HOME > 翻訳 > 翻訳者インタビュー

翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.22 私は、大都市のフリーランス消防士です

第2回は、医薬翻訳者のベン・デイビスさんへのインタビューです。「魚」がつく漢字を全て覚えたというユニークな日本語勉強法から、フリーランス翻訳者としての独立秘話、医薬を専門に選んだ理由、そしてフリーランス翻訳者を目指す方々への貴重な4ポイントアドバイスも!含蓄に富んだベンさんの「翻訳者論」、必読です!

プロフィール  ベン・デイビスさん Ben Davis

英国出身。イギリスの大学を卒業後、JETプログラムで青森へ。弘前高校で英語指導助手、青森市で国際交流員を勤め、日本語を習得する。都内の複数の会社で社内翻訳者としてキャリアを積んだ後、2006年5月、さざなみ翻訳を創業(2007年9月法人化)。趣味はスキーなどウィンタースポーツ。時々「東京砂漠」を脱出して、自然の空気を吸ってリフレッシュする。


Q:来日のきっかけは?
大学2年の時に日本語を勉強し始めました。それまでにドイツ語やフランス語を勉強しましたが、今度はアジアの言語を勉強したいと思い、当時のアジア情勢を考えたときに、日本語を学んでおけば何かと役に立つのではと考えたことが理由です。専攻は数学でしたので、ある意味日本語は趣味で始めたようなものです。大学で日本語クラスを取りましたが、最初は30人いた学生が、最後には自分とマレーシアからの留学生の2人しか残りませんでした。また、その頃に観光で来日し、3週間電車で日本全国を回ったことで、日本に住んでみたいという気持ちが強くなりました。卒業後すぐにJETプログラム(語学指導等を行う外国語青年招致事業)で日本に行くことに決めました。私は暑がりの上、ウィンタースポーツが好きなので、東北・北海道への赴任を希望し、外国語指導助手として弘前市の高校に派遣されました。
Q:青森での生活を教えてください。
学校での勤務は午後4時に終わるため、仕事以外に使える時間がとにかくたくさんありました。友人と出かけることもありましたが、それでも有り余る時間を日本語の勉強に費やしました。ただテキストをやるだけでは退屈なので、日本の歌を覚えたり、寿司屋の湯呑みに書かれている「魚辺」の漢字や、「骨」の名前(大腿骨、肋骨、鎖骨など)を全部覚えたり、面白く勉強できるように工夫しました。派遣された高校は進学校で、英会話よりも受験英語を教えていましたが、ある日、問題集にある日本語を英語に訳してほしいと頼まれたことがありました。当時は自分の日本語力にまだ不安があったのですが、やってみると思ったよりできてしまったんです。これが最初の翻訳体験だったのかもしれません。そこからだんだん翻訳に興味が向いていきました。高校では2年間教え、次に青森市の国際交流委員の仕事に就きました。ここで各種文書の翻訳や、イベントの企画・運営を任されました。青森の子どもたちを対象に外国文化に触れるイベントなどを企画し、地元の新聞やテレビにも取り上げられ、とても楽しくやりがいがありました。
Q:その後、東京に移りましたね。
国際交流委員の任期が終わり、一旦帰国して次の仕事を考えました。その間知人を訪ねて1ヶ月半ほどアメリカに滞在しましたが、その時に気づいたんです。日本を恋しく思っている自分に!日本人は集団主義だとも言われますが、私は決してそれが悪いとは思いません。「和」を乱さないように気遣い合うことは利点だとも思います。アメリカで自己主張の激しい人々を目の当たりにして、自分には日本の雰囲気が合っているなと思い、再就職先を日本で探し、東京のコンサルタント会社に就職することになりました。これまでに培ったスキルや知識を生かせる場所もやはり日本にあると思ったのです。現在私は医薬翻訳を専門としていますが、このコンサルタント会社で多くの製薬会社の関係者と会う機会があったこともきっかけの1つかもしれません。しかし、ここではあまり翻訳業務がなかったことや、青森でのイベント運営などの経験も生かしたいと思い、医薬品専門の広告代理店に転職しました。ここでは、医学・マーケティング関連の文書の翻訳を任されたほか、日本内外での国際医学会議の企画・運営なども担当しました。様々な経験を積んでいく中で、ますます翻訳業に集中したいと思うようになり、IR支援会社を経て、翻訳会社に転職しました。ここでは100%翻訳に携われましたし、何より翻訳を社内業務の一環ではなくビジネスとして扱うことに大変刺激を受けました。翻訳ビジネスのノウハウを学ぶことができたのです。
Q:ご自分の会社を立ち上げることになったのは?
広大な大地を眼下に、富良野のパウダースノーを満喫!
よくフリーランスと社内翻訳者の違いが話題になりますが、自分の場合、独立することで「自由」を得ることが1つの目的でした。例えば、「時間・場所」の自由。会社勤めだと長い休みを取ることもできませんが、自分の会社でしたら、どこで休むのもどこで仕事をすることも自由です。昨年は北海道でマンスリーアパートを借りて、2ヵ月半ほど滞在しました。パソコンなど翻訳必需品も持参していつも通り仕事をしましたが、土日はスキーやスケートを満喫しました。次に、「仕事」の自由。一会社員の立場では、改善点や新規提案のアイデアがあっても全てが形になるものではありません。自分が考える翻訳サービスのあり方や翻訳ビジネスの方法を、自分が経営者になることで実践できることがフリーランスとして会社を立ち上げた理由の1つです。「専門性」の自由もあります。社内翻訳の場合には、文書の種類や内容など自由に選択できるものではありません。医薬翻訳を専門としてやっていこうと思った時に、もっとその専門性を磨き、質の良い翻訳サービスを提供できるようになるためには、やはりフリーランスになる必要があると感じました。
