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Training Global Communicators

Vol.40 「一歩を踏み出すこと」

【プロフィール】
菅梨衣さん Rie Kan
同志社女子大学英語英文学科在学中、米国大学に一年間交換留学。大学卒業後、モントレー国際大学院通訳翻訳学科修士課程入学。同大学院修了後、米国内日系自動車メーカーに社内通訳者として勤務。2007年8月帰国、日本にてフリーランス通訳者としての一歩を踏み出したばかり。



英語に興味を持ったきっかけは?
叔父夫婦が、仕事の関係でアメリカに移住したことです。小学生の私にとって、身近な人が「英語を話す国」に行くのは大きな出来事でした。私も英語を話してみたいと思い、母に頼んで近所の英会話教室に通い始めました。
中学1年生の時、叔父夫婦に会いにアメリカへ行きました。初めての海外です。これまで、想像の中でしか存在しなかったアメリカが、急に身近に感じられました。叔父達が通訳してくれたので、私が英語を話す機会はありませんでしたが、この時見たこと、感じたこと、体験したことが、後に大学・大学院留学を決意した大きなきっかけになっているように思います。

大学在学中にアメリカへ?
バージニアに1年間滞在しました。日本人がいないところに行きたくて選んだ留学先でしたが、後で本当に後悔しました。最初にESLで2ヵ月半勉強した時は、自分の英語が通じることが嬉しかったんですが、大学の授業を受け始めて、現実の厳しさを知りました。話せると思っていたのは、ESLの先生や留学仲間が話し相手だったからなんです。アメリカ人の話すスピードはとても早く、訛りもあって全く聞き取れませんでした。何か言いたければ英語で話すしかなく、自ら選んだことなのに、現実は想像以上に厳しかったです。狭い社会に閉塞感を感じていたこともあり、早く日本に帰りたいなと思っていました。
 他国の留学生と知り合ったことで、少しずつ状況を前向きに捉えられるようになりました。彼らがいたお陰で、切り抜けられたんだと思います。ある教授が、英語を上達させるためのオリジナルプログラムを作ってくれたことも大きなきっかけでした。その後も授業についていくのは大変でしたが、少しずつ自信がついてきました。

大学卒業後、米国の大学院へ?
周りが就職活動をしている頃、英語が話せるだけで何の知識もスキルもないことが悩みだったんです。清水寺でボランティア通訳をした時、通訳ガイドさんの仕事ぶりを見て、なるほどこういう仕事があるんだなと思いました。本格的に通訳の勉強をしてみたいと思い、大学院留学を考えるようになりました。卒業後すぐに留学するのが良策かは分かりませんでしたが、思いがけず奨学金を得ることができ、後押しされる形で留学を決めました。
入学後すぐに、ここは新卒で来るところではないと思いました。クラスメートの大半は、社会経験があり知識も豊富です。学生同士の勉強会も、最初は参加するのが嫌でたまりませんでした。グループに私が入ると迷惑がかかると何度も断ったところ、「あなたはできないんじゃなくて、知らないだけだから」と根気強く誘ってくださったことは本当に感謝しています。とても濃い2年間で、あの時行ってよかったと今では思います。

その後、自動車関係の企業に就職されたのですか。
家族には、大学院修了と同時に帰国する旨伝えていました。そのつもりで卒業前の冬休みに日本で就職活動をしたところ、社会人経験もなければ、通訳経験もない、ただ大学院で通訳の勉強をした学生には、なかなか機会がないことに気付いたんです。結果、もう少しアメリカでがんばってみようと思いました。日本で勝負するのはそれからだ、と。
アメリカでの就職が決まった時、最低3年は続けようと決めました。期限を決めないと自分に甘えてしまうせいもありますが、せっかく勉強してきたことを生かせる方向に持っていきたいという気持ちもあったんです。日系自動車メーカーから「経験はないが、第一歩を踏ませてあげたいと思った」と採用通知を頂き、ここなら私もやっていけるかもしれない! と二つ返事でオハイオに向かいました。

通訳デビューはいかがでしたか?
散々でした。最初の1ヶ月は引き継ぎのため前任者が残ってくださったのですが、彼女の仕事ぶりを見て、「こんなこと、私にはできない!」と心の中で思っていました。同期もいなければ、「会社」という場所に入るのも初めてで、戸惑うことばかりでした。本来なら、プロとして雇われた以上、初日から通訳するべきですが、皆さん心の広い人たちばかりで、我慢強く待ってくださいました。技術関係の内容が多く、最初は内容も分からないままカタカナ読みで訳すと、技術者の方が、「あぁーそれか!」と頷いてくださって。だんだん理解できるようになりましたが、最初は本当につらかったです。光森さん、という人の話をしているのに、勝手に見積の話だと解釈して訳したこともあり、失敗の連続でした。

日本に戻ろうと思ったのは?
自分の中で設定していた3年の期限が過ぎたことです。まだまだやるべきことは山積みでしたが、最終的に日本に戻りたいとずっと思っていたこと、アメリカ滞在も5年になっていたので、帰国しようと考えました。日本で、自分の力を試してみたくなったのも一つの理由です。以前は踏み出せなかった日本での一歩が、今なら可能なんじゃないか、と思いました。

一歩、踏み出せましたか?
帰国して2ヶ月、まだ生活も落ち着きません。浦島太郎のような状態です。新しい洗濯機のドアの開け方がわからず、地デジやSuicaも最初は何のことだろうと思いました。
アメリカの会社で一緒だった方が日本出張の際に声をかけてくださり、これが日本での最初の通訳でした。台風が来ていたんですが、引越ししたばかりでテレビもパソコンもなく、何も知らずに出かけたんです。家に帰るときは暴風雨で、おろしたてのスーツがびしょびしょになりました。大変な初仕事でした(笑)。
今は、週に3ー4日仕事が入っています。空いた時間は、役所関係の手続きをしたり、家具をそろえたりと、生活を整えることで毎日があっという間にすぎていきます。

アメリカと日本、通訳環境の違いは?
アメリカでは、社内通訳だったこともあり、一日中会議がある時も一人で対応し、他の通訳者と接することがありませんでした。日本でフリーランスになってからは、同時通訳の場合15ー20分で交代するので、パートナーのパフォーマンスを聞くのが何よりの勉強です。立ち振る舞いや、クライアントへの接し方もとても参考になります。今はパートナーを見ることが、一番のスキルアップになっているかもしれません。

