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金融翻訳ポイント講座

不特定多数の読者が対象となる金融翻訳では、質の高いアウトプットが求められます。 高品質の翻訳を上げるために必要なポイントを丁寧に解説します。

第7回 マーケットコメント(株式市場)その2

こんにちは。今月も引き続き、ある資産運用会社のマーケットコメントを取り上げます。原文の詳しい解釈については、第6回 でご確認ください。

Since the U.S. Federal Reserve (Fed) ended its quantitative easing (QE) program in November 2014, followed by a rather restrained interest-rate "liftoff" in December 2015, U.S. equity markets have been essentially flat through the first calendar quarter of 2016, with a return to more normal volatility. But that go-nowhere performance masks some of the sharp swings that have occurred since the Fed ended QE, particularly during the most recent quarter.(2016年4月時点)


この原文、いざ翻訳しようとしますと、様々な問題点が壁となって立ちはだかります。

問題1)米国株式市場が事実上横ばいとなったのは、リフトオフした2015年12月以降ではなく、2014年11月以降である。

Since the U.S. Federal Reserve (Fed) ended its quantitative easing (QE) program in November 2014, followed by a rather restrained interest-rate "liftoff" in December 2015, U.S. equity markets have been essentially flat....

上記下線部だけであれば、「米連邦準備制度理事会(FRB)は2014年11月に量的緩和(QE)を終了し、その後2015年12月に"リフトオフ"した」と、前から訳して行くのが最も自然です。しかしSinceを加えて「2014年11月に量的緩和を終了し、その後2015年12月に"リフトオフ"して以降」とすると、日本語の性質上、「2015年12月以降」と受け取られる可能性があります。しかし原文の意図はあくまでも「QEを終了した2014年11月以降」。これをどう処理するかが問題です。

問題2)原文からはa return to more normal volatility(より正常なボラティリティへの回帰)の内実が分からない

今回の訳には影響しないのですが、問題が生じるケースが多々あるため、取り上げておきます。

U.S. equity markets have been essentially flat through the first calendar quarter of 2016, with a return to more normal volatility.

この原文だけ見れば、「ボラティリティは正常に回帰しつつ、2016年第1四半期まで株価は横ばいであった」、つまり「以前は高かったボラティリティが徐々に低下し、2016年3月には正常に戻った」とも読めます。しかし事実は異なりまして、2014年11月から2016年3月までの間に何度か激しい上下動があります。実際、2016年年初には世界的にボラティリティが急上昇する局面がありました。これを知っているか知らないかで、日本語が大きく変わることがあります。

金融翻訳の厳しいところはこの点で、常に経済や市場の推移を追い、大体の動きを頭に入れておかないと、原文の上っ面のみ訳して終わり、ということになりかねません。また、どれだけがんばって経済の動きを追っていても、詳細に関して確信が持てないことも多いので、そのたびに事実関係を調査する必要に迫られます(もっとも、それが楽しいとも言えます)。

今回の場合は、例えば米国の代表的な株価指数であるS&P500種指数のチャートを見るだけでも、かなり参考になります。Googleで「S&P500」を検索しますと、結果のトップに同指数の推移を示したチャートが出てきます。最初に表示されるのは「1日」の推移ですから、例えば「1年」をクリックすると、過去1年間の株価変動の様子が分かります。これを見ても、2015年9月と2016年年初に大きく株価が変動(下落)していることが読み取れます(株価が大きく変動する=ボラティリティが高い、ということです)。

問題3)with a return to more normal volatility――withの捉え方

これも金融翻訳の特徴だと思うのですが、as/and/but/withなどの前置詞や接続詞が、かなり無造作に、といって悪ければ自由奔放に使われている感がありますので、文脈を考慮して、逆接なのか順接なのか、はたまた付帯/理由/条件なのかをしっかり見極める必要があります。「andやasだから順接」などの思い込みは禁物です。

今回のwithは「付帯」でいいと思いますが、文脈によっては「正常なボラティリティに戻ったので」「~の結果、正常なボラティリティに戻った」など、理由や結果の意味になる可能性もあります。

※各種レポート筆者諸氏の名誉のために言っておくと、英語と日本語の論理構造の違いが原因で、逆接を逆接、順接を順接で訳せないこともあります。問題はむしろこちらかもしれません。長文を引用しないと検討しにくいのでなかなか難しいですけれども、いつかこのコーナーでも取り上げてみたいと思っています。

