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Training Global Communicators

Vol.55 「会議通訳とアメリカ研究の両立」

【プロフィール】
木内裕也さん Yuya Kiuchi
幼少から英語の勉強を始め、高校在学中に長野オリンピックボランティア通訳をご経
験。
通訳トレーニングのできる上智大学外国語学部英語学科へ入学し、
大学3年時に国際会議での同時通訳デビューを果たす。
卒業後、米国大学院にて通常6年はかかる博士号を3年という速さで取得。
現在は米国にてご自身の研究を進めながら、会議・放送通訳者、出版・実務翻訳者と
してご活躍中。

今日はハイキャリアの「American Culture and Globalization」というコーナーを担当されている木内裕也さんにインタビューしました。テンナインと木内さんとの出会いは木内さんが大学三年生の時でした。スタッフが木内さんの面接を担当していて、「すごく天才的な大学生が登録に来た!」と大騒ぎしていたのを今でも記憶しています。ハイキャリアの通訳インタビューは2回目になりますが、よろしくお願いします。

第一回目インタビューはこちら→http://www.hicareer.jp/inter/interview/vol14.html


Q1、まず通訳者になろうと思ったきっかけを教えてください。
4歳から英語の勉強を始めました。両親が英語を苦手としていたので、息子にはせめて勉強させたいという思いがあったようです。それからずっと英語が好きで勉強していたのですが、高校2年生の終わりに長野オリンピックでボランティア通訳者として参加したのが、通訳者を目指したきっかけです。通訳の内容は「トイレは何処ですか?」とか「次の競技は何時からですか?」といった簡単な内容でした。元々スポーツは大好きだったので、とにかく毎日楽しかったのを覚えています。ちょうど大学受験を控えていましたから、大学では通訳トレーニングが受けられる上智大学に行こうと心に決めました。大学入試出願に必要なTOEICの試験を受けて730点をクリアしました。

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Q2、大学三年生で同時通訳者としてデビューされたとお伺いしましたが、どのような勉強をされたのでしょうか?
大学では井上久美先生の通訳授業を取りました。授業は1年間でトレンドと日米表現辞典 2冊の単語をすべて丸暗記するといった厳しい内容で、多くの学生が挫折する中、必死で勉強しました。通訳トレーニングを始めてTOEIC,TOFEL共に満点を取ることが出来ました。そして大学3年生のある日、「読み原稿の出るスピーチがあるから、やってみないか?」と井上先生から国際会議での同時通訳デビューのチャンスをいただきました。実際に人前で通訳をするのは初めての経験でした。先生から「ベタ訳を付けていいから、耳から聞こえてきた音を、とにかく全部拾う気持ちでやってみなさい」とアドバイスをいただき、当日を迎えました。これはよくあることですが、会議の寸前で原稿が変わってしまったんです。両端を井上先生ともう一人大先輩の通訳者の方に囲まれて、通訳をしました。大量のメモが先輩たちから回ってきましたが、そのメモに目を通す余裕は全然ありませんでした。とにかく耳から入ってくる音を訳すことに集中して、約7分間同時通訳しました。その後を井上先生にバトンタッチしたのですが、私が落とした情報もきれいに入れながら、同時通訳をされました。さすがプロだと思った瞬間です。

Q3、私も井上先生のことをとても尊敬しているのですが、木内さんは井上先生の影響をすごく受けていらっしゃいますね。
はい、私は上智大学を選んだのも井上先生の授業を取るためでした。通訳学校に通った経験はありません。技術はすべて井上先生から学びました。「もしも通訳をやっていくのであれば、それもいいけど、アメリカの大学院に行ってもっと深くものを考える力を身に付けたほうがいい」と先生にアドバイスをいただき、国際ロータリーの交換留学生としてフランスに1年、大学3年生の時にボストンカレッジで1年学びました。そして上智大学卒業後に、修士号と博士号を取るために渡米しました。

Q4、アメリカでの生活はどんな感じですか?
私の研究者としての専門はアメリカの歴史と文化の研究です。メディア、特にインターネットやケーブルテレビを中心に置いて、それがボストンとデトロイトのアフリカ系アメリカ人コミュニティにどういう影響を与えたかという歴史的な研究を行っています。最近はテクノロジーが若者に与える影響の研究もしています。アメリカや日本、ヨーロッパで通訳の仕事も受けています。またそれ以外に、サッカーの審判の仕事をしています。これは体力が必要なので毎朝約10キロ走り込んでいます。出版翻訳ではバラックオバマ大統領の「マイドリーム」という自伝も印象に残っています。

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Q5、木内さんのマルチな活躍ぶりにはいつも驚かされているのですが、24時間どうやって時間管理をしているのでしょうか?
特に時間管理の意識はしていませんが、やるべきことをリスト化して取り組んでいます。研究者としては、こなすべき課題の期限が6年後ということもありますから、すべて優先順位をつけて、アジェンダを決めて実行します。その日にこなすと決めた内容が終わってしまえば、例え昼ごはん前に仕事が終わってしまっても、午後はリラックスするだけ。逆に、仕事が終わらなければ、翌日に影響がない程度で、夜まで仕事をします。「何時間仕事をしたか」よりも「すべき仕事を終えたか」のほうが重要ですから。基本的に日程はアウトルックで管理していますので、手帳は持ち歩きません。アウトルックとブラックベリーをシンクロさせています。

現在はミシガン州立大学で助教授としてアメリカ史とアメリカ文化の講義を教えていますが。基本的には午前中に授業や大学での仕事が入っています。またシーズン中は大体、午後4時位からサッカーの試合があります。それ以外の時間にやらなければならないリストをどんどんこなしていくイメージです。一般的にオフィスで働く人は一日8時間働きますから、私も授業や審判の仕事を含めずに8時間は研究しようと自分に課しています。研究者は本や論文を読み、執筆するのが仕事ですから、それらを読んだり、研究論文を書いたり、リサーチをしたりします。研究で読むものはほとんど英語なので、英文を読むスピードは速いと思います。メモを取りながら細かいところまで読まなければならない本は大体1時間に40ページのスピードで読みます。大体の内容を把握するだけでいい資料は1時間に70ページぐらいのスピードです。このようにペースを把握しておけば、本1冊を何時間で読めるのか事前に分かりますから、逆算してスケジュールを組むことができます。本は別に研究室でだけではなく、天気がよければバルコニーで読むことも出来ます。移動中に読むこともできるので、どこでも仕事が出来るのです。

Q6、アメリカの大学で苦労されたことはありますか?
大学院では授業ごとに課題の本が毎週1冊ずつ出ます。本の内容をディスカッションできるぐらい読み込まなければならないのですが、最初ボストンカレッジに行った時は本を読むスピードがそれほど速くなく、英語の学術論文にも慣れていなかったので苦労しました。ただ似た分野の本をたくさん読んでいるうちに、次第に速く読めるようになりました。当時読んでいた本を今手に取ってみるとあらためて新しい発見があります。同じ本を何回も読んで、あえて違う色で余白にメモを取ったりするのですが、昔はここが重要だと思っていたけど、本当はここが重要なんだということもよくあります。ただ、最初からすべてを理解しようと完璧主義過ぎると、英語を読むスピードが早くなる前に挫折してしまいますから、ある程度理解できれば、その本はそれでいい、位の気持ちが長期的には適当かも知れません。すぐに読むスピードが上がるわけではないですから。