ご趣味は?
アメリカにいた頃、ストレス解消のためによくお菓子を作りました。好きな音楽をかけながらお菓子を作るのが大好きで、人にプレゼントするのも楽しみでした。お菓子を渡すと、かりかりしていた人も途端に顔がぱっと明るくなるんですよ。生活が落ち着いたら再開したいです。

今後のキャリアプランは?
やっと日本で社会人一年目を踏み出せたので、日本でしか学べないことをたくさん吸収したいと思っています。頂いたお仕事を一つ一つ丁寧にこなしていきたいです。近道はしなくていいと思っています。20年後ぐらいに、国際会議の同通ブースで、大学院時代の仲間と再会するのが夢です。隣のブースにいる他言語通訳者に、「あ、大学院で一緒だったよね!」なんて言えたら素敵ですよね。

これから通訳を目指す方へのメッセージをお願いします。
これまで、通訳になりたいという気持ちだけで進んできました。通訳以外の経験がないのは弱みかもしれませんが、好きなことを見つけられたのは幸せだと思っています。狭き門かもしれませんが、閉ざされているわけではありません。怖がらず、是非最初の一歩を踏み出して頂きたいと思います。

編集後記
目がきらきらで、本当にまっすぐな方。「好きなこととやりたいことが一致したことは幸せ」とおっしゃっていましたが、やりたいことを現実のものにしたのは菅さんの努力あってこそ。5年後、10年後、一体どうなっているんだろうと今から楽しみになってしまいます。国際会議での再会が実現する日も、そう遠くはないのではないでしょうか。
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Vol.39 「通訳と9:1の法則」

【プロフィール】
朝比奈ゆかりさん Yukari Asahina
幼少から高校卒業までの大部分を、トルコ・NY・ブラジルにて過ごす。国際基督教大学教養学部語学科在学中より、フリーランス通訳として活動を始める。医学、IT、金融、運輸を主に得意とし、それ以外の分野でも幅広く活躍中。現在、トップクラス会議通訳者として多忙な毎日をおくる。

幼い頃海外にいらっしゃったと伺いましたが。
1歳半から3歳までをトルコ、小学3年から中学1年までをNY、そして高校はブラジルで過ごしました。通算で9年間海外にいたことになります。トルコ滞在時は、お手伝いさん相手にトルコ語を話していたようですが、ほとんど記憶に残っていません。3歳で日本に戻り、その後小学3年の時にNYに行きました。これが私にとって初めての海外経験と言えるでしょう。ちょうど夏休みだったこともあって、YMCAの夏休みキャンプに参加することになったんです。悪夢でしたね。日本を出発したと思ったら、いきなりアメリカでキャンプ。電話もないような場所で、親との唯一の通信手段は郵便のみです。言葉が話せないことも手伝って、かなりサバイバルでした。
学校が始まってからも大変でした。当時は、日本人が物珍しいのか、髪の毛を引っ張られたこともありました。子どもながらに、「英語が話せないと、ここでは生きていけないんだ」と感じたのを覚えています。例えば、身に覚えのないようなことで責められ、潔白を証明したくてもうまく話せず泣いていたとします。日本では、誰かが泣いていたら、周りが「どうしたの?」と話しかけますよね? でも、アメリカでは、自分で潔白を証明しない限り、負けを認めたことになるんです。言葉の面だけでなく、精神面でもかなり鍛えられました。
親が非常に厳しかったので、海外にいる間も、自宅では必ず日本語を話すように躾けられました。日本帰国後、漢字を覚えるのに苦労しましたが、逆カルチャーショックにも戸惑いました。それまで、「アメリカ人にならないといけないんだ」と思って必死に生きてきたわけじゃないですか。昔の友人は、私の変わり様に驚きを隠せないようでしたし、学校でも、先生が何かを質問する度に手を挙げる私は、奇異の目で見られていましたね(笑)。

海外の大学に進もうとは思いませんでしたか?
アメリカの大学への進学を希望していましたが、家庭の事情もあり、日本の大学に進むことにしました。しかし、日本に帰って大学を出たとしても、自分に何ができるんだろうという思いもありました。そんな時、頭の中に辞書が丸ごと入っているような女性に出会ったんです。妹の家庭教師なんですが、何がすごいかというと、どんな言葉に対しても4ー5通りもしくはそれ以上の意味を知っているんですよ。不思議に思って聞いてみたところ、彼女は通訳者でした。そこで初めて「通訳」という職業があることを知りました。私も語学を生かした職業に就きたいと思っていたので、彼女の話を聞くうちに、「私も通訳になるしかない! 」と思ったんです(笑)。高校2年生の時の話です。

大学時代に通訳デビューを?
大学では、最初に逐次通訳のクラスを受講しました。その後、通常は3年生からしか受講できない同時通訳のクラスを、「どうしても通訳になりたいんです! 」と先生の部屋に押しかけ、2年生から受けさせて頂きました。
私の通っていた大学では、毎月各界の著名人を招いて講演を行っており、学生が同時通訳を担当することになっていたんです。3年生になった頃、先生からやってみないかと言われ、挑戦することにしました。これが私の通訳デビューです。今から考えると恐ろしいことですが......。とにかく必死でしたが、OJTを経験することの大切さを教えて頂きました。またその頃から、先生の薦めもあって、通訳学校にも通い始めました。自分では、もう私にはこの道しかない! と思っていたんですが、少しずつプロの方と組むようになってくると、自分のレベルの低さに愕然とするわけです。このままでは、卒業しても通訳者として食べていけるのだろうかと不安になり、モチベーションも少し下がってしまいました。
ところが、ある時「英語を使う仕事」という1ヶ月間のアルバイトを先輩に紹介されたことがきっかけで、また通訳熱がアップしました。英語を使うという条件だったのですが、ふたを開けてみたら、仕事はコピー取りとデータ入力だけ。「これはひどいじゃないですか」と先輩に言ったところ、「あなたはまだ知らないかもしれないけど、これが社会というもの。大学を卒業したら、最初はこういうことをやるんだよ」と言われたんです。これにショックを受けて、「あぁやっぱり私には通訳しかないわ! 」と思い直しました(笑)。それからは必死に勉強し、4年時には基礎知識を身につけるために、政治経済の科目を聴講しました。プロとしてやっていくためには、語学力以上に背景知識がないと話にならないと思ったんです。
もしかしたら、このアルバイトを経験しなかったら、今の私はないかもしれないなと思うんですよ。そう考えると、とても貴重な経験をさせて頂いたと思っています。

