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放送通訳者直伝!

第261回 Do the first things first

日本と海外の大学における大きな相違点。それは「学生本人がどれだけ自主的に勉強するか」だと私はとらえています。海外の大学でも学期初めにシラバスが配られ、そこには課題図書や参考文献のリストがあります。日程ごとにテーマと事前課題が記され、学生たちは文献を自分で読み解きながらそのテーマについて授業日までに考えていきます。講義型の場合、授業当日に講師から詳しい説明がなされ、学生たちは事前に予習してきた内容をその場で確認することになるのです。よって、何も読まずに出席することも物理的にはできますが、授業内容を吸収することは難しくなります。

こうした厳しさがあることは、留学前の段階で私も知っていました。大学院の場合、1、2年間の大学院生活の間に読破する書籍を積み上げると、自分の背丈よりも高くなると言われたことがあります。初めてそれを耳にしたときは「まさか!」と半信半疑でしたが、いざ大学院生活を送り始めると、まさにその通りだと痛感したのでした。

ところで「課題図書リスト」と言えば、今でも強烈に思い出すことがあります。ロンドン大学の修士課程で社会行政学を学んでいたときです。初回授業のオリエンテーションに出席し、シラバスが配布されました。パラパラとめくると、そこには学術書のリストが山のようにあり、さらに論文集の紹介もたくさん掲載されています。「うーん、すべてを読むことは今の私の英語力では無理!どうしようかなあ」と思いましたが、「ま、悩んでも仕方ない。まずはランチ!」と授業の後、のんきにも私は学食へ向かったのでした。

お腹も膨れていざ図書館へ行ってみたところ、先のリストに指定されていた文献は何とほぼ貸し出し状態になっていました。そう、「私は文献を借りる」という時点で早くも出遅れてしまったのです。課題図書は「発行年度が新しい順」でシラバスに記載されていたのですが、そうした最新文献、すなわち学術界で最も新しい内容が記されている本はすべて貸し出されてしまい、かろうじて残っていたのは、古い文献数冊のみでした。

さあ、困りました。来週までにとりあえず第2回授業の文献をそろえて読みこなさなければ、授業についていくことはできません。ただでさえ英語力のハンデがある中、「文献探し」に「購入」という時間的・金銭的な消費は貧乏学生に応えました。とは言え、愚痴を述べても進展しません。結局、ロンドンの大型書店をはしごして何とか手に入れることができました。

いざ購入はしたものの、分厚い専門書をどう読み進めるかも私にとっては未知の世界でした。日本での大学時代に文献をどのようにしてメリハリをつけながら読むのかなど実践したことも習ったこともありません。仕方がないので、まさに「表紙」から始めて序文、謝辞とご丁寧にも読み、ようやく目次に到達しました。

慣れない英語を大量に読んだことで、この時点ですでに疲労困憊です。けれどもまだ本題にも入っていません。仕方なく、ただただ読むことを続けましたが、結局徹夜を何日続けても進まず、しかも寝不足と疲労で読んだ内容は全く吸収されずと、さんざんな展開になりました。

文献を買うメリットは、自分の意見や単語の意味を書き込んだり、重要なページを折ったりすることができる点です。しかし、学生の場合、図書館本にも大きな利点があります。それは同じ書籍を先輩方もおそらく読んだであろうことから、重要な個所はページが自然と開くのです。いわば「読んだ跡」がページの開き具合によってわかるのですね。書籍によってはうっすらとアンダーラインが引かれているものもあり、「あ、なるほど~、ここが重要なのね」と推測することもできました。

「連続徹夜のおかげで何とか授業についていけた」と書きたいところですが、私の場合はヘルペスに見舞われてしまい、強烈な皮膚の痛みと共存するというおまけがついてきたのでした。大事なのはDo the first things firstなのですよね。

(2016年5月23日)

【今週の一冊】
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「レニングラード封鎖:飢餓と非情の都市1941-44」 マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳、白水社、2013年

