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放送通訳者直伝!

第263回 戦場通訳者

放送通訳の現場で出てくるニュースの多くが、紛争地のレポートです。これだけ文明が発達しても、あるいは、あれほどの大戦を経験してもなお、人間は世界のどこかで戦争をしています。オバマ大統領は伊勢志摩サミットの後、広島の原爆ドーム前で演説を行いました。プラハの演説からすでに数年が経っています。それでも核問題や紛争は世界から完全に消え去ってはいないのです。

BBCで働いていたころはユーゴ紛争やコソボ問題、東チモールの独立など、色々な紛争がありました。イスラエルとパレスチナの情勢も緊迫していました。当時、紛争地からたくさんのレポートを届けてくれた中でも、John SimpsonとJeremy Bowenは戦場をメインとするwar correspondentで、特筆すべき存在でした。

日本のニュースを見る限り、戦場を専門とする自社記者はあまりいないように思います。通信社に所属してレポートをするケースがほとんどです。数年前、47歳にしてシリアで命を落とした後藤健二さんも、紛争地をメインとしたジャーナリストでした。BBCの場合、戦場特派員は危機管理の訓練などを徹底的に受けます。有事の際には会社の後ろ盾もあります。しかし日本の場合、BBCやCNNなどと比べると条件面でかなり厳しいのではと私は見ています。

戦場特派員の業務に欠かせないのが「戦場通訳者」です。戦場特派員自身が現地の語学に堪能であれば通訳者は必要ありません。けれども「紛争地での取材はできる」ものの、「現地の言葉ができない」のであれば、通訳者を要することになります。

6月5日のこと。アフガニスタンでアメリカNPRのカメラマンと通訳者が死亡しました。待ち伏せ攻撃を受け、ロケット弾で亡くなったそうです。この報道がきっかけとなり、戦場通訳者についてもっと知りたいと私は思うようになりました。

多くの場合、戦場で通訳者となるのは2つのパターンです。1つ目は特派員と一緒に出国し、取材に同行して帰国まで一緒に働くケースです。たとえばBBCであれば英国籍を持ち、かつ取材国の言語に堪能な人が携わることになります。

もう一つのケースは、取材先でのいわゆる「現地調達」です。その場合、通訳業務だけでなく、現地でのコーディネート作業なども行いますので、英語ではfixerと言われます。

最近の学術書を見てみると、こうした戦場通訳者がどのようなメンタリティにあるのかということや、依頼主からどう見られているかという研究も行われています。マスコミ関係者との同行は短期間ですが、たとえばイラクに駐留するアメリカ軍などの戦場通訳者の場合、アメリカ軍側がその通訳者をどこまで本当に信頼しているのかという課題もあります。現地採用であるがゆえに、軍当局は「現地の通訳者から裏切られるのではないか」という思いも抱いてしまうのです。

一方、戦場通訳者も「クライアントから完全に信頼されていない」という不安に駆られます。と同時に同胞からは「敵に加担する裏切り者」と目されて命を狙われることもあるのです。こうしたことからイギリスでは、アフガニスタンなどで尽力した戦場通訳者だけでなく、その家族の亡命申請をも受け入れるべきだという動きが起きています。

日本にいるとなかなか伝わってこない戦場通訳者たちの境遇。同じ通訳者として考え続けたいと思っています。

(2016年6月13日)

【今週の一冊】
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"Routledge Encyclopedia of Interpreting Studies" Franz Pöchhacker (Editor), Routledge, 2015

先週同様、今回もRoutledge社の通訳関連書籍をご紹介します。このたび取り上げるのは通訳学について体系的に説明がなされている、まさに「百科事典」とも言える一冊です。発行は2015年ですので内容も新しく、アルファベット順に通訳関連の用語が詳しく解説されています。編集に携わったのはフランツ・ポェヒハッカー氏。ウィーン大学で通訳学を指導する准教授です。