そして、ご卒業後はフリーランスとして本格的に活動を始められたのですね。
最初の頃は、通訳の収入だけでは生活できなかったので、翻訳も並行して請けていました。卒業して1年後に、NHKの二ヶ国語放送に通訳・翻訳者として入ることになりました。衛星放送の試験放送段階から随分と長いおつきあいをさせて頂き、ここでは、時事英語だけでなく、正しい日本語の使い方も学びました。新聞も必ず読むようになりますしね。並行して、他の仕事も少しずつ頂くようになり、基本的には今日までずっとフリーランスできています。

特に印象に残っているお仕事は?
FIET(国際商業事務専門職技術労連)という団体の、第7回アジア太平洋地域大会での通訳です。会議の最後に、当時のアジア太平洋地域会長が、任期終了にあたり退任挨拶をすることになりました。非常に感動的なスピーチで、通訳し終えた時に、皆さんが涙ぐんでいるのが目に入ったんです。あぁうまく伝わったようでよかったと思っていたところ、イギリス人事務局長がやってきました。今まで一度も通訳を褒めたことがないということで有名だったのですが、「今の通訳は本当に素晴らしかった」とおっしゃったんです。「会長のご挨拶が素晴らしかったからです」と申し上げたところ、「例えそうであったとしても、君の通訳がうまくなければ、オーディエンスがあれだけ感動することもなかっただろう」とおっしゃったんです。単純かもしれませんが、この時ほど通訳をやっていてよかった! と思ったことはありませんでしたね。

今だから言えるハプニングは?
「地獄の脱出」と私が呼んでいる出来事があります。20年も通訳をやっていると、いろんな出来事がありますが、このハプニングは今でも忘れることができません。約10年前に、ネパールで開かれたある国際会議での出来事です。エージェント側が手配してくれた飛行機チケットは、関西国際空港からカトマンズまでの直行便。現地の航空会社だったのですが、プロペラに毛が生えたような飛行機で、窓には蜘蛛の巣がびっしり、トイレは入れないぐらい汚いという環境でした。しかも、途中でいきなり「ガス欠になったので、緊急着陸します」とのこと! 着陸後、一旦外に出ないといけなくなり、「荷物を置いたままにしておくと盗難被害の恐れがあります」という機内アナウンスが流れました。私はTIME Magazineを座席に置いておいたのですが、戻ってきたら、見事に無くなっていました。
何とか無事に到着し、会議も残すところあと一日、帰りのチケットのリコンファームをしたところ、「飛行機はいつ飛ぶかわかりません。客席が満席にならないと飛びません」と言われたんです! そんな馬鹿な話があるわけがないと思っても、飛ばないものは飛ばないのです。日本代表として会議に参加していた人たちは、日本の航空会社を利用しているようで、そちらに変えてもらったほうがいいのではないかと言われました。そこで、24時間対応可と書いてある、ホテルの受付に行ってみると、コンシェルジュはいません......。何度か行って、ようやく出てきた! と思ったら、「チケット変更は受付けていません」の一点張り。日本の団体の人に相談したところ、そういう時は袖の下を使ってみるとうまくいくこともあるからということだったので、日本円で千円を渡したところ、すぐにチケットを用意してくれました。帰国前夜8時にチケットが取れ、何とか日本に帰国することが出来ました。ほんとに地獄の大脱出でしたよ! まさかこんなことになるとは思ってもみませんでしたし、エージェントも直行便の方が便利だと思って全て手配してくださったことでしょうから(笑)。でも、先輩たちはもっといろんな体験をしていらっしゃるようなので、私なんかは序の口かもしれません!

医学をご専門にしていらっしゃると伺いましたが。
主に得意としているのは、医学・IT・金融・運輸です。医学を始めたのは、通訳学校の先生に薦められたのがきっかけなんです。「帰国子女で英語の発音がいいから、医学用語を覚えるといいわよ」と言われたんです。医学用語は、頭文字一つで意味が変わってくるので、それを瞬時に聞き分けないといけませんし、発音にも非常に気を使います。でも、やってみると面白いですよ。また、もともと理数系が得意だったこともあり、特に抵抗なく入っていけたように思います。

朝比奈さんの、通訳者としての強みは?
英日、日英両方ともにバランスが取れていると言われます。皆さん、割とどちらか片方が優れていることが多いかと思うのですが、私の場合は、両方ほぼ同じレベルだと思っています。英語はネイティブなので日英もスムーズに訳出できますし、英日は、大和言葉で訳すため、企業のトップの方には、すごく聞きやすいとお褒めの言葉を頂きます。
二つ目は、声のトーンです。これは生まれもったものかもしれませんが、私の声は、マイクを通すとすごく聞きやすいそうです。NHKで通訳をしていたときには、ラジオやアナウンサーの仕事をしませんかと声をかけられたこともありました(笑)。声が高い通訳者は、意識して低い声を出すようにしていると聞くので、そういう意味では私はラッキーなのかもしれません。
また、20年間この仕事をやっているので、ほぼどの分野にも対応できるということでしょうか。例えば、金融だと言われて現場に行ったら、ITの知識が必要だったということもあるので、オールマイティに対応できるということは大事かもしれませんね。

一週間の大体のスケジュールは?
最近のテーマは「ロハス」なんです(笑)。春秋のような繁忙期は、週5日フルで仕事を入れていますが、普段は平均して3-4日ですね。医学は、土日や平日夜の会議が多いので、うまく組み合わせて週2日は休むようにしています。準備時間も必要ですしね。空いた時間は、陶器の絵付けをやっています。ブラジルにいた頃にもやっていたんですが、今年からまた学校に通い始めました。

もし通訳者になっていなかったら?
もし、アメリカの大学に進んでいたら、数学の方面に行っていたんじゃないかなと思います。研究所にいたか、もしくは大学教授かな?

通訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。
通訳には、9:1の法則があります。90%が準備に充てる時間で、10%が当日のアウトプット。これで評価されるんです。つまり、事前準備を最大限やって、当日自分の力をどこまで発揮できるかということ。ただ、この9:1の法則が、人によって当てはまらないこともあるように思います。もちろん、皆それぞれ生活におけるプライオリティが異なるので、仕方がないことかもしれません。家庭を大事にする人もいるでしょうし、子供が小さいから勉強時間が取れないという方もいらっしゃいます。でも、もしあなたがまだ駆け出しの通訳者なのであれば、最大限準備しないと、経験がない分当日苦労します。また、一緒に組む通訳者にも迷惑をかける可能性があります。もちろん、準備する必要がないぐらいスキルがある人なら別ですが、なかなかそのようにはいきませんよね。例えば、ブースに入ってから、封も切っていない資料を取り出すのを目にした時などは、びっくりしてしまいます。どんな理由があるにせよ、準備をしないということは、お客様に対して一番失礼なことです。通訳は、簡単にできる仕事ではありませんから。もし、事情があって準備時間が充分に取れない場合は、仕事を制限することもプロとして必要だと思います。どんな仕事でもそうかもしれませんが、あまりに簡単に通訳という仕事を捉えている人が多いように思います。日本人の英語力は相対的にアップしているので、わざわざ通訳を依頼するということは、それだけのものが求められているということなんです。
昔から先輩に言われてきたことは、「10年でやっと一人前」ということ。まずは10年やってみなさい、努力しなさい、ということです。その後、どうやって自分がレベルアップし、通訳者として生き残れるかというのは、また別の話。でも、まずは10年。長期的な視野をもつことです。

編集後記
プロとは朝比奈さんのような人のことをいうのでしょう。特に、最後のアドバイスには、これから目指す人だけでなく、現役通訳者にとっても貴重なメッセージが満載です。「9:1の法則」、これは通訳だけでなく、どんな事にも言えることかもしれません。通訳者の皆さん、未来の朝比奈さんを目指してがんばってください!
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Vol.38 「Every experience is a success」

【プロフィール】
下澤礼子さん Reiko Shimozawa
幼少から学生時代を米国、ブラジル、日本にて過ごす。国際基督教大学大学院行政学研究科在学中に米国交換留学。同大学院修了後、カリフォルニア大学サンディエゴ校教職課程入学。同過程修了後、米国で小学校教諭に。日本帰国後、企業内通訳・翻訳者として経験を積み、現在はフリーランス通訳・翻訳者として活躍中。

小さい頃、海外にいらっしゃったようですが。
3歳半から小学校3年までをアメリカで過ごしました。初めての海外滞在です。とはいっても、何しろ幼かったこともあり、特に何か苦労したという記憶はなく、割とすんなり現地の生活に馴染んでいたようです。逆に、日本に戻ってきてからの方が苦労しました。日本語は、聞いて分かるものの、発話となると思うようにいかない部分があったもので。また、当時はまだ「帰国子女」という言葉もそれほど浸透しておらず、私のような存在は珍しかったようです。外国語、というものを初めて意識したのはブラジルに行った時です。当時、私は中学3年生だったのですが、この時初めて「言葉が通じないところに行くんだ」と自覚したことを覚えています。ブラジルでは、アメリカンスクールに入ったのですが、9歳で日本に戻ってからは全く英語を話していなかったので、英語もほとんど覚えていません。最初の6ヶ月間は英語が話せず、授業中もぽかんとしていることが多かったですね。

大学ご卒業後の進路は?
大学に入った頃は、卒業後は外資系の会社に入って、バリバリ働きたいなぁと漠然と考えていました。しかし、何しろ社会に出たことがないので、一体世の中にどういう仕事があるのかも分からないわけです。その後いろいろ考えるうちに、国際公務員の仕事に興味を覚えました。ただ、応募資格として、大学院を修了していることが必須だったので、就職せずに大学院へ進みました。翌年に、交換留学でアメリカに行ったのですが、ここで私の人生設計は大きく変わってしまったんです(笑)。

一体何が起こったのですか......?
本来の留学目的は、修士論文を書くための資料集めと研究だったのですが、せっかくアメリカに来たのだから、ここでしか勉強できないこともやってみたいと思ったんです。そこで取ったのが、バイリンガル教育のクラス。そして、結果的には国際公務員ではなく、教育の道に進んでしまったわけなのです。私の人生って、振り返ってみると結構寄り道が多いんですよね(笑)。
 大学院修了後は、カリフォルニアの公立小学校で5年間教員として過ごしました。担当したのは、英語・スペイン語クラスの子供たち。初めての社会人経験が海外、しかも教師ということで、今から思えば大変なことも多かったのかもしれませんが、怖いもの知らずだったんでしょうね。与えられたカリキュラムをそのままこなすだけでなく、自分なりに独自のプログラムを考案しましたが、そういうことも含めて自由にやらせてくれた校長には感謝しています。

その後、日本に帰国されたのですか?
思うようなタイミングで永住権が取れなかったことと、アメリカで過ごすうちに、だんだん日本の生活が恋しくなってきたんです。最初は年に一度しか帰国していませんでしたが、「あぁ、そろそろ桜の季節かなぁ」と日本の四季を懐かしむようになってきたので、一旦帰国することにしました。さて、日本で何をしようと考えた時に、大手企業の英語教育関係プロジェクトをたまたま新聞で見かけて応募しました。ところが、入社した時点で、私が担当するはずの仕事の準備がまだ会社で整っていないということで、それまで翻訳・通訳を担当することになったんです。今まで専門に勉強したことはありませんし、できるだろうかと不安でしたが、とにかく挑戦してみることにしました。ただ、今思うと、この時は「受身の状態」で仕事をやっている部分がありました。現場の状況も、プロジェクトの進捗状況も分からないまま、ただデスクでじっと座って待っているという時間が長かったことだけは覚えています(笑)。とはいえ、パワーポイントの翻訳方法もここで教えてもらいましたし、弱かったパソコン操作もかなり鍛えられました。時には、ミーティングで通訳をすることもありました。
数ヵ月後に、本来私がやるはずだった仕事に就いたともあり、この時は将来通訳・翻訳でやっていこうとは思っていませんでした。しかしその後、プロジェクト自体が解散になってしまい、私は路頭に迷うことになるわけです。お恥ずかしい話、通帳の貯金残高が家賃一ヶ月分になってしまい、これではいけないと、エンターテイメント関係の通訳・翻訳業務に応募したんです。