先週このコーナーでも取り上げたレニングラード封鎖。前回は音楽的観点からの一冊でしたが、今回ご紹介するのはレニングラード封鎖全体をイギリスの歴史家がとらえた書籍です。主に生存者への聞き取り調査や、歴史的史料からの考察で成り立っています。

独ソ不可侵条約があったにも関わらず、なぜヒトラーはそれを裏切って攻め込んでいったのか。フィンランドがドイツに加担する背景に潜むソ連への感情。レニングラード市民の絶望や飢餓、そして希望など、様々な観点から本書は展開します。包囲されていても、攻撃をされても、なるべく日常生活を営むことで抵抗の心を見せる人々の様子や、燃料や食料を断たれてもなお、図書館で本を読み続ける人の姿などが本書には出てきます。そうしたことを読み進めるにつれ、「レニングラード封鎖」というひとつの歴史的事件は人間味を帯びたものとして読者に伝わってきます。

本書にもショスタコーヴィチの交響曲第7番についての記述がありました。完全封鎖状態の中、ショスタコーヴィチが書き上げた楽譜の写し(マイクロフィルム)は空路テヘランへと輸送され、その後陸路でカイロへと移動し、ニューヨークまで空輸されてアメリカでも上演されました。一方、1942年8月9日にレニングラードでこの曲が演奏された様子はラジオで中継されましたが、拘束されていたドイツ兵は、「ここまで攻め込んでもなお、これだけの曲を演奏する」というレニングラード市民の姿から「この街を攻め落とすことはできない」と驚愕したそうです。

ところで訳者・松本幸重氏は「ヒトラーの最期 ソ連軍女性通訳の回想」(白水社、2011年)も翻訳なさっているそうです。こちらも読んでみるつもりです。


第260回 使命感で仕事をしているか

ふとしたきっかけや読書が契機となり、尊敬すべき人物に出会う。これほど幸せなことはありません。私が敬愛するジャーナリストの故・千葉敦子さん、精神科医の神谷美恵子先生、「森のイスキア」主宰の佐藤初女先生、指揮者のマリス・ヤンソンス氏の4名には共通点があります。それはいずれも「仕事における使命感」です。

4人は生きた時代も職業も異なるのですが、それぞれ「他者」のために自分ができることを熟考しながら、「今」を精一杯生きておられます。「有名になりたい」「カッコよく仕事をしたい」「賞賛されたい」という思いからはいずれもかけはなれており、それどころか、むしろそうした顕示欲の対極に4者はいらっしゃいます。

先日のこと。この4名に加えてもう一人、素晴らしい方に出会いました。ジャパネットたかたの前社長・高田明氏です。

私はテレビ通販でモノを買うことはほとんどありません。また、テレビの放送通訳業をしている割には、自宅でテレビを視聴しない生活を送っています。それでもごくたまにチャンネルをザッピングしていて、高田氏のあの独特の口調に魅せられ、見入ったことが幾度かありました。

放送通訳者として私は「ニュースをいかに視聴者に理解していただけるか」「そのために自分はどのような通訳をすべきか」という思いを常に抱いています。今の時代、テレビを見る人自体が少なくなっていますので、もしかしたら自分がオンエア中に私の同時通訳を聴いている人はごく少人数かもしれません。「たった一人の方でも良い。その人が私の日本語訳を通じて世界情勢に目を向けて下されば」という思いが私の中には強くあります。

もう一つの私の仕事・英語講師の場面も同様です。教師ができることは勉強の方法やきっかけを与えることであり、学生の「代わり」に私が勉強することだけはできません。教材を通じて、あるいは授業内の私の話を機に、学習者たちが自ら学び始めること。それが私に課された役割だと思っています。

そのような思いを抱いていたとき、運よく高田氏の講演会に抽選で当選しました。テレビで拝見するのとまったく同じ、明るく笑顔で覇気あるお声の高田氏が登壇され、聴衆はすっかり魅了されました。ユーモアあふれる講演は、歴史の話から高田氏が読んだ書籍の紹介まで盛りだくさんでした。多岐にわたるお話を伺い、高田氏がいかに努力家でたくさんの書物から多くのことを吸収されてきたかがわかります。

