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Training Global Communicators

Vol.49 「今やれることは何でもやろう」

【プロフィール】
野本あけみさん
Akemi Nomoto
国際基督教大学(ICU)高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。
外資系銀行で9年就業した後に、ご主人の転勤で海外(フランス、カナダ)へ。
カナダでは日系企業のアテンド通訳を経験。
帰国後、本格的に通訳の勉強を開始し、監査、自動車関連企業にて3年間のインハウス通翻訳業務の経験を積んだのち、現在はフリーランス通訳者としてご活躍中。
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Q.語学にご興味を持たれたきっかけは?
英語は子供のころから好きでした。そもそも本が好きで、親が日本語、英語にこだわらず沢山本を与えてくれて、買ってもらった英語の本はボロボロになるまで離さなかったようですから、親もきっとそれが面白くて色々与えてくれたのでしょうね。

Q.上達もスムーズだったのでしょうか?
とにかく英語が好きだったので、中学校の時のスピーチコンテストでは賞ももらいました。でも、その後入学した高校では、帰国子女などネイティブ並みの英語力の人に囲まれて、読む、書く、聞く、話す、すべてにおいて圧倒的な差を感じ、いきなり奈落の底へ落とされた気分になりました。得意だと思っていた英語が、実は全くできないと、その時始めて気がついてしまい、おとなしい目立たない3年間を過ごしました。一生英語にはかかわらないだろうというくらいまで落ち込みました。大学も英語とは関係ないところを選びました。

Q.英語が苦手になられたにもかかわらず、通訳者を目指されるまでにはどんな気持ちの変化があったのでしょうか?
卒業後は、ほとんど英語を使わない仕事に就いたのですが、結婚して主人の仕事の関係で、フランスとカナダで生活しました。そのとき、時間ができたので昔、好きだったにも関わらず苦手になった語学のリベンジをしたいと思いたちました。フランスではフランス語を学びましたし、特にバンクーバーでは、日系人のコミュニティの間を行き来しているうちに、日系企業の方のアテンドなど、私の英語力でもお役にたてることがありました。色々な方々にお目にかかる過程で、もともと引っ込み思案だった自分の中で何かが変わりました。人に会う、話すことがとても楽しいことだと気がつきました。そして、帰国後は真っ先に通訳学校に通うことになりました。

Q.通訳学校にはいって感じられたことは?
ボランティアでは、自分が通訳をすればそれなりに感謝されていたはずなのに、
学校に一歩足を踏み入れた途端、今までしてきたことは、全く通訳ではなかったと気がつかされました。
一日の勉強時間は10時間ほどです。トレーニングは毎日手を変え品を替え、新聞を読んだり、サイトラをしたり、シャドーイングをしたり、何かしらしていました。

Q.途中落ち込むことはありませんでしたか?
毎回です(笑)自分には向いていないと思うことなどしょっちゅうです。
でも苦労を共にする仲間がいましたし、泣きながら、「今やらなければいつやる!」と思って頑張りました。クラスでは、講師にほめてもらえるなど夢のようですから、自分なりの小さな喜びといいますか、使えなかった単語や表現が使えたなど、小さなことで喜んでいました。私の場合、下のレベルのクラスにいる頃から軽いお仕事を紹介してもらうことで外に出て、それが大きな励みになりました。

Q.通訳をしていて難しいと感じるのはどんなときですか?
専門用語などはやはり難しいです。その場で初めて聞く言葉で、文脈から判断がどうしてもできない場合、進行を止めても大丈夫な場合に限って、確認をさせていただくこともあります。
どんなに資料を読み込んで準備万端と思っていても、一回で満足いくことなどありません。限られた準備時間、精一杯やってこれ以上はできなかったら、あとはどんと構えて、現場では何事もないように臨むしかないと思っています。
おろおろしているのをお客様に悟られてはいけないし。だから必死で臨むことになります。(笑)

Q.気分転換の方法などはありますか?
色々な現場に行くこと自体気分転換です!
そもそも通訳を目指し始めたのが30代後半と遅めなので、いつも通訳者としての寿命が短いことを意識しています(笑)変な話ですが、いつか通訳ができなくなる日が来るだろうと思っています。期限があるからこそ、「今やれることはなんでもやろう!」と自分に言い聞かせて日々突っ走っています。とはいえ、毎回違う現場へ行くのですから、その都度リセットしてニュートラルな気持ちに自分を戻さないといけない、とも思います。気持ちの上でも体の上でも自己管理をちゃんとしないと。

「あのくたびれた通訳者はなんだ」なんて言われてしまうのは避けたいです。(笑)
毎回、新鮮な気持ちで現場入りして、「お客様に会うために参りました!」っていう気持ちをいつでも持っていたいと思っています。

Q.通訳のやりがいは?
やはり、終了後に「ありがとう、良かった」、と言われた時が一番嬉しいですね。
お仕事が無事に終わった時はいつでも、事前に万端整えて下さったコーディネーターさんや、受け入れて下さった客先に心から感謝します。今の私があるのは、そういう方々がいてくださったお陰です。
また来てほしいと言われて、本当にまた現場でお会いできたときには「わ~、またお会いできましたね!」と心底うれしくなります。

