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Training Global Communicators

Vol.59 「次の夢に向かって」

【プロフィール】
ファリア・アンナ・マリエさん Farrier Anna-Marie
日本で生まれ、5歳から1年間イギリスにて過ごす。
帰国後日本のアメリカンスクールを経て米プリンストン大学英文学科に進学。
大学卒業後に翻訳・大学院在学中に通訳デビュー。
米国大学大学院で博士号を取得後にご結婚、ご出産を経て、
現在はフリーランス通訳者・翻訳者として様々な業種にてご活躍中。

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今日はアンナ・ファリア・マリアさんにインタビューをお願いしています。ファリアさんにはアパレル関係の通訳や、さまざまな分野の翻訳をよくお願いしていますが、こうやってじっくりお話しをする機会をいただいたのは初めてです。今日はよろしくお願いします

Q1、まず通訳者を目指すきっかけを教えてください。ファリアさんは翻訳も通訳も両方お出来になりますよね?

通訳のきっかけですか?最初大学院に入った時に、勉学の傍ら翻訳の仕事をやっていました。翻訳者を目指すというより、気がついたら翻訳をやっていたという感じです。ちょうどその頃友人から紹介をされて、生まれて初めて通訳を経験しました。当時NYに住んでいたのですが、フロリダまで飛んで日本の大手通信会社の仕事をしました。それが初めての通訳経験です。その後何度かリクエストをいただくようになりました。

Q2、お生まれは日本ですか?

私の父はアメリカ人なのですが、私は日本で生まれ、5歳の時にイギリスに渡りそこで英語を覚えました。一年後日本に戻った後は、18歳までアメリカンスクールで教育を受けました。日本の学校に通ったことは一度もありません。大学はアメリカのプリンストン大学に進学しました。卒業後東京大学で勉強し、その後また博士号を取るためにプリンストンに戻って、再度1年間国際交流基金の奨学生として、また東京大学に戻って研究をしました。博士課程を修了したのが、2007年です。大学院時代は研究と翻訳の仕事を両立していました。

Q3、企業に就職されたご経験はありますか?

いいえ、企業に就職したことは一度もありません。大学院卒業の1ヶ月後に結婚し、そのまま主人と一緒にパリに留学しました。楽しい結婚式にしたかったので、2ヶ月ぐらいで博士論文を頑張って書き上げました。(笑)主人がパリ郊外にあるビジネススクールに通っていたので、私は小さい頃からの夢だったお菓子を勉強しようと思い、「ピエール・エルメ」にスタージュ(インターン)といて参加しました。

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Q4、博士号を取った後にお菓子の勉強とは、本当に180度違いますね。

そうですね。私は小さい頃から料理が大好きで、大学院に進まなかったら、お菓子の勉強をしたいと思っており、日本でもお菓子作りの勉強をしていました。ピエールエルメに応募する時は、今までの博士号とか、通訳翻訳といったキャリアは全部伏せて、お菓子だけの履歴書を作りました。他に5人ぐらいスタージュがいたのですが、私以外はヨーロッパでお菓子のお店のパティシエの方だったんです。そんな中にポツンと入ったのですが、私だけちょっと異色でしたね。その後パリの「リッツ・カールトン」のお菓子学校にも通いました。半年後に日本に戻ってきたのですが、また主人の仕事の関係で4ヶ月後にNYに移りました。

Q5、NYでも通訳・翻訳の仕事をされていますよね?

はい、NYには約3年半滞在しましたが、滞在中はファッション関係の通訳や翻訳の仕事をご依頼いただきました。通訳も翻訳も基本的には独学で、学校に通ったことはありません。一度通訳学校に行こうかと思ったのですが、大学院に行くことになり、そのままになっています。

Q6、翻訳はどのような分野がお得意ですか?

得意というか、お料理の翻訳が一番楽しいです。今やらせていただいているのがメイプルシロップに関するレシピの翻訳ですが、とても楽しく仕事させていただいています。また私はよく広告やパンフレットなど広報・マーケティング関係の翻訳のご依頼をよくいただきますが、表現が難しいと思います。「ものを伝える」というより「雰囲気を伝える」ところに重点が置かれていて、直訳より意訳する必要があるからです。難しいと同時にやりがいもあり、上手い表現が思いついた時はとても楽しいですね。

Q7、通訳と翻訳の違いは何でしょうか?

まず翻訳は何度も推敲できますが、通訳は一発勝負なのでそこが大きく違います。また通訳では「あっ、実はそういうことだったんだ」と現場で気づく時がありますが、翻訳ではそういうことはありません。その場にいれば雰囲気も分かるし、気持ちまで訳すことが出来ますが、翻訳やメールのやり取りだけでは限界があります。そして通訳は翻訳とは全く違った難しさがあります。「人の個人的な表現の仕方」を訳すのは難しいと感じます。私はここ数年アパレル関係の仕事が多く、年に何度か同じ方の通訳をすることもありますが、技術的に難しいというより、その方の独特な表現を上手くデリバリーするのが難しいですね。通訳は「言葉を訳すだけじゃなく、場面を訳す」というのが大事だと思います。後気まずい場面や喧嘩になりそうな場面での通訳で、「ファリアさんが通訳者でよかった」と言われることが多く、そういう時は本当にやりがいを感じます。翻訳は通訳と違って全く相手が見えません。リアクションも通訳と比べると少ないですよね。性格的には通訳のほうが合っているような気がしますが、得意なのは翻訳のほうだと思います。

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Q8、大学の話に戻りますが、プリンストンでは英文学を専攻だとお伺いしましたが、具体的にはどういう勉強をされていたんですか?

英文学はゴシック小説(1800年代のビクトリア女王の時代)が専攻です。日本文学との比較を研究していました。日本文学は夏目漱石を専攻しました。ちなみに夏目漱石の作品の中では「虞美人草」が一番好きです。元々本を読むのが大好きで、私は文学には夢があると思っています。例えば小説を読んだ後、小説の映画を観ると大体がっかりしてしまいます。映画や漫画よりも活字が好きなんです。実は未だに漫画の面白さがよくわかりません。

Q9、ファリアさんはNYに渡られてから、マカロンのお店を出されましたよね?アメリカでお店を作るのは大変だと思いますが、そこに至った経緯を教えてください。

2008年、当時NYにマカロンのお店は1件しかありませんでした。「マカロンは小さくてカラフルなのでメールオーダーみたいなシステムで送れるのでは?」と思い、最初の1年半はネット販売でビジネスをスタートさせました。なるべくお金をかけずに起業したかったので、HTMLを勉強して、自作でHPを作成しました。その後アメリカで会社を設立しました。設立の手続きは州によって違い、最初は分からないことだらけでしたが、全部自分で調べて作りました。消費税などの税金も細かく分かれているのですが、直接機関などに電話で問い合わせしました。最初はネット販売のみでスタートし、3ヶ月間PR専門のスタッフを雇いました。ある日いきなりPRの人から電話がかかってきて、『明日dailycandy(200万人が購読しているネット誌)に掲載が決まった』というメッセージを受けて、私はちょうど1週間の通訳の仕事を受けていたので、大パニックになりました。当時はシェアキッチンを利用していました。最初は量が少なかったので十分回っていたのですが、dailycandyに掲載されてからは、今まで1週間に2箱だった注文が100箱(マカロン1000個)に急増し、そこで初めて人を雇いました。

