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翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.32 翻訳業はサービス業だと思います

関 美和さん Miwa Seki
1965年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。電通、スミスバーニー勤務の後、ハーバード・ビジネススクールでMBA取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務める。現在はベビーシッターの会社のメイ・コーポレーション代表取締役。ダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビュー誌などの翻訳者としても活躍中。


Q.経歴を拝見しましたが、関さんと英語の深いかかわりをまずは学生時代からお聞かせください。

― 福岡県の郊外で英語とは無縁の小学生時代を送りました。
中学校が私立のミッションスクールで郊外の学校にしては英語教育が充実していたのですが、その前から英語を話す外国人って格好いいな、という漠然とした憧れはありましたね。また、本を読むのが大好きでとにかくたくさん本を読んでいました。

大学は、慶應の文学部と法学部に合格したのですがなぜか文学部へ進学し、英語の勉強はきちんとやりました。でも、この時期はまだ英語と「深くかかわる」ことはあまり意識していませんでした。卒業後の進路についても大学院へ進学するか、アメリカに留学するか、などと漠然と考えるくらいで、最終的に電通へ入社しました。当時はバブル全盛期でしたが、四年制卒の女子の総合職の門戸は今ほど広くなく周囲の友人で外資系へ入社する人もたくさんいましたね。電通へ入社したものの、やはりもっと勉強してみたいという気持ちが強くなり勉強するならハーバードだ!と思い(笑)だから外資系企業へ転職しようと考えました。外資系企業に既に就職していた先輩の話しを聞いてますますその想いは強くなりましたね。

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Q.では、外資系企業へ転職をされてから英語と更に深くかかわっていかれたのですか。

― 外資系企業から声をかけていただき、そこへ転職して2年後にハーバード・ビジネススクールへ入学しました。ここで初めて英語での苦労を味わいましたね。読むのも聴くのも話すのも、とにかく苦労の連続でした。でも、せっかくハーバードに来たんだから!という想いと、10%は容赦なく落とされるという恐怖感(?)で寝る以外はとにかく勉強しました。すごく深いことを勉強しているわけではないんです。読んで理解するだけなんです。それだけなのに、本当に苦労しました。それにハーバードでは、授業中の発言が評価の8割を占めるので話すことを事前に準備して授業に臨んだりしていました。
1年目は授業以外に就職活動も始まります。私もソロモンブラザーズでインターンシップを経験し、モルガン・スタンレーとメリルからオファーをもらいました。最終的にはモルガン・スタンレーへの就職を決め、2年目からは英語の苦労も随分と減り充実した毎日を送りました。
1993年にモルガン・スタンレーNY勤務として入社し、そこではビジネススクール時代の大変さとは比べ物にならないくらいの大変さを味わいましたね。10数人いた同期生の中で日本人は私だけだったのですが外国人扱いもなく、いきなり実践の場に放り出された感じでした。当然ですが、周囲の真剣さの度合いが今までと全く違いました。そこではエクイティーファイナンス関連の仕事をさせてもらいました。といっても目論見書に間違いがないかをチェックして印刷所に持っていくようなことばかりやってましたけど。自分の勉強にはすごくなりましたが、果たして会社のためにはなっていたのかどうかは定かではないですね(笑)その後、東京転勤になり2年を過ごしました。

Q.モルガン入社後の2年間が英語に対しての大きな転機になったのですか?

― いえいえ。まだ先があります。今までの話しは夜明け前、朝の4時ぐらい(笑)。これから夜があけるところ。

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是非続けてください!

― では、お言葉に甘えて(笑)話が前後するのですが、ビジネススクールに行く前、まだ日本にいたころ、Michael Lewisの「Liar's Porker」という本を辞書なしですんなり読めたんです。これがすごく面白くて。その著者の本はだいたい読んでたんですが、「MONEY BALL」という新刊を6~7年前に読んで、ものすごい衝撃を受けました。ストーリーにほれ込んで、何度も読み返しました。その後、ゴールドマンサックスにいる友人からAllison Pearsonの「I don't know how she does it」という本がすごく面白いと勧められて読んでみたら、これがまた面白くて暗記するほど読みました。今でも憶えている表現がたくさんあります。ロンドンの投資顧問会社に勤務している2児の母親が主人公で、彼女が仕事と家庭の両立にドタバタするコメディー小説でしたが、当時の私も主人公と同じファンドマネージャーをしていたので自分と重ねて共感しながら読めたんです。それで唐突に「これを翻訳したい。私が翻訳しなきゃ誰がするの!?」と思い、この本を勧めてくれた友人が著者と知り合いだったこともあり、翻訳したい気持ちを手紙にして伝えたんです。そしたらなんと「出版権利はソニー出版へ売ったのでソニーへ連絡してください」と返事が来ました。早速ソニー出版に連絡をし、自分が何者であるかを説明し、翻訳したいと伝えました。

Q.ソニー出版へご自分でいきなり連絡をされたんですか?

― はい(笑)でももう翻訳も終わって、出版する運びになっていると言われましてその時「しまった!!これは1日も早く翻訳者にならなければ!」と思ったんです(笑)やっぱり翻訳の仕事をしていないとこんな話はこないと思い(笑)、まぁ当たり前なのですが。それが私が英語に「深くかかわる」「翻訳者になろう」と思った大きなきっかけだったんです。それからしばらくして仕事を辞めて翻訳に専念することにしました。仕事を辞める前に人づてで翻訳者としても有名な斎藤聖美さんに会っていただき自分の思いを伝えました。そうして斎藤さんに日経新聞出版社の方を紹介してもらいました。

Q.早速お仕事はきたのですか?

― いいえ(笑)そこから書籍翻訳のお仕事をいただいて出版までに2年かかりましたよ。

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Q.流れに乗ってここまで来たようにも思えますし、関さんの強い意志で色々なことをたぐりよせてこられたようにも思います。

― はい。また別の人づてでダイヤモンド社の方ともお会いさせていただきました。ただ、自分のことを紹介するだけよりはいいだろうと考えその時すごく面白いと思った本の要約を5~6枚にして読んでもらいました。その時、面白いと思っていただいたのかもしれません。それからしばらくしてダイヤモンド社からもお仕事をいただくようになりました。今も1冊書籍翻訳を手掛けています。年末に出版予定ですのでよろしくお願いします(笑)

Q.文芸翻訳にすごく興味をお持ちのようですね

― 翻訳者になりたいと思ったきっかけがさきほど話したMichael Lewisの「MONEY BALL」とAllison Pearsonの「I don't know how she does it」の2冊だったこと、子どもの頃からの憧れ、本が好き、などがあるのでやはり文芸翻訳をもっと手がけたいです。ただ、自分のバックグランドを考えるとビジネス書の依頼が多いのは仕方がないですね。
社会人になってまだ間もないころ、ちょっとした翻訳を頼まれると「みんなが読みやすいように、でも自分らしさを入れてみよう」や「みんなを飽きさせないようにしよう」ということを常に思いながら訳していました。そういう傾向が自分にはあるのだと思います。

Q.誰に教えられるともなくそう思いながら翻訳をする関さんにとって翻訳の魅力はどこにありますか

― やっぱり「ピタッ」とくる表現を思いついた時です。なかなか思いつかないんですけど。満足できる表現は全体の一割くらいです。せめて3割バッターくらいにはなりたいと思ってがんばっています。アメリカのテレビドラマを見ていても自分だったらこう表現するかな、とついつい思いながら見てしまいます(笑)

Q.関さんの今後の目標や夢を是非お聞かせください。

― かなり壮大な夢ですが、ロースクールに行って弁護士になろうと思っています。
前から興味があってきっかけは、、、、、やはり本ですね。リーガルスリラーが好きで裁判関係の本もたくさん読みました。また、法廷もののアメリカドラマも大好きです。法廷で弁護士をやってみたいんです(笑)日本で裁判員制度が始まったのも自分にとっては大きなきっかけです。(このインタビューの日がまさに第1回目の裁判員裁判の日でした)
「Ladies and Gentlemen of the Jury」という法廷での最終弁論の中でも名最終弁論といわれるものを集めた本を読んで非常に感動したことが弁護士になりたいと思った一番の理由です。あとは中坊公平弁護士の森永ヒ素ミルク事件の最終弁論を読んで感動したことも理由のひとつですね。
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Q.最後に関さんから翻訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。

