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放送通訳者直伝!

第303回 在宅はツライよ

最近、大学図書館で雑誌のバックナンバーをよく借りてきます。先日借りたTIMEの巻末に出ていた記事がきっかけとなり、面白い動画を見つけました。登場するのは韓国・釜山の大学で教鞭をとるRobert E. Kelly先生。BBCのニュース・インタビューに自宅からスカイプで答えていました。

ところが生放送の最中、背後のドアから先生の幼いお嬢さんが書斎に突然「闖入」してきたのです。しかもその数秒後には歩行器に乗った赤ちゃんまで!慌てた奥様が駆け込み、二人のお子さんを室外へ引っ張り出す様子が一部始終映し出されています。動画はこちらです:

http://www.bbc.com/news/world-39232538

それでも冷静沈着に先生は韓国情勢について答えていたことから、この動画はあっという間に拡散したそうです。その後、BBCの同じニュースキャスターがご一家を改めてインタビューするという状況にまで発展しました。

そちらの動画を見たところ、ケリー先生は自宅で研究をする苦労を話しつつも、件のインタビューに関しては「書斎のドアをきちんと閉めていなかった自分が悪かった」と語っています。その一方で、二人の子どもたちにとって親がapproachableであればと願っているため、完全立ち入り禁止にはしたくない、と述べていました。

自宅で仕事をするということ。

これは一見魅力的です。混んだ電車に乗らずに済みますし、家事や子育てと両立しやすいと言えます。私自身、フリーランスで生きていこうと決めたのも、それが最大の理由でした。

しかし、ケリー先生の心境も非常によくわかるのですね。書斎で仕事をすると言えども仕事は仕事であり、お給料をいただくための責任でもあります。中途半端な気持ちではできません。締め切りが迫った原稿、翌日に控えた通訳業務、大量の採点など、やるべきことは山とあります。そのような時の私はかなりの形相(?)であり、「お母さ~ん♡」と書斎に入ってきた子どもたちに向き合い、満面の笑顔で「なぁに~?」という反応とは程遠くなります。ハイ、事実です。

特に私の場合、いったん集中モードに入るとキリの良いところまで一気に仕上げたいという思いがあります。原稿を書いているときなど頭の中にあれこれ言葉が浮かんでいますので、それらが消え去らぬうちに入力せねばなりません。脳内に漂う言葉を網で捕獲するがごとく、キーボードを打ち続けているのです。その時に全く関係のない話題や音などで遮られてしまうと、ダメージが大きいのですね。自分の集中力不足・努力不足であることは大いに自覚しているのですが・・・。

では、いつ集中するのか?私の場合、子どもたちが学校に出かけている日中が勝負時なのですが、繁忙期になるとどうしても仕事がずれ込んでしまいます。午前3時に早起きして対処できれば良いのですが、睡眠不足も避けなければなりません。

我が家は二人兄妹で、時に喧嘩をしつつも二人でワイワイ話しながら家では仲良く過ごしています。ささやかな自宅ですので、話し声は家のどこにいても聞こえます。二人で替え歌を作っては盛り上がったり、学校の話題でテンションが高くなったりという具合です。そのような時にこちらが「お仕事」をすることはほぼ不可能なのですよね。よってそこは割り切って私自身も家事をしたり、たまった新聞や雑誌などを読んだりして過ごします。

しかし一日の中でも、まるで真空内に陥ったかのごとく静かになるときがあります。具体的には子どもたちが「何かに集中しているとき(勉強や読書含む)」と「入浴」です。ほんの数十分に過ぎないこともあるのですが、このときこそチャンス!たとえ料理中でも、お皿を洗っているときでも、ここぞとばかり私は家事をほっぽらかして自分の勉強や仕事に突入します。私にとっては本当に貴重な時間ですので、悩む暇はありません。そして再び子どもたちがおしゃべりを始めたりお風呂からあがってきたりしたらGame over!「えぇ?もうお風呂から出てきちゃったの?もっと長湯で良いのよ~~~」と内心思いつつ、それでもこちらにしてみれば少しでも仕事が進んだわけですので、ありがたい限りです。