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Q10、多分このころですよね?急にファリアさんからしばらく仕事が受けられないと連絡があって、『ファリアさん何やってるんだろう!?』ってみんなで心配していました。

注文も安定してきたし、ネットだけだとなかなか売り上げが伸びないので、実際に店舗を持とうと決心しました。小さい頃から自分のお店を持つのは大きな夢のひとつだったんです。それにシェアキッチンでずっと続けるのも限界でした。ただ出店に関しても、右も左も分からないことだらけでした。実際には店舗を建てるのに、設計士が必要になります。あとはお店を見つけた時点で契約書にサインをするときに弁護士さんが必要です。NYでは工事を途中で辞めてしまう業者などもいるので、気を付けなければなりません。マカロンは場所を取らないので、お店は大体40㎡ぐらいの広さでした。

Q11、開店までにどのぐらいの時間がかかりましたか?
お店を見つけたのが10月で、開店が3月です。お店の図面の許可が降りるまで4か月かかりました。私はちょうどその頃妊娠していたのですが、最終的にはコネを使って知人からNY州に電話を入れてもらい、『早く店を開けてくれないと赤ちゃんが生まれるから』と言って交渉してもらい、なんとか翌日に許可が下りました。工事も「赤ちゃんが生まれるから早くしてください」と言って、最後はみんな慌てて工事してくれました。お店が出来上がったのは、出産予定日の2週間前でした。お店は4人のスタッフでスタートしました。また私も出産2週間後には赤ちゃんと一緒にお店に出ていました。お客様に「ずいぶん小さな店員さんだね」と言われましたよ。

Q12、ファリアさんはお店の経営をされながら、通訳・翻訳の仕事もされていましたよね?
お店をやりながら通訳・翻訳の仕事をするのは、違うことをする楽しみがありました。現場でマカロンを焼いている時は楽しかったのですが、お店が大きくなると、現場の楽しい仕事は他の人がやって、自分は数字を見るとか、経営に関わる重要なこと、プレッシャーのある楽しくない仕事ばかり回って来るようになりました。たからこそ、まったく違う通訳・翻訳の仕事はとても楽しかったです。ただ時間には制限があるので、時間管理は工夫しました。翻訳は時間をかけようと思ったら、無制限にかけられますよね?私は最初に翻訳のご依頼をいただいた時に、内容と枚数をカウントして、必ず「この時間内でやる」決めることにしています。1時間に3枚(200ワード/1枚)が私のスピードです。それ以上時間がかかっている時は、スピードを上げるようにします。必ずしも時間をかけて訳した翻訳がいい翻訳だとは限らないからです。

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Q13、社員の人材育成はどのようにされていますか?
会社組織で働いた経験がないので、人材育成ではずいぶん悩みました。社員の長所を伸ばすと同時に、その人が全部出来る訳でないのでその部分も理解するように努めました。会社を設立する時は全部自分でやってきたので、最初は『なんでこの人は全部できないんだろう?』と不思議に思いました。ただ『その人がすごくよくできるもの』って必ずありますよね。そういう部分を引きだすようにしました。『この人は性格的にこまめにフォローしたほうがいい』とか『この人は自分でやりたいタイプだな』とか、相手に合わせた教育が難しいと思いました。経営者は社員の『モティベーションをあげる』のも仕事の一部だと思いますが、私は常にフィーバックをするようにしました。この部分はすごく通訳に似ていると思います。例えば現場でクライアントから「あなたの通訳は良かった。また頼みたい」と言われればモティベーションが上がりますよね?それと同じです。「お客様がこのお菓子は美味しいって言っていたよ」とフィードバックすれば、社員のモティベーションも上がります。上手くいかなかったことを注意する時も、最初に「ここは良かったね」と伝えてから注意するようにしています。

Q14、日本に2号店を出す予定は?(笑)
もうちょっと...待ちましょう(笑)今後は家族の仕事の都合でしばらく日本に滞在しますが、今考えているのは、ベビーシッターがいて子連れで参加できて英語も学べるようなお菓子教室をやろうかと思っています。

Q15、もしも通訳・翻訳者になっていなかったら、何をやっていたと思いますか?
多分「お菓子をやりたい」と思いながらも、アメリカの田舎の小さな学校で、大学の教授になって、漱石の授業をしていたと思います。実は去年、マカロンのお店に、ある大学の教授から面白い電話かかかってきました。『プリンストン大学のファリアさんですか?今、あなたの論文を読んでいるところなんだけど、今どの大学にいるのか気になって調べていたらマカロン屋さんをやっているって聞いたんですが、本当ですか?』って聞かれて(笑)『本当ですよ』って答えたら、マカロンをご注文いただきました。人生何が起こるか分かりませんね。

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編集後記
とにかくファリアさんは明るくて前向きな女性です。困難な問題が立ちはだかっても、「これは自分を成長させるチャンスかもしれない」と考えるという言葉がとても印象的でした。自分のお店を持つという夢をすでに実現して、次は何を目標にされるのでしょうか?今度是非ファリアさんのお料理教室に通いたいと思います。


Vol.58 「心が温まる通訳」

【プロフィール】
嵯峨山みな子 Minako Sagayama
韓国・梨花女子大学校通訳翻訳大学院卒業
高校生の時にニュース番組で聞いたノ・テウ大統領のスピーチがきっかけで韓国語に興味を持ち、一度は日本の企業に就職するも、退職して韓国へ留学。帰国後、通訳学校へ通いプロの通訳者を目指す。
現在では会議通訳はもちろん、タレントの通訳等芸能業界にてもご活躍中。
また、通訳だけでなく翻訳者として書籍等の翻訳もされている。

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本日は韓国語通訳者として弊社でもご活躍いたただいている嵯峨山みな子さんにお話しをお伺いします。私自身韓国が大好きなので、今日お会いできるのを楽しみにしていました。よろしくお願いします。

Q1、最初に韓国語との出会いを教えてください。

高校生の時にNHKのニュース番組でノ・テウ(盧泰愚)大統領のスピーチを偶然聞いたのがきっかけです。義務教育で英語は学んでいましたが、英語とは全く違う韓国語の響きに関心を持ちました。それが私と韓国語との出会いです。本格的に韓国語の勉強を始めたのは、社会人になってからです。当時は韓国語の通訳者を目指すつもりは全くなく、NHKのラジオハングル講座とテレビハングル講座で勉強を始めました。

Q2、その後韓国に留学されていますよね?

はい、最初はラジオ講座のテキストを丸暗記しながら独学で勉強をしていましたが、もっと本格的に勉強がしたいという気持ちが強くなり、一旦会社を退職してソウルの延世大学韓国語学堂に留学しました。そこではまじめに宿題に取り組んでいました。また日本人には難しい韓国語の発音を克服するために、テレビでドラマやバラエティを見て、若い女性の話し方や口元の動きをずっと見ながら研究しました。のちに『チャングムの誓い』で有名になったイ・ヨンエさんのドラマも当時よく観ました。

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Q3、プロの通訳者を目指そうと思ったのはいつ頃からでしょうか?

延世大学韓国語学堂を卒業して日本に戻り、しばらくして通訳学校に通い出した頃です。留学して自分なりに韓国語は話せるようになったつもりでしたが、最初の授業では社説も満足に読みこなせませんでした。今考えると圧倒的に語彙力が足りなかったんですね。自分の力不足を痛感して、とにかく語彙力を付けたり、授業の教材を聞いて自分でおこしたりして勉強しました。

Q4、その後順調に通訳者になられたのでしょうか?