中でも印象的だったのは、「今」を生きるということ。「過去や未来でなく、今、この瞬間を生きることがすべての問題を解決する」というお話は、目からうろこでした。私たちはついつい過去を悔やんだり、未来に不安感を抱いたりしてしまい、「目の前の瞬間」から魂が抜け出てしまっています。今を大切に生きるということは、私が敬愛する先の4名の方々も日頃から実践なさっていることなのです。

高田氏は、「ラジオのように映像がない状態であっても、心で喋ることはできる」とおっしゃいます。私が携わる通訳の世界も、「耳を通じて入ることば」だけですが、「伝えたい」という思いや熱意は必ず聴衆によって受け止められると私は信じています。

「優越感もなく劣等感もない」と奥様に指摘されたいう高田氏。他者と比較するのでなく、「今」を生き、自分のペースで自己更新を行い、目標を変えていく大切さを、講演会では繰り返し説いていらっしゃいました。私も通訳や指導の場において、使命感を改めて意識し、今を大切にしていきたいと思います。

【今週の一冊】
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「戦火のシンフォニー:レニングラード封鎖345日目の真実」 ひのまどか著、新潮社、2014年

きっかけは一通のメールマガジンでした。私は旧ソ連・ラトビア出身の指揮者マリス・ヤンソンス氏の大ファンで、これまでの来日公演は欠かさず聴きに行っていました。チケットを購入したのがきっかけで、その音楽エージェントからはメールマガジンが送られてきます。

ここ数年、購読メルマガ数が増えすぎたこともあり、だいぶ配信停止をしてきましたが、その会社だけは解除せずにいました。そして先日のこと。送られてきたメルマガをななめ読みしていたところ、「ショスタコーヴィチ」の名前が目に入ってきたのです。

ショスタコーヴィチは旧ソ連時代を生きた作曲家です。私が最初にその名前を知った高校生の頃は「難解な現代音楽家」というイメージしかありませんでした。ところがヤンソンスがショスタコーヴィチの作品をCDでたくさん出していたこともあり、少しずつ私も魅了されていきました。

今回ご紹介する一冊は、音楽作家・ひのまどかさんが第二次世界大戦中の「レニングラード封鎖」とショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」の演奏を歴史的史実に基づきながら解説しています。当時、ソ連はナチスドイツの攻撃を受け、レニングラードも四方八方から封鎖されました。市民たちは軍事攻撃だけでなく、食糧ルートも断たれたため餓死者も出るほどの状況に直面していたのです。そうした危機的状況の中、ショスタコーヴィチは勇敢にも交響曲7番を作り上げ、楽団員たちが戦火の中で演奏したのでした。

私は高校で世界史を履修していましたが、戦争についての知識は恥ずかしいほど乏しいままです。先日、広島の原爆資料館で見た展示物から新たなことを知り、衝撃を受けたばかりでもあります。そして今回、一通のメルマガに記された「ショスタコーヴィチ」の一言から、ひのまどかさんの講演会を知り、レニングラード封鎖について調べ、本書を入手するという経緯になったのでした。

戦争がもたらすものは「破壊」しかありません。けれどもそのような絶望の最中に、それでもどうやって前へ進むかを考えるのが人間だと思います。本書の執筆のためだけにゼロからロシア語を学び、徹底取材をなさったひのまどかさんのおかげで、私たち読者は歴史への認識をさらに深めることができるのです。



第259回 1年間の高校授業

大学時代に私は様々なアルバイトを経験しました。スーパーのレジ係、ファストフードの店員、デパートの催事売り場スタッフ、棚卸のアルバイトなどなどです。学生時代はサークル活動もしており、それに時間を割かねばいけなかったため、私のバイト選びは「単発・短時間でバイト代が高いもの」でした。当時は今のようにインターネットがなかったので、もっぱらバイト情報誌とにらめっこしていましたね。単発バイトは掲載後すぐに定員になってしまうので、いかに早く電話をかけるかがカギを握りました。

色々と数だけは経験したアルバイトですが、大学時代に唯一できなかったのが「塾講師」でした。一対一の家庭教師は継続的にしていたのですが、教室で生徒たちを前に指導をするという経験がなかったのです。大学卒業後は普通に会社に入りましたので、塾講師をしていなかったことは特に気に留めませんでした。