Q:もちろん良いことばかりではないですよね?
「自由」という話をしましたが、会社経営は気楽な家業ではもちろんありません。私のセールスポイントは「柔軟性」と「専門性」です。柔軟性とはお客様のためです。一度に複数の案件を抱えることもありますが、できるだけお客様の希望や納期を守るために、早朝や深夜に及んで仕事をすることもあります。短納期の案件にもできるだけ対応したいと思っています。それができる翻訳者はそう多くはないと思いますし、自分の会社だからこそこのような柔軟性が発揮できるのです。専門分野を持って翻訳の質を上げていくこともお客様のためです。実際の翻訳作業の中では、用語や背景を調べるために大きな時間を取られ、報酬との割りが合わなくなってしまうことも正直ありますが、それは全て次のサービスにつながるプロセスです。ある意味、「時間」は自由になるものでもありますが、いつも時間に追われている感覚はあります。
Q:医薬を専門に選んだ理由は?
もともと理数系でしたので、何を専門分野にしようかと考えたときに、IT、機械、特許、経済、医薬といった分野が浮かびました。しかし、ITや機械関係はまったくだめなんです。興味が持てません。その分野の本などを読んでいても30秒も持たないんです!経済と医薬が候補に残ったときに、お金のことよりも健康の方に自分の興味が向くことに気づきました。日本に来てから「骨」の名前を全部覚えたこともそのせいでしょうか・・・。とにかく、体や病気がどうなっているのかを知ることは自分の知的好奇心を大いに満たしました。コンサル会社や広告代理店で製薬業界に触れ知識が深まったことも理由の1つです。よく医薬は難しい、という声を聞きますが、確かにその通りです。最初からするすると日本語も英語も医薬用語を理解できたわけではありません。でも、「継続は力なり」です。どの職種でも同じです。意志さえあれば成し遂げられます。自分が医薬専門翻訳者として学習を続ける中でこの言葉が真実であったことを、今日は強調したいと思います。
Q:フリーランス翻訳者を目指す方にアドバイスをお願いします。
フリーランス翻訳者は「消防士」だと思っています。私は大都市のフリーランス消防士です。火事はいつ起こるかわからないし、同時にいくつもの火災が発生する場合もあります。複数の案件を同時に抱えながら専門性を持って迅速に対応することが求められる翻訳者はとても消防士と似ています。そんなフリーランス翻訳者を目指される皆さんに、4つのことをお伝えしたいと思います。
まず1つはフリーランスのデメリットを克服することです。フリーランスだと住む場所も仕事をする時間も自分で決められますが、その分他者との接触が希薄になってしまうのが現状です。自分独自の考え方や方法に固執してしまい、ますます外の世界との連帯感が薄れてきてしまいます。そのため、勉強会やセミナーなどに積極的に参加して、できるだけ他の翻訳者との交流を持つことをお勧めします。私は日本翻訳者協会(JAT)の会員ですが、JATがなければこうして翻訳を仕事にしていくことや会社を立ち上げることは難しかったかもしれません。ここで出会った様々な人から、会社設立にあたっての事務的な手続きから営業方法、時間管理、翻訳のスキルなど、ありとあらゆることを学びました。本当に感謝しています。また、翻訳者だけではなく、まったく別の業界や業種の人たちとの交流も貴重な機会です。「仕事につながること」が全てではありません。「お互いに役に立てること」が交流の意義だと思います。
2つ目は、専門分野を持つことです。何でも翻訳しようとすると効率が悪くなります。経験の蓄積が思うほど効果的でもありません。「多芸は無芸」という言葉が示すとおりです。専門性を選ぶ際には、できれば世の中の需要よりも自分の興味があることを専門にできれば良いと思います。「仕事・勉強が面白い ⇒ 継続できる ⇒ 専門性の向上が早い ⇒ 評価があがる&仕事のスピードがあがる」という流れが生まれます。極端に狭い分野でない限り自分の好きな分野を選ぶことで、興味はないが需要が多い分野の翻訳をするよりも、結果的には収入増につながると思います。やりがいや社会のためになること、といった視点で選ぶことも重要だと思います。
3つ目は健康面です。じっとパソコンの前に座って作業をするので、当然運動不足や食事の偏りに気をつけることも大切ですが、精神面での健康が重要です。過去に、忙しすぎて17日間人間的な接触を持てなかったことがありました。その間、スーパーやクリーニング店などに行きましたので、人には会いますが心からの会話をする機会ではありません。あの時は本当にどうかなってしまうのでは、と思いました。それ以降、どんなに忙しくても友人と会って話をしたり、月に1回は地方に小旅行に出かけてリフレッシュすることを心がけています。
最後の点は、「基本」さえできていればOKということです。基本とは、翻訳者の場合、納期を守ること、質を維持することです。あらためて言うことでもありませんが、でも実際にはこれができていない翻訳者が世の中にはいます。基本を忘れないことが一番大切です。
Q:これからの夢は?
独立してからもうすぐ2年が経ちます。5年後は六本木ヒルズ(に事務所を構える)、10年後は温泉事業(温泉・化粧品事業を始めた翻訳会社がありますよね)を立ち上げること!というのは半分冗談ですが、自分の会社を持つ身としていつもビジョンを持って進んでいきたいと思います。また、翻訳を教えることもそうですし、フリーランス翻訳者になりたい人へのアドバイスや会社立ち上げのノウハウの伝授など、これまでに培ってきたスキルや経験を生かして翻訳業界に貢献できればと希望しています。医科大学で非常勤講師として医学英語を教えたいとも思っています。これまで自分を助けてくださった方々・業界に対し、微力ながらも貢献することで恩返しをしていきたいと思っています。

