HOME > 通訳 > 通訳者インタビュー

Training Global Communicators

Vol.34 「自然体で」

【プロフィール】
三井聡子さん Satoko Mitsui
経歴:小学校から高校1年までを米国にて過ごす。日本大学芸術学部卒業後、数社にてオンサイト翻訳に従事。その後、通訳者としての活動も始め、現在はフリーランス通翻訳者として活躍中。2006年4月からは、外資系広告代理店にて、通訳者として勤務予定。

帰国子女だと伺いましたが。
米国に10年いました。小学校から高校1年生の終わりまでです。それまで日本で生活していたので、突然米国行きが決まった時は、母親もびっくりしたのではないかと思います。親や姉は、現地の生活に馴染むのに苦労したようですが、私は小さかったこともあって、割とすんなり溶け込んでいたようです。「アメリカにいるなら、英語が話せないと」という親の方針で、日本語教育に関しては二の次でした。姉とは英語で会話していましたし、親とは日本語で話すものの、分からない言葉は英語で話してしまうので、ほぼ日本語とは無縁の生活を送っていたのではないかと思います。

帰国後、日本語で苦労したのではないでしょうか。
相当苦労しました。ファーストフード店に入っても、店員の話している言葉が理解出来ず、注文すら出来ない状態でした。パニックになって、最後には日本人ではない振りをして、全て英語で通していました。テレビはほとんど理解出来ないし、通っていた高校は帰国子女が多かったので英語のまま、親とは変な日本語でも通じるので、日本に戻ったとはいえ、あまり日本語を使わない2年間を過ごしました。
状況が変わったのは、大学に入ってからでしょうか。ここでは、英語を話す人がおらず、逆に「どうしてこの人、日本語が話せないんだろう」と奇異な目で見られたのがくやしくて、必死に勉強しました。でも、英語と日本語のバランスがとれてきたのは、ここ数年のことですね。大学では日本語しか使わなかったため、英語力が低下してしまい、会社に入ってから自分の英語力に愕然としたこともあります。通訳翻訳を始めてからは、日本語も英語も日常的に使うようになったので、今の状態がちょうどいいのかもしれません。

大学卒業後に翻訳を?
アート関係に進みたくて、高校の頃からアトリエに通っていましたが、芸術の世界で食べていくのは相当難しいですよね。そんなこともあって、大学時代にアルバイトをしていた外資系人材紹介会社に入社することになりました。ここで初めて、翻訳を経験したんです。HPの翻訳や、日英両方向で記事を書く作業を任せられ、非常にやりがいがありました。もともと、文章を書くのが好きだったこともあり、翻訳をしていると、「ここには、こういう言葉を使うといいんじゃないか」と考えたり、適切な表現を自分で思いついた時の快感に酔いしれたりと(笑)、毎日がとても楽しかったのを覚えています。この頃から、翻訳で生きていけたらいいなと思い始めました。
ただ、英訳は評判がよくても、和訳はかなり不評でした。自分でも、日本語力がないことは分かっていましたが、「和訳は他の人に頼むよ」と言われる度に、自分のプライドも傷つきましたし、くやしかったんです。それまで、英語の本しか読んだことがなかったのですが、それからは日本語の本や新聞を読むようになりました。

その後は?
子供が生まれたので、仕事を辞めようかと考えていた時に、会社から「残ってくれるなら産休を取っていいし、好きな時に戻ってきなさい」と言われたんです。しかも、お給料まで上げて頂けるというので、これは残るしかないな!と(笑)。ただ、復帰1年後、会社合併により翻訳の仕事が無くなったため、転職することにしました。
当初の最終目標は、在宅翻訳者になることだったので、オンサイトで経験を積むのが一番だと思いました。当時も自宅で仕事を請けていましたが、もっとスキルを磨く必要があると感じていました。子供も1歳になったばかりだったので、将来的に在宅翻訳が出来れば、子供との時間ももっと作れるだろうと思ったんです。その後入った会社もすごく理解があるところだったので、定時に会社を出て帰宅、ご飯を作って子供をお風呂に入れて、そして夜は翻訳という毎日でした。今から思うと、よくやったなと思いますが、体力があったからこそかもしれませんね。

その後、通訳をご経験されたのですね。
実はこの展開には自分が一番驚いています。私の中で、「通訳たるもの、ビシッとしたスーツを着て颯爽と歩いている女性に限る」、という感じだったので、そういう意味でも自分は無理だろうと思っていました(笑)。ところが、ある時知り合いに、「通訳が必要だが予算がない。聡子、通訳には興味あるか」と言われたんです。内容は、某大手外資系企業の戦略会議。二泊三日の泊まりこみです。知り合いの通訳者を紹介しようかと思ったのですが、皆バリバリの会議通訳者なので、金額が折り合いません。先方も、私が未経験なのは分かっていて、でもそれでもいいから、と言ってくださったので、「えぇい、一か八かやってみよう!」と思い切って請けることにしました。今から考えると、すごいですよね(笑)。
十数名の男性陣の中に入って、朝から夜の10時までウィスパリング。皆さん体育会系で、会議中も意見がまとまらないと、怒鳴りあいのようになるんです。私自身、これまでにないぐらいドキドキしているのに、そんなことはお構い無しで会議は進んでいき、一触即発のような緊張感が続いています。通訳初体験で、ものすごい洗礼を受けたのだと思います。
 これをきっかけに、少しずつ通訳経験を積んできてはいますが、あれほどハードで熱い会議はありませんね。逆に、最初が大変だった分、今はある程度までのハードさであれば、全く苦にはなりません。実際に通訳をやってみて、すごく面白かったんです。通訳していると、テンションも上がってくるし、「あ、私これ向いているかもしれない!」と思いました。