日本でも書店に行くと通訳関連の本はたくさん置いてあります。最近のエージェントや仕事動向などを知るなら書籍やムック、季刊誌などが頼りになるでしょう。通訳訓練の本も出ています。けれども「通訳」の「学術的」なとらえ方を知るには本書のような一冊が欠かせません。私自身、業務としての通訳行為は長年続けてきましたが、通訳学の歴史や戦時裁判の通訳、社会言語的アプローチや神経科学などからの観点はあまり意識せぬままでした。だからこそ、理論を知ることも大切だと最近感じています。

本書は目次を開くと項目がアルファベット順に並んでおり、1番目のaccentから最終項目のworking memoryまで、たくさんのトピックが網羅されています。たとえば私が携わるmedia interpretingのページを見てみると、定義から始まり、どのような歴史的経緯を経て現在に至っているかが詳しく記されています。世界の中でも放送通訳は日本で大きく進展してきているのですね。本書をひもとけば、そうした情報を参考文献の紹介と共に知ることができます。

本書は通訳を「学問」としてとらえる研究者や学生向けですが、現場で日々、通訳に携わる人たちにも大いに役に立つ内容となっています。本書をきっかけに、現役通訳者が理論と実践を兼ね備えていく。それにより、私たちの職業がさらに発展していくことを願ってやみません。


第262回 acronymのこと

限られた時間の中でいかにして勉強時間を捻出するか。これはどの通訳者にとっても共通の課題だと思います。通訳現場を離れれば、家事・育児、あるいは別の仕事があり、父親・母親・妻・夫といったそれぞれの立場があるからです。我が家も子どもたちが小さい頃は本当に目が回るような慌ただしさでした。けれども仕事の辛さを家事・育児で忘れ、育児の大変さが仕事に集中することで救われたなど、相乗作用のおかげで今に至っています。

さて、学習時間を一日の中で確保するのに必要なのは、一にも二にも「工夫」であると私は考えます。今の時代、スマートフォンのアプリや電子書籍など、いつでもどこでも勉強できる環境が提供されています。そうしたグッズを使いこなせれば、隙間時間も有効に使えますよね。

ただ、気を付けなければいけないのは、そうした「グッズ探し」「アプリ検索」をしたこと「だけ」で勉強した気分になってしまう点です。自分にぴったりのものを探し続ける時間というのは、案外かかってしまうものです。こっちが良いかな?いや、あちらの方が使い勝手が良いかも、という具合にウィンドー・ショッピング状態をしている時間も、なぜか「勉強しました」時間にカウントされてしまうのですよね。探すのはあくまでも準備段階。大事なのは、グッズを決定したら実際に学習することです。

私の場合、電子機器やコンピュータ画面を長時間使っていると目の疲労や肩こりが酷くなってしまいます。ゆえにいまだに状況が許す限り、紙版を愛用しています。辞書も紙辞書、プリントも紙版、CDプレーヤーも使いますし、紙新聞で興味深い記事を見つけるとビリビリ破ったり書き込んだりします。そうした「手作業」が好きなのですね。

もう一つ、意識しているのは、「考え続ける」ということです。「これって何だろう?」「あの単語はどういう意味だろう?」など、常に好奇心を大切にしながら日々を送りたいと思います。

たとえば先日のこと。カナダ関連の調べ物をしていたときに「カナダの渡航にはeTA(電子渡航認証)が必要」との一文を目にしました。そこですかさず「ん?eTAって何?」と考えるのです。日本語には「電子」とありますので、おそらくeはelectronicのことでしょう。「『渡航』はtransportかな?あるいはtravel?『認証』はadmissionかしら?いや、admittanceもありうるかも」という具合に、まずは自分なりに想像してみるのです。もうこれ以上自分ではわからないという段階まで考えたら、次は調べ作業。検索したところ、これはelectronic travel authorizationの頭文字でした。

ちなみにこうした頭文字だけでから成る単語を英語ではacronym(頭字語)と言います。通訳業務ではまず頭字語そのものを読み上げ、次に正式名称を言います。そのあとまた出てきたら、頭字語だけを述べれば良いのです。たとえば「FBI」であれば、「FBI、アメリカ連邦捜査局は・・・」と初出時に言います。あとはもう「FBI」だけで大丈夫なのですね。これは同時通訳の際、大いに時間節約となります。

