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Training Global Communicators

Vol.45 「死ぬ日まで通訳でいたい」

【プロフィール】
町田公代さん Kimiyo Machida
 幼少時代をトリニダード・トバコ国で過ごし、中学入学に合わせ帰国。東洋英和女子学院短期大学英文学科卒業後、米国イリノイ州Monmouth Collegeに編入、国際関係学を専攻する。同大学卒業後、帰国し国内メーカーに就職。在職中に通訳業務をはじめる。通訳者を目指し、退職、通訳学校に通い、インハウスを経てフリーランス通訳者となる。現在も幅広い分野にて第一線でご活躍中。

Q.語学との出会いはなんですか?
 小学校時代に丸々6年間海外で過ごしたので英語はその時に自然に身につきました。ただ、中学校の入学に合わせて帰国し文法から学び始めた時は逆に難しかったですね。それでしっかりと英語を勉強し直そうと思い、高校・大学と英文科に進みました。実は大学に進学する前は、美術系の大学を目指していたんですが、同じ美大を目指していた友達が毎日学校の後に美術の先生の塾に通い、一日一枚油絵を描いているのを見て、私は趣味の程度にしておこうと踏みとどまりましたね(笑)。
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Q.通訳者を目指し始めたのはいつごろですか?
 大学で留学をした時、ただ漠然と国と国との橋渡しになる様な仕事に就きたいと考えていました。そのためにはお互いの国の事を知っておかなければいけないと思い国際関係のコースを専攻しました。ただ、その時はまだ通訳という仕事がある事すら知りませんでした。大学卒業後、帰国してから日本のメーカーに就職しました。たまたま営業の方が海外のお客様が来日にともない通訳が出来る人を探していた時に、帰国子女で大学留学の経験もある私にいきなり役がまわってきたんです。その時に初めて通訳を経験して、仕事より通訳の方が楽しいなと思いました。結局2年で会社をやめ、すぐに通訳学校に通い始めましたね。

Q.本格的な厳しい通訳の勉強を始めて感じられた事は何ですか?
メーカー勤務時代の通訳はプロとしてではなく、ただ英語が出来るからという範囲で通訳をしていたので、正直まだ気が楽でした。通訳学校で学ぶことはプロとしての通訳なので、普段は英語・日本語を使えるのに何でこれが訳せないの??と思うようなことが沢山ありましたね。そこで、訳すということがどれだけ難しいかが初めて分かりましたね。挫折ばっかりの厳しい勉強でした。ただ、難しいけど面白かったです。どんなに厳しい勉強でも楽しかったのでやめようとは思わず続けられましたね。
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Q.インハウスからスタートされて今までの道のりを教えてください。
ご縁があってエンターテインメント関係の会社のインハウス通訳から始めました。インハウスは内容を把握し、経過をたどりながら訳せるので駆け出しの私にはとてもいい勉強ができる環境でした。また、インハウスの良いところは、全く経験がなくても成長を見込んで雇ってくれるところです。ただ、ある程度いると逆に学ぶことがなくなってきて、だんだん物足りなさを感じるようになりました。丁度そろそろフリーになりたいなと思っていた時に、フリーのお仕事の御誘いを頂きました。フリーの場合は、どこの馬の骨まも分からない人が今日は宜しくお願いします!と来るわけですから、お客様に「本当に出来るんだろうか・・」と不安にと疑いの目で見られる事が多いです。その環境の中で仕事をする事は物凄い緊張感がありますが、私はそれが凄く好きでした。これがプロの世界なんだ~と肌で感じて感動しましたね。

Q.仕事の厳しさ・遣り甲斐を教えてください?
 通訳はサービス業ですから、勿論資料が全て揃うことがベストですが、完璧に揃うようなパーフェクトな環境はありえないと思います。だからこそ与えられた環境でベストを尽くすしかないですよね。それでも勿論出来るでしょ?と思われるのがフリー、プロの立場だと思っています。
遣り甲斐と大変さは紙一重です。特定の分野に問わず幅広い知識をつける勉強は終わりがありませんし、その時のお客様・スピーカーの方により求められる通訳は異なります。
例えば、通訳をする相手が英語を母国語としない人だったら、自分の考えるスマートな訳をするのはただの自己満にすぎません。一番適切な言い回し・訳でなくても、その人達が分かりやすい訳をする為には、文章を切ったり、崩してでも相手の分かりやすい英語に変えて、その方達が確実に分かってくれる様な訳を心掛けなければいけません。
また、スピーカーには淡々と話す人もいれば、インタラクションを求めて会場を盛り上げようとする人もいます。その人の気持ちや態度を出来る範囲でくみ取ってうまく訳せるかが難しければ難しいほど遣り甲斐を感じますね。
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Q.今でも記憶に残る様な失敗談はありますか?
 失敗は結構ありますけど、いつもころっと忘れてしまいます(笑)。
一つ覚えているのが、まだ駆け出しの時に略語の多い会議を対応した時の事です。日本人の方が「エンビ」という言葉を頻繁に使われたので、私はてっきりそれも略語だと思い、半日くらいずっとMB、MBと訳してました。終日のお仕事だったので、お昼休憩に入った時、外国人の方から、ところでMBってなんだ?と聞かれたのでびっくりして、ようやく担当者にMBって何ですかと確認しに行ったんです。そしたら、あ~「塩ビ」だよ!塩化ビニールの略だよと言われたんです。それで外国人方に事情を伝え、やっと納得してくださいました(笑)。もっと早く言ってくれれば良かったのに、と言ったところ、もう少し聞いていればそのうち分かってくるかと思って・・と言っていました(笑)。のんきな方で本当によかったです。思い込みは本当に怖いなと実感しました。失敗は普段から山程ありますし失敗した後は落ち込みますけど、後々必ず為になりますからね。

Q.町田さんの趣味はなんですか?
料理が好きで、今は「ゆるベジ料理」にハマっています。最初はダイエットをしようと思ったんですが、食べないと健康的によくないと思い調べたら「ゆるベジ料理」に出会いました。普通は元気がないからお肉食べよう!となりますが、その方が逆に次の日疲れるみたいです。よく考えると草食動物の方が持久力がありますしね。ライオンは狩りをする時に瞬発的なエネルギーがありますが、後は寝てますよね(笑)。それいと同じ事なんだと気付きました。あとは、一日30分~1時間は歩くようにしています。飽きっぽいので、習い事は続かないんです(笑)。荷物が少ない時は家から会場まで歩いたりしますね。ある程度運動していた方が体調もよいので。

Q.通訳を目指されている方へのアドバイスをお願いします。
最初はきちんとした日本語からきちんとした英語へ、言葉を忠実に訳すという事が大切ですが、それ以上にどれだけ相手の気持ちや意図をくんであげれるか、意識してやっていくのかが大切だと思います。背景知識もとても大事なことなので、面倒くさがらずに勉強する事が大切です。色々ありますが、自分がその現場で何を要求されているのかを把握してあらゆる場面で臨機応変に対応できるように、何事も避けずに経験を積んでいくことが大切だと思います。どんな知識・仕事・経験でも必ずどこかで繋がりますからね。
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Q.最後に、町田さんの夢を教えてください。
この仕事がすっごく好きで、出来れば死ぬ日までやりたいです。それくらい長く続けたいと思います。私は飽きっぽい性格なのですが、通訳はこれをやったら安心できるというのがないんです。つきることがない、終わりが見えないのが何よりもの魅力です。