論文を書くのも最初は苦労の連続でした。まず英語と日本語では構造が違います。文法だけではなく、論文全体の流れや、パラグラフの構造も大きく異なります。結論を先に言うのが英語なので、それに慣れるのが大変でした。教授に論文を添削してもらったり、友達に文法を添削してもらったりもしました。今では大学1年生向けにライティングの授業を教えることもありますが、当時の苦労が役に立っています。

また日本人は発言する時には重みのあることを発言しなければならないと思いがちですが、アメリカ人は思ったことをすぐに口にします。発言して意見交換することによって、そのうち深い発想が生まれるという考え方です。それだけに勢いのあるアメリカの学生の間に割って意見が出来るようになるまでには相当の時間かかりました。自分の発言が間違っていたらどうしよう?反論されたらどうしよう?と考えてしまい、つまり自信がなかったんですね。未だに修士課程の時の友達には「静かだったね」と言われます。「1回の授業で、1度は発言するようにしよう」と意識するようにして、ミシガンで博士課程を始めたくらいから、少しずつ発言ができるようになりました。

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Q7、通訳だけでなくアカデミックなものを体験されたことは、ご自身の中ではいい経験でしたでしょうか?
はい、よかったと思います。通訳現場では、スピーカーのロジックをつかみやすくなりました。アカデミックの世界では自分の主張にロジックがなければなりません。研究者はリサーチをすることが仕事でもありますから、通訳の事前勉強についても、必要な情報を短時間で収集する能力が培われました。

Q8、通常は6年かかると言われている博士号を3年で取得されました。異例の速さだと思うのですが、博士号を取るまでの過程を教えてください。
修士号を取得した後に博士課程に入学をすると、まず規定の単位を取得しなければなりません。少人数制で授業内容はかなり濃いものですが、普通の大学とゼミと似たイメージでしょう。それぞれの授業が3時間で、その週に宿題として出されていた学術書の内容をとことんディスカッションします。教授の講義ではありません。1学期は約15週間で、毎週のアサインメントと、学期末のアサインメントをこなして成績をもらいます。アサイメントの多くはレポートでした。授業を受けている間に、自分で指導教授を4人決めて、委員会を作ります。この4人が最終的に博士号を与えるか、与えないか決める訳です。規定数の授業を受けると、3つの大きな試験が待ち受けています。それぞれの試験で、自分の専門分野となる領域の内容の知識が問われます。つまり、その分野で博士号を持つ専門家として充分な知識を有しているか、試されるのです。それぞれの試験に向けて約100冊の本のリストがあって、それを読み終わった後試験を受けます。論述式の試験で、解答は30ページ位の論文にまとめます。期限は72時間です。試験問題をもらってから72時間以内に解答を提出すれば、その時間はどう使ってもかまいません。3つの試験を終えると、指導教授4人と集まって、再度すべての試験内容について、今度は口頭で試験されます。100冊×3試験の課題は全部読みました。きっと全部読まなくても試験は合格できたと思うのですが、研究者にとって大切なことは試験にパスすることではなく、研究して知識を身につけることですから。

すべての試験にパスをすると、その後博士論文のプロポーザルを書き、4人の教授に送って承諾を得ます。このプロポーザルを認めてもらうだけで1年かかったという友人もいます。これが認められると、博士論文のリサーチと執筆が始まります。私は約800ページの博士論文を書きました。指導教授のフィードバックをもらいながら論文の最終原稿が書き終えると、ディフェンスと呼ばれる口答試験が行われます。それぞれの先生から30分ぐらいの質問があり、その質問に答えていきます。きちんと答えることができれば、そこで博士号がもらえます。授業を履修するのに2年、3つの試験を受けるのに2年、論文を書き終えるのに2年というのが一般的なペースです。

Q9、博士課程を終えたら日本に戻ってきて通訳の仕事をされると期待していたのですが、アメリカに残ると選択されたのはどうしてですか?
私も博士号を取ったら日本に戻ってくるつもりでした。ただ今住んでいるミシガンは研究の環境もいいですし、アメリカでの通訳の仕事も、大学で教える仕事も充実しているので、アメリカに残ることにしました。今の段階ではずっとアメリカにいる可能性が高いと思います。日本の大学で教えるというのは今のところ考えていません。日本だとどうしても高校の世界史の延長になってしまい、学生と深い学術的なかかわりができないと思うのです。アメリカでアメリカ史を教えるというのは、自国の歴史なのでみんなが知っているということもあり非常に面白いですね。特に私の研究は近代の大衆文化なので、その国にいないと出来ない研究もあるんです。

現在はH1Bというビザでアメリカに滞在していますが、博士号を持っていると永住権が取りやすい環境にありますから、どこかのタイミングで申請するつもりです。ただ今後も研究だけでなく、通訳の仕事も続けながらバランスよく仕事をしたいと考えています。アメリカの通訳は条件面で日本より厳しいです。移動の距離も広いですし、1日全日の逐次通訳は、大体の場合が一名体制で行います。日本では考えられないですよね。

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Q10、通訳をするときに心掛けていることはありますか?
現場に行ったらとにかく柔軟な対応をします。自分がなぜそこにいるのかと常に考えて、自分ができることはすべてやります。資料がないから出来ませんとは絶対に言えませんよね。とにかく自分の能力でできることなら、必ず対応します。

Q11、最後に通訳者を目指している人にメッセージをお願いします。
シャドウイングやサイトラ、単語を覚えるというトレーニングは、基本的だけど重要だから絶対にやるべきです。後は知識を広げることが重要ではないでしょうか? 例えば昨日、Aという会議で通訳をしたとします。そのパフォーマンスと比較して、今日のBという会議でのパフォーマンスが劣っていたら、それは通訳力ではなく、内容の理解度に違いがあるからでしょう。内容が分かっていれば通訳に反映されるし、分かっていなければパフォーマンスは落ちてしまいます。そして仕事の半分は日本語ですから、英語だけでなく、日本語の表現を磨くことも重要です。国際会議では訛りが強い英語の通訳をすることもあります。プロの通訳者であっても100%完璧に聞きとれている訳ではありません。マイクのトラブルもあるし、発言者の横で誰かが咳をするかも知れません。100%聞き取れなければ通訳出来ないとは言えない訳です。

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国際会議の通訳者になるには時間がかかります。私の場合はチャンスをいただき大学三年生でデビューできましたが、なかなかその機会はめぐってきません。時間がかかるかも知れませんが、能力や知識は自分のものになれば失われることはありません。信念を持って継続的に努力すれば、必ず形になるのが通訳者だと思います。通訳は最終的にはパフォーマンス次第です。訳せたか訳せなかったか、正しいか正しくないかで判断されます。感情が伝わったか、伝わってないか、ある意味○か×しかないんですよね。努力をした分だけ○が多くなるし、努力をしなければ×が多くなります。

