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翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.27 90歳でも翻訳を!

第 7回 真弓 道代さん  Michiyo Mayumi
今回ご紹介する真弓道代さんは、日本人のご両親の元、生まれてから27年間を北米で過ごした日英翻訳者です。「言葉は環境の産物」というように、英語圏での生活から英語をネイティブ言語として日本語も流暢に操る真弓さんが、日本で翻訳業を始めたきっかけは?5歳と7歳のやんちゃな男の子のお母さんでもある真弓さんに、初めての翻訳の仕事や、リフレッシュ術、英訳者を目指す方へのアドバイスなどをお聞きしました。


プロフィール  真弓 道代さん Michiyo Mayumi

アメリカ生まれ。カナダで教育を受ける。結婚を機に9年前に来日。英会話インストラクターを経て、フリーランスで翻訳を開始。個人伝記やエッセイ等、文芸作品のほか、ビジネス全般の英訳も行う。育児・家事もこなしながら仕事にも力を入れる2児の母。


Q. アメリカ生まれのカナダ育ちとお聞きしました。
はい、両親はともに日本人です。そのため家庭での言語は日本語で、特に母が厳しく、幼稚園まではほぼ日本語だけしか話しませんでした。小学校は地元の学校に通いましたので英語環境になり、だんだん日本語がおかしくなっていきました。私を含め4人兄弟なのですが兄弟間の会話は英語で、一方両親特に母親とは必ず日本語、というバイリンガル環境でした。今思えば日本人のアイデンティティを持つ身としてこうして日本語を話せるのも、母の厳しいしつけのおかげと感謝しています。

Q. カナダから日本に移り住んだきっかけは?
結婚して日本にきました。旅行程度で日本に来ることはありましたが、初めて「住む」ことになりました。主人との出会いは、私が大学1年生でアルバイトをしていた土産物屋に、ワーキングホリデーでカナダに来た彼が偶然アルバイトとして入ることになり知り合いました。彼はワーホリが終わると日本に帰り、その後は手紙やメールでのやりとりでしたが、その間実際に会ったのは数えるくらいです。お互いにカナダと日本でそれぞれ仕事をして好きなことをしていましたが、そのうち自然に結婚しようという話になって...。この人とだったら世界のどこででも住めるかな、と。日本に行くことは正直考えていなかったのですが、27歳で結婚して初めて日本で暮らすことになりました。ちょうど9年前の話ですね。
Q. 日本に来てから翻訳の仕事を?
日本に来てからはまず都内でビジネスマンを対象にした英会話講師兼事務の仕事に就きました。新聞記事などを教材に用いたディベート練習などを通し、英語でのビジネス会話力を身につけてもらうことが目標です。その後妊娠を機に退職し、自宅で主に主婦の方を中心とした英会話教室を開きました。その後、翻訳の仕事にシフトしていくことになるのですが、まだキャリアとしては英語を教える仕事の方が長いですね。
Q. 翻訳に興味をもったきっかけは?
父が科学者(退職後の現在は在宅翻訳者として活躍)で、仕事の一環で翻訳をすることがあり、当時大学生だった私が時々手伝うことがありました。とても難しかったのですが翻訳の楽しさを知ったのはこのときです。専門性の高いものでなければ下訳をしたり、父とページを分担して自分も訳したり、調べ物を手伝ったり。父が最終的にチェックをして仕上げました。英語から日本語への翻訳は私にとってはネイティブではない言語への変換になりますので、ハードルが高く自分には難しいと思いました。英語環境で育ってきたので英語に訳す方がニュアンスを捉えた言葉が自然とでてきます。たとえば今でも喫茶店のメニューなど日本語・英語が併記されていると自然と英語の方に目がいきます。
Q. 一番最初の翻訳の仕事は?
自宅で英会話教室を始めてからしばらくして、ゴルフ場を経営している友人にゴルフの本を一冊訳して欲しいと頼まれました。スイングのテクニックなどの内容で、出版目的ではなく個人的に内容を知りたいということだったようです。これが英語から日本語の翻訳だったんです。依頼を受けた直後に夏の休暇で1カ月ほどカナダに帰る機会があり、父と一緒に翻訳をしました。それまでゴルフを経験したこともなくまったく知識のない分野でしたし、和訳でしたから父の手伝いがないと本当に難しかったですね。100ページ弱くらいの本で、翻訳料として20万円いただきました。初めての報酬を得た仕事です。嬉しかったですね。大変でしたけど1冊訳し終えて、翻訳をやっていこうという気持ちになりました。
これをきっかけに、英会話を教えながら、ネットで翻訳会社を調べて数社翻訳トライアルを受けたりレジュメを送ったりしました。あるエージェントのトライアルでは、論文の抜粋を英訳するというもので、合格後その論文全部を翻訳する仕事をいただきました。120ページくらいの内容ですが、とてもやりがいがあり、これが英訳では初めてのペイドの仕事となりました。また、翻訳者情報を登録できるサイトにレジュメを載せたりして、少しずつお問い合わせをいただくようになりました。
Q. コンスタントに仕事が入ってくるようになったのですね。
はい、現在はエージェント3社からコンスタントにお仕事をいただいています。最初のうちは英会話教室と並行して在宅翻訳の仕事をしていましたが、だんだん翻訳の方が忙しくなり、2年くらい前に翻訳一本に切り替えました。5歳と7歳の男の子の子育てとうまく両立できるように仕事量を調整しながらしています。1日の仕事時間としては、子供や主人を朝送り出してから、9時から14時まではびっしり仕事を入れています。子どもが学校から帰ってきてから寝るまでは家庭のことに専念します。その後、子供が寝てから20時半くらいから1時くらいまで翻訳をする時もあります。
翻訳を始めたころは問い合わせをいただいた仕事は全部受けていました。正直、翻訳が楽しかったせいか、以前はやりすぎでした。出産後1ヶ月くらいで仕事を再開していましたし。時間がなくて子どもの世話がおろそかになることもありました。今はそのバランスが取れるようになりました。性格的に家でのんびりしようとは思わずに、育児も仕事もなんでもしたいので、きっと90歳くらいまで長生きしてもまだ翻訳をしているような気がします。
また、年数が経つにつれて、内容的に自分に合っている仕事をいただけるようになりました。今の自分の環境にちょうど良いお仕事をいただけるようになるまで2~3年はかかったと思います。

