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Written from the mitten

木内裕也さんのアメリカレポート。2005年春-2006年夏まで、Hubbub from the Hubのニックネームで通翻訳者リレーブログを担当して頂きました。2009年5月にミシガン州立大学(MSU)博士課程を修了、博士号を取得された木内さんから見た、現地での生活やハプニング、大学のことなど、アメリカの今を発信します。 通訳・翻訳の話をまじえながら、幅広いテーマに沿ったレポート、毎週月曜日更新です!どうぞお楽しみに!

第2次救命トレーニング

 先日、American Heart Associationの行うACLS(Advanced Cadiovascular Life Support;第2次救命)トレーニングに参加してきました。医師だけではなく、アメリカの病院のICUで働く看護師や救急救命士にも義務付けられているトレーニングで、2年に1度更新講習が求められています。CPRやAEDを使った心肺蘇生を学ぶ第1次救命(BLS)と比較して知識や技術の面で高いレベルが求められるのがACLSです。16人の参加者のうち看護師などICUとERで働く医療従事者が15人でした(残りの1人は私です)。

 当日の講習は朝8時から夜6時まで行われました。午前中は講義です。3-lead EKGと呼ばれる心電図を見て患者の心臓が抱えている問題を把握することと、12-lead EKGを見て心筋梗塞が心臓のどこで発生しているかの見当をつけることに焦点が当てられました。また数年前に日本でも話題になった気管挿管などAdvanced Airwayに関する講義も行われました。気管へのチューブはET tubeと呼ばれていますが、ACLSではその重要性がかなり低くなっているとのこと。アメリカからかなり遅れて救命士に挿管を認めさせた日本では比較的新しいテクニックのようですが、アメリカではその重要性がかなり失われています。その背景には体内の血流を促進することに焦点がかなり当てられていることにあるようです。2005年のガイドラインの変更で、CPRの際に15回の胸部圧迫から30回の胸部圧迫をするように指示が変わりました。またAEDに関してもこれまで3度の電気ショックを与えてからCPRを再開したのに対し、1度の電気ショックの後に2分間のCPRに変更されました。これは1度目の電気ショックでかなりの成功率があるのに加え(2回目、3回目で成功する可能性は低い)、とにかく脳に血液(酸素)を送ることが生存率につながるという研究結果が出ているためです。従ってET tubeを数秒間ですんなりと入れることができるのでない限り、わざわざCPRを停止してまでET tubeを入れる必要が無いと判断されるようになりました。Respiration Therapistと呼ばれる人がERやICUにはいて、1日に何十回と挿管しています。その人たちが到着した段階で挿管すればよい、ということが強調されていました(とはいってもマネキンで挿管をさせられましたが)。

 午後は実技の試験。いくつもの試験がありましたが、特に重要なのは現場と同じような環境の中で約10分間にわたって蘇生を試みるメガコードと呼ばれる試験です。試験官の作り出した状況の中でメガコードのチームリーダーとして、ACLSチームをまとめて患者の手当てをしなければなりません。私の場合は除脈を発見したBLSチームから患者を引き継ぐケースでした。酸素を与え、点滴を行い、心電図の指示をそれぞれ合計3人に行います。患者の心電図は第3度房室ブロックの波形でした(試験官が波形をコンピューターで操作するので、実際にモニター上に波形が示されます)。通常の除脈の場合はAtropineと呼ばれる薬を0.5ミリグラム投与しますが、第3度房室ブロックではPacerといって100Jの電気ショックを与えます。2分間のCPRを指示し、それが終わると波形は心房細動(VF)になっていました。360Jで除細動を指示し、CPRを行いながらEpinephrineを1mg投与。それでもVFなのでCPRを再開しAmiodaroneを1mg投与。その後もVFなのでCPRとEpinephrineを繰り返しました。すると心電図に波形は戻ったものの、脈は無くPEAという状況に。PEAは電気ショックを使えませんので、Epinephrine、CPR、そして今度はAtropineを1mg行いました。PEAの原因を探り、メガコード1つ目の試験終了。自分が採点されているときには指示を出すだけです。そうでないときにはチームメンバーとして、採点されているリーダーの指示に従って処置をしなければなりません。そのほか直流心房細動、心室頻脈などのケースがありました。状況も最初はERやICU、病院内での心停止でしたが、試験官も途中で飽きてきたようで、「スターバックスの熱いコーヒーを持った途端に心停止で火傷も負っている(心停止の患者についてはちょっとした火傷は後回しです)」とか、「フットボールの試合観戦中にビールを飲んでいたら心肺停止」など。シナリオも豊かになっていました(大量のビールを飲んでいる場合、気管挿管で誤って食道に挿管していてもガスが排出されるので、実際に肺の音を聞いたりしないと本当に気管に挿管されているか分からない、というきちんとした理由がありましたが)。