冬の間にするレフェリーとしてのトレーニングもそうです。ミシガンの冬は-20度になることもあります。でも、温暖なフロリダに住むレフェリーは外でトレーニングをしていて、そのレフェリーより優れたパフォーマンスをしなければ、割り当ては回ってきません。ですから寒くてもジョギングに行きます。勉強は辛いけど、今同じように通訳になりたいという人が頑張って勉強していて、その人がよいライバルになるのだ、ということを忘れないでください。

編集後記:

現在ミシガン州立大学助教授の傍ら、会議通訳や翻訳、そしてサッカーの審判員として多彩な活躍をされている木内さんですが、お話しをすると「とてもバランスのいい方だなぁ」と驚きます。そして常に自然体で謙虚な姿勢に、私自身学ばされることが大変多くあります。「能力や知識は自分のものになれば失われることはありません。信念を持って継続的に努力すれば、必ず形になります」という言葉がいつまでも心に残っています。


Vol.54 「敷居の低い通訳者を目指します!」

【プロフィール】
松林由香さん Yuka Matsubayashi

幼少期をドバイ・南アフリカにて過ごす中で英語を勉強し始める。
その後日本の大学へ進学し、在学中に受講した授業をきっかけに通訳に興味を持たれ、
アルバイトにて実際の通訳業務もご経験。
より通訳を勉強するためにイギリスの大学院へ進学・卒業し、一旦企業に就職した後、
多くの通訳・翻訳経験を経て、現在は外資系製薬会社にてインハウス通訳としてご活躍中。

Q1、今回の通訳者インタビューは松林由香さんにお越しいただきました。私工藤紘実と松林さんとの出会いはまだ大学生の時でしたね。まず英語との出会から教えていただきたいのですが、確か松林さんは帰国子女でしたよね?

はい父の仕事の関係で2歳から6歳までをドバイで、10歳から12歳まで南アフリカで過ごしました。その後大学3年生の時に交換留学でイギリスに1年、大学院もイギリスに行きました。トータル8年間を海外で過ごしたことになります。

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Q2、ドバイでは英語教育を受けていたのですか?

はい、ドバイはアラビア語圏でしたが、砂漠の真ん中の英語の幼稚園に通っていました。30年前のドバイは今とはずいぶんイメージが違います。蛇口をひねると水と一緒に砂が流れていました。一度幼稚園でお迎えが来なくて、泣きながら砂漠を一人で歩いて帰ったこともあります。毎日サバイバルで貴重な体験でした。

Q3、通訳者を目指そうと思ったきっかけを教えてください。

きっと今日のインタビューで聞かれるだろうなぁと思って考えていたのですが、特にこれといったきっかけはないんです。南アフリカで暮らしていた時も、周りはメイドさんや庭師など外国人ばかりでした。ちょうど私は小学校高学年で何でも吸収する時期だったので、自然と英語の勉強を頑張っていろんな人とコミュニケーションしたいと思うようになり英語の勉強に取り組みました。

具体的に通訳者に興味を持ったのは大学三年生の時です。大学で通訳入門の授業があったので何気なく専攻したのがきっかけでした。その授業に参加したら本当に面白くて、夢中で勉強しました。言葉が入ってきてそれを他の言葉に置き換えて訳をするということが、水泳をした後のような心地いい疲労感でした。そんな時先生に「テーマパークの建設現場で通訳のアルバイトの仕事があるのでやってみませんか?」と声をかけていただいき工藤さんをご紹介していただきました。

Q4、そうだったのですね。それからテーマパークで実際に通訳の仕事をしていただく訳ですが、授業と実際の現場で通訳をするのは違いましたか?

はい、最初はなかなか現場になじめず大変でした。授業とは違って本当に難しかったです。
授業のテープは分からない場合は何度も聞き直すことができますが、現場に出ると当然ですが自分ひとりだし、自分が聞き取れなければ誰も教えてくれないし、利害関係も発生することが違うと思いました。

でも実際に現場に出てみて、想像していたより通訳の仕事は面白かったです。勉強している時は自分に対する手ごたえしかないけど、現場では自分のやった仕事がその場で目に見えます。聞いている人の表情で自分の通訳を理解出来ているのかいないのかすぐにわかりますし、まるでそこに通訳者がいないかのように会議が進む時はやりがいを感じます。大学の授業の時に通訳という仕事を知って、アルバイトからスタートできて本当にラッキーだったと思います。実際に現場に出てもっと通訳のことを勉強したいと思い、イギリスのバース大学院に進みました。

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Q5、大学院を卒業した後、すぐに通訳者にならずに一旦就職されていますよね?

はい、それも工藤さんのアドバイスで決めました。最初の仕事をご紹介いただいたので、私はすごく工藤さんの影響が大きいんです。今でもそうです。

それは責任重大ですね。(笑)

工藤さんから卒業後すぐに通訳者になるのではなく、一度企業で社会人として会社の動きや組織の機能を勉強したほうがいいとアドバイスしていただきました。

そうでしたね。思い出しました。(笑)

私としては通訳の勉強もしたし、すぐにデビューしたかったのですが、アドバイスに従って通信会社に一旦就職しました。結果、私にとってはすごくいい経験でした。

Q6、通訳トレーニング以外にもいろんな勉強をされていますよね?

はい、「放送翻訳」の勉強もしたことあります。もともと放送通訳に興味があって調べていたところ、「放送翻訳」という仕事があることを知りました。私は映画など動画が好きなので、どんなことを勉強するのか知りたくて学校に通いました。テレビや映画を見ながらその情報を要約する作業なのですが、通訳する時とは違う頭を使う感覚です。映画の字幕翻訳の仕事などいくつか実際にお仕事も紹介してもらいました。

語学以外でも昔から子供に興味があって保育士の資格も取りました。資格には心理も解剖もあったので、ユーキャンで資格を取りました。とにかく好奇心が旺盛で、一人焼き肉にも行きます。一人で焼き肉を食べているとどう思われるんだろうと言うことより、新しいお店に入ってみたいという好奇心のほうが勝ってしまいます。勉強が好きなのは、好奇心を満たすためです。この仕事の本当にいいところは、何を勉強してもいつかは仕事に繋がるところです。好奇心が強い私にはぴったりの仕事だと思います。

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Q7、広告代理店で企業内通訳者として仕事をした時は非常に忙しかったと聞いています。どういう生活だったのでしょうか?

