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Training Global Communicators

Vol.60 「通訳は同じ目標を共有できる仕事」

【プロフィール】
須山笑美子さん Emiko Suyama
中学時代から英語の勉強に励み、
日本の大学を卒業後、アメリカの大学に留学し宗教学と美術史を専攻。
その後アメリカの画廊で3年間勤務し日本に帰国。
帰国後はテーマパーク建設プロジェクト、広告代理店、メーカーの社長付通訳を経て、
現在はフリーランスの通訳者としてご活躍中。

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Q1、まずは通訳者を目指したきっかけを教えてください。
私は日本生まれで日本育ちで、帰国子女ではありません。中学校で英語の授業が始まってから、英語が一番好きなで得意な科目でした。洋楽が好きだったのも、英語に興味を持ったのには、影響していると思います。小さい頃に一度だけインターナショナルスクールの夏季講習で、1か月間アメリカに行ったことがあります。それが初めての海外生活でした。
高校生になってからは、授業が終わった後に、受験勉強とは関係なく語学学校に2年間通いました。そのころはまだ英語が好きというだけで、通訳者になりたいとは思ってもいませんでした。
大学も日本の大学を選び、第一外国語は英語、第二外国語に中国語を選択しました。その頃もまだ将来なりたい職業は固まっていませんでした。ただ高校生の時に留学したいと思っていましたが、両親の許可が得られず断念しました。ただどうしても留学への思いが断ち切れず、大学卒業した時点で企業の内定を取り消して、両親を説き伏せ留学しました。当時は「留学しないとこの先自分の道はない」と強く自分に言い聞かせていました。

Q2、ご両親の反対を押し切っての留学はどうでしたか?
留学では得るものがたくさんありました。金銭的には大変な時期もあったのですが、最初は大学寮に入ってアメリカ人の女性と2人一人部屋で生活しました。日本にいる頃は沢山勉強もしたのですが、いくら日本でTOEFLの点数を取っても、現地ではネイティブのスピードについていけず、最初は何を言っているのか全くわかりませんでした。留学前に3ヶ月だけでも語学学校に行けばよかったと後悔しました。

Q3、何か当時のエピソードはありますか?
アメリカの歴史の授業を受けていたのですが、特別に許可をいただいて授業の内容を録音して後で聞き返して勉強していました。ある時の授業でナッツ(nuts)の話が出てきました。講義中に『10ナッツ』『20ナッツ』と何回も言っていたんです。何度聞き返しても意味がわからないので、教授に聞きに行きました。『それはナッツ(nuts)じゃなくて船の速さのノット(knot)だよ!』と言われたのが今でも忘れられません!そんなエピソードは山のようにあります。留学中の2年間は受験勉強以上に勉強しましたね。

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Q4、大学を卒業された後もアメリカに残られたのでしょうか?
卒業後は日本に戻って就職するつもりでしたが、ちょうどその頃日本は就職氷河期で厳しい時期でした。アメリカの大学は夏に卒業になりますので、翌年の春まで待ってエントリーをして、その後また1年待たないと就職できない計算になります。1年半のブランクを作るより、アメリカで仕事を探してみようと思いました。当時大学では宗教学と美術史を専攻しており、シアトルの美術館で1年間インターンをしていました。その美術館の学芸員の方に仕事を紹介していただき、シアトルにある日本美術の画廊に就職決まり、そこで3年間お世話になりました。今振り返ってみると、3年間の画廊での仕事を通して、英語がよりブラッシュアップされたと思います。ちゃんとしたコンテクストで話すというスキルが身に付きました。

Q5、ちょうどその頃通訳という仕事を意識されたのでしょうか?
そうですね、通訳という仕事があって『やってみたい』という気持ちが芽生えてきました。例えば日本の作家さんが画廊に来て展覧会を開く場合、画廊のオーナーがお客さんと作家さんの間に立って通訳をしていました。『日本人と外国人の間に立ってコミュニケーションのサポートをする』という醍醐味を感じました。後一回労働ビザを延長すればグリーンカード(外国人永住権)がもらえると言われたのですが、もともとずっとアメリカにずっといるつもりはありませんでした。逆に日本人としてのアイデンティティはアメリカに行ってから、より強く意識するようになったと思います。いつかの時点で日本に帰って、日本人として社会に貢献したいという思いが強くありました。

Q6、須山さんはそれからずっと仕事を休むことなく続けていらっしゃいますよね?
仕事は楽しいものだという気持ちが根本にあります。日本に帰ってからは、美術品とか趣味の商品を通信販売する会社に入社しました。今は減ってしまいましたが、昭和のころはすごく栄えていたビジネスでした。(笑)本社がアメリカだったので、商品開発のプロセス会議などでアメリカとやり取りでよく英語を使っていました。その後テーマパーク建設のプロジェクトにフルタイムの通訳者として採用されました。当時通訳のトレーニングは受けたことがなかったのですが、周りの上手な通訳者のパフォーマンスを見て、自分もきちんと専門的なトレーニングを受けようと決心しました。その頃たくさんの先輩との出会いが、すごく刺激になりました。なにも形がないところから、ひとつのものを作り上げていくというのは、本当に素晴らしい経験でした。

Q7、弊社に登録されたのも、ちょうどその頃でしたよね?
そうです、懐かしいですね。その後通信会社で通訳者として勤務しました。和気あいあいとした雰囲気の中で仕事が出来たのですが、ただすごく忙しくて、よく工藤さんに「もうこんなのやっていられませんっ」って電話しましたよね。(笑)

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Q8、はい、よく覚えています。私も「もう少し様子を見ましょう」ってよくはぐらかしていました(笑)その後が広告代理店ですよね。

はい、私が広告代理店に入った頃は、海外の代理店とジョイントベンチャーを作ろうというところに向かって進んでいました。100%日本会社から、海外との出資比率の交渉から始まって、どういう形で会社を作るかっていう話になっていたので、仕事の流れとしては面白かったですね。派遣契約ではなく、直雇用だったこともあり、プロジェクトに深く関わることができました。新会社を設立し、単体で親会社から独立するという流れが、毎年毎年状況が違うので通訳者としてのやりがいも感じました。海外出張も年に2,3回は行っていたと思います。当時よく工藤さんにそろそろフリーランスにならないかとお声をかけていただいたのですが、プロジェクトが面白かったので、もう少し続けてみようと思っていました。ただ社内通訳者として仕事をするということは、通訳以外の仕事もある程度することになります。例えば翻訳の仕事もありますし、でもその中で『やっぱり通訳が自分には一番楽しい』というのが明確になってきました。そして翻訳の仕事を減らして通訳の仕事を100%にするには、どれぐらいのパフォーマンスが必要だろうかと考えるようになりました。この頃から通訳学校にも真剣に通うようになり、『このタームで自分はどのくらいのスキルまで上げられるか?』と意識するようになりました。そして自分が通訳としてもっと特化できる場所があるかもしれない?と考えるようになり、その後あるメーカーの社長付き通訳を2年経験して、フリーランスになる決心をしました。

Q9、フリーランスとして仕事をされる上で不安なことはありますか?