いいえ、何度か挫折しそうになったことがあります。でも私は通訳学校で素晴らしい先生との出会いがあり、本当に救われました。通訳学校には2年半通いましたが、途中で「自分は本当に通訳者になれるのだろうか?」とか「もしかしたら自分は通訳者には向いてないかもしれない?」と思い悩んだ時期があります。当時派遣社員として銀行で仕事をしていましたが、保証されている訳でもないので、不安と焦り、そして閉塞感を感じていました。実は一度「通訳者にはなれないと思うので、もう辞めます」と先生に告げたことがあります。その時先生は「あなたの集中力にはとても期待していたのよ。あきらめないで頑張って」と声を掛けていただきました。その言葉がいつまでも耳に残っていました。そして挫折しそうになった時、いつも先生のその言葉を思い返して勇気をもらっていました。あの言葉がなかったら、私は途中で挫折していたかも知れません。その後、梨花女子大学校通訳翻訳大学院韓日通訳学科修士課程を受験しました。倍率が非常に高かったらしいのですが、ラッキーにも一回で合格することが出来ました。その時も先生から国際電話で、お祝いの言葉をいただきました。そして「でもここで満足するようではだめよ。同期の間でも頭角を現すぐらいがんばりなさい」と声をかけていただきました。そして大学院を卒業後、帰国して何年か経ったとき、先生とある仕事で組ませていただく機会があり、そのとき先生は心から喜んでくださいました。私の人生を振り返ってみると、行き詰まり感が来た時に転機が訪れています。そして本当に諦めなくてよかったと思っています。また大学院の同期は8名と人数が少ないのですが、今でも連絡を取り合ってお互いに助け合ういい関係が築けています。

Q5、韓国語を話していると、日本人だと気付かれないこともありますか?

「韓国人かと思いました」と言ってくれる韓国の方もいますが、自分ではそうだとは思いません。どんなにネイティブに近付けたつもりでも、やはり日本語らしい韓国語表現になっている部分があると思います。例えばひとつの例ですが、韓流スターはファンに向かって「愛してください(サランヘヨ)」と言いますが、日本では「応援してください」ですよね。韓国語のほうが日本語より表現がストレートなんです。そして日本語の表現は受動態が多いですが、韓国語は能動態が多い。いい例があまり思い浮かばないのですが、日本語では「最近太ったとよく言われます」という表現が韓国語だと「最近太ったという話をよく聞きます」となります。また日本語では「露骨にいやな顔をする」と言いますが、韓国語では「露骨的にいやな顔をする」と言います。翻訳の仕事もよくお引き受けしますが、こういう小さなところが違うと思います。こだわるときりがなく、本当に言葉は奥が深いですね。

saga4.jpg翻訳した歌詞の対訳や本

Q6、ビジネス上、日本と韓国の違いはありますか?

やはり韓国人はバイタリティがありますね。日本人は一段一段慎重にリスクを考えながら仕事をするイメージですが、韓国人は「とりあえずやってみよう」という推進力が強いと思います。一概には言えないかもしれませんが、国民性の違いではないでしょうか。それに韓国のソフトパワーは本当にすごいと思いますし、英語教育も日本より進んでいます。韓国は日本以上に学歴社会だということもあるし、非常に勉強熱心で、小さい頃から積極的に英語の勉強を取り入れていますね。

Q7、お仕事上、韓流ブームの影響はありますか?

はい、韓流ブームの後はお仕事の件数も増えていますし、芸能関係のお仕事もよくいただきます。キム・デジュン(金大中)大統領がアニメや歌、映画に力を入れようと国策で取り組んだことが、花開いて今の韓流ブームに繋がっていると思います。まだ通訳者としては駆け出しの頃ですが、パク・ヨンハさんの通訳を担当させていただいたことがありました。雑誌の取材やテレビ番組、イベント等での通訳の際も、経験が少ない状態からやらせていただいたのですが、パク・ヨンハさんには本当によくしていただきました。彼は私の芸能通訳の先生だと思っています。いろんなことを背中で教えてくれた方でした。亡くなられた時は耐えがたいぐらいのショックを感じました。あの日のことは今でも忘れません。そして今でも心から感謝しています。

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Q8、他に印象に残った仕事はありますか?

どの仕事も印象に残っているのでひとつだけ選ぶのは難しいのですが、消防関連の通訳で総合防災訓練の視察やプレゼンテーションの通訳を担当したことがあります。ハイパーレスキュー隊の訓練を見学したり、セミナーでは震災が起きた時にどう対応するか?指令系統は?救助犬の育成から自衛隊の活動に至るまで幅広い内容でした。そして最終日仕事が終わって解散した直後に、あの3.11の震災が起こりました。ちょうど通訳を担当した内容がテレビで解説されたりしていたので、今でも印象に残っています。

また仕事では役に立つとは思ってもいなかったことが、通訳の時に役立つことがあります。例えば私はNHKでやっていた『三銃士』という人形劇が好きでビデオに録画して見るぐらいでした。その後数年たって、偶然にも『三銃士』のミュージカルに出演する歌手の通訳をやらせていただく機会があり、そのとき人形劇で見ていた内容が非常に通訳に役立ちました。またレセプションや懇親会の席で日韓の共通の話題として、歴史小説や韓流ドラマの話になることがよくあります。芸能通訳もやらせていただいていますので、邦題と原題が違う場合もすぐに対応できたりすることもあり、そういう風に仕事はどこかで、いつも繋がっているんだと思います。

Q9、通訳者としてやりがいを感じるのはどういう時ですか?

そうですね。通訳を聞いている皆さんが、メモを取ったり、うなずいて聞いてくれたりしている様子をみると、とてもやりがいを感じます。また韓国人はユーモアがある人が多いのですが、ギャクを訳した時に聴衆がドッと笑って、会議の雰囲気が和んだ時はすごく嬉しかったです。少し芸人の人の気持ちがわかりました。(笑)

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Q10、将来的にはどんな通訳者を目指していますか?

今よりもっと正確なパフォーマンスが出来る通訳者になりたいと思っています。そしてただ正確なだけでなく、心が温まるような通訳者を目指したいと思っています。心が温まるとは、聞いている人が安心できて、やさしさを感じられるような通訳です。通訳のお仕事も翻訳のお仕事も声をかけていただいて初めて仕事が成立しますので、いつまでも声をかけていただけるような通訳者、翻訳者でありたいと思います。

saga7.jpgファンミーティングや視察での通訳の時は机がないので下敷きを使います。機密保持のためにもメモに裏紙は使いません。また会食時の通訳では小さなメモ帳を使います。iPhoneは仕事先でもハングル文字で検索が出来るので愛用しています。

Q11、最後に何かメッセージをお願いします。

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実は今回ハイキャリアのインタビューをお受けしたのには訳があるんです。私はインタビュー等、人前で話をするのはあまり得意ではありませんが、最近小学生に「韓国語の通訳者になるためにはどうしたらいいですか?」という質問のお手紙をもらいました。また韓流スターのファンミーティングの通訳の後、帰り道で「韓国語の通訳者になりたいのですが・・・」と相談を受けることもあります。こちらのサイトは通訳者を目指している方が多く読まれているとお伺いしましたので、私の経験がそんな方のお役に立てるならと思ったんです。やっぱり通訳者になりたいという気持ちを持ち続けることだと思います。よく言われていることかと思いますが、大切なのは諦めないことですね。私は何度も挫折しそうになって、その度にメンターとも言える存在の先生の言葉に助けられました。そして通訳の仕事を7年続けていますが、飽きるということがありません。声がかかる限り通訳をしたいと思っています。