編集後記
「微力ながらも恩返しをしたい」というベンさんの言葉にとても感動しました。日本語や健康に対する興味をきっかけに医薬専門の日英翻訳者としてのキャリアにたどり着いたベンさん。これからも「大都会の消防士」として、翻訳の火を消し続けてください!お話を伺いながら、つい、銀色のヘルメットや防火スーツを着ているベンさんを想像してしまいました・・・。そしてインタビュー当日はベンさん30歳の誕生日!おめでとうございます!!
 ベン・デイビスさんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください


Vol.21 翻訳はアート観賞と似ています

第1回の今回は、フリーランス日英翻訳者のキャロライン・エルダーさんへのインタビューです。日本と海外を行き来した学生時代の話や、外資系企業でのマーケティング・PR部門での仕事。これからのチャレンジであるアートビジネスへの想い、そしてキャロラインさんにとって翻訳とは?これから大きな可能性を感じるインタビューです!

プロフィール  キャロライン・美夏子・エルダーさん Caroline Mikako Elder
日本・アメリカ・オーストラリアで学生時代を過ごす。ペンシルベニア大学・一橋大学で学び、日本で外資系ブランド企業に就職。その後、外資系広告代理店に転職。2007年から翻訳者としても活躍。アートマネジメントを学ぶため2008年秋に渡米の予定。将来的には、アートマネジメントの仕事をしながら翻訳・通訳業にも携わりたいと希望している。