広告代理店なのでクライアントへのプレゼンテーションの前はスタッフと一緒になって徹夜で仕事をしました。私は通訳者ですが、お茶を汲んだり、コピーをしたりという通訳以外の仕事も必要であれば積極的にやっていました。通訳者としてより、チームの一員としてプロジェクトに参加しているつもりでした。言われたことは絶対に「NO」と言いません。通訳者なのでこの仕事はしませんとか、ここからここまでと言われているのでディナーの通訳は出来ませんとか、そういう話をよく聞きますが、私は出来ることは何でもやります。ホチキス止めであっても、レイアウト変更であっても、それでミーティングがスムーズに進むのではれば喜んでやります。

松林さんが常にクライアントからのリクエストが高い理由がわかったような気がします。(笑)

私は普通に生きていてもいやなことがないです。楽しみを見つけるのが上手なのかもしれません。実は通訳仲間から「あなたが何でもやると、私達もやらなきゃならなくなるのでやめてほしい」とクレームを言われたこともあります。その場では「すみません」と謝りましたが、よく考えてみたら私がサービスをしているのは通訳者ではなく、ミーティングをしているお客様だと気付きました。やっぱり頼まれれば何でも引き受けてしまいます。

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Q8、このコーナーは通訳者を目指している人が多く読んでいます。英語の勉強法について教えてください。

まず必ずやったほうがいいのがシャドウイングです。30分ぐらいの自分の好きなニュース番組などを教材として選んで、シャドウイングをしていました。これで通訳者に不可欠なスキルでもある、聞きながら話すという能力を身につけました。慣れてきたら、段々シャドウイングの間隔を長くしながら練習しました。それからWebで自分の好きなトピックを選んで、サイト・トランスレーション(以下サイトラ)の練習もすいぶんやりました。

サイトラをやると発音や意味が分からない単語出てくるので、その単語を書きとめて覚えました。私は暗記が得意なほうではないので、単語を文字ではなく絵をイメージしながら覚えています。また単語を分解したほうが覚えやすい場合は分解して覚えます。

通訳者になってからは事前準備が出来るようになるので、あらかじめ資料をもらったら、まずそれで自分の中でリハーサルをします。スライドを見ながら「もしも自分がプレゼンテーターだったら、きっとこういう風に言うだろうな?」と想像しながらリハーサルをします。今は勉強時間も限られているので、事前に勉強をする時間を決めてその時間内で集中的に勉強します。絶対に事前に決めた時間内で終わらせると自分の中でルールを決めて取り組みます。例えば時々翻訳の依頼も受けるのですが、金曜日納期だとしたら納期ギリギリではなく、水曜日までには終わらせるようにします。変更があった時とか、何か自分が引っかかった時にも、調べる時間を確保することが出来ます。

Q9、プライベートな時間はどうやって過ごされていますか?

私は和太鼓を17年間やっています。(すごい腕の筋肉ですね?)
NYで公演したこともありますし、今年は様々なお祭りが震災で中止になってしまったのですが、毎年佐渡島で行われる祭りは今夏もあるので行ってきます。スクワットしながら横打ちなので結構体力使います。本もすごく読みます。軽いものなら1日2冊読むこともあります。乱読ですが英語も日本語の本も両方読みます。

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Q10、最後に通訳者を目指す人に何かメッセージをお願いします。

私は自分で敷居の低い通訳者だと思います。依頼する方からすれば、頼みやすいだろうし、何でも言えるし、きっとあまり気を使わなくてもいいと思います。私は自分のような通訳者を見たことがないんです。みんなカチっとしていて目標やビジョンをしっかり持って仕事をされています。ただ私は今後通訳を目指す若い人に、自分の快感のために、気持ちいいから通訳をするとか、楽しいからやるっていうのでもいいんだよというのを伝えて行きたいと思います。

小さい時の夢はパイロットでした。でもパイロットは身体的な条件が厳しかった。でも通訳は自分さえ興味があれば飛び込めるし、合うか合わないか肌で感じることが出来ます。「通訳・翻訳者像」というのがどうしてもハードルが高そうに見えてしまいますが、最初はあまり構えないで、興味があるから試してみようという感覚でいいのではないでしょうか?

大学院で一緒に通訳クラスを取っていた友達の中で実際に通訳の仕事をしているのは私だけなんです。なぜなら漠然と、「通訳って難しそう」って最初やる前から思ってしまうんです。自分の中でバリアを作って、やってみたいけど最初から難しそうだから無理だよねと諦めてしまうのは本当にもったいないと思います。

取りあえず興味があれば、深く悩まないでやればいいと思います。自分が楽しいと思えたら続ければいいし、なんか苦しくて、その苦しさがネガティブな苦しさだったら辞めればいいと思うんです。苦しくても楽しい苦しさだったら、続けてみたらいいと思う。まだ実力もないし、お金がないしなど、そういうことにとらわれずやったらいいと思います。

編集後記:

松林由香さんとの出会いは彼女が大学三年生の時でした。その時の印象は今でも全然変わっていません。いつ会っても満面の笑顔で、自然体で、心から通訳という仕事を楽しんでいるのがよくわかります。今日の話を聞いて、何故いつもクライアントからリクエストが来るのか、その理由がよくわかりました。 工藤紘実


Vol.52 「ワークはライフ、ライフはワーク(後編)」

【プロフィール】
宮原美佳子さん Mikako Miyahara
広島県在住。大学を卒業後、システム会社にてSE勤務。二人のお子さんを出産後、一緒にオーストラリア留学。自動車製造企業でのインハウスを経て、現在フリーランス通訳者としてご活躍中。

*前編はこちら⇒ http://www.hicareer.jp/inter/interview/vol52.html

Q10、通訳の面白さ、やりがいはどんなことですか ?
私は地方にいるので、アテンド的に長期同行させていただくお仕事をよくいただきます。すると、お客様と深くお知りあいになれる機会が多くあります。どんな内容であっても、情熱をもってお仕事をしているお客様とお仕事をすることが本当に楽しいですね。エネルギーを持って、ダイナミックかつクリエイティブに取りくまれている方にお会いできることが、とても刺激になっています。海外からのお客様に付かせいただく場合も、私が海外に同行させていただく場合もそうなのですが、みなさんアウェーに飛び込んでいくことに投資されている分「ビジネスを成功させてやろう、役に立とう」との気持ちが一層強いと感じます。

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Q11、通訳者になっていなかったら?
一つ覚えているのは、大学時代の友人に、「あなたって社会人になったらどんな人になってるんだろうね」と言われて、お母さんにもなりたいけど、仕事もバリバリしてバリバリ遊びたいと答えていました(笑)すごく欲張りなんです。でも、そういう意味では、今ある程度それが実現できているのかなと思います。ワークライフバランスという言葉がありますが、私の場合は切り分けられないですね。
私にとって、ワークはライフだし、ライフはワークというところがあって。少しおこがましいですが通訳という仕事は天職と言えるかと思います。通訳になっていなかったらということは想像がつかないですね。まだまだ通訳人生の先は長いと思っていますが...。