理想をあえて述べるならば、「天井から床まで壁一面の本棚、書類をたくさん広げられるデスクに座り心地の良い椅子、そして外部の音を気にせず集中できるような書斎」があることでしょう。けれども現実はそうではありません。だからこそ工夫のしがいがあるのですよね。敵(?)の動向を見極めつつ、自分が「今」できることに「ひたすら集中する」。その繰り返しがあるのみなのです。在宅勤務はツライですが、そういった試行錯誤を楽しめてこそ、次に進めると私は考えています。

(2017年4月17日)


【今週の一冊】
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「『アクティブ・ラーニング』を考える」 教育課程研究会・編著、東洋館出版社、2016年

私が大学生の頃の授業と言えば、大教室に学生たちが着席し、先生の話す講義をメモするというものでした。質疑応答の時間など特に設けられず、板書を書き写すだけ。板書やプリント配布もない先生の場合は睡魔との戦いになります。昼食後の授業など恰好のお昼寝タイムでしたし、成績評価の甘い授業は「楽勝科目」と呼ばれ、出席カードだけ出して後部ドアからひっそりと退室するツワモノもいましたね。

私も決して真面目な学生ではなく、バイト疲れで授業中にまぶたが重くなることはしょっちゅうでした。意気込んで入ったサークルも2年の終わりでやめてしまい、3年生になるとバイト三昧。そのツケは4年生の時に訪れ、最終学年には土曜日の授業までフルでとっていたほどでした。当時はペアワークやディスカッション、プレゼンなどもなく、授業内容によっては私の場合、なかなかの苦行だったのです。

そのような時代から時を経た今、教育界ではアクティブ・ラーニングということばがキーワードになっています。かつて見られたような一方的な講義形式ではなく、生徒や学生たちの主体を重視するという考え方です。指導者が知識を大量に伝えるというよりも、学習者本人に考えさせ、問題を発見させ、それを次の学びにつなげていくというのが主体的学習です。

私は長年通訳学校でも教鞭をとっていますが、通訳のようにたくさんの訳例がある世界でも、受講生はついつい「正解訳」を求めがちです。大学生も同様で、絶対的に正しい答えを探ろうとしてしまいます。なぜでしょうか?おそらくこれは、それまで受けてきた教育が「解あり学習」だったからと私はにらんでいます。

「正解が一つ」というのは、実は学ぶ側にしてみればラクなのですよね。それだけ暗記すれば良いわけですし、深く考えずに済みます。けれども、そうした思考様式が身についてしまうと、何事においても常に「正解」を求めてしまうのではないでしょうか?日々の物事の選択においても、ささいな問いに関しても、無意識のうちに「正解」を探し求めてそれに安住してしまう。その結果、自分の本音が心の奥底に追いやられてしまい、生き方自体に息苦しさを覚えてしまう。そのようなことを私は危惧します。

本書は教育現場においてアクティブ・ラーニングをどのようにとらえ、どう実践しているかが各著者の視点からまとめられた一冊です。具体的な方法が多岐に渡り紹介されており、指導現場に携わる者にとってはアイデアの宝庫です。

講義一辺倒だった日本の教育界は今、大きく変わりつつあります。現場の先生方がこうして実践され、次世代の子どもたちを育てて下さっているのは心強い限りです。指導者、学生、保護者、そして日本の教育の未来に興味のある方すべてにお勧めしたい一冊です。



第302回 同じで良いの?

先日、ファッションデザイナー・山本寛斎さんの本を読みました。たまたま別のところでインタビューを読み、その個性あふれる生き方に共感したからです。私自身はさほどファッション業界に詳しいわけではないのですが、寛斎さんのお言葉ひとつひとつに励まされ、著作を探したのでした。

本の扉を開けると、明るい色彩の服に身を包んだ寛斎さんの全身写真が目に飛び込んできます。かなり華やか(いえ、正直に言えば派手!)な洋服です。けれどもその表情は生き生きとしており幸せそうです。それだけで強烈なオーラとエネルギーが放たれているのがわかります。

けれども本を読み進めるにつれて、幼少期に非常に苦労されたことがわかりました。ご両親が幼いころに離婚。お父様はその後も離婚・再婚を繰り返し、兄弟が離れ離れになったり、引っ越しや転校を繰り返したりという具合です。小さいころは引っ込み思案だったとも綴られていました。

それでもファッションへの情熱は強く、20代にしてファッションショーで大成功をおさめます。しかしそれで気を良くしてしまい慢心した挙句、パリのショーでは大失敗。業界から完全に干されてしまったのです。

