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放送通訳者直伝!

第318回 与えられた時間を自覚する

通訳という仕事は、現場で自分が時間をコントロールできません。たとえば逐次通訳の場合、話し手が2分間話したのであれば、通訳者も同じぐらいの時間で通訳しなければいけないのです。2分間のスピーチを4分で通訳すれば長すぎます。かと言って20秒にしてしまえば、それは「通訳」ではなく「要約」です。同時通訳も同じで、話し手が話し始めてから話し終わるまで、ほぼ同じ長さとタイミングで通訳をすることが求められます。時間にシビアさが必要な職業です。

それゆえ私自身、日常生活の中でも時間は意識しています。時間に厳しくなるということは、今、自分がこの瞬間に何ができるかを日々意識することを意味します。たとえば私の場合、電子レンジでご飯を温めている2分間ももったいないので、手持ちの英字新聞を音読したり、目の前にあるキッチン道具を英訳したり(もちろん、声に出します)と、すべてを英語学習につなげるようにしています。AMで流れるAFN(米軍放送)は毎時00分になると2分間の英語ニュースを放送するのですが、あえてその時間に合わせて台所に立ち、洗い物をしながらニュースのシャドーイングをすることもあります。一方、外出先でも知識力アップのためにカバンの一番取り出しやすいポケットに文庫本を入れ、信号待ちやスーパーのレジ待ちの際、目を通したりします。わずか数分間でも私にとっては貴重に思えるのですね。

こうして時間を意識するようになったのは、振り返ってみると、通訳者になる前からだったかもしれません。私の根底にあるのは「命に絶対的保証はない」という考えです。

小学校4年生で父の転勤でロンドンに暮らすようになったとき、驚いたことがあります。それは地下鉄に乗った時のこと。「不審物を見かけたら触るな・動かすな・車掌へ連絡せよ」という表示が目立つ所に掲げられていたのです。当時のイギリスは北アイルランド問題を抱えており、爆弾テロも起きていました。「いつテロが起きてもおかしくない」という認識が当時のイギリス社会にはあったのです。

もう一つ、命を意識するようになったのは1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件でした。

当時、私は霞ヶ関にある外郭団体で派遣社員として翻訳の仕事をしていました。事件の数日前、私はスポーツクラブのレッスン中に足をくじいてしまい、松葉杖状態でした。朝のラッシュ時に松葉杖は大変ですので、ケガをしてからしばらくの間、早めの電車に乗って出勤していたのです。しかし、そのことが幸いしました。事件当日、もしいつも通りの電車に乗っていたら霞ヶ関駅で事件に巻き込まれていたからです。

もう一つの事件は、BBCの爆破でした。2001年3月4日未明のことです。当時、BBC日本語部では夜シフトが導入されており、その場合、夜12時過ぎにタクシーで帰宅することになっていました。犯行グループが予告を出していましたので、BBCの職員たちは全員避難しましたが、もし私がその日、夜シフトを担当していたらと思うとぞっとします。当時私は妊娠5か月だったのです。

こうしたことを経験したからなのでしょう。今、自分に与えられた時間を私は常に強烈に意識します。「朝、家を出発して夕方また無事に帰宅できる」という保証は何一つないのです。私たちは日々の生活を続けていると、ついつい妙な思い込みに陥ってしまい、「自分だけは大丈夫」と錯覚してしまいます。もちろん、必要以上に恐怖心をあおってはいけませんが、だからといって「すべて当たり前」ととらえてもいけないのですよね。自分に与えられている命を自力でコントロールすることは、実はできないのではないか。そう私は感じます。

だからこそ、今の自分には何ができるのか真剣に考えたいと思うのです。この瞬間、自分はどうすれば与えられた仕事や人生をしっかりと生きられるか考えます。自分一人の力というのは小さいかもしれません。けれども、「自分が生きることで、世界のどこかを支えている」という自覚をして毎日の生活を大切にしたいと思っています。

(2017年8月14日)

【今週の一冊】
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「僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫」 宮川徹志著、岩波書店、2017年

