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放送通訳者直伝!

第265回 イギリスの今後を想う

イギリスがEU離脱を決めました。投票直前まで離脱派と残留派の選挙戦は続き、国会議員も犠牲になるなど、世界は大きく注目しました。離脱の是非はイギリスだけの問題ではありません。株式市場への影響、世界経済への波及、現地に展開する企業の今後の動向など、世界の国々にとってこれは他人ごとではなかったのです。

離脱のニュースはCNNでもずいぶん前から取り上げられていました。数年前のスコットランド独立投票同様、当初は私自身も残留派が勝利すると思っていたのです。けれども投票日が近付くにつれて世論調査を見ても両派の支持率は拮抗するようになりました。日本のメディアも大きく扱うようになり、万が一に備えて人々の関心も高まっていったのです。とは言え、世界がこれだけ狭くなっているのですから、残留派が勝つであろうと私は考えていたのでした。

今回の離脱派勝利を受けて、株価や通貨などは大きく反応しています。現地で展開する日系企業にとっても不安があることでしょう。アメリカ大統領選挙への影響はもちろんのこと、今年選挙を控えるEUの他国でどういった結果が出てくるのかも気になります。しかし、あれこれと不安感をあおったり、必要以上に大騒ぎしたりすることはかえって世の中を不透明にさせてしまうのではないか。そう私は考えます。

国民投票というのはあくまでもその国の民意であり、投票の自由を与えられているのも民主主義の恩恵です。他国はその結果を尊重すべきなのですよね。私は子どもの頃と大学院、そして社会人になってからイギリスに暮らしましたが、それぞれの時期のイギリスがどういった雰囲気であったか、今でも強烈に覚えています。小学生当時の英国は「英国病」と揶揄される時代で、過去の栄光を懐かしむ中、ゼネストや倦怠感が漂っていました。ゴミ収集職人のストで街中にはゴミが舞い、郵便局のストで郵便物は数か月届かず、パン屋さんも業務をやめたのでパン店は閉鎖、自動車工場も同様で、我が家の車は3か月間も修理から戻らなかったことがありました。民族構成も今ほど多文化共生ではなく、私が通う小学校もほとんどがいわゆる白人でした。あまり目立たない方が良いのではないか。そんな思いを抱きながら私は暮らしていました。

しかし、サッチャー政権による大幅な改革でイギリスも変わり、私が留学したころは活気がありました。街路には美しい花々が咲くつりしのぶが飾られ、様々な国籍の人が共存していました。国を開放するというのは、こうした多様性を受け入れることなのだと肌で感じましたね。もっとも、私が在籍した学科だけはなぜかイギリス人が多く、留学生は私一人だけ。またもや「日本代表」を仰せつかったかのごとく、緊張しながらの日々でした。自分がもし軽率な言動をとれば、「日本とはそんな国なのか」と先入観を与えてしまいます。小学校時代のあの緊張感をつい思い出してしまい、修士課程のさなかもずっと自分の行動に気を付けねばと思っていたのです。

BBC時代のイギリスはさらに多文化・多様性が進んでいました。たとえば、かつて白人ばかりが暮らしていた街に出かけてみると、私には読めない文字の看板が並んでいたのです。別の国の出身者が多くそこには住んでいたのがわかりました。「多様性を受け入れる」とは、もともとその国に暮らす人たちにとって「未知なるもの」を受け入れることを意味します。日本もその頃、海外からの労働者が少しずつ増えていたころでしたので、平和裏に共存するためにはどうすべきか、当時の私はぼんやりと考えていたことを思い出します。

そして2016年の初夏。イギリス国民はEUからの離脱を決めました。とは言え、圧倒的多数による決定ではありません。民意は真っ二つに割れ、かろうじて離脱派が勝利したという図式です。今回のEU離脱は「EUとイギリス」「イギリスと世界」という関係以上に、イギリス国内の二つの意見がどのように今後展開していくのかを意味します。キャメロン首相の後任者にとっては、分断した世論をどうまとめていくか、その手腕が問われます。