 長い1日でしたが無事にACLSの更新を行いました。次の更新は2011年の夏か秋です。


大学のスポーツリーグ

 アメリカの大学でスポーツが非常に盛んなことは約1年前にこのブログで書きました。秋は野球、フットボールなどの試合が行われ、週末のキャンパスは非常に盛り上がります。4大スポーツに比べて人気の劣るサッカーも、やはりNCAA1部の試合となれば数百人が集まります。8月末に始まった秋のスポーツシーズンも約1ヵ月半が経過して、次第に上位チームと下位チームの差がはっきりしてきました。また同時にシーズン後のプレーオフを目指した争いも非常に激しくなっています。

 例えばサッカーでは8月20日頃からシーズンが始まり、最初はシーズン前や初期のトレーニングマッチがたくさん組まれています。通常では対戦しないチームと試合を行ったり、州の外に遠征に行ったり、試合経験を積む努力が行われます。そして9月になると1部のチームは他の1部のチームと、2部のチームは他の2部のチームという風に、それぞれのカテゴリーの中で基本的に試合が組まれます。毎週2試合程度が平均です。

 9月末になると、カンファレンスと呼ばれる試合が始まります。これはサッカーだけではなく、その他の大学スポーツも同じです。それぞれの大学はカンファレンスと呼ばれる大学の団体に所属しており、その中で1位になることを目指します。私が教えているミシガン州立大学はMAC(Mid-Atlantic Conference)に所属しています。かつて通っていたBoston CollegeはACC (Atlantic Coast Conference)に所属しています。カンファレンスの試合は、ミシガン州立大学であればそのほかのMACに所属する大学のチームと試合を行い、トップを決めます。したがって9月に行われる試合も大切ですが、カンファレンスの始まる9月末は第2のシーズン開幕とも呼ばれ、選手やファンの関心も一気に高まります。審判員にとってもカンファレンスの試合を担当できるのは一部の人に限られます。シーズン前やシーズン始まりのパフォーマンスが、カンファレンスでの割当を左右します。

 10月はこのようにカンファレンスの試合が行われ、10月末になるとカンファレンス内での順位が決まり始めます。カンファレンスは基本的に地域性があるのに対し、11月の上旬に始まるNCAAのトーナメントは全国レベルです。例えば私は昨年NCAAの準決勝を担当しましたが、そこではノートルダム大学とフロリダ州立大学が対戦しました。これらの試合には数千人が集まります。

 すでにミシガンでは降雪がありましたが、シーズンの佳境を迎えると試合によっては氷点下の中で行われます。そうなると約3ヶ月の短い大学サッカーシーズン(そしてその他の秋に行われるスポーツ)も終わりです。


盛り上げ上手なアメリカ人

 昨年の秋には日本のあるプロスポーツリーグの代表がアメリカを訪問して、どのように地元密着型のプロチームを作るのか、そしてどう魅力あるイベントを生み出すのかを調査していたことがありました。私はそこに通訳者として参加をしたのですが、アメリカ社会はちょっとしたイベントでも盛り上げるのが非常に上手です。またそこに参加する人々も、冷めた目で見つめるのではなく気軽に一緒に盛り上がって楽しんでいます。