ところで先ほどのeTAの件。ほかの国はあるのか気になり調べたところ、アメリカはESTA (エスタ:Electronic System for Travel Authorization、電子渡航)、オーストラリアはETAS(イータス:Electronic Travel Authority、電子査証)と言うのだそうです。先のカナダのeTAは「イータ」と読みます。頭字語の場合、カタカナ読みも通訳者は押さえておく必要があるので、こちらもその都度チェックです。

私にとってのacronym分析は、まさにパズル解きのようなもの。日常生活でもお菓子のパッケージや食材の袋、街中などで何らかの「頭文字の羅列」を見ると、つい書き下し文は何かと考えてしまいます。まさに「LOL」(lots of laugh)、日本語でいうならば「カッコ笑い(笑)」状態です。

(2016年6月6日)

【今週の一冊】
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"Being a Successful Interpreter" Jonathan Downie著、Routledge, 2016

通訳翻訳関連の学術書を海外で多く発行しているのはJohn BenjaminsとRoutledgeです。いずれも研究者向けの書籍であるため、日本の一般書店では入手しづらいのですが、今はネット書店がありますので注文すればすぐに手元に届きます。そういう意味でも、海外の通訳動向を知ることが以前と比べて格段にしやすくなりましたね。

ただ、学術書の多くが大学教授や研究者を読者の対象としています。ですのでそうした学術論文を読み慣れていないと敷居が高く感じられるかもしれません。実際、私もこれまで何冊かそうした文献を読んできたのですが、脚注がたくさん書かれており、ページを行ったり来たりするだけで読むのに一苦労ということもありました。こればかりは読み慣れるしかないのでしょうけれども、最初のうちは本文に栞をはさみ、章末の脚注を開き、さらに巻末の参考文献もめくりと、ずいぶん慌ただしい読み方になりました。

さて、今回ご紹介する一冊は、そうした学術出版社から出てはいるものの、一般の読者向けに書かれた書籍です。著者のDownie氏は現役の通訳者で、本書は自身の体験談を始め、通訳の関係者へのインタビューも掲載されています。読んでいてメリハリのある一冊です。

本書の副題は"Adding Value and Delivering Excellence"です。著者いわく、これからの時代は単に語学ができるだけでは立ち行かなくなるため、通訳という職業に通訳者自身が付加価値を付けることが大切なのだそうです。「現役通訳者は、厳しい労働条件や賃金についてつい文句を言ってしまう。けれども不満を言うよりも、自らに価値を付けることこそが業界全体の底上げにつながる」というメッセージが本書には何度も出てきます。

100ページほどの薄さで、参考文献も豊富にあります。現役の通訳者はもちろん、これから通訳者デビューを考えている方にもお勧めしたい一冊です。ユーモアいっぱいの記述ですので、肩ひじ張らずに楽しめること請け合いです。


第261回 Do the first things first

日本と海外の大学における大きな相違点。それは「学生本人がどれだけ自主的に勉強するか」だと私はとらえています。海外の大学でも学期初めにシラバスが配られ、そこには課題図書や参考文献のリストがあります。日程ごとにテーマと事前課題が記され、学生たちは文献を自分で読み解きながらそのテーマについて授業日までに考えていきます。講義型の場合、授業当日に講師から詳しい説明がなされ、学生たちは事前に予習してきた内容をその場で確認することになるのです。よって、何も読まずに出席することも物理的にはできますが、授業内容を吸収することは難しくなります。

こうした厳しさがあることは、留学前の段階で私も知っていました。大学院の場合、1、2年間の大学院生活の間に読破する書籍を積み上げると、自分の背丈よりも高くなると言われたことがあります。初めてそれを耳にしたときは「まさか!」と半信半疑でしたが、いざ大学院生活を送り始めると、まさにその通りだと痛感したのでした。

ところで「課題図書リスト」と言えば、今でも強烈に思い出すことがあります。ロンドン大学の修士課程で社会行政学を学んでいたときです。初回授業のオリエンテーションに出席し、シラバスが配布されました。パラパラとめくると、そこには学術書のリストが山のようにあり、さらに論文集の紹介もたくさん掲載されています。「うーん、すべてを読むことは今の私の英語力では無理!どうしようかなあ」と思いましたが、「ま、悩んでも仕方ない。まずはランチ!」と授業の後、のんきにも私は学食へ向かったのでした。