私の自己形成において大きな影響を与えてくれたイギリス。今回の国民投票を受けて、イギリスや世界が落ち着くまでしばらく時間はかかるでしょう。大きな流れの中で見れば、このたびの結果も歴史的変遷を経ての必然なのかもしれません。ただ、イギリスという国がなくなるわけでもありません。一人のイギリス愛好者として、今なお続くイギリス人たちとの交流を大切にしながら、これからも見守っていきたいと思っています。

(2016年6月27日)

【今週の一冊】
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「すてきな絵本タイム」 佐々木宏子と岡山・プー横丁の仲間たち・編著、吉備人選書、2012年

イギリスはNHSという国民皆保険制度があります。そのおかげで病院での診察代はすべて無料でした(ただしなぜか歯科だけは有料でしたが)。長男が現地の病院で生まれたときも、出産関連の費用はすべてタダ。入院費も病院食代も無料で、日本との違いに驚きました。「出産は病気ではない」という考えのもと、たいていの母親は翌日に退院していきますし、私の隣室のお母さんなどは数時間休んだだけで帰宅していました。イギリスの場合、退院後数日間は自宅まで看護師や担当医が診に来て下さるのです。

退院後、赤ちゃんの慣れないお世話をする中、往診に来てくださった看護師から「ブックスタート」ということばを聞きました。赤ちゃんがもう少し大きくなって地区の保健センターで健診を受ける際、絵本がプレゼントされるという内容です。私はまだ生まれたばかりの長男をだっこしながら、そのシステムの素晴らしさに感銘を受けました。字も読めない赤ちゃんではあれ、絵本を与えるということ、そしてそれを無償で行っているというイギリスの懐の深さを感じたからです。

今回ご紹介する本を編集した佐々木宏子先生は、40年以上にわたり絵本と子どもの発達について学術的に研究なさっています。日本におけるブックスタートについても先生は研究をされ、論文や書籍などで発表されています。本書は佐々木先生厳選の絵本が紹介された一冊です。

「絵本=子どもが読むもの」と思われがちですが、絵と、そこに記された少ない文字を通じて著者のイイタイコトをとらえるのが絵本だと私は考えています。そういった視点に立つと、通訳の仕事における「話者のイイタイコトの把握」という作業に近いのかもしれません。

今の時代、児童書コーナーに行くとたくさんの絵本があります。本書は、これまでどの絵本が赤ちゃんに愛されてきたかを知ることができる一冊です。本の後半には岡山で文庫活動をなさっている方へのインタビューもあり、大人になっても絵本や児童書と関わり続けることの大切さがわかります。 


第264回 仕事記録

通訳学校に通う受講生たちにとって、通訳の仕事を得る上での最大のハードルが「実績作り」です。私のようなフリーランス通訳者はほとんどが人材派遣会社、いわゆるエージェントに登録をして仕事を得ています。医師や弁護士の場合は国家資格に合格してようやく仕事をすることができますよね。一方、通訳者の場合、極端な話、自分で名刺を印刷して「通訳者です」と名乗れば、仕事を始めることができるのです。もっとも、どこの誰かわからない人にいきなり仕事を依頼してくださるクライアントさんなど、そうそういません。ゆえに私たち現場の人間にとっては、その橋渡しをしてくださるエージェントさんは本当にありがたい存在なのです。

エージェントに登録する上で必ず必要となるのが「実績」です。今までどのような分野の通訳をどれぐらいしてきたか証明する必要があります。通常、エージェント登録時には履歴書を提出し、それまでの実績を書いた文書も添えます。私の場合、実績表は「○月○日 △△会議、同時通訳 半日」という具合に書いています。通訳経験が増えればこの実績表も充実してきますが、デビュー当初はほとんど実績がありませんでした。これはどの通訳者も同じです。

エージェント側にしてみれば「実績をもっと積んでからぜひご登録を」ということになるでしょう。一方、登録する通訳者にしてみれば、「実績がないから仕事をしたい」となります。

