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Training Global Communicators

Vol.29 「音楽は私の生きがい」

【プロフィール】
永田由美子さん Yumiko Nagata
幼少より小学校3年時までをカナダ、中学3年より3年間をペルーにて過ごす。青山学院大学文学部英米文学科在学中より、通訳翻訳の仕事を開始。卒業後は、音楽雑誌社にてインタビュー及び編集を担当。8年後、フリーランスに。現在は音楽業界を中心に通訳、インタビュー、歌詞対訳、字幕翻訳等を手がけている。

小学3年生の時、カナダから帰国されたと伺いましたが。
英語で教育を受け、家の中でも英語だったので、一言も日本語を話せないまま日本に戻ってきました。市からは、1年生のクラスに入るようにと要請があったのですが、両親の説得もあって何とか3年生クラスに入れました。例えば国語の授業では、皆が漢字を勉強している時に、私一人教室の隅っこで、ひらがなを書いているわけです。半年ぐらいで随分話せるようになりましたが、当時の私にとって日本は外国でした。

言葉に対する意識は昔から強かったのでしょうか。
「異文化のかけはし」のような存在になれたらいいなと思っていました。小学校の卒業文集に、「将来の夢は通訳」と書いたようです。海外で過ごしたので、幼いながらいろいろと感じていたのかもしれません。

大学在学中から通訳のお仕事を?
大学1年の時から、少しずつやっていました。通訳学校には3年生になってから通い始めたんです。通訳学校や大学の先生に応援して頂いて、私自身も「将来は絶対に会議通訳者になるぞ!」と強く思っていました。
結局、卒業後は全く違う職業に就いたのですが(笑)。

音楽雑誌社に就職されたのですね。
ロック音楽が大好きで、ペルーにいたときも、日本からわざわざ愛読誌を取り寄せていたほどです。何を思ったか、大学3年生のときに、音楽雑誌社に電話をかけたんですよ。「編集長いますか?」と(笑)。「音楽が好きで、この雑誌がすごく好きで、英語もちょっとできます!」と話したら、「じゃあ明日遊びに来ないか?」と言われました。翌日お会いしたときに、「簡単な翻訳やってみない?」と言われ、なんとその日のうちに原稿をもらいました。
音楽は趣味だからと思っていたのですが、大学4年の時に、正社員にならないかと声をかけて頂いたんです。音楽業界で仕事をするのは難しいと聞いていましたし、1-2年やってみるのもいいかしれないと思い、そのまま就職したんですよ。

フリーになろうと思ったのは?
ほんの1-2年のはずが、気がついたら7年経っていました。来日アーティストのインタビューコーディネート、通訳、取材、編集と、語学を生かして好きな音楽に関わることができ、最高の職場でした。
他のジャンルの音楽もやってみたいなと思い始めていたこと、この世界で自分がどこまでできるか、何ができるかを試してみたいと思い、フリーになったんです。

フリーになってからの、主なお仕事内容は?
歌詞の対訳が一番多いかもしれません。他に、来日アーティスト通訳、インタビュー、DVDの字幕付けも担当しています。歌詞対訳の難しさは、ただ言葉を置き換えるのではなく、原文と日本語のバランスをいい具合にとらなければいけないことです。'I'にしても、「僕」なのか、「俺」なのか、「アタシ」なのかで大きく雰囲気が変わってきます。事前にアーティスト情報を調べ、曲を何度も聴いて、イメージを作っていきます。
困るのが、意味を成さない歌詞の場合。そのまま日本語にするわけにもいかず、アーティストに聞くと、「あ、あれ? メロディが先に来たから、歌詞は後で入れただけだよ。きれいだなと思った言葉を並べただけだから」と言われるわけです......。韻を踏んでいる単語を並べただけだ、と言わたこともあります。完璧な対訳なんてないんですが、こういうときは本当に悩みますね(笑)。
今までで、一番印象に残ったお仕事は?
仕事柄、たくさんのアーティストに会います。仕事なので、ミーハーな気持ちにはなりませんが、普段会えない人たちに会えるのは嬉しいことです。雑誌社に入ってすぐ、私が大好きなバンドの取材をすることになりました。地方ツアーにも同行し、彼らの行動記録を臨時増刊号で出したこともあります。デビュー時代から知っているので、少しずつファンが増え、アルバムが売れると、まるで母親のような気持ちになります。
 戸惑ってしまうのが、プライベートでアーティストと会ったときです。先日、友人の粋なはからいで、私の敬愛するアーティストである槇原敬之さんにお会いしたんです。前の晩から眠れず、当日も彼を目の前にして、がちがちになってしまいました。