Q.今後の目標など目標などがあったら教えてください。
通訳者としては、一歩でも先輩方に近づけるように常に努力を続けなければと思っています。
少しでも正確に訳せるように、また、わかりやすかったと言っていただけるように、日々の地道な勉強やトレーニングは必須です。とにかく「正確に、誠実に」です。

Q.通訳者を目指されている方へのアドバイスをお願いします。
学校で訓練を積みながら、その時々の実力でも出来るお仕事を紹介していただくのが一番です。いただいたお仕事を確実にこなして信用を築いてください。
もしお話をいただいてちょっと怖いけれどどうだろうなどと迷っている時は、ある程度背中を押してくださる方にご相談するのがいいと思います。

学校での訓練は絶対必要です。厳しい講師とよく出来るクラスメートの中で大変ですが、落ち込む暇などありません。そんな暇があったら少しでも訳出ができるように努力すべきです。聞いた話ですが、年を取ったり出来の悪い競走馬を訓練するときは、若い良く走る馬の中に入れて走らせることがあるそうです。周回遅れになることもありますが、最後尾がどこか判然としない中で、駄馬は気がつかず走る。とにかく周りについていこうとするうちに、いつの間にか同じように走れちゃった、ということが起こるそうです。
学校にいる間、駄馬の私は、つらいけど抜け出せない、遅くても走らなければ、といつも思っていました。まずは自分をその場に置くこと。学校もお仕事もその場に自分を置くことです。

編集後記:
お客様に対しても、一緒にお仕事をする通訳者の方や私たちコーディネーターに対しても、いつも一期一会で接してくださる野本様。自然と「是非またお会いしたい」と思わせる魅力が溢れてらっしゃいます。
最初は苦手意識のあった英語だからこそ、地道な努力を重ね、正面から誠実に向き合って、通訳者としてご活躍されている姿に、勇気を沢山もらいました!貴重なお時間をいただきありがとうございました。


Vol.48 「言語と文化はつながっている」

【プロフィール】
ロミ 眞木子さん Makiko Lommi
フリーランス通訳・翻訳者。フィンランド、ヘルシンキ在住。
上智大学外国語学部ロシア語学科卒業
ビリニュス大学言語学部リトアニアン・スタデーィズ修了

2010年のお正月休みを利用して数年ぶりにご家族と帰国されたロミ眞木子さんに色々とお話しを伺いました。IKEAやH&Mの日本進出もあり、今やブームの域を超えて日本でもすっかりお馴染となった北欧カルチャーの発信地のひとつでもあるフィンランドに渡ったいきさつ、言語や学ぶことへの情熱を熱く語っていただきました。
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Q . ロミさんが翻訳と深くかかわるようになったきっかけを教えてください。

子どもの頃、家の近くで英語を習っていました。そのお陰なのか、昔から英語の成績が良く、また母の影響で世界各国の映画を見るのも好きで高校生の時から周囲に「将来は字幕翻訳でもやったら?」と言われながら、そのまま上智大学のロシア語学科に進学しました。

上智在学中に、ある国際映画祭で行われたシンポジウムの内容を翻訳する機会をいただき、さるドキュメンタリー映画に字幕で使用されました。それはその時限りで終わったのですが。

卒業後は損保会社に勤務し、保険、金融の分野を中心に英語と関わる業務をしながら損保協会で開催される貿易英語やコレポンのセミナーに参加したり、会計英語をかじったりしながら地道に英語の勉強は続けていました。

そんな中で、ぼんやりと1~2年留学してみたいな、と思い始め、英語圏に行くことも考えたのですが、大学でロシア語を勉強してロシアやバルト三国に興味がありましたので、会社を辞めて1998年にバルト三国のひとつ、リトアニアに留学することになりました。留学は1年の予定だったのですが、政府奨学金がいただけることにもなり、また留学先のビリニュス大学で日本語講師の仕事もやっていたのでもう1年いることになり、合計2年いました。

2年目にひょんなことからある翻訳会社さんに登録しませんか?と声をかけていただき、一時帰国中の出向やオンラインでお仕事をいただく機会に恵まれました。また、留学中に現在のフィンランド人の夫と知り合い、リトアニアからフィンランドに渡り、フィンランドで文化事業団体のインターン勤務などを経て本格的に翻訳を始めるようになりました。

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Q. いつごろから翻訳を職業にしようと思われたのですか。

ヨーロッパに来てから翻訳会社さんに声をかけていただく機会が増えた頃からでしょうか。正直、初めは受身的な気持ちも半分で、それほど高い職業意識があったとはいえなかったと思います。それでも、お仕事が増えるにつれてもっと勉強を!となり、自分からも翻訳会社さんにアプローチしていくようになりました。幸い、自分自身、語学を勉強してきたので、外国語の勉強方法も知っていましたし、言葉というものはいつも文化と繋がっていますので文化についての勉強方法も知っていました。そういった地道な努力をヨーロッパに渡ってからは欠かさずやってきましたね。また、フィンランドにいる自分がやっているものはこれだ!と誰にでもわかってもらうには「翻訳」という選択肢は非常にわかりやすいな、とも考えるようになりました。また、子どもたちのことを考えると自然に翻訳を仕事にしていくというスタイルになっていきました。さらには、フィンランド国内からも翻訳の依頼が来るようになったため、昨年フィンランドで翻訳事業者として正式に登録をしました。

