INTERPRETATION

Vol.61 「タイルの目地のような通訳者を目指して」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】

上野美保さん Miho Ueno

幼いころ祖父の影響で英語に興味を持ち、大学卒業後日本の企業に就職するも、本格的に通訳を志すようになり通訳学校に通いプロの通訳者を目指す。
外資系企業のバイリンガルセクレタリー、生命保険会社等の社内通訳を経て、現在はフリーランス通訳者として様々な業種にてご活躍中。

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今日は通訳者の上野美保さんにおこしいただきました。いつも弊社のお仕事では大変お世話になっております。本日はよろしくお願いします。

Q1、いつ頃から英語にご興味を持たれたのでしょうか?

実は祖父の影響なんです。私の祖父は小学校の校長先生でした。好奇心が旺盛な人で、祖父から英単語をたくさん聞いて育ちました。山形県鶴岡市という、外国人なんて全然いないような片田舎だったのですが、3歳ぐらいから「世の中には日本語という言葉以外に、英語という言葉があるんだ」と認識していました。ちょうどその頃家族で東京の上野動物園に遊びに行った時、生まれて初めて外国人を見ました。そこで祖父から聞いた英語で「ハロー」と話しかけてみたんです。まだ自分の名前をやっと言えるぐらいの年でした。

Q2、小さい頃から社交的な性格だったんですね(笑)

はい、とにかく人が好きで、すぐに近づいて話しかけていました。小さい女の子がハローと話しかけたのにとても外国人の方が喜んでくれたのを覚えています。それが初めての英語との接点です。それ以来英語が好きで、中学・高校の時も英語のテストはトップクラスで「このトップのポジションは絶対に譲らない」という思いで勉強していました。今振り返ると受験英語の読み書きの勉強が中心で、ヒアリングは一切やっていませんでした。将来は英語を活かせる仕事をしようと、大学も英文科を選びました。ただそこで大きな挫折を経験することになります。

Q3、どんな挫折ですか?

自分ではかなり英語が出来るという自信があったのですが、大学に入って自分が何もできないということに気づかされました。帰国子女の方も多い学科だったのですが、視聴覚演習や英会話、スピーキングというクラスに最初は全くついていけませんでした。授業では自分の順番が回ってくるのが怖かったのを覚えています。あの時はちょっと頑張れば追いつけるという気持ちにもなれず、英語を勉強するというモティベーションもすっかり下がってしまいまし。自信喪失し「自分の英語力では留学も出来ない」と思っていました。

Q4、それで一旦は英語とは全く関係ない会社に就職されたんですよね?

当時は働くことにビジョンさえ持てなかったので、何となく縁のある会社に一般事務として入社しました。来る日も来る日もお茶くみやコピー取りだけの毎日が続きました。「僕はお茶がいい」「僕はコーヒーがいい」など、レストランみたいな要求はありますが、仕事に関する要求はありませんでした。社会人になって1年ぐらい経過した頃、何のビジョンもなく仕事を続けるのはよくないと思うようになりました。共働の両親に育てられたこともあって、私も40代、50代になってもずっと仕事を続けたいと思っていました。就職活動の時には一生仕事しようという気持ちと方向性が上手く結び付かなかったのですが、今からでも何か目標を見つけようと決心しました。

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Q5、その気持ちが24歳の時、通訳者を目指そうと決心されたのですね?

ある日会社で外国人の専門家を呼んで専門的な会議を行うことになったのですが、その時に初めてプロの通訳者とお会いしました。沢山の書類を抱えて、背筋をピンと伸ばしてとスーツを着こなしていらっしゃいました。その瞬間、雷に打たれたみたいに「私も通訳者になりたい」と思いました。自分の目指すものはこれだと思いました。

Q6、それから行動が早かったですよね。

はい、(笑)まず通訳学校に通いました。英語は大学時代に挫折した時点でストップしていましたので、シャドウイングなどの訓練は当時の自分にはレベルが高すぎました。最初はまず朝起きてから寝るまで英語に触れるように工夫しました。起きたらすぐにCNNなど英語のニュースをつけて、英字新聞を音読して、歩く時は必ずヘッドフォンで英語を聞いていました。仕事前1時間ぐらい近くのカフェで勉強してから出勤していました。とにかく何でもいいから英語に触れるようにしていました。結局「通訳者になろう」と思い立ってから3ヶ月後には仕事も辞めてしまいました。その頃は一日中英語漬けで、英語以外のことは考えられませんでした。

Q7、でも生活をしていくには収入も必要ですよね?