しかしそこであきらめないのが寛斎さんの素晴らしいところです。鬱々とする中、借金取りに追い立てられ、一時は死のうとさえ思ったそうです。しかし、司馬遼太郎の小説を偶然読んで生きる勇気を再び得たとあります。新撰組の話に自らをなぞらえ、そこから再起をかけたのでした。

そんな寛斎さんが語る言葉には力強さがあります。生きるとは何か、どうすれば幸せになれるのかなどが本書のひとことひとことからにじみ出ています。中でも私が印象的に感じたのが、着る服が人に与える影響、そして、装いがいかに本人に幸せをもたらすかという話題でした。

寛斎さんは、「日本人はあまりにも他人の目を意識しすぎてしまう」と記します。そうした規律の良さは歴史的なものであり、世界的に見れば「秩序」として見られるでしょう。けれども本人はそれで本当に幸せなのだろうかという疑問を投げかけています。

確かに日本に暮らしていると、「皆と同じであること」による安心感は非常に大きいと思います。私自身、海外生活から帰国して成田空港に降り立った際、最初に感じたのは誰もが「きちんとした」身なりをしているという点でした。ボロボロの服やヨレヨレのものを身にまとう人はいません。清潔感があり、色彩も穏やか。日本人の国民性がそのまま表れているように感じました。

けれどもそれは一歩間違えると、他者と異なることを拒否する空気にもなってしまうのですよね。現にファッション雑誌を見ていると「悪目立ちしない」といった表現も見受けられます。「他の人と違うことをしてしまうと反感を招いてしまう。すると仲間外れになってしまう。それはコワイ。だから無難に行こう。」そんな考え方です。

これはファッションだけに限ったことではありません。食事会などで誰かがAというメニューを頼むと、何となく流れで「じゃ、私も同じで」となりがちです。英語学習も同じです。○○という勉強法がヒットすると誰もがそれに飛びついてしまう。ダイエットしかりです。

でも本当にそれで良いのでしょうか?一人一人に価値観や考え方が異なるように、本人が選ぶものもそれぞれ違って良いはずです。「みんな違ってみんないい」「世界に一つだけの花」といったフレーズが聞こえてくる割には、なぜか「違う」ということにアレルギー反応を示してしまう。そのような雰囲気を私は感じてしまうのです。

本当の幸せに向けて何をすべきか。実は心の底で本人は答えを持っていると私は思います。書店の自己啓発本コーナーには「愛され」や「好かれる」といった文言を含む書籍タイトルが並びますが、受身でいるよりも、自主的に「幸せ」を堂々と追究した方がよほど体には良いと私は思います。

もちろん、人間は弱い存在です。長いものにまかれた方がラクですし、私自身、つい流されてしまうことは頻繁にあります。だからこそ、「皆と同じで良いの?」「本当にそれで良いの?」と自問自答しながら誠実に生きていきたい。そのように最近強く思っているのです。


(2017年4月10日)

【今週の一冊】
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「あきらめない - 働くあなたに贈る真実のメッセージ」 村木厚子著、日経BP、2011年

私は指導先のクラスで学期初めに必ずとあることを質問します。それは「紙新聞を読んでいますか?」です。自宅、図書館を問わず、「紙でできた新聞」に日頃触れているかを尋ねてみるのです。

講師の仕事を始めたころは、まだ紙新聞も健在でした。クラス内の大半が「読んでいます」と挙手していましたね。けれども年を追うごとに数は減り、最近では少数派です。自宅から通学する学生でも「親が購読をやめた」という人が増えているのです。世の中がデジタル化し、「いつでもどこでもスマートフォンで電子版が読める」という時代であればこそ、この流れは必然と言えます。

それでもなお私は紙新聞にこだわります。一面から最終面までパラパラとめくる間に思いがけない記事と出会えるからです。今回ご紹介する村木厚子さんの本を読むきっかけも、日経新聞に出ていたインタビュー記事でした。

村木さんは数年前に郵便不正事件で逮捕・起訴されたことがあります。裁判では無罪となりますが、拘置所での村木さんはこう考え続けたそうです。「今やるべきは体調を崩さない。気持ちが折れないようにする、裁判の準備をしっかりする、の3つだけだ」。