不安だらけです。でも「もっと、もっと通訳に特化していきたい」という気持ちが高まってきたので、すごくいい形でフリーランスに移れたと思います。今までお世話になった会社から不定期ですがプロジェクトベースでお声をかけていただけるというのも、心強いです。必ずしも『フリーになりたかったから』というわけではないんです。私にとって通訳という仕事は、何回も場を繰り返してチームの人たちと気心が知れるようになって、『同じ目標を共有できる』ところに一番やりがいを感じます。ビジネスの中身に興味を持つこともありますが、やっぱり一番は『人』ですよね。『この人たちすごく頑張っているな!』とか『こういうことをしようとしているんだな』という中で、通訳者としてスピーディーかつ的確なコミュニケーションを心がけて貢献し、『目的を共有する』というところがこの仕事の醍醐味です。通学学校の先生から『通訳の神髄はスピリットを共有することだ』という言葉をいただきました。その時私はそれが楽しくて通訳の仕事をしているんだと改めて気付かされました。気持ちを共有して、同じところに向かって進んでいく時に、私は気分が掻き立てられるんです。通訳する前は可能な限り、どういうニュアンスで伝えればいいのかとか、お客様とはどんな関係で、どこまで持って行きたいのかなど、単なるビジネス上の数字だけではなくて、エモーショナルな部分まで共有した上で、なるべく気持ちを伝えようと思いますね。フリーランスの通訳者として働くということは、高いスキルを持っているという点で自分との距離感を感じていたのですが、それ以上に日々のフリーのお仕事を受ける中でどうモチベーションを高めていくのかというイメージがなかなか掴めませんでした。周りの人がどんどんフリーになっていった時には焦りもありましたが、同じ波に乗ってもおそらくそれは違うだろうなという感覚がずっとありました。

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趣味で習っている「長唄三味線」

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三味線の「三つ道具」

Q10、まさに今がその時期(フリーランスになる)なんですね。
そうですね。ビジネスを通じていろいろな方々とチームの一員としてプロジェクトを遂行してきました。ビジネスシーンでは、みんな命を懸けていて一つの目標に向かって日夜仕事に打ち込んでいる姿を目にします。外部から通訳が来て、大切な場ですべてのコミュニケーションを通訳者に託さなければならない。どういう風にお互いの心に響く通訳が出来るか、共感し信頼関係が生まれてくるような、お互いが心を結べるような、通訳が出来るか、それは私自身の通訳力にかかっています。毎回難しいと同時にやりがいを感じる点です。

Q11、通訳をしていて辛いと思うときはありますか?
厳しい話は厳しい話で、私自身にその矛先が向かうことはないので、精神的につらいと感じることはないのですが、厳しく訳さないとちゃんと伝わらないのでそういう時は辛いですね。その中でお互いが理解しあえればそれは前進だと思っています。ただ通訳者を辞めようと思ったことは、一度もありません。

Q12、今後はフリーランスとして活躍されると思いますが、将来的にはどのような通訳者を目指していますか?
学生の頃に、ネスカフェのCMで国際会議の同時通訳ブースに入った素敵な女性がバリバリ通訳をやっていて、『ちょっとコーヒーブレイク』みたいなシーンを観て『素敵~』と思ったんですけど(笑)、今はあまりそういうのは目指していないんです。もちろんその中でも『目標を共有する』といったことはできると思いますが、私は同じ机に座って、同じ方向を向いて仕事をするのが楽しいと思っています。私は日本のビジネスレベルを上げていく中で『通訳者として』貢献したいと思っています。投資家やエクイティの方がいろいろな日本企業とお話をしていく時に、私は日本のビジネスを応援しようと(笑)日本がどんどんいい立場でいい競争性を持ってビジネスを展開できるように通訳という一つの『パーツ』としてなっていければいいなと思います。」

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Q13、なかなかフリーランスになれる勇気がないという通訳者の方も多いのですが、その方々に向けて何かアドバイスはありますか?
私は焦らないほうがいいと思います。企業内通訳ができるのであれば与えられた機会の中で自分を高められる方法はたくさんあります。自分ではいつも同じ会議に入って同じことをしていると思っていても、もっといい表現がないかとか、もっといい通訳ができないかとか、考えられることは沢山あります。自分を伸ばすチャンスはどこにでもあるので、そのチャンスが今見えないからっと言って焦ることはありません。もちろんただ待っているだけではなく、先輩や通訳のエージェントに会って話を聞くのもいいと思いますし、新聞を読んで『自分はどんな業界に行きたいか』考えるのも一つの手ですし、『今チャンスがない』というのであれば、『どういうところにチャンスがあるのか』、『自分はどういう方向を目指しているのか』自分がどういうところにエッジをつけていくか、今の環境の中でいろいろ探したり磨いたりして、自分の方向を見つけるのが近道だと思います。私自身も素晴らしい先輩方がいる中ではまだまだですが、『楽しい』と思っている限りは間違いなく適正はあるので、今自分が駆け出しでなかなか満足がいかなくても、楽しいと感じられる限りは積みあがっていけるし、必ず道が開けてくると思います。だから諦めないで頑張ってください! このお話をいただいたときに『まだフリーの経験もないし、お話しできることも...』と思っていましたが、皆さんにメッセージを伝えられるならと思ってお引き受けしました。みんな人それぞれタイミングがあるし、通訳にかける思いも人それぞれでいいと思います。

Q14、最後に話しは変わりますが、以前須山さんがおしゃっていた『企業には英語ができる人もビジネスができる人もいるけれど、両方できる人が少ない』という話しが印象に残っています。
私が付いていたエグゼクティブの方の言葉です。『ビジネスセンスがあって英語が問題ないという方もいるけど、やっぱりまだまだ圧倒的に少ない。どんどん日本人には外国に出てビジネスでリーダーといえるポジションを担ってほしいけど、力があっても英語が不十分だったりと、とにかくビジネスと英語のバランスが取れた人材が足りない』とおしゃっていました。これからの日本の課題ですよね。

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通訳の七つ道具

編集後記
須山さんは社内通訳者として沢山の経験を積んで、本当に自分が納得できるいいタイミングで、フリーランスの道を選ばれたと思います。これからのますますのご活躍を心より期待しています!



Vol.59 「次の夢に向かって」

【プロフィール】
ファリア・アンナ・マリエさん Farrier Anna-Marie
日本で生まれ、5歳から1年間イギリスにて過ごす。
帰国後日本のアメリカンスクールを経て米プリンストン大学英文学科に進学。
大学卒業後に翻訳・大学院在学中に通訳デビュー。
米国大学大学院で博士号を取得後にご結婚、ご出産を経て、
現在はフリーランス通訳者・翻訳者として様々な業種にてご活躍中。

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今日はアンナ・ファリア・マリアさんにインタビューをお願いしています。ファリアさんにはアパレル関係の通訳や、さまざまな分野の翻訳をよくお願いしていますが、こうやってじっくりお話しをする機会をいただいたのは初めてです。今日はよろしくお願いします

Q1、まず通訳者を目指すきっかけを教えてください。ファリアさんは翻訳も通訳も両方お出来になりますよね?