― 翻訳業はサービス業だと思います。読者へのサービス精神、編集者へのサービス精神が大事です。 つい行きたくなるレストランがあるように、つい頼みたくなる翻訳者になるにはどうしたらいいかを自分なりに考えてみるといいと思います。 実践的なことで言えば、リーディングをたくさんすることです。すごく大変ですが、とにかくたくさんする。私自身は「早い、上手い、安い」、これを私は「吉野屋的」と呼んでいるのですが、を心がけてリーディングをしました。お金にならなくてもやってみるべきだと思っています。そのリーディングが自分の英語力を引き上げるだけではなく出版社への自分の売り込みにもなりますし、覚えてもらえるきっかけにもなったりと色々なことを引き寄せてくれるからです。是非、「早い、上手い、安い」を心がけてひとつでも多くのリーディングをやってみてください。

編集後記
翻訳には定評のある関さんにお会いするのは本当に楽しみだったのですが、私にとっては初めての翻訳者さんへのインタビューということもありかなり緊張して臨みました。が、そんな緊張感を感じる暇もないほどの華麗でぶっとびなエピソードのオンパレードでした。しかもそれを気取らず飾らず気負わずに、時には「夜明け前」「吉野家的」などの関語録も交えながら私にわかりやすいように語っていただいた姿は本当に格好良かったです。最後に翻訳者としてあるべき姿と弁護士になりたいという次なる目標を語られた時のきっぱりとした口調に関さんの「美学」を感じたような気がします。大いに刺激を受けました。本当にありがとうございます!


Vol.31 すべては"伝えること、つなげること"のために

第23回 枝廣 淳子 さん Junko Edahiro
『不都合な真実』の訳者であり、同時通訳者や環境ジャーナリストとしても広くご活躍の枝廣淳子さんのご登場です!超多忙のスケジュールの合間を縫ってインタビューに応じてくださった枝廣さんに、翻訳を始めたきっかけ、『不都合な真実』翻訳秘話、翻訳におけるビジョンなどを語っていただきました。4月16日に『あなたも翻訳家になれる!―エダヒロ式 [英語→日本語] 力の磨き方』を出版し、翻訳業界への貢献をさらに深める枝廣さんの、翻訳に対する想いを凝縮してお届けします!


プロフィール  枝廣 淳子 さん Junko Edahiro

東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修了。2年間の米国生活をきっかけに29才から英語の勉強をはじめ、同時通訳者・翻訳者・環境ジャーナリストとなる。環境問題に関する講演、執筆、翻訳等の活動を通じて「伝えること、つなげること」でうねりを広げつつ、行動変容と広げるしくみづくりを研究。世界と日本をつなげる役割としての翻訳者を育て、活躍の場を提供する取り組みも行っている。