Q. 仕事の気分転換はどのようにしていますか?
ずっとパソコンに向かっていると体がつらくなるので、ジムで週1回ワークアウトをしていますが、以前そこでやりすぎて腰を痛めたことがあって...。逆にパソコンにずっと座っているのがつらくなったりして!でも体を動かすと気分転換できますね。
また、地元の市に「日本人男性と結婚している外国人女性」のネットワークがあります。月に1回くらい集まって情報交換やおしゃべりをして気分転換しています。登録メンバーは30人くらいいますが、毎月の集まりには10人前後くらいが参加します。集合場所は各メンバーの家が持ち回りで、みんなで飲み物や料理を持ち寄ってポッドラックパーティ形式です。メンバーは主に英語圏出身、または英語を話す女性たちが集まり、海外で出版された本や雑誌を交換したり、日本での生活について互いに相談しあったりして、本当に有意義で楽しい時間を過ごしています。翻訳業をしているメンバーは実は私だけなのですが、このネットワークは私にとってとても大切なものです。
Q. 日本の生活で今でも戸惑うことはありますか?
自分が日本の学校に通っていなかったので、正直子どもの学校のことでは戸惑うことがありますね。分からないことはネットワークのメンバーに聞いたりして、ある意味learning experienceになっています。先日下の子が通う幼稚園で筑波山に1泊2日の小旅行がありました。先生の引率でロープウェイに乗り頂上付近を散策して、夜は麓の旅館に泊まるという内容です。日本の幼稚園はこんな経験をさせてくれるんだと正直驚きました。これからも子どもを通じて日本を知る機会がどんどん増えていくと思います。
子どもの勉強も大変だと思います。日本語はひらがなの他にカタカナや漢字がありますし!アルファベット26文字だけですから...。
自分の子どもには特に英語を教えていませんが、家では私がつい "Sit down"とか "Come here!"といった簡単な呼びかけを英語でしてしまうので、その辺りのことは理解しているようです。お母さんはカナダの人だと認識しているみたいです。時々、日本語がおかしいとは言われます。例えば「○○レンジャー」というヒーローものの発音が、私だと"ranger"(rの発音)ですが、子どもには「違うよ、"レ"ンジャー(lの発音)だよ!」と言われたりして...。子供には違和感があるみたいですね。私にとってはカタカナの発音こそ難しいですね。
Q. 在宅翻訳をする上で何か心がけていることは?
当然のことですが納期を守ることです。過去にキャパシティコントロールができず、その上子どもが急病になったときにはパニックになりました。それから本当に納期を守れるかどうかを見極めて仕事を引き受けるようにしています。また、自分だけでなく子ども自身の健康管理をしていくことでそういう非常事態を減らせるので、子どもにちゃんと食べさせて健康でいられるよう心がけています。
また、パソコンの管理も今は大切ですね。先日、超大容量データを扱っていてパソコンが動かなくなってしまい、インターネットカフェにかけこんだことがありました。こういった環境整備はフリーランス翻訳者には当たり前のことでしょうね。
Q. 翻訳業のメリットまたは大変だと思うことは?
やはり情報を通じた世界の広がりですね。普段だったら自分からは手をつけないような内容に触れられることがあります。最初にやったゴルフの翻訳などはまさにそうですね。いい経験でした。フリーランスになって2年ぐらい経ってからあるアンソロジー集の英語版プロジェクトに参加する機会がありました。私以外にも数人の英訳者が参加しましたが皆さんの実力が圧倒的に素晴らしく、とても刺激を受けた貴重な経験となりました。また、この英訳本がアマゾンなどで売られていて、自分の仕事が形になった喜びを味わえますね。
大変なこととしては、私にとってはまだ日本語のイディオムが難しいことがあります。いわゆる原文理解の問題です。しかし今ではネット上でかなり調べられますし、翻訳者同士が質問・回答したりするサイトなどもありますので、今後こういった問題は解決されていくのかもしれません。私にとっては、日本語の会話の方がまだ困りますね。
Q. 翻訳者(英訳)を目指す方へのアドバイスをお願いします。
私の勉強法は本や新聞をたくさん読むことです。特にネットニュースは日英両方なるべく読んでいますね。「News On Japan」 というサイトでは、日本に関連するニュースが英語で掲載されており、時事ニュースをキャッチアップしていくともに、英語での表現も得ることができます。私には特に専門分野があるわけではありませんので、もし専門知識を翻訳に生かしたいという方でしたら、その分野の英語をどんどん読んでいくことは効果的だと思いますし、自分が興味を持っている分野でトライアルやコンテストなどに応募してみると色々な道が開かれていきますので、是非挑戦してみることをお勧めします。

編集後記
英語ネイティブの真弓さん、インタビュー中で時折でてくる英語の発音がステキでした。聞き取れずに何度か聞き直してしまいました...。「○○レンジャー」の話も面白い!息子さんもそのうち、お母さんの発音かっこいい!と思うようになると思います。実は、私と最寄り駅が同じ真弓さん、ぜひ街で見かけたらお声掛けください!


Vol.26 英語が好き

第 6回 櫻田 由紀さん  Yuki Sakurada
今回ご登場のフリーランス翻訳者櫻田由紀さんは、在宅翻訳の前のお仕事がフランチャイズチェーン店経営だったという、ユニークなキャリアの持ち主。英語との出会いは中学1年生と決して早いスタートではなかったようです。「今やりたいことをやろう」というシンプルな思いで「好き」を仕事にしてしまった櫻田さんの自然体インタビューです。


プロフィール  櫻田 由紀さん Yuki Sakurada

関西外語大学外国語学部卒業、交換留学で米国大学でも学位取得。社内翻訳者としてキャリアを積む中、ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在。結婚・出産にて一時子育てに専念。高齢者専門宅配業のFCチェーン店でのオーナー経験後、本格的にフリーランスの翻訳業を開始。子供との時間を大切にする1児の母。