通訳のきっかけですか?最初大学院に入った時に、勉学の傍ら翻訳の仕事をやっていました。翻訳者を目指すというより、気がついたら翻訳をやっていたという感じです。ちょうどその頃友人から紹介をされて、生まれて初めて通訳を経験しました。当時NYに住んでいたのですが、フロリダまで飛んで日本の大手通信会社の仕事をしました。それが初めての通訳経験です。その後何度かリクエストをいただくようになりました。

Q2、お生まれは日本ですか?

私の父はアメリカ人なのですが、私は日本で生まれ、5歳の時にイギリスに渡りそこで英語を覚えました。一年後日本に戻った後は、18歳までアメリカンスクールで教育を受けました。日本の学校に通ったことは一度もありません。大学はアメリカのプリンストン大学に進学しました。卒業後東京大学で勉強し、その後また博士号を取るためにプリンストンに戻って、再度1年間国際交流基金の奨学生として、また東京大学に戻って研究をしました。博士課程を修了したのが、2007年です。大学院時代は研究と翻訳の仕事を両立していました。

Q3、企業に就職されたご経験はありますか?

いいえ、企業に就職したことは一度もありません。大学院卒業の1ヶ月後に結婚し、そのまま主人と一緒にパリに留学しました。楽しい結婚式にしたかったので、2ヶ月ぐらいで博士論文を頑張って書き上げました。(笑)主人がパリ郊外にあるビジネススクールに通っていたので、私は小さい頃からの夢だったお菓子を勉強しようと思い、「ピエール・エルメ」にスタージュ(インターン)といて参加しました。

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Q4、博士号を取った後にお菓子の勉強とは、本当に180度違いますね。

そうですね。私は小さい頃から料理が大好きで、大学院に進まなかったら、お菓子の勉強をしたいと思っており、日本でもお菓子作りの勉強をしていました。ピエールエルメに応募する時は、今までの博士号とか、通訳翻訳といったキャリアは全部伏せて、お菓子だけの履歴書を作りました。他に5人ぐらいスタージュがいたのですが、私以外はヨーロッパでお菓子のお店のパティシエの方だったんです。そんな中にポツンと入ったのですが、私だけちょっと異色でしたね。その後パリの「リッツ・カールトン」のお菓子学校にも通いました。半年後に日本に戻ってきたのですが、また主人の仕事の関係で4ヶ月後にNYに移りました。

Q5、NYでも通訳・翻訳の仕事をされていますよね?

はい、NYには約3年半滞在しましたが、滞在中はファッション関係の通訳や翻訳の仕事をご依頼いただきました。通訳も翻訳も基本的には独学で、学校に通ったことはありません。一度通訳学校に行こうかと思ったのですが、大学院に行くことになり、そのままになっています。

Q6、翻訳はどのような分野がお得意ですか?

得意というか、お料理の翻訳が一番楽しいです。今やらせていただいているのがメイプルシロップに関するレシピの翻訳ですが、とても楽しく仕事させていただいています。また私はよく広告やパンフレットなど広報・マーケティング関係の翻訳のご依頼をよくいただきますが、表現が難しいと思います。「ものを伝える」というより「雰囲気を伝える」ところに重点が置かれていて、直訳より意訳する必要があるからです。難しいと同時にやりがいもあり、上手い表現が思いついた時はとても楽しいですね。

Q7、通訳と翻訳の違いは何でしょうか?

まず翻訳は何度も推敲できますが、通訳は一発勝負なのでそこが大きく違います。また通訳では「あっ、実はそういうことだったんだ」と現場で気づく時がありますが、翻訳ではそういうことはありません。その場にいれば雰囲気も分かるし、気持ちまで訳すことが出来ますが、翻訳やメールのやり取りだけでは限界があります。そして通訳は翻訳とは全く違った難しさがあります。「人の個人的な表現の仕方」を訳すのは難しいと感じます。私はここ数年アパレル関係の仕事が多く、年に何度か同じ方の通訳をすることもありますが、技術的に難しいというより、その方の独特な表現を上手くデリバリーするのが難しいですね。通訳は「言葉を訳すだけじゃなく、場面を訳す」というのが大事だと思います。後気まずい場面や喧嘩になりそうな場面での通訳で、「ファリアさんが通訳者でよかった」と言われることが多く、そういう時は本当にやりがいを感じます。翻訳は通訳と違って全く相手が見えません。リアクションも通訳と比べると少ないですよね。性格的には通訳のほうが合っているような気がしますが、得意なのは翻訳のほうだと思います。

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Q8、大学の話に戻りますが、プリンストンでは英文学を専攻だとお伺いしましたが、具体的にはどういう勉強をされていたんですか?

英文学はゴシック小説(1800年代のビクトリア女王の時代)が専攻です。日本文学との比較を研究していました。日本文学は夏目漱石を専攻しました。ちなみに夏目漱石の作品の中では「虞美人草」が一番好きです。元々本を読むのが大好きで、私は文学には夢があると思っています。例えば小説を読んだ後、小説の映画を観ると大体がっかりしてしまいます。映画や漫画よりも活字が好きなんです。実は未だに漫画の面白さがよくわかりません。

Q9、ファリアさんはNYに渡られてから、マカロンのお店を出されましたよね?アメリカでお店を作るのは大変だと思いますが、そこに至った経緯を教えてください。

2008年、当時NYにマカロンのお店は1件しかありませんでした。「マカロンは小さくてカラフルなのでメールオーダーみたいなシステムで送れるのでは?」と思い、最初の1年半はネット販売でビジネスをスタートさせました。なるべくお金をかけずに起業したかったので、HTMLを勉強して、自作でHPを作成しました。その後アメリカで会社を設立しました。設立の手続きは州によって違い、最初は分からないことだらけでしたが、全部自分で調べて作りました。消費税などの税金も細かく分かれているのですが、直接機関などに電話で問い合わせしました。最初はネット販売のみでスタートし、3ヶ月間PR専門のスタッフを雇いました。ある日いきなりPRの人から電話がかかってきて、『明日dailycandy(200万人が購読しているネット誌)に掲載が決まった』というメッセージを受けて、私はちょうど1週間の通訳の仕事を受けていたので、大パニックになりました。当時はシェアキッチンを利用していました。最初は量が少なかったので十分回っていたのですが、dailycandyに掲載されてからは、今まで1週間に2箱だった注文が100箱(マカロン1000個)に急増し、そこで初めて人を雇いました。

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Q10、多分このころですよね?急にファリアさんからしばらく仕事が受けられないと連絡があって、『ファリアさん何やってるんだろう!?』ってみんなで心配していました。

注文も安定してきたし、ネットだけだとなかなか売り上げが伸びないので、実際に店舗を持とうと決心しました。小さい頃から自分のお店を持つのは大きな夢のひとつだったんです。それにシェアキッチンでずっと続けるのも限界でした。ただ出店に関しても、右も左も分からないことだらけでした。実際には店舗を建てるのに、設計士が必要になります。あとはお店を見つけた時点で契約書にサインをするときに弁護士さんが必要です。NYでは工事を途中で辞めてしまう業者などもいるので、気を付けなければなりません。マカロンは場所を取らないので、お店は大体40㎡ぐらいの広さでした。