通訳学校に通おうと思ったのは?
何人かに、「通訳が向いてる」と言われたり、翻訳で入った会社で、「三井さん、通訳はやらないの?」と聞かれ、そのまま社内ミーティングに入らせて頂くようになったりと、あれよあれという間に、『なんちゃって』通訳をするようになりました。技術や経験は足りませんでしたが、やる気だけはありました。
他の通訳さん達とも話すようになり、通訳学校での体験談を聞いていると、一度行ったほうがいいのだろうなという気になってきました。OJTが一番だけど、学校で通訳技術を学ぶことも必要だと全員が言うので、それなら行ってみるかと。通訳学校初日は、驚きの連続でした。各机にヘッドフォンが置いてあって、授業では大量の資料を渡されるんです。大変なところに来てしまったなと思いました(笑)。授業はもちろんですが、ここで出会った仲間は、志が一緒だということもあって、私も大いに刺激されました。決して出来のいい生徒ではなく、クラス前日になってようやくノートを開いたり、当日に電車の中でテープを聴くという体たらくでしたが、学校では本当にたくさんのことを教えて頂きました。

今だから言える失敗談は?
忘れもしない、雑誌翻訳事件(笑)!担当者からは、「この中の3ページのみ翻訳をお願いします」と言われていたのですが、ついうっかりしていて、雑誌一冊まるまる私が訳すんだ、と勘違いしてしまったんですよね。翻訳を始めたら、悲鳴を上げたくなるぐらいの量で、どうやったらこれを3日で訳せるんだろうかと気が狂いそうになりました。何とか半分ぐらい訳し終わったところで、担当者に「本当にこれ私が訳すんですよね」と聞いたら、私の質問が悪かったらしく、「はい、三井さんの理解されている通りでお願いします」という返事だったんです。それで、あぁやっぱり全部訳すんだよなと思って、家事も食事もそっちのけで、翻訳して納品しました。納品後、担当者から慌てた声で電話がかかってきて、3ページだけでよかったということを聞いた時には、笑うしかありませんでした。もちろん翻訳料も3ページ分でしたが、これは当然ですね(笑)。

現在の通翻訳の比率は?
翻訳8割、通訳2割といった感じでしょうか。4月から、オンサイト通訳の仕事が決まったので、これからはもっと通訳に集中出来るのかなと思っています。実績も積めますしね。でも、今までと同様に翻訳も続けていきたいので、忙しい毎日になりそうです!

休日の過ごし方は?
最近車を買ったので、娘とドライブに出かけるのが楽しみです。プールにも通っています。自宅にいる時は、絵を描いたり、友人に頼まれた作品を作ったりしています。先日、友達の結婚式に作品を作ったら、お店の人が気にいって、買ってくださったんですよ!
また、10年前から毎年友人と山でパーティをやっています。山に、DJのターンテーブルやスピーカーを持ち込んで、一泊二日でテント泊。男性陣が機材・音響担当で、女性陣はデコレーションを担当します。デコレーションといっても、お金をかけられないので、新聞紙などを使って作るんですが、これが楽しくて!多分、こういうことで仕事とのバランスがとれているのだと思います。右脳も使わないといけませんね。
パーティの準備風景

将来のキャリアプランは?
今のうちに、やりたいと思ったことは片っ端からやってみて、少しずつ突き詰めていければ、「これだ!」というものが絞れてくるかなと思っています。翻訳を始めて6年になりますが、気がつくとマンネリ化して、同じような表現を使っている自分に気づくことがあるんですよ。そんな時に、上手な翻訳を見ると、あぁやっぱりまだまだだなと思います。そういう意味でも、これからも翻訳も通訳も両方続けていきたいですね。
 また、自分の作品がもし売れるのであれば、どんどん売りたいですし(笑)、サーフィンや山登りにも挑戦したい、そして世界一周旅行にも行きたいです。計画性がないのが欠点なので、「もう少し計画性のある人間になる」というのも、今後の目標の一つに入れておこうと思います。

もし、語学の道に進んでいなかったら?
旅する絵描き、でしょうか。毎年必ず1ヶ月お休みを頂いて、娘と旅に出かけているんです。昔から女性の一人旅にすごく憧れていて、19歳の時に「今ここで旅に出ないといつ行くんだ!」と思い立ち、青春18切符で沖縄まで行きました。とはいえ小心者なので、品川駅まで母が送ってくれたときには、「もういやだ、やめる」と泣きそうになりました。
お金を貯めて世界旅行に行くのが夢だったので、子供がいなかったら就職も考えていなかったかもしれません。通翻訳の世界にいることで、現実とのつながりを保っているのかもしれませんね。

