INTERPRETATION

スピーチ原稿は通訳の味方か?

上谷覚志

やりなおし!英語道場

通訳という仕事はやればやるほど奥が深いと感じます。先週は求められる専門性の広さについて書きましたが、今週は“スピーチ原稿は通訳の味方か”ということについて考えてみたいと思います。

社内通訳や駆け出しの頃は、原稿なし資料なしのようなぶっつけ本番通訳が多かった(今も結構そうですけど・・)のですが、最近少しずつ通訳学校で練習したような大使や企業トップのスピーチ原稿を事前にもらって通訳をすることが増えてきました。原稿があれば楽勝!と思われるかもしれませんが、実際はそうでもありません。

スピーカーが原稿通り読んでくれれば楽勝ですが、そうでないと大変なことになります。原稿があると、当然原稿に訳を付けて臨みますが、びっちり読み原稿を作ってしまうと、もし原稿通り読まなかったり、ある個所を飛ばしたり、急きょ何かコメントを挿入されるとなるとパニックです。

今まで一度だけ一言一句違わず読んでくださったスピーカーがいましたが(某国の総督でした)その方を除いては必ず本番で原稿から離れてしまい、通訳が裏であたふたする羽目になります。

実際に先日、ある国の大使のスピーチを同通するという仕事をしたのですが、前日の夜中に(10枚以上びっちり書かれた)原稿が届き準備を始めました。大使ならこういう場でどういう言葉使いをするんだろうと考えるとはたと止まってしまいました。日本語なのにどうも適切な訳が思いつかないのです。英語としては難しい表現ではないのですが、同通となるとかなり訳を簡潔にしていかないと間に合わないので、簡潔かつ適切な訳語を考えると出てこないもので困りました。私の日本語のレベルの問題もありますし、英語の理解が不十分ということも原因にあると思います。何箇所かはぎりぎりまで訳語を考えていました。

そういうしているうちに、ブースに入り開始10分前、後ろのドアが開き、“原稿差し替えです!”と大使館の人が大使の最新原稿を持ってきて手渡されました。変更箇所も教えてもらえないまま、必死で元原稿と最新原稿を見比べ、変更箇所の訳付けをしているうちに本番開始。ここで大使が大人しく読んでくれればよかったのですが、途中どんどん飛ばしていくので、どこを読んでいるのかを追うだけでも必死です。

原稿が一応あり訳も準備しているがために、それを読みたいという気持ちと、スピーチが進むにつれてはかなり飛ばして読んでいるし、用意した原稿がだんだん使えなくなっていることも同通をしながら感じ始めているので、どこかのタイミングで原稿を捨てて音だけで通訳すべきなのかを決めないといけないというジレンマに対峙しないといけません。

原稿さえなければ、こういうジレンマは存在しないので、音だけを頼りに訳すことに専念できますが、目の前に原稿(文字)があるとどうしてもそれに頼りたくなり、しかも目で見える情報をできるだけたくさん訳に盛り込みたいという気持ちも強くなるので、逆に訳がしづらくなることもあります。本来通訳のためを思って用意された原稿ですが、時には通訳の足かせとなることがあります。

また文字の誘惑だけではなく、スピーチ原稿のように練られた言葉というのは遊びが全くないという問題もあります。原稿の中のほぼ全ての言葉に役割が与えられていて、話し言葉のように思わず出てしまった無駄な言葉や無駄に繰り返される言葉もないので、通訳が休める瞬間がないのです。また原稿を読むと人の話すスピードは当然早くなります。まさに立て板に水。原稿あり同通とは内容の濃さに加えて、スピードとの戦いでもあります。

とは言うものの、原稿がないと文句を言い、原稿があってもこうして文句を言うというのは、結局は自分の力不足に他ならないんですけどね。

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記事を書いた人

上谷覚志

大阪大学卒業後、オーストラリアのクイーンズランド大学通訳翻訳修士号とオーストラリア会議通訳者資格を同時に取得し帰国。その後IT、金融、TVショッピングの社での社内通訳を経て、現在フリーランス通訳としてIT,金融、法律を中心としたビジネス通訳として商談、セミナー等幅広い分野で活躍中。一方、予備校、通訳学校、大学でビジネス英語や通訳を20年以上教えてきのキャリアを持つ。2006 年にAccent on Communicationを設立し、通訳訓練法を使ったビジネス英語講座、TOEIC講座、通訳者養成講座を提供している。

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