フリーになって、どのくらいですか?
11年目です。あの時出版社に電話をかけていなければ、今の私はありません。今、本当に楽しいです。
最近読書中の本と、大好きな槇原さんの詩集。

永田さんにとって音楽とは?
なくてはならないもの、生活の一部です。取材に出かける電車の中では、ipodでその日取材するアーティストの曲を聴きます。気持ちを高めて、リングに上がる感覚でしょうか(笑)。帰るときは、槇原さんの曲を聴いてクールダウンします。対訳をする時も音楽を聴いています。
大学時代の研究テーマは、「英詩」だったんです。今の仕事ときれいに繋がっていますよね?!

7つ道具と、対訳した思い出のアルバムたち。

編集後記
次から次へとあふれ出る素敵なエピソードに引き込まれ、あっという間の1時間でした。今度お会いする時までに、ロックを聴いて勉強しておきます!

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Vol.28 「Being ready is the key to success」

【プロフィール】
アンダーウッド佳代子さん Kayoko Underwood
美術系大学在学中より通訳を始める。卒業後は、インターナショナルスクールにて美術、日本語、ESLの講師を務めながら、フリーランス通訳者としても経験を積む。通訳スクールで優秀生賞を受賞後、フリーランス会議通訳者として独立、現在は関西を拠点としながら、様々な分野において活躍中。

語学に興味を持ったきっかけは?
おそらく皆さんもともと英語が好きだったとか、帰国子女だったからとおっしゃると思うんですが、私の場合は特にそういうわけではないんです。両親ともに英語を話すんですが、特に父は「英語は、意思伝達のツールにすぎない」と昔から言っており、それがずっと頭にありました。
英語圏の文化には非常に興味があったので、知識を深めるためには英語でコミュニケーションをはかることが必須だと思い、自然に習得するようになったという感じでしょうか。

在学中から、通訳を?
知り合いから頼まれて、アテンド通訳や学会レセプションでの通訳、ブース付通訳などをやりました。大学の専攻は美術でしたが、将来何をしようかと考えたときに、美術は好きだけど、これで食べていくのは難しいかもしれないなと思ったんです。そこで、通訳はどうかと。当時の語学力がどのくらいだったかはわかりませんが、主人が外国人なので、自宅での会話は全て英語でした。多分コミュニケーションは取れていたと思うんですが(笑)。
頼まれるがままに国会議員の通訳なども担当していたので、今から考えると本当にこわいですね(笑)。
具体的にどのようにして勉強を?
大学卒業後、通訳学校2校に通いました。それぞれ教授法が違ったので、いろんなメソッドを学べたのはよかったと思っています。社会人経験が無かった私にとっては、学校に行くのは一番の近道でした。

大学卒業後は、通訳、講師と2つのお仕事を?
インターナショナルスクールで講師をしながら、フリーランスとして通訳もしていました。並行してやっていくうちに、今後もし出産などで一時仕事を中断することがあったとしても、専門職だと戻りやすいかなと思ったんです。そこで、本格的に通訳一本に絞って活動することに決めました。翻訳という選択肢もあったんですが、家にこもるのは向いていないし、もともと人とのコミュニケーションが好きなので、通訳を選びました。

通訳をするときに、普段心がけていることは何ですか。
通訳はもちろん技術職ですが、同時にサービス業だと考えています。顧客満足があって初めて成り立つ職業です。必要ないだろうと思いながらもついついやってしまうのは、アメリカ英語とイギリス英語の使い分けです。場合によっては英米で使う単語や表現方法が違う場合がありますよね。アメリカ英語ではない夫に鍛えられているせいか、ついついイギリス人の前ではなるべくブリティッシュな表現を、アメリカ人の場合はもともと私が習得したアメリカ英語で通訳してしまいます。これもサービス精神、と言えるのでしょうか(笑)。

アンダーウッドさんの一番の強みは?
コミュニケーション力でしょうか。海外留学をしたわけではなく、大学で英語を専攻していたわけでもありませんが、自分は言語のスペシャリストではなく、コミュニケーションのスペシャリストだと思うようにしているんです。トータル面でのコミュニケーションをサポートしたいと思っています。もちろん状況を見てですが、うわべだけの訳ではなく、通訳という職業を出ない範囲で補足、アドバイスできる際にはしているつもりです。

