TRANSLATION

第5回 文章全体の流れを念頭に訳す

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは、アースです。

先月は、ある運用会社によるマーケットコメントの冒頭1文目を事細かに検討しました。2文目以降もそうしたいところですが、「1年で1段落」になってしまってもいけませんので、今回は段落全体を俯瞰して、この原文についての検討は終わりにしたいと思います。

第2回で説明した通り、運用会社によるマーケットコメント/レビュー/レポートでは、前の期(週、月、四半期、年など)に起きた出来事のうち、世界全体や、その運用会社または特定のファンドの投資対象となっている国・地域の経済に関連する事柄(「イベント」「材料」)、それに対する市場の反応が取り上げられます。

運用報告書などの場合、それに続いて個々のファンドへの影響も語られることになります。例えば原油価格の下落は、原油輸入国ならば景気への追い風(好材料/支援材料)になるし、輸出国ならば景気への逆風(悪材料/下押し圧力)となる可能性がありますよ、だから当ファンドとしては、今後こういう投資行動をとる方針です、といった具合に話が展開して行きます。

もちろん、過去の分析を行う場合もありまして、これこれこういうイベント(材料)があったので、株価や債券価格(利回り)、為替、インフレ(デフレ)、企業業績などにこういう影響を与えました、それを受けて当ファンドはこれこれの投資行動をとり、その結果、当ファンドのパフォーマンスは良好となりました/低迷しました/横這いでした、という感じで続いて行きます。

一読して分かりやすい文章とするためには、こうした流れを常に念頭において訳して行く必要があります。もちろん、文書全体だけでなく、段落ごとでも文章ごとでも同じことです。

ここで、原文を改めて見てみましょう。

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices. Once sanctions lift, Iran, desperate for cash, will sell all the oil it can, increasing global supplies and likely driving down prices. This one-time supply surge will, no doubt, take a while to have its full effect, until mid-2016 in all likelihood, but thereafter, slowdowns in production elsewhere in the world, including shale and tar sands in North America, should again begin to put upward pressure on the global price of crude. At this juncture, such increases promise to be moderate.(…)(2015年8月発行分)

2文目以降は、

→対イランの制裁解除

→財政難のイランは原油売却(輸出)を再開

→世界の原油供給量が増大

→原油価格下落

→イランによる供給拡大の影響が完全に出るのは2016年半ば

→その後は世界的に生産減少

→原油価格に上昇圧力

→だが価格上昇は緩やかなペース

だいたいこのような流れになっており、論旨としては明解です。しかし問題は、1文目が「イランの核協議が妥結したら」のような単純な内容になっていないこと。そのため、2文目とのつながりに少し目を配る必要があります。

第4回で最後に提案した1文目の訳(粗訳)は、次の通りでした。

①イランとの核協議は未だ合意されていないものの、原油安など多くのことを示唆し

 ていることは間違いない。

②イランとの核協議は、依然として合意に至っていないが、これが明らかに示唆する

 点として、特に原油価格の下落が挙げられる。

③依然妥結に至っていないイランとの核協議であるが、これが多くの影響、中でも原

 油価格の下落を示唆していることは明らかだ。

課題の2文目の要旨は、「制裁が解除されれば、財政難のイランは可能な限りの原油売却を目指すと見られることから、結果として世界全体の原油供給量が増加し、価格は下落する可能性がある」ですから、内容的には原油安に向かう話です。よって1文目も、「多くのこと(影響)」に注目している①より、文の最後で「原油安」に力点を置いている②か③にした方が、スムーズに流れます。

今回の場合は、①にしたからといって、ひどく流れが悪くなるわけではありませんが、場合によっては驚くほどスムーズになることがあります。なにより、すべての文章について、こういった細かい点に少しずつ磨きをかけていけば、全体として格段に読みやすい日本語となるはずです。

英語と日本語は、文章の構造から論理展開の方法まで異なる部分が多く、英語の構造をそのまま日本語に移し替えると、どうしても不自然になってしまうことがあります。特にこの種のレポートやコメントは、短時間で作成されることが多いため、英語自体の流れも今一つというケースがあり、細心の注意が必要です。訳出した後、見直し段階で何度も日本語だけを読み返し、論理に破綻がないか、流れが悪くはないか、徹底的に検証するようにしましょう。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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