シンプルに3つの柱を心の中に打ち立て、戦い抜いた姿に私は感銘を受けました。そのような思考に至るまでどのような人生を歩んできたのかに興味を抱き、本書を入手したのです。

タイトルの「あきらめない」にある通り、仕事も子育ても村木さんは決してあきらめず、コツコツと歩み続けてきました。過去を悔やまず未来を憂えず、今できることは何かを必死に考える姿が本文からはわかります。悲壮感は決してなく、むしろ精一杯今を生きておられることが感じられます。

村木さんは「悩む」ということについて、「悩むなら上手に悩む」と述べています。そう、ウツウツと堂々巡りになっても先には進めないのですよね。一歩でも前進するにはどうすべきか。同じ「悩み」でも建設的な前進作業のためであれば、これは有意義であると私は感じています。


第301回 モチベーション維持のための10カ条

英語の指導をしていると、モチベーションに関するお悩み相談を受けることがあります。本当は勉強したいものの、今一つ気分が乗らなかったり、進捗状況が芳しくなかったりしてしまう。それで落ち込んでしまう、というのです。

私にも覚えがあります。特に通訳者デビューをめざして専門スクールで学んでいたころがそうでした。クラスメートの見事な訳に圧倒され、「それに比べて自分は・・・」と落ち込んでしまうのです。知識不足に単語力欠如、英文構築力の稚拙さなど、課題を挙げればきりがありませんでした。

それでも何とか投げ出さずに続けられたのは、ひとえに「好奇心」があったからだと思います。と同時に、自分で自分をどのようにして前向きにさせるかを試行錯誤した結果だと感じます。そこで今回はモチベーションを保つうえで私が意識している10項目をご紹介します。順不同ですが、何か一つでも参考になれば幸いです。

1 本を読む
私の場合、本を通じてたくさんのことを吸収してきました。ポイントは「一字一句読まないこと」と「つまらないと思ったらすぐに読むのを止める」ことです。読んでいるさなかに幸せを感じられないなら、それは苦行にすぎません。大事なのは自分を幸せにしてくれる文章を探し求めて多様な本を濫読する。そしてその中で一つでも心に残ることばに出会えたら良しとすることです。

2 元気が良い人に接する
日常生活の中で私は「元気が良い人」を探すようにしています。たとえばスーパーのレジに並ぶ際にも一番にこやかで挨拶の美しい人の列に敢えて並びます。そして自分の番になった時にはちょっとしたおしゃべりをしてみるのです。天気の話題や「今日は混んでいますね」などといったことでもOK。元気な方は必ずこちらの話題に応えて下さいますので、そこからエネルギーを頂いています。

3 美しいものを求める
独身の頃は国内外の旅行や出張によく出かけましたが、子育てが始まってからはもっぱら地元に留まることが多くなりました。けれども季節の移り変わりや美しい光景は身の回りにたくさんあるのですよね。朝焼けや夕焼けの美しさ、季節の木々や花々など、うっとりするような色遣いの美は探せばいくらでもあります。そうしたものを愛でる気持ちを大切にしています。

4 かわいいものを身近に置く
私の先輩でいつもかわいいグッズをお持ちの方がいます。キャラクターであれ元気の出る色であれ、「自分がかわいいと思えるもの」を身近に置いておくと、それを見るだけでエネルギーが感じられるのですね。ちなみに私が持っている「かわいい系」はキーリング。旧東ドイツの歩行者信号に描かれていたアンペルマンのデザインです。

5 他者の「手」を借りる
ヘアサロンやネイルサロンで施術してもらうと、物理的に他者の「手」で「気」を頂くことができます。「マッサージなら自分でストレッチするからいいや」と以前の私は考えていましたが、それだと不十分であることに気づいたのですね。以来、体のメンテも仕事のうちととらえ、定期的に通うようにしています。

6 自分を褒める
ついつい私たちは自分のダメな部分を拡大視してしまいますが、それではますます落ち込むばかりです。たとえ気分が乗らない日でも「今日はタオルをきちんと揃えてたたんだ」「駅の自動改札で他人に譲った」など、ちょっとしたことで構いませんので自分の「功績」をきちんと顧みて自らを褒めるように私はしています。