Q.渡米をきっかけに本格的に英語の学習を始められ
  同時通訳者として活躍するに至られたと 伺っていますが、
  「翻訳」を仕事として意識されたのはいつ頃ですか?
  またそのきっかけは何でしたか?
 渡米後、通訳になるために勉強を始めましたが、しっかりとした訳文で通訳ができるようになるために、通訳学習の一環として翻訳の勉強を始めました。その頃は翻訳を仕事として意識してはいませんでしたが、翻訳の面白さは感じていました。帰国後、日本で通訳学校に通うために何かアルバイトをして学費を作ろうと思いました。しかし、帰国の3ヶ月後に2人目の子どもが生まれたので、家に居てもできる仕事がないかと考え、在宅翻訳を始めることになりました。
Q. はじめて翻訳の仕事をしたときのことを教えてください。
 新聞で翻訳者募集の求人広告を見つけ、履歴書を送りトライアルを受けました。ご夫妻でやっていらっしゃる小さな会社で、翻訳者を育てようという意識のある会社でした。トライアルも100点ではなかったと思いますが、可能性を感じて採用してくださったと思います。
最初の翻訳はアメリカかカナダの新聞記事の一部を翻訳するというものでした。ゲームソフトの翻訳もあり、「ドキューン」とか「ドバーン」などの効果音をたくさん訳したこともあります。ここでの翻訳の仕事でとてもありがたかったのは、必ず社長さんが私の翻訳に丁寧に赤を入れて戻してくださったことです。お金をいただきながら勉強をさせていただいているようでした。この頃は分野を問わずに仕事をさせていただきましたが、ここの社長さんから「自分の専門を見つけて本を翻訳するようになりなさい。お金になる翻訳は他にもあるけれど、それだけでは先に進めないよ。」と出版翻訳を強く勧められたことが、現在書籍翻訳に携わることにつながっていると思います。
Q. 翻訳の学習方法についてお聞かせください。
 もともと翻訳の学習はあくまで通訳の勉強の一方法という位置づけでした。通訳の場合は瞬時に言葉を選ばなければいけませんが、翻訳はより良い表現や言葉を見つけるために時間をかけることができますので、翻訳の仕事をするようになってボキャブラリーや表現力を磨いていくことが大切だと感じました。その時の助けになるように本を読んだり、社内の吊り広告などを見てよい表現などがあったら手帳に書き込んだりしています。通訳訓練としてのサイトラも翻訳の勉強に役立ちました。
Q. 翻訳という仕事の醍醐味とは何でしょうか。
  また、苦労や困難といった面で感じていらっしゃることはありますか?
 翻訳と通訳の向き不向きという点でいえば、翻訳は持久力、通訳は瞬発力がある人が向いているなどといいますが、私の場合はどちらも違う筋肉を使っているようで両方好きです。金銭的な面から通訳の仕事に集中した方がいいのでは、と言われることもありますが、翻訳でしか味わえない楽しさがあるのです。言葉を練り上げ、作り上げ、「これだ!」とひらめいた時の楽しさです。またビジネス翻訳と比べて出版翻訳では、翻訳が本として形に残り、多くの人に長期に渡りメッセージを伝えることができる、そんな広がりがあるのが書籍の翻訳の良いところです。時間がかかる仕事ではありますが、翻訳を辞めようと思ったことはありません。
1日中翻訳をすることにまったく苦はありませんが、とても気分がのって何時間でも翻訳し続けられるときと、扱っているテーマなどによってはなかなか気分がのらず、自分で自分を押していかないといけないときがあります。そういう時は「自分マネジメント」をしていきます。小さなゴールを作ってそれを一つずつつぶしていくことでリズムを作っていきます。翻訳には持久力、すなわち長時間の翻訳でパフォーマンスを落とさない力が大切です。
翻訳を教えている中でも感じますが、最初のところだけならプロの翻訳者とアマチュアはそれほどパフォーマンスが変わらないのですが、ある程度の分量になるとアマチュアはパフォーマンスががくっと落ちます。それを落とさないように自分を回していく仕組みが必要です。同時通訳の場合15分ほどしか続かない大変高い集中力を要しますが、翻訳でその集中力を使ってはとてももたないので、集中力の程度をぐっと下げ、十数時間続けられる集中力で翻訳に取り組みます。このように集中力のコントロールができることの一つには、大学(院)で心理学を勉強していたのでそのバックグラウンドがあると思います。常に自分を被験者のようにみて、どうしたら翻訳作業を継続できるだろうと自分の客観的に診断し、その時々で一番合ったやり方を探します。
通訳だと仕事が終われば「お疲れさま!」と打ち上げができますが、出版翻訳の場合、納品しても刊行されるまでにさらに数か月がかかり、完全な終わりがなかなか見えず、そのうちにまた別の翻訳が始まってしまうので、本になったから、みんなが褒めてくれるからといった外的なご褒美がなくとも自分で動けるような体にしておくことが大切ではと思います。
Q. アル・ゴア氏の著書『不都合な真実』の翻訳で
  印象的なエピソードをお聞かせください。
 最も大変だった翻訳といえばやはりこのゴアさんの本になります。もともとこの本には環境関連の集まりのためアメリカ出張に行った際に、代表的な環境活動家の方々に映画の方を勧められました。アル・ゴアさんが環境についてプレゼンしている映画だと聞いて、最初はどう考えても面白そうな映画ではないなと思いましたが、観た後にはとても感動して空港や映画館に平積みしてある原書を手にとって、誰が日本語に翻訳するのかな...と思っていました。
その後半年ほどたったある日、環境関係の知人からこの本の日本語翻訳者を探しているとメールがきたのです。映画に感動し内容にも感銘を受けていましたのでぜひやりたかったのですが、一番の問題はスケジュールでした。原書の文字量から3~4か月はかかると想定しましたが、最初の打ち合わせで25日間でやってほしいと言われました。数か月後にゴアさんが来日する際に日本語版を献本したいと。印刷や製本を逆算すると25日間しかないと。この25日間に海外出張が2回、国内の講演も複数あり、丸一日作業できる日は4日間しかなかったのです。普通では考えられない短納期ですが、もし私が翻訳をしなかったらこの本はどうなるのかを考えました。おそらくは複数の翻訳者が下訳をし、それをまとめるようなやり方になると思います。いろいろな人がばらばらのトーンで訳したものを集めただけになり、私の大好きなこの本が生きてこないだろうと。そこで私がやります!と返事をしました。
その後25日間は飛行機の中もホテルでもひたすら翻訳です。原書は大変厚みがあり重いので、一章ずつにページを引きちぎって持ち歩きました。翻訳自体は至福の時間でしたが、条約名や動植物、人物名など膨大なリサーチまで自分でこなすことはできません。そのため、翻訳仲間を募ってリサーチチームを作り、リサーチと翻訳を並行して進め、なんとか25日で翻訳を完成させました。
私の場合、翻訳は原書をサイトラして読みあげた日本語をレコーダーに入れ、テープ起こしをしてもらって抄訳原稿をつくる、という方法をとっています。翻訳作業で時間がとられるのは「目の移動」です。翻訳の仕事を始めたころ、まとまったボリュームの仕事でなかなか進まずに、自分の何が悪いのかやり方を観察してみると、タイピングと目の移動に時間がかかりその間は実際に翻訳をしていない無駄な時間だと思いました。ではそれをなくすにはどうしたらいいかと考えて、サイトラを録音するという方法に達しました。過去20冊以の訳書は全部サイトラで訳しています。過去10年以上にわたる経験と、半年前のアメリカ出張の際に原書に出会い、内容理解だけでなくこの本に対する熱い想いをすでに持っていたこと、環境分野であったこと、そしてチームの存在などがこの本を訳すにあたって非常に大きな助けになりました。
サイトラで翻訳している時に、ゴアさんの声で日本語訳がでてきて、私はそれを読みあげるだけでいい、というような不思議な感覚におちいりました。ゴアさんが自分にのりうつったみたいですね。その後ゴアさんと直接お会いしましたが、いい翻訳だと周囲から聞き、短い時間だったのに大変だったね、と言ってくれました。今年11月にゴアさんの新著『Our Choice』がアメリカで出版されますが、また日本語訳を担当させていただくことになっています。
Q. 環境問題、自己マネジメントなど多岐にわたる活動を展開される中で、
  翻訳業との両立をどのように図っていらっしゃいますか。
 全体の3割くらいを現在翻訳にあてています。海外・国内出張など多数あって、自宅でゆっくり翻訳はできません。一番翻訳が進むのは出張先のホテルです。ご飯も作らなくていいですし。翻訳以外にも様々な活動をしていますので、マルチキャリアともよく言われますが、自分の中ではやっていることは一つなのです。それは「伝えることとつなげること」です。
「伝える」は、日本国内では講演や執筆になりますし、世界と日本を「つなげる」ことでは翻訳や通訳、またNGOを立ち上げ日本の環境関連の情報を海外に発信する活動もやっています。自分のやりたいことと今の社会の動きをみて、どことどこをどういう形でつなげる仕事が必要なのだろうと考えて行動します。以前は環境への世界のすすんだ取り組みを日本に伝えようと日本語訳をずいぶん手がけましたが、今度は英訳、つまり日本のいいものを世界に伝える活動もしたいと思っています。
出版翻訳の点では、海外のものを日本で読んでもらえるレベルに訳せる人は少ないと思います。とくに環境分野に関心・知識があって翻訳ができる、という人は少ないです。以前、海外のよいものを日本に伝えようとしたときに、自分がボトルネックになっていたと感じた時期がありました。つまり、私が使える時間分しか海外のよいものを日本に紹介できないと。これを解消するには私以外の人が同じように翻訳ができるようになればいいと。そう思いついたのが2000年で、それ以来環境問題に関心と問題意識がありかつ翻訳ができる人を育てる活動を行っています。海外で面白い原書があったとき、自分が全部を読もうと思うとずいぶん先のことになってしまうので、チームの中でやってくれる人に頼みます。私の役割はよい情報を見つけるアンテナで、実際の作業はチームで行います。大事なのは、私が何冊翻訳をしたかということではなく、伝えたい情報を日本に伝えているか、ということです。その時その時で一番いい状態で翻訳をするようにしています。
Q. この度、『あなたも翻訳家になれる!』を出版なさいましたが、
  この著書を通して読者の方々に伝えたいことは何ですか。
  また、今後どのように翻訳の道を進んでいっていいのか分からない
  という悩める方々にアドバイスをお願いします。
 自分マネジメントなどのセミナーで「ビジョンを作る」という話をよくします。例えば翻訳を始めたばかりの方には「誤訳なく翻訳をする」ということがベーシックなビジョンになるかと思います。私自身も最初の頃はそうでした。登山に例えられますが、山を登っているときにあの頂が頂上かなと思って登ってみるとその先にもっと高い頂があって、さらに登り続ける感じです。最初は赤(赤字チェック)が入らない翻訳をするというビジョンを掲げ、だんだん赤は減ってきたけれどもでも自分の訳文は堅いな、と感じ、次のビジョンは「読みやすい訳文をつくる」になります。このように進んでいった結果、今は私自身が翻訳をしなくてもいいから、翻訳ができる体制を作りたいということが次のビジョンになっています。これは最初から思っていたことではなく、いくつも山を乗り越えていく中で見えてきたものです。翻訳者を目指している方が、始める前か、スタートしたばかりか、ある程度翻訳をしてきた方なのか、それぞれのステージによって目指さなければならないことがあるのだと思います。小さなビジョンを確実にこなすことなく、遠くのビジョンばかりを見ようと思ってもそれは絵に描いた餅に過ぎません。目の前にある山に近づいていけばかならず次の山、ビジョンが見えてきます。
よく私が言っていることですが、私が今やっていることは、一生をかけてやりたいことの3%くらいで、10年前でも3%くらいしかできていないと言っていたと思います。それはやればやるだけやりたいことが増えてくるからです。きっと死ぬときも3%と言って死ぬと思います(笑)。登山に例えれば、頂上まできたと言って山登りが終わるとは思わず、いつまでたっても先に山があるのが楽しいし、歩んでいくことが人生だと思います。
もう一つのアドバイスは、今見えている山に向かって進む際の進み方についてです。やみくもに進むべきではないということです。例えば、自分の翻訳に添削がついて戻ってきたとします。こういう風に訳せばいいのかと学べるはずですが、それと同時に自分の勉強法や翻訳作業自体も見直すことが必要です。学校の課題やエージェントの仕事をこなすことはもちろん大事ですが、どれだけいい質の翻訳をつくるかだけではなく、どういうやり方で翻訳を仕上げているか、やり方そのものを工夫できないのか、他の人はどうやっているのだろうか、質を落とさず時間を短縮する方法はないか、など常に方法を試行錯誤しながら今の課題に取り組んでいくことが大切です。これをやっている翻訳者の卵とやっていない卵ではまったく進歩が違います。勉強法そのものを意識する、ということをアドバイスしたいと思います。
『あなたも翻訳家になれる!』では勉強法のコツやどうやって仕事につなげていけばよいのか、などを紹介しています。本の出版と同時に、メールでも講座を開きます。本を読んでやってみたいと思った人がメール講座で実践できるという形です。こうして翻訳者を目指す方々の裾野を広げて、ここから上がってきた翻訳者をひっぱりあげて実際に活躍してもらえる体制も別に作っています。また、一番上のグループでもうちょっとレベルアップすれば独り立ちできるというレベルの方々を対象とした翻訳道場という講座も用意しています。翻訳者の裾野を広げる本と、実践的な学習ができるメール講座と、翻訳道場、自主勉強の場があり、よい人材が現れたら私たちのチームに入ってもらって一緒に翻訳をやりましょう、とやっとここまで全体のシステムができたかなという感じです。もし私がいなくなってもどんどん翻訳者が育つような仕組みを作っていかないと、日本と世界の隔たりを埋めていくことはなかなかできないのではないかと思っています。
【枝廣さんの著書】
あなたも翻訳家になれる!エダヒロ式 [英語→日本語]力の磨き方
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2009年4月16日

