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通訳・翻訳者リレーブログ
投稿者:かの の記事

好きな手作りは?

[2007.12.17]投稿者:かの

 1980年代に乳がんで亡くなったジャーナリストの千葉敦子氏。がんと闘いながら多数の作品を残している。私は大学時代に彼女の本と出会い、生き方に大いに影響を受けた。仕事のやり方や時間管理など、彼女からたくさん学んだのである。「ニューヨークの24時間」と「ニュー・ウーマン」は、留学先にも赴任先にも持参し、ボロボロになった今も手元にある。
 千葉氏は本の中で、日中、頭脳労働の人には退社後に運動を、また、昼間体を動かしてばかりの仕事であれば夜に読書など頭を使うことを勧めている。私のようにフリーランス通訳者の場合、毎日仕事場も内容も違うので、そういう面ではバランスが取れていると思う。たとえば月曜日は仕事の予習日、火曜日は放送通訳、水曜日は会議通訳、木曜日は授業、金曜日は在宅翻訳、といった具合だ。
 ちなみに一日中机の前で資料と格闘する日は、ものすごい運動不足になる。そんな日はスポーツクラブのスタジオレッスンを事前に手帳に書き込み、極力出かけるようにしている。体を動かさずに同じ姿勢で資料を読んでいると、よけい疲労感が募るからだ。
 一方、外で仕事がある日は、電車の乗り降りだけでも1万歩ぐらいはいける。私の場合、エスカレーターやエレベーターは極力使わず、階段を利用。これも立派な運動だ。重い資料の入ったカバンも、ウェイトトレーニングと思えば自己暗示に十分だ。車内ではなるべく立つことで、体のバランス感覚を維持したいと思っている。
 そんな感じで体を動かして帰ってきた日は、無性に何か「創作」したくなる。その一つが料理。結婚当初は夫があきれるぐらい、私は料理ができなかった。しかし試行錯誤を経て、今ではなんとか形になってきたように思う。最近は、帰宅直後にクタクタでも、野菜を切って煮たり焼いたりしていると、だんだん元気になれる。おそらく単なる食材だったものが、作品として出来上がるのがうれしいのだろう。
 もう一つ、手作りで凝っているのがパン。ホームベーカリーがあるので、毎回違う食材を入れて楽しんでいる。先日試してみたのは「みかんパン」。中皮は面倒だったので剥かず、ただ小房に分けただけで投入。出来上がったパンは、あざやかなオレンジ色で、甘酸っぱい味わいになった。
 他にも包装紙で封筒を作ったり、空き箱で引き出しの仕切りをこしらえたりといったことが、ささやかな楽しみになっている。これから挑戦したいのは「バスボム」。先日、お世話になっているコーディネーターさんからバスボムなどのセットをいただいた。お風呂に入れると、シュワシュワーっと溶けて子どもたちは大興奮!それで自分でも作ってみようと思ったのだ。ネットでレシピを検索したところ、重曹とクエン酸で簡単にできそう。休みの日に子どもたちと作るのが今から楽しみだ。