Q12、休日の過ごし方、リフレッシュ方法があったら教えてください。
車の運転が好きです。最近13年乗った車を買い替えて、ちょっと運転の楽しい車を買いまして(笑)
今まで大きめのステーションワゴンだったのですが、今回は少し小回りの利くものを買ったので、一人でドライブに行ってしまいます(笑)
それと、翻訳をきちんと勉強したことがなくて、ずっと我流やってきたところがありましたので、改めて翻訳技術関係の本をしっかり読むようになりました。新しい翻訳技術、手法を学んだり、自分がこれまで無意識にやっていたことを翻訳技術として再発見して、応用の範囲を広げられる可能性を知るなど、とても楽しんでします。また、もともと読書量が多くありませんでしたから、分野を問わず読書量を増やして興味のある分野を広げていければいいなと思っています。

Q13、将来の夢、目標はありますか?
国際会議レベルの通訳者になりたいという夢は、確かにあります。ただ、単にレベルが高いという通訳というだけでなく、社会貢献できるようなお仕事をしたいです。会議の内容が世界平和に関わるものや、漠然としていますが、何か大義のあること、誰かの役にたつこと、社会全体の役に立っていると実感できるようなお仕事をしたいですね。そのためには、まだまだ自分は上手くならなければならないし、まだまだ上手くなれると信じています。

Q14、現場で活用されている物はありますか?
絶対に手放せないのが、iPhoneです。地図アプリや乗り換え検索アプリでホテルやお客様までの道のりを確認したり、もちろん、電話やメールでエージェントやお客様と連絡を取ります。メールはPCメールの受信ができるため、どこにいても急な案件にも大きな遅延なく対応できます。、スケジュールの管理、確認から実際の通訳現場での実作業サポートまで全部iPhoneでできるというのは助かりますね。通翻訳者は情報にどれだけ近いかが勝負になります。例えば、会議の中に入ってもインターネットにつないで、Wikipediaなど広く情報を入手できるということは大きなメリットです。辞書は2つ英辞郎と大辞林とジーニアス英日日英アプリを入れています。。また、ストップウォッチ、キッチンタイマー機能もあるので、タイマーを現場に持っていかなくなりました。さらに、iPhoneを持ってから、移動時間や細切れの空き時間も、電子書籍を読んだり、あらかじめiTunesから同期しておいたCNN/BBCニュース放送や、有名な大学の無料講義を聴いたり、有効活用できるようになりました。資料の印刷も、ネットプリントというアプリを利用して、コンビニにあるネットプリント用コピー/印刷機に転送して印刷することができます。また、購入当初はタッチパネルでの入力にストレスを感じていましたが、Bluetooth対応の折りたたみキーボードを購入してからはそれもなくなりました。翻訳や通訳案件の準備作業などで自宅での作業に飽きてしまうと、iPhoneとキーボードを持参して近所のカフェで作業します。本当に小さなPCを持って歩いている感じです。

Q15、宮原さんはTwitterを有効活用されているとお聞きしましたが?
Twitterをはじめて、通訳者どうしの横のネットワークがだいぶ広がりました。それまでは、お仕事でご一緒した方としか知り合う機会がありませんでしたが、Twitterをするようになってから、地方のお目にかかったことのない通訳者さんとも知り合うことができるようになりました。また興味の方向が同じなのでで、自分にとって有益な情報が入ってきます。最初は自分から働きかけるのが、すごく気が引けるように思っていましたが、今はこうした横とのつながりが私には欠かすことができない物になっています。。というのも、フリーランスは何でも自分でやって行かなくてはいけませんが、初めてやることにはみなさん恐る恐るだと思います。駆け出しの頃は、交代の合図の出し方や、順番の決め方といった初歩的(?)なことでさえみなさんどうやっているのか聞きたくて(笑)最近では確定申告のメリットを教えて頂いたり、スキル維持向上に役立つインターネットサイトを教えて頂くなど様々な面で役に立っています。もっと通訳者のネットワークを作る仕組みがあればいいなと思いますが、今はそれをTwitterに求めています。今のところTwitterだけでなく、翻訳通訳関連のメーリングリストに登録して情報収集するなど、ネット活用は上手くいっていると思いますし、もっと活用できる方法を、これからさらに考えみたいと思います。

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Q16、通訳を目指している方へ、何かメッセージをお願いします。
とにかく諦めないことです。振り返ってみると、私は通訳学校に入学した時には実は心のどこかで「通訳になりたい」と思っていたような気がします。でも、通訳者になるということは、私にとってあまりに雲の上過ぎて、なかなか自分の気持ちに正直になれない時期が長かった。今はもっと早く自分の気持ちに向き合えば良かったと感じています。例えば、英語を勉強している人で、少し話せるようになれればいいな、と言っていても、本当は心の隅で通訳という仕事に憧れている人は沢山いるのではないでしょうか。実際、通訳の仕事についてみても思いますが、厳しい道ではあるけれど、やりがいと魅力のある仕事です。正直になるのは早い方がいいです。諦めなければ、絶対道がつながってきますよ。
それと、一旦通訳という肩書きで仕事についたら、どこへ行ってもプロ意識を持って取り組んでほしいです。社内通訳になりたての時期など、社内用語が分からなかったり自分のスキル不足を思い知らされたり本当に辛いこともあります。ですが、プロとして仕事する以上はペアの人に全て代わりにやってくださいというわけにはいかない。自信の無さからそういうことを言ってしまう方がいますが、フリーと違って社内通訳のときは、必ず明日も仕事があります。だから、自分の仕事は絶対人にはやらせない、というくらいのつもりで当たって粉々になるつもりで取り組んで下さい。粉々になったところで、死んだりしませんから(笑)!そこで辞めてしまわずに、社内通訳だからできるわがままだとか、無理だとかをフル活用して、絶対に諦めないで頑張ってほしいなと思います。

また、地方で通訳を目指しながら市場がないことを悲観して、キャリアを諦めてしまった人を何人も見てきました。実際、私も広島在住ですが、地元の仕事は非常に少なく、じっとしていたのでは仕事にはありつけませんでした。でも、どうやったら仕事を続けられるのか?取れるリスクのレベルを考慮した上で、自分から提案を持ちかける形で東京のエージェント何社かにアプローチをかけ、おかげさまで複数のエージェントと仕事をさせて頂くようになりました。
プロとしてのスキルを維持向上させていくことは必要です。先ほども言いましたが、私もまだまだ上手くならなければ!と肝に銘じています。でも、同時にフリーランスには「将来自分はどんな仕事がしたいか?」をベースにして「どうやって仕事を取るか?」という戦略を常に練りながら進んでいく、そういう側面が必要です。
それが出来れば、「地方だから...」は諦める理由にはなりません。地方の通訳を目指す方にも十分道が開けると言うことを、知って欲しいと思います。

編集後記:
普段は柔らかな雰囲気の宮原さんですが、今回のインタビューでは、通訳に対する熱いお気持ちがひしひしと伝わってくるようでした。特にIT機器を通訳の現場でフル活用されているお話は、まるで通訳のIT革命のようで、今後どのような画期的な活用法が生まれてくるのか、聞いているだけでドキドキしてしまいました。
東京でのお仕事の合間に、快くインタビューをお引き受けいただき誠にありがとうございます!
これからもどうぞよろしくお願いいたします。