一番お得意、お好きな分野は?
1つの分野を多くこなしていると、自然に得意分野になるのかなと思うんです。そういう意味ではいくつか挙げられるんですが、どの分野であってもコミュニケーション力を発揮できる仕事だと達成感があるし、やりがいも感じられますね。

スキルアップの秘訣を教えてください。
座右の銘は、'Being ready is the key to success.'、ヒューレットパッカード社のカーリー・フィオリーナ前会長がおっしゃった言葉です。通訳のパフォーマンスも、どれだけ自分がbeing readyなのかにかかっています。関西在住なので、東京ほど多くの機会に恵まれていないかもしれませんが、実力が運を呼ぶと思うんです。常に勉強して自分を磨いておけば、いざという時に対応できると思って日々前向きにがんばっています。
 通訳技術のスキルアップといえば、同時通訳の仕事の前に、シャドーイングをして英語の滑舌をよくしてから出かけることがあります。質の高い英語の文章に触れて語彙を増やし、わからない単語はその場で調べて頭に叩き込みます。時間があるときには、使う単語が偏らないように、普段の仕事とはなるべくかけ離れた分野の勉強をするよう心がけています。

ご趣味は?
スキューバダイビングが好きです。年に何回かは、沖縄や海外でもぐっています。どんなに嫌なことがあっても、もぐった瞬間に全部飛んでいきます。
最近ゴルフを始めたんですよ。格闘技やモータースポーツの観戦も好きです。

今後のキャリアプランは?
このままがんばって、将来的には8割はブース入りしたいと思います。あと2割は、それ以外の仕事もやっていきたいんです。人とのコミュニケーションが好きなので、お客様の顔を見て通訳できる仕事も続けていきたいですね。
これだけは負けない、これは私の一番の専門です、と言えるような分野をいくつか持てるといいなと思います。
ブース通訳時の癒し系グッズと、スマートフォン。

もし、通訳者になっていなかったら?
主人と結婚していなかったら、通訳者になっていなかったかもしれません。もし結婚しなければ、大学3年時にイギリス留学する予定だったんです。留学していたら、全く違う人生を送っていたかもしれませんね。何をやっていたか想像もつきませんが、自分が常に情熱を持って打ち込めるような仕事をしていたいと思います。

これから通訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。
関西は東京ほど仕事の量は多くありませんが、好奇心が強く、人が好きで、勉強が苦にならないのであれば、是非挑戦してください。新しいことを、「おもしろい」と思って取り組めることが大事だと思います。

編集後記
お仕事で東京にいらっしゃっていたところを、無理矢理お願いしてインタビュー実現となりました。Being ready...、身の引き締まる思いです!
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Vol.27 「この道より我を生かす道なし。この道をゆく」

【プロフィール】
小笠原ヒロ子さん Hiroko Ogasawara
ノートルダム清心女子大学英文学科卒業。在学中、第17回岡山-米国サンノゼ姉妹都市交換留学生として1年間サンノゼ州立大学に留学。大学卒業後、岡山市役所秘書課に勤務、通訳、姉妹都市関係事業担当。3年後フリーランスに。現在は、岡山をベースに、フリーランス通訳者として活躍中。平成11年からは、母校にて通訳論を担当している。

語学に興味を持ったきっかけは?
中学での英語の授業なんです。英語の音を耳にしたときに、「私、これ好き!」と瞬間的に感じました(笑)。それまで特に英語に触れる機会はなかったので、今考えてもなぜだかわかりませんが、あの時の衝撃は大きかったです。今までに聞いたことのない音への憧れだったのでしょうか。

そこから英語とのお付き合いが始まったんですね。
中学2年の途中からは、母の薦めもあって、英語教育に力を入れている中高一貫教育のカトリック系学校に転校しました。校長先生であるアメリカ人のシスターには本当によくして頂きました。スピーチコンテストに出させて頂き、個別指導までして頂いたんです。当時の語学力なんて、This is a pen. I am a girl.ぐらいだったんですが、アメリカ人の学生ボランティア達に話しかけて、少し会話らしいものができた時や、彼らの話すことが少しでも聞き取れた時は本当に嬉しかったですね。