これから通翻訳を目指す人へのアドバイスをお願いします。
とにかく、どんどん経験を積んでください。仕事を始めたばかりの頃は、「私で大丈夫かな」と不安になることもあるかもしれません。事実、私がそうでした。でも、その機会を逃すと次につながりませんよね。最初は誰も経験なんてないし、いきなり完璧に出来るわけがありません。うまくなるためには、「とにかくやる」こと。だから、最初は失敗しても恥をかいても、どんどん仕事をしてください。
それから、言葉に関心を持ってください。例えば、話上手な人は、必ずポイントを押さえているし、文章も短くて的確です。そういう人を見つけたら、話し方を研究してみてください。英語でも日本語でも、気に入ったフレーズが見つかったら、頭の中にメモしておいて、「今度絶対使ってやる!」ぐらいの意気込みで日々を過ごしてみると、何かが変わってくると思います。何だか偉そうに語ってしまいましたが(笑)。
7つ道具:ICレコーダーと、電話インタビューで使う道具。これを電話口に差し込むと、相手との会話が録音できる。

編集後記
あぁ、かっこよすぎます!一気にファンになってしまいました。自然体でいることって、実はとても難しいことだと思います。文字数の制限上、ここでご紹介出来なかったエピソードもありますが、三井さんの周りには、いつも人がたくさん集まるのだろうなと思える素敵なお話ばかりでした。世界一周旅行、是非実現させてください!

三井聡子さんへメールを送る



弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください

Vol.33 「道は自らが拓くもの」

【プロフィール】
寺田真理子さん Mariko Terada
幼少時から中学までを、メキシコ、コロンビア、ベネズエラにて過ごす。東京大学法学部卒業後、国際会議コーディネーターを経て、通翻訳者デビュー。その後、数社にてインハウス通翻訳を経験し、2004年にフリーランス通翻訳者として独立。出版翻訳も手がける。

帰国子女だと伺いましたが。
生まれたのは日本ですが、幼少時からメキシコに4年半、コロンビアに2年半、ベネズエラに2年間滞在しました。最終的に帰国したのが、中学3年の時です。海外では日本人学校に通っていたので、教育は全て日本語です。幼稚園だけは、現地のスクールに通ったので、スペイン語でした。スペイン語はすっかり遠のいてしまったので、今では映画を見て少し理解出来るぐらいですね。英語に関しては、大学の時にダブルスクールでサイマル・アカデミーに通ったので、その頃から真剣に勉強し始めました。

海外滞在で印象に残っていることは?
コロンビア滞在時、自宅が狙撃されました。当時は治安も非常に悪かったのですが、ある日外出から戻ると窓ガラスが割れていたんです。床には銃弾が転がり、家具は散乱していました。同じ日に隣人が誘拐されたのでその関係かと思っていたら、警察の現場検証の結果、我が家が狙われていたことが分かったんです。さすがに怖かったですよ。
とにかく早く日本に帰りたかったのですが、親の仕事の関係上、いつ辞令が出るか分かりません。結果、単身で帰国し、中学卒業までを祖父母のいる長崎で過ごしました。
日本に戻ってきて驚いたのが、家の中で靴を脱ぐことです。そして、家の狭さ。とにかく、最初はいろんなことが不思議に思えて仕方ありませんでした。

大学ご卒業後は?
在学中は映画を作ったり、劇団に通ったりという毎日だったので、就職活動はしませんでした。卒業後、そろそろ働かないといけないかなと思い始めた頃、国際会議コーディネーターにならないかとの誘いを受けました。どういう仕事なのかは全く分かりませんでしたが、英語は使えそうだし、とりあえずお茶くみが出来ればいいだろうと軽い気持ちで入社したんです(笑)実際入ってみると、毎日非常に忙しく、通訳が足りない時など私が借り出されることもありました。私が担当したのは本当に簡単なものだったのですが、この思いがけない通訳デビューで、通訳の面白さに気づかせてもらったのかもしれません。「あ、これはコーディネーターより面白いじゃないか」と(笑)クライアントと通訳の板ばさみにならなくて済むというのも大きかったですね。

その後、通訳学校に?
エージェント退社後、通訳学校に通い始めたら、いきなり逐次クラスからのスタートだったんです。入門クラスからきちんと勉強してきた生徒さんが多く、難しい単語が次々とみんなの口から出てくるのには感動しました! トータルで2年通いましたが、ここでは本当にたくさんのことを教えて頂きました。