通訳・翻訳の仕事が面白くなってきたのはいつ頃からですか?
通訳に関していえば、このプロジェクトからです。毎日いろんな刺激があり、現場だけでなく、会議で通訳する機会もたくさんあったので、楽しかったですね。また、平行して通訳学校に通い始めたこともよかったと思っています。仕事で大変なことがあっても、通訳学校に行くとちょっとほっとしたことを覚えています。

今までで印象に残っているお仕事は?
これはつらかった、という意味で印象に残っている仕事があります。ホテル関係のプロジェクトに通訳として入った際、イギリス人上司の健康診断に付き添うことになったんです。実際には、私は待合室で4時間ほど待っているだけでよかったのですが、終わってからが大変! 郵送されてきた健康診断の結果を、英訳してくれと頼まれたんです。急ぎのものではないからと言われたものの、正直他人の健康診断の結果を訳すというのは、あまり気持ちのよいものではありません。しかもすごくリアルだったもので......。

通訳・翻訳だと、どちらが好きですか?
最初は通訳の方が好きだったんですが、そのうち翻訳も同じぐらい好きになってきました。今は、どちらかというと、翻訳の依頼がたくさん入っていることもあり、楽しんでやっています。以前は、短期速成型だったため、通訳の方がすぐに頭を切り替えられてよかったのですが、翻訳をやっていると、だんだんリサーチするのが面白くなってきました。分からないな、と思っても、じっくり考えられるところがいいですね。

下澤さんの強みは?
月並みなことかもしれませんが、長く海外に住んでいたこともあって、ちょっと違った角度から物を見ることができます。また、翻訳においては、読み手を意識した訳を出せるということでしょうか。英語が透けてみえるような翻訳は一番避けたいところですが、例えば、単に日本語に置き換えただけでは辻褄が合わず、ちょっと分かりにくいかもしれないというところは、補足で注釈を必ず入れるようにしています。ただ、あくまでもこれは私の判断ですので、そのまま使うかどうかはクライアントの判断にお任せしています。

今後のキャリアプランは?
翻訳の面で言えば、今は圧倒的に企業の社内・社外文書翻訳が多いので、いつか自分の興味がある本を一冊訳してみたいと思っています。ただ、今はそういったものを自分から探す余裕がないので、あくまでも将来的なことですが。ビジネス文書の場合は、納期が短く、いつも期限に追われている感があるので、何かじっくり長期間取り組めるものがあれば、きっとまた別の楽しさを味わえるのではないかと思っています。
また、趣味でやっているカリグラフィーを何らかの形で仕事に繋げることができればいいですね。

日々心がけていること、スキルアップの秘訣は?
毎日何らかの形で、英語に触れるようにしています。仕事と関係なくとも、興味があるものであれば、ちょっと翻訳してみることもあります。自分の力を維持するためにも、常に勉強していくことが必要だと思っています。

現在のスケジュールは?
通訳が月に1ー2回、その他は翻訳が入っています。また、毎週火曜日は朝からカリグラフィーのクラスを受け、午後はリフレッシュの時間と決めています。水曜日は、最近始めたフラダンスに通っています。カルチャースクールのような感じなのですが、気分転換ができて、とても楽しいです。もちろん、火曜・水曜に仕事が入れば請けていますし、その辺は柔軟に対応しています。週末は、最近引っ越したばかりなので、主人と近所を探索などしてプライベートの時間に充てています。
結婚式のウェルカムボードもご自分で!

もし通訳・翻訳者になっていなかったら......?
もし、あのままアメリカにいたら、教育関係の仕事をしていたのではないかと思います。日本に戻ってきた時に、企業内トレーナーになることも考えたんです。アメリカでは、教育現場出身の人がなる場合が多いのですが、日本では、むしろ企業経験を問われてしまうのでご縁がありませんでした。思えば、私は随分遠回りをして、通訳・翻訳者になったんですよね!

これから目指す人へのアドバイスをお願いします。
'Every Experience is a success.' この言葉を送ります。好きな作家の言葉なのですが、どんな些細なことや、失敗さえもマイナスではないということです。全て何らかの形で成功につながるのですから。失敗やつらい経験は、記憶に長く残るものですが、それも全て経験だと受け入れて前に進んでいく気持ちを持ってほしいです。その気持ちさえあれば、どんなことでもきっとがんばれるはずです。
仕事に対する心構え。左側を縦に読むと......?

編集後記
インタビュー後日、下澤さんから嬉しいメールが届きました。友人である大学教授の研究書を翻訳チェックすることになったのだとか。「書籍の翻訳に一歩近づいた気がします」、とメールにありましたが、これも下澤さんの翻訳力があってのこと。近い将来、下澤さんの翻訳書が書店に並ぶのを今から楽しみにしています!

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Vol.37 「飛びこむ勇気」

【プロフィール】
結城ヘンリエッタさん Henrietta Yuki
Skidmore College古典・考古学学科(米国)在学中より翻訳業務を開始。大学卒業後、日本帰国、米国スポーツ番組放送局の日本関連企業に勤務。その後、ロンドンにてローカライズ業務に携わり、現在はフリーランス通訳・翻訳者として活躍中。クリエイティブ関連を得意としている。

言葉に興味を持ったきっかけは何ですか。
母親がスウェーデン人なので、子供の頃から日本語、英語両方話すように育てられました。インターナショナルスクールに通っていたこともあり、世界には複数の言語があるんだということを幼い頃から意識していたように思います。こういった環境から、自然に言葉に対する興味が芽生えたのかもしれません。実は、10歳頃から通訳のようなことをやっていたんですよ。父親は全く英語を話さないため、海外とビジネスをする場合は、いつも私が通訳担当だったんです。不思議に聞こえるかもしれませんが、私自身、通訳や翻訳を仕事というよりも、もっと日常的なこととして捉えていたような気がします。