編集後記
 小さな山をひとつずつ越えて、目指す頂にたどり着いたら、次に目指したい山が見えている...。個人的に登山をしますが、この例え話が一番心に響きました。翻訳者だけではなく前に向かって進もうとしているすべての人にこのメッセージを受けとってほしいと思います。まずは今目の前にある山を登ろう!必ず次の山(ビジョン)が見えてきます。そしてその時の登り方・進み方を意識することが大切なんですね。本当に心に残るお話をありがとうございました。



Vol.30 出会った!ニュージーランド翻訳生活

第 18 回  小西映子さん Eiko Konishi
年に1回の帰国の合間を縫ってインタビューに応じてくださったニュージーランド(NZ)在住の英日翻訳者小西映子さんをご紹介します。社会人になるまで関西に暮らし、実は海外生活にも翻訳にそれほど関心がなかったと語る小西さんが、NZで翻訳業を始めたきっかけとは? 9年目を迎えるNZ生活の中で、翻訳を通じた将来の目標をも見つけられたようです。


プロフィール  小西映子さん Eiko Konishi

 神戸大学文学部(ドイツ文学専攻)卒業後、メーカーの広報部で10年間勤務。その間結婚・出産。2001年、ご主人の仕事の都合によりNZ・オークランドに移住。しばらく専業主婦をした後、2004年に翻訳と出会う。2005年からフリーランス翻訳者として本格始動。「通訳・翻訳者リレーブログ」では「みなみ」のハンドルネームでNZの生活や翻訳事情を紹介。

Q. 大学ではドイツ文学専攻だったのですね。
 実はドイツ文学を選んだ理由はこれといってありませんでした。当時は自宅から通える大学で、理系科目は苦手だから文学部が一番いいだろうと。そして大学に入ると英語を学ぶことはほぼ当たりまえだと思ったので、せっかくだから英語以外の外国語を学ぼうと。じゃあなぜドイツ語?とあらためて聞かれると、やはり「なんとなく」としか答えられないのですが(笑)。
Q. 卒業後の就職先ではドイツ語を使うお仕事だったのですか?

写真 いえ、ドイツ語はまったく関係がありませんでした。大学の卒論テーマにリルケの作品を選んだのですが、これがまた難しくて。テーマを決めたのはいいものの、何をどう書いていけばいいのか、途方にくれました。誰もいない冬休みのキャンパスに指導教官から呼び出され、どうなっているんだ?と心配をかけてしまいました。卒業はしたいとなんとか論文は書きあげましたが、教授との最後の面接で、「きみは文学には向いてない」とはっきり言われてしまいました。文学として作品に向き合っていなかったのだろうと、今となっては思います。将来の仕事についても、自分が何をやりたいのか、何を目指したいのか、ちっとも分かっていませんでした。ちょうどあの頃はバブルの頃でしたから売り手市場だったと思うのですが、もう受ける会社に片っ端から落ちまして......。周りはどんどん内定を取っているのに、私だけ落ちまくっていて焦りましたね。その中で、社内報や広報用ビデオ作成の職種で募集があり、運良く内定をいただきこの会社に入社することになりました。ここで10年間、社内広報から社外広報・IRまで、広報に関する様々な業務の経験を積むことができました。

Q. 翻訳との出会いはここでのお仕事だったのですか?
 私が翻訳業を始めたきっかけは、この広報の仕事とはまったく関係がないんです。ただ、広報業務の中では英語の資料を扱う機会がしばしばありました。IR関連文書や海外向けプレゼン資料は英語ですから、そういった資料の英訳を依頼する側として翻訳エージェントとやりとりをしていました。今とはまったく逆の立場ですね。当時は翻訳物に触れていながらも、まったく翻訳というものに興味を持ちませんでした。ただ、仕上がってきた英訳をチェックしていて、ここの原文の意図がきちんと理解されていないな、と思うときはありました。隔靴掻痒(かっかそうよう)というのでしょうか。おかげで、発注側の思いはよく理解できるので、この時の経験が翻訳者としての今の自分に生きていると思います。
Q. そうなのですね。10年間の会社勤めで他にも翻訳業に生きていると思うことはありますか?
 すべてです!「翻訳者として」以前に「社会人として」大切なことをすべてここで教えていただきました。お恥ずかしいのですが、入社当時は社会人としての意識がまったくなっていませんでした。入社後すぐに国内出張があったのですが、予定の飛行機に乗り遅れてしまい、飛行機に乗り込んでいた先輩に機内電話をして「間に合わなかったので次の便で行きます」と数時間後のフライトに乗ったりして。よく見捨てられなかったものです。こんな調子でしたから、この10年間で社会人としてのマナーなどを身につけさせてもらって本当に感謝しています。ビジネス文書の書き方も鍛えられましたし、プレスリリースの作成方法やIR関連の知識を得たことや、当時は苦手だったIR用のプレゼン資料作りの経験もすべて生かされています。
Q. なるほど。では、NZ移住のきっかけは?
 夫がNZで働くことになり、私も退職をして一家でオークランドに移りました。ここに来るまでNZのことなど何も知らない状態だったので、家族も私も現地の生活に馴染むのがまず大変でした。当時3歳の娘は通学先の幼稚園で、みんなが自分の分からない言葉を話すと毎日泣いていました。よく海外生活は大人よりも子どもの方が馴染むのが早いと聞きますが、一概には言えないのですね。3歳だと男の子はまだ言葉によるやりとりが不要の遊び方かもしれませんが、女の子はもう言葉でのコミュニケーションが重要になり始めていたようです。そんな娘も昨年無事に小学校を卒業しました。彼女なりに壁を乗り越えたのだろうなと頼もしく思います。
Q. 翻訳の仕事はどのように始められたのですか?
写真  移住後しばらくは専業主婦をしており、特に働くことは考えていませんでした。ただ今後のために大学に通ってNZの教員免許を取ろうと考え、まずは入学に必要なIELTSの点数を取得するところから始めました。しかし、これから大学にアプライをするという時期に夫が自分で会社を立ち上げることになり、私の大学入学は一旦白紙になってしまったんです。これからどうしようかと思っていた時に、翻訳者である現地の知り合いが翻訳をやってみないかと声をかけてくださいました。今思えば無謀でしたが、翻訳に対するプロフェッショナルな意識がなかったものですから、法律に係わるその内容をポケット辞書とアルクの英辞郎だけで翻訳してしまったんです。でも、その後特にクレームが出るわけでもなく、1か月に1回のペースでその知人から仕事を請け負う形で翻訳を始めました。NZで自分のスキルを生かせるうえに、娘が学校を終えて15時に帰ってくるときに自宅にいてあげられることが魅力でした。そこで「よし、本格的に翻訳を仕事にしよう」と。どうしたら翻訳者になれるかとその知人に聞くと、トライアルを受けることを教えてくれました。自分が翻訳についてまったく知識がないことは分かっていましたので、日本の会社の通信教育でビジネス英語の翻訳講座を半年間受けました。NZではNZの翻訳資格を持っているか翻訳協会のメンバーになっていないと、正規の翻訳者として認められません。そこでネットで日本の翻訳会社をサーチして、10社ほどトライアルを受けました。そのうちの5社からお仕事をいただくことになりまして、現在もお付き合いをさせていただいています。
翻訳の仕事を始めて良かったことや、失敗談などはありますか?
 翻訳を通して未知の世界を知るきっかけを与えてもらっているので、知りたがりな私にはとてもありがたい仕事です。翻訳とはある単語を違う言語の単語に置き換える作業と単純に思われがちですが、私の頭の中では、2つの言語が互いに行き来して、その内容が頭の中でぐるぐる回って、ぽんっ!と訳が飛び出してくる感じなんです。こういう作業はまだまだ機械では上手く処理されないことだと思いますし、翻訳という仕事の面白さだと感じています。
一番の失敗談は、キャパシティコントロールができていなかったことです。翻訳の仕事を受け始めた頃、同じ日が納期の仕事を5件受けてしまったことがありました。とにかく依頼が来るのが嬉しかったですし、舞い上がってしまって。自分なりに一生懸命にやりましたがやはり質が悪く、1社の翻訳会社からクレームを受けました。「いつもの翻訳の質ではない。今後の依頼はないかもしれない。」と言われましたが、指摘通りのミスでしたので反省するしかありません。また、よりによってこの納期の日に必死で作業をしている時に、知人が遠方から来ていたお母様を連れて、突然、遊びに来くれたんです。本来なら喜ぶべきサプライズですが、自分は髪を振り乱してパソコンに向かっていましたので、「ごめんなさい!」と訪問を断ってしまって......。本当にその日のことは忘れられません。翻訳者としてスケジュールや品質管理への意識が至らなかったことが恥ずかしい限りです。二度とこんなことをするまいと心に誓いました。
Q. その後、翻訳に際して心がけていることはありますか?
写真  やはり、時間管理は今年も課題です。家族との時間も大切にしたいし、日中はついのんびりしてしまうので、仕事が夜型になってしまう傾向にあります。睡眠不足が続くと、どうしても次の日に響いて仕事がはかどりません。また私は納品前に3回チェックを入れています。和訳の場合ですと、1回目は英語と日本語を対比して漏れがないかどうか、2回目は英語側から日本語にチェックして誤訳などがないか、そして3回目は日本語だけを読んで読みやすい文章になっているかどうか。納期まであまり時間がないときでもちょっと掃除をしたり、ご飯を作ったりとインターバルを入れて、可能な限り翻訳を寝かせながらチェックをします。もっと短い時間、少ない見直し回数で仕上げることができたらそれに越したことはありませんが、今の自分の実力ではまだ必要なプロセスです。
また、翻訳に際してはそのソース/ターゲット言語どちらにしても文化や考え方、日常的な習慣などの背景知識が必要になることが多いです。そのため、ネットのニュースなどで常に日本事情をアップデートすることを心がけています。年に1回のペースで日本に帰ると、言葉が変わっているなと感じます。カタカナ語がずいぶん増えているだけでなく、本来の単語とは違った発音や使い方をされたりもします。また、例えば今なら「婚活」といった、見慣れない造語、略語があっという間に浸透します。翻訳者はその業界で現在通用している言葉を常に使っていくべきだと思いますので、言葉の変化には敏感になります。
Q. 英語力の向上という点では、NZに暮らしていることはメリットでしょうか?
 確かに日々生の英語に囲まれて生活していますが、「翻訳力」の上達は別問題です。私はNZに来てから「翻訳」という仕事を初めて意識しましたが、翻訳の勉強に関しては日本の環境の方が整っていると思います。少なくともNZに限って言うと、翻訳を学ぶといえば大学進学が主ですが、日本なら例えば週に1回、仕事帰りに翻訳のクラスに通うというオプションもあり、専門分野の種類も豊富です。翻訳関連の参考書や書籍を手に入れるにしてもやはり日本が便利です。これから翻訳者を目指す方には「日本にいるから英語が上達しない」と考えるより、「日本は勉強の機会に恵まれている」と自信を持ってこの道を目指してほしいとお伝えしたいです。
Q. もしNZに来なかったら、翻訳を仕事にすることはなかったでしょうか。
 そうですね、もしNZに来なかったらやっていなかったかもしれません。翻訳という仕事に興味を持つきっかけがなかったかもしれないので。NZへの移住は、今思えば自分を見つめ直す良い機会でした。10年間の広報の仕事を通して、私はばりばりのビジネスウーマンだと勘違いしていました。ところがNZでは仕事もないですし、アジアからやってきた外国人に過ぎません。娘とプレイグループにいって体操をしていたりすると、前なら「顧客満足とは」とか、「Eコマースにおける今後のビジネススタイルは」とかを論じていたのになぁ、となんだか情けなくなったりしていました。当時はこの「なんでもない自分」に気づかされてつらい気持ちになりましたが、今では貴重な経験だったと思えるようになりました。 NZというと、人々はおおらかでフレンドリーというイメージがあると思うのですが、実際には人種的な偏見や差別があります。ある日お店に買い物に行くと、通りすがりの車から突然生卵を投げつけられたこともありました。もちろんNZのすべての人が差別をするわけではなく、ごく一部ですし、日本にだって差別や偏見は存在します。ただ、そういったマイノリティにたまたま日本では属していなかったので、日本にいたままであれば、人種差別を"実感"することはなかったでしょう。NZにきてから、様々な価値観、考え方に出会い、世界が広がりました。こういう多様な世界や文化を肌で知っていくことはすべて翻訳の中で生かされてくると思っています。
Q. 今後の目標や将来のプランを教えてください。