数社でのインハウスを経て、フリーランスに転身されたのですね。
最初に入った会社は非常に厳しく、4時間休憩なしで同時通訳をするのが当たり前でした。ここですごく鍛えられたと思います。その後、いくつかインハウスを経験して、2004年にフリーランスになりました。それまでに単発の仕事も請けていましたが、本格的にフリーになったのはこれが初めてです。固定収入が保障されていないという不安もありましたが、自分の興味のある仕事ができることが嬉しかったです。通訳の他に、翻訳や商品ネーミングの仕事を頂くこともあるので、フリーになってよかったと思っています。今は、通訳・翻訳・ネーミング・出版と四本柱でやっているんですよ。

印象に残ったお仕事は?
あるオランダ人映画監督の雑誌インタビュー通訳です。麻薬が合法な国ということもあってか、インタビュー中、麻薬がいかに素晴らしいかを語るのです。「お酒の方がよっぽど危険なんだ。お酒を禁止して、麻薬を解禁するべきだ!」と......。社内通訳の場合は、会議内容もある程度予想出来ますが、こういったことはフリーならではのハプニングといいますか、訳しながら内心ひやひやしました。

今だから言える失敗談は?
日本語から英語に訳すはずが、間違えて日→日をやってしまうことです。普段は別として、あまりにハードな会議で頭が疲れているときは、メモを見ただけだと、これを日本語にするのか英語にするのか分からなくなることがあるんです。そうなると、無意識に日→日をしているようです。本人はいたって真剣なんですが、隣で外国人がぽかーんとしているのを見ると、「あれ?せっかく通訳したのに聞いてないのかな」と勝手に勘違いして(笑)通訳仲間からも、同じ話を聞いたことがあります。

得意分野は?
一番長かったITでしょうか。システム開発や基幹システム構築の通訳を担当しました。私自身はかなりアナログで、機械を見ると固まってしまいます。大分ましになりましたが、昔はフロッピーを二枚同時に入れようとしたこともありました。まぁでも通訳となると、また別ですよね(笑)?

出版翻訳を手がけるようになったのは?
認知症を抱える女性の本を読んだことがきっかけです。どうしてもその人に会いたくなって、コンタクトを取りました。ありがたいことに、実際にお会いするチャンスも頂き、その時に繋がりが出来たNPO団体の方に、大学教授を紹介して頂いたんです。「翻訳したい本があるのに、自分は時間がなくて」とおっしゃるので、私が翻訳させて頂くことになりました。
これまで経験してきた実務翻訳とは比べ物にならないくらい、日本語の処理に苦労しました。外資系企業にいたこともあり、ほぼカタカナのような言葉で通訳することも多かったのですが、今回は勝手が違います。認知症とその介護がテーマということで、読者もおそらく年齢層が高いのではないかということ、カタカナ日本語にも縁がないだろうと思いました。それなのに、「スキル」や「ナーシングホーム」という言葉を使っても、読み手には伝わりません。日本語の表現には細心の注意を払いました。
大手出版社のように派手な広告はなかなかできませんが、少しでも誰かの助けになればと、認知症に関係のあるところにはなるべく足を運び、営業部員のつもりで動いています。

休日はどのようにお過ごしですか?
絵が好きなので、ギャラリーや個展に行くことが多いですね。それから読書。仏教と万葉集の勉強も始めました。大好きな作家のエッセイに、万葉集のことが書いてあったので、興味を持ったのがきっかけです。直接お会いしたいなぁと思っていたところ、なんと万葉集の講座を開いているということが分かったので早速申し込みました。興味のあることに限っては、行動的なんです(笑)

今後のキャリアプランは?
これまで通訳メインでやっていましたが、少しずつ他のことにも手を広げ始めているので、それぞれが実になるといいなと思っています。私自身、通訳一本だと何となくバランスが取りづらく、つらい時もありました。コーディネーターを経験したからかもしれませんが、「フリーになっても、お高くとまった通訳にはならないでおこう」と思っていたのに、だんだん自分がそうなっていく気がして、これはよくないなと思ったんです。
もちろんこれからも通訳は続けていきますが、自分からも何か発信したいんです。今は、そういう意味で非常にバランスがとれていて、どれも楽しみながらやっています。欲を言えば、経済的なことをもう少しがんばらないといけませんね!

もし、言葉を使う仕事に就いていなかったら?
アングラ劇団でしょうか。もう劇団には所属していませんが、言葉の道に進んでいなければ、お芝居を選んでいたかもしれませんね。
7つ道具と、現在読書中の本。

これから通訳者を目指す人へのメッセージをお願いします。
まずは人間性、これが一番大事なのではないでしょうか。通訳は特殊な仕事なので、非常に頭を使いますが、疲労も特殊なので、なかなか理解してもらえません。こういう環境にいると、近視眼的になっていきやすいので、そうならないようにしてほしいですね。
それぞれ自分に合ったやり方で、自分の通訳道を開拓してください。狭き門と言われ、くじける人も出てくるかもしれません。学校では、会議通訳が通訳ピラミッドの頂点、のように言われることもありますからね。「みんなでここを目指すんだ!」みたいな。私自身、学校で学んだことは本当に大きいですが、あまりに学校が全て! と思い込んでしまうと、狭い通訳観に縛られてしまうこともあるかもしれません。既存のやり方が自分に合わなければ、新しい方法で道を開拓していくのもアリですよね? 好きで続けていけば、何らかの形で仕事に繋がっていくのではないかと思います。できることなら、楽しく勉強してください!