私と沖縄の接点は社会人になってからです。当時私は神奈川県に住んでおり、県主催の「ピーストレインかながわ」という青少年交流事業に参加しました。これは県内在住の留学生と共に沖縄を訪れ、平和について学び語り合うというものでした。1週間近い日程でしたが、理解ある上司のお陰で休みをとることができ、参加したのです。

今となってはだいぶ記憶の彼方になってしまったのですが、バス数台で移動していましたので、100人近い参加人数だったと思います。私たちは飛行機で那覇入りし、戦跡を訪れ、祈りを捧げました。夜になるとグループになり、留学生たちと平和や未来のこと、アジアにおける日本や和解の話などをしました。非常に密度の濃い研修旅行でした。

そのときに訪れたのが伊江島です。伊江島にはヌチドゥタカラの家という反戦平和資料館があります。そこで私たちが耳を傾けたのが、阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)館長のお話でした。沖縄戦のお話やご自身の体験、そして米軍基地のことなど、私にとっては初めて知ることばかりだったのです。学校の歴史の授業では教わらなかったことです。戦後、伊江島の土地の60%がアメリカ軍に接収されたことも初耳でした。

今回ご紹介する本は、沖縄返還交渉に携わった外務省の千葉一夫氏に関するものです。千葉氏は外務省退官前にイギリス大使を務められたことから、私はオックスフォード大学日本事務所の仕事を通じて千葉大使を存じ上げていました。会食などでお話を伺った際、「沖縄の仕事に携わったことがある」とはおっしゃっていたのですが、返還交渉の知られざる立役者であったことを知ったのは、数年前のNHKドキュメンタリー番組を通じてです。すでに千葉氏は鬼籍に入られていました。

沖縄返還に関しては、おそらく外務省や氏に近い方々のみが千葉氏の功績をご存じだったのでしょう。それぐらい、氏は黒子に徹しておられました。私たちは「沖縄返還」というと、「佐藤首相とニクソン米大統領との間で日米共同声明が発表された」という教科書的記述が頭に浮かびます。けれども、大きな歴史的出来事の背景には、必ず誰かが多大な努力をしていることを、本書から知ることができます。

自らの功績を誇ることなく、静かに胸に秘めながらひっそりと表舞台から去るということ。

通訳者の仕事をしている私にとって、生きるとは何か、仕事とはどうあるべきか、使命感とはどういうものかを考えさせられた一冊でした。


第317回 良き「伝染」の源になる

相変わらず外出先ではフリーペーパーをせっせと頂いては楽しく眺めています。先日入手したのは、シルバー世代向けの冊子でした。子育てママさん向けの冊子同様、自分とは今現在ご縁がない読者層を想定したものでも、何かしら参考になる情報はあるものです。今回もご年配の方々がどのような内容のものを読むのか興味を抱き、頂いてきました。

読んでみると結構楽しいものなのですね。旅の話題あり、健康に関するコラムありという具合に、世代を超えてエンジョイできる話題が満載でした。もっとも、フリーペーパーというのは広告収入で成り立っていますので、冊子の後半は健康関連のPRが多かったですね。ケアホームや健康グッズなど、今は本当に種類豊富です。いずれお世話になったときの参考にと思い、そちらもしっかり目を通したのでした。

さて、今回その冊子に出ていたコラムの一つに、自律神経に関する話題がありました。それによると、ネガティブな感情を抱いてしまうと自律神経が乱れてしまうのだそうです。しかも、その乱れは周囲に伝染してしまうとのこと。その一例として、集団スポーツの話がありました。チームメンバーの一人が不調になってしまうと、その動揺が他の選手たちに伝染してしまうのだそうです。こうした「周囲への伝染」は日常生活でも起こり得るとのことでした。

通訳者の仕事でも同様のことが言えます。私は自分の授業で指導の際、「今、おこなっている通訳がどのような状況下なのかを考えるように」と伝えています。開会式のような晴れやかな状況であれば、通訳者もそれに合った声色や口調で訳出する必要があります。一方、ニュース通訳や法廷通訳など、深刻な場面であればそれに応じたアウトプットが求められるのですね。どれほど正確に訳出できても、場に応じた通訳であることが肝心なのです。言い換えれば、話者の気持ちを通訳者自身が「伝染させていただく」という思いを抱きながら通訳することが大事だと私は思います。その「伝染」をうまく自分のアウトプットに乗せることが大切です。