Vol.52 「ワークはライフ、ライフはワーク(前編)」

【プロフィール】
宮原美佳子さん Mikako Miyahara
広島県在住。大学を卒業後、システム会社にてSE勤務。二人のお子さんを出産後、一緒にオーストラリア留学。自動車製造企業でのインハウスを経て、現在フリーランス通訳者としてご活躍中。

Q1、語学に興味を持ったきっかけは?
小学校にあがる前に、ブリタニカからでている「もくもく村のけんちゃん」とういう英語教材に出会ったのがきっかけだと思います。紙芝居で、音声はカセットテープがついていました。すごく楽しくて、魔法の国を冒険していく物語を、ぜんぶセリフを覚えるくらい繰り返し聞いていました。けんちゃん以外にも「マコちゃんガコちゃんの冒険」シリーズも同じように聞いていました。当時の英語教育のかけだしみたいな感じでしたね。

Q2、それでは、小さいころから英語がお得意だったのでしょうか?
実は、そうではありませんでした。普通に中学から、英語の勉強を始めましたが、机上の勉強になじめず全然好きではなかったですね。「もくもく村のけんちゃん」の楽しい会話のあとでは、机上でゴリゴリするばかりの英語の勉強に全くなじめなかったんです。
高校を卒業後は国立大学の受験に失敗し、通った中高系列の大学に進学しました。英文科が有名な学校でしたから、流されるままに好きでもないのに英文科に入学しましたが、実は2週間くらい授業を受けた後、GW明けくらいには学校を辞めてしまったんです。机に座ってガリガリとする英語が、どうしても自分の中にすっと入ってこなくて。それよりは数学とかの方が好きでした。でも理転は既に無理なタイミングでしたから、浪人中に一番勉強したのは実は英語だったんです。再度受験した大学では、教育学部に入りましたが、二次試験に英語を選択したものの、そこでは結局やりたかった数学を専攻しました。

Q3、それでは、いつから通訳という仕事に興味をもたれたのでしょうか?
実は、私が通訳というお仕事をきちんと意識し始めたのは、だいぶ後になってのことです。最初の就職先はシステム会社で、結婚、出産を機に5年ほどで退職をしたのですが、その頃からSEの仕事が合っていないような気がしていました。そんなとき、「モクモク村のけんちゃん」の、英語で会話をしながら物語が進んでいく、というイメージが自分の中に残っていて。また、浪人時代にかなり気合いを入れて英語を強化し、入社当初のTOEICでも英文科出身の同期社員よりいい成績だったことに気をよくしていて。勘違いもはなはだしいのですが、何となく「英語できるんじゃないか?」という気になって、学校に行ってみようかな、と思い立ち、怖いもの知らずなことに、最初に行ったのがいきなり通訳学校でした(笑)通訳学校では、入学前に説明会のようなものがあって、そのときに、現役の通訳者さんのお話を聞いたら、素晴らしかったんです。通訳という仕事って楽しそうだな、と感じました。
でも、いざ授業が始まってみると、宿題、授業が厳しくて。2、3回行ってお休み...、その時は半年くらいでに通うのを止めてしまいました。いくら受験で気合いを入れて勉強したといっても、長いブランクがありましたし、持っていた資格は高校2年のときにとった英検2級だけ。正直言ってアルファベットの順番もあやふやでしたから、大変でした。そこで、まず英検の勉強を始めたのが本格的なスタートでしたが、そのころには、もう子供も生まれていました。

Q4、お子様が小さい頃に、海外留学に行かれていますね?
英検1級を取得、TOEICも自然に900オーバーし、ひとまず到達するのが難しいと言われているところまではきました。でも自分の英語が本当に通じるかということがわからず、一度試してみたいという気持ちがありました。海外経験が全くないというのも、ずっと心にひっかかっていて、このあたりでひとつ行っておこうかという感じです。語学の勉強というよりは、そこになるべく長く住んで、体でカルチャーを感じたいというものでした。

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Q5、その間お子さんは、どうされていたんでしょうか?
まず子供の面倒をみてくれるところを探さないといけませんでした。ニュージーランド、オーストラリアのインターナショナル幼稚園に片っ端から電話をして、ようやくゴールドコーストに偶然ですが日本人を受け入れてくれる日本人経営のインターナショナル幼稚園を見つけて留学が決定しました。当時、子供はまだ二人とも小学校に入学前で、下の子はやっと4歳になるところでした。特に下の子は、幼稚園に連れて行くと最初の2週間毎日泣いてしまって、これがもう1週間続いたら諦めて日本へ帰ろうか...、と思ったほどでした。でも、そう思うとなぜか泣き止んでくれるんです。滞在中の半年間は、私自身もそれなりに緊張して過ごしていました。楽しんではいましたが、やはりいざというときは私しか子供を守れませんから。

Q6、実際に通訳のお仕事はいつスタートされたのでしょうか?
留学から戻って、自動車関連の会社で勤めたときに、エクセルを使用してデータベースを整理してほしいということだったのです。ただ、私はもともとSEだったので、会社側がMicrosoft Excelを使用し一ヶ月程度と想定した仕事を、Microsoft Accessを使って3日で終らせてしまったのです。ちょうどその頃、同じ会社の広島郊外にある工場での通訳のポジションが空いていると小耳に挟みました。そこで、是非、その通訳の仕事をやらせてほしい!とお願いしました。通訳学校時代から、展示会やアテンド通訳などの単発のお仕事はいただいていましたが、これが始めての社内通訳でした。

Q7、家庭との両立でご苦労されたことはありませんでしたか?
やはり当時はこどもも小さかったこともあり、社内通訳をしているときは家事との両立でつらい時期もありました。会議があるのは、海外との時差の関係上、朝早くか夜遅くかどちらかで、ときには両方のこともありました。とにかく早く上手くなりたかった私は、片っぱしから進んで対応させていただいていました。無理をして体を壊して入院したこともありましたし、悩んでなかなか言えない気持ちを抱えたこともありました。その頃は、専業主婦だった自分の母親や自分の求める母親像と、実際の自分の姿ややりたいことのギャップに悩み、自分で抱えこんでしまって、誰かに協力を求めるということができませんでした。でも、結局気がついたのは、誰かと妥協するのではなくて、自分の中で折り合いをつけることなんだ、ということです。「全てを完璧になんかできない」ということをちゃんと認めて、体力的にも、精神的にも継続していけるような環境を自分作っていかなければいけない。精神的に自分自身と折り合いをつけることが重要だとわかってからは、周りと話し合いができるようになりました。今の自分があるのは、本当に周囲の方々の協力あってこそ、と感謝しています。

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Q8、忘れられない失敗談などはありますか?
やはり用語の間違いというのはあります。技術の会議に入ったときに「コロテーが、、、コロテーの、、、」と皆さんおっしゃるんですよ。私はさっぱり意味がわからず、何~?と思ってしまったのですが、隣の通訳者さんが、「宮原さん、コロッケ定食じゃないのよ。」と(笑)。転がり抵抗(Rolling resistance)という意味だったのですが、そういう用語での失敗談はだいぶありますね。その会社だけで使われる用語もありますから、社内通訳として一通りの知識を身につけないと、日本語さえ理解できないということが沢山あって苦労しました。そういう失敗はずいぶんありましたね。