Q. 語学に興味をもったきっかけは?
中学1年生で初めて英語を学び始めましたので、ごく一般的なスタートだったと思います。しかし1学期の途中から体調を崩して半年ほど入院をすることになり、英語の基礎のところで授業を受けられない状態になりました。その時に担当医の先生が、これでは勉強が遅れるから入院中自分で勉強を進めてごらんと言ってくださり、自分で計画を立てて教科書やワークブックを勉強しました。退院して学校に復帰するとすぐに期末テストというタイミングだったのですが、そこで英語のテストでクラス1位を取ってしまいました!それで「私、英語できるかしら?!」と英語に対して良いイメージができてしまって。それが今につながる英語のきっかけといえるかもしれません。今在宅で翻訳をしていますが、自分のペースでやっていくことも昔から性にあっていたのかもしれません。
その中学の英語の教科書に通訳の仕事について書いてあって、当時は漠然と通訳に憧れました。しかし、だんだんそれが難しい仕事であることが分かり、まずは企業に就職して英語を使える仕事をしようと。その先の仕事として通訳のことも考えていました。大学では実践的な英語を学べる英米語学科に進学しました。
Q. その後アメリカの大学に進学しますね。
この大学を希望した理由の一つでもあるのですが、日本の大学とアメリカの大学で単位互換制度があり、日本で3年生の夏を終えた後、サウスカロライナの大学に2年間留学しました。このアメリカの大学は日本人が一人もいなくて、田舎で車もなかったので遊びに行くといえば友達にちょこちょこついていくくらいで...。でも宿題が多くとにかく勉強が大変で、本当は遊びにいくどころではなかったのです。まずは卒業することを目標に2年間やり通しました。無事学位を取得した後、日本の大学に戻って不足単位分を履修し、日本の大学でも学位を無事取得することができました。
Q. 卒業後、いよいよ英語を使った仕事に?
最初の会社は入社後2か月くらいしか勤めませんでした。その後英語関係の仕事をしたくて次の企業に移り、ここで翻訳の仕事に携わることになりました。営業活動レポートの日英・英日翻訳の仕事です。上司の方がとても親切で、特に翻訳についてはいろいろと教えてくださいましたのでとてもいい環境で仕事をすることができました。
今の在宅翻訳と比べてみると、インハウスでは共に働いている仲間がいるので、自分だけの世界に閉じこもることがないというのが大きなメリットだと思います。分らない時には上司や社内の人に聞けましたので安心でした。これは私の場合なのですが、仕事のない時の時間の使い方で困ることがありました。この時には1週間スパンでの仕事でしたので、月曜日から取り掛かった仕事が大抵金曜日のお昼くらいには終わってしまって。他業務はさせてもらえなかったので、なんとなくぼんやりするしかなく、まだインターネットも社内で自由に使える時代ではなかったので、正直困りました。
Q. 次の転職の前には、オーストラリアに行かれていますね。
ワーキングホリデーです。なぜだか行きたくなったんです、その時オーストラリアに。違うところが見たいという思いだけでした。シドニーやエアーズロック、パースでガイドや簡単な通訳・翻訳をしていました。結局1年半滞在して日本に帰国し、またインハウス翻訳の仕事につきました。ここはISOやIECに関連する団体で主に英語でのコレスポンデンス業務やビジネス文書(マニュアル、議事録など)の翻訳業務がメインでした。アテンド通訳や会議での逐次通訳もここで初めて経験しました。実際に通訳の勉強はしたことはなく、通訳の仕事がある前の日の晩はプレッシャーで眠れなくて...。ここで通訳・翻訳を両方やらせていただいて、自分にはじっくり取り組める翻訳の方が向いていると思いました。通訳のように、その一瞬一瞬で最高のパフォーマンスを出すという仕事よりは、自分の納得のいくところまで取り組んで納品できる仕事の方が性格的に合っていると思いました。
Q. その後、在宅翻訳にシフトするのですか?
結婚を機に先の団体を退職しまして、その後前職での元同僚が勤める会社から直接翻訳のお仕事をいただきました。これが在宅翻訳での最初の仕事になりましたが、その元同僚の異動に伴いこの仕事も終わってしました。その後、数社のエージェントの翻訳トライアルを受けたのですが、ことごとく落ちてしまいまして...。厳しいフィードバックが返ってきたこともあり、フリーランスとして翻訳をするにはまだ実力不足なんだと思い、その後翻訳を仕事にすることはしばらく考えず、家庭に入って子育てに専念する期間が1年以上続きました。そのうちに子供も少し大きくなって、また仕事をしたい、何か新しいこともしてみたいといろいろと情報を集めているうちに、フランチャイズで独立・開業にチャレンジしてみようというアイデアにたどり着きました。高齢者専門の宅配弁当サービスのお店です。説明会を聞きに行って「よし、やろう!」ということになりました。私がオーナーとしてお店をやることになったんです。主人は1年間会社を休職して立ち上げを手伝ってくれましたが、ある程度軌道に乗ってからは従業員を雇い、自分で経営に携わりました。
Q. ずいぶん思い切った転換ですね!翻訳のことはもう諦めたのでしょうか?
確かにトライアルに落ちたことは悔しかったですし、やはり心の片隅には英語をやりたいという気持ちがずっとありました。でも、フランチャイズ運営のような新しいチャレンジはきっと若いうちじゃないと体力的にできないと思って...、それで今だと。従業員もいて人材管理にも気を遣いましたし、この事業に費やした2年半は本当に勉強になり充実していました。この頃の経験が今の翻訳業にダイレクトに活かされていることはないかもしれませんが、最終責任者としてクレームに対応したり、飛び込み営業なども経験したので、怖いものがなくなったような気がします。以前は心配性だったのですが、計画性を持つことと同時に、一見無理に思えることも考えてできると判断すれば、どんどん前に進めるようになりました。
Q. 店を終えられた後、翻訳の仕事にまたチャレンジしてみようと?
はい、お店を他のオーナーに譲ることになり、この頃にテンナインを知りました。以前の翻訳トライアルから数年のブランクがあり少し不安でしたが、以前に受けたところは電機・通信・機械などテクニカルな専門性の高い分野が多くて、今思えば分野違いを無視して受けていたような気がします。幸い数社トライアルに合格しお仕事をいただくようになりましたが、実際自分にはそれほど専門分野と呼べるものがないので、今法律関係の翻訳を勉強しながら専門分野を持てるよう努力しています。特に法律に興味を持っていたわけでもないのですが、翻訳講座を調べている中である先生(翻訳家)を知り、たまたま選べる講座が法律関係だったというだけなんです。でもやってみるとパズルみたいで、難解な文が解けたときには爽快です。長い目でみて自分の専門分野になればいいなと思っています。
Q. 在宅翻訳者になって良かったことは何ですか?
働くスタイルを自分で選べることですね。これが一番です。また会社勤めに戻りたいかと聞かれると、正直迷いますね。小学4年の娘がいますが、フリーランスですと子供の学校行事に合わせてあげられますし、在宅ですから子供が帰ってきたときに「お帰り」「ただいま」の会話ができることがいいですね。今日は階段を上がってくる足音がゆっくりだな...とか。なるべくそういう成長をそばで見ていてあげたいと思っています。
あとは一社に属しているよりも圧倒的に様々な内容や分野の情報に触れることができるのは魅力です。ずっと英語が好きだったので、1日中英語と対峙していても苦ではないですし。今勉強している法律翻訳講座では大量の法令文を読みます。きっと英日・日英どちらでもそうだと思いますが、「覚える」というよりは「表現が自然と出てくる」までとにかく文章を読み込んで体に染み込ませることは有効な学習方法ではないかと思います。現在、翻訳チェッカーの仕事もしていますが、チェック作業をし終えた後で翻訳に取り掛かると、言葉のアウトプットが非常にスムーズなんです。きっと英語漬けになって、脳が自然と翻訳モードになっているのかもしれません。
Q. これから翻訳者を目指す方へのアドバイスをお願いします。
私の場合、ただ英語と本が好きだったことが翻訳業への道を開いてくれたと思っています。大学生の時、近くの図書館にアガサ・クリスティの原書が揃っていて、夏休みには1日中読んでいました。実際に理解していたかというと完全には理解できず、かなり抜けた状態で読み進めいてくのですが、読み終えるころに話がなんとなく分かってきて、それが楽しくて嬉しくてずっと読んでいました。結局一夏で30冊近く原書を読みました。
また、高校生の頃にはFEN(極東放送、現AFN)のラジオを1日中流していました。何を言っているのかは分らなかったのですが、ずっと耳から入ってくる状態がまた心地よくて。たぶん、「翻訳・通訳」の仕事が好きというよりは「英語」が好きなのだと思います。英語を使える仕事で、こつこつ調べながら本をたくさん読むような感覚でできる仕事、となるとちょうど翻訳の仕事がぴったりはまったのだと思います。
また、私が家で仕事をする中で唯一決めているルールが17~21時はパソコンを閉じておく、ということです。この時間は子供と過ごす時間です。急な仕事が入ってしまうこともありますが、基本的にはこの時間を確保できるように、他の時間で効率よく仕事を溜めないで片づけるようにしています。子供が急に熱を出すこともありますし、在宅だからといってだらだら仕事をすることはできないですね。
在宅ですと家にこもりがちになってストレスが溜まるという話も聞きますが、私の場合は子供と夜に話をするだけでもストレスはなくなりますね。あと、いつも行く近所の喫茶店でコーヒーを飲みながら周囲の会話に耳を傾けてみたりとか、ゆっくり本を読んだりとか。それだけで気分転換になります。そう、あとは週に1回、コーラスサークルで歌っています。大きな声を出してストレス発散!やっぱりこういうバランスがどこかで必要かもしれませんね。
【櫻田さんお奨めの翻訳参考本】
『日本語の作文技術』
(本多勝一 著、出版社: 朝日文庫)
櫻田さんコメント:句読点の打ち方、節の並べ方ひとつで文章や読み易さが変わってきます。翻訳された日本語をいかに読みやすくするかという点でこの本はとても役に立ちます。今私がバイブルにしている本です。