問題4)最後の文(But that go-nowhere...)を分かりやすい日本語にする

But that go-nowhere performance masks some of the sharp swings

go-nowhere performanceをどう訳すかも問題ですが(色々と試してみてください)、maskをそのまま「隠す」とするかどうかも問題。結論から言うと、あまりお勧めできません。ちょっと工夫して、「go-nowhere performanceの裏には、some of the sharp swingsが隠(さ)れている」とすれば、少しは日本語らしくなりますが、some ofが思いのほか邪魔で、どうしても翻訳調になってしまいそうです。

前回も言ったように、この原文が最も伝えたい内容は、「株価は(最初と最後だけを見れば)横ばいとなったが、期間中、大きな変動もあった」ということ。この意図を伝えることが我々の第一の使命ですので、英語の構造や語義にこだわって意味不明の日本語となるよりは、勇気をもって原文から離れましょう。

さて、次回はいよいよ最終的な訳の検討に入ります。上記4点を熟慮したうえで、ご自分なりの翻訳文を用意してお待ちください!(「ですます」調で)

それでは次回をお楽しみに。


第6回 マーケットコメント(株式市場)その1

こんにちは。今回からは、ある資産運用会社のマーケットコメントから、米国株式市場の見通しについて述べた文章の冒頭部分を取り上げます。まずは解説を読まず、できればご自身で訳してみてください(「ですます」調で)。

Since the U.S. Federal Reserve (Fed) ended its quantitative easing (QE) program in November 2014, followed by a rather restrained interest-rate "liftoff" in December 2015, U.S. equity markets have been essentially flat through the first calendar quarter of 2016, with a return to more normal volatility. But that go-nowhere performance masks some of the sharp swings that have occurred since the Fed ended QE, particularly during the most recent quarter.(2016年4月時点)


英語自体に難しい所はほとんどありませんが、株式市場になじみがない方にとっては、分かりにくい部分があるかもしれませんね。内容が理解できたとしても、訳出するのはなかなか厄介そうです。こういったマーケットコメントの英語は、筆者や証券・運用会社のカラーによって少しずつ異なるものの、大体はこのような感じです。しかしそれだけに、うまく訳出できたときの喜びもまたひとしおです。がんばりましょう。

さて、今回は原文を3つに分けて、解釈に集中してみます。

①Since the U.S. Federal Reserve (Fed) ended its quantitative easing (QE) program in November 2014, followed by a rather restrained interest-rate "liftoff" in December 2015,

FedとQE:金融翻訳としては基本中の基本ですので、ここであえて説明はしません。訳出や理解に不安があるようならば、しっかり調査のうえ、戻ってきてください。

a rather restrained interest-rate "liftoff":普通liftoffといえば「発射」「打ち上げ」の意味ですが、ここでは「利上げの開始」、正確には「米国の主要政策金利であるフェデラル・ファンド(FF)金利の誘導レンジ引き上げの開始」のことです。2008年12月から2015年12月までの長期にわたり据え置かれてきた政策金利を久々に引き上げること(ゼロ金利政策の解除)を、ロケットになぞらえてliftoffと表現しています。

ただし、ロケット打ち上げから受ける印象とは異なり、利上げ幅はわずかに0.25%。例えば世界的にインフレが加速した1970年代のとある時期には、たった半年で約5%も引き上げられていたことを思えば、まさにrather restrainedな利上げです。連邦準備制度理事会(FRB)のslow and gradual(遅く緩やか)な利上げ姿勢、すなわち「利上げは、景気指標などを見極めながら慎重に少しずつ進めますよ」というFRBのスタンスを暗に示している部分もあると思います。

いずれにせよ、原文ママに「どちらかというと抑制された"利上げ開始"」や、ちょっと手を加えたつもりの「抑制気味の"利上げ"」などとしても、日本語だけ読む人にはよく分からない文になります。原文にとらわれず、金融市場の現在の状況と照らし合わせ、さらに金融分野の日本語としてどうかを良く考えながら訳すようにしましょう。

②U.S. equity markets have been essentially flat through the first calendar quarter of 2016, with a return to more normal volatility.