Q9、現在、フリーランスでご活躍中ですが、現場で心がけていることはありますか?
用語を知らないところに入るときには、本当に緊張するものです。ペアの方が以前に関連の会議をご経験されている場合、10分、15分交代の間も、丸1日絶対に気を抜きません。以前入られたことのある方は用語をご存知なので、先にペアの方が使っている言葉をよく聞いて、メモを取ります。
事前にいただいている用語集があっても、会議のトピックが違ったら、全然違う用語を使用する場合もあります。もちろん事前にトピックを教えていただければ、できる限りの準備はしていきますが、現場に行ってみると全くトピックが違っていたと言うことは実はよくある話です。そうすると頼みの綱はもう自分の耳のみになりますから、慌てず落ち着いて臨むしか有りませんね。

また、私はよくポジティブ、前向きといわれますが、とてもメンタル面が弱いと自分では思っています。今でも人の三倍くらいは悩んでいるのではないかと思うくらいです。フリーランスになったばかりのうちは、どうしよう、どうしようという気持ちが初めてのお客様の前で出てしまうことがありました。メンタル面の弱さは、どうしても実力から差し引かれてパフォーマンスに出てしまいます。あるときから、もう現場行ったらどうにかするしかない、と思うようになって、どんなお客様の前でもあまり緊張しなくなりました。お客様のコミュニケーションの成立だけに全力を注げば、緊張したり恥ずかしがっているヒマはないという感じになったんです。それで、だいぶ集中力も高まるようになった気がします。一旦お客さんの前にでてしまったら、プロとして仕事をすることが求められますから、やはり不安は見せるべきではないですし、信頼されるようなデリバリーを心がけています。

編集後記:
広島にお住まいにも関わらず、それを感じさせないフットワークの軽さと柔軟性をお持ちの宮原さん。私たちコーディネーターにとっては、今や首都圏の通訳者様と変わらない存在感です!通訳を目指されていて、今は家事とのバランスで悩んでらっしゃる方も、きっと宮原さんのお話に励まされるのではないでしょうか。後編では、通訳の現場で活用されているものや、通訳者間のネットワークについてお話いただいています。
どうぞお楽しみに!


Vol.51 「パートナー感がインハウスの醍醐味」

【プロフィール】
小野田若菜さん wakana onoda
チェコ共和国(当時のチェコスロバキア)生まれ。日本語、チェコ語、英語を使用する環境で育ち、13歳で日本へ帰国。早稲田大学政治経済学部卒業。その後、大学院在籍中に、通訳デビュー。フリーランスを経て、現在は某外資系飲料メーカーにてインハウスの通訳者。

Q1、語学にご興味をもたれたきっかけは?
物心がついたときには興味があったような気がします。ヨーロッパにいたおかげで、日本語・チェコ語・英語以外も身近にあり、その中で自然に語学に対する興味が育くまれていきました。今考えると、幼い頃から「ナンチャッテ通訳」をしていたのかもしれません。

Q2、気がついたときには、日本語とチェコ語のバイリンガルだったのですか?
現地の幼稚園に行くようになって日本語のアウトプット力が薄れてしまい、母にチェコ語で話しかけるようになりました。でも、母は頑として日本語でしか返しませんでした。4歳くらいの頃でしょうか、幼稚園の友達の名前を一人ひとり挙げ、「どうして私だけ日本語を話さなければいけないの?」と反抗したそうです。母がそれでも譲らずに日本語での会話を続けてくれたおかげで、日本語の土台が築かれました。両親は共に文学部の出身で、言葉には厳しい方だと思います。言葉へのこだわりだけでなく、言語の向こう側に広がる世界への興味を育ててくれたのはとても感謝しています。

Q3、英語との出会いはいつ頃でしょうか。
小学校に上がるときに、現地校にするかインターナショナルスクールにするか、どういうわけか私の判断に委ねられることになりました。両方の学校へ見学に行きましたが、共産主義時代のチェコの学校というのは、過保護の一人っ子の目にはとても恐ろしいものに映りました(大げさに言うとカフカの『城』やオーウェルの『1984』のイメージです)。迷うことなくインターナショナルスクールを希望しました。英語は全くゼロの状態でしたから、まずはイギリスの幼稚園に編入して、なんとか半年後にインターナショナルスクールに受け入れてもらうことができました。最初の半年くらいは、先生が一対一でESLのサポートをしてくれていたのを覚えています。いつもにこやかで、やさしく、アメリカの古き良き時代を象徴するような先生のおかげで、すぐに英語が大好きになりました。それからは学校では英語、買い物やテレビはチェコ語、家族との会話は日本語という生活になりました。

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Q4、13歳で日本へ帰国してから、ご苦労や戸惑いはありませんでしたか?
語学や文化とは違った意味で戸惑いがありました。ISP(International School of Prague)は1年生から9年生の全学年合わせても100人いるかいないかの小さな学校。そこから1学年7クラスある巨大組織(と私は感じていました)へ転校したのです。しかも、いきなり修学旅行!(笑) 

小さな学校にいたせいか、はたまた子供の頃からKYなのか、友達を作ろうとして、初対面の同級生にまるで昔から知っていたかのように声をかけてしまったりします。そうすると、「一体誰?」という反応が返ってきたり(笑)
文化の違いには慣れていました。チェコの幼稚園では、いわゆる西側諸国(つまり資本主義国)の子供は私だけ。アジア人でさえ1人もいませんでした。両親はもともと学生としてチェコに渡った珍しいケースだったこともあり、いわゆる駐在員の方々ともまた少し異なる世界で育ちました。そのような特殊な環境にいたことが逆に強さにもつながったと思っています。
日本の子供の文化についてはマンガから学んだ部分が大きいと思います。

Q5、通訳者になられたきっかけはありますか?
学生の頃からチェコ語の翻訳や通訳のお仕事をいただいていました。チェコ語のできる日本人は少なかったため、有難いことにエージェントの方から声をかけていただきました。学問の道をあきらめ、さあ、どうやって食べていこうか、と考えあぐねていた時に、一番自然な道が予備校の先生か通訳でした。学校と名の付くものはもう十分、ということで通訳の道を選びました。今と比べるとまだまだ若かったのに、団体行動の必要な職種は無理とか、もう歳だから大手企業はどこも採ってくれないだろうとか、振り返るとずいぶん近視眼的な選択の仕方でしたが(笑)

具体的なきっかけとしては、チェコ語のお仕事をいただいていたエージェントにお願いして英語でも登録していただきました。最初は英語の依頼は皆無でしたが、たまたま緊急の案件があり、どなたも手配ができずに私に声をかけていただいたのだと思います。本当にラッキーでした。そのお仕事が、非常に厳しいお客様のFGIだったのですが、運よく気に入っていただくことができて、そこから少しずつ英語のお仕事をいただけるようになりました。そうすることで、わずかですが実績表ができ、次はその実績表を持ってほかのエージェントに登録することができました。