ではどうすれば良いでしょうか?私の場合、通訳学校に通っていたときに請け負ったOJT業務やボランティア通訳を実績表に書きました。また、一般企業に勤めていたときに手がけた通訳や翻訳などの仕事もリストに添えたのですね。要は「語学に関わる作業」「通訳・翻訳関連の仕事」を少しでもおこなったのであれば、それをすべて実績表の中に盛り込んだのでした。

あとはエージェントから頂いた仕事一つ一つを大切にして、業務が終わるとリストに追加していきました。記録をし続けるというのは地道な作業です。繁忙期など通訳準備で手一杯になってしまい、リストをアップデートするのを忘れてしまったこともあります。けれども、自分の実績をその都度記録することは、通訳者としての自分という商品に付加価値を付けることになります。年度末に実績表の最新版をお世話になったエージェントに送ることで、エージェントからはより自分に合った業務をあっせんしていただくことにもつながるのです。

私は大学卒業後、一般企業に就職したものの、どうしても留学がしたくて転職活動を始めました。「大学院に行きたいのだから、できれば学術関係の仕事をしよう」と考え、イギリスの大学事務所に移ったのです。そして留学資金がようやくたまったのを機に、退職してイギリスで学ぶ機会を得ました。ただ、帰国後は研究者になろうと思っていたのですがうまくいかなかったのです。どうしようかと悩んでいたとき、お世話になった通訳学校の先生から通訳の手伝いを依頼されたのがきっかけとなり、本格的にこの世界に入ったのでした。

人生にはどのような出会いがあるかはわかりません。幸い私の場合、通訳のお手伝いを機にこの仕事に魅了され、以来、通訳者として生きていこうと強く思うようになりました。仕事の記録を付けるのは、自分というプロダクトに磨きをかけ、よりお客様にお役にたてるような業務をしたいからなのです。

「通訳者になりたい。でも実績がないからデビューできない」とお悩みのみなさん、どうかあきらめず、目の前の仕事を大切にしてください。少しでも英語関連の仕事をしたり、ボランティアで通訳翻訳を手がけたりしたのであれば、ぜひそれを自分の経験として次につなげていって下さいね。 

(2016年6月20日)

【今週の一冊】
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"マップマニア デザイナーのための地図のデザイン" PIE Books編集・制作、パイインターナショナル発行、2015年

今の時代、地図や時刻表と言えばインターネットやアプリを使う方が主流です。けれども紙版が大好きな私にとって、地図や時刻表というのは空想の世界にいざなってくれる媒体です。仕事カバンの中にはポケット地図帳をいつも携えており、時間が空くとそれを眺めては楽しんでいますし、自宅の本棚には大判の電車時刻表もあります。時刻表は欄外に駅弁紹介があったり、巻頭特集で電車のことや地域の話題などがあったりするので、眺めていて飽きません。

今回ご紹介する「マップマニア」は、地図をデザイン的観点から取り上げた一冊です。副題にもある通り、デザイナー向けにレイアウトや配色、描き方などが出ています。日本各地のイラストマップはもちろん、世界の地図もあり、これを見るだけで旅行気分が味わえます。

雑誌の地図特集や、フリーペーパーに出ているお散歩マップなど、私たちの周りには地図がたくさんあります。目的地まで行くために役立てるのが地図でもありますが、その一方で、デザイナーやイラストレーター、フォトグラファーにクリエイティブディレクターなど、様々な人々の努力があるからこそ、一枚の地図ができあがるのですよね。本書に紹介されている地図は、いずれもそうした縁の下の力持ちのお名前も紹介されています。まさに芸術作品としての地図です。

本書を読むと、日頃何気なく眺めている様々な地図にも命が吹き込まれているのだと思うようになります。芸術としての地図を味わえる、そんな一冊です。


第263回 戦場通訳者

放送通訳の現場で出てくるニュースの多くが、紛争地のレポートです。これだけ文明が発達しても、あるいは、あれほどの大戦を経験してもなお、人間は世界のどこかで戦争をしています。オバマ大統領は伊勢志摩サミットの後、広島の原爆ドーム前で演説を行いました。プラハの演説からすでに数年が経っています。それでも核問題や紛争は世界から完全に消え去ってはいないのです。