the first calendar quarter of 2016:わざわざcalendarが入っていますから、例えば日本の会計年度でいう第1四半期(4~6月)ではなく、暦通りの1~3月を意味します。このように会計/財政/営業/事業年度は国によって異なりますので、誤解を避けるため、「第1四半期」ではなく「1-3月期」などと数字を明記することもあります。

through:「~の間中ずっと」と「~に至るまで」の両方の意味があり、どちらで取るかで内容が大きく変わってきますので、要注意の前置詞です。文前半で「~以降」と言っていますので、今回は明らかに「~に至るまで」の意味で使われています。

essentially flat:株式市場がflatとは、株価の推移が平ら、つまり上がりもせず下がりもしない、「横ばい(横這い)」の状態を指します。注意すべきは、essentiallyを辞書の語義そのままに「本質的に」などとしないこと。その理由は最後に説明します。

a return to more normal volatility:金融分野ではvolatilityは頻出ワードです。一般的には「(株価や債券価格などの)変動性(率)」を意味し、「ボラティリティ」のままでもよく使われます。

③But that go-nowhere performance masks some of the sharp swings that have occurred since the Fed ended QE, particularly during the most recent quarter.

go-nowhere performance:どこにも行かないパフォーマンス、つまり話題にしている期間の最初と最後で、株価に違いがないということ。要は②のflatを言い変えただけの表現です。この種の英語には頻繁にお目にかかりますが、まったく翻訳者泣かせの表現です。

swings:flatとは逆に、「揺れ」つまり株価が大きく変動していることを指します。

以上をざっとまとめてみます。

Since the U.S. Federal Reserve (Fed) ended its quantitative easing (QE) program in November 2014, followed by a rather restrained interest-rate "liftoff" in December 2015, U.S. equity markets have been essentially flat through the first calendar quarter of 2016, with a return to more normal volatility. But that go-nowhere performance masks some of the sharp swings that have occurred since the Fed ended QE, particularly during the most recent quarter.
①連邦準備制度理事会(FRB)が2014年11月に量的緩和(QE)を終了、続いて2015
 年12月に利上げ開始
②(その後)2016年1-3月期に至るまで、株価に変化はなく、ボラティリティは通
 常に回帰
③しかし変化のないパフォーマンスは、QE終了以降の激しい揺れの一部を隠している
 (→株価に変化はないが、その裏には激しい揺れが隠されている)

株価に変化はないのに、激しい揺れ?と思った人もいるでしょうか。先程go-nowhere performanceのところで「話題にしている期間の最初と最後で、株価に違いがない」と書きましたが、これは「終わってみれば同じだった」ということで、途中、上下がなかったとは言っていません。

例えば日経平均株価はこの16年間、下値は7,000円台から上値は20,000円台まで大きく変動しました。しかし16,000円台にあった2000年8月と、やはり16,000円台にあった今年6月頭とを比較すれば、「横ばい」となります。横ばいの結果が、これまでの変動をmaskしているわけです。従ってessentiallyは「本質的に横ばい」でなく、途中に上下はあったが、最初と最後は同じ、つまり「事実上横ばい」などとすべきことが分かると思います。

また②のthroughを「2016年1-3月期のあいだずっと」と訳したのでは、①の部分と矛盾してしまうことも明らかですね。

さて、内容をしっかり把握できたところで、次は訳出です。上記を参考に、来月までにぜひご自分で訳してみてください。それでは次回をお楽しみに!

【補足】
「利上げ幅は0.25%」:正確には「0.25%ポイント」とか「25ベーシスポイント(bp)」と表現すべきですが、最近は単に「0.25%」としているメディアも多いようです。賛否両論ありますが、翻訳者としてはそれぞれの意味を理解したうえで、クライアントの指示に従えばOK。「そんなの初耳!」という方は、ぜひとも調査を。これも金融翻訳者には必須の知識です。


第5回 文章全体の流れを念頭に訳す

こんにちは、アースです。

先月は、ある運用会社によるマーケットコメントの冒頭1文目を事細かに検討しました。2文目以降もそうしたいところですが、「1年で1段落」になってしまってもいけませんので、今回は段落全体を俯瞰して、この原文についての検討は終わりにしたいと思います。

第2回で説明した通り、運用会社によるマーケットコメント/レビュー/レポートでは、前の期(週、月、四半期、年など)に起きた出来事のうち、世界全体や、その運用会社または特定のファンドの投資対象となっている国・地域の経済に関連する事柄(「イベント」「材料」)、それに対する市場の反応が取り上げられます。