7 憧れの人を探す
歴史上であれ身近な方であれ、自分にとって「憧れ」の方がいると、生きていく上での指針になります。私は辛くなったとき、自分の憧れの人を思い出し、「○○さんならどうするだろう?」と考えます。そうすることで新たな見方が自分の中に生まれ、もう一歩踏み出す勇気が出てきます。

8 標語を作る
私は「今月の標語」と「毎週の標語」を手帳に書き込み、毎朝必ず見ています。標語と言っても大それたものではありません。自分が目標にしたいことや、読んだ本の中で印象的だった文章を書き写したものです。ポイントは朝一番でそれを読むこと。「よし、今日も頑張ろう!」と自分に言い聞かせながら読んでいます。

9 体を動かす
悩んだときというのは気分がどんよりしてしまいますよね。私は落ち込むと椅子に座ったままグジグジ悩み始めてしまうのがいつものパターンです。けれどもそれでは一歩も前進しません。以前聞いていたフィットネスのpodcast番組では合言葉がStand up, take a step, repeatでした。そう、とにかく立ち上がって一歩を踏み出し繰り返す。それだけなのです。

10 寝る
モチベーション維持で一番必要なのは、十分な睡眠だと私は考えます。気力が失われる理由のほとんどが疲労によるものだからです。「疲れたな」と思ったときは無理をせず、とにかく私は寝ます。年齢と共に踏ん張りがきかなくなるからこそ、睡眠を大切にするようにしています。

いかがでしたか?私自身、人間ですのでそれでもうまくいかないことはたくさんあります。だからこそ自分なりに試行錯誤しつつ、これからもモチベーション維持を大切にしていきたいと思っています。


(2017年4月3日)


【今週の一冊】
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「美しき英国のパブリック・スクール」 石井理恵子著、太田出版、2016年

最近イギリスの学校について調べる機会があり、以来、私の頭の中では「イギリス、教育、カリキュラム、パブリック・スクール」などがキーワードとして存在しています。そのような時というのは面白いもので、日常生活の中でもそうしたことばに反応するようになるのですね。新聞で同テーマの記事に遭遇したり、書店でもそういった本が目に入ったりという具合です。

今回ご紹介するのはイギリスのパブリック・スクール4校を取り上げた一冊です。厳密にはイングランドにある4校とスコットランドの2校です。私がイギリスに暮らしていた1970年代と比べると、イギリスもだいぶ階級差が緩くなってきたと思いますが、まだまだパブリック・スクールに進学できるのは、一部の富裕層であることに変わりはありません。年間の授業料が日本円にして数百万円かかるのです。数年間通い続ければ、日本の私立医科大学に通学するのに相当する学費となるでしょう。

イギリスにはnoblesse obligeということばがあります。恵まれた立場にいる者には義務や責任があるという考えです。パブリック・スクールのような場所で一流の教育を受ける機会があった者は、いずれ社会に出て自らのちからを世の中のために還元せねばならないのですね。本書に描かれているEtonやHarrowからは歴代の首相を始め財界人などが多数誕生しています。パブリック・スクールを出たらオックスフォードやケンブリッジ大学などに行くのは当たり前。そこでさらに自己を磨いて社会のお役に立てるような人生を、というわけです。

本書はカラー仕立てになっており、歴史ある各校の様子がわかります。イギリスの名門校の校舎はどれも重厚で歴史的重みがあります。広大な芝生は青々と茂り、サッカーやクリケットはもちろんのこと、乗馬もできます。スポーツだけでなく音楽や芸術にも力を入れており、文武両道をめざしていることがわかります。

ハリー・ポッターにも描かれているイギリスの学校生活。本書をめくることで日本にいながらにしてイギリスの教育に触れるのも楽しいことでしょう。


第300回 自己添削で元気に

先日のこと。心身ともにくたびれる事象に遭遇しました。今思い返せば大したことではなかったのですが、渦中にいると人間は正面からその打撃を受けやすいのですよね。私の場合、心も体もクタクタになったのでした。

いつもであれば時間の経過とともにリカバーできるのですが、今回は異なりました。数日たってもズルズル引きずっており、ネガティブ思考街道まっしぐらとなったのです。そしてとうとうドン底に到達したのでした。

私の場合、「ドン底」というのはこれまで何度か経験しています。覇気がなくなりヤル気も出ない。「何もかも嫌~!」という感じです。第一子出産後、私は産後鬱になって投薬治療をしたことがあります。それから数年後も色々と悩んでカウンセリングに通ったことがありました。その頃と同じようなドンヨリ感に襲われてしまったのです。これはまずいと思い、夫には事前に「ごめん、もしかしたら鬱の前触れかも」と伝えました。