Q. ロミさんにとっての翻訳の魅力を教えてください。
私、構文の分析が大好きなんです。難解になればなるほど燃えると言いますか(笑)分析をしてその英文を自然な日本語に置き換えていく作業自体がすごく楽しいところが魅力ですね。

もうひとつは、ご依頼いただく文書の内容でしょうか。時代の流れをいち早く知ることができるように感じるところです。もちろん、全て機密事項ですが(笑)いただく原稿で時代を知ることができますね。そして、自分もその先端にいると感じるだけでなく、そこで自分も何かをしているんだと思えることは本当に魅力的で興味深くもあります。

Q. 翻訳以外のお仕事も幅広くご活躍されているようですが具体的にお話しを聞かせてください。

日本からフィンランドへいらっしゃる方へのガイドや通訳などをしています。フィンランドへ視察や調査にこられる方に通訳のお仕事をさせていただく機会が出てきたため、まずは2年ほど前に公認ガイドの資格を取りました。もちろん、観光客へのガイドもやっていますし、フィンランド滞在中に急な病気や怪我に遭われた方への医療通訳もしています。翻訳という仕事は人と会わない時間が多いので、それでバランスをとることにはなっているかもしれません。また、フィンランドに移った時に、できることは何でもやっていこう!と思っていましたし、いただくお仕事は基本的に全て引き受けるというスタンスでしたので。でも、特に通訳を通して色々な方にお会いすると、自分にはまだまだ通訳技術の勉強が必要だなと感じます。その他にもいろいろな仕事をしてきましたが、すべての精度を同じように上げていくことは少し難しいと感じているので、今後、仕事は多少淘汰されていくのかなとも感じています。例えば、以前はメディア関係のコーディネートなども承っていましたが、最近は時間的な都合でお引受できないケースも出てきています。また、2006年から、毎週土曜日にこちらの日本語補習校でフィンランドに在住する日本人の子どもたちに国語を教えていたのですが、大変残念ながらこの3月一杯でお休みをいただくことになりました。

Q. ロミさんの今後の目標や夢をお聞かせください。
やはり、言語を軸にクライアントのニーズに合わせたサービスを提供し続けることでしょうか。翻訳はやっぱりサービス業だなとつくづく思います。専門性の高い仕事ですが、クライアントあっての仕事なのでやはりクライアントに満足していただかないと意味がないですから。

翻訳以外では、今年からフィンランドでの通訳者の資格コースに通っています。様々な公共の場、例えば病院や警察、裁判所などですが、いろいろな方にそのような場所であまりお会いしないほうが良いのですが、そういった公共性の高い場で精度の高い通訳をするための資格です。その資格をとることが今の目標ですね。また、最近は広告関係や文芸翻訳など人目に触れるような翻訳依頼も多くなってきましたのでそれをより良いものに仕上げていくことも目標ですね。長期的な夢としては、また大学に行って学位を取りたいと思っています。子どもと一緒にでも(笑)

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Q. 最後に翻訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。

翻訳者というのは極端な話ですが、自分が今日から「私は翻訳者です」と名乗ればできます。でも、翻訳をやるからにはその成果物をお客様へ「きちんとした商品として出せるのか?」ということは常に頭に入れておくべきだと思います。さきほども言いましたが、翻訳はクライアントあってのサービス業だと考えるからです。
また、これは私の座右の銘のようなものでもあるのですが、「言語の専門家を名乗る時、その人はその言語が生まれた背景、文化、社会、歴史に通じている」と。それを前提にして言語に関わると、自分がどこまで何を知っていて、何を知らないのかがおのずと見えてきます。それはまた自分の得意分野も知ることにも繋がります。だから、目先の仕事が欲しいというだけでなく、今申し上げたようなスタンスを持つと翻訳の基礎体力のようなものがついてくると思います。また、言葉に対峙するとはどういうことかという心構えを最初に作ってみるのもいいと思います。最後は、ソース言語とターゲット言語についてきちんと勉強することですね。特に私同様、海外にいらっしゃる方は自分の日本語力が見えてこなくなることがありますので意識して勉強されてみてはどうでしょうか。

編集後記
大きな瞳をクルクル動かしながらよく通る声でお話しされる姿がとても印象的でした。どこにそんなパワーがあるんやろ?と思ってしまうほど小柄なロミさんから想像もできないほど行動力に溢れたエピソードには思わずこちらが脱線して質問してしまうほどでした。言語と真摯に向き合い、ロミさんにしかできない通訳・翻訳とは何かを常に模索しながらも、異国でご自分のアイデンティティを確立なさっている生き方は大いに刺激になりました!お忙しい中、本当にありがとうございました。