大学ご卒業後はすぐに通訳に?
何らかの形で英語を使った仕事ができればと思っていたところ、岡山市役所で国際交流の仕事に携わることになりました。秘書課への配属でしたが、海外からの訪問団の通訳や翻訳を頼まれることがあって、だんだん通訳って面白いなと思い始めました。

フリーランスになったきっかけは?
市役所での通訳を任されるようになったものの、大学を卒業してすぐだったので、まず会議の内容を理解するのにすごく苦労しました。秘書、国際交流業務と同時にこなしていくのはかなり大変だったんですが、他に頼る人もおらず自分で全部抱え込んでしまい、ある時これはもう限界だと退職届を提出しました。
これから何をやろうかと思っていたところ、ある岡山の企業から、「通訳をしてほしい」とご依頼を頂いたんです。市役所で通訳していた私を見かけてお声をかけて頂いたんだと思います。少しずつですが他企業からもお声をかけて頂くようになり、いつのまにかフリーランスとして活動するようになりました。

通訳学校にも通われたんですか?
最初は全て自己流でやっていました。当時は記憶力も良かったので、ある程度メモを取れば、後は覚えられたんです。中高時代の一夜漬け勉強の成果でしょうか?(笑)だんだん専門性の高い内容になってくると、記憶だけを頼りにするのは危険だと思い始め、それからメモ魔になりました。今でも本当にたくさんのメモを取ります。例えば、8時間の仕事で、大体B5ノートの3分の2くらいは使ってしまうんです。これって多いですよね?(笑)
その後、大阪の通訳学校に通いました。既に自分のやり方が確立されており、先生にもそのままでいいとおっしゃって頂いたので、ものすごく大きな発見があったというわけではないのですが、それ以上に他の生徒さんと交流できたことが嬉しかったです。今までずっと一人でやっていたので、大阪にはこういう通訳者さんがいるんだな、この人はこの分野が得意なんだなと、他の通訳者に学ぶことも多く、大きな刺激になりました。

今までで一番印象に残ったお仕事は?
死刑廃止についての通訳です。『デッドマン・ウォーキング』の著者、シスターヘレン・プレジャンの講演会でした。テーマの重さに不安もありましたが、できるだけ準備をしようと、ビデオや本で勉強するうちに、どうしてシスターがこのテーマに取り組んでいるのかが分かった気がしたんです。人間愛、なんですよね。本当に大きな愛を感じる方で、実際にお会いし、通訳をさせて頂いて本当に感動しました。仕事が終わった後も、ずっと余韻が残っており、あぁこの仕事をしていてよかったと心が震えました。

仕事上の苦労話について教えてください。
冷や汗をかくことが多いので、仕事のときは、綿か麻の服しか着ません(笑)。ナイロンだと吸収してもらえないので......。
 今までは、失敗すると萎縮してしまって、なかなか立ち直れなかったんですが、最近考え方を変えるようにしたんです。くよくよしたところで、次のパフォーマンスが良くなるわけではないんですよね。失敗したとしても、それはそれと割り切って次のことを考えるようにしています。

お得意な分野は?
地方にいるので、頂いたお仕事は基本的に請けることにしています。毎回内容が違い、未経験分野のお仕事が多いこともありますが、その分やりがいもあり、やってよかったと思える仕事が多いんです。

今後もずっと岡山をベースに通訳を?
はい、この仕事は続けていきたいと思っています。壁にぶつかった時、他の仕事をやりたいと思ったこともあったんですが、吉永小百合さんの「この道より我を生かす道なし。この道をゆく」という言葉に出会いました。まがりなりにも、ずっと通訳をやってきて、今やめてしまったら絶対後悔するに違いないって思ったんです。それからは、何があっても逃げないでいようと決めました。気持ちが固まると、挑戦する楽しみが出てきましたし、これからもっともっと極めていきたいと思っています。
 これからもずっと岡山にいるつもりです。皆、大阪や東京に行ってしまうので、岡山に残らないんですよ。現在、岡山をベースに活動している通訳者は、ほんとに数人なのではないでしょうか。だからこそ、私が市役所を辞めた時に、地元企業からお声をかけて頂けたのかなとも思うのですが。これまで本当に皆さんに育てて頂いたんだと感じています。下手なときから使って下さった方々に、これからは多少なりとも恩返しをしたいなぁと思うんです。私もいい年になってきたので、これからは人の役に立てるように生きていきたいですね。その柱として、通訳があるといいですね。