Q:日本と海外、どちらの生活が長いですか?
生まれは横浜ですが、アメリカ人の父の仕事の関係で、小さい頃はアメリカ(テキサス州ヒューストン)やオーストラリア(パース)で過ごしました。パースは小学校1年から3年までで、残念ながらあまりその時のことを覚えていません。4年生で再びヒューストンに行き、5年生で日本に戻ってきました。母は日本人ですが、家の中ではほぼ英語。それまでの教育も英語環境だったので、日本に帰ってきてからまず日本語ができなくて苦労しました。ヒューストンで日本語補習校に通っていましたが、当時は、自分の見た目が現地の子どもたちと違うことに少しコンプレックスを持っていて、日本語を必死で勉強しようという気は起きませんでした。帰国後はインターナショナルスクールに通いましたが、友達との何気ない会話にも日本語で困ることがあり、日本のドラマを何度も見たり、日本語の歌の歌詞に母がローマ字を振ってくれたのを必死に覚えたりして、日本語を勉強しました。中3でまたヒューストンへ戻り、高3でまた日本に帰ってきて卒業、とほぼ3年のスパンで日本とアメリカを行き来する学生時代でした。
Q:アメリカの大学に進みましたね。
今ではアメリカで暮らすと何か追い立てられるような、自分がいつもがんばらなければいけないような気持ちになって、日本で暮らす方が気持ちが落ち着くのですが、当時は大学は当然アメリカでと考えていました。でもテキサスからは離れたくて、ボストンやワシントンなど東海岸の方で大学を探し、インターナショナルビジネスが学べるペンシルベニア大学を選びました。金融と日本文学を専攻しましたが、専攻する言語が話されている国への留学が必須だったため、大学3年の1年間、一橋大学で勉強しました。その頃に日本の会社でインターンシップを経験し、大学卒業後は日本で働く気持ちが固まってきました。
Q:実際の就職はどうでしたか?
一橋大学に通っていた時、ある就職セミナーに行きました。テーマが「モエエシャンドンのブランディング」。美味しいシャンパンが飲めるかな、くらいの軽いノリで参加したのですが、そこで、マーケティングやブランディングがとても面白そうなものだと気づきました。海外ブランドのお店が続々とオープンしている頃でしたし、外資系ブランドが日本で独特の存在感を持っていることにも興味を惹かれました。大学の仲間は、金融関連での就職が多かったのですが、自分は何か違うことをやりたいと思っていました。高校でフランス語・スペイン語を学んでいたことや日英バイリンガルであることも生かせて、大学で学んだ金融の知識も生かせる仕事をしたいと思っており、結局そのセミナーで出会った、化粧品事業を行なう外資系会社に就職することになりました。
Q:翻訳との出会いはその会社ですか?
この最初の会社での出会いは、通訳の方が先です。マーケティングアシスタントとして、日常的に英語・日本語を使っていましたが、フランスからメーキャップアーティストをイベントに招いたときに、アテンド通訳のほか、メーキャップショーの舞台の上で通訳をする機会がありました。今思えば、通訳をしている!という気持ちはなく、業務の一環と思っていただけなのですが、普段の仕事で英語を使う時とは違い、お客様とアーティストの架け橋になれることにとても充実感を感じました。アーティストの方からの通訳依頼を再度受けた時は嬉しかったですね。書く方では、英語でプレゼン資料を作成したり、海外で書かれた文書を日本語に訳す際のドラフト作成くらいでした。その後、転職先の広告会社で、広報部に配属されましたが、そこで会社概要やプレスリリース、ニュースレターなどの翻訳作業が業務に入ってきました。専属翻訳者というわけではなかったため、イベント企画・運営など様々な業務の中に翻訳があり、大きな翻訳プロジェクトは外注をして、上がってきたものをチェックするという程度でした。しかし、外注したものをチェックしていくうちに、自分もプロの翻訳者としてチャレンジしてみたくなったんです。
Q:それで翻訳業にチャレンジしてみようと思ったのですね?
はい。就職を考えた時もそうでしたが、今乗っているレールとはちょっとはずれていること、今の自分にはないことに興味や関心が惹かれるのだと思います。好奇心だけではなく、きっと小さいころからあちこち引っ越して、一箇所にとどまることに落ち着かないのかもしれません。翻訳という仕事をプロとしてやってみたいと思い始めた頃、ある社内通訳者からテンナインさんを紹介され、今こうして翻訳業を始めるに至っています。日中は仕事があるので夜や休日の作業が中心ですが、翻訳が楽しいので充実しています。
Q:翻訳者としてはまだ日が浅いですが、翻訳の面白さ&大変さは?
実はクリエイティブなことがあまり得意ではありません。絵を描いたり、写真を撮ったりすることはとても下手で苦手です。でも、翻訳の場合はゼロから作るのではなく、今あるものをまず自分の中に取り込み、解釈をし、違う形(言語)にして外に出す "変換"という作業です。そこに面白さがあります。10人訳者がいれば10通りの翻訳ができる。原文に引っ張られることなく、読む相手の顔をまず思い浮かべて、自然な文章だと思ってもらえるように変換していく。自分の中だけでのやりとりですが、ここが楽しいところでもあり、苦労するところでもあります。