ところがロンドンのBBCを退職して日本に帰国した直後、「授業」を担当するという状況に直面したのです。当時我が家は夫婦ともども仕事を探さないままBBCから帰国し、日本では失業状態でした。その後、塾講師経験のある主人が幸いなことに通訳学校の講師を務めるようになり、何とか収入にはありつけるようになりました。ところが主人が別の学校へ移ることになり、通訳学校での授業を誰かが引き継がねばならなくなったのです。そこで名前が挙がったのが私でした。もともと通訳者ですので、通訳を教えることもできるだろうと思われたのです。

けれども「通訳業に携わること」と「通訳を教えること」は全く異なるのですね。共通点は「通訳」という2文字ぐらいで、実践と教育は大いに違います。当初私は何とかなるだろうと楽観的だったのですが、いえいえ、そう簡単には行きません。指導の世界というのは私が思っていたほど甘いものではなかったのです。授業計画を念入りに立ててもうまくいかず、なかなか慣れることもできずに非常に苦戦したことを今でもよく覚えています。

それでも何とか「教える」という行為に慣れてきた私は、社会人だけでなくもう少し自分の指導層を広げたいと考えるようになりました。そのとき偶然にも地元自治体の広報誌で高校の英語非常勤講師を募集していることを知り、迷うことなく応募しました。大学時代に英語の教職をとっていましたし、通訳学校の授業レベルと比べれば、高校生はもう少し指導しやすいはずと思っていたのです。

しかし結果は惨憺たるものでした。教育というのは、年齢層が高いほど、あるいは目的意識がはっきりしている人ほど、実は指導がしやすいのですね。通訳学校の場合、受講生の大半は社会人であり、お金を払ってでも通訳の勉強をしたいという方ばかりです。授業での目の輝きも真剣で、高い授業料を払った以上、一生懸命勉強しようという傾向があります。

一方、私が担当した高校1年生は、いわば「つい先日まで中学生だった」という子たちでした。英語が好きな子もいれば大の苦手という生徒もいます。部活で寝不足になり、授業中バクスイという子たちも見受けられました。そうした生徒たちを、通訳学校の受講生同様のスタンスで教えることには無理があったのです。

私が担当したのは「コミュニケーション」という科目でしたが、ふたを開けてみると主に英文法や英作文を指導するというものでした。私は帰国子女で英文法や作文はそれまでずっとフィーリングで取り組んできたのです。なぜ高校生がこの箇所で間違いやすいのか、どうすれば理解できるかという観点からの指導が私には全くできませんでした。そして、その高校での授業は私にとって苦しいものとなっていったのです。1年間試行錯誤を続けたのですが、「自分には高校生を指導できるだけの実力がない」との結論に至り、その年度を持って退職してしまいました。

当時の生徒たちのことを思い出すと、自分の未熟さゆえに申し訳ないことをしてしまったと今でも反省することしきりです。もっともっと努力すべきだったと思います。当時の教え子たちが何とか自力で飛躍し、社会人となった今、羽ばたいていてくれればと願うばかりです。

この経験から私が感じたこと。それは、どうしてもうまくいかないときは自分の中で猛省し、心の中で詫びる以外ないという点でした。そしてそこから自ら教訓を得て、同じミスをしないように生きていくしかないのです。今、大学生や社会人を私は教えていますが、あの高校での1年間の授業は私の中に大きな「忘れ得ぬ出来事」として残っています。心が弱くなったり、怠けたりしそうになると、当時を思い出しては自分を叱咤激励しています。

(2016年5月9日)

【今週の一冊】
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「午後には陽のあたる場所」 菊池桃子著、扶桑社、2015年

菊池桃子さんと言うと、私にとってはアイドル時代の彼女の記憶が印象に残っています。しばらくお名前をお見かけしない時期が続きましたが、つい最近、注目する出来事がありました。菊池さんが、今問題となっている日本のPTAについて勇気ある発言をしたのです。それはニュースとして取り上げられ、大きな話題になりました。ことPTA問題に関しては私自身、「保育園落ちた」問題と同じぐらい大変な状況だと感じます。進展させない限り、それこそ「PTA問題があるから子どもを産まない」という女性が増えかねません。それぐらい逼迫していると私は思っています。