一方、同じ「伝染」でも気を付けなければいけないことがあります。たとえば準備段階においてです。複数名の通訳者で業務に携わる大規模な国際会議の場合、登壇する話者の数も多く、資料も大量に出され、通訳者の間で分担を決める必要があります。何分交代にするか、資料はどう割り振るかという具合に、直前までやるべきことが沢山あるのですね。

このようなとき、たとえギリギリになって夥しい量の資料が通訳者控室に持ち込まれたとしても、通訳者は淡々と分担を決めてひたすら読み込み作業をしなければなりません。本番に向けて緊張状態は高まっていますので、関係者がいない控室はかなり「テンパっている状態」であるのも事実です。ボヤきたくもなります。通訳者とて人間ですので、「えぇ?なぜ今になって?」という思いを抱くのも当然です。

けれども、ネガティブな感情や言葉というのは、どうしても伝染しがちになるのですね。幸い私が今までご一緒してきた先輩通訳者の方々は、そのような環境下でも常に冷静沈着な姿を見せて下さいました。まるで緊急事態に陥ったコックピットのパイロットのごとく、ただただ冷静に対処なさっていたのです。そうした先輩方の姿を見られたことは、私の仕事人生において財産になっています。

だからこそ、日常生活でも落ち着きさが必要だと自戒の念を込めて私は今、これを書いています。家族を相手にすると、つい甘えが出てしまうものですが、最愛の家族や身近な友人だからこそ、本来は気を配り、大切にしていくことが求められるのですよね。負の感情を伝染させてはいけないと反省します。

良き「伝染」の源になれる、そんな人間をめざしたいと思います。

(2017年8月7日)

【今週の一冊】
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「シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン」 ブルーシープ編集、ブルーシープ、2011年

オランダに私が暮らしていたのは小学校2年生から4年生まででした。インターナショナル・スクールに編入したのは9月のこと。日本よりも北にあるオランダは日が短く、真っ平らな国土には北からの冷たい風が吹きつけ、厳しい冬を転入早々体験しました。そのような日々において、学校の図書館の本は私に温かい風を送り込んでくれたのです。

まだ英語が読めなかった私が借りたのは絵本たち。学校には幼稚園もありましたので、図書館の絵本は充実していました。そのとき初めて出会ったのが、ディック・ブルーナさんの作品でした。

ミフィーちゃんシリーズの絵本は正方形の形をしています。子どもの手にも収まるものであり、少ない文字数は私にとって安心するものでした。色も鮮やかで心が和み、次々と借りてはブルーナ・ワールドを楽しみました。今でも懐かしく思い出します。その頃は他にも「スカーリーおじさん」シリーズにはまっていましたね。

本書にはミフィーちゃんはもちろんのこと、ブルーナさんの初期の作品もたくさん紹介されています。見開きの右側が作品、左側にはタイトルと出版年などが記されています。巻末の年表を見てみると、ブルーナさんの若かりし頃は必ずしも順風満帆ではなかったことがわかります。けれども良き伴侶を得て、自ら人生を切り開いてきたからこそ、世界中の人々が愛してやまないミフィーちゃんを生み出したのでしょう。

私にとっては「ミフィーちゃん」より一世代前の「うさこちゃん」という名の方がしっくりきます。そんなファンの皆さんはもちろんのこと、デザインそのものに興味のある方にもぜひ読んでいただきたい一冊です。


第316回  せめて伝わる口調で

相手に何かを伝えたいとき、どうすれば一番効果的に伝わるか。

コミュニケーションの仕事に関わる私にとって、これは永遠の課題となっています。

相手が聞き取りやすいように「大きい声で」「はっきりと」話すというのは、必要最低限と言えます。けれどもそれだけでは伝わらないというのが最近実感しているところです。

たとえば、難しい交渉相手にこちらの要求を伝える場合、単に声高にパキパキと畳みかけるような話し方だけで先方がこちらの要求をいつも飲んでくれるとは限りません。むしろ、そうした話し方に相手は拒絶反応を示してしまい、聞く耳持たずということもあり得るのです。