 目下のプランとしては、NZの大学で1年間、翻訳の理論と実践を学び、翻訳のディプロマ取得を目指します。日英翻訳のスキルアップや、資格を取得することでNZの翻訳エージェントとの仕事の可能性を期待しています。
写真また、これは先の目標ですが、NZにいる難民の家族に英語を教える、ということを考えています。翻訳を始める前には、娘の通う小学校でボランティアとして、英語を母国語としない子供たちに英語を教える手伝いをしていました。NZの教員資格を取得しようと思ったのもこのためです。オークランドにはアフガニスタンやパキスタン、アフリカ諸国などからの難民の方が多くいます。子どもたちは地元の学校に通っていますが、英語が話せない子がほとんどです。支援ボランティアもよく募集しています。日本にいては難民の人たちの暮らしや様子はなかなか実感できないのではないでしょうか。私は自分の経験から英語を学ぶ難しさを知っていますから、今このNZにいて何か役に立てればと思っています。今後、翻訳というルートから難民支援活動に参加できるかもしれません。これは、翻訳のスキルアップの次に抱いている、私の今後の目標です。

【小西さんお薦めの参考書籍】
『英語類義語活用辞典 』
(ちくま学芸文庫)
「類義語・同意語・反意語の正しい使い分けが、豊富な例文から理解できる定評ある辞典。思わぬ誤解や失礼をしないための使用例が、卓越した日本語と英語の語感をもつ著者により解説される」という、英語翻訳に携わる方には必携の書。

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編集後記
大きな輝く瞳でとても快活にお話をされる小西さんを見て、広報のお仕事をされていらっしゃった頃のキャリアウーマン姿が想像できました。世界の文化的多様性や問題点などに意識が向いているのは海外生活からだけではなく「翻訳」に出会ったこともきっかけになっているというのが、まさに翻訳の職業的魅力だと思いました。難民支援をしていきたいという小西さんの目標、ぜひ実現してほしいです!



Vol.29 想い続けた日本で見つけた翻訳生活

第13回 田本 キャシーさん Catherine Judith Tamoto
日英翻訳者として大阪を拠点に活躍中の田本キャシーさんをご紹介します。10年前、初めて暮らすことになった日本は大分県の山の中。人口3500人の小さな町が今も「日本の原点」と語るキャシーさん。イギリスでの日本への想い、翻訳業開始秘話、エージェントとの付き合いから英訳翻訳志望者へのメッセージ、そして2つの母国をもつ子どもたちへの想いまで、内容盛りだくさんのインタビューをお届けします。


プロフィール  エベースト・キャシーさん Catherine Eberst

イギリス出身。シェフィールド大学で日本語と経営学を専攻した後、1998年JETプログラム(国際交流員)で来日。大分県朝地町(現豊後大野市)で3年間国際交流員の仕事をしたのち、石垣島へ。2001年フリーランス翻訳業開始。5年間の石垣島生活ののちに大阪滞在、1年間の香港滞在を経て、現在大阪市在住。特に契約書など法律関係の文書を得意とし、翻訳の質とスピードには定評がある。