BBCで働いていたころはユーゴ紛争やコソボ問題、東チモールの独立など、色々な紛争がありました。イスラエルとパレスチナの情勢も緊迫していました。当時、紛争地からたくさんのレポートを届けてくれた中でも、John SimpsonとJeremy Bowenは戦場をメインとするwar correspondentで、特筆すべき存在でした。

日本のニュースを見る限り、戦場を専門とする自社記者はあまりいないように思います。通信社に所属してレポートをするケースがほとんどです。数年前、47歳にしてシリアで命を落とした後藤健二さんも、紛争地をメインとしたジャーナリストでした。BBCの場合、戦場特派員は危機管理の訓練などを徹底的に受けます。有事の際には会社の後ろ盾もあります。しかし日本の場合、BBCやCNNなどと比べると条件面でかなり厳しいのではと私は見ています。

戦場特派員の業務に欠かせないのが「戦場通訳者」です。戦場特派員自身が現地の語学に堪能であれば通訳者は必要ありません。けれども「紛争地での取材はできる」ものの、「現地の言葉ができない」のであれば、通訳者を要することになります。

6月5日のこと。アフガニスタンでアメリカNPRのカメラマンと通訳者が死亡しました。待ち伏せ攻撃を受け、ロケット弾で亡くなったそうです。この報道がきっかけとなり、戦場通訳者についてもっと知りたいと私は思うようになりました。

多くの場合、戦場で通訳者となるのは2つのパターンです。1つ目は特派員と一緒に出国し、取材に同行して帰国まで一緒に働くケースです。たとえばBBCであれば英国籍を持ち、かつ取材国の言語に堪能な人が携わることになります。

もう一つのケースは、取材先でのいわゆる「現地調達」です。その場合、通訳業務だけでなく、現地でのコーディネート作業なども行いますので、英語ではfixerと言われます。

最近の学術書を見てみると、こうした戦場通訳者がどのようなメンタリティにあるのかということや、依頼主からどう見られているかという研究も行われています。マスコミ関係者との同行は短期間ですが、たとえばイラクに駐留するアメリカ軍などの戦場通訳者の場合、アメリカ軍側がその通訳者をどこまで本当に信頼しているのかという課題もあります。現地採用であるがゆえに、軍当局は「現地の通訳者から裏切られるのではないか」という思いも抱いてしまうのです。

一方、戦場通訳者も「クライアントから完全に信頼されていない」という不安に駆られます。と同時に同胞からは「敵に加担する裏切り者」と目されて命を狙われることもあるのです。こうしたことからイギリスでは、アフガニスタンなどで尽力した戦場通訳者だけでなく、その家族の亡命申請をも受け入れるべきだという動きが起きています。

日本にいるとなかなか伝わってこない戦場通訳者たちの境遇。同じ通訳者として考え続けたいと思っています。

(2016年6月13日)

【今週の一冊】
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"Routledge Encyclopedia of Interpreting Studies" Franz Pöchhacker (Editor), Routledge, 2015

先週同様、今回もRoutledge社の通訳関連書籍をご紹介します。このたび取り上げるのは通訳学について体系的に説明がなされている、まさに「百科事典」とも言える一冊です。発行は2015年ですので内容も新しく、アルファベット順に通訳関連の用語が詳しく解説されています。編集に携わったのはフランツ・ポェヒハッカー氏。ウィーン大学で通訳学を指導する准教授です。

日本でも書店に行くと通訳関連の本はたくさん置いてあります。最近のエージェントや仕事動向などを知るなら書籍やムック、季刊誌などが頼りになるでしょう。通訳訓練の本も出ています。けれども「通訳」の「学術的」なとらえ方を知るには本書のような一冊が欠かせません。私自身、業務としての通訳行為は長年続けてきましたが、通訳学の歴史や戦時裁判の通訳、社会言語的アプローチや神経科学などからの観点はあまり意識せぬままでした。だからこそ、理論を知ることも大切だと最近感じています。