世代交代

[2007.12.10]投稿者:かの

 日ごろ通っているスポーツクラブ。体力作りも仕事のうちなので、週に少なくとも1回は時間を見つけて顔を出すようにしている。地元のクラブに行けないときは、他店舗のタイムテーブルとにらめっこして、仕事の前後に行けないかどうか検討するほど。幸い、このスポーツクラブのスタジオレッスンは全国共通のプログラムで同じ曲を使うため、どこの支店に行っても同一内容を楽しめる。実家にいたころ、私は別のスポーツクラブで長いこと幽霊会員だった。なので、今はこのプログラムのおかげで続いているとも言える。
 さて、私がいつもお世話になっている地元支店では、社員の異動などにより、レッスン担当者がここ1年で大幅に変わった。一時期スタッフが足りず、店長自らが週に10本以上も受け持っていた時期もある。いくらプロとは言え、体力的に大変なのではと心配していたほどだ。その後、新入社員も増え、スケジュール自体も変わり、今月からはずいぶん新しい編成になっている。
 よく見ると、これまで大忙しだった店長は今や週3本だけ。残りはかつて研修中だったバイトのスタッフや新入社員が受け持つようになった。かなり変わったねとクラブ仲間に話すと、「世代交代よ」の一言。
 うーん、なるほどそうか。スポーツクラブのように、体力一本で勝負する職場では、先輩が後輩へ技術をどんどん伝授しながらスムーズに世代交代をする必要がある。そうすることで最高のサービスを利用者に提供して、満足していただかなければならない。「まだ動けるから」「今までの経験を生かして」ということも言えるだろうが、それよりも「若くて元気があり、新しい空気でお客様に活気をもたらすこと」もスポーツクラブ業界では大事なのだ。
 では通訳業界はどうだろう?こちらは経験者が常に重宝してもらえる世界だ。通訳者としてデビューする際、一番ネックになるのは経験の有無。エージェントに連絡すれば「これまでの経験は?」と必ず聞かれる。経験を積みたいから仕事を求めているのだが、仕事がなければ経験はない。その部分をどうクリアするかが問われる業界だ。
 よって通訳の世界では、経験が多ければ多いほどクライアントも安心してくださり、性別も年齢も問われない。通訳者自身も、常に向上心と向学心さえあれば、生涯現役でいられるのだ。
 ただ私個人としては、どのようにして未来の通訳者を育てるかも大事な任務だと思っている。医師である友人が、新しい赴任先からこう書いてきた。「ようやく念願の遠隔地医療に携わることができます。これからの僕の仕事は、地元の医療サービスの向上と、後進の指導です。」
 いつかは世代交代の時期が来る。彼のように、しっかりと後輩を導けるようにしたいと思う。


注射OK!では苦手なものは?

[2007.12.03]投稿者:かの

 2007年11月20日付「工藤浩美のビシッと愛のムチ」で、工藤社長が人間ドックの体験談を書いていらした。
 私もフリーランスになって以来、年に一度の健診は欠かさず受けている。病気などの兆候が出る前に、早めの発見、早めの治療をするのも仕事のうちだと思っているからだ。
 工藤社長は注射が苦手とのこと。実はわが家の夫もそう。針を見るだけでもう勘弁して〜という心境らしい。そんな夫は今年の人間ドックの採血時に血管が見つからず、3回も注射されたと疲労困憊していた。
 一方の私は注射OK!しかも一部始終をじーっと見るタイプだ。なぜあんなに細い針が皮膚からちゃんと血管を吸い上げるんだろうと、とても不思議に思いながらいつも見ている。かかりつけ医院の看護師さんが注射のベテランということもあってか、あまり痛まないのが幸いしているのかもしれない。
 ちなみにイギリスで長男を妊娠した時のこと。初期の診察で採血が必要だったのだが、日本とのあまりの違いにびっくりしてしまった。日本ではふつう、心臓に近い方にゴムバンドをしてアルコール消毒し、血管が浮いてくるのを待ってから注射をする。ところがイギリスではゴムバンドはおろか、「乾いた」コットンで皮膚をふいただけ。いや、ふいたと言うより、1、2回「なでた」のみ。それで注射である。それ故か案の定、血管が見つからず場所を変えて3回も刺されてしまった。さすがの私も参ったのを覚えている。
 母親の私が注射OKのせいか、6歳の息子も注射には強い。私と同様、じっくり観察している。お医者さまから「偉いねえ」と褒められるが、本人はずっとそうやってきたので、特に自分がすごいとは思っていないらしい。一方の妹は、お医者さん自体が苦手。待合室では楽しそうに絵本を読んでいるが、いざ名前を呼ばれて診察室に入るや、ものすごーく固まっている。普段そうした表情を見せないだけに、私などつい心の中でクスっと笑ってしまうほどだ。
 さて、注射には問題ない私が苦手なもの。それは「高いところ」である。つまり、高所恐怖症のこと。高層オフィスビルのようにガッチリした囲いがあれば平気なのだが、むき出しの場所だったり、窓が開いたり、隙間風が入ってきたりするようなところだと足がすくむ。たとえば高層マンション、観覧車やスキーリフト、遊園地のサイクルモノレールに歩道橋といった具合だ。歩道橋など以前は平気だったのだが、しばらく渡っていなかったせいか今では結構コワイ。
 通訳者デビューしたころは、同時通訳のマイクボタンを押すこと自体、緊張を超えて恐怖に近かった。もちろん今でも緊張はするが、当時と比べれば大分慣れてきたと思う。となると、高いところへもたくさん出かけて、場数を踏んでいくしかないのかもしれない。