私は一人暮らしだったので生活費、そして通訳学校の授業料も必要です。「全くの未経験から通訳者になるには、どうすればいいのだろう?」と真剣に考えました。そして行き着いた答えが、バイリンガルセクレタリーから経験を積んで通訳のチャンスを待とうと思った訳です。今考えると安易かも知れませんが、私にはこの方法以外に思いつきませんでした。

Q8、私も未経験の方には、勉強をしながら、バイリンガルセクレタリーの仕事をしてはどうかとアドバイスします。

ただ派遣会社の登録会で、「あなたのこの経験ではバイリンガルセクレタリーは無理ですよ」と言われました。当然ですが、バイリンガルセクレタリーになるにもベースが必要なのですが、私には秘書としての経験がなかったのです。ただそのまま帰るのも悔しいので「バイリンガルセクレタリーになるにはどうしたらいいでしょうか?」と食い下がって、まず外資系企業で仕事をするのを勧められました。外資系企業で外国人とコミュニケーションを取って仕事をしたという経験があれば、次のステップに行けるのではないかと思い、外資系企業で仕事をすることに決めました。その仕事はヘルプデスクで非常にハードな仕事だったのですが、そこで1年実績を積んで、晴れて外国人付セクレタリーになりました。人が好きだという思いが根本にあるので、その人が求めているものを察知して、その期待に応えることがやりがいでした。

Q9、セクレタリーから通訳者を目指すのも大きなジャンプが必要ですよね?このままでいいかなと思ったことはありましたか?

いい質問ですね。(笑)実は人にも環境にも恵まれ、最初の頃に比べると時給も上がっていたので、正直このままでいいかなと思った時期もありました。ただやっぱり夢は捨てられませんでした。そこで通訳学校の学院長の紹介で、保険業界の通訳・翻訳業務、そしてリサーチ業務に転職しました。通訳の機会も決して多くありませんでしたが、時々依頼のある通訳案件は、大使館や政府機関への表敬訪問や日本の保険業界を代表するような方の雑誌インタビューなど、内容は当時の私にとっては思った以上に難しい内容でした。夢だった通訳の仕事だったけれど、「今は無理」とさえ、思いました。ただ、逃げる訳にはいかないので、あらゆる手を尽くして事前準備をしました。例えば、表敬訪問の場合は、日本経済の話題とか、マクロ経済の話や、その中で保険業界の状況はどうなのか?などあらゆる情報を仕入れて、想定問答集まで自分で作り、これを英語で暗記するまで何度も繰り返し目を通しました。結果高いパフォーマンスが出せて、自信に繋がりました。

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Q10、そして2008年にフリーランスに転身されますが、不安はありましたか?

最初はなかなか勇気が出ませんでしたが、社内通訳・翻訳の仕事の中で翻訳の割合が増えてきたのを機に思い切ってフリーランスになりました。実は主人にも「フリーランスになりたい」という気持ちはずっと伝えていたのですが、いつになったらフリーになるんだろうと思われていたみたいです。(笑)主人は仕事を理解してくれて自称「応援団長」と言っています。

Q11、フリーランスの仕事では時間管理やスケジュール管理が重要になってくると思いますが、どのようにされていますか?

私はエクセルで一元管理しています。これも主人の影響なのですが、家計簿や将来プランから休日の予定まで、すべてエクセルで管理しています。過去の仕事の概要もエクセルに入力して、ログを記録しています。過去の仕事の課題点や経過を記録することによって、「見える化」を実現し、今の仕事にとても役立っています。スケジュールはエクセルですべて管理していますので、手帳はもっていますが、定期券入れに入るほど小さいサイズです。

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Q12、常に時間管理は意識されているんですね?

はい、時間管理と体調管理はきちんとしないと、結局自分に跳ね返ってきます。ぼーっとしていたらあっという間に夜中の12時になってしまいますよね。私は日ごろから隙間時間でできるものをオプションで持ち歩いています。例えば一日案件の仕事が急に半日で終わった場合は、残った時間にやりたいことをはめ込みます。そういう風に有効に時間を活用するためにも1時間ぐらいでできる仕事や勉強を、常に細分化して管理しています。隙間時間を事前準備や勉強に充てています。通訳は毎回新しい分野に挑戦したり、新しい方にお会いするので、とにかく時間の許す限り事前準備したいと思っています。

Q13、事前資料の大切さは私たちコーディネーターもよくわかっていて、お客様になるべくご協力いただけるようお願いしているのですが、それでもどうしても資料が出ない場合があります。その時はどのようにされていますか?