運用報告書などの場合、それに続いて個々のファンドへの影響も語られることになります。例えば原油価格の下落は、原油輸入国ならば景気への追い風(好材料/支援材料)になるし、輸出国ならば景気への逆風(悪材料/下押し圧力)となる可能性がありますよ、だから当ファンドとしては、今後こういう投資行動をとる方針です、といった具合に話が展開して行きます。

もちろん、過去の分析を行う場合もありまして、これこれこういうイベント(材料)があったので、株価や債券価格(利回り)、為替、インフレ(デフレ)、企業業績などにこういう影響を与えました、それを受けて当ファンドはこれこれの投資行動をとり、その結果、当ファンドのパフォーマンスは良好となりました/低迷しました/横這いでした、という感じで続いて行きます。

一読して分かりやすい文章とするためには、こうした流れを常に念頭において訳して行く必要があります。もちろん、文書全体だけでなく、段落ごとでも文章ごとでも同じことです。

ここで、原文を改めて見てみましょう。

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices. Once sanctions lift, Iran, desperate for cash, will sell all the oil it can, increasing global supplies and likely driving down prices. This one-time supply surge will, no doubt, take a while to have its full effect, until mid-2016 in all likelihood, but thereafter, slowdowns in production elsewhere in the world, including shale and tar sands in North America, should again begin to put upward pressure on the global price of crude. At this juncture, such increases promise to be moderate.(...)(2015年8月発行分)


2文目以降は、
→対イランの制裁解除
→財政難のイランは原油売却(輸出)を再開
→世界の原油供給量が増大
→原油価格下落
→イランによる供給拡大の影響が完全に出るのは2016年半ば
→その後は世界的に生産減少
→原油価格に上昇圧力
→だが価格上昇は緩やかなペース

だいたいこのような流れになっており、論旨としては明解です。しかし問題は、1文目が「イランの核協議が妥結したら」のような単純な内容になっていないこと。そのため、2文目とのつながりに少し目を配る必要があります。

第4回で最後に提案した1文目の訳(粗訳)は、次の通りでした。

①イランとの核協議は未だ合意されていないものの、原油安など多くのことを示唆し
 ていることは間違いない。
②イランとの核協議は、依然として合意に至っていないが、これが明らかに示唆する
 点として、特に原油価格の下落が挙げられる。
③依然妥結に至っていないイランとの核協議であるが、これが多くの影響、中でも原
 油価格の下落を示唆していることは明らかだ。

課題の2文目の要旨は、「制裁が解除されれば、財政難のイランは可能な限りの原油売却を目指すと見られることから、結果として世界全体の原油供給量が増加し、価格は下落する可能性がある」ですから、内容的には原油安に向かう話です。よって1文目も、「多くのこと(影響)」に注目している①より、文の最後で「原油安」に力点を置いている②か③にした方が、スムーズに流れます。

今回の場合は、①にしたからといって、ひどく流れが悪くなるわけではありませんが、場合によっては驚くほどスムーズになることがあります。なにより、すべての文章について、こういった細かい点に少しずつ磨きをかけていけば、全体として格段に読みやすい日本語となるはずです。

英語と日本語は、文章の構造から論理展開の方法まで異なる部分が多く、英語の構造をそのまま日本語に移し替えると、どうしても不自然になってしまうことがあります。特にこの種のレポートやコメントは、短時間で作成されることが多いため、英語自体の流れも今一つというケースがあり、細心の注意が必要です。訳出した後、見直し段階で何度も日本語だけを読み返し、論理に破綻がないか、流れが悪くはないか、徹底的に検証するようにしましょう。


第4回 勇気を出して原文から離れる(しかし離れ過ぎない)

こんにちは、アースです。今回も引き続き、運用会社によるマーケットコメントを丁寧に見て行くことにしましょう。

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices. Once sanctions lift, Iran, desperate for cash, will sell all the oil it can, increasing global supplies and likely driving down prices. This one-time supply surge will, no doubt, take a while to have its full effect, until mid-2016 in all likelihood, but thereafter, slowdowns in production elsewhere in the world, including shale and tar sands in North America, should again begin to put upward pressure on the global price of crude. At this juncture, such increases promise to be moderate.(...)(2015年8月発行分)


先月の最後にお願いした一文目の翻訳は、トライしていただけたでしょうか。

3)among many other things/definitely(辞書の語義や品詞から離れる)

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices.