高校卒業後に米国留学を?
インターナショナルスクールでは、ほぼ英語で教育を受けていたこともあり、米国大学への進学を決めました。初めての海外長期滞在に加え、多感な時期だったということもありますが、今思い出してもあの頃は本当にわくわくするような毎日でした。いろんな意味で自由だなと感じる反面、すごく実力主義だなという印象を受けました。語学面での不安はありませんでしたが、文化面においてはカルチャーショックを受けました。一番驚いたのは、食生活。毎日がハンバーガーのような濃い食事だったので、慣れるのには苦労しましたね。また、アメリカ人の積極性には最初戸惑ってしまいました。それから、私は幼稚園から18歳までを女子校で過ごしましたが、ここに来ていきなり共学! かっこいいお兄さんがたくさんいて、ここは外国、そして周りは皆外国人という状況下では、最初のうち授業に集中するのも一苦労でした(笑)。合計4年滞在し、在学中にはイタリアにも短期留学しました。振り返ってみると、米国での経験は、私にとって通訳・翻訳者になる上での重要な基盤を作ってくれたような気がします。

大学卒業後の進路は?
日本に戻り、米国スポーツ番組放送局の日本関連企業に就職しました。大学卒業後もそのままアメリカに残りたかったのですが、ビザの関係上難しかったこと、また私は一人娘なので両親の傍にいたいという気持ちがありました。
語学を生かせる仕事に就こう! と考えていたわけではありませんが、働いているうちに、「君、英語できるよね? じゃあこれやって」と言われることが多かったように思います。新入社員の私は、「よぉし、これからバリバリ働くぞ! 」と鼻息も荒かったのですが、元来がんばりすぎてしまう性分のため、だんだん自分にプレッシャーをかけすぎて体調を崩してしまいました。そこで、一旦会社を辞めフリーランスで活動することにしました。在宅でビデオゲームの翻訳をメインにやっていたところ、イギリスのゲーム関係企業から契約社員として働かないかと声をかけられて、2年間ロンドンにてローカライズ業務を行いました。そして、その後またフリーランスに戻って現在に至るというわけです。

お仕事で苦労したことは?
数え切れません(笑)。今思えばかなり無謀だったんですが、雪山でのスノーボードイベント通訳は忘れられません。海外から約50名のライダーが参加し、通訳は私だけ。10日間ずっと私は彼らについて通訳をするわけですが、体力的に相当きつかったです。例えば、夜中の2時半にいきなり携帯が鳴って、何事かと慌てて飛び起きると、「鍵を亡くして部屋に入れない! 」とのこと......。何だそんなことかと思いたくもなりますが、相手が外国で言葉ができずに困っている様子を想像すると、放っておけず、大急ぎでメイクをして現場に向うということの繰り返しでした。

一番印象に残っているお仕事は?
スティービー・ワンダーの通訳です。'August in Hiroshima'という野外イベントで、1週間彼について通訳することになりました。子供の頃から大ファンだったので、まさかこのようにして本人に会えるなんてと緊張しっぱなしでしたが、あの1週間は最高の思い出です。

フリーランスで働くことのメリットは?
なんといっても、時間が自由に使えることでしょうか。会社勤めを経験しているからこそ思うことかもしれませんが、ラッシュアワーの電車や、定時に帰れないと嘆くこともありません(笑)。また、いろんな分野を経験できるというのもいいですね。不思議に、フリーランスになってからの方が、仕事を楽しむ余裕もでてきた気がします。

翻訳は、主に日英を? 通訳・翻訳の比率は?
基本的には日英しか請けないことにしています。普段日本語で話し、通訳する分には苦労しませんが、文章となるとまだそこまで自信が持てませんので。通訳・翻訳の比率は、半々でしょうか。通訳が毎日入っている時もあれば、翻訳が大量にきて自宅に缶詰めになることもあります。フリーランスは仕事が確約されているわけではないので、急に何日か仕事がない日があると不安になりますが、だからこそ上を目指してがんばろうと思えるのかもしれませんね。個人的には、通訳も翻訳もどちらも好きなので、今後もうまく平行して続けていければと思っています。

ヘンリエッタさんの強みは?
体力です。かなりタフなので、多少の無理はなんともありません。それから、英語も日本語も大体同じレベルで使うことができるということでしょうか。文化間の差も理解できるので、クライアントが外国人の場合は特に喜んで頂けることが多いかもしれません。

ストレス発散法、ご趣味は?
キックボクシングです! 仕事上、ストレスを抱えることが多いので、そんなときは外に出て身体を動かすのが一番です。母娘でスタジオに通っているんですよ。かなりハードですが、このくらいやらないと、がちがちに固まった頭を柔らかく戻せないんです。
 趣味は、ドライブと映画。それから、自分から何かを発信することが好きです。アドレスは秘密ですが、ブログも書いているんですよ。童話や脚本も書いていて、将来何か形になるといいなと思っています。

将来のキャリアプランは?
何かを発信していくようなことができればと思いますが、通訳・翻訳はこれからもずっと続けていくつもりです。子供ができても、いつまでも続けることができるというのがいいですよね。更にスキルアップを目指しつつ、幅広い分野で活動できればいいなと思います。

もし、通訳・翻訳者になっていなかったら?
本を書いていたかもしれません。他にもやりたいことはたくさんあって、例えば、サーカスに入団したいなとも思うんです。もしくは、何でもいいので身体を動かす仕事!