これまで携わってきた通訳業務を振り返ってみると、成功のカギが3つほどあることに気づかされました。

1つ目。穏やかに話すことです。

もちろん、相手が聞き取れる声の音量は必要ですし、滑舌の良い話し方が求められます。けれども、パンパンパンと迅速さ「だけ」で話しても一筋縄では行かないことがあります。むしろ少しゆっくり目のペースで穏やかな口調の方が、相手にとっても聞いた内容を吟味・解釈する余裕が出てきます。「声に笑顔を持たせる」と言えば良いのでしょうか、声そのものが微笑んでいるような雰囲気です。

このような話し方は相手に安心感を与えます。そしてこちらに対しても「あ、穏やかな人なのだろうな」と思ってもらえます。それが好感となり信頼感となって、「では、話を聞いてみよう」と相手に思わせるのですね。

2点目は、自分と相手を明確にすることです。「私はこう思う」「私はあなたにこうして欲しい」という具合に、誰が主体となるのかを明らかにします。「一般論では」「世間の常識では」と言ってしまうと、それを聞いた相手は「自分には関係ない」と思いかねません。そうなってしまうと、どれだけ良いことを伝えていてもシャットアウトされてしまいます。

3つ目は、根気強く語り続ける点です。大事なことは伝わるまで何度も言い続けなければなりません。一度言ったから大丈夫と思わず、自分や相手にとって大切なことは繰り返し口にする必要があります。特に先方の壁が厚いほど、粘り強く繰り返すことが求められるでしょう。

これは仕事だけでなく、日常生活でも応用できそうです。特に家族の場合、甘えが出てしまい、かえってこちらの言うことが伝わらないというケースがあります。家族とは言え、やはり独自の個性を持った一人の人間です。「家族だから許してくれる、だから何でも言って良い」「どういう伝え方でもOK」とするのではなく、家族だからこそ、粘って粘って伝え続けなければならないこともあるのですよね。

コミュニケーションというのは本当に奥が深いと思います。相手が誰であれ、誠意を持って伝え続けること。伝わりにくいのであれば、せめて伝わる口調を工夫すること。

この作業は私にとって一生続きそうです。


(2017年7月24日)

【今週の一冊】
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「日野原重明 一〇〇歳」 日野原重明、NHK取材班著、NHK出版、2011年

私が日野原先生のお名前を最初に知ったのは、確か高校生ぐらいの時だったと記憶しています。確か朝日新聞でした。著名人が寄稿するコラムに先生の文が掲載されていたのです。すでに当時から聖路加国際病院の先生として著名でいらっしゃいましたが、そのコラムにはご自身の半生を振り返る内容が綴られていました。

中でも衝撃的だったのが、「よど号ハイジャック事件」に巻き込まれ、人質となった体験談でした。乗客乗員全員がとらわれの身となり、いつ解放されるかもわからない。そのような中、犯人たちが何冊かの本を乗客たちに提供したのでした。日野原先生はそこで「カラマーゾフの兄弟」を選び、機内で大切に読み進めたことがそこには書かれていました。無事解放されてからは、自分の人生が自分のためだけではなく、人への奉仕であるという思いで生きている旨が綴られていたのでした。

以来、日野原先生のご活躍をテレビや書籍などで拝見するように私はなりました。私たちは日々、生きているとたくさんの恩恵を受けます。けれどもそうした御恩を施して下さった人へいつも直接お礼ができるとは限りません。ありがたいことをしていただきながら、孝行することもできず、ということが少なくないのです。だからこそ、いつかどこかで別の形でどなたかにその御恩を渡していくことが大切である、というのが日野原先生のメッセージです。この訓えを知って以来、私自身、どのようにすれば御恩のバトンリレーを続けていけるかを考えています。

本書はNHKのドキュメンタリーを土台とした一冊です。99歳の日野原先生をNHKは1年かけて密着取材をおこないました。巡回回診の様子、ご自宅で若手研修医たちを招いた懇親会、小学生向け命の授業など、先生の多様なご活躍が本書では紹介されています。先生は惜しくも105歳で先日お亡くなりになりましたが、使命感を持って生き続けることの大切さを率先して示されました。