Q. 日本語・日本に興味を持ったきっかけは?
 15歳くらいの時に、イギリスで日本文化を紹介するフェスティバルが開催されて、学校や生活の様子を紹介したテレビ番組が放映されていました。日本の生徒はみんな髪の毛の長さを同じにしなきゃいけない、といったことが紹介されていて、"ちょっと変わった面白い国"という印象を持ちました。その頃は自分の将来の進路を考える時期で、同じイギリス人でフランス語などヨーロッパ言語を話せる人は多くとも、日本語を話す人はとても少なく、当時日系企業の進出が目覚しかったこともあって、大学では「経営学+日本語」を学ぼうと考えました。私が大学3年生で日本語漬けになっている頃に、これからは中国語だ!といわれ始めましたが、やはり中国よりも日本に興味を持っている気持ちには変わりはありませんでした。
Q. 日本語を学び始めたのは大学に入ってから?
 高校に入ってから、地元の教育委員会が週1回開催していた日本語会話のクラスに参加したことが日本語学習の始まりです。生徒はビジネスマンやパートナーが日本人といった大人ばかりで子どもは私だけでした。高校の近くにある日本の短大のキャンパスがあって、日本人学生との交流会があったのですが、どうも日本人の"ノリ"が悪くて......。
  また、高校の国語の授業で各自テーマを決めて1~2分のスピーチをする授業があり、当然私は日本をテーマに選びましたが、クラスの誰も興味を持った様子はなく......。孤独に日本語を勉強して、ひとり日本に想いを馳せていました。
  大学で外国語を専攻する場合、高校での選択科目が決まっていて、私の学校の場合にはフランス語でしたが、フランス語は必要最低限の勉強しかしていなかったんです。そしたらある日、その先生から「フランス語もあまり勉強しないんだから、日本語なんか絶対挫折する。」と言われて!悔しくて「ムカツクー」と思って!!意地でも日本語を勉強しようと思いました。
  イギリスでも数少ない日本語専攻のある大学に入学しましたが、入学前までにひらがなとカタカナを覚えなければいけませんでした。でも大学に入ったとたん、漢字が出てきて!2000字近くの常用漢字を覚えなければいけないので、1年生の頃はもう必死でした。同級生には香港出身の人が多く、同じ漢字圏出身のアドバンテージを羨ましく思いました。入学時70人ほどいたクラスが卒業時には30人くらいになるほどついていくのは大変でしたが、卒業する頃にはだいたいの漢字の読み書きはできるようになりました。今日本に住んで10年ほど経ちますが、漢字の読み書きは当時の方が得意だったかもしれません。日本人の中でもパソコンがないと漢字が書けない人がいるのと似たような状況です(笑)。
Q. 大学卒業後の進路は?
 もっと日本語を勉強したくて、2年くらいは日本で暮らしたいと思い、卒業後すぐに国際交流員(JET)として日本に来ました。私が派遣されたのは、大分県の朝地町という人口3500人くらいの小さな町です。この町は有名な彫刻家である朝倉文夫氏の出身地で、朝倉文夫記念館での通訳・翻訳の仕事や、2年に1回開催されるアジア彫刻展の翻訳や韓国・中国、フィリピン、マレーシアから彫刻家の通訳など、国際交流のお手伝いをしました。
  当初、福岡市を希望していたので、まさかこんな小さな町に行くとは想像していなかったんです。でも今となっては私の中の「日本」は今でもあの町です。町の人が集まってバレーボールをしたり、自家製の野菜を分けあったりと、田舎の人は毎日忙しくしていますがつながりが深くて、私をこの町の一部として受け入れてくださったことがすごく嬉しかったんです。
  自らイベントを企画することも多く、一番大きかったのはイギリス研修の企画。10人ほどの町民を毎年イギリスに連れて行きました。バスの手配からスケジュール作成、観光案内なども全部自分でやります。実家近くの家庭でホームステイを手配し、日本の方々にイギリス家庭を知ってもらいました。とても仕事にやりがいがありましたし、もっと日本語を勉強したいという気持ちもあって当初2年の予定を3年に延長して活動を続けました。
Q. 国際交流員の仕事を終えられた後は?
 イギリスへの帰国を考えたこともありましたが、国際交流員の期間が終わる頃に石垣島出身の男性と結婚することになり、日本に残ることになりました。毎年石垣島ではトライアスロンの国際大会が行われており、JETのスタッフがボランティア通訳として石垣島に行き、私もその一人でした。そこで主人と出会って結婚、子どもが生まれる頃に主人の実家の石垣島で暮らし始めました。そこで石垣で私ができる仕事として翻訳業を思いつきました。大分でも翻訳をしていましたし、大学時代も翻訳(対訳)といつも接している状態でしたので、このキャリアにたどりつくのは自然な流れでした。
  また、イギリスにいる私の両親も実は翻訳業をしていたんです。母はスペイン語・フランス語の翻訳者でしたし、父はBBC Monitoring Service で翻訳・編集の仕事をしていました。父は退職前にこの会社のスタイルガイドをまとめる仕事をして、私にもそれを譲ってくれたりしました。翻訳業の長所・短所を知っている両親だから、今の私の仕事を理解してくれています。私は翻訳者としてのDNAを二人から授かったんだな、と思います。
Q. テンナインとの出会いはその頃ですね?
 翻訳業を始める時、ある翻訳専門誌に載っていた全国エージェント紹介ページの一番上から、つまり北海道のエージェントから順にコンタクトを取っていきました。そのうち仕事の量が増えてきたのでしばらくトライアルは受けずにいましたが、さらに幅を広げてもっと面白い仕事もしてみたいなと思い、今度は東京にあるエージェントにコンタクトを取ろうと。でも東京にはエージェントが多くて数ページにも渡っていたので、ぱっと開いてえいっ!と指を指したところにコンタクトを取ろうと決めました。そこがたまたまテンナインだったんです!
  トライアルを受けたエージェント数はもう覚えていませんが、実際に仕事をしたエージェントは10社くらいでしょうか。登録後、忘れたころに依頼の電話をくださるところもあれば、トライアルを出したその日にすぐ依頼を受けたところもあって。比較的スムーズにフリーランス業の波に乗れたと思います。トライアルはエージェントによりますが、何を求めているのかがわからないので、やはり難しいですね。今、あるエージェントのトライアルチェックを担当していますが、トライアルをうまく使っているかどうか、エージェントによっても様々だと思います。
Q. エージェントとの付き合いで思うこと、
  これから翻訳者を目指す方へのアドバイスがあればお願いします。

 以前あるエージェントが業務の窓口を上海に移したため、不慣れなスタッフが電話をかけてくることがありました。その頃ちょうど2人目の子どもが生まれた頃で自分にも余裕がなかったせいか、長い電話やこちらの都合を理解してくれないなどの対応の悪さに、正直不満を感じてお付き合いをやめようと思いました。あとは翻訳料金が折り合わないことが理由になることもありました。
  エージェントとの出会いには運があると思います。今は基本的にネットから応募することが多く、顔を合わせずに仕事を始めることになるので、もしそのエージェントと上手く仕事が続かなければ運が悪かったと思って気持ちを切り替えた方がいいと思います。登録しても仕事の依頼が来なかった場合などもいさぎよく諦めて、1つのエージェントからの仕事を待たずにどんどん他にチャレンジして仕事を増やしていくことが大切です。英語で"get your foot in the door"といいますが、とっかかりをつかむことは難しいし大変です。エージェントの募集条件にはよく翻訳経験年数が入っていますが、初めて翻訳業に挑む人にはこの壁は高く、それにこだわっていては仕事を始めることはできないと思います。