Q11、開店までにどのぐらいの時間がかかりましたか?
お店を見つけたのが10月で、開店が3月です。お店の図面の許可が降りるまで4か月かかりました。私はちょうどその頃妊娠していたのですが、最終的にはコネを使って知人からNY州に電話を入れてもらい、『早く店を開けてくれないと赤ちゃんが生まれるから』と言って交渉してもらい、なんとか翌日に許可が下りました。工事も「赤ちゃんが生まれるから早くしてください」と言って、最後はみんな慌てて工事してくれました。お店が出来上がったのは、出産予定日の2週間前でした。お店は4人のスタッフでスタートしました。また私も出産2週間後には赤ちゃんと一緒にお店に出ていました。お客様に「ずいぶん小さな店員さんだね」と言われましたよ。

Q12、ファリアさんはお店の経営をされながら、通訳・翻訳の仕事もされていましたよね?
お店をやりながら通訳・翻訳の仕事をするのは、違うことをする楽しみがありました。現場でマカロンを焼いている時は楽しかったのですが、お店が大きくなると、現場の楽しい仕事は他の人がやって、自分は数字を見るとか、経営に関わる重要なこと、プレッシャーのある楽しくない仕事ばかり回って来るようになりました。たからこそ、まったく違う通訳・翻訳の仕事はとても楽しかったです。ただ時間には制限があるので、時間管理は工夫しました。翻訳は時間をかけようと思ったら、無制限にかけられますよね?私は最初に翻訳のご依頼をいただいた時に、内容と枚数をカウントして、必ず「この時間内でやる」決めることにしています。1時間に3枚(200ワード/1枚)が私のスピードです。それ以上時間がかかっている時は、スピードを上げるようにします。必ずしも時間をかけて訳した翻訳がいい翻訳だとは限らないからです。

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Q13、社員の人材育成はどのようにされていますか?
会社組織で働いた経験がないので、人材育成ではずいぶん悩みました。社員の長所を伸ばすと同時に、その人が全部出来る訳でないのでその部分も理解するように努めました。会社を設立する時は全部自分でやってきたので、最初は『なんでこの人は全部できないんだろう?』と不思議に思いました。ただ『その人がすごくよくできるもの』って必ずありますよね。そういう部分を引きだすようにしました。『この人は性格的にこまめにフォローしたほうがいい』とか『この人は自分でやりたいタイプだな』とか、相手に合わせた教育が難しいと思いました。経営者は社員の『モティベーションをあげる』のも仕事の一部だと思いますが、私は常にフィーバックをするようにしました。この部分はすごく通訳に似ていると思います。例えば現場でクライアントから「あなたの通訳は良かった。また頼みたい」と言われればモティベーションが上がりますよね?それと同じです。「お客様がこのお菓子は美味しいって言っていたよ」とフィードバックすれば、社員のモティベーションも上がります。上手くいかなかったことを注意する時も、最初に「ここは良かったね」と伝えてから注意するようにしています。

Q14、日本に2号店を出す予定は?(笑)
もうちょっと...待ちましょう(笑)今後は家族の仕事の都合でしばらく日本に滞在しますが、今考えているのは、ベビーシッターがいて子連れで参加できて英語も学べるようなお菓子教室をやろうかと思っています。

Q15、もしも通訳・翻訳者になっていなかったら、何をやっていたと思いますか?
多分「お菓子をやりたい」と思いながらも、アメリカの田舎の小さな学校で、大学の教授になって、漱石の授業をしていたと思います。実は去年、マカロンのお店に、ある大学の教授から面白い電話かかかってきました。『プリンストン大学のファリアさんですか?今、あなたの論文を読んでいるところなんだけど、今どの大学にいるのか気になって調べていたらマカロン屋さんをやっているって聞いたんですが、本当ですか?』って聞かれて(笑)『本当ですよ』って答えたら、マカロンをご注文いただきました。人生何が起こるか分かりませんね。

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編集後記
とにかくファリアさんは明るくて前向きな女性です。困難な問題が立ちはだかっても、「これは自分を成長させるチャンスかもしれない」と考えるという言葉がとても印象的でした。自分のお店を持つという夢をすでに実現して、次は何を目標にされるのでしょうか?今度是非ファリアさんのお料理教室に通いたいと思います。


Vol.58 「心が温まる通訳」

【プロフィール】
嵯峨山みな子 Minako Sagayama
韓国・梨花女子大学校通訳翻訳大学院卒業
高校生の時にニュース番組で聞いたノ・テウ大統領のスピーチがきっかけで韓国語に興味を持ち、一度は日本の企業に就職するも、退職して韓国へ留学。帰国後、通訳学校へ通いプロの通訳者を目指す。
現在では会議通訳はもちろん、タレントの通訳等芸能業界にてもご活躍中。
また、通訳だけでなく翻訳者として書籍等の翻訳もされている。

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本日は韓国語通訳者として弊社でもご活躍いたただいている嵯峨山みな子さんにお話しをお伺いします。私自身韓国が大好きなので、今日お会いできるのを楽しみにしていました。よろしくお願いします。

Q1、最初に韓国語との出会いを教えてください。

高校生の時にNHKのニュース番組でノ・テウ(盧泰愚)大統領のスピーチを偶然聞いたのがきっかけです。義務教育で英語は学んでいましたが、英語とは全く違う韓国語の響きに関心を持ちました。それが私と韓国語との出会いです。本格的に韓国語の勉強を始めたのは、社会人になってからです。当時は韓国語の通訳者を目指すつもりは全くなく、NHKのラジオハングル講座とテレビハングル講座で勉強を始めました。

Q2、その後韓国に留学されていますよね?

はい、最初はラジオ講座のテキストを丸暗記しながら独学で勉強をしていましたが、もっと本格的に勉強がしたいという気持ちが強くなり、一旦会社を退職してソウルの延世大学韓国語学堂に留学しました。そこではまじめに宿題に取り組んでいました。また日本人には難しい韓国語の発音を克服するために、テレビでドラマやバラエティを見て、若い女性の話し方や口元の動きをずっと見ながら研究しました。のちに『チャングムの誓い』で有名になったイ・ヨンエさんのドラマも当時よく観ました。

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Q3、プロの通訳者を目指そうと思ったのはいつ頃からでしょうか?

延世大学韓国語学堂を卒業して日本に戻り、しばらくして通訳学校に通い出した頃です。留学して自分なりに韓国語は話せるようになったつもりでしたが、最初の授業では社説も満足に読みこなせませんでした。今考えると圧倒的に語彙力が足りなかったんですね。自分の力不足を痛感して、とにかく語彙力を付けたり、授業の教材を聞いて自分でおこしたりして勉強しました。

Q4、その後順調に通訳者になられたのでしょうか?