幸い家事や子どもたちの面倒などを夫がいつも以上にサポートしてくれたおかげで、私はその日、早く床に就くことができました。そして翌朝目が覚めると何と10時!実に11時間も昏々と眠っていたのです。要はものすご~く疲れていたのですね。

体力はおかげで回復しました。あとは気力をどう引っ張り上げるかだけです。だいぶ気持ちも前向きになってはいました。けれども私の場合、あのような心境になってしまうと何かがきっかけでまた逆戻りということになりかねません。そこでその日は一人にさせてもらい、スポーツクラブへ直行。お気に入りのレッスンを受けて汗を流してスッキリし、友人たちと他愛もないおしゃべりをしてだいぶ復活しました。そしてそのあとはいつも仕事で使っているカフェへ直行したのです。

到着後、私はノートを取り出し、自分の思いをただただ書き連ねました。日頃のストレスや不満、何に対して疲れているのかなど今回のきっかけとなった出来事についても振り返ってみました。過去のことだけでなく現在や未来についての不安や葛藤なども綴っていきます。後で時計を見てみると、1時間ほどひたすら書き続けていました。

さあ、この後が本番です。赤ペンを取り出し、今書いた文章を「添削」していきました。高校時代に私はベネッセ(当時は福武書店)の「進研ゼミ」をとっており、「赤ペン先生」直筆の丸やコメントが大好きでした。あの要領で自分の文をひたすら見直すのです。ポイントは「ポジティブな反論」をただただ赤ペンで書き込んでいくというものです。

たとえば「食べ過ぎて体重が増えた。ストレスがたまるといつもこうだ!」という文に対しては「食べ過ぎて」の下に赤線を引き、ふきだしを付けて「でもスイーツは一つで我慢したじゃない?すごいよ!」と書き込みます。「いつもこうだ」の部分には、「大変よねえ。でもストレスにさらされるとこうなる人って結構いると思うよ」とコメントします。このような具合に自分の文章にツッコミや第三者的意見を書きこんでいくのです。

そして最後まで到達したら「総評」を記入します。この日私は「A+」と、まるで大学の定期テスト採点のごとくグレードまで付けました。さらに「今まで大変だったのですね。自分の思いをよく吐露できましたね。本当に頑張ったと思います」などなど、赤ペン先生がねぎらうがごとく、総合コメントを書き込んでいったのです。

ここまでやり終えてようやくスッキリしました。と同時に気力も復活してきました。最初に書き連ねた自分の不満や愚痴なども、読み返してみるとかなり偏っていたりこじつけだったりということに改めて気づかされたのですね。別の視点で自分をねぎらってみると、それまでウジウジ悩んでいた項目も「大したことでなかったのかも」と思えるようになったのです。これは私にとって大きな発見でした。

今後も悩んだときはとにかく書き出し、「自作自演(?)赤ペン先生」になりきりたいと思います。そうそう、次回への改善点もありました。「ノートは一行おきに使う」です。何分、今回はビッチリ書き込んでしまい、赤ペンのコメントを書ききれませんでしたので!

(2017年3月27日)

【今週の一冊】
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「世界のお墓文化紀行:不思議な墓地・美しい霊園をめぐり、さまざまな民族の死生観をひも解く」 長江曜子著、誠文堂新光社、2016年

小学校2年生で父の転勤に伴い、我が家はオランダ・アムステルダムへ転居しました。オランダはヨーロッパ大陸の一部であり、高速道路は無料です。おかげで車を使ってヨーロッパのさまざまな場所を訪れることができました。

とある冬休みのこと。休暇で向かったのはドイツのモーゼル川地方でした。ワインで有名な地域です。このとき泊まったコブレンツの街はモーゼルがライン川に合流する場所で、昔から交通の要として知られています。宿泊したのは教会の隣にあるホテルでした。

長旅で疲れていたのですが、なぜか私はその晩、一睡もできなかったのです。理由は「教会の鐘が15分おきに鳴っていたこと」でした。うとうとしかけると鐘がなり、定時の00分になると少し長めのメロディが聞こえてきます。私は音楽が好きなのですが、そのときは真夜中でも教会から奏でられる旋律に不気味さを感じたのでした。以来、14歳で日本に帰国するまで、私にとって教会や鐘というのはおごそかでありながらも少々コワイ存在になってしまったのです。