最後に、これから目指す人へのアドバイスをお願いします。
今後、「英語ができる人」の数はますます増えると思います。だからこそ、付加価値を身につけて頂きたいです。ただ単に、英語ができますとか、バイリンガルということでは通用しません。そこに何かプラスアルファがないと。
それから、できることなら仕事は楽しく。勉強はもちろん大事ですが、あまり頭ががちがちになりすぎないようにすることも必要だと思います。なんといっても、「やったもん勝ち」です。いいのでしょうか、ここまで言い切って(笑)? でも、こういう度胸が一番大事なんですよ。もしかしたら、これだけが私の取り得なのかもしれませんが?!
7つ道具。

編集後記
ヘンリエッタさんが入ってきた瞬間に、ぱっと部屋が明るくなりました。自然体で気さくなお人柄に加えて、リズム感あふれるトーク、まさにコミュニケーションの達人! 最後に、言葉ができるだけではだめなんだとおっしゃっていた姿からは、プロとしての顔がうかがえました。

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Vol.36 「きっかけは身近なところに転がっている」

【プロフィール】
小竹真理子さん Mariko Kotake
経歴:慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、大手証券会社国際部に秘書として勤務。1988年より在宅翻訳を開始、機械関係を中心に、通訳者としても経験を積む。その後、オンサイト翻訳を経て、現在はフリーランス通訳・翻訳者として活躍中。その傍ら、某米国ベンチャー企業の東京事務局長も務め、子育てと共に多忙な毎日を送る。

英語との出会いは?
言葉に対する興味は、昔から強かったと思います。小学生ながら、机の上には必ず国語辞典を置いておかないと気がすまないような子供でした。新しい言葉に出会うと、「ねぇ、それどういう意味? 」と尋ねていましたが、親や学校の先生に聞いても満足のいく回答が得られない場合もあり、それなら自分で調べてみるかと。「分からない」ということが、ものすごく歯がゆかったんだと思います。
英語との初めての出会いは、テレビ番組「セサミストリート」です。初めて日本で放送を開始した時に、母親が見せてくれた番組なんですよ。画面に様々な三角形が次々と出てきて、'triangle'という音が聞こえてきたんです。「トライアングル......? じゃあ、音楽で使うあのちーんと鳴らす楽器も三角形だからtriangleというのか」と、外国語の音と物が初めて頭の中で合致した瞬間でした。そこから興味を持ちましたが、実際に英語の勉強を始めたのは中学校からです。成績がいいわけでもなく、発音も苦手でした。「あぁ、今日は当たらないといいなぁ」と毎回思っていたんですよ(笑)。

大学ご卒業後の進路は......?
法学部だったこともあり、大学ではそれほど英語そのものを勉強しませんでしたが、外国映画や洋書にどっぷり漬かっていました。映画に関しては、小学校の頃から毎日欠かさずテレビで洋画劇場を見ていました。今のように、ビデオやDVDが流通している時代ではないので、私にとっては非常に貴重な番組だったんです。洋書を読み出したのは、18歳頃からです。といっても、'Charlotte's Web'のような児童書で、本人は英語が出来るつもりでいるんですけど、実際はそうでもなかったという時代です(笑)。
卒業後は、証券会社に入りました。女性の総合職一期生のような時代だったので、四年制大卒女性の採用はほとんどなかったんです。何十社と受けても不採用の連続で、ある時もう履歴書に貼る写真が無くなってしまいました。仕方なく、その辺で適当に撮ったガハハ笑いのスナップ写真を貼り付けて送ったら、なんと採用! それが、証券会社でした。国際部担当役員の秘書だったので、英語の文書を読んだり、国際電話の対応をしたりと、少しではありましたが英語に接する機会はありました。

通訳・翻訳の仕事をするようになったきっかけは?
結婚して静岡に越したので仕事はやめましたが、何か自分で出来ないかと模索する日々が続きました。そんな時、登録していた派遣会社から連絡があり、「某大手企業の静岡工場で新プロジェクトが立ち上がるから、通訳として入りませんか? 」と言われたんです。耳を疑いましたね(笑)。要するに、東京から毎回高いお金を出して通訳を雇う余裕はないから、誰か静岡で英語が出来る人間はいないか? ということだったらしいのですが、当の本人はびっくり。
 最初は本当に分からないことだらけで、言っていることの半分も理解出来ませんでした。工場なので、エンジニアが何をやっているかは目で見れば分かります。でも、通訳が必要とされるのは、もっと細部についてなんです。専門的な化学用語に泣きましたが、ここで鍛えられたお陰で、その後は技術用語が苦にならなくなりました。いろんな人に助けられ、育てて頂いたと思っています。少し慣れてきたかなと思っていた頃、「オランダでプロジェクトが立ち上がるから、翻訳をやってくれないか」と頼まれました。普通であれば、こんな素人に専門的な翻訳を頼むはずがないのですが、たまたまいいタイミングだったんでしょうね。この偶然が重なったお陰で、今の私がいるんですよ。ここで学んだことは、今でも非常に役に立っていて、本当に貴重な経験をさせて頂いたと思っています。

それをきっかけに、この世界へ?
そうなんです。プロジェクト通訳の経験が目をひいたのか、その後は息つく暇もないぐらいに、いろんな仕事を紹介して頂きました。中でも某IT企業での仕事は非常に印象に残っています。オンサイト翻訳者として入りましたが、ちょうどPC98がヒットする直前で、マッキントッシュになるのか、ウィンドウズになるのか、そしてIBMまでOS開発にのりだしたりと、とても面白い時期でした。当時はまだワープロが優勢で、もちろん家庭にはパソコンなんて普及していませんし、マウスは研究対象の人しか使えなかったんです。そんな時に、いち早く最新機器に触れることが出来たことは私にとって大きな財産です。もちろん、最先端の機器を扱っているわけですから、文系畑の私にはちんぷんかんぷんなこともたくさんありました。そんな時は、周りのエンジニアの方に助けて頂き、代わりに私が彼らに英語での交渉術を伝授するなど、面白い関係が成り立っていました(笑)。振り返ってみると、当時は子供も小さく毎日バタバタしていましたが、刺激的な毎日でした。