Vol.47 「気持ちを伝える仕事」

【プロフィール】
門脇由佳さん Yuka Kadowaki
 武蔵野音楽大学音楽学部器楽科ピアノ専攻を卒業し、財団法人ヤマハ音楽振興会目黒センターにて専門コース講師を務める。日本駐在の外国人へのピアノ指導がきっかけになり語学への興味が深まり、ピアノ教師と両立しながら通訳学校に通う。その後、保険会社の派遣通訳の経験を経てフリーランス通訳となり現在でも幅広い分野にてご活躍中。

Q.語学との出会いはいつですか?
 中学1年生で英語を習い始めた時の先生がネイティブ以上じゃないかと思うくらいの発音で教えてくださって、英語ってきれいだな~と感動しましたね。その先生との出会いのおかげで英語が大好きになりました。それでも結局は小さい頃からやっていて好きだったピアノの道に進み、ピアノの講師など音楽関係の仕事をしていました。

Q.音楽の仕事でも英語を使われましたか?
音楽関係の方の紹介で初めて日本駐在の外国人にピアノを教えることになったんです。はじめはその一件だけでしたが、口コミで広がったようでいつの間にか生徒さんがみんな外国人になってしまいました(笑)。それから10年近く一日の半分は英語を話しているような生活になりましたね。
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Q.英語で教える事に抵抗はありませんでしたか?
抵抗は特になく引き受けましたが、最初の頃は外国人のレッスンが終わり家に帰ると、疲れで頭がボ~っとしてしまって、2時間くらい頭の解凍に時間がかかってましたね(笑)。生徒のお母さんたちと話す事が多かったんですが、話すスピードも発音も学校の教材で聞いていた英語と随分違うので、聞き取りと理解に本当に苦労しました。そんな頭の痛い生活が1年くらいは続きましたが、そのうち慣れてきて、教える子供やお母さんたちと楽に会話ができるようになったんです。
そしたらちゃんと英語の勉強をしてみようかと思うようになりました。
最初は、英検などの試験を受けていましたが、3~4年たつとやはりそれだけでは足りないと思うようになり通訳学校に通う事を決意しました。最初は通訳訓練のない下のクラスから始まって、続けていくうちに徐々にクラスが上がっていきました。
勿論ピアノの先生を続けながら、特に通訳になるつもりはなく通ってましたね。

Q.音楽・通訳の勉強と同時進行でされていて、いつ比率が逆転されたんですか?
外国人の夏休みは3か月くらいあって、その期間は本国に帰ってしまうので、いつもはその時期に外国旅行などをしていたんです。けれどもある年 ちょうど駆け出しの通訳向けの9時-5時の短期(3カ月間)のお仕事があったのでチャレンジしてみました。それが延長されていって、また自分自身なんだか楽しくて続けたくなりました。最初はその仕事の後に夕方や土日などに生徒を教えていましたが、だんだん完全に通訳業にシフトしてしまいましたね。

Q. 子供のころから大好きだったピアノに勝ってしまった通訳の魅力はなんですか?
ピアノを教えていた時も、小さなお子さんから学生、お母さん、しまいにはお父さんにまで幅広い方に教えていたのでそれはそれで凄く面白かったです。あとだいたいは出稽古だったので、シーズンごとの外国人家庭のデコレーションが楽しかったり、ちょっとした異文化体験、留学のような本当に魅力的な生活でした。ですが、通訳には強力に惹きつけられる魅力がありました。
言葉の通じないに二者の間に立って通訳して、二者が分かりあえた瞬間に立ち会った時に物凄い達成感というかすごい充実間が得られたのです。また、クライアントの方が、「私のスピーチを私が言ったより格調高く訳してくれてありがとう。」とわざわざ言いにきてくれたりした時には、本当にうれしかったです。
それから、通訳をしていくことで自分のテリトリーみたいなものが少しずつ広がる気がします。苦手意識を持っていた分野でも 仕事でいろいろ調べたりして知っている用語が増えると楽しくなるのです。たとえば、もともと私は機械にまったく興味がない人間だったですが、仕事に行くとどうしても機械関係の話が出てきて、「うーん・・」という感じだったのですが、そのうちそんなに嫌でもないかもと思うようになり、最近では家電量販店でおじさんに交じって機械の説明を聞くのが楽しくなってきました(笑)。日々さまざまな業界の仕事に伺うので、こういうことがいろいろな分野であります。