お腹も膨れていざ図書館へ行ってみたところ、先のリストに指定されていた文献は何とほぼ貸し出し状態になっていました。そう、「私は文献を借りる」という時点で早くも出遅れてしまったのです。課題図書は「発行年度が新しい順」でシラバスに記載されていたのですが、そうした最新文献、すなわち学術界で最も新しい内容が記されている本はすべて貸し出されてしまい、かろうじて残っていたのは、古い文献数冊のみでした。

さあ、困りました。来週までにとりあえず第2回授業の文献をそろえて読みこなさなければ、授業についていくことはできません。ただでさえ英語力のハンデがある中、「文献探し」に「購入」という時間的・金銭的な消費は貧乏学生に応えました。とは言え、愚痴を述べても進展しません。結局、ロンドンの大型書店をはしごして何とか手に入れることができました。

いざ購入はしたものの、分厚い専門書をどう読み進めるかも私にとっては未知の世界でした。日本での大学時代に文献をどのようにしてメリハリをつけながら読むのかなど実践したことも習ったこともありません。仕方がないので、まさに「表紙」から始めて序文、謝辞とご丁寧にも読み、ようやく目次に到達しました。

慣れない英語を大量に読んだことで、この時点ですでに疲労困憊です。けれどもまだ本題にも入っていません。仕方なく、ただただ読むことを続けましたが、結局徹夜を何日続けても進まず、しかも寝不足と疲労で読んだ内容は全く吸収されずと、さんざんな展開になりました。

文献を買うメリットは、自分の意見や単語の意味を書き込んだり、重要なページを折ったりすることができる点です。しかし、学生の場合、図書館本にも大きな利点があります。それは同じ書籍を先輩方もおそらく読んだであろうことから、重要な個所はページが自然と開くのです。いわば「読んだ跡」がページの開き具合によってわかるのですね。書籍によってはうっすらとアンダーラインが引かれているものもあり、「あ、なるほど~、ここが重要なのね」と推測することもできました。

「連続徹夜のおかげで何とか授業についていけた」と書きたいところですが、私の場合はヘルペスに見舞われてしまい、強烈な皮膚の痛みと共存するというおまけがついてきたのでした。大事なのはDo the first things firstなのですよね。

(2016年5月23日)

【今週の一冊】
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「レニングラード封鎖:飢餓と非情の都市1941-44」 マイケル・ジョーンズ著、松本幸重訳、白水社、2013年

先週このコーナーでも取り上げたレニングラード封鎖。前回は音楽的観点からの一冊でしたが、今回ご紹介するのはレニングラード封鎖全体をイギリスの歴史家がとらえた書籍です。主に生存者への聞き取り調査や、歴史的史料からの考察で成り立っています。

独ソ不可侵条約があったにも関わらず、なぜヒトラーはそれを裏切って攻め込んでいったのか。フィンランドがドイツに加担する背景に潜むソ連への感情。レニングラード市民の絶望や飢餓、そして希望など、様々な観点から本書は展開します。包囲されていても、攻撃をされても、なるべく日常生活を営むことで抵抗の心を見せる人々の様子や、燃料や食料を断たれてもなお、図書館で本を読み続ける人の姿などが本書には出てきます。そうしたことを読み進めるにつれ、「レニングラード封鎖」というひとつの歴史的事件は人間味を帯びたものとして読者に伝わってきます。

本書にもショスタコーヴィチの交響曲第7番についての記述がありました。完全封鎖状態の中、ショスタコーヴィチが書き上げた楽譜の写し(マイクロフィルム)は空路テヘランへと輸送され、その後陸路でカイロへと移動し、ニューヨークまで空輸されてアメリカでも上演されました。一方、1942年8月9日にレニングラードでこの曲が演奏された様子はラジオで中継されましたが、拘束されていたドイツ兵は、「ここまで攻め込んでもなお、これだけの曲を演奏する」というレニングラード市民の姿から「この街を攻め落とすことはできない」と驚愕したそうです。

