INTERPRETATION

厳しさVSほめること

柴原早苗

通訳者のたまごたちへ

 私は現在、放送通訳業の傍ら、通訳学校をメインに指導も行っています。教えるという行為は、その授業時間の数倍もの準備時間を必要とするものであり、通訳業務とは違ったやりがいがあります。私の場合、大学時代に家庭教師こそ経験したものの、一定人数を相手に授業をするという塾や予備校での指導はなぜか苦手意識が先立ち、結局はやらずじまいとなっていました。ですので、今から10年ほど前に初めて「授業」という形式の仕事にかかわった時は大いに緊張していたのを覚えています。

 かつて私が受講生として通訳学校で学んでいた頃は、体育会系の厳しい授業が少なくありませんでした。「そんなことでは通訳になれませんよ」「一体なんだと思っているの!?」といった厳しいコメントや注意が講師の口から聞かれることもあったのです。受講生による授業評価アンケートなども存在せず、「先生がおっしゃることはとにかく絶対正しい。先生の指示を守っていれば必ず自分も通訳者になれる」と、多くの受講生が厳しい指導に耐えながら一日も早いデビューを目指していたのです。

 しかし、時代は大いに変わりました。昨年、あるスキーリゾートでスクールに入った時のこと。インストラクターの先生がこうおっしゃいました。

 「かつて私たちのスクールもずいぶん前は厳しい指導をしていました。けれども今はそういう時代ではないのです。とにかくほめて伸ばす。これが現在今の指導法です。」

 子育て雑誌を見ても、ほめることの大切さが書かれています。医師やカウンセラーでさえ、頭ごなしに患者を決めつけて診断するのはご法度で、まずは「傾聴」が求められる時代です。講師であれ医師であれ、「お客様」に気に入っていただけなければ、それこそネットや口コミで何を言われるかわからない、そんな時代になっています。

私自身、かつてスパルタ式の学校で学んでいた時は、「こっちだって大人なのだから、何もそんなに厳しく言わなくても・・・」と心の中で反発していました。自分ができないことは自分が一番自覚しています。傷に塩を塗るような行為をなぜされなければいけないのかと悔しい思いもしました。

けれども最近ふと思うようになりました。それは、厳しく教育されるのと、ほめて指導されるのとではどこまで「伸び」が異なるのかと。一般論ではほめられた方が本人ものびのびと学べるといわれています。では、肯定的な言葉のみで指導した受講生のどれだけが実際に通訳者としてデビューし、この世界の中で生き延びているのでしょうか?私自身、この課題を検証したわけではありませんので、明確な答えは持ち合わせていません。ただ、これは個人的な推測ですが、ひょっとしたら「厳しく教育されたタイプ」も「ほめて指導されたタイプ」も、結局は同じぐらいの割合で通訳者になっているのではないかなと思っています。

 (2009年12月14日)

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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