編集後記
とにかく明るくて笑顔が素敵な方でした!「好きを仕事にする」は誰もが憧れるものですが、あまり力みすぎては前に進まないのかもしれないですね。「ただ好きだから」がずっと続いて、いろんなことやって、そして今がある。近所の素敵なお姉さんに楽しくお話をお聞きしたようなインタビューでした。こんなお姉さん、欲しかったなぁ!



Vol.25 山が教えてくれたこと

第 5回 中島 聡子さん  Satoko Nakajima
いつもはモスクワで活躍中の中島さんに帰国中を狙ってインタビュー!日本の湿気と暑さに既にお疲れ気味でしたが、心のうちに秘めた情熱とその行動力に圧倒されたインタビューです。銀行員時代、山登り、コロンビア大学院留学、途上国支援活動、そして翻訳から見えてくるもの。聞き尽くせない中島さんのお話を凝縮してお届けします!


プロフィール  中島 聡子さん  Satoko Nakajima

米系銀行で13年間勤務後、コロンビア大学国際関係大学院で開発学を学ぶ。学生結婚したご主人とともに日本に戻り発展途上国支援の仕事に携わる。その間に長女出産。2006年4月にモスクワ移住、フリーランス翻訳業を開始。『通訳・翻訳者リレーブログ』にて"さるるん@ロシア"のハンドルネームで毎週火曜日担当。