編集後記
みずみずしく可憐な花のような方でした。その向かいに座る私は、相当しおれていたようで、カメラマン中岡にも「二人が違いすぎる!」と笑われる始末。さておき、自分の通訳道を開拓する、素敵な言葉だなと思いました。道がなければ、自分で切り開くのですね!
寺田真理子さんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください

Vol.32 「今が一番楽しい」

【プロフィール】
北村真澄さん Masumi Kitamura
明治大学卒業後、CBS SONY Incにセクレタリーとして入社。イギリス留学後、半導体企業社長付セクレタリーを経て、外資系企業にてヘッドハンティングビジネスに携わる。1997年にエグゼクティブ・サーチ会社設立。絵画の世界を知り、一旦ビジネスから離れるが、1年後復帰、現在はドイツ系保険企業にて社長付セクレタリーとして勤務。

英語に興味を持ったきっかけは?
小さい頃から、海外の小説、特にイギリス小説が好きで、大学は迷わず英文科を選びました。長野県の田舎で育ち、帰国子女でもないため、特に英語ができたわけではありませんでしたが、英語の文法には興味を持っていました。日本語にはない文章の作り方、その背後にある哲学や思想的なことにも感心を持ちました。一番成績が良かったのは、国語なんです。物書きになりたいと思っていたので、趣味で小説を書いたこともあり、今思えばバカみたいなことをしていました(笑)。

大学卒業後は?
大学院でイギリス小説の研究をしたかったのですが、経済的なこともあり就職を決めました。CBS SONY入社当時は、大賀さんが社長、盛田さんが会長でした。社会人として初めて働いた会社がここだったことは、私にとって非常に大きく、今日までの仕事に対するモチベーションを与え続けてくれています。今でも足を向けて寝られません。会社のポリシーが明確で、誰でも参加して意見を言える雰囲気、「人生は楽しむものだ! 働くことを楽しもう!」という風潮が大好きでした。

イギリス留学後は?
帰国後、半導体関係の企業で4年間社長付セクレタリーとして勤務しました。ここでセクレタリーが何たるかを徹底的に叩き込まれたように思います。仕事に対する姿勢、人とのコミュニケーションを厳しく教えられました。私が入る前、前任者が何人も立て続けに辞めていったようで、「真澄ちゃんが一番長かったね」と言われたことを覚えています。つらい思いもしましたが、若い時は、鍛えられた方がいいですものね(笑)。

セクレタリーの面白さとは?
ボスとの関係を良くし、お互いが働きやすい環境をいかに作っていくかです。相性の問題もあるかもしれませんが、もしちょっと合わないと思ったとしても、ボスの良いところをできる限り探し出して引き立てるよう努力します。逆に、他の人達の良識的な目で見ても、これはちょっと違うだろうという点に気が付いたときには、何気なくカバーしていくのが、プラスアルファな部分でしょうか。いずれにしても、同じ人間なので、とにかくコミュニケーションです。
現在の勤務先では、社長が非常に思いやりのある方で、私が少しでも暗い顔をしていると、「今日は元気かい?」と気遣って下さいます。お互いにうまくコミュニケーションが取れてさえいれば、「あぁもっと彼のためにいい仕事をしよう!」とモチベーションも上がりますよね。セクレタリーって奥が深いんです。歌舞伎の黒子と一緒で、彼らがいてはじめてスターが輝くんです。スターが黒子の大切さを理解しているかどうかによって、黒子の働きも違ってきます。面白い関係だと思いませんか?

北村さんの、セクレタリーとしての強みは?
度胸、でしょうか(笑)? 帰国子女ではないので、はっきり言って英語はうまくありませんが、ポイントを崩さない、失礼な言い方はしないことを心がけています。
 コミュニケーション力も強みかもしれません。ヘッドハンティングの仕事をしていたこともあり、コミュニケーションに関しては、ある程度自信を持っているといえます。セクレタリーの仕事は、ボスだけではなく、周りの部署との関係作りも大切です。周りの人の力があって、ボスも生かされます。今の会社に入ったときも、引継ぎ期間が短かったので不安でしたが、周りの部署の方々がとても親切にしてくださって、本当に感謝しています。

起業もされたと伺いましたが。
外資系ヘッドハンティング企業でアソシエイトとしてリサーチを担当していた時、一緒に働いていたコンサルタントに声をかけられ、独立することになりました。最初は彼と2人で、段ボールの上に電話を置いて仕事を始めました。とてもエキサイティングでしたが、会社経営とヘッドハンティング業務の両立は過酷で、心身ともに疲労困憊の域に達してしまいました。経営は順調でしたが、私自身ちょっと休まないと、これでは倒れてしまうかもしれないと不安になったんです。気分転換にと通いだしたアートスクールで、自分の新たな世界を垣間見た気がしました。仕事との両立も困難なぐらい夢中になったので、思い切って会社を辞めました。冗談じゃないと言われたんですが、絵の情熱の方が勝ってしまったんです。1年近く、絵だけを描く日々が続き、ずうずうしくも3回も個展を開かせて頂きました。