Q:9月からまたアメリカに戻るそうですね?
はい。3月末にそれまで勤めていた会社を辞めました。アートビジネスを学ぶために、フィラデルフィアの大学院に行きます。もちろん、翻訳の仕事は続けていきます。
Q:アートビジネスに興味を持ったきっかけは?
先ほどクリエイティブなことは苦手と話しましたが、苦手な分、その世界がどうなっているのだろう、ということに関心がありました。ないものねだり的な感覚なのかもしれません。絵を観たりすることは好きで、海外に行くと必ずギャラリーなどをまわっています。最初の仕事でのアーティストとの出会いもきっかけでしたし、ブランディングやマーケティングの経験、PRの仕事も経験し、翻訳も始めていく中で、何かを極めたいと思うようになりました。今までの自分の経験が余すことなく生かされる仕事です。そんな時に「アートマネジメント」という仕事があることを知りました。作る側ではなく、サポートする側です。資格取得も考え、リサーチしていくうちに美術検定なるものがあることを知りました。この資格を取ろうと昨年の春くらいから勉強を始めて秋に受験しましたが、その過程でもアートビジネスへの想いが深まっていきました。近年、アートビジネス業界が脚光を浴びるようになってきましたが、まだまだ日本と海外のアーティスト間の交流、作品の紹介といったルートは細く、国境を越えたアートの交流はまだ少ないのが現状です。これからの時代にできる何か新しいチャレンジ、それがアートマネジメントという仕事として、自分の中にぴったりとはまりました。
Q:アートビジネスと翻訳とのつながりは?
私の中では切り離されたものではありません。アートビジネスにおいては、翻訳や通訳という作業も必要になってきます。アーティストの作品を国境を越えて紹介し、その活動をサポートするためには、当然言葉を含む文化的な壁を越えることが必要になってきます。アーティストは作品作りに集中し、私は自分が培ってきた経験・スキルすべてを使ってサポートをする。今、こうして翻訳の仕事をしていることもその仕事に生きるし、逆にそこでの経験や知識が翻訳の中で生きてくると思います。アート関連の翻訳にももちろん興味がありますが、いろいろな内容の翻訳をやっていきたいです。自分の場合、興味の範囲が広すぎて、何かに絞った方がいいのかもしれません。欲張りですね。将来的に翻訳や通訳の仕事もどんどんしていきたいと思っています。
Q:翻訳者を目指す方へのメッセージをお願いします。
特に英訳を希望する日本語ネイティブの方には、ジャンルを絞らず、または好きなジャンルでいいので、どんどん英語を読むことをお勧めします。翻訳者としては、ある程度のライティングスキルも必要になると思いますが、書く練習ではなく、目からその表現を自然に吸収できると思います。私は特に翻訳の勉強をしたわけではありませんが、必死に日本語を勉強した時のことを思い起こすと、とにかく音を聞いたり、文字を読んだり、自然と体にすりこんでいたような気がします。日常生活の中に自然に英語を取り入れて生活することもいいですね。
Q:アートは難しい、と思う方にも何かアドバイスを。
よく美術鑑賞の方法がわからない、という声を耳にしますが、私も分かりません。以前は、分からないから避けていました。でも、一定の鑑賞方法なんてないことが分かりました。自分が気持ちいいと思う見方でいいんです。これは好き、これは嫌い、でもいいと思います。そういう答えがないことに魅力を感じられるのではないでしょうか。ある意味、翻訳という仕事も決まった答えがないものを自分で感じて考えて見つけていく・・・、こういうところが似ていて面白いのかもしれません。

編集後記
アート観賞と翻訳、一見何の関連もないようなことですが、自分というフィルターを通して作品/原文を解釈していく、という過程が似ているという言葉に納得しました。私も絵画の鑑賞の仕方が分からず、美術館から足が遠ざかっていたのですが、これを期にアートの世界に触れてみたいと思います。そうやって自分が感じることに向き合う作業が、翻訳にも生きてくるだろうな、と思いました。キャロラインさんの益々の活躍をお祈りします!
キャロライン・美夏子・エルダーさんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください


Vol.20 私らしくあれ

[プロフィール]
熊谷玲美さん
Remi Kumagai
北海道大学理学部地球物理学科卒業。東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻修士課程修了後、政府系特殊法人に勤務。科学技術文献データベース作成、海外機関との交渉、現地調査を行う。在職中より翻訳の勉強を開始、2007年1月よりフリーランス英日翻訳者として独立。これから、益々の活躍が期待される。

からたちの花をひかりとしなのかな      

   
               かりん
-------
(熊谷さん注釈:この句の季語は「からたちの花」。からたちの花の白は、他のどんな花よりも清々しい純白で、信濃にやっと訪れた春の光そのもの、という句です。)