Q6、現在、英語のお仕事を中心にされている理由はありますか?
理由の一つには、チェコ語については正式な学校教育を受けていません。いわゆるpassive vocabulary があっても、active vocabulary がかなり錆びついています。特に同通をするには支障があり、チェコ→日本語の通訳はお引き受けできても、日→チェコだと難しい場合があります。現在は英語の分かるチェコ人が多いので、日→英/チェコ→日でお仕事をさせていただくこともあります。

もう一つの理由ですが、特殊言語は需要も供給も少なく、とかく狭い世界になりがちです。子供の頃からなじみのある世界でもありました。一方、英語で食べていくことを決意するのは孵化したばかりの魚が大海に臨むような感覚です。同業者はもちろん、お客様の中にもバイリンガルの方がたくさいいらっしゃいます。チャレンジングである一方、閉所恐怖症気味の私は自由もあるように感じました。

結果的には、英語を主体にすることによって、チェコ語に関しても、むしろ純粋な形で接することができ、よかったと思っています。

<小野田さんの訳書(チェコ語)>
ブロンズ新社刊 カレル・チャペック著 『子犬の生活 ダーシャニカ』、『ふしぎ猫 プドレンカ』

Q7、通訳の現場で学ばれたことはどんなことですか?
たくさんの貴重なことを先輩・後輩の通訳の方に教えていただきました。怖いもの知らずで、通訳学校を経ずにいきなり現場に出たということもあり、今考えるとずいぶんとパートナーやコーディネーターの方に失礼を重ねてきました。二人以上で組んで通訳業務を提供する場合、一つのチームとして最高のパフォーマンスを提供することが最も大切なことだと思うのですが、そのためには互いに人としての基本的な気遣いが必要です。それなのに、ついつい自分のエゴやプライドで動いてしまったり、パートナーの方にいらぬ気を遣わせたり。十数年経った今でも毎日が勉強です。

基本的なマナー違反をして、パートナーの方を不快にさせたこともあります。最初のエージェントに登録した直後のことですが、パナガイドを手に会議室の壁際でウィスパリングをしていて、パートナーに替わっていただいた後、ホッとしてその先輩の後ろではなく、前を通ってしまいました。その方は親切にもそれを後でご指摘くださいました。その先輩には本当にアレコレと教えていただき、大変お世話になりました。その後も仲良くしてくださって、今でもとても感謝しています。(テンナインに紹介してくださったのもその先輩です)

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Q8、現在、インハウスでご活躍されていますが、どんなところにやりがいを感じられますか?
組織ではやっていけないタイプと思って通訳者になったのに、皮肉にも通訳業を通じて、案外人好きで、組織の中でもなんとかやっていけるのではないかということが分かってきました。私にとってインハウスで働く一番のやりがいは「人」です。今の職場を例に挙げると、まず通訳者のチームが素晴らしい! 有能で寛容な先輩、おっちょこちょいな私を温かく見守ってくれる同僚に囲まれて、組織は思っていたほど怖くない、否、楽しいではないか、と日々噛みしめています。個人的にもお酒を飲みに行くような仲間と一緒に仕事ができて本当に幸せです。また、現在の幹部の大半が外国人ですが、ちょうど私と年齢が同じくらいの方が多いせいか、「語学サービスのサプライヤー」というよりは「仲間」として扱ってくださっていると実感できる場面が多々あります。飲料なら飲料のビジネスのことを深く理解できるのはもちろんですが、このような「パートナー感」がインハウスの醍醐味だと思います。

Q9、小野田さんの趣味や息抜き法があったら教えていただけますか?

固定した趣味のようなものはあまりないですが、昨年、VWゴルフのGTIを購入し、運転が息抜きになっています。見た目と違って、エンジン音が快い、タイトな走り心地の車です。ただ、私の駐車技術があまりにもお粗末なので到底「趣味」とは言えませんが...
もう一つの息抜きといえば読書。どちらかというと活字中毒だと思います。

視覚芸術も大好きです。子供のころは絵も落書きも良く描いていました。通訳中はさすがに落書きできませんけど(笑) その代わりというのも変ですが、今年に入って、高校以来の写真熱が復活しました。人と共有する技術が発展したのが楽しいですね。

家には歴史書や思想書から生物学の本、漫画やら画集まで、なんの脈絡もなく本が散乱しています。昨年はキンドルが我が家にやってきたことで読書環境がずいぶん変化しました。出張の多い職場ですから、キンドルは手放せない相棒です。入浴中に読めるキンドルのハードが開発されるといいなと思っています。

Q10、小野田さんの将来の夢を教えてください。
通訳を通して人好きな一面を再発見したと同時に、若い頃志したように、発信側に立つことも捨てがたい夢です。
とはいえ、大学院時代、誰にも会うことなく何時間も図書館にこもるということが結局できなかったことを考えると、物書きだけでずっとやっていくのは難しいかなと...。
なんとか人と一緒に仕事をすることと、文章を書くことを両立できないか。いい歳なのに、今もそんな悠長なことを考えています。

Q11、通訳を目指されている方へメッセージがありましたらお願いします。
このインタビューは早51番目ですから、バックナンバーをご覧いただければきっといろいろな方の的確なアドバイスがたくさん載っているのではないでしょうか。そこで、ちょっと角度を変えて、通訳をするために翻訳をされることをお勧めしたいと思います。よく通訳と翻訳は違うと言いますが、個人的には翻訳をすることで勉強になった部分が沢山ありました。翻訳だからこそ、一つのトピックについてじっくりと調べたり、時間をかけてフレーズを練ったり、論理の流れを追って読み手に伝わる構成を考えたり、文化的な要因まで掘り下げて英語と日本語の違いに気づくことができます。通訳者になってからも、同時通訳やウィスパリングばかりをずっとしていると、学習曲線が停滞するときがあるように思います。少しペースを変えて、一字一句にこだわりぬいて文章を訳出することも時としてお役に立つのではないでしょうか。

それと、会議やプレゼンテーションの題材そのものに純粋な好奇心を感じられる通訳者は強いと思います。私は決して一流の通訳と言えるような立場にはありませんが、少なくとも何にでも興味を持てるというところは強みかもしれません。ビール一つ取っても、酵母が...というような具合で、成り立ちや仕組みが気になります。職場の先輩には「また小野田さんのしつこいのが始まった」と叱られることがありますが、そういう意味で私の趣味は色々なことに興味をもつことなのかもしれません(笑) 

編集後記
小野田さんとお話をしていると、言葉や仕事への探求心がぐいぐいと伝わってきます。それでいて、とても気さくで、インタビューの際にも逆にこちらが緊張しないように気遣ってくださったり。異国で育ってきたからこそ、ご自身のアイデンティティをしっかり持ちつつ、周りの人を大切にされる姿にたくさん刺激をいただきました!これからもよろしくお願いいたします!



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