部下を持つ上司、指導の場に立つ教員、学ぶ側の児童・生徒・学生、介護に携わる人を始め、あらゆる方が本書を読むことで勇気づけられると思います。ぜひこの一冊を通じて在りし日の先生のお姿に触れ、未来を担う私たちに与えられた「課題」を一人一人気づくことができればと私は考えています。


第315回  でも、やって良かった

掃除機がけや片づけは大好きで、昔から整理整頓は一種のストレス解消になっていました。大好きな音楽をかけて、要・不用品をひたすら整理する。思ったよりも潔く大量のごみを捨てられると心もすっきりします。これにより達成感を抱くことができるのですね。掃除機がけも同様で、ホコリが見る見る吸い取られていき、最後はピカピカになると、「今日もきれいになって良かった~」としばし感慨深い思いを抱きます。

その一方で、大の苦手としている家事があります。
窓拭きです。

なぜ苦手なのか自分なりに分析してみました:

1.そもそも慣れていない
→片づけや掃除機がけは子どもの頃からやっていて段取りもわかる。けれども窓拭きの場合、何をどうして良いのか戸惑ってしまう

2.届かない場所がある
→私は背が153センチほどしかありません。よって、窓の上辺部分は手が届きにくく、掃除が大変そうという思いがあります。

3.マンションの中層階に住んでおり、拭けない窓がある
→ベランダ付きの部屋であれば外側から拭けます。しかしベランダなしでは窓の外側を拭くことができません。プランターボックスはあるのですが、人が立つには小さすぎます。わざわざそこに出て中腰で窓の外側を拭くのは高所恐怖症の私にとってはhuge challengeです。

このようなことから、「窓拭き=大変=私にはできない」という思いでこれまで来たのですね。よって年に数回、外注してピカピカにしていただくという方法をとってきました。

プロの方の手にかかると、本当に見違えるぐらい美しくなります。仕上がった窓を見ていつも思うのは、「よし、今度こそこの状態を保とう。もっと頻繁に自力で拭いていればあそこまで汚れないはず。これからは毎日丁寧に拭こう」ということです。

けれども、ハイ、そもそも苦手意識があるので、その一大決心も1日で崩れてしまいます。

とは言え、プロにお願いするには当然ですが費用はかかります。見積もりに来ていただく日とお掃除の当日、私が在宅でなければなりません。そのようなことを思いながら、ここ数週間、とことん汚れてしまった窓を見つめてはため息ばかりついていました。

そこで今回は意を決し自力で拭くことにしました。

方法は至ってオーソドックス。濡れぞうきんで大きな汚れを拭き取り、その後、新聞紙で水滴を拭きあげるという方法です。「おばあちゃんの知恵」的な方法ですが、とてもきれいになるのですよね。

ふだんの私であれば「仕方ないから掃除しよう。大変だけど頑張ろう」という思いを抱きながら掃除をします。けれども今回は発想を変えてみました。こう考えるようにしたのです。

「誰のためでもなく、これは自分のため。
きれいになれば達成感を抱ける。
家族も喜んでくれるし、ピカピカの窓になれば
『大変だったけど、よく頑張った、自分!』と思えるはず。」

このような考えだけを頭の中に抱きながら、ひたすら拭きあげていきました。

さほど大きな家ではないのですが、それなりに窓の数はあります。けれども不思議なことに、最初は今一つだった要領も、何か所か拭いているうちにリズムが出てきたのですね。自分なりの段取りが出来上がってきたのだと思います。

一枚拭くごとにピカピカになった窓を眺める。「やっぱりきれいになった。拭いて良かった!」という思いが湧きあがります。

そしてこれを繰り返すこと数十分。高所恐怖症で敬遠していたプランターボックスにも出て、中腰で拭きあげました。これが私にとっては最大の難所克服でした。

もちろん、プロの仕上がりに比べれば恥ずかしいぐらい汚れが残っています。それでも自分なりに一段階次のレベルへ行けたというのは、大きな達成感です。

苦手なことも、このようにして自分なりに原因を分析し、それをクリアするための工夫をすると、何かしら得るものがあるのですね。「でも、やって良かった」という思いがきっと出てくるはずです。