本書は目次を開くと項目がアルファベット順に並んでおり、1番目のaccentから最終項目のworking memoryまで、たくさんのトピックが網羅されています。たとえば私が携わるmedia interpretingのページを見てみると、定義から始まり、どのような歴史的経緯を経て現在に至っているかが詳しく記されています。世界の中でも放送通訳は日本で大きく進展してきているのですね。本書をひもとけば、そうした情報を参考文献の紹介と共に知ることができます。

本書は通訳を「学問」としてとらえる研究者や学生向けですが、現場で日々、通訳に携わる人たちにも大いに役に立つ内容となっています。本書をきっかけに、現役通訳者が理論と実践を兼ね備えていく。それにより、私たちの職業がさらに発展していくことを願ってやみません。


第262回 acronymのこと

限られた時間の中でいかにして勉強時間を捻出するか。これはどの通訳者にとっても共通の課題だと思います。通訳現場を離れれば、家事・育児、あるいは別の仕事があり、父親・母親・妻・夫といったそれぞれの立場があるからです。我が家も子どもたちが小さい頃は本当に目が回るような慌ただしさでした。けれども仕事の辛さを家事・育児で忘れ、育児の大変さが仕事に集中することで救われたなど、相乗作用のおかげで今に至っています。

さて、学習時間を一日の中で確保するのに必要なのは、一にも二にも「工夫」であると私は考えます。今の時代、スマートフォンのアプリや電子書籍など、いつでもどこでも勉強できる環境が提供されています。そうしたグッズを使いこなせれば、隙間時間も有効に使えますよね。

ただ、気を付けなければいけないのは、そうした「グッズ探し」「アプリ検索」をしたこと「だけ」で勉強した気分になってしまう点です。自分にぴったりのものを探し続ける時間というのは、案外かかってしまうものです。こっちが良いかな?いや、あちらの方が使い勝手が良いかも、という具合にウィンドー・ショッピング状態をしている時間も、なぜか「勉強しました」時間にカウントされてしまうのですよね。探すのはあくまでも準備段階。大事なのは、グッズを決定したら実際に学習することです。

私の場合、電子機器やコンピュータ画面を長時間使っていると目の疲労や肩こりが酷くなってしまいます。ゆえにいまだに状況が許す限り、紙版を愛用しています。辞書も紙辞書、プリントも紙版、CDプレーヤーも使いますし、紙新聞で興味深い記事を見つけるとビリビリ破ったり書き込んだりします。そうした「手作業」が好きなのですね。

もう一つ、意識しているのは、「考え続ける」ということです。「これって何だろう?」「あの単語はどういう意味だろう?」など、常に好奇心を大切にしながら日々を送りたいと思います。

たとえば先日のこと。カナダ関連の調べ物をしていたときに「カナダの渡航にはeTA(電子渡航認証)が必要」との一文を目にしました。そこですかさず「ん?eTAって何?」と考えるのです。日本語には「電子」とありますので、おそらくeはelectronicのことでしょう。「『渡航』はtransportかな?あるいはtravel?『認証』はadmissionかしら?いや、admittanceもありうるかも」という具合に、まずは自分なりに想像してみるのです。もうこれ以上自分ではわからないという段階まで考えたら、次は調べ作業。検索したところ、これはelectronic travel authorizationの頭文字でした。

ちなみにこうした頭文字だけでから成る単語を英語ではacronym(頭字語)と言います。通訳業務ではまず頭字語そのものを読み上げ、次に正式名称を言います。そのあとまた出てきたら、頭字語だけを述べれば良いのです。たとえば「FBI」であれば、「FBI、アメリカ連邦捜査局は・・・」と初出時に言います。あとはもう「FBI」だけで大丈夫なのですね。これは同時通訳の際、大いに時間節約となります。

ところで先ほどのeTAの件。ほかの国はあるのか気になり調べたところ、アメリカはESTA (エスタ:Electronic System for Travel Authorization、電子渡航)、オーストラリアはETAS(イータス:Electronic Travel Authority、電子査証)と言うのだそうです。先のカナダのeTAは「イータ」と読みます。頭字語の場合、カタカナ読みも通訳者は押さえておく必要があるので、こちらもその都度チェックです。