さて、今回ご紹介する本は、桃子さんにとって実は初著書なのだそうです。結婚、二人のお子さんの出産、離婚を経て大学院で修士号を修めた菊池さんですが、その陰には実に多くの苦労をされています。特に第二子のお嬢さんが赤ちゃんの頃の脳梗塞の影響で体に不自由があり、教育をめぐり母親として奮闘する様子は本書に詳しく記されています。

本書を読み進めると、タイミングや行動力、チャンスがいかに人生に大きく作用するかがわかります。私にとって桃子さんと言えばほんわかしたイメージでした。けれどもお子さんやご自身の学問などに関しては、静かなる情熱を秘めておられます。だからこそ、厳しい大学院生活も目的意識を持って乗り越えていらしたのだと思います。

「芸能界」というと、つい華やかなイメージだけで私たちはとらえてしまいます。けれどもそこで活動する方々も私たちと同じ、一人の市民です。私たちと同じように喜んだり悲しんだり苦しんだりするのですよね。本書は、使命感や目標、目的意識などを考えたい方に特にお勧めしたいです。


第258回 文末のこと

先日ラジオを聴いていると、観光案内のコーナーが流れていました。その街の魅力を現地に住む方が紹介するという内容で、これからの行楽シーズンにはぴったりの話でした。

私は仕事柄、人の話し方や言葉の使い方についつい注目してしまいます。講演会に出かければ、セミナー講師の「間」の取り方や話術、笑いを挟むポイントなどに意識が向かいます。世の中にはお話の素晴らしい方が多く、実に参考になることが多いのですよね。「なるほど、ここでその話題を振ると、聞いている方も気づくことがあるなあ」など、話のコンテンツだけでなく話術にも感心しています。

今回のラジオインタビューも、そうした意味ではとても有意義なものでした。ラジオの場合、画像がありませんので、聞いている人が頭の中で想像できるように話すことが求められます。より具体的であればあるほど、リスナーにとっても理解が促されるのです。

ただ、一つ気になる点がありました。それは文末の締めくくり方です。

「今日は~~についてご紹介します」と言えば通じることが、「今日は~~について紹介できればいいかな、と思います」となっていたのです。「ん?何かやけに長いなあ」とその時は思ったのですが、それから続く文章でも「最近は~~というものがはやっているのではないかと思うのですが」「たとえば、~~というものが観光客にとっては喜ばれるように思わなくもないのですが」「ぜひ多くの方々に来ていただければ良いかな、と考えています」という感じでした。

文法的に見れば間違いではありません。ただ、文末をオブラートに包むような話し方に、私はふと思考が止まってしまったのです。

そういえば以前子ども向けテレビ番組を観ていたときも「では今日は~~という遊びをしてみたいと思います」という話し方が聞こえてきましたし、子どもたちが小さいときに出かけたイベントでも、お姉さん・お兄さんが同様のセリフを口にしていました。

考えてみると、最近はこうした文末で締めくくる表現が増えているように思います。私が小学校・中学校時代は先生方の口調も命令形で断定的でした。「~~しなさい」はまだ良い方で、「~~するな!」という言葉もよく耳にしましたね。一方、最近の教育現場では先生方の話し方も丁寧になっており、「~~した方が
良いんじゃないかなと思います」というような話し方も見られます。

なぜこのような文末になったのでしょうか?おそらくこれは日本語特有の性質もあるでしょうし、日本人の考え方として摩擦を避けたいという思いも存在すると私は考えます。「~~です」と言うときつく聞こえてしまうため、「~~だと良いかなと思います」の方が無難なのでしょう。

ただ、これも程度問題だと思うのですよね。あまりにも会話の中で何度も出てきますと、くどく聞こえてしまいます。私はイギリスにいた子ども時代、話が回りくどくなるとクラスメートから"Oh Sanae, get straight to the point!"とよく注意されました。要はグダグダ言わずに単刀直入に話してほしいというわけです。