トンボ帰りのシンガポール(後編)

[2007.11.26]投稿者:かの

 帰国日の日曜日。念願の友人に再会。薬のおかげで小康状態を保ってはいるものの、やはり彼女の境遇を思うと私は言葉が出なかった。なのに彼女はユーモアと笑顔を絶やさず、心から再会を喜んでくれている。むしろ勇気づけられたのは私の方だった。
 おりしも今年の青年の船は日曜日がシンガポール出航日。かつて私と彼女がお世話になったホストファミリーが、私たち親子のために入船許可証をとってくれていた。港ではホストファミリーと12年ぶりの再会。出向前のオープン・シップで中を見学した。しばらくすると、かつての参加青年たちがどんどん集まってきて、さながら船内は大同窓会になった。
 12年ぶりの船内はすこし内装が変わっただけで、基本的には昔のまま。参加当時の記憶がよみがる。ああ、ここでみんなと英語で議論したな、ステージで和太鼓をやったっけなどなど、忘れていたことが次々と思い出されたのである。一方、わが家の子ども達は豪華客船に大喜びだ。
 出港式典のあと、いよいよ船が岸から離れていく。テープが投げられ、埠頭に残された私たちがテープの端をつかみ、見送った。12年前は船上で見送られる立場だったが、今回は見送る側になったのである。汽笛の音とともに客船「にっぽん丸」は姿を小さくしていった。
 私たち親子の帰国便はその数時間後の日曜深夜。なのに皆、最後の最後まで一緒にいてくれた。翌日は月曜日で仕事があるはずなのに、一緒に空港まで来てくれて遅い夕食をとり、ゲートまで見送ってくれたのである。
 今回の滞在中、仲間たちは私がお財布を出そうとすると「いいから、いいから。僕たちが持つから」と言って、払わせてくれなかった。子どもたちが疲れればさっと抱きあげてくれるなど、とにかく至れり尽くせりの二日間だった。
 息子と娘は、私の友人たちの子供らとあっという間に仲良くなり、日本語で堂々とコミュニケーションしていた。空港での別れ際は本当に名残惜しそうで、「何でもっと長くいないの?どうして?」と私に詰め寄った(?)ほどだ。帰国してからも息子は「シンガポール行きたいなあ。ねえ、春休みに行こうよ〜」と早くも次の日程を計画し始めている。
 今回、12年ぶりの再会にも関わらず、ここまでもてなしてくれた仲間にはただただ感謝あるのみだ。私も今後、彼らが来日したらぜひ歓迎したいと思っている。人をもてなすというのは、こうして心を込めることなのだろうな、と感じた週末だった。最後に、闘病中の友人が一日も早く回復することを願ってやまない。


トンボ帰りのシンガポール(前編)