語学に興味を持ったきっかけは?
特別大きなきっかけはありませんが、小さい頃から英語には興味を持っていました。テレビや映画で見る海外の様子に憧れていて、その入り口が英語だったのかなと思います。中学からは英語の授業があると聞き、待ちきれなくて、親に英語教材を買ってもらったこともありました(笑)。それ以降は、授業に加えて、毎朝NHKラジオで勉強しました。早起きは苦手なはずなのに、英語となると別だったようです。高校に入ると、文法が面白くなってきて、いつも英語で点数を稼いでいました。英語サークルにも入っており、何となくその頃から、将来は英語を使って仕事をしたいなと考えていました。
大学では、物理地球学を専攻されたようですが?
当初は、外国語学部を目指していましたが、高校に帰国子女の友人がいて、「こんなに上手な人がいるんだなぁ......」とびっくりしました。英語だけでいえば、すごい人はたくさんいるんじゃないかとも思いました、それで諦めたわけではありませんが、英語だけではなく、「英語プラス何か」があるといいのでは、と考えたことを覚えています。
 もともと、英語と同じぐらい科学が好きでした。その中でも、地球や天文学に興味がありました。目で見て分かる、ダイナミックで美しい現象が好きで、何かそれに関係することを勉強してみたいなと。北海道に住んでいたので、特別なことをしなくても、身近に自然があったことも一つの理由です。英語は継続して勉強し、大学では地球物理学をやろうと決めました。
大学ご卒業後は、大学院に?
大学では、地震や火山について勉強しました。大学院での研究分野を考えていたときに、「自然現象で感動的なのは、火山とオーロラだ!」と先生が言うのを聞いて、自分で体感できるものを研究したかった私は、「オーロラの研究をやりたい!」と思ってしまいました(笑)。自分の目でオーロラを見てみたかったので、観測に行かせてくれる研究室を探し、ノルウェー領のスピッツヴェルゲン島に1ヶ月間滞在する機会を得ました。オーロラや気象など、北極の自然の研究が盛んなことから、世界中から研究者が集まっている北極圏の島です。コミュニケーションは、当然英語。思わぬ状況に戸惑いもありましたが、英語を勉強していてよかったなぁと思った瞬間でした。
ご就職先でも、英語を使う機会があったようですが?
大学院で研究者としての生活を垣間見て、自分のやりたいこととは違うなと思ったんです。自然現象を自分の目で見たいという気持ちはあるものの、その分野で最先端の研究をするために、毎日パソコン上のデータを眺めるのは、私の望むことではありませんでした。「データではなく、本物のオーロラを見ていたい」と思った時、自分のやりたいのは研究ではないんだと気づきました。
大学院修了後は、独立行政法人に入りました。海外パートナーとの渉外業務や、海外文献調査等で、英語を使うことがありました。それまで、英会話学校や大学で勉強は続けてきたものの、実際に仕事を通して英語を使うのは初めてです。英文メールの書き方も分からず、最初は相当ひどかったと思います。相手から来たメールの文章を見て、「なるほど、こういう言い方があるのか」と勉強していましたから(笑)。
翻訳の勉強をしようと思ったのは?
5年前ぐらいでしょうか。それまでは、単に「英語の仕事」だと思っていたんですが、よく考えてみたら、これって翻訳なのかなという仕事があって、何となく頭の片隅にひっかかっていました。だんだん意識するようになり、カルチャースクールで3ヶ月の講座を申し込んだんです。値段も安いし、文芸翻訳って何となく面白そうだなという単純な理由からです。結果的に、すごく楽しくて、翻訳って面白いのかも! と思いました。英語が好き、本が好き、文章を書くのが好き、日本語が好き、と考えた時に、いいんじゃない? って。
それからしばらくして、翻訳学校の門をたたきました。
独立したきっかけは?
翻訳学校に通い始めてからは、いつかは翻訳一本で食べていきたいなと思っていたものの、全く見通しは立っていませんでした。そのレベルに達していないことは、自分が一番よくわかっていましたから。かといって、このままずっと会社勤めをしていてもいいのかと迷っていた時期でもあります。少しずつエージェントのトライアルに合格するようになったとき、先生から「そろそろ仕事もしてみなさい。勉強も大事だけど、仕事から学ぶことは大いにある」と言われました。その言葉を聞いて、迷いがなくなりました。会社の仕事と並行して、少しずつ翻訳の仕事を請けるようになりました。2年前のことです。
 完全にフリーランスになったのは、今年の1月です。まだ、ほやほやですね。それまでは、時間の関係で、どうしても大きな仕事が請けられなかったり、お断りするケースが増えたりして、悔しい思いをしていました。会社での仕事と翻訳を天秤にかけたときに、翻訳に対する気持ちの方が勝ってしまったんです。もしかしたら、独立するなら今かもしれない! とひらめきました。振り返れば、思い切ったなぁと我ながら思いますが、後悔はしていません。フリーでいることの不安要素はたくさんありますが、会社勤めに不安要素が一つもないかと言われたら、決してそんなことはありません。仮に、60歳まで勤めた後、何をするのかと考えるとこわくなることもありました。フリーの仕事は、健康であれば、年齢関係なく続けられ、どんどん幅を広げていける気がするんです。メリットはたくさんある、そう思ったんです。何とかなるんじゃないかって。
通訳者になろうとは思いませんでしたか?
ちらっと考えましたが、もともと文法や、読み書きの方が好きなんです。会社員時代、通訳者さんのお仕事ぶりを見た時に、「すごい。こんなことはできない!」とも思いました(笑)。ゆっくり考えて出す方が向いているんだと思います。調べるのも好きなので。
翻訳の面白さは?
普通に生活していたら、絶対に触れる機会がなかっただろうな、という分野に触れられることです。例えば、ITマーケティング資料翻訳のお仕事を頂いたとき、自分ではこの分野は割と詳しいと思っていたのに、私が知っていたのはパソコンに関することだけでした。実際は、企業内のITシステムについての翻訳だったので、知らない用語が満載。この仕事をきっかけに、IT業界の方々が、普段どういう言葉を共通語として使っているかがわかって、大変勉強になりました。
この経験からも、なるべく幅を狭めないよう、積極的にいろんな仕事を請けるようにしています。
今だから話せる失敗談は?