Q. 語学に興味を持ったきっかけは?
母方の祖父が英語教師で、自分が初孫だったこともありかわいがってもらい、小学3年から英語を教えてもらいました。祖父はいわゆる"慶応ボーイ"でしたが、そこは明治生まれ。"because"は"なんとなれば"だと教えられました!その頃から漠然と自分は英語を使った仕事をしていくんだろうな、と思っていました。進学先の津田塾大学で専攻したのはアメリカの地域研究です。当時はアメリカで起きたことが10年後に日本で起きると言われていたので、日本の将来を知りたいという気持ちで勉強しました。
Q. 卒業後初めてのお仕事は外資系銀行でしたね。金融関係に興味を持っていたのですか?
私が大学を卒業した頃は、女性が男性と同等に仕事ができるのは外資系企業だけと言われていました。多様な日本企業を支える立場にある銀行で、英語を使って国際的な舞台で仕事をすることに魅力を感じました。
Q. 現在は金融・会計を中心に翻訳をされていらっしゃいますが、翻訳に生かされる基礎がここで築かれたのですか?
そうですね。所属は貿易関連の部署でしたが、貿易を通して国と国とのつながりや世界の中での日本というものを確認することができましたし、外国為替や銀行の商品についての基礎知識はここで得られました。リスクマネジメント関連の知識として財務諸表など企業判断に関する書類の見方を学んだり、監査に対応する機会がありましたので、今の翻訳業に役立っていると思います。また、入社後10年で課長職に昇進しました。その時にマネジメントとはどういうことかを学び、部課長レベルのミーティングで戦略的な話に加わる機会があったことが、後に他の仕事でマネジメントに携わる際の基礎になりました。翻訳で議事録などを訳す際にもイメージがつかみやすいですね。社内文書が全て英語だったので、英文のビジネス文書にも慣れました。
Q. その後アメリカの大学院に留学したきっかけは?
銀行員時代、山登りが好きで年間100日くらい山に登っていた時期がありました。土日も長期休暇もほぼ山にいた感じですね。主に北アルプスなど日本の山に登っていたのですが、山仲間に「ネパールに行かなくては!」と薦められ、ヒマラヤトレッキングに行ったんです。ここで見たものは、ネパールの人びとが家族をとても大事にしていて、昔の日本のような温かさを残していることでした。一方で生活は貧しく、彼我の差を感じました。この時をきっかけに途上国の問題に関心を持つようになりいろいろ調べるうちに、自分が関わっている貿易(フリートレード)の構造が途上国の貧しさと無縁ではないという思いにいたりました。これからは途上国支援に携わろうと決め、開発について総合的に学ぶためにコロンビア大学の大学院に留学しました。
Q. NYでの留学生活はどうでしたか?
留学先の国際関係大学院は世界中から人が集まってくるところでそこが魅力でした。アフリカや南米出身の女性たちがとてもアグレッシブで圧倒されました。『ニューヨーク・タイムズ』を購読していましたが、さすが米国は世界の警察と言われるだけのことはあり、世界中の動きを取り上げているところが日本の新聞雑誌にはない点でした。日本のメディアによる海外のニュース報道があまりにも限定的だと気づかされました。ちょうど留学した頃は冷戦終結から数年という時期で、これからの世界は日米欧の三極化だと楽観的に考えていました。日本がアジアや世界の中でも中心的な役割を担っていくと期待していたのですが、外から日本を見ると日本にはリーダーシップを取ろうという気概がないと思えてきましたし、アメリカの目も既に日本ではなく中国に向いており、愕然としました。海外で暮らすと、日本がよく見えるようになる気がします。
Q. ご主人との出会いもこのNYだったのですね。
はい。私が開発専攻で主人が環境政策専攻。アメリカの外交政策のゼミで出会いました。主人はロシア人です。私の育った北海道では冷戦時代にはソ連の存在はリアルな脅威だったので、主人と初めて会ったときもロシア人ってどういう人間なんだろうととても興味があって、私から話しかけたような気がします。徐々に話をするうちにお互いを理解していったのだと思います。主人からのプロポーズはこの留学中、今はなきワールドトレードセンターの屋上でした。ちょうど卒業の時期が近づいていた頃で、もしこのまま卒業して離れ離れになったら二度と会えないと思い、プロポーズを受けてから2週間も経たないで書類を整えて結婚しました。その時互いの親には写真しか見せていませんでしたが! そして、二人で日本に戻ってきました。
Q. すごい行動力!ところで"翻訳"との出会いはいつ頃だったのでしょうか?
職業にするかどうかは別として、大学時代から翻訳自体に興味があり、中田耕治先生(翻訳家、作家、評論家、元女子美大教授)の文芸翻訳の講座を受けたことがあります。その授業で自分の訳文を発表する機会があったのですが、当時はまだ人生経験が浅くいわゆる男女の機微を理解できなかったため、「それはそういうことではないよ!」と周りから爆笑されたりして・・・。銀行員時代には、ボランティアとしてフォスターペアレントとチャイルド間の手紙を百通以上翻訳した経験があります。留学後は仕事の一環で翻訳をする機会も少なからずありましたが、収入を得た初めての翻訳という点では、NGO団体に勤めていた頃、主人の英訳の下訳をしたことが最初といえるかもしれません。フリーランスとして翻訳業に専念し始めたのは、モスクワに引っ越してからです。
Q. フリーランサーとして翻訳業を始めたのは背水の陣だともお聞きしました。
確かに最初はそういう意識がありました。子どももいますし、ロシア語は簡単な日常会話程度のレベルです。現地の会社で働くにも難しさを感じましたので、在宅で翻訳の仕事ができるということはありがたい選択肢でした。翻訳という仕事を通じ、様々なビジネスを下支えしているような気持ちになります。翻訳を通じ世界の中の日本を、しかも日本の外から見ることができます。そういう風に世界や日本に関わる仕事がしたいとずっと思ってきましたし、ビジネス翻訳の仕事を始め、仕事を通して世界の動きを知るという感覚がよみがえってきています。
Q. これまでの失敗談はありますか?
今もそうなのですがまだ自分は若葉マークなので、適量が分からないときがあります。原稿を見たときに必要翻訳時間が正確に把握できず、結果的にとてもぎりぎりのスケジュールで作業をすることもあります。立て込んでいる時期は、起きている時間は家事をするか仕事をするかで、一日中翻訳している気がします。主人に夕食の準備をしてもらったり、土日は家が静かな環境になるようにと子どもを外へ連れ出してもらったり、何かと協力してもらっています。
Q. 仕事で大切にしていることはありますか?
人生で大切だと思うことは、山から学んだことが多いです。パーティを組んで山に入り、ザイルをつないで登る時には仲間との信頼関係は絶対です。そういう意味ではテンナインとはパーティを組んでいる気持ちになっています。
以前一人がベテランで三人が冬山初心者という四人のパーティで雪山に登ったことがあります。麓から見上げると美しい雪煙ですが、その中は強風で体が吹き飛ばされそうな世界です。滑落の危険のある場所でザイルを出したのですが、私ともう一人がパニック状態だったのか、ハーネスにザイルを通す方法を思い出せなくなったのです。先行した二人を散々待たせてしまいました。手が覚えていたブーリン結びで直接ザイルを体に結び付けて進みました。二人は「早く来いよ!」と思っていたはずですが、寒い中何も言わずに待っていてくれて、その時にパーティを組んで自分の持分をしっかりと果たさないと仲間まで巻き添えになってしまう、この人たちを死なせてしまうんだと思いました。自分の持分を果たすことが仲間を生かすことだと強烈に感じました。その後仕事をする時にもチームで仕事をする時には、他の仲間を倒れさせないためにも自分ががんばる、という意識は心の底にあります。
Q. 将来の目標やプランはありますか?
とってもかわいいロシア土産!
今は、日本とロシアの二つの祖国を持つ我が子に日本をどう継承していくかということが自分にとって大きなテーマです。そう思うと、やはり現在日本が危機的な状況にあることを考えずにはいられません。日本のために何かをしていこうと思いますが、翻訳をしながら日本のビジネスの後押しをし、そこから私もいろいろと学んで、日本のあり方を考えられるかもしれない。そういった意味では今の自分に合ったことをさせてもらっています。
また日本に帰ってきて、翻訳の仕事をそのまま続けるかどうかは正直わかりません。もし何か活動の場所が見つかれば、何をするかはわからないですね(笑)。でもどこかで一生活動家でいたいのかもしれません。



編集後記
常に世界の中の日本を意識し、そのために何か役に立つことをしていきたいと語る中島さんの心に熱い炎が静かに燃えさかっているのが見えました。今後翻訳の枠を飛び越えて活躍の場を広げてほしいと思います。中島さんの口からこぼれるちょっとした言葉がとてもユニークで、全部をご紹介できないのが残念です。皆さん、『リレーブログ』も要チェック!山の話やモスクワの話ももっと聞きたかったです。



Vol.24 ジグソーパズルを組み立てるような面白さがあります

第 4 回 Ng Soh King ンー・ソーキンさん
香港から1週間の日本帰国の合間を縫ってインタビューに応じてくださった日英翻訳者のソーキンさんをお迎えします。言語学の博士号を取得し、翻訳の仕事をしながらも、つい言語学的な視点で原稿を読んでしまうというソーキンさん。そんなソーキンさんが、外国語として最初に日本語に興味を持った理由や、ご主人との出会い、翻訳の楽しさなどを語ってくださいました。