Q. 今でも記憶に残るような失敗談はありますか?
以前の仕事の依頼で、半日に北海道→羽田→九州と2度飛行機を乗り次いで移動した事がありました。その時、少し風邪気味だった上に急激な高度の変化を繰り返したせいか、片耳が完全にふさがって聞こえなくなってしまったんです。それでも通訳する内容は前日とだいたい同じでしたので、聞こえる方の耳にイヤホンを付けて問題なく通訳をこなしたつもりだったのですが、講演の後スピーカーの方から「今日は聴衆の反応が前日と違うけどどうかしたの?」と言われたんです。本当にどきっとしました。自分が気付かないくらいの1秒以下くらい訳出しのタイミングの遅れが 聴衆の反応に影響してしまったんでしょうね。通訳の難しさ、絶妙な間というものの大切さを痛感しました。いいパフォーマンスのための体調管理の重要性を改めて思いましたし、通訳の先輩に言われた「からだを休めるのも仕事のうち。」という言葉がよくわかりました。
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Q. リフレッシュ法:息抜き方法はなんですか?
歩くのが好きで何となくその時の気分でふらっと散歩に出てカフェに入ったり、その延長で旅行に出たりしますね。京都が好きで、駅に着いただけでなぜだか血が騒ぎます(笑)。京都の人たちの伝統を守った暮らし方を見るのが好きです。
また最近は、昔ピアノを教えていた時にアメリカ人に教わったクッキーを思い出して作ったりもします。ぼ~っとしているので、基本的にはいつもリラックスしていますが(笑)。

Q. 将来の目標を教えてください。
通訳の仕事をずっと続けていきたいと思っています。そして、お客様の気持ちを酌んでその人の口になれるような通訳 極端に言うと「イタコ」のような存在になりたいです。いつでも本当にその人が何を言いたいのかを素早く察知して、的確な表現で訳出できるようでいたいと思っています。そのためにはバックグラウンドの勉強・知識、日々の工夫が必要不可欠ですし、ゴールがないので永遠に受験勉強を続けていくような感じですが、それでもいいやと思うくらい通訳の仕事が好きです。
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Q. 通訳を目指す方へのアドバイス
どんなに知識と呼べないようなことでも何でも、どこかで繋がったりするんですよね。
なので、あまり興味がないことでもシャットアウトしないで頭のすみに残しておくと、それがバックグラウンドの知識となって 通訳する時にいつか救われることがあるかもしれません。
また、通訳は英語が喋れれば誰でもできると思われがちですし、もちろん実際にそう通訳もありますが、やっぱり通訳の訓練を受けておいた方がいい場面もあります。自分では訳せているつもりでも本当に伝わる訳になっているのか、というところを客観的な観点からしごかれた(笑)、いや教えていただいた、ということで今になって通訳学校の先生のありがたみをしみじみ思うことがあります。言葉をもうひとつの言語にただ変換するのではなく、真意を伝える事が通訳の役目なのだと思います。そのためには話している方の気持をきちんと理解できなければなりませんし、また訳を出す時には綺麗な日本語にしなくてはいけないので、つい忘れがちになりますが、英語力と同じくらいに 日本語力というのを意識して鍛えることが大事なのではないかと思います。

編集者後記:
とっても雰囲気が柔らかい素敵な方で、お話をしているとつい安心してニヤけてしまいました(笑)。きっと通訳依頼するお客様も、以前ピアノを教えて頂いていた生徒さん達も同じ気持ちだったんだろうなと思いました。どんな知識でもどこかで繋がるというお話を聞き、実際に門脇さんが音楽から語学の道にシフトされたのも、音楽と語学にも目に見えない共通点があったからなのかな~と勝手に想像を膨らませてしまいました。沢山の素敵なお話を有難うございました。


Vol.46 「唯一興味が続く事」

【プロフィール】
松崎千代さん Chiyo Matsuzaki
 ウエストバージニア大学(WVU)心理学部卒業。帰国後、通訳学校に通い、OJTから通訳業務を開始。大手エンターテインメント会社、IT、通信、アパレル、コンサルティング会社など幅広い分野にてインハウス通訳経験を積む。その後、フリーランス通訳者となり現在でも第一線にてご活躍中。

Q.語学との出会いはなんですか?
不思議と物心ついたときから外国に興味があって、気付いた時にはテレビで見る海外の映像などが大好きで、その流れで自然と英語ってかっこいい!と思ってました。まだ小学校に入学する前に、父がカナダ出張に行った時の湖の写真を見せてくれたんです。世界にはこんな綺麗な場所があるんだ!と凄く感動したのを今でも覚えています。お土産の日本にはない形のペンケースとか、海外のもの全てに衝撃を受けました。小さな子供が特に理由もなく持つ興味の対象は人それぞれだと思いますが、それが私は外国だったんだと思います。
父も語学が好きで自分で勉強するような人だったので、その影響もあったかと思います。
小学生の時はマドンナの音楽が好きで、彼女の歌の響きに魅かれ、意味が知りたくて、カセットを聞いて止めての繰り返しをしながら辞書を引いて単語を調べたりしていました。
私はすごく飽きっぽくて何事も長続きしない性格なんですが、英語と海外への興味だけは唯一続いています。

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Q.初めて海外に行かれたのはいつですか?
 私はどっぷり国内育ちで、アメリカの大学に進学する為に渡米したのが初めての海外でした。最初は日本の外大に行こうと考えていましたが、通っていたのが進学校で周りの受験に対する勢いに逆に引いてしまい、受験勉強したくないなと(笑)。それで、どうせ英語を勉強するなら海外に行った方がてっとり早いと思い、迷いなく閃きでアメリカの大学に行くことを一日で決めました。
4年間の大学生活はずっとテンションが上がりっぱなしでした。田舎だったので景色もきれいで、キャンパスの行き帰りの道ですら、小さい頃から憧れていた景色の中に自分がいる事が嬉しくてたまりませんでした。周りの友人も優しくて一度のホームシックもなく、最初から最後まで楽しかった思い出しかないですね。