地方在住で、通訳者を目指すには?
私自身、自分から何か働きかけたわけではないので、本当に恵まれていたんだと思います。だからこそ、今まで続けてこれたのかもしれません。とにかく、与えられた機会を大切にしてください。

もし、通訳者になっていなかったら?
他の人生は、考えられないんですよ。通訳者としてしか自分を見ることができないので、考えても思いつきません。初めての英語の授業で感じた感動が、今も続いているなんて、幸せだと思います。

編集後記
普段は、東京近辺にお住まいの方にお話を伺うことが多いのですが、今回は特別! 岡山の通訳事情、小笠原さんの地元に寄せる思いなど、いつもとは少し違ったお話を伺うことができました。「これからもずっと岡山におります」、とおっしゃった小笠原さん、今後一層のご活躍をお祈り致します!
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Vol.26 「気負わなくてもいいと気づいた瞬間」

【プロフィール】
結城あけもさん Akemo Yuki
小学校卒業までを、主に米国、カナダで過ごす。獨協大学外国語学部英語学科卒業。在学中より通訳の仕事を開始、数社にインハウス通訳者として勤務後、現在は若手フリーランス通訳者として第一線で活躍中。劇団「シアターフェニックス」、即興パフォーマンスグループ「火の鳥」の団員としても活動中。2005年7月にはNY公演も控えている。



もともと語学はお得意だったんですか?
英語しかできなかった、といった方が正しいでしょうか。いわゆる「帰国子女」で、中学校までを海外で過ごしました。中学からはずっと日本でしたが、英語の成績だけ他の科目と比べて高かったので、受験までは特に勉強しなくても大丈夫だったんですよ。得意というか育った環境が自然にそうさせたのかもしれません。

通訳になろうと思ったのは?
大学に入って初めて、「うわぁ! 帰国子女ってこんなにたくさんいるんだ」と逆カルチャーショックを受けたんですよ。高校までは公立だったので、帰国子女は珍しかったんです。大学には私みたいな学生がたくさんいて、普通に英語を話しているんです! あぁ、世の中には英語が話せる人はこんなにいるんだなぁ......と驚きました。それからでしょうか、ちょっと専門的に勉強してみようかと思ったのは。通訳学校に通うことにしたんです。

大学卒業後、通訳以外の道は考えませんでしたか?
在学中から少しずつお仕事を頂いていましたし、当時はバブル絶頂期だったこともあり、かなりの売り手市場だったんです。周りからは、「新卒で就職活動できるのは一生に一度なんだから、もったいない」と言われたんですが、とうとう一社も受けることなく、そのまま卒業しました。みんなが就職活動を始めたときは、一瞬気持ちが揺らいだこともあったんですが、私は通訳になるんだ! と思っていました。今となっては、あの時の決断は間違っていなかったと思っています。

初めてのお仕事は?
某デパートの全面改装プロジェクト通訳です。大学在学中に頂いたお仕事なんですが、米国から来日したデザイナーに付いて、1週間通訳をしました。もう無我夢中で、とにかく通訳の「つ」の字でも付くようなこと、通訳に近いことができることが嬉しかったことを覚えています。

インハウス通訳時代の思い出は?
苦労話は尽きないのですが(笑)。某通信業社のジョイントベンチャーで、インハウス通訳として働いていたときのことです。企業風土的にも非常にお堅い感じで、皆さん良い意味で言葉に対するこだわりがありました。翻訳をすると、「こんなものが外に出せるか!」と何度も怒鳴られ、赤を入れられました。そのお陰ですごく勉強しましたし、硬い文章の翻訳も苦にならなくなりました。その後入った某外資系広告代理店は、180度会社の雰囲気が違ったので、別の意味で苦労しました。これまで自分が培ってきたものが通用しないんですもの! 今まで当たり前のように使っていた用語も通じないし、通訳しても、「それどういう意味?」と言われることもありました。


フリーになったきっかけは?
インハウスで一番大変なのは、「狭く深く」知識を身につけることです。組織の一員として働くので、どうしても主観が入るんですよ。どの業界も、ある程度見えてくると、他のことがやりたくなります。もっといろんな分野を見てみたかったし、インハウスだけが通訳の世界じゃないと思ったんですよ。スキルも、あるところまでいったら、それ以上伸びないんじゃないかと不安もありました。移らなきゃ! と思いましたね。20代のうちに、いろいろやってみたかったんです。収入が不安定になるとか、仕事が来なかったらどうしようといった不安はありませんでした。もしダメだったらその時考えればいい! と思って。