再びセクレタリーに戻って、現在の生活はいかがですか?
毎日本当に楽しいです! 絵を描く時間もあり、仕事もプライベートも充実しています。CBS SONYの頃に培われた、「働くことは何て楽しいことなんだ」という想いが今も生きています。社会を見ることは、絵を描くエネルギーになります。どんな仕事をしようとも、そこには絶対に面白さがあるります。前向きなことがとりえなので、どんなに落ち込んでも、「このままじゃないけない!」と思う自分がいるんですよ。何をしているときも、生きている喜びを感じていたいんです。

現在の1週間のスケジュールは?
平日の夜は、アートスクールとクラッシックバレエに通っています。アートスクールは、今年で7年目です。バレエは、体のためにと思って始めたのですが、姿勢が良くなり、何より健康になりました。週末は、水彩画や油絵のクラス、写生、お茶やお香の教室にも通っています。友人と会うとなると、前もって約束しないと大変です(笑)。

今後のキャリアプランは?
振り返ってみれば、楽しいことばかりではなかった人生だったからこそ、「楽しい」気持ちになるには、どうしたらいいのかを考えるようになりました。画家として食べていくのは、夢のまた夢なので、きちんとした生活のベースを作った上で、絵を楽しみたいと思っています。
 セクレタリーとしての観点で言えば、まずは'A good secretary'でいることです。与えられたポジションの中で、精一杯がんばります。自然体でいることも忘れずに。私は120%努力して、はじめて人の80%ぐらいの実力なので、とにかく頑張らないと。
現在勉強中の中国語。

これからセクレタリーを目指す方へのアドバイスをお願いします。
まずは、社会人としての常識を持ってください。秘書は「秘」と記してある通り、企業のトップシークレットに少なからず関わることがあります。機密保持に関しては最大限の注意をしてください。各部署の方とのコミュニケーションにおいても、常に意識していなければなりません。そういう意味では、孤立した存在であるとも言えるのではないでしょうか。
'On the job training' を大切にして下さい。いいと思った事は全て吸収し、自分の血や肉にしてください。わからないと思ったら聞くことです。つまらないプライドを持たなければ、周りも喜んで教えてくれると思います。
将来の目標を高く持ってください。更にセクレタリーの道を究めるのもよし、別の道に進むのもよし、起業家になるのもよし。目標を持つことで、今何をすべきかおのずと見えて来ます。たとえ途中で別の目標が出てきても、その姿勢はきっと役に立つでしょう。柔軟に物事を考え対処してゆくことです。年齢にかかわりなく、生き生きと働く女性の姿は本当に美しいと思います。誰のものでもない、貴方の人生です。大いに羽ばたいて下さい。
北村さんの作品。

編集後記
「北村さんと話すと、元気をもらえる」と噂に聞いていたのですが、あぁ本当でした。インタビュー中、何度も「先輩!」と呼びそうになってしまいました。人生の大先輩から頂く言葉は、本当に温かいものでした。どうかまたお会いできますように。

北村真澄さんへメールを送る



弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください

Vol.31 「通訳スキル以上に大切なもの」

【プロフィール】
岩田尚樹ニコラスさん Naoki Nicholas Iwata
幼少時代から14歳までを米国にて過ごす。慶応義塾大学法学部在学中に通訳、ニュース局での編集を経験。1995年ドイツJohannes-Gutenberg大学にて政治学/コミュニケーション修士課程修了。帰国後、フリーランス通訳者として様々なプロジェクトにおいて活躍。2005年春よりイギリス滞在、フリーランス通翻訳者として活躍の幅を広げている。

小さい頃、海外にいらっしゃったんですね。
6歳から14歳までアメリカにいました。週末は日本人学校に通いましたが、年齢的にも遊びたいさかりで、なかなか勉強に集中できず(笑)。お陰で、日本に戻ってからかなり苦労しました。会話は何とかなりましたが、読み書きが大変で、毎晩漢字の練習をしたことを覚えています。

学生の頃から通訳を?
先輩がアルバイトで通訳をしていたんですが、ある日急用ができたらしく、「代わりに行ってくれないか」と言われました。テーマパークのプロジェクトで、嬉しいことにそれ以降も声をかけて頂くようになり、週末や夏休みは通訳として活動しました。通訳学校には通ったことがないんですよ。当時は2名体制での仕事が多かったので、先輩をお手本に勉強しました。
 在学中、NBCニュース局でニュースの収集やコーディネーションも経験しました。バイリンガルはまだまだ珍しい存在だったようで、学生でもたくさんの機会を頂けたことは幸せでした。

本格的に通訳者としてやっていこうと決心したのは、いつ頃ですか?
ドイツに行ってからです。当時は、M.A.を取得したらニュース局に戻ろうと思っていたんですが、NBCアジア総支局が香港に移ってしまったんです! 香港に行こうかとも考えたんですが、何か他にもできることはないかと考えたときに、「そうだ、僕は通訳もできるんじゃないか。」と思ったんですよ。