Q.大学では何を専攻されたんですか?
大学では心理学を専攻しました。1-2年の必須教科で心理学のクラスを選択した時に、勉強とは思えないくらい教科書も授業も楽しかったんです。それで専攻も絶対心理学にしようと決めました。アメリカの大学は課題や提出物(ペーパー)も多く勉強はハードでしたが、語学力はもちろん、タイピングの速さや英文作成力など、一生懸命頑張ったことが今の仕事に多いに生かされています。

Q.通訳という仕事を意識されたのはいつごろからですか?
 実は小さいころの作文に通訳になりたいと書いていたらしいです。通訳、外交官、キャビンアテンダントなどブレながらも、幼いころから海外を視野に入れた職業に憧れていました。大学を卒業する時も漠然とそういった仕事に就ければいいなと思いつつ、特に就職活動もせず、ヨーロッパを放浪してから帰国しました(笑)。
帰国後すぐに通訳学校に通い始めました。勉強を始めて間もなく、募集が出ていたインハウス通訳のポジションに応募したら受かってしまい、経験が全くないまま通訳としてのキャリアがスタートしました。今思い出すと顔から火が出るくらい一年目は通訳として全く機能していなくて、お給料を頂くのが申し訳ないくらいでしたね・・・。

Q.通訳を始められて苦労された事を教えてください。
 英語は充分話せるようになったし応募しちゃえ!と無知の強みでなぜか採用されてしまったので、とにかく社会人としても通訳としても基礎が無く、ビジネスの背景も全く分からないし、メモ取りもろくに出来ず、周りのベテランの通訳の方々に助けて頂きながら現場で学ばせて頂くことばかりでした。できる事なら当時お世話になった方一人一人に謝りたいくらい、通訳の何たるかを全く分かっていない一年目でした。

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Q.新しい分野に挑戦される時はどんな気持ちですか?
 自分でもチャレンジャーだと自覚してますが、初めての分野は最初はやっぱり怖いです。そんな事ありえないのに、スピーカーの言うことが一言も聞きとれなかったらどうしよう・・という気持ちになる事もあります。
ただ、インハウスとしていろんな会社でお仕事をさせて頂いた時に、いきなりIT関係のプロジェクトにアサインされたことがあり、根っから文系の私にはとても無理だと思ったんですが、やっているうちに段々おもしろくなって、今では好きな分野のひとつです。苦手な分野でも最後まで諦めずに食いついて頑張れば分かるようになるんだというとてもいい経験になりました。もちろんコーディネーターの方は私のスキル・経験をわかった上で合う仕事を紹介して下さっていると思うので、スケジュールが空いている限り、初めての分野でもあれこれ悩まず受けるよう心がけています。

Q.今でも記憶に鮮明に残るような失敗談はありますか?
 クレームにつながるような大きな失敗こそないですが、失敗は日常です。同じセンテンスでも訳し方は十人十色で正解がないからこそ、訳してる先から、さっきはこう訳せばよかった~と反省することはしょっちゅうです。あと空耳も多いです。特に外国人の発音する日本語はすごく混乱します。まさか日本語が出てくるとは思わないので、ありえない発音で日本語の単語を挟まれたりすると想像すら出来ず、その時は聞こえてくる音のまま訳出し、一瞬の間のあと、皆さんがあ~と気づいてくれることも多いです。先日も「チャビン」と聞こえてきて、「Chabin? Cabin? 何?」と混乱したまま、仕方なく「チャビン」と言ってみたら「茶瓶」でした...。

Q.通訳というお仕事の遣り甲斐を教えてください。
 いろいろな会社や業界に行けて、普通だったら関わることもない世界を見られるところが醍醐味です。これまで本当に人に恵まれていて、行く先々で尊敬できる素晴らしい方々との出会いがあり、そこにこの仕事の魅力を感じます。本来ならお会いすることもない組織のトップの方などのお仕事を間近に見られるのは、この仕事ならではですね。人として見習うべき素敵な方が本当に多いです。

Q.もし通訳になっていなかったら何をしていたと思いますか?
 通訳になっていなかったら本当にフリーターになっていたと思います(笑)。それくらい飽きっぽくて何事も続かないし、何に対しても執着心がないです。通訳は毎回相手も内容も違いますし、百点が取れない仕事です。だからこそ唯一興味が続いていて、それを仕事に出来ているのは幸せです。やめたいと思った事も一度もなく、未だに毎回新鮮な気持ちで仕事に望んでいます。

Q.松崎さんの将来の夢を教えてください。
 通訳は仕事・生活の糧として割り切っている部分があります。もちろん凄く好きな仕事ですし、今後も続けていければ嬉しいですが、いずれはもっと社会貢献につながるような仕事にシフトできればと思います。遠い将来の話になりますが、もう一度心理学をきちんと勉強し、臨床心理士やカウンセラーになるのが目標ですね。