しかし両親はヨーロッパの教会や遺跡などを好み、旅先もそうした場所ばかりを選んでいました。子ども心に苦手意識は結構長く残っていたことから、私同様の価値観の人はいないかと探したものです。そこで伯母に「日本のお墓と教会の十字架のお墓だったらどっちが良い?」と尋ねてみると、伯母は日本のお墓の方が好きとのこと。「やった!私と同じだ!」となぜか心の中でホッとしたのでした。

そのような昔の出来事をふと思い出したときに偶然出会ったのが、今回ご紹介する一冊です。本書は世界各地のお墓を撮影した写真集となっています。私が幼いころ抱いたニガテ意識を忘れさせるぐらい、お墓の文化を多様なアングルからとらえた美しい装丁です。写真だけでなく、宗教や風習、歴史などの説明も充実しています。

写真というのはことばよりも一瞬でインパクトを読み手に伝えることができます。たとえばアメリカでは棺をクレーンで運ぶこともあるそうです。墓地の中に黄色い重機自動車が存在する様子は何とも不思議な感じがします。一方、ガーナ北部のクサシ族は墓碑の代わりに土を盛り上げ「土饅頭」のようにしています。イタリアのヴェネチアには墓地だけの島・サンミケーレ島があります。これはナポレオンが発案したそうです。

死や墓などはついタブー視されがちですが、その背後にはそれぞれの文化や慣習があります。こうした角度からとらえるのも異文化コミュニケーションの一環なのでは、と私は感じています。



第299回 「なぜ?」ではなく、「どうする?」

先日のこと。とある案件で担当者とやり取りをした際、あやうく連絡ミスで大変になりかけたことがありました。幸い早めに気づいたおかげで事なきを得たのですが、正直、かなり焦ったのは事実です。

「なぜこのようになったのだろう?」と私なりに考えてみました。そこでわかったのは、「(1)当事者同士がやり取りすれば良い内容だった、(2)しかし実際には間に複数の人が入っていた、(3)ゆえに連絡が行き届かず誤解が生じた」ということでした。今回は少人数だけの問題で済みました。けれどもこれが大企業ともなれば、大問題になります。会社の不祥事などは、実はこうした小さなことが雪だるま式に膨れ上がって生じてしまうのでしょう。

この件を機に、「失敗」について調べてしました。そこで読んだのが「失敗学のすすめ」(畑村洋太郎著、講談社、2000年)でした。畑村先生によれば、やはり失敗を分析し、再発防止を防ぐのが大切とのことです。今回私が体験したことに当てはめると、最初の段階で私から担当者に対して「では、○○さんには私から直接連絡します」と一言伝えれば済んでいたのです。本書から教訓を得ることができたのでした。

ちなみに通訳現場でも私はたくさんの失敗をしてきました。数字を間違えてしまった、誤訳をしてしまった、思い込みで正反対の内容に訳してしまったなど、今思い出しても散々だったことは数知れません。経験を積むことで「決定的な誤訳」を避けられるようにはなりましたが、それでも毎回仕事の終了時には「ああ、あの単語も拾えなかった、あの話題も付いていけなかった」と思いながらトボトボと通訳現場を後にします。

デビューして間もないころ、私は某大手企業に期間限定の社内通訳者として派遣されました。正規職員として社内通訳に携わる大先輩と二人一組で取締役レベルの通訳業務を仰せつかったのです。私から見るとその先輩の通訳はほれぼれするほど素晴らしく、自分の訳があまりにも拙いことに恥ずかしさを覚えたのでした。

とある会議でのこと。取締役のお一人には英日完璧バイリンガルの方がいらっしゃいました。その方が、先輩通訳者の訳を聞き終えた後、突然こうおっしゃったのです。"I don't think that's what Mr. X wanted to say. The interpreter got it wrong." そう、先輩通訳者の完璧な訳に対して「ダメ出し」をなさり、そこから改めてX氏の述べたことをご自分なりに訳されたのでした。