編集者後記:
今回のタイトルにもなっていますが、最後におっしゃった、「死ぬ日まで通訳でいたい」という言葉が本当に心に響きました。実は「ゆるベジ料理」以外にも、化粧品・ヨガなど沢山の魅力的な情報を頂きました。町田さんに言われるとどんな以外な事でもとても説得力があり、そこはしっかりとメモを取らせて頂きました。町田さんの底知れないパワーと素敵なお人柄にたっぷり1時間触れることが出来、本当に貴重な充実した時間を頂きました。有難うございました。


Vol.44 「世界に還元できる仕事を目指して」

今回はフリーランスの会議通訳者、小根山麗子さんにお話しをお伺いしました。
英語を必死で勉強したのは身を守るため!?小学生の頃から未知なる物への好奇心が旺盛で科学者になるのが夢だったという小根山さんが通訳の道に進んだ理由など、何でも笑顔でお話して下さいました。

プロフィール  小根山 麗子さん Reiko Oneyama

 上智大学外国語学部英語学科卒。大学在学中にカリフォルニア大学サンディエゴ校に交換留学、またNGO団体ピースボートに船内講義通訳者として参加。大手広告代理店に2年間就業した後、渡豪しクイーンズランド大学大学院通訳・翻訳修士課程を修める。帰国後、通訳学校と平行し外資企業の社内通訳として経験を積み、フリーランス通訳者となる。

小根山 麗子さん

Q.語学との出会いは何ですか?

 私は英語の「え」の字もないくらいの家庭で育ったんです。小学6年生の頃、旦那さんの仕事の関係でオーストラリアのメルボルンに住んでいた叔母を家族で訪ねたのが初めての海外経験でした。実はそこで衝撃的な経験をしたんですよ。今でも鮮明に覚えています。オーストラリアの空港で、何も知らない私は有料のカートを無理矢理引っ張り出そうとしていたんですね。そしたらいきなり、私の3倍くらいはあるかと思われる大きなオーストラリア人のおじさんが私につかつかと近寄ってきて(笑)、早口の英語で怒鳴るように何か話しかけてきたんです。その頃私は近所の英会話学校に通っていて、簡単な日常会話は習っていましたが、もちろん本場の英語が理解できるわけもなく、あんなに大きな人を見たのも始めてでしたし、誘拐されるんじゃないかと思って体がすくみました。本当に怖い思いをしたんですよ。後から考えてみると、彼は私に注意をしようとしてくれていただけなんですが、その時に思ったのが、「英語が話せないと自分の身が危ないかもしれない!」・・という、ある種の恐怖観念ですね(笑)。本当に強烈な異文化体験でした。もちろん、メルボルン滞在中には陽気なオーストラリア人の方との素敵な出会いもたくさんあって、プラスの経験もたくさんしました。その後日本に帰国してすぐ中学生になり英語の授業が始まったので、これはしっかり勉強しないと!と思い、英語はほぼ全て丸暗記しました。そうこうしているうちに、自然と英語が得意科目になってしまったんですよ(笑)。

Q.いつごろから英語を職業にしようと思うようになったんですか?

 子供の頃、実は科学者になりたかったんです(笑)。宇宙人とか、未確認物体とか、宇宙科学にすごく憧れていて、NASAに入りたいとずっと思っていました。だから、英語はそのための手段として一生懸命勉強していました。そして勿論、物理・化学は高校3年間みっちり勉強したんですがどうしても理解できなかったんです。それで仕方なく諦め、私に残されているのは英語しかない!と、英語を極める道に進みました。

Q. 通訳という仕事をしていて、遣り甲斐を感じるのはどんな時ですか?
小根山 麗子さん

 通訳者になって初めて、昔は分からなかった「有難う」という言葉の本当の価値というか重みが分かるようになりました。どんなにハードな仕事、準備が大変な仕事でも、終わった後に「有難う」とても聞きやすかったよ、分かりやすかったよ、と言ってもらえると、この仕事をして良かったな、と心の底から思えるんです。通訳はあくまで黒子ですが、自分の価値が認められた気がしてとても充実感が得られます。
また、「有難う」という言葉だけではなく、自分の通訳を聞いて熱心にノートを取って下さっていたり、頷いて下さる人を見るだけで、ちゃんと伝わっている事が分かりとても励まされます。逆に、自分の通訳を聞いて何となく腑に落ちないような顔をしてる人、首を傾げているような人などを見ると、あれ?・・・伝わっていないのかな、と心配になります。
特に人前に立って逐次通訳をする時は、お客様の表情や目を見てアイコンタクトを取るように心がけています。通訳は私にとって本当にやりがいのある仕事です。

Q. 今までのご経験で、記憶に残る失敗談はありますか?

 毎回の仕事で何かしら失敗はありますので、終わった後は取ったノートを見直して、「ノートの取り方が全然ダメだな」とか、「この部分はもっと上手く訳せたはずなのに」とか、自分の中で反省会をします。そして次の仕事の時には立ち直るようにしています。性格的なものもありますが、嫌な事は一晩寝ると忘れちゃうんです(笑)。失敗を引きずっては次に進めませんからね。
ただ、以前してしまった失敗で、 自分が訳出した言葉のアクセントが可笑しくて、会場がどっと沸いてしまった事があります。もちろん意図的にそういう発音をした訳ではないんですが、、、。
父が転勤族だったので、昔から日本中を転々としていたせいか、各地のアクセントが混ざり合ってたまに変なアクセントが出てしまうんです(笑)。その時はそれをきっかけに会場が良い意味でなごんで、結果的にはプラスに終わりましたが、黒子である通訳の私が会場を沸かすのは決してあってはいけない事ですので、本当に焦りましたし反省しました。

Q. 小根山さんの息抜き方法、ご趣味を教えてください。

小根山 麗子さん 料理が好きで、特に大好きなお菓子作りをよくします。作るプロセスも大好きなんですが、何よりお菓子のレシピ本を読むのが好きです。特に洋書は写真・色合い、 テーブルセット等、見た目にとても綺麗なので、旅行に行くたびに買い集めています。一人の時でも大量に作って冷凍庫にストックしています。大好きなチョコレート系やマフィン、スコーン、チーズケーキが多いですね。
 体を動かす事といったら、日本舞踊のお稽古をしています。祖母が日本舞踊の師範をしていましたので、昔から日舞は身近な存在でした。ただ、舞台に立とうと思うと色々と入用で・・(笑)。そういう意味で学生の頃は全く手が届かないお稽古事でしたが、社会人になって自分で収入を得られるようになってすぐに始めました。週2回はお稽古をするようにしているのですが、知れば知るほど日本文化は奥が深くて、毎回たくさんの発見と感動があります。日本舞踊はヨガと同じ有酸素運動でしっかり筋肉も使いますから、お稽古の後はかなりの爽快感がありますね。実は学生時代、ヒップホップなどの激しい無酸素運動をしていたんですが、いまは流石に体がついて行かないですね(笑)。