これからも様々なことにあきらめずチャレンジです。

(2017年7月18日)

【今週の一冊】
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「切手が伝える化学の世界―化学に親しむはじめの一歩(切手で知ろうシリーズ)」 齊藤正巳著、彩流社、2013年

小学校2年生の秋にアムステルダムへ転居しました。その年のクリスマスに父からプレゼントされたのはスタンプアルバム。切手を保管する台帳です。そこから私の切手集めが始まりました。

オランダは埋め立て国家。どこまでも平らで日本とは異なる気候風土です。暗く長い冬を乗り切るうえで切手集めは格好の楽しみでした。父は仕事で届いた郵便物の使用済み切手を職場から持ち帰り、母は日本から届いた切手を切り抜いて渡してくれました。やがて街の切手ショップで買い集めるようになり、コレクションはどんどん増えていったのです。

8歳と言えばようやくひらがな・カタカナを習得して、基本漢字を学び始めるような年齢です。アルファベットは私にとって謎の記号でした。それでもCCCP、Magyar Posta、Helvetia、Polska、Sverigeなどと書かれた切手を国別に分け、ファイリングしていったのです。自分なりに「しー・しー・しー・ぴー」「まぎーや・ぽすた」などと勝手に読んでいました。ソ連、ハンガリー、スイス、ポーランド、スウェーデンと知ったのはずっと後のことです。私にとっての切手収集は世界への入り口であり、地図好きのきっかけであり、デザインや美術、描かれた各テーマへの好奇心の源となりました。

今回ご紹介するのは、切手が描いた化学の世界です。元素記号を始め、化学界に功績を立てた偉人たちの姿や環境問題などを紹介しています。偉人に関してはキュリー夫人を描いた切手が数多く発行されていました。その肖像も国によりけり。写真風のものもあればイラスト風に描かれたものもあります。いずれも真剣に実験に取り組むキュリー夫人が小さな切手の中に表れているのがわかります。

もう一人よく取り上げられているのが、周期表を発見したロシアのメンデレーエフ(1834-1907)です。立派なひげをたくわえたメンデレーエフは35歳の時に周期表に関する論文を発表しました。そのメンデレーエフを描いたソ連切手もたくさんあります。ちなみに金額表示は「kon」。これはルーブルの補助通貨「コペイカ」です。

・・・それにしてもメンデレーエフがムソルグスキーやブラームスに見えるのは私だけでしょうか?


第314回 調子が出ないときどうする?

通訳の準備や英語の勉強というのは、つくづく「体育会系」だなあと感じます。コツコツと練習を積み重ねること、体力を要すること、集中力が求められることなど、スポーツ選手の活動と通じるところがあるからです。

体調も良好で気分も前向きであれば、トレーニングにも励みやすくなります。けれども人間は機械ではありません。調子が良いときもあれば、今一つのときもあります。すべて良い状態であれば、あれこれ考えなくとも取り組めるのですが、いつもそうとは限りませんよね。

体力が落ちてくると私の場合、ついつい行動をとるよりも「考えること」に時間もエネルギーも取られがちになります。たとえば学期末の「採点作業」。テストの丸つけを試験当日にするか、日を改めて取りかかるかで迷います。テストを実施した日の夕方や夜というのは、一日の終わりで疲れているので、できれば体力を挽回してから取りかかりたいという思いもあります。けれども大量の答案用紙を前にすると、また別の日というのもそれなりに大変です。つまり、「残っているエネルギーで当日中に一気に仕上げるか」、それとも「充電してから後日改めて取りかかるか」で迷ってしまうのです。

確かに体力を挽回してからの方が集中力も増すでしょう。けれども私の場合、「よっこらしょ」という感じで再スタートを切るにもかなりのエネルギーを要します。ですので最近はもっぱら「とにかく当日中に取り組めるのであれば、一気におこなうこと」と言い聞かせています。体力的には少々辛いですが、あえてその日のうちにすぐ仕上げてしまった方が、完了したときの自己評価と満足感がとても高くなるのですね。「お~~、忙しいのに、疲れているのによくがんばった、自分!」という具合です。