この文章の後半は、大したことを言っているわけではないのですが、厄介な要素が幾つも絡んで、なかなか訳しにくいですね。前回までの検討内容を反映しますと、直訳は

...it definitely points to, among many other things, lower oil prices.
...それは間違いなく、とりわけ原油価格の低下を示唆する。

となりますが、among many other thingsにせよdefinitelyにせよ、「副詞句」という英文内での役割にこだわる限り、このガチガチの直訳から逃れることはできません。またamong many other thingsは、英語の字面(多くの他のthingsの中で)にこだわっていると、なかなか自然な日本語になりません。

こういうときは「内容の流れ」だけを考えるようにしてみましょう。この文は全体として、

イランとの核協議はまだ合意に至っていない。
(→しかし協議が進めば/合意に至れば)
  →多くの影響が出る
   →影響としては、特に原油価格の下落が挙げられる

という流れになっていますので、それが伝わる文章になるなら、英文の構造や辞書の語義にこだわって読みにくい日本語になるよりは、勇気をもって原文から離れるべきです。

たとえば、

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices.
①イランとの核協議は未だ合意されていないものの、原油安など多くのことを示唆し
 ていることは間違いない。
②イランとの核協議は、依然として合意に至っていないが、これが明らかに示唆する
 点として、特に原油価格の下落が挙げられる。
③依然妥結に至っていないイランとの核協議であるが、これが多くの影響、中でも原
 油価格の下落を示唆していることは明らかだ。

など、色々な訳が考えられます。(いまこの段階で、それぞれの訳に問題はないか、良い点があるとすればどこかを考えてみましょう)

①と③は、副詞(definitely)を最後に持ってくる手法です。

③の「影響」は原文にありませんが、文脈から見て適切と判断しました(さきほど「内容の流れ」を考えたときに、自然に思い浮かんだ言葉です)。何より、①のようにmany thingsを「多くのこと」とするのはやや稚拙に響くうえ、「多くのことを示唆していること」と、「こと」が連続してしまいます。文脈にうまく当てはまる日本語は他にもあると思いますので、考えてみてください。

but以降を前から訳して行く②は、根本的に構造の異なる英語と日本語をできる限り近づけ、訳文の流れを良くする方法として効果を発揮しますので、覚えておきましょう。②にはamong many other thingsに相当する部分がありませんが、「特に」の一言で「他にも多数ある」のニュアンスが出ていると考えることもできます。

ただ②は、「これ」が何を指しているのか分かりにくい、という難点があります。

そのため③では、前半の訳し方を工夫して、後半とのつながりが良くなるかを試してみました。後半の「これ」が「イランとの核協議」を受けていることが、②よりも分かりやすいように思うのですが、いかがでしょうか。

そのほか、「至っていない/至っていないものの」「原油価格の下落/原油」などの細かい言い替えにもご注意ください。今回はどれでも問題ありませんが、「原油安」でないとしっくり来ない、「~いない」では逆接の印象が強すぎる、微妙に原文とニュアンスがずれる、リズムが悪い――といったケースは驚くほど多いので、その時々に合った言い回しとするようにしましょう。

上記①②③は、まだまだ検討の余地のある訳文です。個々の訳語の組み合わせを変えるだけでも、まだ多くの訳文が作成できますので、実際に色々とやってみることをお勧めします。その際、頭の中だけで済ませず、必ず文字として書き起こすようにしましょう。

最後に一つだけ補足。今回のような英語では、勇気をもって原文から離れてみることも大切ですが、当然ながら、単なる補足とは言えない量の情報を付け加えたり、勝手に情報を削ぎ落としたりすることは基本的に避けなければなりません。そのあたりはクライアントさんや翻訳会社さんによっても方針が違いますので、できれば事前に問い合わせておくことをお勧めします。

次回は、段落全体を俯瞰して、この課題を終わりにしたいと思います。お楽しみに!