若くしてフリーランスになったことで、苦労したことはありましたか。
つい最近まで「逆年齢コンプレックス」がありました。多分私はすごくラッキーで、最短ルートでここまで来たと思うんです。毎回通訳現場にいくと私が一番若いんです。通訳にとって、若いことは時にはメリットにならないので、年齢のことはあえて言いませんでした。今では、普段一緒に組む通訳者さんたちも私のことを知っているので、気にならなくなりましたが。
「これを持って通訳ブースに」

印象に残っているお仕事は?
911ですね。当時、会議もほぼ全部キャンセルになって、テレビ局関係の仕事しかなかったんです。局では、実際に放映されないような映像もずっと見ていたので、何だか自分も精神的に追い込まれました。その話を別の通訳者に話したところ、「私はもう今回はやらないことにしてるの」と言うんです。聞くと、彼女は湾岸戦争の時に通訳をしたそうで、やっぱり同じような思いをしたのだなぁと。

スキルを維持する秘訣は?
DVDを流しっぱなしにすることです(笑)。仕事の資料を読んだり、用語集を作ったりするのは当たり前のことなんですが、それとは別に、「普通に英語に接する」ようにしているんです。米国のテレビドラマを、とにかく何度も見ます。見るというより、流しておくといったほうが正しいでしょうか。最後には台詞まで覚えてしまいます。私自身、アメリカ英語で育ったので、語感を忘れないようにしたいと思っています。
 ペーパーバックをよく読むんですが、絶対に辞書を使いません! 娯楽のために読む本は、どうしてもという時以外は辞書をひきません。

劇団活動をされていると伺いましたが。
2000年だったと思います、フリーランスになって少しずつ形が見え始めてきた頃でした。何か違うことをやってみたいなぁと思っていたところ、ワークショップの通訳をきっかけに劇団に入ることに決めました。昔から好きだったのもありますが、毎日人の言葉を訳しているので、どこかで消化不良だったんですよね。
演じるのはとっても好きです。役者として、通訳者として、何かロールを与えられると、何千人を前にしても平気なんです。「結城あけも」として何かやれといわれたら、自分でもどうなるか分かりませんが(笑)。
夏には、NY公演も控えています。私にとっては劇団=自己成長の場なんですよ。団員は皆社会人なので、毎日なんとか時間をやりくりして稽古に集まるわけです。とっても大変ですが、必ず自分を成長させてくれる何かを得られるんですよ。一旦その喜びを知ってしまうと、もうやめられません。私自身、フリーになりたての頃は、控え室にいてもビクビクしていたんですが、あぁ変なところで気負わなくていいんだなって思えたんですよ。自分に自信なんてないんですが、こういう自分もいるんだってことを認めてあげられるようになったというか。芝居をやっていなければ、気づくのにもっともっと時間がかかったかもしれませんね。
「稽古風景」

1週間のスケジュールは?
週5日仕事を入れていて、劇団公演の約2ヶ月前からは水曜日の夕方と週末に稽古があります。時間がある時には資料を読んだり、ぼーっとしたり(笑)。毎日バタバタしているので、お休みの日は本当に非建設的な時間を過ごしています。
つい予定を詰め込みすぎてしまうので、どうしても睡眠時間が削られてしまいますね。平日の睡眠時間は4時間ぐらいです。そうそう、皆さん割と朝型タイプのようですが、私は完全に夜型なんですよ!
用語集

今後もずっと通訳を?
一時、40歳ぐらいでやめようかと思っていたんですよ。今はもう少しやってみようかなと。50歳まではやりたいですね。

もし通訳者になっていなかったら?
この質問、絶対聞かれると思って昨日ベランダでずっと考えていたんですよ(笑)。インテリアデザイナーかな? 親が聞いたら笑い転げると思うんですが。一人暮らしを始めてから目覚めたんですが、家具を見るのが大好きなんです。キッチン用品、雑貨、家具にはこだわります。この場所に合う下駄箱が絶対あるに違いない! と思うと、ぴったりのものが見つかるまで探すんですよ。自分でもこわいと思うんですが(笑)。