編集後記:
「過去記事を読んで、7つ道具を持ってくればインタビューカットは少ないのではないかと思って・・・」と、たくさん仕事道具を持ってきていただいた嵯峨山さん、とても奥ゆかしい方なのですが、プロの通訳者としての姿勢は本当に素晴らしい方です。心が温まる通訳者を目指しているという言葉がとても印象に残りました。私達も心が温まるようなコーディネーションをして、通訳者・翻訳者の方々とやさしさを届けられるような仕事がしたいと思いました。


Vol.57 「必要なのはただ一つ:続けるという才能」

【プロフィール】
丸尾一平さん Ippei Maruo
小学校4年から中学校2年にかけて4年半をNYで過ごし、日本へ帰国後ICUHSへ入学。
大学卒業後に就職した会社にて、簡単な通訳を経験したことをきっかけに通訳学校へ通う。
その後会社員を辞め、様々な会社でインハウス経験を積んだ後に2006年よりフリーランスへ転身。
現在は通訳学校の講師も務めつつ、多くの業界にてご活躍中。

Q1、丸尾さん、今日は改めてゆっくりお話できる機会をいただき大変ありがとうございます。まず最初に、英語をどのようにして学んだのかを教えて下さい。

私は小学校4年生の夏から中学校2年生の終わりまで、父の仕事の都合でNYで過ごしました。英語は全く分からない状況で、現地の公立学校に通い始めました。学校の中に第二言語として英語を学ぶクラスがあり、そのクラスも受講して勉強しましたね。最初は大変でしたが、半年もすれば何とか学校生活を送れるぐらいの会話力が身に付きました。ちょうど海外で過ごした時期が、年齢的に英語を吸収するにはいい時期だったのだと思います。

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Q2、それではすぐにアメリカの生活に溶け込まれたのでしょうか?
はい、あまり苦労した記憶はありません。日本と違ってアメリカの学校では、クラスにネイティブじゃない生徒がいるという状況には慣れていますので、周りの理解もありすぐに溶け込めました。今でもはっきり覚えているのですが、アメリカでの最初の授業は、算数のクラスでした。小学生4年生で2ケタの足し算でした。日本の授業はもっと進んでいたので、「これは勝ったぞ!」と思いました(笑)満点だと思って提出した回答にすべて×がついていたので、先生に質問しました。日本は正解には○と印しますが、アメリカでは正解にチェックマークをつけますよね。それを×だと勘違いしてしまったのです。そんな文化の違いもたくさん実感しました。そして中学校3年生の時に日本に帰国したのですが、帰国子女を受け入れており、英語教育の充実した高校に入学したのも、英語を忘れなかった理由の一つです。

Q3、最初にどのようなお仕事に就かれたのでしょうか?

日本の大学を卒業した後は、ある合弁会社に就職しました。2年ほど営業職を経験し、英語を使う部署に配属されました。その部署には外部の会議通訳者や、社内通訳者の方々もいらっしゃいました。時々通訳者が手配出来ない時に、頼まれて簡単なミーティングの通訳をしましたが、その経験がとても楽しく、通訳学校に通うことにしました。実際に仕事をしながら、1年間ぐらい通訳学校に通いました。

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Q4、実際に勉強を始めてみて、通訳に対する印象は変わりましたでしょうか?

そうですね。勉強を通して、今までの自己流の通訳ではきちんと逐次通訳が出来ていなかったことがよくわかりました。社内通訳はある程度内容が分かっているので、何とか訳すことが出来ましたが、授業では、最初は知らない分野が出てくると途端に訳せなくなりました。いかに自分が人の話をちゃんと聞いていなかったのかを思い知らされましたね。違う世界の高度な考え方、アカデミックな内容をきちん理解して聞きとるのは本当に難しいと思います。ただ自分の力不足に気付くと同時に、通訳という仕事の面白さも実感しました。昼間は仕事をしながら夜の通訳クラスに通って勉強する日々が続きました。当時自分は会社組織の中に長く働くのは向いていないという思いもあり、好きな語学を活かして行きたいとう気持ちも日々強くなり、思い切って会社を辞めて通訳者を目指す決断をしました。周りには「まだ会社を辞めて通訳者を目指すには早い」と反対されましたが、何とかなると思い、後先のことも考えずに6年間のサラリーマン生活に終止符を打ちました。

Q5、その後通訳者としてのキャリアを積まれることになるのですが、お仕事は順調でしたでしょうか?

大変ありがたいことに、仕事はずっと最初から途切れることなく順調にいただくことができました。最初の1年間は通訳学校からOJTや友人からの紹介でいろんな仕事を受け、またこれも駆け出しの頃ですが、大手製鉄会社のプロジェクトで8ヶ月間インドに通訳者として行きました。体調管理にはかなり気を付けていたのですが、やはり腹は下しましたね(笑)。今では忘れられない経験です。その後、システム、IT関係、外資の保険、金融、電気通信などの長期企業内通訳で経験を積みました。最初から、将来はフリーランスの会議通訳者になるという目標がありましたので、ひとつの会社に留まるのではなく、通訳者として必要なレベルの知識を吸収したら、意識的に職場を変え、次の分野に挑戦するようにしました。

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Q6、企業内通訳者からフリーランスになるタイミングはどうしたらいいか、よく聞かれるのですが、丸尾さんはどう思われますか?

私は2006年からフリーランスに転向し、現在6年目です。確かにタイミングは難しいですね。私の場合は、企業内通訳者としては充分経験は積んだなという実感がありました。また通訳学校も卒業していましたし、外部の通訳者の方々とご一緒する機会もあり、まだまだ力不足ではありますが、フリーランスの方と何とか張り合っていけるだろうという手応えもありました。

フリーになるタイミングは人それぞれだと思いますが、まず逐次通訳がきちんと出来るということ、ウィスパリングや同時通訳も何とかこなせる。そして後は自信を持てる専門分野・業界が1つ、2つあるといいと思います。

私の場合は、ちょうどフリーランスになった時は通訳業界としては比較的景気がよく、そういう意味ではタイミングがよかったです。某銀行の大掛かりなシステム実装のプロジェクトの通訳にアサインされたので、最初から順調に仕事は入ってきました。

Q7、丸尾さんは一日何時間ぐらい勉強されていましたか?何かこれをやって力がついたという練習法はありますか?