第3回 定番の用語と比較級の訳

こんにちは、アースです。

これまでの内容を踏まえて、今回からは原文を具体的に見て行くことにしましょう。先月の最後に以下の原文をご紹介しましたが、チャレンジしてみていただけたでしょうか。英語はさらりと読み流せても、いざ日本語にしようとすると、意外と厄介と感じた方も多いのではないでしょうか。

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices. Once sanctions lift, Iran, desperate for cash, will sell all the oil it can, increasing global supplies and likely driving down prices. This one-time supply surge will, no doubt, take a while to have its full effect, until mid-2016 in all likelihood, but thereafter, slowdowns in production elsewhere in the world, including shale and tar sands in North America, should again begin to put upward pressure on the global price of crude. At this juncture, such increases promise to be moderate.(...)(2015年8月発行分)


この文章は、ある資産運用会社が様々な経済トピックを取り上げ、週次で発行しているマーケットコメントの冒頭部分です。この段落だけでも、いろいろと見るべき箇所がありますが、今回はとりあえず2点取り上げます。

1)nuclear deal with Iran/shale and tar sands(定番の用語)

●nuclear deal with Iran

英文和訳でなく、「翻訳」を少しでも勉強した人なら、完璧に訳していただきたい用語です。この文章が書かれたのは2015年8月ですので、イランの核開発を巡って同国と欧米諸国が7月に最終合意に達した後、制裁解除に向けて協議を続けていた頃のこと。よってnuclear deal with Iranは、「イランとの核取引」でもなく「イランとの核協定」でもなく、「イラン核協議」や、もう少し説明的にするなら「核問題を巡るイランとの交渉」などとします。独りよがりになることなく、複数の報道機関やニュースサイトで大体の傾向を探って、広く使用されている表現を採用します。

※(文章の背景を勘案しない)「イランとの核取引」等の訳に問題があることはお分かりかと思います。英語の読み取りとしても日本語としても、まったくおかしくないだけに厄介です。

●shale and tar sands

これも世界の原油市場の動向を追っているかいないかで、対応にやや差の出る用語です。

2000年代後半頃から、世界の原油市場の構図はがらりと変化し、特に北米地域で、従来とは採掘手法の異なる「シェールオイル」や「タールサンド(オイルサンド)」の生産が本格化しました。そのあたりの大体の流れが念頭にあれば、突然こうした言葉が出てきても戸惑うことなく、文脈の中で自然に捉えることができます。聞いたことがない、または今一つ自信がないような場合は、しっかり調査のうえ、(辞書ではなく)報道機関などで広く使用されている訳語を使用しましょう。

※例えばshaleを辞書通りに「頁岩、泥板岩」としても、まったく文意が通じません。ここではshale oilの略であることは明らかですので、「シェールオイル(油)」とします。

このように金融翻訳では、常に経済・産業、政治、社会の動きを追い、ある程度把握しておかないと、いざ訳そうとしたときに調査に時間がかかります。しかも付け焼き刃のネット調査では、訳語だけは分かっても、背後にある大局的な構図が捉えられず、実はよく分からないままに訳した末に、訳文全体の流れがなんとなく悪くなる――といった状況にもなりかねません。

したがって、新聞やテレビはもちろん、できればロイターやブルームバーグなど通信社系のサイトもチェックしておくことをお勧めします(タイトルを見るだけでも役に立ちます)。

2)lower oil prices(比較級の訳)

直訳では当然ながら「より低い原油価格」となりますが、日本語では比較対照物がないのに「より」という言葉を使うと違和感がありますから、できれば避けたいところです。やむを得ず「より」を入れる場合は、それとなく比較対照を示すという手があります。例えば今回の場合は、明らかに「現在よりも低い価格」を含意していますから、原文になくても「現在より(も)」と入れた方が、流れが良くなります。

もう一つの対処法としては、比較級を動詞化(さらには名詞化)する方法があります。つまり「原油価格の低下」としてしまうのです。場合によっては原文の意図からずれてしまうこともありますので注意が必要ですが、今回は「現在より低い原油価格」よりも「原油価格の下落」の方が文意に沿いますので、そちらを採用した方が良さそうです。

この方法は、比較級でなくとも応用が可能で、例えばweak economic growthを「弱い経済成長」とするよりは、「経済成長の鈍化」などとした方が、日本語としてはスマートに響きます。

もちろん原文の内容によっては、「動き(弱まっていること)」ではなく「状態(弱いこと)」を含意しているかもしれませんので、文脈をよく吟味してから訳語を選定しましょう。

遅々とした歩みで申し訳ありませんが、今回はここまでとします。次回は最初の文↓
The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices.
を集中的に検討する予定ですので、この部分だけでも翻訳を準備してお待ちください。お楽しみに!



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プロフィール

アース(土川裕子)さん

アース(土川裕子)さん
愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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