いいえ、何度か挫折しそうになったことがあります。でも私は通訳学校で素晴らしい先生との出会いがあり、本当に救われました。通訳学校には2年半通いましたが、途中で「自分は本当に通訳者になれるのだろうか?」とか「もしかしたら自分は通訳者には向いてないかもしれない?」と思い悩んだ時期があります。当時派遣社員として銀行で仕事をしていましたが、保証されている訳でもないので、不安と焦り、そして閉塞感を感じていました。実は一度「通訳者にはなれないと思うので、もう辞めます」と先生に告げたことがあります。その時先生は「あなたの集中力にはとても期待していたのよ。あきらめないで頑張って」と声を掛けていただきました。その言葉がいつまでも耳に残っていました。そして挫折しそうになった時、いつも先生のその言葉を思い返して勇気をもらっていました。あの言葉がなかったら、私は途中で挫折していたかも知れません。その後、梨花女子大学校通訳翻訳大学院韓日通訳学科修士課程を受験しました。倍率が非常に高かったらしいのですが、ラッキーにも一回で合格することが出来ました。その時も先生から国際電話で、お祝いの言葉をいただきました。そして「でもここで満足するようではだめよ。同期の間でも頭角を現すぐらいがんばりなさい」と声をかけていただきました。そして大学院を卒業後、帰国して何年か経ったとき、先生とある仕事で組ませていただく機会があり、そのとき先生は心から喜んでくださいました。私の人生を振り返ってみると、行き詰まり感が来た時に転機が訪れています。そして本当に諦めなくてよかったと思っています。また大学院の同期は8名と人数が少ないのですが、今でも連絡を取り合ってお互いに助け合ういい関係が築けています。

Q5、韓国語を話していると、日本人だと気付かれないこともありますか?

「韓国人かと思いました」と言ってくれる韓国の方もいますが、自分ではそうだとは思いません。どんなにネイティブに近付けたつもりでも、やはり日本語らしい韓国語表現になっている部分があると思います。例えばひとつの例ですが、韓流スターはファンに向かって「愛してください(サランヘヨ)」と言いますが、日本では「応援してください」ですよね。韓国語のほうが日本語より表現がストレートなんです。そして日本語の表現は受動態が多いですが、韓国語は能動態が多い。いい例があまり思い浮かばないのですが、日本語では「最近太ったとよく言われます」という表現が韓国語だと「最近太ったという話をよく聞きます」となります。また日本語では「露骨にいやな顔をする」と言いますが、韓国語では「露骨的にいやな顔をする」と言います。翻訳の仕事もよくお引き受けしますが、こういう小さなところが違うと思います。こだわるときりがなく、本当に言葉は奥が深いですね。

saga4.jpg翻訳した歌詞の対訳や本

Q6、ビジネス上、日本と韓国の違いはありますか?

やはり韓国人はバイタリティがありますね。日本人は一段一段慎重にリスクを考えながら仕事をするイメージですが、韓国人は「とりあえずやってみよう」という推進力が強いと思います。一概には言えないかもしれませんが、国民性の違いではないでしょうか。それに韓国のソフトパワーは本当にすごいと思いますし、英語教育も日本より進んでいます。韓国は日本以上に学歴社会だということもあるし、非常に勉強熱心で、小さい頃から積極的に英語の勉強を取り入れていますね。

Q7、お仕事上、韓流ブームの影響はありますか?

はい、韓流ブームの後はお仕事の件数も増えていますし、芸能関係のお仕事もよくいただきます。キム・デジュン(金大中)大統領がアニメや歌、映画に力を入れようと国策で取り組んだことが、花開いて今の韓流ブームに繋がっていると思います。まだ通訳者としては駆け出しの頃ですが、パク・ヨンハさんの通訳を担当させていただいたことがありました。雑誌の取材やテレビ番組、イベント等での通訳の際も、経験が少ない状態からやらせていただいたのですが、パク・ヨンハさんには本当によくしていただきました。彼は私の芸能通訳の先生だと思っています。いろんなことを背中で教えてくれた方でした。亡くなられた時は耐えがたいぐらいのショックを感じました。あの日のことは今でも忘れません。そして今でも心から感謝しています。

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Q8、他に印象に残った仕事はありますか?

どの仕事も印象に残っているのでひとつだけ選ぶのは難しいのですが、消防関連の通訳で総合防災訓練の視察やプレゼンテーションの通訳を担当したことがあります。ハイパーレスキュー隊の訓練を見学したり、セミナーでは震災が起きた時にどう対応するか?指令系統は?救助犬の育成から自衛隊の活動に至るまで幅広い内容でした。そして最終日仕事が終わって解散した直後に、あの3.11の震災が起こりました。ちょうど通訳を担当した内容がテレビで解説されたりしていたので、今でも印象に残っています。

また仕事では役に立つとは思ってもいなかったことが、通訳の時に役立つことがあります。例えば私はNHKでやっていた『三銃士』という人形劇が好きでビデオに録画して見るぐらいでした。その後数年たって、偶然にも『三銃士』のミュージカルに出演する歌手の通訳をやらせていただく機会があり、そのとき人形劇で見ていた内容が非常に通訳に役立ちました。またレセプションや懇親会の席で日韓の共通の話題として、歴史小説や韓流ドラマの話になることがよくあります。芸能通訳もやらせていただいていますので、邦題と原題が違う場合もすぐに対応できたりすることもあり、そういう風に仕事はどこかで、いつも繋がっているんだと思います。

Q9、通訳者としてやりがいを感じるのはどういう時ですか?

そうですね。通訳を聞いている皆さんが、メモを取ったり、うなずいて聞いてくれたりしている様子をみると、とてもやりがいを感じます。また韓国人はユーモアがある人が多いのですが、ギャクを訳した時に聴衆がドッと笑って、会議の雰囲気が和んだ時はすごく嬉しかったです。少し芸人の人の気持ちがわかりました。(笑)

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Q10、将来的にはどんな通訳者を目指していますか?

今よりもっと正確なパフォーマンスが出来る通訳者になりたいと思っています。そしてただ正確なだけでなく、心が温まるような通訳者を目指したいと思っています。心が温まるとは、聞いている人が安心できて、やさしさを感じられるような通訳です。通訳のお仕事も翻訳のお仕事も声をかけていただいて初めて仕事が成立しますので、いつまでも声をかけていただけるような通訳者、翻訳者でありたいと思います。

saga7.jpgファンミーティングや視察での通訳の時は机がないので下敷きを使います。機密保持のためにもメモに裏紙は使いません。また会食時の通訳では小さなメモ帳を使います。iPhoneは仕事先でもハングル文字で検索が出来るので愛用しています。

Q11、最後に何かメッセージをお願いします。

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実は今回ハイキャリアのインタビューをお受けしたのには訳があるんです。私はインタビュー等、人前で話をするのはあまり得意ではありませんが、最近小学生に「韓国語の通訳者になるためにはどうしたらいいですか?」という質問のお手紙をもらいました。また韓流スターのファンミーティングの通訳の後、帰り道で「韓国語の通訳者になりたいのですが・・・」と相談を受けることもあります。こちらのサイトは通訳者を目指している方が多く読まれているとお伺いしましたので、私の経験がそんな方のお役に立てるならと思ったんです。やっぱり通訳者になりたいという気持ちを持ち続けることだと思います。よく言われていることかと思いますが、大切なのは諦めないことですね。私は何度も挫折しそうになって、その度にメンターとも言える存在の先生の言葉に助けられました。そして通訳の仕事を7年続けていますが、飽きるということがありません。声がかかる限り通訳をしたいと思っています。