[2007.11.19]投稿者:かの

 先週末、子ども二人を連れてシンガポールをトンボ帰りしてきた。行った理由は、友人のお見舞い。彼女はフィリピン人だが白血病にかかってしまい、地元の病院では治療ができないとのこと。それで3カ月ごとにシンガポールの外来で診察を受けているのだ。
 彼女と知り合ったのは、12年前に参加した青年交流でのこと。アセアンからの参加者が客船で各国を回るというプログラムだった。彼女とは当時、寄港先のシンガポールで同じホストファミリー宅に泊まり、仲良くなった。しかしお互い引っ越しやら転勤やらが続き、ここ数年は連絡が途絶えていたのである。今年夏、久しぶりのメールをうれしく読み進めていたら、発病のことが書かれていて私は大いに衝撃を受けた。なぜまだ若いのに彼女が、というのが正直な気持ちだった。
 私ができることは少ないけれど、やっぱり会いたい。そう思ったら、いてもたってもいられなくなった。11月10日には今年の参加青年を乗せて船がシンガポールへ寄港するので、彼女は治療日程をそれに合わせてシンガポール入りするという。よし、私もシンガポールへ行こう。そう思ってすぐに格安ツアーを探した。あいにく夫は仕事で日本を離れられない。こうなれば一人で子どもたちを連れていくしかないが、まあ何とかなるだろう。幸い国内旅行よりも破格のネット限定ツアーが見つかった。
 一方、私がシンガポールを訪問すると聞きつけた当時の参加仲間が、あれよあれよと私と彼女を囲む再会パーティーを企画してくれた。私の日程は9日(金)夕方成田発、夜中シンガ着。10日(土)丸一日を現地で過ごせるものの、帰国便は11日(日)の夜中である。ものすごいタイトスケジュールだ。それでもかろうじて日曜午後に集まることになった。
 現地入りした金曜真夜中、なんと仲の良かった別のシンガポール参加青年がわざわざ空港まで来てくれた。「ツアーなので迎えはあるから大丈夫」と言っておいたにもかかわらず、である。ハードな一日の仕事を終えてから顔を見に来てくれたのだ。これには感激した。しかも「携帯は?ない?じゃ、これ使って」と貸してくれるではないか。友人は今、消防署で司令官を務めており、翌土曜日も仕事だという。なのにわざわざここまでしてくれるなんて。私は言葉に詰まってしまった。しばらく音信不通にしてしまった不義理を、私は心の中で申し訳なく思った。
 土曜日午前はツアー会社による市内観光。肌寒い日本から来たため、蒸し暑いシンガポールに子どもたちはグッタリだ。でもマーライオンを見たり、ホーカー(屋台)で食事をしたりと楽しいツアーだった。午後ホテルでたっぷり休養をとったあと、夕方に再び消防隊の友人がホテルまで迎えにきて、チキンライスのおいしいお店へ連れて行ってくれた。そのあとはナイトサファリへ。猛獣のショーやトラムによる園内一周などに子どもたちは大喜びだった。連日の寝不足はあったものの、忘れられない思い出ができた。
(来週に続く)



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プロフィール

すーじー

すーじー
1998年春、研究留学する夫に同行して渡米。大の苦手だった英語をイチから学びなおすことに。現在はシカゴ在住のフリーランス英日翻訳者として、マーケティングから金融・経済まで幅広い分野のビジネス案件にたずさわる。最近、興味があるのは、DIYと健康になること。[2016年1月start!]

いぬ

いぬ
幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。[2008.4.1 start!]

アース

アース
田舎の翻訳者。外国留学・在留経験ナシ。都会生まれの都会育ちだが、現在はド田舎暮らしで、ネットのありがたさにすがって生きる日々。何でも楽しめる性格で、特に生き物と地球と宇宙が大好き。でも翻訳分野はなぜか金融・ビジネス(英語・西語)。宇宙旅行の資金を貯めるため、仕事の効率化(と単価アップ?!)を模索中。[2015年12月終了]

ぺこたん

ぺこたん
高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。[2007.6.1 start!]

みなみ

みなみ
英日をメインとする翻訳者。2001年からニュージーランドで生活。家族は、夫(会社員)、娘(小学生)、ウサギ(ロップイヤー)。[2007.5.1 start!!]