 約2週間前のことになりますが、午後2時にキックオフの大学リーグの試合で審判をすることになっていました。全国サッカー3部リーグなのでそれほどのレベルの試合というわけではありません。通常なら30人も観客が集まればいいほう。そのほとんどは選手のガールフレンドやルームメイトです。しかしその試合当日の朝に連絡を受け、試合の開始時間が午後7時になり、会場も大学近くの公園にあるサッカー場に変更になったとのこと。新しいキックオフ時間に合わせて会場入りしてみると、担当者から「コミュニティーイベントとしてサッカーを使って、もっと大学と地元の密着をしようと思ったんです」と説明を受けました。実際に試合開始時間になると1000人を超す観客が集まりました。試合前に観客に配られた試合パンフレットの1つには選手のサイン入りのものがあったようで、それを見事に手にした人にはTシャツのプレゼントがあったり、入場券の番号による抽選会が行われたり、またハーフタイムにはゴールにつるされた人形を的にしたゲームが子供向けに行われたりしていました。大学リーグとして考えると質の高いプレーがあるわけではありませんが、コミュニティーイベントとして考えれば非常に良いイベントでした。残念ながら地元チームがオハイオ州のチームに負けてしまい、ファンは少し残念そうでしたが、それでも楽しい2時間を過ごしたようでした。ちなみに私はオハイオ州の監督を試合中に退席処分にしたので、敗戦ではあっても地元ファンは気軽に声を掛けてくれました。

 今はオハイオ州のシンシナチにて行われている学会に来ています。ここでも色々なイベントが行われています。学会というと真面目な雰囲気を想像し、実際に会議中は非常に真面目に議論が交わされます。しかしBook Exhibitと呼ばれるような出版社と研究者が情報交換を行ったり、書籍の割引購入が行われる場所ではシャンパンが振舞われたり、やはりちょっとしたプレゼントを用意したイベントがあったり、何かと工夫があります。

 地元の運動会に人が集まらず、地域のイベントがキャンセルになるなどということを良く耳にする日本の様子とはかなり違うと言えます。この差異には歴史的な背景も、地域居住者の特徴もあるでしょう。何世代にもわたって同じ場所に住んでいる場合には、わざわざ意図的にコミュニティーイベントを行わなくても、コミュニケーションが行われます。逆に国内だけではなく海外から頻繁に新しい居住者が来る場合には、それなりの意思疎通を意図的に行う必要があります。前者の場合はある程度の信頼関係を用意に築けるのに対し、後者では「一緒に楽しむ」背景には相手が信頼に値するか試すという目的もあると推測できます。


高等教育の意義

 「日本の教育は詰め込み型で、アメリカは独創性を生かす」とは典型的なアメリカと日本の違いを指す固定概念ですが、日本では耳にしなかったもののアメリカでは良く耳にする言葉に、Generation of Knowledgeというものがあります。知識の創造という意味です。学生に知識を与えると同時に、新しい知識をいかにして創造させるかというのが教員にとっての大きなテーマです。

 私も今教えている授業において、特にScience and Technologyというタイトルのついた授業についてはいかにして大学1年生が中心の授業で新しい知識を生み出すという作業を行うべきか模索しています。一般的に知識の創造には2つの方法があると言われます。1つ目はまるっきり新しい発見をすること。私の専門分野でいえばあたらしい史実を発表したり、新しい見解を発表することがこれにあたります。これはそれほど容易なことではありません。2つ目はすでに知られている知識を別の角度から見つめ、新たな知識を生み出すこと。リンカーン大統領暗殺は誰もが知っている事実ですが、それをどう分析するか、どの角度から考察するかによって、新しい知識を生み出すことができます。この後者の手法は、大学1年生にとってもとっつきやすいものです。

 私の授業はScience and Technologyと名前がついていますから、この分野における新たな知識を生み出すのが学生たちの課題です。そこで重要なのは、Knowledge aboutとKnowledge behindの違いです。学生はこの差を理解するのに時間が掛かっていましたが、例えばiPodに関するKnowledge aboutはiPodがどう機能するのか、どのような人が購入しているのかなど、そのテクノロジーに関わる事実です。しかしKnowledge behindは、より深層の理解が必要になります。例えばiPodで音楽を聴いていると、時に周りに誰がいるのか気づかず、我を忘れることがあるでしょう。電車に乗っていて気づいたら最寄り駅、というケースです。Freudの考えでは、このような経験をUncannyと呼ぶことができます。またHeideggerは「そこに存在するということは物理的存在だけではなく、Readyでなければならない」とも言いました。つまりその場にいても、我を忘れていてはそこに存在していることにはならない、ということです。物理的にそこにいるかもしれないけれど、意識はそこにいない、という場合、それはそこに存在していることになるのか、という深層の追求をすることがKnowledge behindにつながります。そのためにはこの例ではFreudやHeideggerについての知識が無ければなりません。しかしこのようなトレーニングをすることで、次第に学生たちは自分たちなりの知識を生み出すことができるようになります。