編集後記:
「過去記事を読んで、7つ道具を持ってくればインタビューカットは少ないのではないかと思って・・・」と、たくさん仕事道具を持ってきていただいた嵯峨山さん、とても奥ゆかしい方なのですが、プロの通訳者としての姿勢は本当に素晴らしい方です。心が温まる通訳者を目指しているという言葉がとても印象に残りました。私達も心が温まるようなコーディネーションをして、通訳者・翻訳者の方々とやさしさを届けられるような仕事がしたいと思いました。


Vol.57 「必要なのはただ一つ:続けるという才能」

【プロフィール】
丸尾一平さん Ippei Maruo
小学校4年から中学校2年にかけて4年半をNYで過ごし、日本へ帰国後ICUHSへ入学。
大学卒業後に就職した会社にて、簡単な通訳を経験したことをきっかけに通訳学校へ通う。
その後会社員を辞め、様々な会社でインハウス経験を積んだ後に2006年よりフリーランスへ転身。
現在は通訳学校の講師も務めつつ、多くの業界にてご活躍中。

Q1、丸尾さん、今日は改めてゆっくりお話できる機会をいただき大変ありがとうございます。まず最初に、英語をどのようにして学んだのかを教えて下さい。

私は小学校4年生の夏から中学校2年生の終わりまで、父の仕事の都合でNYで過ごしました。英語は全く分からない状況で、現地の公立学校に通い始めました。学校の中に第二言語として英語を学ぶクラスがあり、そのクラスも受講して勉強しましたね。最初は大変でしたが、半年もすれば何とか学校生活を送れるぐらいの会話力が身に付きました。ちょうど海外で過ごした時期が、年齢的に英語を吸収するにはいい時期だったのだと思います。

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Q2、それではすぐにアメリカの生活に溶け込まれたのでしょうか?
はい、あまり苦労した記憶はありません。日本と違ってアメリカの学校では、クラスにネイティブじゃない生徒がいるという状況には慣れていますので、周りの理解もありすぐに溶け込めました。今でもはっきり覚えているのですが、アメリカでの最初の授業は、算数のクラスでした。小学生4年生で2ケタの足し算でした。日本の授業はもっと進んでいたので、「これは勝ったぞ!」と思いました(笑)満点だと思って提出した回答にすべて×がついていたので、先生に質問しました。日本は正解には○と印しますが、アメリカでは正解にチェックマークをつけますよね。それを×だと勘違いしてしまったのです。そんな文化の違いもたくさん実感しました。そして中学校3年生の時に日本に帰国したのですが、帰国子女を受け入れており、英語教育の充実した高校に入学したのも、英語を忘れなかった理由の一つです。

Q3、最初にどのようなお仕事に就かれたのでしょうか?

日本の大学を卒業した後は、ある合弁会社に就職しました。2年ほど営業職を経験し、英語を使う部署に配属されました。その部署には外部の会議通訳者や、社内通訳者の方々もいらっしゃいました。時々通訳者が手配出来ない時に、頼まれて簡単なミーティングの通訳をしましたが、その経験がとても楽しく、通訳学校に通うことにしました。実際に仕事をしながら、1年間ぐらい通訳学校に通いました。

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Q4、実際に勉強を始めてみて、通訳に対する印象は変わりましたでしょうか?

そうですね。勉強を通して、今までの自己流の通訳ではきちんと逐次通訳が出来ていなかったことがよくわかりました。社内通訳はある程度内容が分かっているので、何とか訳すことが出来ましたが、授業では、最初は知らない分野が出てくると途端に訳せなくなりました。いかに自分が人の話をちゃんと聞いていなかったのかを思い知らされましたね。違う世界の高度な考え方、アカデミックな内容をきちん理解して聞きとるのは本当に難しいと思います。ただ自分の力不足に気付くと同時に、通訳という仕事の面白さも実感しました。昼間は仕事をしながら夜の通訳クラスに通って勉強する日々が続きました。当時自分は会社組織の中に長く働くのは向いていないという思いもあり、好きな語学を活かして行きたいとう気持ちも日々強くなり、思い切って会社を辞めて通訳者を目指す決断をしました。周りには「まだ会社を辞めて通訳者を目指すには早い」と反対されましたが、何とかなると思い、後先のことも考えずに6年間のサラリーマン生活に終止符を打ちました。

Q5、その後通訳者としてのキャリアを積まれることになるのですが、お仕事は順調でしたでしょうか?

大変ありがたいことに、仕事はずっと最初から途切れることなく順調にいただくことができました。最初の1年間は通訳学校からOJTや友人からの紹介でいろんな仕事を受け、またこれも駆け出しの頃ですが、大手製鉄会社のプロジェクトで8ヶ月間インドに通訳者として行きました。体調管理にはかなり気を付けていたのですが、やはり腹は下しましたね(笑)。今では忘れられない経験です。その後、システム、IT関係、外資の保険、金融、電気通信などの長期企業内通訳で経験を積みました。最初から、将来はフリーランスの会議通訳者になるという目標がありましたので、ひとつの会社に留まるのではなく、通訳者として必要なレベルの知識を吸収したら、意識的に職場を変え、次の分野に挑戦するようにしました。

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Q6、企業内通訳者からフリーランスになるタイミングはどうしたらいいか、よく聞かれるのですが、丸尾さんはどう思われますか?

私は2006年からフリーランスに転向し、現在6年目です。確かにタイミングは難しいですね。私の場合は、企業内通訳者としては充分経験は積んだなという実感がありました。また通訳学校も卒業していましたし、外部の通訳者の方々とご一緒する機会もあり、まだまだ力不足ではありますが、フリーランスの方と何とか張り合っていけるだろうという手応えもありました。

フリーになるタイミングは人それぞれだと思いますが、まず逐次通訳がきちんと出来るということ、ウィスパリングや同時通訳も何とかこなせる。そして後は自信を持てる専門分野・業界が1つ、2つあるといいと思います。

私の場合は、ちょうどフリーランスになった時は通訳業界としては比較的景気がよく、そういう意味ではタイミングがよかったです。某銀行の大掛かりなシステム実装のプロジェクトの通訳にアサインされたので、最初から順調に仕事は入ってきました。

Q7、丸尾さんは一日何時間ぐらい勉強されていましたか?何かこれをやって力がついたという練習法はありますか?

勉強については、私を叩いても何も出てきませんよ(笑)。特に一日何時間と決めずに、出来る時にやるというスタンスです。特定のメソッドで力がついたという記憶はないのですが、学校に通っている時は、与えられた課題をこなすこと、復習をできるだけしっかりとやることを心がけました。伸び悩むこともありました。逐次のリテンションについては竹藪を飛び越える忍者のようにある長さで訳せるようになったら、少しだけリテンションの長さを伸ばす、というやり方を繰り返して鍛えました。それと、シャドウイングは集中して行うとかなり効果的だと思います。あとリプロダクションもよくやりました。またジャパンタイムズを読んで、分からない単語は単語帳を作って覚えました。

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Q8、単語帳は何か工夫されていますか?
昔はエクセルでまとめていましたが、今は時系列で一冊のノートに手書きで書いています。本当はそれをエクセルにまとめ直したいのですが、今は仕事が忙しくその時間がありません。ノートの表紙には日付を書いておき、時間のある時に読みなおしています。単語は手で書いたほうが頭に残りますね。検索は出来ませが、実際の通訳現場でも、パソコンで検索している余裕はほとんどありません。重要なのは単語を頭の中に叩き込むことです。