Q. 小根山さんの人生の師。

 私には人生の師と仰いでいる方が二人いて、一人が日本舞踊の先生です。私の祖母もそうだったんですが、強く・賢く・しなやかに生きる女性で、飴と鞭の使い方もとてもお上手なんです。私が女性としての人生のお手本にしている方です。
もう一人が、オーストラリアの大学院で通訳の勉強をしていた時に出会った先生です。現役通訳者として活躍しつつ教鞭をとっておられた日本人の女性で、プロとしての私の土台を築く上でとても大きな影響を受けた先生です。お子様もいらっしゃるのですが、母親業と、通訳業を完璧にかつ自然に両立させながら、世界を舞台にご活躍されている本当に素晴らしい方です。彼女が先生でなければ、2年間の厳しいトレーニングを続ける事は出来なかったと思うくらい、感謝と尊敬の念でいっぱいです。おこがましくも、いつか先生と同じブースに入れる日が来ればいいな、と常々思っています。

Q.小根山さんの夢はなんですか?

 最近、公益に関わる仕事の重要性を感じ、自分が生かされてきたコミュニティーに何か還元できる仕事をしたいという気持ちが強くなってきました。また、恵まれた日本だけではなく、そうではない他の地域の人々の利益になるような分野にも積極的に携わっていきたいとも思っています。具体的には、将来の子供達・地球市民が生きやすい環境を作るという意味で、エネルギーや環境などの分野に関心があります。いつかはそういった分野の第一線で活躍できるくらいのスキルと経験を積んでいけたらと思っています。
私の恩師がメンバーとなっている団体に、AIIC(国際会議通訳者連盟)というヨーロッパの通訳者連盟があります。ここのメンバーとして認定されるためには、ヨーロッパにおける国連会議など国際的な通訳経験と、世界レベルの通訳者の招待状などが必要になります。これは本当にまだまだ夢のような話ですが、私も将来はAIICのメンバーになれるくらいにまで力量を高めていきたいと思っています。そのためにも、いまは目の前に課された課題、仕事を一つ一つ丁寧に取り組んでいくことが大事だと思っています 。


Q. 最後に、通訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。

 私も勉強中の身ですので、おこがましいのですが・・言葉に興味を持つ、言葉にこだわる事が大切だと思います。私が一番良くないと考える通訳は、語尾を曖昧に終わらせる事です。逆に言うと、英語から日本語に通訳する時に一番難しいのが、語尾をうまくきちんと納めることなんですね。英語と日本語では文の構造が異なり、英語は動詞が一番最初にくるので、動詞に続く内容に集中していると、ついつい動詞(日本語の述語部分)を忘れてしまうんです。ごまかす事は簡単ですけれどね(笑)。逆に言えば、主語にうまく対応する述語で纏めると本当にきれいにキュッと引き締まった日本語になります。ごまかさずにきれいな通訳をするためには、日々、日本語の文章を意識して読み、何か座りが悪かったり、まとまっていない文章があればそれを「自分だったらどう表現するか」と考える癖をつけることが大事だと思います。そうする事で基礎となる国語力も上がっていくと思いますし。
 もう一つは、普段人と会話をする時の言葉選びや話し方にも気をつける、ということです。基本的に私の場合、通訳をする時と普段の会話とでは話し方が若干異なりますが、逐次通訳をする際に、しばしば普段の話し方の癖が出てしまうことがあります。とても難しい事ですが、普段から綺麗で相手に聞きやすい日本語を意識して話すように心がけています。


編集後記

 小根山さんからのアドバイスにあった、きれいな聞きやすい日本語。私が毎日直面している課題です。通訳者の方でも課題にされるくらい難しい事なんだな・・・と改めて言語の奥深さを感じました。今回は朝のお時間を頂いてお話をお伺いしたんですが、明るくてパワフルで、とっても素敵な方で、ボイスレコーダーを聞き返したら私の笑い声ばっかり入ってました(笑)。失礼いたしました・・・。





Vol.43 「やるしかないのでやるんです」

今回ご登場頂くのは会議通訳者の津野暁子さんです。英語に力を入れたのは、中学生の時に良い評価が貰えず悔しかったから。大学受験の結果が津野さんの通訳者への入口。通訳学校を卒業するまでは、努力と苦労の積み重ねだったとの事ですが、どんな苦労談でもとってもポジティブに話してくださいました。

プロフィール  津野 暁子さん Akiko Tsuno

青山学院大学 文学部英米文学科卒業。社内通訳としてベンチャー・製薬会社にて約2年就業後、ジョージタウン大学(ワシントンDC)サマースクールにて経済学単位を取得する。帰国後、金融、自動車などの大手企業にて社内通訳の経験を積み、平行して通っていた通訳学校卒業を機に、フリーランス通訳になり現在も幅広い分野にてご活躍中。


Q. 語学に興味を持たれた最初のきっかけは?
 中学校で英語を習い始めた時に、周りには小学校の時から英語を学んでいた塾通いの子が多く、ちょっとくらい良い点数をとってもそれ以上が沢山いたので、英語だけがなかなか良い評価を貰うことが出来なかったんです。それが悔しくて、塾に行かなくたって自分で勉強して良い点を取ろうと頑張りました。そのまま高校でも五科目の1つとして英語の勉強をしていたのですが、たまたま友達に通訳者を目指している人がいたので、へ~そうゆう仕事もあるんだ?とちょっと通訳という仕事に興味をもつようになりました。でも実は、大学受験の時は語学関係だけではなく、幅広い分野の学部を受けました。その結果、見事受かったのは文学部英米文学科だけだったんです(笑)。その時に、神様は私に英語を勉強して通訳者になりなさいと言っているのかな?と思いました。
Q. 初めて外国に行かれたのはいつですか?
 ワシントンDCにあるジョンズタウン大学のサマースクールに通った時です。たった1カ月でしたが、実はその次の年の秋から正式に入学しようと思って下見のつもりで行ったんです。結局状況が変わり、帰国後は日本で働き始めましたけど。
Q. その時の感想を教えて下さい。
たった1カ月間だったせいか、カルチャーショックやホームシックもなく、あまり東京と変わらないなと思ったのが正直な感想です(笑)。スターバックスなど、日本と同じ様な場所に同じお店があったりしたので。違いを感じたのは店員さんの態度くらいでしたね。サマースクールは様々な国から留学生がくるので、自分が日本人ということは特に意識しませんでした。通常は1学期かけて取得する単位を1ヵ月でとるので、毎日勉強づけで授業についていくのは結構大変でしたね。
Q. 通訳学校に通われていた時のお話を聞かせて下さい。
 実は、大学4年生の時から通っていたんです。かなり長いですよね(笑)。初級クラスから始めましたが、上級クラスまであがり、卒業するまでには結構苦労しました。
  先生方もとても厳しかったですし、思うようにいかなくて毎日のように落ち込んでいました。辛くて途中で諦めそうになった事も何度もありましたし、途中でお休みをした事もありましたが、せっかく今まで投資してきたのに、ここまできたらもう引けない!とムキになっていましたね(笑)。また、同じ立場で頑張っている周りの友達と励ましあったり、あとちょっと頑張れば!あと数点で上のクラスに上がれるのに・・という悔しさと希望をバネにどうにか頑張ってやり通す事ができました。
Q. 社内通訳からフリーランスになろうと思った切っ掛けは何ですか?
 最初からフリーランスを目標に勉強していましたが、フリーランスになるには通訳学校の卒業に加え、日本の基幹産業である自動車と、やはり重要な金融の勉強の3つの条件がそろってからにしようと決めていました。
 まず自動車企業で社内通訳として経験を積むチャンスを頂き、その後運よく通訳学校を卒業出来たので、本当はすぐにでもフリーランスになりたかったんです。そこをどうにか早まる気持ちを抑えて踏みとどまり、3つ目の条件である金融業界にて社内通訳の経験を積み勉強をして、やっとフリーランスになる事が出来ました。
Q. 通訳をしていて、諦めたいとか、やめたいと思った事はありますか?