ところで訳者・松本幸重氏は「ヒトラーの最期 ソ連軍女性通訳の回想」(白水社、2011年)も翻訳なさっているそうです。こちらも読んでみるつもりです。


第260回 使命感で仕事をしているか

ふとしたきっかけや読書が契機となり、尊敬すべき人物に出会う。これほど幸せなことはありません。私が敬愛するジャーナリストの故・千葉敦子さん、精神科医の神谷美恵子先生、「森のイスキア」主宰の佐藤初女先生、指揮者のマリス・ヤンソンス氏の4名には共通点があります。それはいずれも「仕事における使命感」です。

4人は生きた時代も職業も異なるのですが、それぞれ「他者」のために自分ができることを熟考しながら、「今」を精一杯生きておられます。「有名になりたい」「カッコよく仕事をしたい」「賞賛されたい」という思いからはいずれもかけはなれており、それどころか、むしろそうした顕示欲の対極に4者はいらっしゃいます。

先日のこと。この4名に加えてもう一人、素晴らしい方に出会いました。ジャパネットたかたの前社長・高田明氏です。

私はテレビ通販でモノを買うことはほとんどありません。また、テレビの放送通訳業をしている割には、自宅でテレビを視聴しない生活を送っています。それでもごくたまにチャンネルをザッピングしていて、高田氏のあの独特の口調に魅せられ、見入ったことが幾度かありました。

放送通訳者として私は「ニュースをいかに視聴者に理解していただけるか」「そのために自分はどのような通訳をすべきか」という思いを常に抱いています。今の時代、テレビを見る人自体が少なくなっていますので、もしかしたら自分がオンエア中に私の同時通訳を聴いている人はごく少人数かもしれません。「たった一人の方でも良い。その人が私の日本語訳を通じて世界情勢に目を向けて下されば」という思いが私の中には強くあります。

もう一つの私の仕事・英語講師の場面も同様です。教師ができることは勉強の方法やきっかけを与えることであり、学生の「代わり」に私が勉強することだけはできません。教材を通じて、あるいは授業内の私の話を機に、学習者たちが自ら学び始めること。それが私に課された役割だと思っています。

そのような思いを抱いていたとき、運よく高田氏の講演会に抽選で当選しました。テレビで拝見するのとまったく同じ、明るく笑顔で覇気あるお声の高田氏が登壇され、聴衆はすっかり魅了されました。ユーモアあふれる講演は、歴史の話から高田氏が読んだ書籍の紹介まで盛りだくさんでした。多岐にわたるお話を伺い、高田氏がいかに努力家でたくさんの書物から多くのことを吸収されてきたかがわかります。

中でも印象的だったのは、「今」を生きるということ。「過去や未来でなく、今、この瞬間を生きることがすべての問題を解決する」というお話は、目からうろこでした。私たちはついつい過去を悔やんだり、未来に不安感を抱いたりしてしまい、「目の前の瞬間」から魂が抜け出てしまっています。今を大切に生きるということは、私が敬愛する先の4名の方々も日頃から実践なさっていることなのです。

高田氏は、「ラジオのように映像がない状態であっても、心で喋ることはできる」とおっしゃいます。私が携わる通訳の世界も、「耳を通じて入ることば」だけですが、「伝えたい」という思いや熱意は必ず聴衆によって受け止められると私は信じています。

「優越感もなく劣等感もない」と奥様に指摘されたいう高田氏。他者と比較するのでなく、「今」を生き、自分のペースで自己更新を行い、目標を変えていく大切さを、講演会では繰り返し説いていらっしゃいました。私も通訳や指導の場において、使命感を改めて意識し、今を大切にしていきたいと思います。

【今週の一冊】
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「戦火のシンフォニー:レニングラード封鎖345日目の真実」 ひのまどか著、新潮社、2014年

きっかけは一通のメールマガジンでした。私は旧ソ連・ラトビア出身の指揮者マリス・ヤンソンス氏の大ファンで、これまでの来日公演は欠かさず聴きに行っていました。チケットを購入したのがきっかけで、その音楽エージェントからはメールマガジンが送られてきます。