私にとってのacronym分析は、まさにパズル解きのようなもの。日常生活でもお菓子のパッケージや食材の袋、街中などで何らかの「頭文字の羅列」を見ると、つい書き下し文は何かと考えてしまいます。まさに「LOL」(lots of laugh)、日本語でいうならば「カッコ笑い(笑)」状態です。

(2016年6月6日)

【今週の一冊】
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"Being a Successful Interpreter" Jonathan Downie著、Routledge, 2016

通訳翻訳関連の学術書を海外で多く発行しているのはJohn BenjaminsとRoutledgeです。いずれも研究者向けの書籍であるため、日本の一般書店では入手しづらいのですが、今はネット書店がありますので注文すればすぐに手元に届きます。そういう意味でも、海外の通訳動向を知ることが以前と比べて格段にしやすくなりましたね。

ただ、学術書の多くが大学教授や研究者を読者の対象としています。ですのでそうした学術論文を読み慣れていないと敷居が高く感じられるかもしれません。実際、私もこれまで何冊かそうした文献を読んできたのですが、脚注がたくさん書かれており、ページを行ったり来たりするだけで読むのに一苦労ということもありました。こればかりは読み慣れるしかないのでしょうけれども、最初のうちは本文に栞をはさみ、章末の脚注を開き、さらに巻末の参考文献もめくりと、ずいぶん慌ただしい読み方になりました。

さて、今回ご紹介する一冊は、そうした学術出版社から出てはいるものの、一般の読者向けに書かれた書籍です。著者のDownie氏は現役の通訳者で、本書は自身の体験談を始め、通訳の関係者へのインタビューも掲載されています。読んでいてメリハリのある一冊です。

本書の副題は"Adding Value and Delivering Excellence"です。著者いわく、これからの時代は単に語学ができるだけでは立ち行かなくなるため、通訳という職業に通訳者自身が付加価値を付けることが大切なのだそうです。「現役通訳者は、厳しい労働条件や賃金についてつい文句を言ってしまう。けれども不満を言うよりも、自らに価値を付けることこそが業界全体の底上げにつながる」というメッセージが本書には何度も出てきます。

100ページほどの薄さで、参考文献も豊富にあります。現役の通訳者はもちろん、これから通訳者デビューを考えている方にもお勧めしたい一冊です。ユーモアいっぱいの記述ですので、肩ひじ張らずに楽しめること請け合いです。


第261回 Do the first things first

日本と海外の大学における大きな相違点。それは「学生本人がどれだけ自主的に勉強するか」だと私はとらえています。海外の大学でも学期初めにシラバスが配られ、そこには課題図書や参考文献のリストがあります。日程ごとにテーマと事前課題が記され、学生たちは文献を自分で読み解きながらそのテーマについて授業日までに考えていきます。講義型の場合、授業当日に講師から詳しい説明がなされ、学生たちは事前に予習してきた内容をその場で確認することになるのです。よって、何も読まずに出席することも物理的にはできますが、授業内容を吸収することは難しくなります。

こうした厳しさがあることは、留学前の段階で私も知っていました。大学院の場合、1、2年間の大学院生活の間に読破する書籍を積み上げると、自分の背丈よりも高くなると言われたことがあります。初めてそれを耳にしたときは「まさか!」と半信半疑でしたが、いざ大学院生活を送り始めると、まさにその通りだと痛感したのでした。

ところで「課題図書リスト」と言えば、今でも強烈に思い出すことがあります。ロンドン大学の修士課程で社会行政学を学んでいたときです。初回授業のオリエンテーションに出席し、シラバスが配布されました。パラパラとめくると、そこには学術書のリストが山のようにあり、さらに論文集の紹介もたくさん掲載されています。「うーん、すべてを読むことは今の私の英語力では無理!どうしようかなあ」と思いましたが、「ま、悩んでも仕方ない。まずはランチ!」と授業の後、のんきにも私は学食へ向かったのでした。