 毎回の仕事に対する事前準備、勉強は大変ですが、本当に切羽つまっている時はやるしかないのでやるんですよ(笑)。手を抜いて、結局あとでクライアントの前で恥をかいて困るのは自分ですからね。それを考えると諦めるとかやめたいとか考える間もなく必死こいてやりますね。通訳学校に通っていた時もそうでしたが、その渦中にいると視野が狭くなってそれ以外の事が考えられなくなるんです。自分にはこれしかない!っと思って追い詰められたからこそ、通訳にこだわって頑張って続けられたのかもしれないです。
  あと、落ち込んだ時にアメリカ人が書くような楽観的な自分を励ます本を読んで、"うん、自分はまだ大丈夫だ!"って自分に言い聞かせてます(笑)。

Q. 通訳の仕事の魅力は何ですか?
 事前の勉強や現場での対応など、大変な事は沢山ありますが、やっぱり楽しいのでまたやりたい!と思うんです。通訳をしているといろんな分野の仕事を頂くので、昨日知らなかった事を今日知って、今日出来なかった事が明日は出来るようになっていたりする事が何よりも楽しいです。
Q. これまでの経験で、特に印象に残っている失敗談はありますか?
 実際は、"今日は凄くよく出来た!"っていう時は本当に少なくて、"まあまあ何とかなったかな・・。あ~今日はやっぱり出来なかった。"って思うのがほとんどですね。
  特に印象に残っているのは、アメリカとの電話会議でスピーカーの方が全然話を止めてくれなかった時です。自分でも一回止まってほしいと言う勇気が無くて・・だんだん分からなくなってしまったんです。最終的に何とか自分なりにまとめましたが、訳抜けもかなりしてしまって、本当に怖い思いをしました。
  逆に良く出来たって思う時は、事前にもの凄く勉強をして、勿論完璧ではなく失敗もあるけれど頑張った甲斐があったな、良かったな~って、終わって安心できる時ですね。あと、新しく覚えてずっと使いたかったけど中々使えなかった単語や表現が使えたりした時です。本当に小さい事で自分の自己満足ですけど(笑)。
Q. 津野さんの息抜き方法を教えて下さい。
 ゆっくりお風呂につかる事ですかね。といってもすぐに逆上せてしまって10分くらいしか入れないですけど(笑)。あと、自宅で念願のエスプレッソ機で作ったカプチーノをお気に入りのソファーに座りながら飲む事です。エスプレッソ機は、通訳学校に通っていた時に、上のクラスに上がれたら自分へのご褒美に買おうと決めていたのですが、中々上がるのに時間がかかって・・やっと手が届いた思い入れのある物なんです。
Q. 通訳という職業上、普段心がけている事はありますか?
 新聞は毎日読むように心がけてますけど・・なかなか読めなくて溜まってしまう時もあり罪悪感になりますね(笑)。でも重要だと思う記事は切り取って、後で読み返すようにはしてます。あと、本当は毎日シャドウイングをしたいんですけど、出来ない時は音読をしたり、電車の中で新聞のサイトラ(サイトトランスレーション)をしたりしています。毎日何分必ずやる!とは決めずに、その時の気分、時間、とフィーリングに合わせてやるものを決めてますね。
  健康面では、とりあえずいっぱい睡眠をとるようにしています。少なくとも毎日7時間睡眠は心掛けていますね。あとは、昔風邪を引いて高温の熱を出して辛い思いをしたので、それ以来、手洗いうがいを必ずするようにしています。また、食生活では、食べたい時に食べて、食べたくない時は無理して食べませんが、必ず1日3食は食べるようにしています。体を壊して困るのは自分ですからね。
Q. 通訳になっていなかったら何になっていたと思いますか?
 昔は外交官になりたいと思っていました。ただ通訳の仕事で、色々な分野で長けた方にお会いすると、研究者ってすごいな~と思いますし、日本の文化を極めている着付け師を見ると素敵だな~と思いますし、アナウンサーを見てると毎日違うニュースに接していて大変だけれども激動的で楽しいそうだな~とか、憧れる職種は沢山ありますね。選びきれないです(笑)。
Q. 通訳者を目指している方々へのアドバイスをお願いします。
 オリンピック選手や、それぞれの業界のプロなど、才能だけでなく物凄い努力をして時間をかけてきた方でも本番で失敗する時はありますよね。それを考えると自分は失敗してクヨクヨするより、もっともっと勉強しないといけないんだなと思うんです。少しでもその人達に近づけるようにコツコツと努力する事が大切だと思います。

Q. これからも通訳者としてご活躍されていくかと思いますが、
  
将来の夢は何ですか?

 通訳として毎日の仕事を一歩ずつ着実にこなしながら、出来るところまでやれたらいいなと思っています。そしておばあちゃんになって、死ぬ前に"あ~私の人生はいい人生だったな~"って思えれば十分です(笑)。
Q. 津野さんの七つ道具はなんですか?
 家族から送ってもらった物をお守り代わりに持っていったり、自分を励ます本を持って行ったりしますね。後は、のど飴・ホッチキス・紙・電子辞書、とペンの芯や乾電池の代えを持って行きます。何かあったときに自分が困らないように備えておきますね。

津野暁子さんへメールを送る
  • 弊社から転送させていただきます。
  • 件名には「●●様」と宛先人を明記してください
  • 内容によっては転送できませんので予めご了承ください

編集後記
 今回様々なお話を聞きましたが、大変な苦労をしているはずなのにそれを見せず、笑顔で語る津野さんの姿勢と芯の強さからは、学ぶものが沢山ありました。勉強でも事前準備でも体調管理でも何でも、手を抜いて困るのは自分!分かっていたはずなのに、改めて身に沁みました。また、話の所々で"分かります!分かります!"とつい私でも共感してしまう様な飾らない性格が魅力的で、しつこいくらい頷いてしまいました(笑)。本当に雰囲気の温かく柔らかい、素敵な方でした。すっかり余韻に浸ってます。