ここ数年、購読メルマガ数が増えすぎたこともあり、だいぶ配信停止をしてきましたが、その会社だけは解除せずにいました。そして先日のこと。送られてきたメルマガをななめ読みしていたところ、「ショスタコーヴィチ」の名前が目に入ってきたのです。

ショスタコーヴィチは旧ソ連時代を生きた作曲家です。私が最初にその名前を知った高校生の頃は「難解な現代音楽家」というイメージしかありませんでした。ところがヤンソンスがショスタコーヴィチの作品をCDでたくさん出していたこともあり、少しずつ私も魅了されていきました。

今回ご紹介する一冊は、音楽作家・ひのまどかさんが第二次世界大戦中の「レニングラード封鎖」とショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」の演奏を歴史的史実に基づきながら解説しています。当時、ソ連はナチスドイツの攻撃を受け、レニングラードも四方八方から封鎖されました。市民たちは軍事攻撃だけでなく、食糧ルートも断たれたため餓死者も出るほどの状況に直面していたのです。そうした危機的状況の中、ショスタコーヴィチは勇敢にも交響曲7番を作り上げ、楽団員たちが戦火の中で演奏したのでした。

私は高校で世界史を履修していましたが、戦争についての知識は恥ずかしいほど乏しいままです。先日、広島の原爆資料館で見た展示物から新たなことを知り、衝撃を受けたばかりでもあります。そして今回、一通のメルマガに記された「ショスタコーヴィチ」の一言から、ひのまどかさんの講演会を知り、レニングラード封鎖について調べ、本書を入手するという経緯になったのでした。

戦争がもたらすものは「破壊」しかありません。けれどもそのような絶望の最中に、それでもどうやって前へ進むかを考えるのが人間だと思います。本書の執筆のためだけにゼロからロシア語を学び、徹底取材をなさったひのまどかさんのおかげで、私たち読者は歴史への認識をさらに深めることができるのです。



第259回 1年間の高校授業

大学時代に私は様々なアルバイトを経験しました。スーパーのレジ係、ファストフードの店員、デパートの催事売り場スタッフ、棚卸のアルバイトなどなどです。学生時代はサークル活動もしており、それに時間を割かねばいけなかったため、私のバイト選びは「単発・短時間でバイト代が高いもの」でした。当時は今のようにインターネットがなかったので、もっぱらバイト情報誌とにらめっこしていましたね。単発バイトは掲載後すぐに定員になってしまうので、いかに早く電話をかけるかがカギを握りました。

色々と数だけは経験したアルバイトですが、大学時代に唯一できなかったのが「塾講師」でした。一対一の家庭教師は継続的にしていたのですが、教室で生徒たちを前に指導をするという経験がなかったのです。大学卒業後は普通に会社に入りましたので、塾講師をしていなかったことは特に気に留めませんでした。

ところがロンドンのBBCを退職して日本に帰国した直後、「授業」を担当するという状況に直面したのです。当時我が家は夫婦ともども仕事を探さないままBBCから帰国し、日本では失業状態でした。その後、塾講師経験のある主人が幸いなことに通訳学校の講師を務めるようになり、何とか収入にはありつけるようになりました。ところが主人が別の学校へ移ることになり、通訳学校での授業を誰かが引き継がねばならなくなったのです。そこで名前が挙がったのが私でした。もともと通訳者ですので、通訳を教えることもできるだろうと思われたのです。

けれども「通訳業に携わること」と「通訳を教えること」は全く異なるのですね。共通点は「通訳」という2文字ぐらいで、実践と教育は大いに違います。当初私は何とかなるだろうと楽観的だったのですが、いえいえ、そう簡単には行きません。指導の世界というのは私が思っていたほど甘いものではなかったのです。授業計画を念入りに立ててもうまくいかず、なかなか慣れることもできずに非常に苦戦したことを今でもよく覚えています。

それでも何とか「教える」という行為に慣れてきた私は、社会人だけでなくもう少し自分の指導層を広げたいと考えるようになりました。そのとき偶然にも地元自治体の広報誌で高校の英語非常勤講師を募集していることを知り、迷うことなく応募しました。大学時代に英語の教職をとっていましたし、通訳学校の授業レベルと比べれば、高校生はもう少し指導しやすいはずと思っていたのです。