これは仕事に限らず、他のことでも応用できそうです。大変なときほど、ほんの少しだけチカラを振り絞ってみる。その上で何かが達成できれば、大きな喜びとなるのですね。「できなかった自分」「やらなかった自分」というのは往々にして「自分イジメ」の材料になってしまいます。その逆もまた然りで、たとえわずかでも進歩があれば、自分への大きな自信につながると思うのです。

「調子が出ないときの対処法」として、他にも私はいくつか心がけています。たとえば、どうしても勉強に集中できないときは、あえて「勉強している人が大勢いる場所」を探して出かけます。最近のカフェはお一人様が多く、皆、仕事や勉強をしています。おいしいコーヒーに適度な雑音、そして集中して取り組む人たちがいると、私も必然的に目の前のことに焦点をあてやすくなります。図書館も同様の空間です。自宅で今一つはかどらないときは、こうした場所のお世話になっています。

なお、そのような場所へわざわざ出かけるときは、必要最低限のモノだけを持参します。読むべき資料、書くべき原稿のみ、という具合です。私はいまだにモバイルPCもスマートフォンも持っていませんが、取り立てて不自由せず現在にいたっています。出先で調べたいことがあれば、メモをして帰宅後にリサーチするという方法で何とかなっているのです。むしろ、せっかく集中できる空間まで出かけるわけですので、「到着したらとにかくやるしかない状態」を生み出すためにも、持ち物は極限まで減らし、自分を追い込むようにしています。

要は「大変」「面倒」というときほど、そうした思いに圧倒されずにすむ「仕組み」を自分なりに考えておくことだと思うのですね。私の場合、そうした状況のときほど、あれこれ迷わずとにかく取り組むという「即時性」、そして集中力を発揮できるような「空間」、取り組んだこと自体を自分なりに喜べる(?)「自己評価」の3つを大切にしたいと考えています。


(2017年7月10日)

【今週の一冊】
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「暗渠マニアック!」 吉村生・高山英男著、柏書房、2015年

幼少期に生まれ育った横浜の家は、畑や林に囲まれた場所にありました。港や山手地区からずいぶん離れた場所です。「横浜」と言っても大きな街なのですよね。のんびりとした自然豊かな所で過ごせたのは幸せだったと思います。

当時の私の遊び場は、近所の友達と出かける空き地や林の中。近くには農業用の水路もありました。おそらく幅は1メートルぐらい。土手と土手の間にはコンクリートのポールのようなものが一定間隔に置かれていました。小さい子どもたちはそこを行ったり来たりして遊んでいましたね。もっとも、足を滑らせて下の水路に落ちたこともありますが、水深も浅く、高さも大してありませんでしたので、「わあ、濡れちゃった~」と大騒ぎしておしまい。当時は親ものんびりしていましたので、3歳ぐらいの子どもたちだけで出かけるなど当然という時代でした。

そのような水路で遊んだ温かい思い出があるからなのか、私はいまだに川や水路、暗渠(あんきょ)などに惹かれます。今回ご紹介するのは、暗渠に関する一冊です。

暗渠というのは、水路の上にふたをかけたもので、外からは水路であることがわからない状態になっています。たとえば我が家の近くには桜並木で有名なエリアがあるのですが、その並木の下は歩行者専用の道になっています。しかも両側は車一台分が通れる道路になっており、それに挟まれるような形で桜並木が続くのです。歩道自体も車道より一段高くなっています。この歩道こそが実は暗渠だったのですね。地図にはあえて暗渠の表示はありませんが、こうした特徴を持つ場所が実はたくさんあるということが、この一冊からわかります。

本書は主に東京都内および近郊の暗渠を紹介しています。興味深いのは、お二人の著者が観光資源としての暗渠を提案していること。近年、日本はアニメや和食などソフト面を国外にPRしていますが、実はこうした意外な分野も十分観光地としての魅力になりうるのですね。暗渠を巡る歴史や地理的なこと、暗渠周辺の観光地などと合わせてみると、確かに暗渠そのものが次世代ツーリズムにおける貴重な収入源になるのかもしれません。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 現在は通訳学校でも後進の指導にあたる。ESAC英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。