Vol.42 「自分の足で立ちたかった」

今回ご登場の十河やよいさんは、フリーランス通訳者としてご活躍している傍ら、NPO団体の一員としても社会に大きく貢献されるなど、すばらしい行動力の持ち主。
そのハードスケジュールの中、全く疲れを感じさせる事なく通訳者になるまでの道のり、エピソードなど貴重なお話をたくさん聞かせて下さいました。十河さんパワーは常に全開です。

プロフィール  十河 やよいさん Yayoi Sogo

慶應義塾大学を卒業後、外務省に専門職員として就職。在職中に米ジョンズ・ホプキンズ大学国際関係大学院に留学し修士号を取得する。外務省を退職後、フリーランス通訳者となり現在もご活躍中。通訳のかたわら、財団法人に所属し日米交流活動等に従事。今年からはNPO団体の一員として更に活躍のフィールドを広げていく。


Q.語学に興味を持たれたきっかけは??
 私は小さい時からアメリカかぶれで(笑)、とにかくアメリカに行きたいという気持ちが強かったんです。幼少期から「大草原の小さな家」が大好きで一緒に育ったような感覚があることなど、アメリカに憧れる理由はいろいろあったと思うのですが、一番鮮烈に覚えているのは、小学生の時にロサンゼルス・オリンピックをテレビで観ていて、体操競技の個人総合でアメリカのレットンが金メダルを取った時のシーンですね。彼女は最終種目を残した段階で、ルーマニアの選手に負けており、満点を出さないと逆転できないという状況だったのですが、最後の跳馬で完璧な跳躍をし、奇跡的な逆転優勝を飾りました。その時のシーンは今でも目に焼きついています。当時はただひたすら感動していたのですが、今思うと、信じられないほどのプレッシャーと緊張の中で、若干16歳の女の子が見事な集中力で完璧な演技をしたことが、とにかく衝撃的だったんですね。その感動した気持ちをどうしても伝えたくて、彼女にファンレターを書こうとしたのですが、小学生ですから、ウンウンうなっても英語など一文字も書けるわけもなく、父がほとんど書いたようなもので(笑)、私は封筒の宛先だけ書きました。その宛先も住所がわからなかったので、彼女のことが載っている新聞や雑誌の記事を調べて、自宅のあるらしい州と郡だけを突き止め、手紙を出したんです。
  日本でいうと県までくらいしか書いていないほど住所は不完全なわけですし、広いアメリカでは届かないだろうな、と半ばあきらめていました。ところが、投函して一カ月たたない頃、彼女から思いがけず、返事が届いたんです。何枚もの紙に丁寧にサインしてくれていた上に写真も同封してくれていて、それを手にした時になかなか信じられず、呆然としていたことを覚えています。レットンから返事をもらえたという感激もさることながら、日本から来た一通の意味不明のファンレターを放り出さずに、彼女の所まできちんと届けてくれたアメリカ人の優しさが心にしみて、アメリカというのはつくづく懐の深い国だと思いました。それで、ますますアメリカが好きになったんですね。