Q9、メモ取りに苦労している人が多いかと思いますが、 何かアドバイスはありますでしょうか?
ノートテイキングのことを語り出すと、それだけで3時間語れます。(笑)確かに逐次の場合は全部記憶に頼るというのは難しいので、メモ取りは重要です。またメモの取り方は確固たるメソッドがある訳ではなく、通訳者によって違いますが、いつくか基本的なことがあります。

①メモは縦に取る!
ほとんどの通訳者がメモ用紙に縦線を一本あるいは数本引っ張って、縦にメモを取っていきます。後で読む時に目で追いかけるのに楽だからです。

②キーワードをメモする!
話の内容や情報をすべてメモに取るのは不可能です。メモを取るのは「キーワード」のみです。メモを取るのに集中して次の話が頭に入ってこなかったなどと言うことがないようにしてください。

③数字は必ずメモをとる、そして単位まで取ること!
③数字は必ずメモをとる、そして単位まで取ること!
数字については必ず全てメモにとっておくようにします。そして、円なのかドルなのか、人数なのか年数なのか、単位まで取ることが重要です。また簡単な数字、ひと桁の数字も記憶に頼るのではなく、メモを取るようにします。

④訳し終わった内容は縦線で消す。
訳し終わったら次の話がスタートする前に縦線で消します。極限の状態で通訳をしていると、どこまで訳し終わったのかがすぐに分からなくなります。それを防ぐためです。

⑤センテンスの終わりは横線で区切る
文章の区切りごとに横線を引っ張って区切ることによって、どこからどこまでがワンセンテンスになるのかを把握することができます。

⑥知らない単語はメモを取る。
知らない単語が出てきた時は、どんな発音の単語だったか、音だけはメモっておかないと、知らない単語だけに、すぐに忘れてしまいますのでメモを取っておきましょう。

⑦記号を活用しよう!
頻度に出てくる言葉などは、「記号」を決めて活用すると効果的です。シンプルな記号であれば、言葉を書き取るよりも簡単に素早くメモをとることが出来ます。

⑧どちらの言語でメモを取るのか?
ターゲット言語でメモを取ると決めている人もいますし、ソース言語で取ると決めている人もいますが、私は特に決めていませんが、基本的には本能的に画数が少ないと判断した言語で取るようにしています。どちらにしてもメモの中のキーワードから頭の中のストーリーを取りだすようにしています。

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詳しくは私のブログにも書いてありますので、お時間のある方はこちらも是非ご覧下さい。私は通訳学校の講師もしていますが、生徒にはメモには頼りすぎず、あくまでもリテンションの呼び水として活用するように指導しています。またメモ取り上達のコツとしては、日頃から通訳以外のシーンでもメモを手書きで書く習慣を身につけるといいと思います。

Q10、通訳者としてのやりがいを感じるのはどんな時でしょうか?

月末に送られてくる支払明細書の額を見た時です(笑)私達の年収はクライアントから信頼していただいているその証だと思っています。またリクエストやご指名をいただいた時にやりがいを感じます。初めてのクライアントさまからのお仕事の時は指名をとるためにも普段以上に万全に準備して望みますね(笑)そして通訳をしている間も、お客様の表情をよく見るようにしています。自分のパフォーマンスにお客様が納得していらっしゃるかどうか、表情を見ているとすぐに分かってきます。

Q11、将来はどんな通訳者を目指していらっしゃいますか?

イケメンカリスマ通訳者を目指しています(笑)通訳者としては今の延長線上を目指しています。耳が遠くなるまで続けたいですね。後は教える仕事も続けて行きたいと思っています。将来的には通訳技術だけを教えるのではなく、通訳者としての技術と経験を活かし、効果的なコミュニケーションのあり方などを伝えていきたいと思っています。

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Q12、最後に、通訳者を目指している人達に一言メッセージをお願いします。

通訳という仕事は、スポーツや芸術の世界とは違って、本当に才能を持った一握りの人しか食べていけないという世界ではありません。全く才能が関係ないとは言いませんが、それは通訳以外のほとんどすべての仕事についても言えることですよね。通訳は普通の人間が普通に努力すればできる仕事だと思います。ひとつだけ才能が必要だとすれば、それは続ける才能なのではないでしょうか?通訳者になるのは狭き門だとも言われていますが必ずしもそうではありません。実際は、通訳学校を1期、2期だけで辞めてしまう人も多くそういう人が見かけ上の倍率を高めているだけの話だと思います。もちろん辞めるのは悪いことではありませんし、いろんな仕事を探す上でのひとつのステップなのでしょう。ただし、通訳者になるのであれば、通訳者に向いているか向いていないか自分で決めてしまう前に、ある程度継続するという覚悟は必要です。きちんと続けている人は、すべからく、最後には通訳者としてデビューできるだけの実力を身に付けています。現在教えている生徒さんの中から、近い将来お仕事でパートナーとして組めるような人が出て来ると思いますが、それが今からとても楽しみです。

編集後記:
終始笑いの絶えないインタビューでした。プライベートでは現在2歳半と5ヶ月のお子さんがいらっしゃいます。育児や家事には積極的に参加されているそうです。現在のお悩みは体調管理や集中力を高めるためにも、平均6時間睡眠を確保したいけど、難しいとおっしゃっていました。お話をしていて、お仕事もプライベートも大変充実されているのが伝わってきました。是非これからもイケメン通訳者として頑張ってください!


Vol.56 「人は仕事を通して幸せになる」

【プロフィール】
細谷麻代さん Asayo Hosoya
佐賀県出身。高校時代から英語の勉強に励み、大学では国際関係を専攻。
卒業後も「通訳者を目指す」という目標のもと、就職活動はせずに通訳学校へ通う。
社内通訳を経て、現在は子育てをされながらフリーの通訳者としてご活躍中。

Q1、まずは英語との出会いをお聞かせください。

はい、通訳者になっていらっしゃる方は、海外経験が豊富な方や、小さい頃に海外に住まれていた方が多いかと思いますが、私は全くそういう環境ではありませんでした。九州の佐賀県という田舎町で生まれ育ちました。自然に恵まれてとても美しい町だったのですが、反面閉鎖的なところもあり、小さい頃からもっと広い世界を見てみたい、もっと外に出たいという思いをずっと抱いて育ってきました。

英語に触れたのは中学校からですが、本格的に勉強を始めたのは高校に入ってからです。私は元々負けん気が強い性格なのですが、特に英語は「誰にも負けたくない」という思いが強く、高校1年生の時に3年間で習う英語をすべてマスターしました。その当時は「将来通訳者になろう」と意識していた訳ではありませんが、とにかく英語の勉強が楽しかったんです。その後大学は国際関係を専攻しました。英語は自分で勉強できるので、自分では勉強できない国際関係を専攻しました。

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Q2、大学卒業後は就職されずに通訳・翻訳者の道を進まれたんですよね?