プロフィール  ンー・ソーキン(黄淑琴)さん Ng Soh King

シンガポール出身。シンガポール大学で日本語を専攻した後、ハワイ、日本、オーストラリアの大学に通い言語学博士号を取得。その間、シンガポール大学の教壇に経ち、日本語や翻訳を教える。2005年よりフリーランス翻訳者として活躍。幅広い分野の翻訳をこなすが、今後、金融・医薬分野での翻訳に力を入れていきたいと希望。香港在住。


Q. 日本語に興味を持ったきっかけは?
ちょうど私が中学3年生くらいのころ、シンガポールに日本のポップカルチャーがどんどん入ってきていました。NHKの紅白歌合戦が放送されたり、山口百恵さんが主演していた『赤い疑惑』というドラマを見たりして、すごく日本の文化に惹かれました。テレビで初めて山口百恵さんが歌っているのを見てとても憧れましたし、松田聖子さんや河合奈保子さんといったアイドルがシンガポールでも大人気でした。高校卒業後の進路を考える際に、何か外国語を勉強したいという思いがあったのですが、勉強するなら日本語、とシンガポール大学の日本研究学科に進学することに決めました。
大学4年生になる前に、日本政府文部科学省の奨学金を得て名古屋大学に約1年間留学しました。学生寮にはいろんな国の人が集まっていて、毎日が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。その頃はまだ会話力も十分ではなく、授業で習った言い回しをその日のうちに実践で使ってみる、という繰り返しで、テキストどおりのしゃべり方をちょっとからかわれたりしながらも、本当に楽しく充実した留学生活を送りました。
Q. その後、ハワイで言語学の勉強を始めるのですね。
シンガポールの大学を卒業してから、2年間ほど同大学で日本語クラスの常勤教員として勤務し、その後、ハワイ大学の修士課程で言語学を専攻しました。シンガポール大学のときにも言語学のクラスがあり、そこでもっと言葉の理論や体系を深く学びたいと思ったからです。奨学金を得られる、という理由もあってハワイ大学を選んだのですが、当時の私には初めて西洋世界に飛び込んだという感じで、こんなに遠くに来てしまったとホームシックになりました。勉強が忙しかったこともあってあまり遊んだりもせず、今となってはもっとハワイを満喫すればよかったな、なんて思います。
修士号を取得してシンガポールに帰り、また母校で教壇に立ちました。実際に、私の社会経験といえば、大学の教壇に立つこと以外には、シンガポールにある日系企業で1ヶ月間だけ雑務のアルバイトをした経験だけです。ですから、今フリーランス翻訳者として仕事をしている中でも、一般企業など組織の中に入って仕事をする経験があれば、知識や視野の広がりが持てるだろうな、と時々思うことがあります。
Q. そして、今度はオーストラリアへ・・・。
実は、修士が終わってからも博士号を取得するためハワイ大学に半年くらい残っていたのですが、やはりシンガポールに戻りたい気持ちがあって、途中で辞めて帰ってきてしまったという経緯があります。ハワイで言語学を一緒に学んだクラスメートの一人が実は夫でして・・・。私がシンガポールに戻ってから半年後に彼もシンガポールにやってきて、私の母校で就職しました。そして結婚したのですが、私も当時母校で教えていたので、また夫婦で同じところに通うことになったんです。でもその後、私が博士号を取得するためにまた留学先を探し始めて、アメリカ以外(ホームシックでつらかった思い出が・・・)という選択肢の中から、メルボルンの大学を選びました。結婚してから1年半くらい経っていましたが、夫を置いての留学です。留学期間は4年半くらいでしたが、長期の休みには夫のところに帰って一緒に過ごしたので、ずっと離ればなれということではなかったですね。
その間、夫の勤め先がシンガポールの時もあれば、夫の母国である日本に戻っている時もあって、なんだか夫婦であちこち移動している感じでしたね。夫も研究者ですし、お互いの学問的関心を尊重し合えますので、この留学生活はとても順調に進み、無事博士号を取得できました。
Q. 翻訳に興味をもったきっかけはなんですか?
これだというきっかけはあまり思いつきません。大学で日本語を学ぶ際に用いた教材には対訳付きが多く、日英翻訳のコースも履修しましたので、翻訳というものへの意識が芽生え始めたのはその頃かと思います。学生時代に友人2人と共同で、800ページほどのコンピュータマニュアルを英訳したことがあります。仕事としての翻訳経験はこれが最初といえるでしょうか。また、母校で日英翻訳の講座を担当したこともありました。いつも英語と日本語が横にならんで私の身近にあったのだな、と今振り返ってあらためて思います。大学での勉強を一通り終えた後に翻訳業を始めたことはそれほど飛躍した結果ではないと思います。
途中で大学で働いたりもしましたが、学生として勉強していた期間が長かったため、本格的に働き始めたのはほんの数年前からになります。もしフリーランス翻訳者でなかったら、大学で翻訳や言語学を教えるという選択肢もあったかもしれませんが、結婚もしていましたし、夫の仕事で住む国も代わったりしていましたので、在宅でできる仕事を選びました。実はあまり積極的な性格ではないので、最初は友人から頼まれたものをちょこちょこ翻訳している程度でしたが、ちゃんとプロとして仕事をする環境にしようと思い、エージェントに登録することを考えました。その時ネットでいろいろ探している中で、テンナインさんの『ハイ・キャリア』のサイトを見つけました。そこである社内翻訳者さんのインタビュー記事を読んで印象に残ったので、テンナインさんの翻訳トライアルを受けることにしました。そこから翻訳業の本格的なスタートとなりました。
Q. 私たちもソーキンさんと出会えてよかったです!ところで、翻訳業をしていて良かったことはなんですか?
翻訳の仕事は本当に楽しいです。社会人としての実際的な経験がほとんどないため、翻訳という仕事を通して様々な世界の情報を知り、擬似的な社会体験ができる、ということはメリットです。私が何年間も「言語」に関わってきた理由は、純粋に言葉を考えることが本当に好きだからなんです。小説を読んでいるときも、書き手のくせや表現を一字一句じっくり分析して、この人はこういう人なのかな、と想像を働かせていたりします。この英語表現は日本語だとこういうのかな、と考えることもしばしばです。いわゆる対照言語学的視点で読んでいるのです。ですから翻訳をしている時にも、このような読み方をしてしまうので良くないですよね。一字一句じっくり原稿を読んでいるのですから・・・。速読法に魅力まで感じてしまいます。速読ができれば、もっと翻訳のスピードもあがりますし!自分の興味のあることをそのまま仕事にしているような感じですが、仕事と趣味は分けなければいけないとも思います。最も翻訳が楽しいと思うことは、翻訳の作業工程にあります。翻訳の原稿はジグソーパズルのようなものです。原文の日本語をいったん一つ一つのピースに崩して、そのピースを英語にして組み立て直していきながら、同じ絵を作りあげる、という感じです。こういう工程を経ることで、私自身にとって最も理解できる言語でその絵(原稿)を理解できることになります。翻訳が楽しいのは、このプロセスです。
Q. 今後のキャリアプランは?
今、夫の仕事の都合で香港に暮らしています。1年半くらいになりますが、香港の社会や人々をもっと知りたいと思っています。在宅で仕事をしていると、やはり他人との接触が希薄になりますし、いつかは香港を離れる日が来ることを考えると、このまま香港を良く知らずに日本に帰ってしまうのはもったいないと思います。
また、このことはまだ漠然とした考えなのですが、大学で翻訳を教える仕事にも惹かれています。これはフリーランスでの翻訳をしていなかったら気づかなかったことかもしれませんが、翻訳には必ず締め切りがあり、特に翻訳作業時間が短い場合だと、どうしても時間がきたらその完成度に納得がいかなくとも諦めなければいけません。きっと翻訳者のみなさんはそういうジレンマと戦っていらっしゃいますよね。教育の場ですと、仲間の先生や生徒たちと議論をしたり意見を交換したりして、可能性を探る時間があると思います。それが私には魅力的なことです。また、フリーランスという形態はメリットもあるのですが、いつ仕事が入ってくるのかわからなくて、いつでも依頼待ちの態勢になってしまうところや、在宅で一人で仕事をしているので、翻訳で迷った時にちょっと相談する相手がそばにいない、翻訳を始めてしまうとその時間も実はない、という点はつらいところですね。
ただ、キャリアプランとしてそんなに先のことまでは考えていないんです。60歳になってもまだ翻訳をしているかというと・・・、どうでしょうか。きっと翻訳は続けていると思います。できればいつか出版翻訳をしてみたいです。日本語で書かれているものを英語圏の読者に紹介するのが夢ですね。いろいろな国で暮らしてきましたが、将来的には故郷のシンガポールに帰りたいですね。「郷に入ったら郷に従え」の精神であちこちで暮らしましたが、やはり落ち着くのはホームタウンです。夫は日本人なので、日本に帰りたいといいますし、まだこの先どうなるかはわかりません。
とりあえず今2人で合意していることは、老後は半年間ずつお互いの国で暮らそう、ということだけですね。
【ソーキンさんお奨めの翻訳参考本】
『Can Theory Help Translations? 』
(Andrew Chesterman 著, Emma Wagner(著)、出版社: St Jerome Pub (2001年11月))
英語。翻訳理論の教授とプロの翻訳者が、翻訳者が抱える問題点や翻訳の質、倫理、方法論など様々な観点から翻訳の理論と実践について意見を交わした書簡を本にまとめたもの。
※ソーキンさんはちょうどこの本を読んでいる最中とのこと。翻訳エージェントの方にも参考になります、と薦めていただきました。