実際に戻ってきた手紙と写真
実際に戻ってきた手紙と写真

Q.それで大学でも英米文学科を専攻され、
  外務省に就職されたのですね。
 はい。英文科といっても、原書でなく翻訳を読んで卒論を書いていましたし、模範的とはいいがたい学生でした。大学卒業後は、国際的な仕事に関わりたいと思い、専門職員として外務省に入りました。外務省の専門職は、本省や在外公館で語学や国・地域、文化、歴史等の専門家として業務を行う職種で、いわゆるキャリア職とは異なり、特定の分野で能力を発揮することが期待されているので、本来は一般的に流通している英語より、スワヒリ語とかベトナム語などの特殊語を希望した方がよかったのかもしれません。でも、私はとにかくアメリカに行きたかったので、アメリカに行けないなら辞めるくらいの勢いでしたね(笑)。結局、運良く外務省でいう米語研修生になり、海外研修ではワシントンD.C.の大学院に留学しました。その時が生まれて初めての渡米であり、20代半ば近くになっての海外体験でした。
Q.初めて憧れのアメリカに行かれた時のお気持ちはどうでしたか?
 正直、アメリカに憧れていただけで、英語ができたわけではなかったので、大学院の授業についていけず、本当に苦労しました。また、私が通った学校は政治的な大学院で、各国の政府機関でキャリアを積み現役で活躍されている方が多く在籍しており、平均年齢も高かったので、社会人に毛が生えた程度の私にはハードルが高かったと思います。最初の1年は全く授業についていけず、英語くらい何とかしないと!という気持ちになりましたね。当時は湾岸戦争が終わって「日本は金は出すけど、血は流さない」という見方が定着していた頃で、授業の中でも日本が批判されている空気は感じつつも、うまく反論することができず、歯がゆい思いでした。
  日常生活においても、スーパーのレジで、「紙袋にする?ビニール袋にする?」(Paper or Plastic?) と言われて分からず、「もう一度言ってください」と言った英語も分かってもらえず、逆に"Speak up!"と言い返されるなど、へこむ毎日でした。その程度の英語力に毎日めげながらも、アメリカでの生活は楽しいものでした。大学院の友人たちは、勉強会に誘ってくれて膨大な参考文献を読む分担を平等に私に任せてくれたり、クラスの前でレポートを発表する時も(中身も英語もひどかったと思うのですが)、プレゼンが終わった後に私の緊張や努力を察してか、皆がスタンディングオべーションしてくれたり、と励まされる日々でした。授業の中で激しい議論の衝突があっても、教授は少数派の意見に必ず丁寧に耳を傾けることを徹底しており、時々極端に方向がぶれることはありながらも、時間と共に中から自浄作用を発揮していくアメリカという国の底力に感心した2年でもありました。
Q.フリーランス通訳者になろうと思ったきっかけは?
 大学院卒業後、米国の総領事館に勤務したのですが、日々の仕事に追われるだけで、何も身についている実感がなく、このまま流されて取り得もないままでいいのだろうかという不安が大きくなっていました。「自分にはこれがある」という自分が依って立てるような何かがほしいと強く思っていた頃に、日本から来ていたプロの通訳者の方にお会いする機会があり、通訳という仕事にもともと関心があったこともあって、通訳者になりたいという気持ちが自分の中でふくらんでいきました。
  外務省では沢山の貴重な経験をさせて頂きましたが、今思うと若気の至りですけれど、組織の一員としてではなく自分の足で立って個人として認められたいという気持ちが強かったので、フリーランスの通訳者としてスタートした時はとても開放感がありました。ただ会社に関する基本的な知識もないまま、最初に企業の世界に飛び込んでしまい、日々戸惑うことも多く、今思い出すと冷や汗が出そうなほど内容が分からないまま、いい加減な通訳をしていたと思います。
  どうにかこうにか仕事をしているうちに、企業においては「グローバル化」ということが他国の市場で事業を展開するという単なる海外進出のレベルを超えて、アメリカ本社を代表してメキシコ人が発言したり、日本市場をトルコ人が説明するといった現象にまで進んでいることを目の当たりにするようになり、新鮮な驚きを覚えました。国際化やグローバル化が、これまでの国から国への移動という定義を超えて、個人レベルにまで融合が進み、より深いレベルにまで浸透しているのを見て、民の方が進んでいておもしろいな、と思ったんですね。単なる例ですが、イギリス国籍ではあるけれど、南アフリカで生まれてオーストラリアで育ち、東欧で長いこと働いて、今は日本にいます、といった人たちがどんどん増えて、国籍を特に意識せずに、いろいろな国に移動し、たまたま縁のあった国で自分の能力を発揮するようになっていて、世界は国という単位で構成されているという見方しかなかった私には、国も一つの環境にすぎないという考え方に、目からウロコの感がありました。英語はそのような流動性を加速する大事なツールになっているのだということを肌で感じ、英語を介して世界の融合が進む現場を目撃できる通訳の仕事を一層おもしろいと思うようになりました。
Q.それではズバリ御伺いいたします!
  特に印象に残っている失敗談はありますか?
 山ほどあります(笑)。小さな失敗を含めれば毎回、薄氷を踏む思いです。一番印象に残っている思い出は、アメリカの連邦準備制度理事会のグリーンスパン前議長が、とある大学でスピーチをすることになっていて、その時に米国経済に関して何か意味のある発言をするかもしれないとのことで注目が集まり、スピーチに通訳を入れて放送することになった時の仕事です。実際の放送にのせる前に少し準備時間があったのですが、ご存知の通り、前議長はもともとモゴモゴ話す癖がある上に高齢もあいまって非常にわかりにくく、しかも職務の性質上わざと煙に巻く言い方をするので、何度聞いても訳どころかサッパリ意味がとれず、「分からない、ああどうしよう」と焦っているうちに時間は勝手に過ぎて、録音時間が近づき・・正直どうやって自分が乗りきって、家に帰ったのかも覚えていないくらいです(笑)。今思い出すだけでも恐怖心が蘇ってきますね。
Q.フリーランス通訳者としての魅力、又は大変さは何ですか?
 自分の知らなかったいろいろな社会の側面に足を踏み入れることができ、様々な分野の人に出会えるということは、やはりこの仕事の醍醐味だと思います。また、コミュニケーションの橋渡しをする上で、通訳の存在を忘れてもらえるくらいスムーズに意思疎通が行えれば、通訳冥利に尽きますよね。
  でも私にとっての通訳の一番の魅力とは、没頭すればするほど無になれるところですね。同時通訳の方が逐次より好きなのも、その境地に入りやすいからだと思います。ただ、雑念が入った途端にうまく訳せなくなるので、一番難しい部分でもあるのですが・・・。無の状態になると、スピーカーと自分を隔てる壁がなくなり、通訳をしている感覚がなくなって、一番よいパフォーマンスをすることができると思います。そういう意味では、毎回の仕事が私にとっては禅修行の場ですね(笑)。「無」という状態に至るのは実はとても難しくて、自分が通訳をしていることを忘れるくらい無心になれたことは、今までの経験上、数えるほどしかありません。「ああ、おなかがすいた」とか「今の発言は、こういう意味でよかったのかしら」とか、ついつい考えてしまうんですよね(笑)。ただ、無になって通訳ができて、その快感を一度味わうと忘れられませんよ(笑)。一仕事したのに、仕事をする前より元気になっていたりしますね。大変なのは、そのような状態で通訳をするためには、事前の準備をしっかりとして、あれだけ準備をしたのだから大丈夫!という気持ちにならないといけないわけで、少しでも不安が残っていると、だめですね。そのためには、準備をしなければいけないと反省する毎日です。
  また、通訳という仕事は本当に水物だと日々感じます。今回の内容は分かりやすいだろうと高を括っていたら大苦戦したり、今日は難解な内容で準備し切れなかったと不安に駆られていたら意外にサクッと終わったり・・・なかなかフタをあけてみないとわからないところが大変ですね。本番での状況を読みづらいということでいえば、現場に行ってみたら、スピーカーのマイクはあるのに通訳のマイクはないとか、同時と言われて行ったら急に3,000人の前で逐次でと言われたとか、電話会議で先方の音が技術的な問題でよく聞こえないといった物理的な困難も頻繁に発生します。こうした突発的事項にどう対処するかの力量も求められますね。通訳に集中したいのに、気が散る要素はこのようにたくさんありますが、だからこそ精神修行なのだと思っています(笑)。その点、私はまだまだ未熟で、先は果てしなく長いですね(笑)。 
  更に、テクニカルな内容や社内の込み入った話など、専門性や特殊性が高くなればなるほど、自分だけが部外者で一番内容が分からないにもかかわらず、内容に精通していて言葉だけ分からない人が違和感を覚えないよう訳さなければいけないわけで、神経を使う仕事でもあります。また、英語は他の外国語と異なり、コミュニケーションの手段として最も浸透しているので、英語が母国語でない外国人が話す英語を聞く機会も必然的に増えており、それも全て理解しなければならないことも大変さの一つです。スピーカーの母国語に起因するいろいろな訛りにも対応しなければならない時は、通訳というより暗号を解読しているような気になることもありますね。あと、いつも泣きそうになるのは、日本語の「だじゃれ」ですね。あればっかりは、同通ではとっさに訳せず、いつも終わった後にゲッソリしています(笑)。
Q.NPO団体との出会いは何だったんですか?
 実は、最近まで、現在所属しているフードバンク(正式名称:セカンドハーベストジャパン)の存在はほとんど知りませんでした。以前から社会的起業や社会的弱者をサポートするNPOに関心があり、必要なものが困っている人の手元に届き、それによって「希望」や「生きる力」も届けられる仕事に関わっていきたいという思いがありました。今年初めにNYにNPOの視察に行ったりして関わり方を模索していたのですが、通訳業はどうしても続けたいと思っていたので、両立するための時間や働き方の点で折り合いがつかずに迷っていたところ、友人がフードバンクのことをテレビで知り、教えてくれました。
  フードバンクでは、食品メーカーや外食産業などで、品質には問題がないものの、包装不備などで市場での流通が困難になり商品価値を失った食品を廃棄せずに無償で受け、生活困窮者に供給する活動を行っています。それぞれの人が人生を切り開いていく上で、まずは最低限の生活を確保して、少なくとも全ての人が同じスタートラインに立てるようにしないといけないという思いが昔からあったので、その基本的な部分である「食べる」ということに焦点をおいたフードバンクの活動は、私にとって共感できる部分が大きいものでした。また、フードバンクの活動は貧困のみならず、廃棄されるはずだった食品を消費期限が来る前に活用するという意味で環境にも配慮した活動ですし、食品提供を行う企業にとっては、廃棄にかかる費用を抑制でき、福祉活動にも参加するなど企業の社会貢献に対する方向性も示唆していて、様々な社会的課題に対する解決策を有機的に含んでいるところが面白いと思います。
  フードバンクは米国発祥の組織であることもあり、外国人のボランティアが非常に多く、またCSRの取り組みの一環として派遣される企業からのボランティアが多いことも特徴です。いろいろな国籍や背景のボランティアの方とワイワイおしゃべりしながら、一緒に働くことは無条件に楽しいですし、大勢のボランティアの方が短時間に膨大な量の炊き出しなどをいっせいに行う様子は、みんなで協力して作り上げる喜びと達成感があって、高校の時の文化祭みたいですよ(笑)。
  同時通訳は、ブースにこもり、ひたすら自分と向き合う孤独な作業が求められ、いろいろな人と協調して何かを生み出すフードバンクの仕事とは全く異なるものの、2つの仕事のバランスが私には丁度よく、逆に1つが欠けてしまうと物足りなさを感じるかもしれません。
Q.通訳者になっていなかったら何になっていたと思いますか?
 実は何をやっても長続きしない性格なのですが、フリーランスの仕事はそんな自分の性格に合っていると思いますので、一生続けて行きたいと思っています。もし通訳者になっていなくても、やはり組織をバックにするよりは個人として働きたいという気持ちがあるので、フリーランスとして何らかの仕事をしていたと思います。
Q.最後に、通訳者を目指している方々へのアドバイスをお願いします。
 私は帰国子女ではなく、英語が外国語であるという事実は変わらないので、英語そして通訳という仕事は今でも大きなチャレンジです。ハードルが高く大変だからこそ、通訳の仕事を続けているという部分もあると思います。でも、英語が子供の時に身近でなかったということで発音や聴解力などで不利な面はあるかもしれませんが、海外に一度も住んだことがないのに活躍していらっしゃる通訳の方は大勢います。逆にネイティブ以外の英語に強かったり、専門分野では右に出る人がいなかったり、それぞれ強みがあるんですね。また通訳は、語学力はもちろんのことですが、情報処理能力と度胸による部分が多いので、海外体験のあるなしは全くといっていいほど関係がないと思います。要は、他の仕事もそうだと思いますが、通訳という仕事も学ぶことに終わりがないので、努力を続けられるほど好きかどうかが一番大事なのかもしれませんね。
  また、フリーランスとしての通訳の仕事は、特に自己管理能力が求められます。私も駆け出しの頃は、仕事を入れすぎて体調を崩したりして、自分に合ったスケジュールのペースを見つけるまでに時間がかかってしまいました。また、フリーランスの仕事は単発の仕事も多いので、一回の仕事で判断されてしまうことも多く、遅刻しないといった基本的なマナーも重要です。簡単なことではありますが、毎回違うクライアントに行くような場合は、毎日一度も行ったことのない場所に行くわけで、時間に遅れないようにする細心の注意が必要になり、これが結構気を遣うんですよ。
  通訳そのものに関しては、自分のスタイルをつくることが大事だと思います。同時通訳といっても、クライアントによっては、スピーカーと同じ速さで全て落とさず訳すことを求められたり、少し遅れてもいいから噛み砕いて大意を訳してほしいというところもあったり、様々です。クライアントとの相性にも左右されますし、通訳に正解はないので、いろいろなニーズがあり、それに対応していろいろなタイプの通訳があっていいのではないかと個人的には思っています。私もいまだに試行錯誤中なのですが、徒らに自分と違うタイプを最初から追い求めず、自分はどの部分が強いのかを見極め、その部分を伸ばしながら、周囲からも吸収する方がよいのではないかと思っています。私の周囲にも、学校や現場での経験から向いていないと思って辞めてしまったりする人も多いのですが、場数をこなしながら根気よく続けていったら、必ず自分に合うスタイルとそれを求めている仕事が見つかるのではないかと思うので、好きであれば是非あきらめずに、続けていってみてはいかがでしょうか。