印象に残ったお仕事は?
テーマパークでの通訳です。何年も関わらせて頂いたので、プロジェクト毎にいろんな思い出があります。全ていい思い出です。長期プロジェクトでは、ゴールに近づくにつれてチーム内の結束も固くなりますし、仕事が終わってから皆でちょっと飲みにいったりするのもプロジェクトならではですよね。

今だから話せる苦労話は?
Perl言語に関する初の日本会議で通訳を担当したんですが、この時ばかりは頭を抱えました。IT業界の最先端を行く人達の集まりだったので、普通の思考回路では通訳できず、聞いたことのないような表現が盛りだくさんで本当に困りました(笑)。
 何週間も続くワーキングセッション中に、技術者同士が物理運動や機械学の議論を始めた時もひやひやしました。自分の理解範囲を超えているので、頭上に大きな「?」マークを浮かべつつ、同席の通訳者と顔を見合わせながら通訳しました。朝から晩まで続いたセッションで、この時はさすがに自分の体力と精神の限界を感じました。

岩田さんの通訳者としての強みは?
緊迫している現場の雰囲気を和らげることができることでしょうか。なぜか僕が投入されるところは、何か問題が起きているところや、関係がこじれているプロジェクトが多かった気がします(笑)。いろんなプロジェクトに関わってきましたが、どのプロジェクトも、終わりに近づくに連れて皆がぴりぴりしてくるのが手に取るようにわかるんです。ペンがいきなり飛んできたこともあります! スピーカーの発言に忠実であることは必須ですが、なるべく明るく接して皆にスマイルが出るようにするなど、現場の状況を見ながら通訳するようにしています。
通訳スキルに限って言えば、ある程度のレベルまでは誰でも到達できます。大事なのはそこからどうするかです。プラスアルファを身に付けることで、総合パフォーマンスの向上に繋がるのではないでしょうか。状況にもよりますが、現場に入るなり「私は通訳しかしません!」と言い切ってしまうと、最低限の情報交換しかできなくなってしまう可能性があります。用語集をシェアせず、他人の負は自分の得のように考える人もいますが、そこからは何も生まれないので、皆で助け合えるような環境作りができるといいなと思いますね。

スキルアップの秘訣は?
他の人の通訳を聞くことです。通訳を始めた頃から今まで、僕にとってはこれが一番の勉強です。今はイギリスに住んでいることもあり、以前ほど他の通訳者さんのパフォーマンスを聞く機会がないことは残念です。「同じ言葉でも、こんな風に訳せるんだな」と新しい発見があり、通訳者が10人いれば10通りの表現があるのが面白いですね。美しい表現や言い回しを聴くことによって、新しい言葉の世界が広がっていくことが仕事の醍醐味です。

ドイツ語もお話になると伺いましたが。
英語ほどの仕事量ではありませんが、ドイツ語通訳をすることもあります。イギリスに来てから、なぜか依頼を頂くことが増えました。機械関係では、通訳資料がドイツ語であることが多いので、役に立っています。現地の通訳エージェントも、3ヶ国語の必要性を訴えていました。イギリスでも、欧州全域にわたる仕事が増えているようですね。

今後のキャリアプランは?
今後5年間は、VISAがあるのでイギリスに滞在すると思います。通訳を続けていきたいですね。イギリスは機械や製造関係が最近多く、現地でトップ通訳者になれるよう、成長していきたいです。

もし通訳者になっていなかったら?
ジャーナリストになりたかったので、多分ジャーナリズム関係の仕事をしていたと思います。

これから通訳者を目指す方へのアドバイスをお願いします。
できるだけオープンな気持ちでいること、例えミスをしてもあまり気にしないことです。ミスをしたら、そこから学び、次に同じ間違いをしないよう気をつければいいのですから。もしも間違えてしまったら、すぐに訂正することが大事です。ミスを隠そうとして後で大きな問題になったり、誤解に繋がったりすることもあるので気を付けて下さい。最終的にはコミュニケーションが一番大事なので、恐れず笑顔でどんどん前に進んで行ってください!

編集後記
岩田さんとお話していると、自然にこっちも笑顔になっていることに気づきます。これぞ岩田マジック? イギリスでの更なるご活躍をお祈りしています!
岩田尚樹ニコラスさんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください

Vol.30 「失敗をおそれないで」

【プロフィール】
折尾富子さん Tomiko Orio
高校卒業後カナダへ。St. Clair College of Applied Arts卒業後、現地新聞社、アパレル企業等に勤務。約16年をカナダにて過ごす。帰国後、アパレル企業勤務を経て、フリーランス通訳者としての活動を開始。現在は、会議からエンターテイメントまで幅広い分野でフリーランス通訳者として活躍中