 あと数日で学生は1つ目の論文を提出することになっています。課題は1つTechnologyを選択し、上記のようなKnowledge behindの論文を書くこと。5ページ程度の短い課題ですが、どのようなOriginal argumentsが出てくるのか今から楽しみです。


科学技術

 先々週はミシガン州立大学のライティングの授業で使われているメソッドを紹介いたしました。今週は私が教えているもう1つの授業、Science and Technologyについて書きたいと思います。この授業もWriting Intensiveと呼ばれる授業で、他の授業よりも多い量のレポートや論文を学生は提出しなければなりません。だからといって授業時間が短縮されたり、読むべき文献の量が減らされているわけではないので、非常に厳しい授業ともいえるでしょう。しかし大学の卒業要件を満たす授業であり、しかもScience and Technologyという比較的なじみのあるテーマのため、いつも定員いっぱいに学生が集まります。

 私を含めこの授業を教えている教員は科学技術の分野で学位をとっているわけでも、その分野の実務経験があるわけでもありません。授業はWriting, Rhetoric, and American Culturesという学部のカテゴリーですから、そもそも科学技術を教えていること自体、一部の学生にとっては疑問かもしれません。しかしこの授業のテーマは私たちの生活と、科学技術の関係を学ぶことにあります。物理学や天文学、数学や自然科学を学ぶのではなく、科学技術が私たちにどのような影響を与えているのか、そして私たちの生活が科学技術の発展にどのような影響を与えているのかを考察し、その結果を論文にまとめるのが目的の授業です。私の場合はSTS(Science Technology and Society)やHST(History of Science and Technology)の分野の学会に参加していますし、他の教員も同じような経験を持っています。ある意味で科学者とは全く違った観点間から科学技術を見つめることができ、なかなか関心を集めることの難しい学生も、比較的興味を持って授業に参加しています。

 授業の1日目にはGPSについてのディスカッションを行いました。日本より自動車社会のアメリカですが、GPSの普及は日本よりも遅れていましたが、最近は多くの人がGPSを利用しています。哲学者Platoの文献に「人類は『書くこと』を発明したが故に、覚える手段ではなく、思い出す手段を手にした」という言及があります。例えば出来事の全てを記憶できれば、わざわざ日記を書く必要はありません。文字の発明は、知識の創造ではなく忘却を促進し、失われた知識を思い出すための手段でしかない、という考えです。この考えをGPSに当てはめれば、GPSによってどこにでも自由にいけるようになったと同時に、それに頼りすぎてGPSが故障すると地図の読み方も知らず、目的地への向い方も分からない、ということがありえます。

 ただのGPSですが、このように哲学的に考えると、いくらでもディスカッションの余裕はありますし、論文のテーマにもなりえます。学生もPlatoの作品を読んだだけではなかなか理解できないようでしたが、日記の話をし、そしてGPSの話になると非常に興味深そうにしていました。このように別の視点からこれまで当たり前と感じていたものを見つめる作業を、私はあえてReadという言葉を使って学生に話をします。もちろん、AnalyzeやStudy、Examineという言葉がより適切でしょうし、実際に行っている作業はDeconstructかもしれません。しかしあえてReadという馴染みのある言葉を使うことで、「文章だけではなく、物を『読む』こともできる」というメッセージを伝えることができます。理系の学生は科学技術について学んではいますが、科学技術を学ぶという作業は初めてです。知識を与えるだけでは大学のできる範囲に限りがありますが、考え方を教えることができれば、学生は様々な用途にそのツールを利用できるでしょう。



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プロフィール

木内裕也

木内 裕也さん
フリーランス会議・放送通訳者。長野オリンピックでの語学ボランティア経験をきっかけに通訳者を目指す。大学2年次に同時通訳デビュー、卒業後はフリーランス会議・放送通訳者として活躍。上智大学にて通訳講座の教鞭を執った後、ミシガン州立大学(MSU)にて研究の傍らMSU学部レベルの授業を担当、2009年5月に博士号を取得。翻訳書籍に、「24時間全部幸福にしよう」、「今日を始める160の名言」、「組織を救うモティベイター・マネジメント」、「マイ・ドリーム- バラク・オバマ自伝」がある。アメリカサッカープロリーグ審判員、救急救命士資格保持。