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Q.最後に、通訳を目指されている方へのアドバイスをお願いします。
 私は全く模範的な通訳ではないので、アドバイスができるような立場ではないですが・・。
最初は失敗はつきもので心配していてもきりがないですし、立ち直りの早さが重要です!一度ミスすると腰が引けることもありますが、自分でリミットを決めず、与えられたひとつひとつのお仕事に対してできる限りの準備をして、全力で望むしかありません。

どんな話題や内容が出ても通訳できなければいけないので、自分の知識が浅いと感じた仕事の後は納得がいくまでリサーチします。分からなかった部分だけに限らず、関連する事柄まで幅広く調べて理解を深めておくと、必ず次の仕事につながります。やはり背景を理解できているといないでは、訳す上で自分の中の噛み砕き度が全く違い、パフォーマンスに差がでますから。ある程度通訳スキルが身に付いたら、スキルそのものだけでなく、幅広い分野に関する理解や知識を深めるための勉強が大事ではないでしょうか。

あと、私は通訳は完全にサービス業だと思っているので、派遣という立場、単発のお仕事に関わらず、職場ではチームの一員だという気持ちを強く持つようにしています。常に相手がある仕事ですので、自己満足の通訳ではなく、話し手の気持ちを酌んだ、聞き手が理解しやすい訳を心がけ、その場のコミュニケーションが最大限に円滑になるような気配りも必須だと思います。
ただ私自身も、毎回素晴らしい通訳者の方と組ませていただく度に自分はまだまだだと反省することばかりで、いまだ日々修行の毎日です。

編集者後記:
 とっても自然体で本当に素敵な方でした。小学生の頃にマドンナの歌詞をテープ起こしして翻訳したというお話を聞いて、本当に松崎さんと海外・語学は最初から繋がっていたんだな~と驚きました。私も小学生から興味を持っていたもので今に繋がるものをつい探してしまいました(笑)ありません。記事には書いていませんがよく行かれる海外旅行のお話もお伺いし、私個人的にとても参考にしたいアドバイスもたくさん頂きました(笑)。お忙しい中お時間を頂き有難うございました。


Vol.45 「死ぬ日まで通訳でいたい」

【プロフィール】
町田公代さん Kimiyo Machida
 幼少時代をトリニダード・トバコ国で過ごし、中学入学に合わせ帰国。東洋英和女子学院短期大学英文学科卒業後、米国イリノイ州Monmouth Collegeに編入、国際関係学を専攻する。同大学卒業後、帰国し国内メーカーに就職。在職中に通訳業務をはじめる。通訳者を目指し、退職、通訳学校に通い、インハウスを経てフリーランス通訳者となる。現在も幅広い分野にて第一線でご活躍中。

Q.語学との出会いはなんですか?
 小学校時代に丸々6年間海外で過ごしたので英語はその時に自然に身につきました。ただ、中学校の入学に合わせて帰国し文法から学び始めた時は逆に難しかったですね。それでしっかりと英語を勉強し直そうと思い、高校・大学と英文科に進みました。実は大学に進学する前は、美術系の大学を目指していたんですが、同じ美大を目指していた友達が毎日学校の後に美術の先生の塾に通い、一日一枚油絵を描いているのを見て、私は趣味の程度にしておこうと踏みとどまりましたね(笑)。
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Q.通訳者を目指し始めたのはいつごろですか?
 大学で留学をした時、ただ漠然と国と国との橋渡しになる様な仕事に就きたいと考えていました。そのためにはお互いの国の事を知っておかなければいけないと思い国際関係のコースを専攻しました。ただ、その時はまだ通訳という仕事がある事すら知りませんでした。大学卒業後、帰国してから日本のメーカーに就職しました。たまたま営業の方が海外のお客様が来日にともない通訳が出来る人を探していた時に、帰国子女で大学留学の経験もある私にいきなり役がまわってきたんです。その時に初めて通訳を経験して、仕事より通訳の方が楽しいなと思いました。結局2年で会社をやめ、すぐに通訳学校に通い始めましたね。

Q.本格的な厳しい通訳の勉強を始めて感じられた事は何ですか?
メーカー勤務時代の通訳はプロとしてではなく、ただ英語が出来るからという範囲で通訳をしていたので、正直まだ気が楽でした。通訳学校で学ぶことはプロとしての通訳なので、普段は英語・日本語を使えるのに何でこれが訳せないの??と思うようなことが沢山ありましたね。そこで、訳すということがどれだけ難しいかが初めて分かりましたね。挫折ばっかりの厳しい勉強でした。ただ、難しいけど面白かったです。どんなに厳しい勉強でも楽しかったのでやめようとは思わず続けられましたね。
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Q.インハウスからスタートされて今までの道のりを教えてください。
ご縁があってエンターテインメント関係の会社のインハウス通訳から始めました。インハウスは内容を把握し、経過をたどりながら訳せるので駆け出しの私にはとてもいい勉強ができる環境でした。また、インハウスの良いところは、全く経験がなくても成長を見込んで雇ってくれるところです。ただ、ある程度いると逆に学ぶことがなくなってきて、だんだん物足りなさを感じるようになりました。丁度そろそろフリーになりたいなと思っていた時に、フリーのお仕事の御誘いを頂きました。フリーの場合は、どこの馬の骨まも分からない人が今日は宜しくお願いします!と来るわけですから、お客様に「本当に出来るんだろうか・・」と不安にと疑いの目で見られる事が多いです。その環境の中で仕事をする事は物凄い緊張感がありますが、私はそれが凄く好きでした。これがプロの世界なんだ~と肌で感じて感動しましたね。