最後に、これから通訳者を目指す方へのアドバイスをお願いします。
業界、世代的にもいろいろ変わってきていると思いますが、継承されていくべきものは、オープンに受け入れてほしいと思っています。同じ会議通訳といっても、携わる分野によって全く違います。第一線で活躍している通訳者は、皆生き残るための投資をしているんですよ。そういう面をもっと見てほしいと思います。長くやりたいのであれば、決して使い捨て通訳にはならないでください。世の中、使い捨てで使われている通訳者は多いと思うんです。そういう人達は、一時仕事がたくさんあっても、長い目でみると続きません。是非とも、自分なりのキャリアパスを頭の中に持ってほしいと思います。


編集後記
通訳を目指す方にとっては、まさに憧れの存在ではないでしょうか? くるくると変わる表情がとっても素敵! 6月の公演が今から楽しみです!
*公演予定*
「ある晴れた朝」
東京公演
2005年6月19日(日)
@森下文化センター 
開演17:00全席自由
前売りのみ¥2700

「ある晴れた朝- 
Under The Open Sky」
NYオフ・ブロードウェイ公演 
2005年7月8日-10日 
@Theatre Row - The Acorn
チケット発売中 
詳しくは公式ホームページ http://opensky.cool.ne.jp/

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Vol.25 「まだまだ反抗期、努力はするけど我慢はしない」

【プロフィール】
二宮麻里子さん Mariko Ninomiya
中学卒業後、単身渡英。英国国立ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ政治学部政治経済学科卒業。イタリアに1年間滞在後帰国、スウェーデン通信社東京支局入社、通訳翻訳兼コーディネーターとして働く。数社でのインハウス通訳業務を経て、2004年よりフリーランスに。現在はフリーランス通訳翻訳者として、様々な分野で活躍中。

語学に興味を持ったきっかけを教えてください。
12歳の時に、親友がお父さんの仕事の都合でイギリスに転居したんです。その夏、彼女を訪ねてロンドンまで遊びに行ったのがきっかけで、英語とイギリスに興味を持ちました。生まれて初めて行った海外、そこで耳にした外国語の響きが面白くて、またいつか絶対ここに来てみたい! と思ったんです。

中学校卒業後に、単身渡英されたのですね。
親は驚いていました(笑)。一人で「絶対行く!」と言い張って聞かなかったんです。まだ早いんじゃないかと言われたんですが、言い出したら聞かないので、ついに諦めたようです。
小さい頃から集団行動が苦手だったんです。自分が本当にやりたいと思ったこと、興味を持ったことに対しては、一生懸命取り組みますが、「皆がやっているから」という理由で興味のないことを無理やりやらされるのは嫌だったんです。「我慢」はしたくないけれど、「努力」は好きです。私の場合、その「我慢」の中には、皆さんが「努力」だと思っていることも入っているのかもしれませんが......。自分でも損な性格だとは思っているんですが、子どもの頃から変わっていません。

イギリスでの生活は? 
合計8年間いたのですが、帰国後SMAPを知らないことで友達にバカにされました(笑)。成田エクスプレスにびっくりしたことも覚えています。
 英語は相当苦労しました。渡英当時、何の勉強もしていなかったので、授業を受けてもさっぱり分からないわけです。家に戻ってから、「今日は何についての授業だったんだっけ?(笑)」と考えることもよくありました。人間追い詰められたらやるんですよ。自分の好きなことだったので、つらいとは思いませんでした。
 サッカーチームのキャプテンになったこともあります。リーグ内ミーティングに参加すると、他チームのキャプテンは全てイギリス人です。私一人外国人で、おじけづいてしまいましたが、無理にでも話さないと自分のチームが損するわけです。こういう環境にいたせいで、だんだん慣れていったのかもしれません。

大学卒業後は?
ずっと英語圏で暮らしてきたので、次は「言葉を変えてみたい」と思ったんですよ。
 ローマに1年間滞在しました。最初は語学学校に行き、お金がなくなってきたところで、履歴書を作っていろんなところに配ったんです(笑)。昼間は現地のアパレルメーカーで働き、夕方からは所属していたサッカーチームでプレーしました。