Q. 翻訳業はどこででもできることが魅力ですね。
 そうですね。石垣で5年過ごしたあと、大阪に引っ越しました。そこでも翻訳をしていましたし、その後、主人が香港に1年間転勤になったときも翻訳業を続けました。イギリスの実家に帰ったときにも仕事を受けています。
  また、在宅での仕事のメリットは、集中できることです。きっといろんな人が一緒に仕事をするオフィスでは無理ですね。また、ちょっと休憩したいとか、はまっている昼ドラは絶対見逃したくないとか(笑)、自分のペースや都合で仕事が調整できます。特売品の買出しにも行けますし!子どもたちが病気のときも面倒を見てあげられます。
  デメリットはやはり人間関係が希薄になることですね。1日電話がなかったら、家族以外誰とも話さないことになります。子どもを保育園に迎えに行くと、つい他のお母さんたちと長話をしてしまうことがあります。小学校1年生の娘の学校行事には、できるだけ参加するようにしています。この前小学校の運動会がありお弁当を作っていったのですが、外国人のお弁当ってどんなのだろう?とみんなに注目されました!やはり周りからよく見られるので、気恥ずかしさを克服するために、プライドを持って出かけるようにしています。
Q. キャシーさんは法律文書の翻訳が得意ですね。
 それだけを専門にしているわけではないですが、契約書などはある一定の書式があり、言葉に感情が入っていないので、機械的に訳せてスピードは速いです。確かに日本語の契約書には冗長な言い回しが多いなとは思いますが、それも慣れです。これは私の勝手な解釈なのですが、日本で成立した契約書の英訳の場合には、"for information"としての役目を果たすこと、すなわち内容に齟齬がないことを最低限の目標としています。
  実は、この前イギリスに帰った時に遺言書を作ったんです。弁護士に正式なフォーマットで作成してもらったのですが、その英語はとても難しくて、はっきりいって自分で全部書けと言われても無理だと思います。イギリスの法律にのっとって作成する英文契約書にはラテン語がたくさんでてきますし、英語ネイティブだから理解できるという範囲は超えています。その後、日本でも弁護士に頼んで日本式の遺言書を作ったのですが、この日本語が意外とあっさりしていて、自分でも書けたのに!と思いました。
  逆に観光パンフレットや新聞記事などは、奥行きのある表現が多く、地名や歴史的な事実などに出てくる固有名詞も含めて、英訳は難しく時間がかかります。
  でも、頼まれた仕事を断るのは苦手で......。個人的にも頼まれごとをすると断れなくて、"No"と言えない性格です。
Q. これからの予定や将来の夢などはありますか?
 今後の予定として翻訳業での法人化を計画しています。また、翻訳業はずっと続けていきたいと思っていますが、いつか旅行企画の仕事もできたらいいなと思っています。夏休みにイギリスに帰るときに、旅行の企画・手配・観光案内をしたりとか。大分でのあの経験がずっと心に残っているのですね。
  仕事以外では、料理教室に通ったり、あと、子どもたちを日本各地に連れて行ってあげたいですね。子どもには2つの母国があり、どちらの言葉をメインにするかも考えるところです。子どもとは基本的に英語で話しますが、娘が3~4歳の頃に、「英語は話したくない!」と言い出したことがあって......。周りから特別扱いされるのがいやだったんでしょう。私は、今は子どもたちに日本語をしっかり習得してもらって、英語はその次でもいいと思っています。どちらか一つの言語をネイティブとして身につけないと、どちらの言葉も中途半端になるのではないかと思います。言葉だけでなく、文化もどちらに属するのか。イギリスには移民が持ち込んださまざまな文化が混ざり合っていて、イギリス独自のこれ!という文化があるとはあまり感じていません。一方、日本は完全に他の世界と違って、味があって、個性がある。その日本の文化をちゃんと身につけて欲しい。イギリスのことは後でいいと思っています。とはいえ、実は家ではほぼ英語で接しています。日本語をメインに習得してほしいですが、英語もやはりもう一つの自分の言語として忘れてほしくはないですね。私が家で漢字の入った原稿を見ていると、「マミー、漢字わかるの?」と娘が聞いてきます。そんな時は「んー、なんとなくね。」ととぼけるんです。でないと、日本語だけのコミュニケーションが始まってしまいますから。
Q. 最後に、日本語ネイティブで英訳をしたい方への
  アドバイスがあればお願いします。
 基本的にやめた方がいいと思いますが(笑)。非ネイティブ言語への翻訳は大変ですよね。
  私はサスペンスドラマでかなり日本語を覚えました。今も夜9時からのドラマなどはよく見ています。意味がよく分からなくても、どういうシーンで使われているかを知れば、だいたい応用できるようになります。あと、なぜか日本の番組は字幕が多くて、それが結構参考になります。しゃべっている言葉がそのまま字幕で表示されるので、耳から入ってきた言葉が自分の理解の通りかを確認できます。英語を習得したい人は、それの逆で、洋画を音声も字幕も英語で観ることも勉強になると思います。
  あと、自分が好きな分野や内容で自分が訳したい(ターゲット)言語に触れることです。私は占いに興味があり、細木数子さんの本も読みます。英訳希望の方なら英語でさまざまな文書に触れてみてください。原文の言葉(ソース)に対する理解力も必要ですが、ターゲット言語が上手く書けなければいい訳文はできません。これは、英訳をやっている英語ネイティブの私にも言えることです。ネットのニュースや検索は、日本語だけでなく英語でも見ることがあります。長く日本に住むと、英語力をキープしていく努力も必要になります。
  以前、先輩翻訳者に「翻訳者になる条件の一つは、ターゲット言語を書くことが好きなこと」と言われたことがありますが、これは今、私が皆さんにアドバイスできることの一つです。

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編集後記
 キャシーさんとは約1年半前、テンナイン社員旅行で香港に行ったときにお会いして以来の再会でした。15歳の時に「ちょっと面白い国」と興味を持った日本にすっかり馴染んでいらっしゃいます。話すスピードも速いキャシーさんですが、仕事のスピードも超高速!私たちも良き翻訳エージェントであるよう頑張りますので、どうぞこれからもよろしくお願いします!いつか、キャシーさん企画で社員旅行はイギリス......に行けるでしょうか、工藤社長!?



Vol.28 自己投資をして納得できる仕事を

第 8回 藤本 倫子さん  Tomoko Fujimoto
今年4月に本格的に翻訳者の道を歩み始めた藤本さんにご登場いただきます。学生時代から翻訳に興味を持っていたという藤本さんが、十数年の時を経てアメリカで翻訳業を始めるまでのヒストリーを中心にお話をお聞きしました。これから翻訳者を目指すみなさんにきっと共感していただけるインタビューです。


プロフィール  藤本 倫子さん Tomoko Fujimoto

関西外国語大学卒業後、大阪の貿易会社でバイリンガルアシスタントを経験。アメリカ人のご主人と結婚後、1998年オレゴン州に移住。地元企業やオレゴン大学でのアドミニストレーション業務に従事。2007年アーカンソー州に転居。4月フリーランス翻訳業を開始。