『技術翻訳のチェックポイント』
(ケビン モリセイ (著), 日立テクニカルコミュニケーションズ (編集), Kevin Morrissey (原著), 日立製作所ソフトウェア事業部)
技術英文の翻訳実務に携わっている人のために、構成からメリハリの付け方、箇条書きの使い方、操作手順の書き方などまで、テクニカル文書の書き方の原則を解説。練習問題も掲載。英文併記。
※日英バイリンガルなのがとても役に立つ、と話していらっしゃいました。これから技術翻訳を目指される方にお奨めです、とのご紹介です。


編集後記
ソーキンさんはとても純粋で、ひたむきで、奥床しい方でした。実は、インタビューの1/3くらいは、ハワイで出会ったご主人との馴れ初め話で盛り上がってしまいました(私が無理やり質問していたような・・・)。ここでご紹介できないのが残念です!翻訳原稿をついじっくり読んでしまう、というソーキンさん、翻訳の確かな質はそこに秘密があるのでしょうか。これからもお世話になります!



Vol.23 たどり着いた在宅翻訳 子どもと同じ空間にいる安心感

第3回は、金融分野を中心にフリーランスで活躍する堆 史乃さんへのインタビューです。小学2年生のお子さんとの時間を大切にしたい、と在宅翻訳者の道を選んだ堆さん。留学、"金融"との出会いと翻訳業の始まり、そして子育てと仕事の両立についてなど、飾らない言葉で語ってくださいました。