勉強については、私を叩いても何も出てきませんよ(笑)。特に一日何時間と決めずに、出来る時にやるというスタンスです。特定のメソッドで力がついたという記憶はないのですが、学校に通っている時は、与えられた課題をこなすこと、復習をできるだけしっかりとやることを心がけました。伸び悩むこともありました。逐次のリテンションについては竹藪を飛び越える忍者のようにある長さで訳せるようになったら、少しだけリテンションの長さを伸ばす、というやり方を繰り返して鍛えました。それと、シャドウイングは集中して行うとかなり効果的だと思います。あとリプロダクションもよくやりました。またジャパンタイムズを読んで、分からない単語は単語帳を作って覚えました。

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Q8、単語帳は何か工夫されていますか?
昔はエクセルでまとめていましたが、今は時系列で一冊のノートに手書きで書いています。本当はそれをエクセルにまとめ直したいのですが、今は仕事が忙しくその時間がありません。ノートの表紙には日付を書いておき、時間のある時に読みなおしています。単語は手で書いたほうが頭に残りますね。検索は出来ませが、実際の通訳現場でも、パソコンで検索している余裕はほとんどありません。重要なのは単語を頭の中に叩き込むことです。

Q9、メモ取りに苦労している人が多いかと思いますが、 何かアドバイスはありますでしょうか?
ノートテイキングのことを語り出すと、それだけで3時間語れます。(笑)確かに逐次の場合は全部記憶に頼るというのは難しいので、メモ取りは重要です。またメモの取り方は確固たるメソッドがある訳ではなく、通訳者によって違いますが、いつくか基本的なことがあります。

①メモは縦に取る!
ほとんどの通訳者がメモ用紙に縦線を一本あるいは数本引っ張って、縦にメモを取っていきます。後で読む時に目で追いかけるのに楽だからです。

②キーワードをメモする!
話の内容や情報をすべてメモに取るのは不可能です。メモを取るのは「キーワード」のみです。メモを取るのに集中して次の話が頭に入ってこなかったなどと言うことがないようにしてください。

③数字は必ずメモをとる、そして単位まで取ること!
③数字は必ずメモをとる、そして単位まで取ること!
数字については必ず全てメモにとっておくようにします。そして、円なのかドルなのか、人数なのか年数なのか、単位まで取ることが重要です。また簡単な数字、ひと桁の数字も記憶に頼るのではなく、メモを取るようにします。

④訳し終わった内容は縦線で消す。
訳し終わったら次の話がスタートする前に縦線で消します。極限の状態で通訳をしていると、どこまで訳し終わったのかがすぐに分からなくなります。それを防ぐためです。

⑤センテンスの終わりは横線で区切る
文章の区切りごとに横線を引っ張って区切ることによって、どこからどこまでがワンセンテンスになるのかを把握することができます。

⑥知らない単語はメモを取る。
知らない単語が出てきた時は、どんな発音の単語だったか、音だけはメモっておかないと、知らない単語だけに、すぐに忘れてしまいますのでメモを取っておきましょう。

⑦記号を活用しよう!
頻度に出てくる言葉などは、「記号」を決めて活用すると効果的です。シンプルな記号であれば、言葉を書き取るよりも簡単に素早くメモをとることが出来ます。

⑧どちらの言語でメモを取るのか?
ターゲット言語でメモを取ると決めている人もいますし、ソース言語で取ると決めている人もいますが、私は特に決めていませんが、基本的には本能的に画数が少ないと判断した言語で取るようにしています。どちらにしてもメモの中のキーワードから頭の中のストーリーを取りだすようにしています。

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詳しくは私のブログにも書いてありますので、お時間のある方はこちらも是非ご覧下さい。私は通訳学校の講師もしていますが、生徒にはメモには頼りすぎず、あくまでもリテンションの呼び水として活用するように指導しています。またメモ取り上達のコツとしては、日頃から通訳以外のシーンでもメモを手書きで書く習慣を身につけるといいと思います。

Q10、通訳者としてのやりがいを感じるのはどんな時でしょうか?

月末に送られてくる支払明細書の額を見た時です(笑)私達の年収はクライアントから信頼していただいているその証だと思っています。またリクエストやご指名をいただいた時にやりがいを感じます。初めてのクライアントさまからのお仕事の時は指名をとるためにも普段以上に万全に準備して望みますね(笑)そして通訳をしている間も、お客様の表情をよく見るようにしています。自分のパフォーマンスにお客様が納得していらっしゃるかどうか、表情を見ているとすぐに分かってきます。

Q11、将来はどんな通訳者を目指していらっしゃいますか?

イケメンカリスマ通訳者を目指しています(笑)通訳者としては今の延長線上を目指しています。耳が遠くなるまで続けたいですね。後は教える仕事も続けて行きたいと思っています。将来的には通訳技術だけを教えるのではなく、通訳者としての技術と経験を活かし、効果的なコミュニケーションのあり方などを伝えていきたいと思っています。

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Q12、最後に、通訳者を目指している人達に一言メッセージをお願いします。

通訳という仕事は、スポーツや芸術の世界とは違って、本当に才能を持った一握りの人しか食べていけないという世界ではありません。全く才能が関係ないとは言いませんが、それは通訳以外のほとんどすべての仕事についても言えることですよね。通訳は普通の人間が普通に努力すればできる仕事だと思います。ひとつだけ才能が必要だとすれば、それは続ける才能なのではないでしょうか?通訳者になるのは狭き門だとも言われていますが必ずしもそうではありません。実際は、通訳学校を1期、2期だけで辞めてしまう人も多くそういう人が見かけ上の倍率を高めているだけの話だと思います。もちろん辞めるのは悪いことではありませんし、いろんな仕事を探す上でのひとつのステップなのでしょう。ただし、通訳者になるのであれば、通訳者に向いているか向いていないか自分で決めてしまう前に、ある程度継続するという覚悟は必要です。きちんと続けている人は、すべからく、最後には通訳者としてデビューできるだけの実力を身に付けています。現在教えている生徒さんの中から、近い将来お仕事でパートナーとして組めるような人が出て来ると思いますが、それが今からとても楽しみです。

編集後記:
終始笑いの絶えないインタビューでした。プライベートでは現在2歳半と5ヶ月のお子さんがいらっしゃいます。育児や家事には積極的に参加されているそうです。現在のお悩みは体調管理や集中力を高めるためにも、平均6時間睡眠を確保したいけど、難しいとおっしゃっていました。お話をしていて、お仕事もプライベートも大変充実されているのが伝わってきました。是非これからもイケメン通訳者として頑張ってください!


Vol.56 「人は仕事を通して幸せになる」

【プロフィール】
細谷麻代さん Asayo Hosoya
佐賀県出身。高校時代から英語の勉強に励み、大学では国際関係を専攻。
卒業後も「通訳者を目指す」という目標のもと、就職活動はせずに通訳学校へ通う。
社内通訳を経て、現在は子育てをされながらフリーの通訳者としてご活躍中。

Q1、まずは英語との出会いをお聞かせください。

はい、通訳者になっていらっしゃる方は、海外経験が豊富な方や、小さい頃に海外に住まれていた方が多いかと思いますが、私は全くそういう環境ではありませんでした。九州の佐賀県という田舎町で生まれ育ちました。自然に恵まれてとても美しい町だったのですが、反面閉鎖的なところもあり、小さい頃からもっと広い世界を見てみたい、もっと外に出たいという思いをずっと抱いて育ってきました。

英語に触れたのは中学校からですが、本格的に勉強を始めたのは高校に入ってからです。私は元々負けん気が強い性格なのですが、特に英語は「誰にも負けたくない」という思いが強く、高校1年生の時に3年間で習う英語をすべてマスターしました。その当時は「将来通訳者になろう」と意識していた訳ではありませんが、とにかく英語の勉強が楽しかったんです。その後大学は国際関係を専攻しました。英語は自分で勉強できるので、自分では勉強できない国際関係を専攻しました。

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Q2、大学卒業後は就職されずに通訳・翻訳者の道を進まれたんですよね?

そうなんです。就職する頃は「通訳者を目指そう」という明確な目標があったので、就職活動はせずに通訳・翻訳者として経験を積もうと思いました。最初は旧宇宙開発事業団(現JAXA)で翻訳担当の派遣社員として働き始めました。ロケットや衛星のインターフェイスに関する技術文書の翻訳をしました。通訳もやらせてもらいました。今までは知らなかった世界で難しい機械的な分野から入ったので、ずいぶん視野も広くなりました。

Q3、通訳トレーニングはどのようにされましたか?