Q.仕事の厳しさ・遣り甲斐を教えてください?
 通訳はサービス業ですから、勿論資料が全て揃うことがベストですが、完璧に揃うようなパーフェクトな環境はありえないと思います。だからこそ与えられた環境でベストを尽くすしかないですよね。それでも勿論出来るでしょ?と思われるのがフリー、プロの立場だと思っています。
遣り甲斐と大変さは紙一重です。特定の分野に問わず幅広い知識をつける勉強は終わりがありませんし、その時のお客様・スピーカーの方により求められる通訳は異なります。
例えば、通訳をする相手が英語を母国語としない人だったら、自分の考えるスマートな訳をするのはただの自己満にすぎません。一番適切な言い回し・訳でなくても、その人達が分かりやすい訳をする為には、文章を切ったり、崩してでも相手の分かりやすい英語に変えて、その方達が確実に分かってくれる様な訳を心掛けなければいけません。
また、スピーカーには淡々と話す人もいれば、インタラクションを求めて会場を盛り上げようとする人もいます。その人の気持ちや態度を出来る範囲でくみ取ってうまく訳せるかが難しければ難しいほど遣り甲斐を感じますね。
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Q.今でも記憶に残る様な失敗談はありますか?
 失敗は結構ありますけど、いつもころっと忘れてしまいます(笑)。
一つ覚えているのが、まだ駆け出しの時に略語の多い会議を対応した時の事です。日本人の方が「エンビ」という言葉を頻繁に使われたので、私はてっきりそれも略語だと思い、半日くらいずっとMB、MBと訳してました。終日のお仕事だったので、お昼休憩に入った時、外国人の方から、ところでMBってなんだ?と聞かれたのでびっくりして、ようやく担当者にMBって何ですかと確認しに行ったんです。そしたら、あ~「塩ビ」だよ!塩化ビニールの略だよと言われたんです。それで外国人方に事情を伝え、やっと納得してくださいました(笑)。もっと早く言ってくれれば良かったのに、と言ったところ、もう少し聞いていればそのうち分かってくるかと思って・・と言っていました(笑)。のんきな方で本当によかったです。思い込みは本当に怖いなと実感しました。失敗は普段から山程ありますし失敗した後は落ち込みますけど、後々必ず為になりますからね。

Q.町田さんの趣味はなんですか?
料理が好きで、今は「ゆるベジ料理」にハマっています。最初はダイエットをしようと思ったんですが、食べないと健康的によくないと思い調べたら「ゆるベジ料理」に出会いました。普通は元気がないからお肉食べよう!となりますが、その方が逆に次の日疲れるみたいです。よく考えると草食動物の方が持久力がありますしね。ライオンは狩りをする時に瞬発的なエネルギーがありますが、後は寝てますよね(笑)。それいと同じ事なんだと気付きました。あとは、一日30分~1時間は歩くようにしています。飽きっぽいので、習い事は続かないんです(笑)。荷物が少ない時は家から会場まで歩いたりしますね。ある程度運動していた方が体調もよいので。

Q.通訳を目指されている方へのアドバイスをお願いします。
最初はきちんとした日本語からきちんとした英語へ、言葉を忠実に訳すという事が大切ですが、それ以上にどれだけ相手の気持ちや意図をくんであげれるか、意識してやっていくのかが大切だと思います。背景知識もとても大事なことなので、面倒くさがらずに勉強する事が大切です。色々ありますが、自分がその現場で何を要求されているのかを把握してあらゆる場面で臨機応変に対応できるように、何事も避けずに経験を積んでいくことが大切だと思います。どんな知識・仕事・経験でも必ずどこかで繋がりますからね。
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Q.最後に、町田さんの夢を教えてください。
この仕事がすっごく好きで、出来れば死ぬ日までやりたいです。それくらい長く続けたいと思います。私は飽きっぽい性格なのですが、通訳はこれをやったら安心できるというのがないんです。つきることがない、終わりが見えないのが何よりもの魅力です。

編集者後記:
今回のタイトルにもなっていますが、最後におっしゃった、「死ぬ日まで通訳でいたい」という言葉が本当に心に響きました。実は「ゆるベジ料理」以外にも、化粧品・ヨガなど沢山の魅力的な情報を頂きました。町田さんに言われるとどんな以外な事でもとても説得力があり、そこはしっかりとメモを取らせて頂きました。町田さんの底知れないパワーと素敵なお人柄にたっぷり1時間触れることが出来、本当に貴重な充実した時間を頂きました。有難うございました。



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