プロフィール  堆 史乃さん Shino Akutsu

英文学科卒業後、営業職を経て、アメリカの大学で経営学を学ぶ。帰国後、外資系証券会社2社に計12年間勤務。その後、在宅翻訳者に転身。金融特に債券関連の翻訳を中心に活躍。通訳の勉強も続けるなど、知的好奇心を満たしながらスキルアップへの意欲を欠かさない一児の母。
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Q. 翻訳を始めたきっかけは?
「翻訳」を仕事として考え始めたのは、子育てのために勤めていた会社を退職したことがきっかけです。現在、小学2年生の息子がいます。最初のうちは保育園に子どもを預けて会社勤めをしていましたが、やはり息子と一緒にいる時間を長くとりたいと思い、幼稚園にあがるのを機に退職をしました。子供が小学校へあがるころには何か仕事を始めようと思い週に何日か外にでることも考えましたが、それも実際は難しく少しずつ在宅で翻訳の仕事をしようと思うようになりました。
会社勤めを辞めるまで、証券会社2社に計12年間勤めましたが、金融業界に身をおいてある程度の専門知識や業界経験を身につけていることや自分の英語力を生かせるということで少しずつその方向性に傾いていったのだと思います。
Q. それまでの会社勤めの中で、翻訳に関わることが多かったのですか?
英語を日常的に使ってはいましたが、営業職でしたので翻訳そのものに関わっていたわけではありません。ただそれほど規模の大きな会社ではなかったので、基本的に多くのファンクションを自分でこなすことが求められ、内部使用のものは大抵自分で訳したり英語を書いたりしましたが、オフィシャルなものや量が多いものは翻訳を外注していました。上がってくる翻訳を見ると素晴らしい出来栄えのものもあれば、全面的に直す必要のあるものもあり、「これだったら私でもできるな・・・」と思ったことも正直ありました。ただ今自分が翻訳業を始めたことで、限られた時間と情報の中で、高品質の翻訳を提供することがどれほど大変なことかを、身をもって思い知らされています。
Q. 翻訳業のスタートは順調でしたか?
まずは翻訳エージェント数社のトライアルを受けましたが、その時まで翻訳業界についての知識などはほとんどなかったので、エージェントからの反応は一つ一つが新鮮でした。あるエージェントからのフィードバックでは、きれいで読みやすい日本語だけれど意訳気味なので一字一句忠実に訳してほしいと言われ、次のトライアルで忠実さを重視したところ、もっと読みやすくすっきりとした日本語で仕上げてほしかった、と言われました。そのさじ加減が今でも難しいところです。初めは一カ月に1、2件程度の翻訳依頼でしたが、できるだけ丁寧に仕上げる様心がけたところ依頼が少しずつ増えていきました。翻訳の内容ももちろんですが、誤字脱字を含めたケアレスミスはエージェントの信頼を失う最も大きな要素のひとつだと思っています。 また依頼があまり多くなかった時期には通訳の短期コースにも通いました。通訳の勉強も宿題と予習・復習で大変でしたが勉強するうちに面白くなっていきました。現在も通訳学校に週2回通っています。まだ通訳というスキルを習得できるか全く分からない状態ですが、翻訳をする上でも通訳学校で学んだことが活かされますし、自分にとって良い刺激になっています。
Q. 留学、そして「金融」との出会いはどのようなものでしたか?
社会人になり数年してから、アメリカの大学に留学しました。その当時はまだ「金融」という分野に強い興味を抱いていたわけではありませんでした。しかしそのころ父親が証券会社に勤めていたこともあり話を少しずつ聞くうちに漠然と卒業後は金融へという思いを持っていたのかもしれません。大学では経営学を学びました。全く下地のなかった私にとってその内容はとても新鮮でした。世界中から学生が集まるなかでビジネス戦略の討論などができたことは今でも私の財産であると思っています。この留学を通じて英語を自分のものにしたいという思いはあったので、今の翻訳業の下地となる語学力がここで培われたことになると思います。
2年間の留学生活を終え、外資系の証券会社に就職しました。金融経験のない私にとって就職活動は容易なものではありませんでしたが、私を採用し、一から育ててくれたその会社の上司には今でも心から感謝しています。あの方たちがいなければ今の私はありませんから。
Q. そしていよいよ金融の世界に・・・
日経新聞で金融用語や表現をかかさずチェック
就職してから数年間は必死で、時間を忘れるほど勉強しました。そして勉強をすればするほど面白くなっていったのには不思議です。金融に関する用語は日々変わっていきますし、勉強をしてもこれで終わりということはありませんでした。その後転職した先も証券会社ですが、2社を通じて主に債券に関わる仕事でした。
「金融」といってもその範囲は非常に広く金融業界で働いている方々がそれぞれ専門とする分野はさらに狭いものだと思います。例えば私の場合ですと、債券の中でもクレジットデリバティブといった分野を主に担当していたため、株式については専門ではない、というイメージを持ってしまいます。翻訳者として専門分野は?と尋ねられれば金融です、と一般的には答えますが、これまで頂いた翻訳依頼の中で、自分の専門分野と呼べるものに出会うことは本当に数えるほどしかありません。ですから金融業界での経験は確かに今の仕事に十分生かされていると思いますが、それに甘んじず日々勉強を重ねる必要があることを実感しています。
Q. 金融専門の翻訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。
翻訳の参考に使っている書籍・電子辞書
アドバイス、といえるほどのことは申し上げられませんが、きっと翻訳者を目指している方でしたら、学校などで翻訳の勉強をされていらっしゃるでしょうし、特に金融に特化した翻訳の講座を受けたりなどされていると思います。私も通信教育で金融専門の講座を受けました。そこでは、広く金融・経済について学ぶことができ、私のように債券のある部分でのみ実務を積んだ人間にとっては総合的に金融知識を翻訳という視点から学ぶことができる良い機会でした。翻訳文書の内容によっては現場を経験したことがないとわからないことや浮かんでこない表現などがあるかもしれませんが、一般的な内容にとどまるものであれば、金融業界での経験がない方でも学習を積むことで対応できるようになるのではないかと思います。また、エコノミストが書く英語は平易ではなく、凝った表現が使われることがあり、訳していて悩むことが多いものです。しかし今はインターネットでありとあらゆることが調べられますから、業界経験がないことをそれほどハンデと感じなくてもよいのかもしれませんね。今通っている通訳学校の先生が、「この分野では天才はいない、努力した人だけが上へあがっていく」とおっしゃっていました。翻訳も同じだと思います。英語が分からない時には、ネイティブや帰国子女の方をうらやましく思いがちですが、金融業界の経験がなくとも努力でものにできる部分は多いと思います。
Q. 最後に、子育てをしながら翻訳業を始めたい方にメッセージをお願いします。
初めは子供が小学校に上がるころから少しずつ外で働こうという考えを持っていましたが、結局子どものために家にいることを選びました。低学年のうちは帰宅時間が早いですし習い事の送り迎えなどもあり実際のところ難しかったということもあります。自宅で長時間パソコンに向かう仕事はそれなりに大変で自己管理も求められます。それでも子どもが学校から帰ってきたときに家で迎えてあげられることや、学校の行事や予定に自分の仕事のスケジュールを合わせられることは大きなメリットだと思います。また、仕事中は子供と一緒に遊んだり勉強を見てあげたりすることはできなくても同じ屋根の下にいるという安心感を私も子どもも持っています。また忙しいときには夫に家事をお願いするなどしてやりくりしています。夫がどれほど翻訳という仕事を理解しているのかわかりませんが、それなりによく手伝ってくれていると思います。そういう面では助かっていますね。主婦の方ですと、子育ても家事も完璧にこなしたい、と思う方もいらっしゃると思いますが、やはりある部分で手抜きも仕方がないかと思います。
また不定期ですが、テニスをしています。太陽の下で体を動かして汗をかくことが気分転換になります。在宅翻訳者の方々はそれぞれ気分転換で工夫をされていらっしゃるでしょうね。

編集後記
今回は会社を飛び出して、美味しいお茶をいただきながらのインタビューでした。そのせいか時間が経つのを忘れてしまうほど、堆さんと話し込んでしまいました。週2回の通学やテニス、お子さんとの時間、主婦としての仕事・・・、実際には時間に追われる毎日のようです。それでも疲れたご様子もなくさわやかに明瞭な言葉で思いを語ってくださった堆さんに憧れてしまいました。私もいつかは子育て+仕事の両立、実現したいな!




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