さるるん@ロシア

さるるん@ロシア
米系銀行勤務後、米国留学中にロシア人の夫と結婚。一児の母。我が子には日露バイリンガルになってほしいというのが夫婦の願い。そのために日本とロシアを数年おきに行き来することに。現在、ロシア在住、金融・ビジネス分野を中心としたフリーランス翻訳者(英語)。[2013年7月終了]

トナカイ

トナカイ
フィンランド・ヘルシンキ在住の多言語通訳・翻訳者。日本で金融機関に勤務の後、ヨーロッパへ。留学中に大学講師を務め、フィンランド移住後は芸術団体インターンなどを経て現在にいたる。2児の母。[2010年10月終了]

昼顔

昼顔
外資系金融、在ジュネーブ日本政府代表部での勤務を経て、外務省職員として採用。帰国後は民間企業にてインハウス通訳者としてキャリアを積み、現在は日英仏フリーランス通訳者として活躍中。昨年秋からはNYに拠点を移す。趣味は数年前から再び始めたバレエと映画鑑賞と美味しいモノの食べ歩き。[2010年3月終了]

フレッヒ

フレッヒ
高校時代をドイツで過ごし、日本の大学を卒業後、再び渡独。ドイツでの日本企業勤務を経て10年前よりフリーランスドイツ語通訳者として活躍。車関係全般・ジュエリー・スポーツ関係・整形外科分野を得意とする。普段はワイン・焼酎をこよなく愛し、庭で取れたハーブやジャガイモで主人や友人達とBBQしながら休日を過ごすのが大好き。そして大の八重山諸島フリーク。[2009年2月終了]

パンの笛

パンの笛
幼少時に英国に滞在。数年の会社勤めを経て、出産後の仕事復帰を機に翻訳を本格的に学習。現在はフリーランスの在宅翻訳者。お酒好きで人好き、おしゃべり好きの一児の母。[2008年4月終了]

かの

かの
幼少期を海外で過ごす。大学時代から通訳学校へ通い始め、海外留学を経て、フリーランス通訳デビュー。現在は放送通訳をメインに会議通訳・翻訳者として幅広い分野で活躍中。片付け大好きな2児の母。[2008年3月終了]

まめの木

まめの木
ドイツ留学後、紆余曲折を経て通翻訳者に。仕事はエンターテインメント・芸術分野から自動車・機械系までと幅広い。色々なものになりたかった、という幼少期の夢を通訳者という仕事を通じてひそかに果たしている。取柄は元気と笑顔。[2007年11月終了]

the apple of my eye

the apple of my eye
日本・米国にて商社勤務後、英国滞在中に翻訳者としての活動を開始。現在は、在宅翻訳者として多忙な日々を送る傍ら、出版翻訳コンテスト選定業務も手がけている。子育てにも奮闘中![2007年5月終了]

仙人

仙人
大学在学中に通訳者としての活動を開始。卒業後は、外資系消費財メーカーのマーケティング分野でキャリアアップ。その後、外資系企業のトップまでキャリアを極めた後、現在は、フリーランス翻訳者として活躍中。趣味は、「筋肉を大きくすることと読書」[2007年4月終了]

ガットパルド(gattopardo)

ガットパルド(gattopardo)
伊・仏・英語通翻訳、ナレーション、講師など、幅広い分野において活動中のパワフルウーマン。著書も多数。毎年バカンスはヨーロッパで![2006年8月終了]

Hubbub from the Hub

Hubbub from the Hub
幼い頃から英語に触れ、大学在学中よりフリーランス会議通訳者として活躍、現在は米国大学院に籍を置き、研究生活と通訳の二束のわらじをはいている。[2006年8月終了]

雛


大学在学中に通訳デビュー。外資系企業勤務を経て、フリーランス通訳者に。会議はもちろん、音楽、舞台、映画などの分野でもひっぱりだこ。クライアントからの指名率も高い。[2005.11月末終了]

とと

とと
大学卒業後、数年のサラリーマン生活を経て、フリーランス翻訳者に。技術系から出版物と、幅広い分野で高い評価を得ている。趣味は音楽。ただいま子育て奮闘中。[2005.11月末終了]

背番号8

背番号8
イギリスに長期留学後、インハウス通訳者として数社に勤務。現在は、フリーランス通翻訳者として活躍中。若手通訳有望株の一人![2005.11月末終了]