帰国後、通訳者になったきっかけは?
イギリス企業からオファーを頂いたんですが、一度日本に帰ってみるのもいいかなと思ったんです。実際帰ってみると、窮屈でたまらなくて、早くイギリスに戻りたいと思っていたんですが、スウェーデン通信社で働き始めてから楽しくなったんです。何も知らないままに、取材や通訳翻訳を担当し、この仕事って面白いかもしれない! って。
 何となく通訳者になってしまったので、全てOJTで覚えました。当時のメモを見ると笑ってしまいます(笑)。学校に行っていれば、いろんなことを効率的に勉強できただろうなと思いますが、第一回目のインタビューで、王みどりさんが学校に行ったことがないとおっしゃっていたのを読んで、自分を鼓舞させています。

社内通訳時代の、面白ハプニングは?
インハウス通訳時代、通訳翻訳以外のことを頼まれることも多かったです。今でも思い出して笑ってしまうのが、「お犬様事件」です。上司が帰国する際、日本で飼っていた犬も一緒に連れて帰ることになったんです。検疫や空港での書類記入など、いろんな作業が発生しますよね。「麻里子、成田空港まで犬を送り届けてくれ」と、私の出番がきました(笑)。お犬様と一緒に成田まで行ったことを覚えています。海外出張時、犬の面倒を見てくれと言われたこともあります! 私のアパートは動物禁止で......と伝えると、「わかった! じゃあ麻里子、君がボクのマンションに泊まってくれ。会社も近くなるし、ボクも犬もハッピー、君もハッピーだね!」と(笑)。今だから笑える話ですが、当時は何だかなぁと思っていたこともありました。

いくつかのインハウスを経て、フリーランスになったんですか。
社内通訳の契約が終わる頃、単発の仕事をたくさん頂いたことから、自然にフリーランスになったんです。フリーになろう! と思ったわけではなく、お仕事を頂くままに来てしまったというか......。今の方が断然楽しいです! 毎回いろんな分野のお仕事を頂くので勉強になりますし、各分野の専門家の話が聞けるのはとても嬉しいです。

ブリティッシュアクセントで有名だと伺いましたが。
そうなんですよ。クライアントにはアメリカ英語をお話になる方が多いので、他の方と交代して私が通訳し始めると、ぎょっとした顔をされる方もいらっしゃいますね(笑)。あまりにもイギリス英語だからだと思いますが......。お陰ですぐに顔を覚えて頂けるという利点はあります。
実はアメリカ英語が苦手なんです。表現も、アクセントも全然違うので、例えばカリフォルニアからいらした方がお話になる時なんかは、ものすごく注意して聞かないといけません。簡単な言葉でも、ふと考えてしまうことがあります。日本に戻ってきたばかりの頃は、本当にに苦労しましたが、随分鍛えられました。今でも、BBCを聞きたいところを我慢して、CNNを聞いています!

プライベートは?
バレエのレッスンに通っています。昔から舞台を観るのは好きでしたが、先月からレッスンも受け始めました。ずっとサッカーやフットサルなどスポーツ畑だったものですから、私がバレエを始めたというと、皆笑います(笑)。サッカーをやるときは、短パンにヘアバンドで走り回っているんですよ! 今日持ってくればよかったですね。
「現在読書中」
今後も通訳者を?
そうですね。何でもそうですが、どうせやるんだったらうまくなりたい。臨機応変にいろんなことに対応できたらと思います。

もし通訳者になっていなかったら?
イギリスに戻っていたと思います。今の生活は快適ですが、通訳をしていなければ、日本にはいなかったと思います。両親は私が日本にいるので喜んでいますが、当の本人はまだまだ反抗期が終わっていません(笑)。
いずれにしても、会社の中で働くよりも、自分で何かをやっていく方が合っていると思います。努力はするけれど、我慢はしません。ワガママですみません!

これから勉強する方へのアドバイスをお願いします。
無駄なことは一つもないと思うんですよ。通訳以外のことをやっていても、絶対に役に立ちます。どんな些細なことでも。例えばサッカーをやっていると、ワールドカップの話になったときに、すごく役立ちますよね。逆に私の場合、野球やゴルフだとちんぷんかんぷんなんですが(笑)。趣味であっても役に立つこともあるし、無駄なことは何もありません。近道もなければ、回り道もありません。がんばってください!

編集後記
すかっとした青空のような方でした! 自分をしっかり持っているからこそ、輝いていらっしゃるんだと思います。プライベートもバレエにサッカーと素敵。二宮さんにとって、通訳という仕事はまさに天職!
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