INTERPRETATION

アジア人学生の特徴

木内 裕也

Written from the mitten

 今学期は合計で80名近くの学生を教えていますが、そのうち20名強は留学生か英語を母国語としない学生です。2004年に初めてアメリカの大学で授業を教えてから、これほど外国人や英語を外国語としない学生の比率が高かったことはありません。論文を書くことで研究の価値が決まる私の専門分野では、これらの学生がどうしても英語を母国語とする学生やアメリカ式の教育に慣れているアメリカ人の学生よりも苦労します。私も交換留学生や留学生の経験がありますから、できるだけこれらの苦労する学生の気持ちを理解しようとしています。学生とコミュニケーションをとるにおいて、アジア系の学生に多く見られる特徴に最近よく気づきます。

 それは学生の質問がYesかNoを求めるという点です。もちろん細かい差異はありますし、一概にアジア系の学生はこうだ、と決め付けるのは不適切ですが、強い傾向が見られます。例えば論文の構成を質問してきた学生が、「第3段落にはこのようなことを書きたいのですが、いいですか?」と質問します。私の視点から考えれば、学生が第3段落に何を書くかはその個人が判断して決めることであり、時にはその決定がベストではなく減点対象となっても、それは学ぶ過程の1つです。それよりも「自分なりの論文構成」を行うことが重要であり、学生の書いた内容が誤っているかどうかを判断するのではなく(書かれている事実に間違えがある場合は別ですが)、「よりよい論文にするにはどうするか」というアドバイスを与えるのが私の責務と考えます。従って先に述べたような質問には、「好きなように書いていいですよ。自分で考えてください。それよりももっといいアイデアがあれば、いくつか教えてあげますから。」と答えるしかありません。YesやNoで答えられるものではないのです。このような質問をアメリカで育った学生から尋ねられることは少ないです。逆にいくつものアイデアを列挙して、「どれが一番か分からないから、アドバイスを下さい」ということがほとんどです。この違いには大学の教員というある意味でAuthorityの意見に従う、という典型的なアジア的思考が見え隠れします。そしてアジア的教育が正答か誤答かしかない、と批判されるように、二元論で考えられていることも反映しているようです。

 学生がいつ質問するか、ということも大きな違いです。現地の学生にもシャイな学生はいますが、傾向としては授業中に多くの質問をします。こちらの話を聞かず、私が何かを行った1分後に同じ内容を平気な顔をして聞く、ということがまれではありません。しかし大人の集中時間は17分しか持たない、という研究結果もありますから、もちろん「さっき言ったじゃない」と苦笑しながら答えます。学生も「ハハハ、そうでしたっけ?」とあっけらかんとしています。逆にアジア系の学生の多くは授業が終わってから私の元に来て質問します。時には非常に良い質問もあり、「授業中に質問してくれれば、他の学生にも役に立つのに」と思うことが頻繁にあります。

 これらの違いはある意味でステレオタイプを繰り返すようですが、特徴として実際に感じます。多くの留学生がまだ1年生。中には私の授業がアメリカで始めて受けた授業という学生も数名いました。4年後には無事にアメリカの大学に馴染んでいるでしょうか?

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木内 裕也

フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。

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