そうなんです。就職する頃は「通訳者を目指そう」という明確な目標があったので、就職活動はせずに通訳・翻訳者として経験を積もうと思いました。最初は旧宇宙開発事業団(現JAXA)で翻訳担当の派遣社員として働き始めました。ロケットや衛星のインターフェイスに関する技術文書の翻訳をしました。通訳もやらせてもらいました。今までは知らなかった世界で難しい機械的な分野から入ったので、ずいぶん視野も広くなりました。

Q3、通訳トレーニングはどのようにされましたか?

しばらく翻訳の仕事をメインにしていたのですが、どうしても人と関わりたいという気持ちが芽生えました。当時仕事で通訳者の方と話す機会もあり、ますます通訳者になりたいという気持ちが強くなり、通訳学校に通い始めました。最初に先生に言われたのは「最低通訳の授業時間の7倍勉強しなさい」という言葉でした。そうしないと通訳力は付かないし、伸びていかないと言われました。私は学校に通っていた当時は7倍どころか、20倍以上は勉強していたと思います。

勉強方法としては海外のニュースを教材にしました。音声とスクリプトを入手して、実際に逐次通訳のトレーニングをし、放送通訳の方たちの素晴らしい表現を盗む気持ちで訳を書きこんでいきました。これはほんの一部ですが、ずいぶん整理したのですが、それでも当時勉強していた資料は山のようにあります。何度も何度もトレーニングしました。通訳学校で同時通訳科に進級すると、音声に合わせて実際に同時通訳のトレーニングもしました。

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Q4、細谷さんはお二人のお子様もいらっしゃいますが、時間管理はどのようにされていますか?

さぁ、どうしているのでしょうか?(笑)私が本格的に通訳トレーニングをスタートさせたのは、下の子供が生まれてからでした。子供が寝つくとすぐに勉強して、朝は5時前に起きて2時間ぐらい勉強してから仕事に行く準備をしていました。当時は「通訳者になりたい」という気持ちが強かったからこそ、出来たんだと思います。時間管理というより強い思いがあって、モティベーション高くして勉強に取り組めたのだと思います。1日中仕事と子育てと勉強で、プライベートの時間は一切ありませんでした。最近は下の子が「将来は通訳者になりたい」と言い始めました。まだ現実感はともなっていませんが、楽しみですね。

Q5、是非その時はテンナインに登録してください。(笑)その後いくつかの企業で社内通訳者を経験して、2008年以降フリーランスになられていますよね?

はい、通訳者として成長したいという思いから決断しました。どうしても企業内通訳の場合は、いつ通訳を頼まれるか分からない状況です。緊張感もありますが、ずっと通訳をしている訳ではないし、翻訳を頼まれたり、その他の仕事もします。フリーランスになってからは、会議のために現場に向かうので、より通訳者として自覚を持たされるような感覚があります。オンとオフがよりはっきりしているという感じです。当然最初は本当に仕事が来るのだろかと不安な気持ちでいっぱいでしたが、今はよかったと思っています。時間的な自由もあるし、常に試されているというか、よりチャレンジングだと思います。企業内通訳の場合は内容的によくわかっている分野だということ、常に限定的な人に対して通訳をするので、どうしても慣れや甘えが出てきます。フリーランスの場合はその一日だけで評価されるので、私にとってはやりがいがあります。私は「人は仕事を通して幸せになる」んだと思います。

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「人は仕事を通して幸せになる」とは素敵な言葉ですね。

私の趣味は乱読です。本は自分への投資だと思っています。1日2冊読む時もあります。お勧めの本はありすぎて、何を上げたらいいのか分かりませんが、先日読んだ本の中に「人は仕事を通して幸せになる」ということが書いてあって、私も本当にそうだと思いました。生きるために仕事をすると考えている人も多いと思いますが、そうじゃなくて仕事をすること自体が、人生の目的になってもいいじゃないかと思います。仕事が出来る人や成功している人は自己責任を持っています。どこかの組織に属していると難しいかも知れませんが、自分の成長に対して責任を持って仕事をしている人が成功するのだと思います。

Q6、すごく深い話ですね。細谷さんは何事も前向きに取り組んでいらっしゃいますが、どうやってモティベーションをキープされていますか?

やはりクライアントとのふれあいだと思います。予期せず大変な仕事を請け負うこともあります。そんな中でもベストを尽くして対応するのですが、終わった後クライアントからお褒めの言葉をいただいたり、お礼を言われたりすると、やりがいを感じます。自分がいなかったら起こり得なかったコミュニケーションが成立した瞬間は、心から通訳をやっていてよかったと思います。大変な仕事程今でも印象に残っています。一度ワインのセミナーの通訳をやったことがあります。私はワインに詳しい訳ではありませんでしたが、聴衆はワイン通の方ばかりでした。ワインの本を一冊買って丸暗記しました。一週間ぐらい一緒に大変な仕事をしていると、終わった後お客様とチーム意識というか、自分も限界までやったという達成感があります。

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とにかく通訳になるまでは果てしない道のりです。何かに残しておくと、自分が積み重ねたものが目に見えるので、自信と継続力に繋がります。単語帳は作らないという人もいますが、私はマニアック?なくらい単語帳に残します。「この表現がすごいな」と思う表現に出会うと体がぞくぞくするのですが、そういうのをリスト化してモティベーションを高めています。

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Q7、単語帳マニアということですが、何か工夫はされていますか?
工夫という訳ではありませんが、よくお声をかけていただけるクライアントは、クライアント別にまとめてデジタル化しています。ただ一回だけの仕事の場合は、単語をノートに走り書きしています。自分の字で書いたほうが、記憶に残りやすい気がします。単語の(が)繰り返し出てくると、必ず記憶に引っかかってくるようになります。また英語の本来の意味と日本語の意味がずれていたりすると、同通ですぐに出てこないケースも多くあります。そういう時は単語帳にして自分に言い聞かせるように覚えていきます。

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Q8、細谷さんはお客様からリクエストやリピート依頼をたくさんいただきますが、何か心掛けていることがありますか?
私は通訳者になりたいと思ってから実際になるまでの年月がすごく長かったので、仕事ができるだけで嬉しいし、心から楽しんでいます。またそういった場を提供してくださったクライアントにはなるべく満足していただきたいとう気持ちで仕事をしています。そういった気持ちがクライアントに通じているのかも知れません。私は役に立っている、この人に依頼してよかったと思っていただくのが一番の喜びです。そしてこれからはもっといろんな分野に対応できる通訳者になりたいと思います。

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Q9、通訳者を目指している人にメッセージをお願いします。
私も通訳者になるまでの道のりは長かったし、いつも焦っていました。トンネルの中を歩いているような、先が見えないという感覚です。ただあの頃に着実に勉強してきたことが、今現場で役立っています。100勉強しても現場では30ぐらいしか使わないことも多いでしょう。一回、2回の仕事ではあまり役に立たなかったとしても、毎日、毎日仕事を受ける中で、必ず勉強したことは自分に帰ってきます。焦らないで、自分の土台作りをしてください。

編集後記:
偶然私も小さい頃に佐賀県の伊万里市というところで育っているので、とても共感を持ってお話しできました。今は伊万里湾にイマリンビーチというとてもきれいな人口のビーチが出来たそうです。最近は自分の内面を見つめる時間を取っていらっしゃるそうです。外で起こっていることは、自分の内面の投影だという言葉もすごく印象に残りました。



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