取り上げられていました。私にとってはそれ以前の時代を全く学ばないままでしたので、「徳川who?」という状態でしたね。以来、日本史への苦手意識を払拭できないまま大人になってしまったのでした。今でも通説としてとらえられないのです。

このままではいけないと思い立ち、手に取ったのが本書です。読み方のポイントは、日本語の原本と英語の本書を比べて読むこと。1ページずつ開いて並べて読むという方法です。日本語の説明文が簡潔な一方、英語版はかなり詳しく綴られています。おかげで日本語版ではうかがい知ることのできなかった細かい史実を英語版で吸収できました。

なお、日本語版には巻末に著者の西村氏が絵の部分の詳細な説明を加えています。日本の歴史を古代から現代まで鳥瞰図的に眺めたい方、西村氏の美しい絵を堪能したい方など、年齢や興味を問わずすべての方にお勧めしたい一冊です。


第344回 苦戦した通訳

同時通訳や逐次通訳の場合、どのようなお客様なのか、どういった内容が飛び出すのかは当日になるまでわかりません。ある程度の予測をしながら、それこそ受験勉強時のヤマかけのように予習をしますが、予習自体がそもそも「ここまでやれば終わり」というものではないのですよね。当日に最大限の力を発揮できるよう念には念を入れてリサーチをしますが、どれだけ経験を積み重ねても私の場合、当日が近づくと不安感は高まります。放送通訳の場合はレポーターの顔ぶれも一定しており、話し方にもいずれは慣れてきます。けれどもビジネス通訳の場合、何が出てくるのかはふたを開けてみるまでわからないのです。

直前まで隙間時間を見つけながらひたすら予習をした結果、「思ったよりもスムーズに訳せた」「想像していたよりもなじみやすい内容だった」という思いで業務を終えられたときは本当に幸せです。お客様のお役に立てたという気持ちや「今日は詰まったり間違えたりせずに済んだ」という安ど感で満たされるからです。

けれどもいつもそうとは限りません。いえ、むしろ「パーフェクト!」などという日は私の場合はほとんどありません。たいていは帰路の電車内で一人反省会をしながら「うーん、なぜあの基礎単語が訳せなかったのかしら」「もう少しすっきりした訳文にすればよかった」「あの場面でもっと気を利かしてお手伝いできれば喜ばれたのに」など、通訳業務だけでなく随行時の自分の振る舞いに対する反省なども次々と出てきます。けれども時間を戻すことはできません。今日の反省点を次に生かし、同じミスを二度としないように誓いながら前に進むしかないのですね。

一方、「訳出自体は無事に進んだものの、通訳現場の環境で苦しんだ」という経験を私は何度かしています。いくつかご紹介しましょう。

一つ目は、とあるセミナー通訳でのこと。会場は都内の高層ビルの上層階にありました。窓から外を眺めると東京湾が見渡せ、下の方には街中を行きかう人々が小さく見えます。広いセミナールームでの逐次通訳でした。

ところがその当時はとある問題をめぐって国の情勢が動いていた時期でした。某団体がその問題に対して反対意見を述べるべく、スピーカーを使い大型車両で主張を繰り広げていたのです。音というのは上に抜けますので、地上から響くその大音量は私のいた会場にも聞こえてきました。

集中しているときは周囲の雑音もさほど気になりません。しかし、いったん気にかかってしまうとそこで一気に集中力は下がります。「ん?あの大ボリュームは何?」と思ったが最後。セミナーの英語を聞いてメモを取り逐次通訳に備えつつも、耳にはシュプレヒコールのような大音量が階下から聞こえてきます。セミナー内容とは全く関係のない話題が頭の中で錯綜してしまい、大いに通訳では苦労しました。その日は肉声での逐次通訳でしたが、こうしたケースを考えると、やはり話者の方にはマイクを付けていただき、通訳者のイヤホンに直接入る方式の方が確実だと思ったのでした。

もう一つも「音」に関するものです。その日はビジネスミーティングで、訪問先の日本企業側も英語で応対なさっていました。よって私の通訳を必要としたのは海外からのクライアントさんをお世話なさっていた日本の随行の方おひとりでした。よってこの日は英日のウィスパリングが私の仕事でした。