しばらく翻訳の仕事をメインにしていたのですが、どうしても人と関わりたいという気持ちが芽生えました。当時仕事で通訳者の方と話す機会もあり、ますます通訳者になりたいという気持ちが強くなり、通訳学校に通い始めました。最初に先生に言われたのは「最低通訳の授業時間の7倍勉強しなさい」という言葉でした。そうしないと通訳力は付かないし、伸びていかないと言われました。私は学校に通っていた当時は7倍どころか、20倍以上は勉強していたと思います。

勉強方法としては海外のニュースを教材にしました。音声とスクリプトを入手して、実際に逐次通訳のトレーニングをし、放送通訳の方たちの素晴らしい表現を盗む気持ちで訳を書きこんでいきました。これはほんの一部ですが、ずいぶん整理したのですが、それでも当時勉強していた資料は山のようにあります。何度も何度もトレーニングしました。通訳学校で同時通訳科に進級すると、音声に合わせて実際に同時通訳のトレーニングもしました。

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Q4、細谷さんはお二人のお子様もいらっしゃいますが、時間管理はどのようにされていますか?

さぁ、どうしているのでしょうか?(笑)私が本格的に通訳トレーニングをスタートさせたのは、下の子供が生まれてからでした。子供が寝つくとすぐに勉強して、朝は5時前に起きて2時間ぐらい勉強してから仕事に行く準備をしていました。当時は「通訳者になりたい」という気持ちが強かったからこそ、出来たんだと思います。時間管理というより強い思いがあって、モティベーション高くして勉強に取り組めたのだと思います。1日中仕事と子育てと勉強で、プライベートの時間は一切ありませんでした。最近は下の子が「将来は通訳者になりたい」と言い始めました。まだ現実感はともなっていませんが、楽しみですね。

Q5、是非その時はテンナインに登録してください。(笑)その後いくつかの企業で社内通訳者を経験して、2008年以降フリーランスになられていますよね?

はい、通訳者として成長したいという思いから決断しました。どうしても企業内通訳の場合は、いつ通訳を頼まれるか分からない状況です。緊張感もありますが、ずっと通訳をしている訳ではないし、翻訳を頼まれたり、その他の仕事もします。フリーランスになってからは、会議のために現場に向かうので、より通訳者として自覚を持たされるような感覚があります。オンとオフがよりはっきりしているという感じです。当然最初は本当に仕事が来るのだろかと不安な気持ちでいっぱいでしたが、今はよかったと思っています。時間的な自由もあるし、常に試されているというか、よりチャレンジングだと思います。企業内通訳の場合は内容的によくわかっている分野だということ、常に限定的な人に対して通訳をするので、どうしても慣れや甘えが出てきます。フリーランスの場合はその一日だけで評価されるので、私にとってはやりがいがあります。私は「人は仕事を通して幸せになる」んだと思います。

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「人は仕事を通して幸せになる」とは素敵な言葉ですね。

私の趣味は乱読です。本は自分への投資だと思っています。1日2冊読む時もあります。お勧めの本はありすぎて、何を上げたらいいのか分かりませんが、先日読んだ本の中に「人は仕事を通して幸せになる」ということが書いてあって、私も本当にそうだと思いました。生きるために仕事をすると考えている人も多いと思いますが、そうじゃなくて仕事をすること自体が、人生の目的になってもいいじゃないかと思います。仕事が出来る人や成功している人は自己責任を持っています。どこかの組織に属していると難しいかも知れませんが、自分の成長に対して責任を持って仕事をしている人が成功するのだと思います。

Q6、すごく深い話ですね。細谷さんは何事も前向きに取り組んでいらっしゃいますが、どうやってモティベーションをキープされていますか?

やはりクライアントとのふれあいだと思います。予期せず大変な仕事を請け負うこともあります。そんな中でもベストを尽くして対応するのですが、終わった後クライアントからお褒めの言葉をいただいたり、お礼を言われたりすると、やりがいを感じます。自分がいなかったら起こり得なかったコミュニケーションが成立した瞬間は、心から通訳をやっていてよかったと思います。大変な仕事程今でも印象に残っています。一度ワインのセミナーの通訳をやったことがあります。私はワインに詳しい訳ではありませんでしたが、聴衆はワイン通の方ばかりでした。ワインの本を一冊買って丸暗記しました。一週間ぐらい一緒に大変な仕事をしていると、終わった後お客様とチーム意識というか、自分も限界までやったという達成感があります。

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とにかく通訳になるまでは果てしない道のりです。何かに残しておくと、自分が積み重ねたものが目に見えるので、自信と継続力に繋がります。単語帳は作らないという人もいますが、私はマニアック?なくらい単語帳に残します。「この表現がすごいな」と思う表現に出会うと体がぞくぞくするのですが、そういうのをリスト化してモティベーションを高めています。

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Q7、単語帳マニアということですが、何か工夫はされていますか?
工夫という訳ではありませんが、よくお声をかけていただけるクライアントは、クライアント別にまとめてデジタル化しています。ただ一回だけの仕事の場合は、単語をノートに走り書きしています。自分の字で書いたほうが、記憶に残りやすい気がします。単語の(が)繰り返し出てくると、必ず記憶に引っかかってくるようになります。また英語の本来の意味と日本語の意味がずれていたりすると、同通ですぐに出てこないケースも多くあります。そういう時は単語帳にして自分に言い聞かせるように覚えていきます。

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Q8、細谷さんはお客様からリクエストやリピート依頼をたくさんいただきますが、何か心掛けていることがありますか?
私は通訳者になりたいと思ってから実際になるまでの年月がすごく長かったので、仕事ができるだけで嬉しいし、心から楽しんでいます。またそういった場を提供してくださったクライアントにはなるべく満足していただきたいとう気持ちで仕事をしています。そういった気持ちがクライアントに通じているのかも知れません。私は役に立っている、この人に依頼してよかったと思っていただくのが一番の喜びです。そしてこれからはもっといろんな分野に対応できる通訳者になりたいと思います。

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Q9、通訳者を目指している人にメッセージをお願いします。
私も通訳者になるまでの道のりは長かったし、いつも焦っていました。トンネルの中を歩いているような、先が見えないという感覚です。ただあの頃に着実に勉強してきたことが、今現場で役立っています。100勉強しても現場では30ぐらいしか使わないことも多いでしょう。一回、2回の仕事ではあまり役に立たなかったとしても、毎日、毎日仕事を受ける中で、必ず勉強したことは自分に帰ってきます。焦らないで、自分の土台作りをしてください。

編集後記:
偶然私も小さい頃に佐賀県の伊万里市というところで育っているので、とても共感を持ってお話しできました。今は伊万里湾にイマリンビーチというとてもきれいな人口のビーチが出来たそうです。最近は自分の内面を見つめる時間を取っていらっしゃるそうです。外で起こっていることは、自分の内面の投影だという言葉もすごく印象に残りました。