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編集後記
 とても明るく気さくな方で、逆にインタビューする側(私)の緊張を吹き飛ばしてくれました。ハードスケジュールでお疲れのはずなのに、次々に新しい事にチャレンジされている姿を見ると、自分ももっと積極的にチャレンジしなければ!と考えさせられました。十河さんおススメのカフェでのインタビューでしたが、ついつい話に花が咲き、閉店時間となり店を追い出される形でインタビューが終了となりました(笑)


Vol.41 「決して諦めない事」

今回ご登場のフリーランス会議通訳者:和田一美さんは、日英のみならず日仏の通訳者としてもご活躍中。わずか10歳の頃に描いた夢をきっかけに目標に向かって決して諦めない姿勢で何事にも向き合って来た和田さんの素顔、通訳の仕事を通じての様々なエピソードなど、そのパワーの源を教えてくれました。

プロフィール  和田 一美さん Kazumi Wada

山口の県立高校を卒業後、津田塾大学学芸学部国際関係学科入学。在学中にカナダ モントリオール大学へ1年間交換留学を経験。大学卒業後、外資系企業、在ジュネーブ日本政府代表部派遣員を経て、外務省職員として採用される。ジュネーブでは通訳・翻訳業務も経験。帰国後、通訳学校に通いながらインハウス通訳者としてキャリアを積んだ後、フリーランス通訳者となり現在も活躍中。今年の9月からは旦那さまの赴任に伴い、NYに拠点を移す。