お腹も膨れていざ図書館へ行ってみたところ、先のリストに指定されていた文献は何とほぼ貸し出し状態になっていました。そう、「私は文献を借りる」という時点で早くも出遅れてしまったのです。課題図書は「発行年度が新しい順」でシラバスに記載されていたのですが、そうした最新文献、すなわち学術界で最も新しい内容が記されている本はすべて貸し出されてしまい、かろうじて残っていたのは、古い文献数冊のみでした。

さあ、困りました。来週までにとりあえず第2回授業の文献をそろえて読みこなさなければ、授業についていくことはできません。ただでさえ英語力のハンデがある中、「文献探し」に「購入」という時間的・金銭的な消費は貧乏学生に応えました。とは言え、愚痴を述べても進展しません。結局、ロンドンの大型書店をはしごして何とか手に入れることができました。

いざ購入はしたものの、分厚い専門書をどう読み進めるかも私にとっては未知の世界でした。日本での大学時代に文献をどのようにしてメリハリをつけながら読むのかなど実践したことも習ったこともありません。仕方がないので、まさに「表紙」から始めて序文、謝辞とご丁寧にも読み、ようやく目次に到達しました。

慣れない英語を大量に読んだことで、この時点ですでに疲労困憊です。けれどもまだ本題にも入っていません。仕方なく、ただただ読むことを続けましたが、結局徹夜を何日続けても進まず、しかも寝不足と疲労で読んだ内容は全く吸収されずと、さんざんな展開になりました。

文献を買うメリットは、自分の意見や単語の意味を書き込んだり、重要なページを折ったりすることができる点です。しかし、学生の場合、図書館本にも大きな利点があります。それは同じ書籍を先輩方もおそらく読んだであろうことから、重要な個所はページが自然と開くのです。いわば「読んだ跡」がページの開き具合によってわかるのですね。書籍によってはうっすらとアンダーラインが引かれているものもあり、「あ、なるほど~、ここが重要なのね」と推測することもできました。

「連続徹夜のおかげで何とか授業についていけた」と書きたいところですが、私の場合はヘルペスに見舞われてしまい、強烈な皮膚の痛みと共存するというおまけがついてきたのでした。大事なのはDo the first things firstなのですよね。

(2016年5月23日)

【今週の一冊】
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「レニングラード封鎖:飢餓と非情の都市1941-44」 マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳、白水社、2013年

先週このコーナーでも取り上げたレニングラード封鎖。前回は音楽的観点からの一冊でしたが、今回ご紹介するのはレニングラード封鎖全体をイギリスの歴史家がとらえた書籍です。主に生存者への聞き取り調査や、歴史的史料からの考察で成り立っています。

独ソ不可侵条約があったにも関わらず、なぜヒトラーはそれを裏切って攻め込んでいったのか。フィンランドがドイツに加担する背景に潜むソ連への感情。レニングラード市民の絶望や飢餓、そして希望など、様々な観点から本書は展開します。包囲されていても、攻撃をされても、なるべく日常生活を営むことで抵抗の心を見せる人々の様子や、燃料や食料を断たれてもなお、図書館で本を読み続ける人の姿などが本書には出てきます。そうしたことを読み進めるにつれ、「レニングラード封鎖」というひとつの歴史的事件は人間味を帯びたものとして読者に伝わってきます。

本書にもショスタコーヴィチの交響曲第7番についての記述がありました。完全封鎖状態の中、ショスタコーヴィチが書き上げた楽譜の写し(マイクロフィルム)は空路テヘランへと輸送され、その後陸路でカイロへと移動し、ニューヨークまで空輸されてアメリカでも上演されました。一方、1942年8月9日にレニングラードでこの曲が演奏された様子はラジオで中継されましたが、拘束されていたドイツ兵は、「ここまで攻め込んでもなお、これだけの曲を演奏する」というレニングラード市民の姿から「この街を攻め落とすことはできない」と驚愕したそうです。

ところで訳者・松本幸重氏は「ヒトラーの最期 ソ連軍女性通訳の回想」(白水社、2011年)も翻訳なさっているそうです。こちらも読んでみるつもりです。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 通訳学校で後進の指導にあたるほか、大学の英語学習サポートルームにて英語学習アドバイザーも務める。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。