Vol.55 「会議通訳とアメリカ研究の両立」

【プロフィール】
木内裕也さん Yuya Kiuchi
幼少から英語の勉強を始め、高校在学中に長野オリンピックボランティア通訳をご経
験。
通訳トレーニングのできる上智大学外国語学部英語学科へ入学し、
大学3年時に国際会議での同時通訳デビューを果たす。
卒業後、米国大学院にて通常6年はかかる博士号を3年という速さで取得。
現在は米国にてご自身の研究を進めながら、会議・放送通訳者、出版・実務翻訳者と
してご活躍中。

今日はハイキャリアの「American Culture and Globalization」というコーナーを担当されている木内裕也さんにインタビューしました。テンナインと木内さんとの出会いは木内さんが大学三年生の時でした。スタッフが木内さんの面接を担当していて、「すごく天才的な大学生が登録に来た!」と大騒ぎしていたのを今でも記憶しています。ハイキャリアの通訳インタビューは2回目になりますが、よろしくお願いします。

第一回目インタビューはこちら→http://www.hicareer.jp/inter/interview/vol14.html


Q1、まず通訳者になろうと思ったきっかけを教えてください。
4歳から英語の勉強を始めました。両親が英語を苦手としていたので、息子にはせめて勉強させたいという思いがあったようです。それからずっと英語が好きで勉強していたのですが、高校2年生の終わりに長野オリンピックでボランティア通訳者として参加したのが、通訳者を目指したきっかけです。通訳の内容は「トイレは何処ですか?」とか「次の競技は何時からですか?」といった簡単な内容でした。元々スポーツは大好きだったので、とにかく毎日楽しかったのを覚えています。ちょうど大学受験を控えていましたから、大学では通訳トレーニングが受けられる上智大学に行こうと心に決めました。大学入試出願に必要なTOEICの試験を受けて730点をクリアしました。

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Q2、大学三年生で同時通訳者としてデビューされたとお伺いしましたが、どのような勉強をされたのでしょうか?
大学では井上久美先生の通訳授業を取りました。授業は1年間でトレンドと日米表現辞典 2冊の単語をすべて丸暗記するといった厳しい内容で、多くの学生が挫折する中、必死で勉強しました。通訳トレーニングを始めてTOEIC,TOFEL共に満点を取ることが出来ました。そして大学3年生のある日、「読み原稿の出るスピーチがあるから、やってみないか?」と井上先生から国際会議での同時通訳デビューのチャンスをいただきました。実際に人前で通訳をするのは初めての経験でした。先生から「ベタ訳を付けていいから、耳から聞こえてきた音を、とにかく全部拾う気持ちでやってみなさい」とアドバイスをいただき、当日を迎えました。これはよくあることですが、会議の寸前で原稿が変わってしまったんです。両端を井上先生ともう一人大先輩の通訳者の方に囲まれて、通訳をしました。大量のメモが先輩たちから回ってきましたが、そのメモに目を通す余裕は全然ありませんでした。とにかく耳から入ってくる音を訳すことに集中して、約7分間同時通訳しました。その後を井上先生にバトンタッチしたのですが、私が落とした情報もきれいに入れながら、同時通訳をされました。さすがプロだと思った瞬間です。

Q3、私も井上先生のことをとても尊敬しているのですが、木内さんは井上先生の影響をすごく受けていらっしゃいますね。
はい、私は上智大学を選んだのも井上先生の授業を取るためでした。通訳学校に通った経験はありません。技術はすべて井上先生から学びました。「もしも通訳をやっていくのであれば、それもいいけど、アメリカの大学院に行ってもっと深くものを考える力を身に付けたほうがいい」と先生にアドバイスをいただき、国際ロータリーの交換留学生としてフランスに1年、大学3年生の時にボストンカレッジで1年学びました。そして上智大学卒業後に、修士号と博士号を取るために渡米しました。

Q4、アメリカでの生活はどんな感じですか?
私の研究者としての専門はアメリカの歴史と文化の研究です。メディア、特にインターネットやケーブルテレビを中心に置いて、それがボストンとデトロイトのアフリカ系アメリカ人コミュニティにどういう影響を与えたかという歴史的な研究を行っています。最近はテクノロジーが若者に与える影響の研究もしています。アメリカや日本、ヨーロッパで通訳の仕事も受けています。またそれ以外に、サッカーの審判の仕事をしています。これは体力が必要なので毎朝約10キロ走り込んでいます。出版翻訳ではバラックオバマ大統領の「マイドリーム」という自伝も印象に残っています。

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Q5、木内さんのマルチな活躍ぶりにはいつも驚かされているのですが、24時間どうやって時間管理をしているのでしょうか?
特に時間管理の意識はしていませんが、やるべきことをリスト化して取り組んでいます。研究者としては、こなすべき課題の期限が6年後ということもありますから、すべて優先順位をつけて、アジェンダを決めて実行します。その日にこなすと決めた内容が終わってしまえば、例え昼ごはん前に仕事が終わってしまっても、午後はリラックスするだけ。逆に、仕事が終わらなければ、翌日に影響がない程度で、夜まで仕事をします。「何時間仕事をしたか」よりも「すべき仕事を終えたか」のほうが重要ですから。基本的に日程はアウトルックで管理していますので、手帳は持ち歩きません。アウトルックとブラックベリーをシンクロさせています。

現在はミシガン州立大学で助教授としてアメリカ史とアメリカ文化の講義を教えていますが。基本的には午前中に授業や大学での仕事が入っています。またシーズン中は大体、午後4時位からサッカーの試合があります。それ以外の時間にやらなければならないリストをどんどんこなしていくイメージです。一般的にオフィスで働く人は一日8時間働きますから、私も授業や審判の仕事を含めずに8時間は研究しようと自分に課しています。研究者は本や論文を読み、執筆するのが仕事ですから、それらを読んだり、研究論文を書いたり、リサーチをしたりします。研究で読むものはほとんど英語なので、英文を読むスピードは速いと思います。メモを取りながら細かいところまで読まなければならない本は大体1時間に40ページのスピードで読みます。大体の内容を把握するだけでいい資料は1時間に70ページぐらいのスピードです。このようにペースを把握しておけば、本1冊を何時間で読めるのか事前に分かりますから、逆算してスケジュールを組むことができます。本は別に研究室でだけではなく、天気がよければバルコニーで読むことも出来ます。移動中に読むこともできるので、どこでも仕事が出来るのです。

Q6、アメリカの大学で苦労されたことはありますか?
大学院では授業ごとに課題の本が毎週1冊ずつ出ます。本の内容をディスカッションできるぐらい読み込まなければならないのですが、最初ボストンカレッジに行った時は本を読むスピードがそれほど速くなく、英語の学術論文にも慣れていなかったので苦労しました。ただ似た分野の本をたくさん読んでいるうちに、次第に速く読めるようになりました。当時読んでいた本を今手に取ってみるとあらためて新しい発見があります。同じ本を何回も読んで、あえて違う色で余白にメモを取ったりするのですが、昔はここが重要だと思っていたけど、本当はここが重要なんだということもよくあります。ただ、最初からすべてを理解しようと完璧主義過ぎると、英語を読むスピードが早くなる前に挫折してしまいますから、ある程度理解できれば、その本はそれでいい、位の気持ちが長期的には適当かも知れません。すぐに読むスピードが上がるわけではないですから。

論文を書くのも最初は苦労の連続でした。まず英語と日本語では構造が違います。文法だけではなく、論文全体の流れや、パラグラフの構造も大きく異なります。結論を先に言うのが英語なので、それに慣れるのが大変でした。教授に論文を添削してもらったり、友達に文法を添削してもらったりもしました。今では大学1年生向けにライティングの授業を教えることもありますが、当時の苦労が役に立っています。