確かにその方の訳の方がX氏の意図に近い部分はあります。けれども先輩通訳者の訳でも私には十分と思えました。ただ、社内会議というのは、微妙なニュアンスなども含む必要があるのですよね。その会議に至るまでの経緯、社内の雰囲気など、様々なことが積み重なって今に至るのです。先輩通訳者は最大限の努力で訳出なさっていましたが、以前からいらっしゃる取締役の皆さんにとっては、もっと踏み込んだ部分まで訳出してほしかったということなのでしょう。

通訳という仕事は、「辞書通り訳したからOK」というものではありません。私自身、「えぇ?そうおっしゃったから、その通り訳したのに。ダメ?なんでぇ?」と心の中で悲痛な叫びをあげることがあります。自分では正しい訳をしたつもりなのに、お客様から単刀直入に、あるいはやんわりと指摘されたことも一度や二度ではありません。そのたびに悔しさと恥ずかしさでその場から逃げ出したいと思ったものです。

でも、主役は私ではなくクライアントです。「お客様にご満足いただけないなら、それは私のミスなのだ」と私は思うようになりました。

ではどうするか?数字ミスであれば、数字の通訳訓練をするのみです。知識不足ならばひたすら本を読み、背景知識の強化を図るだけです。失敗から謙虚になり、トレーニングするしかない。スポーツ選手と同じです。

「なぜ間違ってしまったのだろう?」と自問自答することは構いません。原因を特定すれば解決策を考えられます。けれども、「あの時ああしておけば」「どうしてあんなことを」と悔やんでも一歩も進めないのです。「後悔」というのは確かに自らを謙虚にする貴重な作業ですが、それも行き過ぎると「でもあの時は○○だったから」と言い訳も出てきます。つまり「後悔」には、「できなかった理由」を述べ立てる危険性がもれなくついてくるのです。

明らかに自分の力不足・勉強不足であれば、改善できるような作業を行動として起こすしかありません。「なぜ?」ではなく、「じゃ、どうする?」という言葉を自分に投げかけ続けなければならない。そう私は思っています。

そしてこの「では、どうする?」という問いかけは一生続くと私は考えます。


(2017年3月21日)

【今週の一冊】

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「地球の今と歴史がわかる ビジュアル世界大地図」 左巻健男監修、日東書院、2014年

先日大学図書館の新刊コーナーで、興味深い本を見つけました。「知っておきたい化学物質の常識84」(SBクリエイティブ、2016年)です。ちょうどその時私は毒物や化学物質などについて勉強したいと思っていました。と言うのもマレーシアで金正男氏が殺害されたばかりだったからです。その本には日常生活の中にある化学物質についてわかりやすく解説しており、とても参考になりました。それを機に、著者の左巻健男先生の本を探したところ見つけたのが、今週ご紹介する一冊です。

本書は翻訳本で、元はDorling Kindersleyが出しています。この出版社はイギリスを拠点としており、ビジュアル系の本をたくさん出版しています。私は日ごろ通訳の予習をする際、「子ども向け本」をまずは読みます。ドーリング社はそうした書籍をたくさん出しているのですね。今回ご紹介する本も年齢を問わず親しみやすい作りです。

少し大きめのハードカバー本をめくってみると、自然や生きもの、歴史や文化など多様なアングルから地球をとらえているのがわかります。どのページも見開きで世界地図があり、もちろん、イギリス発行だからなのでしょう、センターにはイギリスが位置しています。私は地図が好きで自宅でも地図帳を愛用しているのですが、本書の場合、テーマ別に描かれており、見やすくなっているのが特徴です。

中でも目を引いたのは「隕石」です。たとえば南アフリカでは18億年前に直径10kmもある小惑星が「フレーデフォート衝突構造」というクレーターを作りました。ちなみに世界最大の衝突クレーターは直径300kmもあるそうです。思わず「君の名は。」を思い出さずにはいられませんでした。

巻末には索引が充実しています。手元に本書を置いておけば、通訳準備はもちろんのこと、好奇心に応じてたくさんの知識を吸収できることでしょう。ちなみに索引で「ジェットコースター」を見つけたのでそのページをめくってみたところ、日本はジェットコースター大国だったのですね。世界最大の落下角度を誇るのは富士急ハイランドの「高飛車」だそうです。その角度たるや121度!高度恐怖症の私には縁遠い世界・・・です!




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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 現在は通訳学校でも後進の指導にあたる。ESAC英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。