Q. 語学に興味をもったきっかけは?
小学校4年生のときに自宅から歩いて30秒くらいのところに英語塾ができて、近所の子供たちがみんな行っているからと母に勧められ、週1回通うことになりました。ここではABCの書き取りや簡単な単語のスペルなどを習い、おかげで中学に入ってからの英語の授業は楽でした。理数系が駄目だった分、英語は得意科目だと思いこんでしまいました。その流れで高校は英語教育が盛んな私学を選んだのですが、そこでは英語ができる子がたくさんいて、自分の英語力は大したことはなかったんだとちょっと落ち込みました。将来的に英語を使った仕事をしたいと思っていたので、大学では「ちゃんと英語が話せるようになること」を目標に実践的に英語を学べる学科に進学しました。米国の大学との交換留学制度があるのは知っていましたが留学先を選べないシステムで、アメリカよりもイギリスが好きだったこともあり、結局留学をすることはありませんでした。
Q. 将来の仕事として翻訳業を考えていた?
はい、英語を使った仕事の一つとして翻訳に興味を持っていました。大学の時に文芸翻訳の講座に通ったこともありますがとても難しいと感じました。グループで集まって順番に訳文を発表していくのですが、自分の訳文を発表するのがだんだん苦痛になってしまって...。クラスの他の方が上手ですし、年齢も上の方が多く、なんだかその雰囲気に圧倒されてしまったというか、自分のできなさを感じてしまいました。この時には翻訳を仕事にするのは無理だと思い、貿易会社で英文事務の仕事をしようと考えました。大学では船荷書類の作成など実践的な授業があり、もし将来翻訳の仕事ができるようになった時に貿易の仕組みなど知っていたら便利かな...とも考えて受講しました。
Q. 最初の就職は?
食器の輸入会社に無事就職し、ここでバイリンガルアシスタントとしてコレポン作成や書類のチェックなどをしたほか、簡単な翻訳作業もありました。その中で、自分が担当する輸入元から送られてきた食器のカタログを国内でのセールス用に翻訳するという業務があり、これがすごく楽しかったんです。個人的に食器が好きでしたし、こういう風に言ったら売れるのでは、といった感じでビジネスに貢献できるように考えて翻訳作業をすることにはやりがいがありました。でも、仕事自体はあまり忙しくなくて、上司がいないと若い女の子3人でお話しているようなのんびりしたOL生活でした。また、ここでは輸入元のメーカー店主が来日の際には通訳をしなければならず、会議で逐次通訳をすることがありました。通訳の勉強はしたことがなかったのですが、要点は納期と値段の交渉だと思い、それだけはしっかり伝わるようにと心がけました。実際、この経験で通訳業の大変さを思い知らされました。この会社で3年勤めた後、念願のイギリスに短期留学をして、また日本に戻り、今度は船積会社でバイリンガルアシスタントの仕事につきました。
Q. その後アメリカで暮らすことになったのですね?
結婚がきっかけです。アメリカ人の夫は当時JETプログラムを通じ大阪の高校で英語を教えていました。私の会社の同僚の女性がやはりJETで来ていたアメリカ人男性と交際していたので、その男性のご両親がNYから来て友人みんなも呼んで一緒に焼肉を食べようという話になったとき、私も誘われました。せっかく焼肉をおごってもらえるし、また会議で通訳をする予定があったので、ネイティブと話してスピーキングの練習もせなあかんということで(笑)。そこでその男性に誘われて来ていた夫と知り合いになりました。夫は大学院に進んで日本の戦国史を学ぶつもりでいたので、その前に日本語の習得を目的に日本に来ていたようです。付き合いが始まって2年くらいが経ったときに主人のプログラム期間が終了して、オレゴン大学の修士課程に進むことになりました。その時に一緒にアメリカに来ないかと言われまして...。また学生に戻る人との結婚は正直どうなるのかなと不安でしたが、まあ2年間ならなんとかなるかなと思いました。嫌いじゃないので別れる理由もありませんし!その後主人が博士課程まで進むとは思っていませんでした。
渡米後、自分が働かなくてはと思い仕事を探しましたが、推薦状もないですし、アメリカでの就業経験もないので仕事はなかなか見つからず、面接にも呼んでもらえないような状況でした。本当は主人が通うオレゴン大学の事務のポジションを希望していたのですが、この仕事は福利厚生がいいので人気があり、まずは取ってもらえるところならどこでもいいと。ようやく地元のある会社で事務職が見つかりました。スタッフもいい方ばかりで、仕事もそれほど忙しくなくとてもよい環境でした。ただ、日本ではできているつもりだった英会話は当然レベルが違い、周囲のしゃべるスピードが速くて頭が痛くなることがしょっちゅうでした。特に日本とのビジネスはなく翻訳の機会もありませんでしたが、ネイティブに囲まれる中で英語力は伸びました。この会社に2年ほど勤めた後、希望だったオレゴン大学の事務職で採用されることが決まりました。現在住んでいるアーカンソー州に移るまで約7年間オフィススペシャリストとして学籍課で働きました。ここでも翻訳にかかわる仕事はほとんどありませんでした。
Q. 翻訳業へのシフトはどのように?
去年の夏に主人が博士課程を修了し、アーカンソー中央大学で教えることになりまして、アーカンソー州に引っ越してきました。最初はこの大学で事務職に就こうかと思いましたが、オレゴンと比べてお給料や保険などの待遇はかなり下がり、同じような仕事でも環境が違うことに気付きました。就職の面接に呼ばれましたが、待遇の悪さに正直がっかりし、もう受からなくてもいいかも、と消極的なことまで考える始末で...。今後主人が教鞭をとる大学が変わればまた引っ越す可能性もありましたし、働き方をあらためて考えるようになりました。
ある日Yahoo!(英語版)ニュースを見ていたら、「やりたくない仕事を続けていると、性格まで皮肉になってしまう。自己投資をして好きな仕事を手にいれ、もっとHAPPYに人生を送ろう」というヘッドラインが目に留まりました(そのヘッドラインをクリックすると「もうかる仕事」のランキングといった内容で、特に翻訳業には触れられていなかったのですが)。この言葉が自分の心にとても響いて、ずっと働き続けるつもりなら自己投資してでも納得できる仕事を探したほうが良いのでは、と。これまでは主人が学生で私が働いて家計を助けていたので、次は私の番だと思いました。
Q. 「納得できる仕事」が翻訳業になるのですね。
はい。翻訳でしたら主人がどこに移ってもできる仕事ですし、遡れば学生の頃から興味を抱いていたことなので、「やりたくない仕事で性格まで皮肉になる」こともないですし、いつか安定した収入が得られるようになればいいなと。十数年越しに自分がしたかったことの第一歩を踏み出せた感じです。投資としては、現在日本の翻訳学校の通信講座を受講しています。大学生の時に通った翻訳講座では英語自体も良く分かっていなかったのですが、今は英語の問題というよりもぴったりくる日本語表現を見つけていくことに難しさを感じています。
在宅翻訳者になろうと思い立ってからインターネットを中心に情報を集め始めました。テンナインのことはそんな時に"ハイ・キャリア"を通じて知りました。それまでは仕事をもらう前に翻訳トライアルを受けないといけないということさえも知らない状態でした。また、翻訳関連の情報誌を買い、エージェント情報の欄を見ていたのですが、テンナイン・コミュニケーションという会社は「一緒にチャレンジしたいという意欲的な通訳者・翻訳者を求めている」と書いてあったことがとても印象に残って、この会社は完璧な方だけを採用するのではないんだ、一緒に上を目指すやる気がある人も募集しているのだと思い、応募することに決めました。
無事翻訳トライアルにも合格して、お仕事をいただくことができましたが、実はその雑誌には、トライアルに合格してもすぐに仕事が依頼されることは少ない、といった記事もあったので、最初にお仕事をいただいた時には嬉しかったですね。
Q. フリーランス翻訳者の第一歩を踏み出して、今後の展望は?
まずはいただいた仕事をきちんとこなして、徐々に仕事が増えていくように努力したいと思います。当面の目標は、同じクライアント様からリピートをいただけるように、質の高さをキープしていくことです。私自身にとっても用語や知識の蓄積になりますし、まずはここから目指そうと思っています。まだ翻訳業を開始して日が浅いですので、納品ごとに「これで良かったのだろうか...」と完全に安心することはありません。先日自分が翻訳した記事がお客様のHPに掲載されているのを見て、自分の仕事が形になっていることに喜びを感じました。
今5歳の娘の子育てをしていますので、在宅で仕事ができることはありがたい選択肢です。そのうち、どんどん仕事が増えてきて、子育てに支障があるのでは?と心配になるくらい仕事のオファーをいただけるようになりたいと思います。
Q. 新しい環境での生活と新しい仕事が始まったわけですね。
西海岸で約9年暮らしていたので、南部の雰囲気にあまり馴染めず、英語もイントネーションや発音など違うところもあって、これまではアーカンソーに居心地の良さを感じてはいませんでした。でも在宅で仕事ができるようになって、自分の居場所ができたような気がしています。娘にとっては私が外に働きに行くことが今までは当然だったので、最近は家にいる私に甘えてくるようになっています。「仕事中は静かに遊んでいてくれたら、ママは外に働きに行かなくてもいいんだよ」と話すと、静かにして協力してくれますので助かっています。
また、周辺に良いレストランがないこともあり、夫婦で手作り料理にはまっているのですが、スープストックを作ったり、ナンを焼いたり、下ごしらえに時間がかかることが家で仕事をしているとできますので、小さな幸せを感じます。家事や子育てとの両立という点では今のスタイルはとてもいいと思います。
きっと日本にいたら英語を使う仕事の選択肢がたくさんあるのだと思いますが、アメリカでも大都市以外では、日本語を生かせる仕事となると、その数が限られていると思います。日本語を教える仕事や日本とのビジネスをしている企業なども場所や数に限りがあるでしょう。きっとどんなに英語が上達しても母国語である日本語を生かせない仕事よりは、自分の能力を生かしてできる仕事をしたいな、と。今まではそうできなかったことで感じていたストレスがあったのかなと思いました。先ほどお話したYahoo!ニュースのヘッドラインが、すっと自分の心に入ってきたときが、ある意味転機だったのかもしれません。

編集後記
奈良のご実家に帰省中の藤本さんがお母様・お譲ちゃんと東京に旅行されると耳にし、インタビューにご協力いただきました。テンナインがフリーランス翻訳業のスタートという藤本さん、テンナインの成長とともに藤本さんのキャリアも高まっていくよう、一緒に頑張っていきましょう! 一緒にオフィスに来ていただいたお母様、彩紗ちゃんもありがとうございました。3人の家族写真、とっても素敵です。




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