また日本人は発言する時には重みのあることを発言しなければならないと思いがちですが、アメリカ人は思ったことをすぐに口にします。発言して意見交換することによって、そのうち深い発想が生まれるという考え方です。それだけに勢いのあるアメリカの学生の間に割って意見が出来るようになるまでには相当の時間かかりました。自分の発言が間違っていたらどうしよう?反論されたらどうしよう?と考えてしまい、つまり自信がなかったんですね。未だに修士課程の時の友達には「静かだったね」と言われます。「1回の授業で、1度は発言するようにしよう」と意識するようにして、ミシガンで博士課程を始めたくらいから、少しずつ発言ができるようになりました。

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Q7、通訳だけでなくアカデミックなものを体験されたことは、ご自身の中ではいい経験でしたでしょうか?
はい、よかったと思います。通訳現場では、スピーカーのロジックをつかみやすくなりました。アカデミックの世界では自分の主張にロジックがなければなりません。研究者はリサーチをすることが仕事でもありますから、通訳の事前勉強についても、必要な情報を短時間で収集する能力が培われました。

Q8、通常は6年かかると言われている博士号を3年で取得されました。異例の速さだと思うのですが、博士号を取るまでの過程を教えてください。
修士号を取得した後に博士課程に入学をすると、まず規定の単位を取得しなければなりません。少人数制で授業内容はかなり濃いものですが、普通の大学とゼミと似たイメージでしょう。それぞれの授業が3時間で、その週に宿題として出されていた学術書の内容をとことんディスカッションします。教授の講義ではありません。1学期は約15週間で、毎週のアサインメントと、学期末のアサインメントをこなして成績をもらいます。アサイメントの多くはレポートでした。授業を受けている間に、自分で指導教授を4人決めて、委員会を作ります。この4人が最終的に博士号を与えるか、与えないか決める訳です。規定数の授業を受けると、3つの大きな試験が待ち受けています。それぞれの試験で、自分の専門分野となる領域の内容の知識が問われます。つまり、その分野で博士号を持つ専門家として充分な知識を有しているか、試されるのです。それぞれの試験に向けて約100冊の本のリストがあって、それを読み終わった後試験を受けます。論述式の試験で、解答は30ページ位の論文にまとめます。期限は72時間です。試験問題をもらってから72時間以内に解答を提出すれば、その時間はどう使ってもかまいません。3つの試験を終えると、指導教授4人と集まって、再度すべての試験内容について、今度は口頭で試験されます。100冊×3試験の課題は全部読みました。きっと全部読まなくても試験は合格できたと思うのですが、研究者にとって大切なことは試験にパスすることではなく、研究して知識を身につけることですから。

すべての試験にパスをすると、その後博士論文のプロポーザルを書き、4人の教授に送って承諾を得ます。このプロポーザルを認めてもらうだけで1年かかったという友人もいます。これが認められると、博士論文のリサーチと執筆が始まります。私は約800ページの博士論文を書きました。指導教授のフィードバックをもらいながら論文の最終原稿が書き終えると、ディフェンスと呼ばれる口答試験が行われます。それぞれの先生から30分ぐらいの質問があり、その質問に答えていきます。きちんと答えることができれば、そこで博士号がもらえます。授業を履修するのに2年、3つの試験を受けるのに2年、論文を書き終えるのに2年というのが一般的なペースです。

Q9、博士課程を終えたら日本に戻ってきて通訳の仕事をされると期待していたのですが、アメリカに残ると選択されたのはどうしてですか?
私も博士号を取ったら日本に戻ってくるつもりでした。ただ今住んでいるミシガンは研究の環境もいいですし、アメリカでの通訳の仕事も、大学で教える仕事も充実しているので、アメリカに残ることにしました。今の段階ではずっとアメリカにいる可能性が高いと思います。日本の大学で教えるというのは今のところ考えていません。日本だとどうしても高校の世界史の延長になってしまい、学生と深い学術的なかかわりができないと思うのです。アメリカでアメリカ史を教えるというのは、自国の歴史なのでみんなが知っているということもあり非常に面白いですね。特に私の研究は近代の大衆文化なので、その国にいないと出来ない研究もあるんです。

現在はH1Bというビザでアメリカに滞在していますが、博士号を持っていると永住権が取りやすい環境にありますから、どこかのタイミングで申請するつもりです。ただ今後も研究だけでなく、通訳の仕事も続けながらバランスよく仕事をしたいと考えています。アメリカの通訳は条件面で日本より厳しいです。移動の距離も広いですし、1日全日の逐次通訳は、大体の場合が一名体制で行います。日本では考えられないですよね。

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Q10、通訳をするときに心掛けていることはありますか?
現場に行ったらとにかく柔軟な対応をします。自分がなぜそこにいるのかと常に考えて、自分ができることはすべてやります。資料がないから出来ませんとは絶対に言えませんよね。とにかく自分の能力でできることなら、必ず対応します。

Q11、最後に通訳者を目指している人にメッセージをお願いします。
シャドウイングやサイトラ、単語を覚えるというトレーニングは、基本的だけど重要だから絶対にやるべきです。後は知識を広げることが重要ではないでしょうか? 例えば昨日、Aという会議で通訳をしたとします。そのパフォーマンスと比較して、今日のBという会議でのパフォーマンスが劣っていたら、それは通訳力ではなく、内容の理解度に違いがあるからでしょう。内容が分かっていれば通訳に反映されるし、分かっていなければパフォーマンスは落ちてしまいます。そして仕事の半分は日本語ですから、英語だけでなく、日本語の表現を磨くことも重要です。国際会議では訛りが強い英語の通訳をすることもあります。プロの通訳者であっても100%完璧に聞きとれている訳ではありません。マイクのトラブルもあるし、発言者の横で誰かが咳をするかも知れません。100%聞き取れなければ通訳出来ないとは言えない訳です。

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国際会議の通訳者になるには時間がかかります。私の場合はチャンスをいただき大学三年生でデビューできましたが、なかなかその機会はめぐってきません。時間がかかるかも知れませんが、能力や知識は自分のものになれば失われることはありません。信念を持って継続的に努力すれば、必ず形になるのが通訳者だと思います。通訳は最終的にはパフォーマンス次第です。訳せたか訳せなかったか、正しいか正しくないかで判断されます。感情が伝わったか、伝わってないか、ある意味○か×しかないんですよね。努力をした分だけ○が多くなるし、努力をしなければ×が多くなります。

冬の間にするレフェリーとしてのトレーニングもそうです。ミシガンの冬は-20度になることもあります。でも、温暖なフロリダに住むレフェリーは外でトレーニングをしていて、そのレフェリーより優れたパフォーマンスをしなければ、割り当ては回ってきません。ですから寒くてもジョギングに行きます。勉強は辛いけど、今同じように通訳になりたいという人が頑張って勉強していて、その人がよいライバルになるのだ、ということを忘れないでください。

編集後記:

現在ミシガン州立大学助教授の傍ら、会議通訳や翻訳、そしてサッカーの審判員として多彩な活躍をされている木内さんですが、お話しをすると「とてもバランスのいい方だなぁ」と驚きます。そして常に自然体で謙虚な姿勢に、私自身学ばされることが大変多くあります。「能力や知識は自分のものになれば失われることはありません。信念を持って継続的に努力すれば、必ず形になります」という言葉がいつまでも心に残っています。



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