パシパシ断定調の話し方をすれば日本語の場合、角が立ってしまいますが、かといって常時オブラート文末では聞いている方も疲れてしまいます。

私自身、これまで実は「文末濁しオブラート状態文章」を非常によく使っていました。ですので今回客観的にこの問題をとらえ、大いに反省しています。

(2016年5月2日)

【今週の一冊】
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「福井県の学力・体力がトップクラスの秘密」 志水宏吉・前馬優策編著、中公新書ラクレ、2014年

今年3月のこと。福井県で高校生向けに「通訳」につい講演しました。これまで金沢までは足を運んだことがありますが、福井県は初めてです。どんなところだろうとワクワクしながら新幹線を経て電車に乗っていると、あっという間に福井駅に到着しました。

これまで私が抱いていた福井県のイメージは恐竜、永平寺、オバマ大統領で一躍有名になった小浜市、東尋坊といったところでしょうか。あまりよく知らなかったため、出張決定後は東京・永田町の福井県東京事務所へ向かい、慌てて現地の観光パンフレットを取り寄せて予習をしました。ちなみに私は各都道府県の東京事務所でパンフレットを一式頂くのが趣味です。事務所に入ると、東京に派遣されてきた職員の方々がお国ことばで話しながらお仕事をしているのですよね。そうした雰囲気に触れるのも好きなのです。

さて、今回本書を購入したきっかけは、そのセミナーでの高校生の反応が非常に素晴らしかったことでした。通訳の仕事に関心を抱いてわざわざ貴重な週末をセミナーのために来てくれた生徒たちですので、もともとの意識が高いというのはもちろんあるでしょう。けれども、講演の中で実際に通訳演習をしたり、音読やペアワークをした際、生徒たちの意識がとても高いと私には感じられたのです。

その理由を探るべく本書を読んでみると、色々と見えてくることがありました。家庭がしっかりしていることはもちろん、先生方の多大な努力が総合的な学力をつけていることもわかりました。大都市圏と異なり塾が少ないため、限られた環境の中でどう工夫して勉強をしていくかということも、福井県では大きなポイントだと感じます。

豊かになり余裕が出てきた今の時代、ついつい大人は子どもに対してあれこれ手を貸してしまいます。助言をして道筋を示すのももちろん大切です。けれどもお膳立てのしすぎも、本人の工夫を阻害するように私は考えます。

私はセミナーで「紙の新聞を読んでいる人は?」といつも参加者に尋ねるのですが、挙手率は今回の福井県高校生がダントツでした。だからなのでしょう、時事ネタを振っても返答率・正解率がとても高かったのです。これも福井県の学力向上に大いに貢献していると思います。 



第257回 チェックマークから思い出すこと

随分前に時間管理についての本を読み、以来実践していることの一つに「やることリストを作る」というものがあります。やるべきことを書きだし、その左端にそれぞれ四角いマスを書き、終了したらチェックマークを入れるというものです。優先順位を付けたりカテゴリー別に分けたりと方法もいろいろあるようですが、私の場合、とにかく思い付いたことはランダムにチェックボックス付きで書き出し、取り組むようにしています。以前はポストイットに一つ一つ書いて並べ替えるということもしていたのですが、今は手帳に書き出したリストを一日の始めにざっと眺め、一番大事なことから着手するようにしています。・・・とは言え、最優先項目をprocrastinate、つまり後回しにしてしまう「気の弱さ」と抱き合わせではあるのですが・・・!