その他に、印象に残っているお仕事は?
オペラの通訳です。未知の世界を垣間見ることができ、とても思い出深い仕事です。使う用語も新鮮で、例えば「金魚鉢」という言葉。舞台の向かいには、照明や音響を管理するオペレーティングルームがあり、そこを「金魚鉢」と呼びます。ある日、その金魚鉢に芸術家っぽい雰囲気の人がやってきたんです。一体この人は何をする人かしらと思っていたら、なんと「キュー」出しをする人だったんですよ。場面ごとの照明は、プログラムを組むのでボタン1つで切り替わりますが、舞台の進行スピードは当日の指揮者の振り方によって異なります。そのために、金魚鉢の中では指揮もできるような人がスコアブックを追い、キューを出すんです。こういう仕事もあるのか! と感激しました。また、リハーサルのためのピアノ伴奏者や、コーラスのみの指揮者がいることも初めて知りましたし、本番の指揮者は、最後のドレスリハーサルになって初めて現れるということは驚きでした。本当にいろんな人が関わって、一つの舞台が出来ているのだなぁと感動し、オペラがなぜあんなに高いのかということがようやく分かりました(笑)。
そうそう、この間私もキューを出したんですよ! ある大きなイベントで、外国人スピーチの際にスライドを使用したのですが、舞台裏のオペレータが英語が分からず、どのタイミングでスライドを替えていいのか分からないということで、私がスピーチ原稿を目で追い、キューを出すことに。楽しかったですが、そのスピーチには笑いを取るところがあり、タイミングを間違えると台無しになるので責任重大でした。

子育てと仕事の両立は?
まさにこれからキャリアを積もう! と思っていた矢先の妊娠でしたが、ここが踏ん張り時だと思いました。私が人に自慢できることがあるとしたら、「諦めないこと」でしょうか。ダメかもしれないとは思わないんです。例えば、子供が病気で預け先もないという時でも、「きっと誰かいるはずだ! 」と考えるんですよ。以前、どうしてもやりたかった仕事がありましたが、その仕事を請けてしまうと保育園のお迎えに間に合いません。でもどうしてもやりたい! そこで考えたのは、「近所の人にお金を払って預かってもらう」という荒業。そうと決まればやるしかないと、上の子供の小学校名簿を引っ張り出してきて、預けられそうな人に片っ端から電話をかけました。結果、2人のお母さんでシフトを組み、お迎えをして頂くことが出来ました。
私の場合、いつも直感で「大丈夫」と思うので、仕事が出来なくなるかもしれないと不安になったこともなく、遊びや楽しみも大事にしたいので、二人目の子供がお腹にいる時なんて会社を休んで海外旅行に出かけました。感じ方に個人差はあるかもしれませんが、子供は大きくなりますから、あぁもう大丈夫と思える時が必ずくると思います。それまでは仕事復帰の日を待ちつつ準備をするのもといいと思います。もう無理だ、とは思わずに長い眼で見るといいのではないでしょうか。
出産を決めた時に、「キャリアを無駄にするのか」と言われたこともありましたが、今ここで産まなければ絶対に後悔すると分かっていましたし、実際に産んでよかったと思っています。例えば、仕事を「正社員」というくくりで考えるのであれば、私は成功例ではないかもしれませんが、通訳・翻訳においては何よりも実績が物を言います。また、私の場合は出産によってキャリアに傷がついたということはなく、逆に仕事を呼んできてくれたような気がするんですよ。

子育てにおける、オンサイト・在宅、それぞれのメリットをお聞かせ下さい。
在宅のいいところは、常に緊張感があること。これがダメだったら、次はこないかもしれないと思っていつも仕事をしています。毎回分野も異なる上に、限られた時間で最大のパフォーマンスを出さないといけません。夜中に出来るということも、子育て中にはちょうどいいですよね。インハウスの場合は、保育園のお迎えがあるので、毎日午後5時には会社を出る必要があり、そこまでに必ず仕事を終わらせないといけないわけです。午後6-7時まで会社にいられる人には、そこまでの緊張感はありませんよね。終わらないと帰れない、でも子供は待っているということで、常に高い緊張感と集中力を保つことが出来たと思います。いずれにしても、限られた時間でやるからこそ、濃密な時間を過ごせるのではないでしょうか。

今後のキャリアプランは?
実は5年ぐらい前から、シリコンバレーにあるベンチャーキャピタルの東京連絡事務所を担当しています。だんだんネットワークも広がってきているので、将来何かここからつなげていければいいですね。私はIT専門の技術者ではありませんが、新しいビジネスに関われるのは、なんとも胸躍ることなんです。通訳・翻訳の仕事もこのまま続けていきたいので、ビジネスと両方で良い方向に進めていければいいなと思います。

ご趣味は?
映画、料理、そして食べることです。ジムにも通っています。体力はつけないといけませんからね!

もし通翻訳者になっていなかったら?
体力系の仕事をしていたような気がします。高いところが平気なので、とび職とかがいいかもしれません。そういえば、以前ある仕事を依頼されたのも、高いところがこわくなかったからなんです。他の通訳さんは、高いところに上って通訳するのがこわいがために、下から通訳していたらしいんですよ。私はそういうことが全く苦にならないので、重宝がられたようです。契約終了の時には、「もっといてくれる? 」と言われましたし、本当に何が幸いするか分からないですね。

これから目指している方へのアドバイスをお願いします。
通訳、翻訳という言葉に少しでも反応した時点で、もう道は開けていると思うんですよ。例えば、私が他の職業に食指が動かないのは、「出来ないから」ではなく、やっぱり何か理由があるからだと思います。ですので、通訳という言葉に「ぴきぴーん! 」と反応したということは、可能性があるということです。ただ、それを「出来る」というところまで持っていけるかどうかですよね。
これを読んでいる方の中で、何もしないうちから、あれこれ頭で思い悩んで、勝手に高い敷居を設けている人はいませんか? 通訳学校を卒業したからといって、仕事が来るわけではありません。ただ待っているだけでは、「あなたは通訳です」と太鼓判おして仕事をくれるところはありません。もちろん、最初は暗中模索かもしれませんが、見晴らしの良いところにたどり着くにはにどうしたらいいか、試行錯誤してみてください。勉強が足りない、英語力が足りないということから仕事を眺めると、とてつもなく遠いかもしれません。でも、今の自分の実力で何か出来ることはないだろうかと考えてみると、また見え方が変わるかもしれませんよ。もちろん、仕事をしていく中で痛烈に自分の力の無さを感じる時もあるかもしれませんが、その時はそこから勉強して、次こそはと思うんです。私は今もその繰り返しです。

編集後記
カッコイイお母さんです! 「諦めないことが自慢です」とおっしゃっていましたが、必ずや何か道はあると信じて進む姿勢は本当に素敵でした。努力と成功は比例するのですよね、私までも背中を押してもらった気がします。
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