Q.語学に興味を持たれたきっかけは?
 子供の頃から海外のドラマ・映画・本が大好きでした。なぜか日本のものよりも海外のものに惹かれたんですよね。最初の大きなきっかけは10歳の頃TVで観たアラン・ドロンの映画「太陽がいっぱい」に出会ったことです。それまで見ていたアメリカの映画とは空気感が全く違って、言葉では言い尽せないほどに魅せられてしまったんです。(見た日の夜は余韻で眠れなかったくらい・・)「いつかフランス語をマスターしてフランス語でアランドロンにラブレターを書いて渡すんだ!」と家族に宣言してしまいました。その後、更に海外の文化や英語などへの興味が強まりましたね。大学進学の際には、たまたま近所に津田塾大学の学生がいたこともあり、実際のカリキュラムを教えてもらい、津田梅子の本を読んで進学先を津田塾に絞ろうと決意しました。津田塾大学の勉強の厳しさに1年目は毎日泣いていたほどです。少人数のクラスの中には帰国子女や留学生などが多かった為、受験英語しか出来なかった自分は逆に目立ってしまいとても辛かったです。それでも諦めずにコツコツと頑張れば結果が出るはず!と信じて頑張っているうちに1年後にはふと、自分が頑張った分だけ成長している事に気がつきました。
  後々通訳学校に通って分かったのですが、大学1年目のカリキュラムの一部は通訳学校と同じ様な本格的な授業だったようです。
Q.大学卒業後ご就職され約1年間外資企業にて働かれた後、
  山口のご実家に戻られたとの事ですが、
  その間どうされていたのですか?
 自分自身が体調を崩してしまい、実家の山口に急遽帰る事になりました。その間が心身ともに一番つらい時期でした。
  一番やりたかった語学(フランス語)の勉強をする環境が周りにはなく、山口県内にいるフランス人はたった一人。それでも勉強を続けたくて、何かにすがるようにただがむしゃらでした。毎朝早起きしてはHNK衛星放送のフランス語ニュースを必ずビデオに撮り、それを見ながらのシャドイング、書き下ろし、そして辞書を引き、徹底的に一人で出来る範囲の勉強を続けました。ほぼ、ひとり通訳学校状態だったかもしれないです。
  又、案外忘れがちなんですが、通訳者にとって一番重要なのは母国語。日本語を研鑽する為、毎日 新聞を蛍光ペンでなぞりながら音読していました。新聞がまっ黄色になってましたね(笑)。
Q.フリーランス通訳者になろうと思ったきっかけは?
 実家に出戻っていたとき、外務省の派遣員制度でパリの本政府代表部に勤務していた大学時代の友達からのアドバイスを受け、自分の求める環境がここにあると思いました。その後、私も試験を受けて合格し、ジュネーブに派遣されました。その当時から業務の一環として、VIPのアテンド的な通訳やフランス語での会議等に出席するなど貴重な経験を沢山積ませて頂きました。
  大きな国際会議や交渉には日本からトップレベルの会議通訳者が派遣されて来ることがあるんです。その超一流の通訳者の仕事を見た時に本当にびっくりしました!人間にこんな事が出来るの??と思ったくらい完璧なパフォーマンスで、初めて他人の仕事の凄さに鳥肌が立ちました。本当に神々しかったです。
  それがきっかけで、帰国後は勉強して会議通訳者になる!と心に決めました。
Q.目標があっても途中で挫折したり諦めたりした経験がある人って
  多いかと思いますが、挫折せずに真っ直ぐ目標に向かって
  頑張れる秘訣って何ですか?
 私自身は自分が決めた目標だからこそ必ず達成したいという気持ちが強いので、諦めるという気持ちにはならないですね。覚悟を決めたから諦めないし、諦められないのかもしれません。
  ただ頑張れる秘訣があるとするなら、多分、まずは漠然とした目標ではなく、最終(長期)的な目標を掲げ、その後、短期間で達成しやすい目標に落とし込んでいくことかもしれないです。それらの小さな目標を1つずつクリアしながら進んでいけばいいと思います。後は、具体的な「こういう人になりたい!」というモデル像というか目標を見つける事です。そのモデルとして目指す通訳者を思い描きながら、どうしたらそうなれるんだろう?って、トレーニングや姿勢にも工夫を自分なりに凝らすようになるでしょうから。
Q.とってもポジティブでハツラツとされている和田さんですが、
  フリーランス通訳者としてデビューした当時は、
  落ちこむ事が多かったとの事。
  変わるきっかけは何だったのですか?
 通訳を始めた頃は、毎日仕事が終わり家に帰る度に「ふぅ~っ、はぁ~」って溜息をついて・・自分の人格を否定をするくらいズドーンと落ち込んでいたんですよ。そうしたら私のあまりの落ち込み具合を見かねた夫から「ただ闇雲に落ち込んでも通訳は上手くならないよね。この落ち込んでいる時間を使って他に出来る事があるんじゃないの?」とアドバイスを受けたんです。「おっしゃる通りです!」と思い、それからすぐに勉強を始めましたね(笑)、落ち込んでも実力が上がるわけではないし、失敗を次に活かせばいい、失敗から学ぼう!という気持ちで今はむやみに落ち込まないようになりました。
Q.フリーランス通訳者としての一番の魅力は何ですか?
 沢山の出会いがある事が何よりも魅力的です。一緒に組む通訳者の方、お仕事をさせて頂くクライアントの方など、人間力やユーモア・センスがある素晴らしい方が多いので、そういった方々とお話をすると一冊のビジネス書を読むよりもずっと勉強になり影響を受けますね。そしてそれを取り入れる事で自分の成長にも繋がると思ってます。
Q.以前は海外でもお仕事をされてましたが、
  同じように海外で仕事をしたいと考えている方への
  アドバイスをお願いします。
 海外で仕事をするには語学力だけではなく、どの国に行ってもその国の慣習や文化を受け入れる心の柔軟さが必要だと思います。
  その国だからこそ巡り合えるチャンスが沢山あるので、それを無駄にせず、全部取り入れてやろう!という前向きな気持ちで何事にもトライすれば大きな成長につながると思います。
Q.日々行っているトレーニング・心掛けている事は何ですか?
 他の通訳者は私以上にいろいろとトレーニングをされていると思いますが、一例として、最低限行っている事といえば、今も昔も変わらず、時事ニュースを把握するのを兼ねて、新聞やNewsweek等英文、仏文雑誌の音読は欠かしません。それとお仕事に行く前などは、脳と口、耳にエンジンをかけるために、CNNやBBC等の英語ニュースを聞きながらのシャドイングなどもしています。もう少し時間があるときはメリハリを付けてより集中するために、10分15分とある程度の時間を決め、ニュースを聞きながら、時にはシャドーイングか、或いは、実際にニュースを通訳した自分の声をレコーディングします。さらにはそのニュースを録画しておくと、担当されたプロの放送通訳者のアウトプットも参考にすることができます。自分の声(アウトプット)を聞き返すと普段は気がつかないような癖などが分かってとっても効果的なんです。その癖を意識し矯正するような気持でトレーニングを続けていくと徐々に改善されていくのもわかります。
  後は、英語の雑誌を読んだ時や、海外ドラマ・映画を見ている時に、面白い表現などあったらいつでもノートに書き取り、移動中など時間がある時に読み返すようにしています。
  フォーマルな表現やカジュアルな表現など、お仕事の中で多くのシチュエーションでの使い分けが的確に出来ることは通訳者にとって必要なスキルですから。
Q.語学以外の趣味はなんですか?
 昔から活字渇望症というくらい本が大好きだったので今でも暇さえあれば本を読みますね。(1カ月10冊から11冊くらい)英語・フランス語・日本語の本をバランスよく読むよう心掛けています。本を読んでいると吸い込まれるようにのめり込めるので、その他の事は一切考えなくていいんです。あと映画鑑賞もそうですね。現実を忘れたいのかもしれません。
  それ以外では、体を動かすことが大好きなので、昔から続けているバレエに通っています。以前は月1回しか行く余裕がなかったのですが、同じ通訳者として活躍されている方々も週1~3回と体を動かされているというお話を聞いて刺激され、今は週1でレッスンを受けています。バレエもレッスンのときは踊ることしか考えられないので、心身ともにリフレッシュできる自分にとっては大切な趣味です。
Q.これからも通訳者としてご活躍されていくかと思いますが、
  将来の夢は何ですか?
 ジュネーブで鳥肌が立つくらい感動した国際会議の同時通訳の雰囲気が忘れられません。あくまで夢ですが、自分が初めて感動した場所(国際会議)で会議通訳する事でしょうか。その夢に到達できるかはわかりませんが、自分で決めた目標なので、傷つきながら茨の道を一歩一歩、進んでいくしかないのかなと思っています。
【和田一美さんの七つ道具】
  • 電子辞書
  • ストップウォッチ
  • ノート(黄色) ※仕事中に白色の資料や書類との区別を付けるため
  • USB ※PCも合わせて用意されているとの事
  • チョコレート 
     ※国産より輸入もの!カカオの%が高いほど和田さんにとっては効果的との事
  • のど飴

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編集後記
 とってもオシャレで明るく素敵な方でした。
 お話をさせて頂いたなかで、決してぶれる事なく目標に向かって進み続ける事が出来る芯の強さに圧倒されました。
 また、ベストペートナー:素敵な旦那さまの存在や、アクティブな趣味など、私生活・お仕事ともに充実されている秘訣を教えて頂いた気がします。



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