小さな会議室だったのですが、同じ部屋の中で時々激しい咳をする方がいらっしゃいました。時期は冬でインフルエンザや風邪が流行していたころです。一番つらいのは
咳が出てしまうご本人であることはもちろん承知しています。けれども、大きな咳というのは、その瞬間、部屋の中の他の肉声がかき消されてしまうのですね。この日も肉声の英語をそのままウィスパリングしていましたので、私の解釈が途切れてしまうという状況に直面しました。内心焦ったのを覚えています。

ちなみにとある音楽評論家の方が、クラシック音楽のコンサート会場でどうしても咳が出てしまう場合、手のひらよりもハンカチで口元を覆った方が音は静かになるとおっしゃっていました。通訳者がいる会議ではそうしていただけるとありがたいなあと思った次第です。

苦労した通訳3つ目は「西日」です。こちらも同じくビジネスミーティングでした。その会場は窓が東側にあり、道路に面したビルの5階にありました。時間帯は午後です。窓は全面ガラス張りで、窓側にホワイトボードがあり、机のPCからパワーポイント映像が映し出されていました。

最初のうちはよかったのですが、少しずつ日が沈んでくると、通りを挟んだ向かい側のオフィスビルの窓に西日がギラギラと反射していったのです。しかもこの日もやはりウィスパリングで、プレゼンをしている方は窓を背に着席なさっています。私の角度から見ると、まるでご本人の後ろに後光がさしているようになり、それはそれはまぶしくて仕方ありませんでした。顔の表情が一切見えなくなってしまったのです。

私は通訳をする際、必ず話し手の表情や口元などに注目し、non-verbal messageからヒントを得るようにしています。この日もそうでした。けれども西日でその方のお顔が暗くなってしまうと手掛かりは大幅減になってしまいます。私が少しずれれば良いのですが、そうすると今度はウィスパリングをして差し上げている方の耳元から離れてしまいます。支障がない範囲でモゾモゾと椅子の上で動いていた私は、傍から見たらアヤシイ動きをしていたかもしれません。

幸いミーティングは「後光発生」から間もなくして終了して事なきを得ましたが、長引いてますますまぶしくなったのであれば、中断をしてでもブラインドを下ろしていただくようお願いした方がパフォーマンスには支障が出ないのではと思いました。

単なる語学的な予習だけでは立ちいかなくなることもあるのが通訳という世界です。毎回の経験を積み重ねて、次はもっと良い通訳をしていきたいと思います。


(2018年3月5日)

【今週の一冊】
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「世界のリノベーション」日経アーキテクチュア編 日経BP社、2017年

街中を歩いていてもついつい建築物に目がいくほど「建物」が好きです。ビルの入り口にある「定礎」の石碑にも注目しますし、階数を数えたり柱やガラス窓を眺めたりすることもあります。私にとって建築にまつわるすべてがワンダーランドです。

先日ロンドンへ行く機会があり、現地でも様々な建物を堪能してきました。イギリスは建築物がグレードでランク付けされており、いったんその認定を受けるとむやみに手を加えることはできません。石造りということもあり数百年前に建てられた建造物が今も現役で使われているのです。そうしたことから内部を改修したり、外観を損なわない範囲で雰囲気を変えたりしているのがわかります。数年前の五輪を機にロンドンではテムズ川の東部が再開発され、現地ではモダンなビルやマンションが立ち並びます。

今回ご紹介する一冊はリノベーションに関する書籍です。イギリスの建物は出ていませんが、世界各地で取り組まれた改修・改築の様子が写真付きで掲載されています。特に興味深かったのはアジアにおける建築・リノベ事情でした。個人的に注目したのはシンガポールのナショナルギャラリー。かつての最高裁判所と市庁舎を一つにつなぎ、2015年に美術館としてオープンしています。外観は重厚な建物ですが、中は極めてモダン。こうした空間でのんびりと美術鑑賞する休暇も良いでしょうね。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者。獨協大学・順天堂大学非常勤講師。 上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。 ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 NHK「世界へ発信!ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当。 ESAC(イーザック)英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 通訳学校にて後進の指導にあたるほか、大学での英語学習アドバイザー経験も豊富。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)、「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」(旺文社、2014年:共著)。 「放送通訳者・柴原早苗のブログ」 http://sanaeshibahara.blog.
so-net.ne.jp/