しかし結果は惨憺たるものでした。教育というのは、年齢層が高いほど、あるいは目的意識がはっきりしている人ほど、実は指導がしやすいのですね。通訳学校の場合、受講生の大半は社会人であり、お金を払ってでも通訳の勉強をしたいという方ばかりです。授業での目の輝きも真剣で、高い授業料を払った以上、一生懸命勉強しようという傾向があります。

一方、私が担当した高校1年生は、いわば「つい先日まで中学生だった」という子たちでした。英語が好きな子もいれば大の苦手という生徒もいます。部活で寝不足になり、授業中バクスイという子たちも見受けられました。そうした生徒たちを、通訳学校の受講生同様のスタンスで教えることには無理があったのです。

私が担当したのは「コミュニケーション」という科目でしたが、ふたを開けてみると主に英文法や英作文を指導するというものでした。私は帰国子女で英文法や作文はそれまでずっとフィーリングで取り組んできたのです。なぜ高校生がこの箇所で間違いやすいのか、どうすれば理解できるかという観点からの指導が私には全くできませんでした。そして、その高校での授業は私にとって苦しいものとなっていったのです。1年間試行錯誤を続けたのですが、「自分には高校生を指導できるだけの実力がない」との結論に至り、その年度を持って退職してしまいました。

当時の生徒たちのことを思い出すと、自分の未熟さゆえに申し訳ないことをしてしまったと今でも反省することしきりです。もっともっと努力すべきだったと思います。当時の教え子たちが何とか自力で飛躍し、社会人となった今、羽ばたいていてくれればと願うばかりです。

この経験から私が感じたこと。それは、どうしてもうまくいかないときは自分の中で猛省し、心の中で詫びる以外ないという点でした。そしてそこから自ら教訓を得て、同じミスをしないように生きていくしかないのです。今、大学生や社会人を私は教えていますが、あの高校での1年間の授業は私の中に大きな「忘れ得ぬ出来事」として残っています。心が弱くなったり、怠けたりしそうになると、当時を思い出しては自分を叱咤激励しています。

(2016年5月9日)

【今週の一冊】
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「午後には陽のあたる場所」 菊池桃子著、扶桑社、2015年

菊池桃子さんと言うと、私にとってはアイドル時代の彼女の記憶が印象に残っています。しばらくお名前をお見かけしない時期が続きましたが、つい最近、注目する出来事がありました。菊池さんが、今問題となっている日本のPTAについて勇気ある発言をしたのです。それはニュースとして取り上げられ、大きな話題になりました。ことPTA問題に関しては私自身、「保育園落ちた」問題と同じぐらい大変な状況だと感じます。進展させない限り、それこそ「PTA問題があるから子どもを産まない」という女性が増えかねません。それぐらい逼迫していると私は思っています。

さて、今回ご紹介する本は、桃子さんにとって実は初著書なのだそうです。結婚、二人のお子さんの出産、離婚を経て大学院で修士号を修めた菊池さんですが、その陰には実に多くの苦労をされています。特に第二子のお嬢さんが赤ちゃんの頃の脳梗塞の影響で体に不自由があり、教育をめぐり母親として奮闘する様子は本書に詳しく記されています。

本書を読み進めると、タイミングや行動力、チャンスがいかに人生に大きく作用するかがわかります。私にとって桃子さんと言えばほんわかしたイメージでした。けれどもお子さんやご自身の学問などに関しては、静かなる情熱を秘めておられます。だからこそ、厳しい大学院生活も目的意識を持って乗り越えていらしたのだと思います。

「芸能界」というと、つい華やかなイメージだけで私たちはとらえてしまいます。けれどもそこで活動する方々も私たちと同じ、一人の市民です。私たちと同じように喜んだり悲しんだり苦しんだりするのですよね。本書は、使命感や目標、目的意識などを考えたい方に特にお勧めしたいです。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者、獨協大学非常勤講師。上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 通訳学校で後進の指導にあたるほか、大学の英語学習サポートルームにて英語学習アドバイザーも務める。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。「放送通訳者・柴原早苗のブログ」を更新中。