確かに資料が全く出ない場合もあります。事前情報が全くない状況で本番に臨むのはつらい部分もあります。ただ絶対現場でサプライズはつきものだと思うようにしています。難しい現場で、現時点で自分の持っている力でベストを尽くして、何とか乗り越えて家に帰った時には、達成感もあります。通訳のやりがいは、会議が一定の結果を出して、最後にクライアントの方から笑顔で「ありがとう」言っていただいた時です。毎日いろんな分野のいろんな専門家の話を聞けるのが、私にはとても楽しいことです。

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Q14、お仕事以外のプライベートな時間はどのように過ごしていらっしゃるのでしょうか?

実はクラシックバレエを20年近くやっています。ちょっとストレッチをさぼるとすぐに体が硬くなってしまいますし、同じ姿勢で何時間も資料を読んだり緊張して仕事をすると肩も背中も凝るので、凝りを解消するためにも、今は週に2~3回、バレエのレッスンを受けています。あとは大学の勉強です。実は今、通信講座である大学の法学部政治学科で勉強しています。勉強のために仕事をセーブすることはありませんので、単位取得のためのレポートなどはなかなか進みませんが、今は空いた時間の大半を大学の勉強に費やしています。通訳学校で勉強をしていた時に、政治経済の教材が多くとても楽しかったので、本格的に勉強したいと思い政治学科を選びました。いつか通訳の現場にも生かして行きたいですね。

Q15、通訳者としての将来のビジョンはありますか?

基本的には今やっている仕事を一つ一つ積み上げいくようになると思いますが、将来的には国際経済や国際政治の分野でシンポジウムの通訳などもやりたいと思っています。すごく抽象的かもしれませんが、通訳という仕事を架け橋と表現する人も多いかと思いますが、私はタイルやレンガの「目地」の役割に似ていると思います。架け橋というとどうしても橋が目立ってしまいますが、話者の間に入って自然に両方をつなげられるような存在になりたいと思っています。

Q16、これから通訳者を目指す人に何かメッセージはありますか?

よく言われることだと思いますが、とにかく諦めないことだと思います。これは今でも私が心がけていることです。私は24歳で通訳者を目指してフリーランスの通訳者になるまでに、3回ぐらいどうやって越えたらいいか分からないぐらいの大きな山がありました。その山を越えるために、あらゆることを試しました。

なかなか成果が出なくて、本当に自分がやっていることは正しいのか疑ったこともありました。通訳の先生に相談しても「それでいいのよ」という返事しかかえってきませんでした。それでもなかなか成果が出ないので、また他の先生に質問しました。その先生も「それでいい。後で成果は必ず出てくるから」と言われました。努力しても努力しても報われない気がして、3人目の先生に聞きました。しかしその先生も「間違いなく蓄積されているから大丈夫。自分を信じて続けなさい」と言われました。来る日も来る日も愚直に課題を繰り返し、そんなある日突然「超えた」と思える瞬間がありました。やはり続けることが大切だということを身を以て経験しました。山を越えたと思えるまであきらめずに、色んなことを模索してみることが重要です。後は時には自分の力を超えるようなチャレンジも必要だと思います。自分が限界だと思っていたことが、意外に限界じゃないんですよね。限界って自分で勝手に作ってしまうものだと思います。

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Q17、ちなみに大きな3つの山って具体的にどんな山だったのですか?

一つだけお伝えすると通訳学校でよく言われることなんですが「予測して訳す」ということが最初はよく分かりませんでした。占い師のようには予測できないと思っていました(笑)。耳から聞こえたことばかりに気を取られていて、予測まで頭が回っていなかったのだと思います。スキルがついてくると、次に来る情報を自分から情報を取りに行くように聞けばいいんだとわかるようになり、その瞬間は本当に嬉しかったですね。通訳者を目指している人は、とにかく諦めずに継続してほしいと思います。とてもシンプルな答えですが「継続」が通訳者になる鍵だと思います。

編集後記

一般事務の仕事から通訳者を目指された上野さんの話は、ハイキャリア読者にもとても参考になる内容だと思います。私も最近仕事の上では「絶対に諦めない」ということが本当に大切だと思っています。ついすぐに結果を求めたり、結果が出ないとモティベーションが下がったり、他のことを始めたりしてしまいがちですが、一つのことを「継続」することが何より大切ですよね。上野さんの話を聞いて、再確認しました。

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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