INTERPRETATION

気配りとおせっかい。この違いは?(その2)

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 先週は通訳者に必要な「気くばり」についてお話しました。人間関係を築く上で、やはり大きな評価ポイントとなるのは気くばりだと私は感じています。仕事上有能であるに越したことはありませんが、やはりそれと同じぐらい気働きがあると周囲もその人に対し信頼を寄せるものです。10年以上前、私は内閣府主催の「東南アジア青年の船」という事業に参加したのですが、その時シンガポールから参加した青年が実に気くばりの名人で、相手が何を今望んでいるかを素早く察知できる人でした。それぐらいになれたら良いなと私自身、常に目標を高く抱くよう心がけるようにしています。

 ではその一方で「おせっかい」というのはどういうものでしょうか?辞書には「余計な世話を焼くこと」と定義されています。私は通訳業務におけるおせっかいとは、「良かれと本人が思っても、相手が望んでいないサービスを提供してしまうこと」ととらえています。

 たとえばビジネスミーティングの通訳を例に取ってみましょう。その参加者の日本人はそこそこ英語力があるとします。外国人の英語はほぼ理解できるけれど、自分たちの発言は日本語でするので、それはきちんと英訳してほしい、というシチュエーションです。

 実は近年、こうした状況が増えていると個人的には感じています。帰国子女が社会人として中堅どころになっていたり、海外駐在が増えたりしたことなどによって、英語を理解できる日本人が10年以上前と比べると格段に増えているのです。そのような中、限られた会議時間で最大限の結果を出すためには、通訳者もメリハリのある、ポイントを押さえた訳出が求められます。日本人側が英語を理解できるのであれば、通訳者も「一字一句全訳する」のではなく、たとえば繰り返しの部分は省いて訳すなど、時間を有効活用できるようなアウトプットをする必要があります。

 それなのに「通訳学校では一字一句すべて訳すよう習ったから」と、耳にする単語すべてをきっちり訳していたらどうでしょう?そうした小さなことが積み重なり、時間がロスされることも大いにありうるのです。このような場合、「通訳学校でそう習ったし、全訳するのが通訳者の務めだから」と思ってしまうことが、「おせっかい」に相当すると私はとらえています。

 通訳業務に限らず、相手に何かを提供するのであれば、常に相手が求めるものを考えて察する必要があります。行き過ぎた行動はかえって相手に迷惑がられますし、単なる自己満足に帰結してしまいます。良かれと思って行ったことが常に相手に感謝されるとは限りません。ましてや「せっかくやってあげたのに相手は感謝してくれなかった」と思うのは本末転倒です。

 大事なのは一歩引いて相手の立場から見ること。これはどの職種でも今の時代、求められることだと思います。

 

(2010年8月23日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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