さて、チェックと言えば、先日読んだ記事に面白い記述がありました。イギリスの投票についてなのですが、put a cross in that boxとあったのですね。
選挙関連の内容で、ぜひとも投票に行きましょうという文脈での表現でした。that boxとは、投票用紙に書かれている四角いチェックボックスのことをその著者は述べていました。ちなみにイギリスの投票用紙では、候補者名の隣にチェック用の四角いマスが記載されています。

興味深いのは、日本であれば自分が支持する候補者名の上に「○」を記しますよね。一方、イギリスの場合、「×」を付けて「私はこの人に投票します」という意思表示をするのです。日本では「○=正解、×=誤答」ですが、イギリスでは「✔=正解、×=誤答」です。確かオランダも同様で、小学校2年生の時にオランダの学校へ転入した際、自分では得意だった算数の点数が「✔」マークだらけで、ものすごいショックを受けたことを今でも思い出します。「あんなに得意だった算数で零点とは・・・!」と思いきや、よくよく見たら正解だった、という笑い話です。

ところで選挙と言えば、ロンドンで働いていた1999年のこと。なぜか私宛にヨーロッパ議会選挙の投票通知が送られてきました。「うーん、日本人で在留届を出しているだけでイギリス国籍は持っていないのに。とは言え、労働許可証と永住権は付与されているから投票しなさいってことなのかしら」と思いつつ、指定された投票所へ向かいました。イギリスの選挙は投票日を木曜日と定めているのですが、この選挙も1999年6月10日木曜日でしたね。

当時私は公休が木曜日でしたので、早速投票所へ行き、通知を係員に提示しました。ただ何となく不安でもありましたので自分の立場を説明したところ、
「あら、そういうことなのね。じゃあ、あなたには投票権はないですよ。この通知は間違って送られてしまったということになるわ。ゴメンナサイ~~!」
という感じであっさりと投票権はく奪(?)となったのでした。

無責任に投票せずに済んだと安堵した反面、こういう凡ミスはイギリスでは珍しくありませんので、またまた「オモシロ体験談」のストックが増えたと思った次第です。

ちなみに「オモシロ体験談」は他にもいくつかあります。留学中には大手英国系銀行の私の口座から間違って多額の現金が引き落とされましたし(銀行員のミス)、BBC時代にはクリーニングを引き取りに行ったところ、自分のとは異なる商品を返品されたこともありました。「・・・これ、私の赤ジャケットじゃないのですが・・・」とスタッフに言ったところ、「あ、あれね。あなたのジャケット、かなりボロで破れちゃったんですよ。代わりにこちらを入れておきましたから」という始末。

こういうことがイギリス時代には多くて、"How to write complaint letters"という類の本には本当にお世話になりました。

(2016年4月25日)

【今週の一冊】
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「強くしなやかなこころを育てる!こども孫子の兵法」 齋藤孝著、日本図書センター、2016年

「古典を読まなければ」と思いつつ、まだまだ読破できた数は多くありません。けれども読書は一生続けられるものですので、焦らずに良質の古典を読み進めたいと思いながら今に至っています。

「孫子の兵法」はすでに多くの出版社から出ており、原文と解説を合わせた本や、抜粋タイプの書籍などいろいろあります。本来であれば原文と日本語訳をじっくり味わうのが良いのでしょうけれども、あえて私は子ども向けの本を今回購入しました。オビには齋藤先生の言葉で「『孫子の兵法』をおとなだけのものにするのはとってももったいないと思います!」と出ています。

早速開いてみたところ、活字も大きく、親しみやすいイラスト入りで原文と解説が書かれていました。面倒なことは早めに解決する大切さを始め、「戦わないで勝つほうが本当にすごいこと」というフレーズなど、孫子の兵法のエッセンスがわかりやすく掲載されています。

中でも印象的だったのは「意味のある『逃げる』だってあるんだよ。かなわないなら、さっさと逃げてしまおう」という齋藤先生の解説文です。原文は「少なければ則ち能くこれを逃れ、若かざれば則ち能くこれを避く」です。困難な状況に立ち向かうことで成長できるのが人間ですが、その一方で、もうこれ以上がんばれないというならば、逃げてリセットしても良いのだというのが孫子のメッセージです。

特に日本社会の場合、同調圧力が強く、周りの目が気になってしまうと、自分の心が壊れてしまうぐらい自らを追い込んでしまうことになりかねません。人は一度しか生きられない以上、勇気ある撤退もありだと私は考えます。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 通訳学校で後進の指導にあたるほか、大学の英語学習サポートルームにて英語学習アドバイザーも務める。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。