語学に興味をもったきっかけは?
父が英語を話すので外国人が家に来ることもありましたが、自発的に英語を勉強しようと思ったことはありませんでした。本当の意味で初めて英語に触れたのは、中学校での授業です。それまで何となく聴いていたミュージカルの歌詞が理解できるようになったことは嬉しかったです。辞書を引くと、何となく歌詞の意味がわかるんですよ。あぁこんな素晴らしいことを歌っていたのかと思うと、急に世界が広がったような気持ちになりました。

高校ご卒業後カナダへ?
日本の大学に通うことも考えましたが、海外に行ってみたい、英語がもっと話せるようになりたいという気持ちが強かったんです。カナダなら治安も良さそうだし、知り合いもいるからいいだろう、と親も賛成してくれました。
日本の学校でしか英語を勉強したことがなかったので、読み書きは多少できても、リスニングとスピーキングは本当に大変でした。カナダでは最初に語学学校に通いました。

通訳になろうと思ったのは?
帰国後、アパレル企業で働きました。英語を使う頻度も少なく、これは環境を変える必要があるかなと思ったんです。もっと英語を使える仕事があるかもしれないと思い、通訳エージェントにも登録を始めました。通訳になりたい! と思ったわけではありませんが、好奇心だけは強かったので、いろんなことをやってみたかったんです。

通訳者として初めてのお仕事は?
初めての大きな仕事という意味では、テーマパーク建設プロジェクトの通訳です。オープニング1年前からフルタイムで勤務することになり、本当にいろんなことを勉強させて頂きました。現場だけではなく、マーケティングや商品開発等のテクニカルな会議にも入ることができ、ここで学んだ知識は今もあらゆるところで役に立っています。本当に感謝しています。
通訳になりたての頃、新しく学んだ表現を、大学ノートに書き込んでいたんです。今でも宝物です。

お得意な分野は?
分野問わず、プロジェクト関係の通訳は大好きです。特にエンターテイメントのテクニカルが好きです。舞台を作り上げていく過程に、コンセプト段階から参加させて頂くので、完成した時は感動でいっぱいです。

今だから話せる失敗談は?
高所恐怖症なんです。自分で知らないままに、すごく高いところで通訳をすることになったことがありました。囲いがなくて、下が透けて見えるような場所で、こわくなって泣き出してしまったことがあります。もっと自分のことを知っておくべきでした。今は、高いところでのお仕事はお断りしています。囲いがあれば大丈夫ですが、ご迷惑をおかけしたくないので。「富子は、3メートル以上のところはダメだから」といつもからかわれています(笑)。

通訳をする際、気をつけていることは?
服装です。テーマパークや舞台通訳は何が起こるかわかりません。会議中、「じゃあ現場を見てみよう」となる可能性もあるので、どんな時でも対応できるよう必ずパンツと動きやすい靴で行きます。すごく慎重な会議に、素足にサンダル、ノースリーブで登場するのはもっての他です。必ずTPOをわきまえた服装をするよう心がけています。常識がない人は通訳ができません。挨拶ができない、組んでいる人をサポートできない、隣で通訳している間に自分だけ別の仕事をするなど、いくら通訳が上手でもプロ失格です。
 私が上手だなと思う通訳者さんは、皆本当に人間的に素晴らしい方ばかりです。通訳スキルが高くても、他に問題があるとリピートは来なくなります。その中には、性格的なことだとか、スマイルがないとか、いろんな要因が考えられますが、総合的なスキルで評価されるのではないかと思います。

折尾さんの強みは?
その場の雰囲気に合わせて、コミュニケーション作りができることでしょうか。言葉って本当に面白くて、いろんな言い回しや表現があるので、状況に応じて使い分けることができればと思っています。
 通訳する相手の雰囲気、話し方を研究することもいつも心がけています。会議当日は早めに現場に行って、スピーカーと話をします。時間がなければ、お天気の話でもいいんです。少しでも本人と話すことによって、スピーカーの話の癖やアクセントに慣れることができますから。そういう意味では、ブース内通訳より、人の顔を見てその人のそばで通訳する方が好きだと言えます。

通訳者を目指す人へのメッセージをお願いします。
自分を「文化や言葉が違う人達の架け橋」だと思うことです。通訳を始めたばかりで、不安を抱いている方も多いと思います。そんな時は、原点に立ち返ってください。言葉が分からないから、通訳を頼んでいるのであって、「絶対にミスをしてはいけない!」と自分で自分にプレッシャーをかけすぎないことです。もちろんミスはいけませんが、自分が間に入ることによって、コミュニケーションのお手伝いをしているという意識を持てばいいんです。
 失敗しないと絶対にうまくなれません。どんどん恥をかいてください。今、第一線で活躍している人は、皆失敗し大恥をかいてきている人達ばかりです。最初から上手な人なんていません。好きで続けていけば、絶対にいい通訳者になれると思います。

編集後記
「よく皆で集まって、ポットラックパーティをやるんです」と折尾さん。きっと折尾さんの周りには、自然に人が集まるんだと思います。目指す方へのメッセージ、永久保存版です。
折尾富子さんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください


《 前 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 次 》


↑Page Top