ニュース翻訳の仕事を在宅で請けており、メッセンジャーソフトでやりとりしながら、翻訳して提出するという取り決めになっています。依頼がある日は、朝9時にスタンバイしていないといけません。その仕事を始めたばかりの頃、うっかり寝坊してしまい、クライアントからの電話で起きました。「熊谷さん、今メールで発注しましたが」と......。メッセンジャーなので、オフラインになっているとスタンバイしていないのがバレバレです(笑)。あんなにドキドキしたことはありません。どこかに出かけるのであれば、時間に余裕を持ってちゃんと起きるんですが、パソコンとベッドが同じ部屋にあるワンルームマンションでは、なかなか緊張感もありません。それ以来、寝坊はしていません!
印象に残ったできごとは?
3年前から、フォスタープラン協会という、国際NGOの翻訳ボランティアとして活動しています。学生の頃から、国際援助に興味があり、何かできないだろうかと思っていたところ、翻訳ボランティアという関わり方があることを知りました。私が担当しているのは、オフィシャルレポートの翻訳なのですが、誰かの役に立っているのかなと思うと嬉しいです。普段仕事で接しないような難しい内容もあるので、自分にとって勉強にもなります。
翻訳者としての強みは?
当たり前かもしれませんが、会社勤めをしていたことです。翻訳と直接関係なくとも、見えないところで役に立っていることがたくさんあります。フリーランスといっても、一人でやっているわけではありません。いつも、少しでも楽しく、気持ちよく仕事ができたらいいなと思っています。例えば、メール一つにしても、書き方によって随分印象が変わりますよね? 自分がもらって不快感を覚えないメールを送るよう心がけています。テンプレートをそのまま貼り付けたような文章は好きではありませんが、なれなれし過ぎてもいけません。以前から、割と気にしていましたが、以前勤めていたときには、こういった「ちょっとプラスアルファなこと」って、特に評価されないような気がしていました。でも、今はフリーランスですから。小さなことですが、伝わっているといいな、と思います。仕事とは全く関係のないことなのですが(笑)。
1月にフリーになってから、生活スタイルは変わりましたか?
大きく変わりました! 毎日が快適です。以前は、会社帰りに夜ご飯を買って帰るという生活で、料理なんてほとんどしなかったんですが、今は毎日作っています。楽しいです。自宅も、駅から近くありませんが、毎日通勤するわけではないので、問題にはなりません。もともと、フリーランスというスタイルにすごく憧れていたので、夢のようです。会社にいると、お天気がいいから外へ行こう、なんてできないじゃないですか? 太陽を見るのは、行き帰りだけ。フリーの場合は、仕事さえちゃんとしていれば、昼間に散歩に行くことも許されます。
なるべく、夜は早めに寝て、朝早く起きるよう心がけています。がんばりがきくのは朝なんです。納期が迫っていても、かならず寝るようにします。原稿も、寝かせた方がいいこともありますから(笑)。徹夜で翻訳するよりも、朝3時に起きてやった方が私にはいいようです。
ご趣味は?
多摩川の傍に住んでいるので、時間が空いた時は、散歩に行きます。自転車で出かけることもあります。ずっと家の中にいると太るので、なるべく外に出るよう心がけています。趣味は、俳句です。俳句の結社に入っていて、句会にも行っています。題材に自然が使われることが多いので、時間を見つけては、素材を探しに歩き回っています。もともと、知り合いに勧められたのがきっかけなんです。翻訳にも役立つよ、と言われて、面白そうだなと思いました。いろんな制約がある中で、これだ、という言葉を見つけていく作業が似ています。毎回締切り前は大変です(笑)。
集中力キープのためのタイマーと、俳句セット。
今後も翻訳者として?
はい。まだ始めたばかりで、仕事量にも変動がありますが、仕事の量が増えた時に、どれだけコントロールできるかが今後の課題ですね。趣味の時間も充実させつつ、うまく調整できたらいいなと思っています。先輩翻訳者に、「趣味も仕事の一つとして予定に組み込まないと、何もできないよ」と言われたことがあるんです。最初にそんなことを聞いたものですから(笑)、趣味もしっかり予定として入れてあります。
 現在、科学関係の出版翻訳コースを取っていて、授業のほかに、先生の下訳もさせてもらっています。いつか、自分の名前で翻訳本を出せたらいいなと思っています。そのためには、どの分野でも対応できるようにならないといけませんね。
もし、翻訳者になっていなかったら?
これまでの人生、その時その時にやれることを試してきたので、割と悔いは残っていないんです。翻訳者にもなったばかりですし。でも、もし他の人生を考えるのであれば、宇宙飛行士になりたかったです。いまだに、地元の美容師さんは、母親に会うたび「玲美ちゃんは、宇宙飛行士になったの?」と聞くらしいです(笑)。特に何かそのために勉強や行動をしたわけではなく、漠然と思っていただけだったのですが、憧れでした。逆に、それ以外のことであえば、もしよっぽどやりたかったら、今からでもやるかなと思うんです。すごく能天気ではありますが。
現在読書中
翻訳者を目指す方へのメッセージをお願いします。
私こそ、アドバイスを頂きたい立場ですが、仕事をしながら翻訳者を目指している人や、私のように英語が大学の専門ではなかった人には、いくつか経験から言えることがあるかもしれません。まずは、翻訳とは一見何の関係もなさそうに見えることでも、全て経験だと思ってください。どんな仕事でも、人から見ると、やったことのない経験になります。あとは、それをうまくPRすることだと思います。こんなの大したことないわ、と自分で決めてしまわないこと。履歴書にまとめていると、あ、私これもできるんだと自信になります。後から振り返ると、意外と役に立つことってたくさんあります。事実、私がそうだったので。何でも勉強だと思って、がんばってください。
会社員を辞めた今だからこそ、こんな風に考えられるようになってきたんだと思うんです。勤めていたときは、「なんでこんなことやってるんだろう。英語がやりたいのに」、と思ったこともありました。そんな時、年上の人に、「何だって勉強。どんな状況でも、そこから勉強しようと思えばできるんだから」と言われて、なるほどと思いました。実践できているかどうかは分からないんですが、そうありたいと思っています。
あとは、行動あるのみ、ですね!
編集後記
一言一言、言葉を大切に選びながらお話される様子から、熊谷さんのお人柄が伝わってきます。時々、はにかむような笑顔がとっても素敵で、私もふんわりした気持ちになりました。冒頭の俳句は、熊谷さん(俳号:かりん)によるもの。今日も太陽の下、川べりを散歩していらっしゃるのでしょうか。
熊谷玲美さんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください

Vol.19 翻訳者は成果物が全て

[プロフィール]
Mari Hodgesさん
マリ・ホッジェス

米国カリフォルニア州出身。17歳の時に初来日、飛騨高山の高校にて1年間学ぶ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校社会学部在学中、同志社大学に1年間留学。大学卒業後、在日・在米の日本企業にて通訳・翻訳者として勤務。現在はアルゼンチンに滞在し、フリーランス翻訳者として活躍中。

言葉に対する興味は昔から強かったのでしょうか?日本語を勉強しようと思ったきっかけは?
高校生の時は、ラテン語を勉強していました。ラテン語を学ぶと、英語の理解も深まりますし、スペイン語も少しは分かるようになるかなと思って。
ちょうどその頃、我が家では、アメリカに修学旅行でやってくる日本人学生をホームステイ先として受け入れていたんです。学生たちと仲良くなったことから、日本語を勉強してみようかなと思い、近くの大学で開講していた日本語講座を受けました。最初の授業のことは、今でも鮮明に覚えています。日本人の先生が、ミッキーマウスとミニーマウスの人形を持ってきて、「こんにちは」、「はじめまして、僕はミッキーです」と日本語で言ったんですよ。何のことやらさっぱり分からなくて、クラス中がパニック(笑)! 「英語じゃないから分からない!」と思いましたね。そしたら先生が、「もう一度やるから、よく聞いてください。ミッキーは何をしていますか? 」と言うんです。落ち着いて聞いたら、何となく挨拶のようなことを言っているのかなというのは分かりましたが。ここから私の日本語人生が始まったんです。
17歳の時に、初めて日本にいらっしゃったようですね。
ホームステイしていた日本の友人に会いたかったし、日本にも一度住んでみたいなと思っていたので、高校卒業後、ロータリークラブの奨学金を得て留学しました。留学先は、飛騨高山の高校です。1年間のプログラムでしたが、大変充実した毎日でした。日本に着いたばかりの頃は、それこそミッキーの挨拶ぐらいしかできませんでしたが(笑)、幸い担任の先生が英語のできる方だったので、毎日日本語の個人レッスンをお願いすることができました。自宅では参考書とにらめっこし、道を歩いていて耳に入ってきた不思議な言葉は必ずメモして先生に尋ねるようにしました。期間が1年間と限られていたので、とにかく「日本人になってみる」という思いで、いろんなことに取り組みました。お茶、お花、剣道そして柔道を習ったんですよ! 大変なこともありましたが、毎日が新しい発見の連続でした。
その後、大学時にも1年間日本に滞在したんですよ。
その頃は、日本語を使って仕事をしようとは思っていなかったんですか?
もともと日本語に興味を持ったのも、友達と仲よくなりたかったからなので、そこまで真剣に「仕事で日本語を生かそう!」とは考えていませんでした。大学生の頃、カリフォルニアではかなりの日本語ブームが起こり、大学の日本語クラスには、何百人という学生がいました! 学生の多くは経済学専攻で、日本語を勉強するのも将来のことを考えてのこと。でも、その頃の私は、ビジネスにはあまり興味がなく、単純にもっと日本語が話せるように、そしてもっと読み書きができるようになりたいと考えていました。
漠然と思い描いていた当時の夢は、企業にてカウンセリング的な仕事をすることです。人と人が一緒にうまく行動できるよう、何か手助けができればと思っていました。例えば、アメリカで働く日本人が、うまく皆と溶け込めるよう、またはアメリカ人がうまく日本社会に溶け込めるような環境づくりという感じでしょうか。
大学時に、NHKビデオ基礎英語にご出演されたと伺いましたが。
そうなんですよ(笑)。大学の先生の紹介だったのですが、アメリカで面接がありました。当時の私の日本語には飛騨弁が残っていたらしく、「こういう人がいたら面白いんじゃない? 」と番組制作側が思ったようです。スキットに出てくる文法を解説するのが私の役目でしたが、当時の私にはあの長い台詞を覚えるのは非常に難しかったです。それから、なんとも不思議な衣装をとっかえひっかえ着せられ妙な気分でした。その後、日本の書店でNHK教材のビデオパッケージに自分の顔が載っているのを見つけた時には、顔から火が出るほど恥ずかしかったです!もはや市場に出回っていないことを祈るばかりですが......(笑)。
大学ご卒業後の進路は?
東京で、日本の自動車メーカーに就職しました。マーケットリサーチが主な業務でしたが、日本語力を買われ、社内会議の通訳や翻訳も担当しました。これをきっかけに、何となく翻訳って面白いなと思い始めたんです。その後NYに引越し、日本の精密機器メーカーにて、会議での通訳や技術関係の翻訳を経験しました。その後、日本の新聞社に移ったのですが、ここでは人事担当として働くことができ、大学生の頃から思い描いてきた夢に近い仕事を経験できたことは大きな喜びでした。マネージャーは全て日本人でしたが、米国人社員もいたので、その間に立って仕事をするのは大変面白かったです。
その後、アルゼンチンに引っ越し、現在に至っています。
NYに引っ越した時、本当はフリーランスで翻訳をやろうかなとも思ったんです。ただ、サラリーマンの方がやっぱりお給料も保障されていて、環境も安定しているし、毎週きちんとお休みがあって、保険もカバーされているということを考えたときに、こわくなったんです。フリーになるということは、これまで当たり前のように感じていた環境がなくなるということですから。また、NYという新しい土地に対する不安もあり、まずは企業に勤めようと思ったわけです。それが変わったのは、アルゼンチンに引っ越してからでしょうか。きっかけは特にないのですが、ある時、何かがふっきれたというか。
通訳者になろうとは思いませんでしたか?
企業で働いていた時には会議通訳を多く経験しましたが、フリーランスになった今では、場所もアルゼンチンということもあってか、通訳の機会はそれほどありません。もし機会があれば、今後もやってみたいと思っています。ただ、性格的には翻訳の方が向いていると思います。通訳は、いろんな人に会うことができ、とても楽しい仕事ですが、個人的にはじっくり落ち着いて言葉を選んでいく方が好きです。
アルゼンチンに引っ越した理由は?
2001年にアルゼンチンに移りました。何度か旅行で訪れていて、とても気に入っていたことと、私自身ダンスが好きなので、それなら1年ぐらい住んでみるかと思ったわけです。といいつつ、もう5年になるんですが(笑)。最初の3年間は現地にある日系企業で働きました。日本語とスペイン語の翻訳もしていましたが、プロジェクト・マネジャーとしてメインの業務は別にありました。そうそう、仕事ではスペイン語を使うんですが、最初は悲鳴をあげたくなるぐらい分かりませんでした。事前に勉強はしていたものの、いざ着いてみると、現地の人の話すスピードにはついていけないし、スペイン語は国によって少し異なるので、何がなんだかさっぱりわかりませんでした。最初は週に3-4回個人レッスンを受けて、何とか日常生活を乗り切りました。午前中は皆の話していることも何とか分かるんですが、午後になると頭が疲れてきてもうダメ......(笑)。5年経つ今では、ほぼ問題なく話せるようにはなりましたが。行動的だと周りには言われるものの、単に何も考えていないだけなのかもしれません。自ら大変な道を選んでしまうようです。
お好きな分野は?
ビジネス関係、その中でも、人事・経営関係の翻訳は特に好きですね。社内規則や契約書の翻訳依頼があると、わくわくしてしまいます。
今だから話せる翻訳での失敗談は?
株主総会報告書を翻訳していた時のことです。エージェントからは、「このページだけ訳してください」と指定があったのですが、翻訳し始めたら夢中になって、すっかりそのページ指定を忘れて全部翻訳してしまいました。訳しながら、「この分量でこの納期なんてありえないじゃないの! 」と一人でつぶやいていましたが、本来は、全体の3分の1の量でよかったんですよね(笑)。納品後、エージェントから「申し訳ありませんが、頼んだのはこのページだけなので、お支払いもこの分だけになります」と電話が! 事実を知って、自分のことながら呆れました。依頼のメールはきちんと読まないといけませんね!
マリさんの強みは?
分野で言えば、人事・マネジメント関係が強いということ。興味を持っている、またその分野での実務経験があることから、言葉選びの感覚と資料の作り方は心得ています。
性格的には、細かいことにまでこだわるということでしょうか。プルーフリーディングの仕事を頂くこともありますが、翻訳された原稿の中には、とても成果物として出せないようなクオリティのものもあります。一体どうやってこれで翻訳者として仕事をしているのだろうと思ってしまいます。例えば、すごく簡単な仕事があったとして、すぐに翻訳が終わったとします。でも、もしその中に1箇所でも納得できない表現があったとしたら、私は一日かけてでも他にいい表現がないか考えます。決して効率的な仕事のやり方ではないかもしれませんが、一度頼まれた以上、いい加減な翻訳を提出することはできません。やっぱり、細かいところまで調べてこそプロだと思うんですよ。例えば、インターネットで調べて分からなければ、別の方法を考えるべきです。
 プルーフリーディングの仕事をするまでは、他の翻訳者が一体どのくらいのクオリティのものを出しているのかは分かりませんでした。もちろん、素晴らしい翻訳者はたくさんいますが、逆に愕然とするようなレベルの人も翻訳者として働いているのだなということが分かりました。大切なのは、訳した後に、全体を読んで自分でちゃんと理解できるかどうか。一箇所でもつまづくようなところがあれば、それは成果物としての基準を満たしていません。性格かもしれませんが、早めに納品した後に、「あ、あの言葉って」と気になったので、書き直して納品したこともあるんですよ(笑)。
今の1週間のスケジュールは?
毎週違うので、一概にこうですとは言えません。朝から翌朝まで翻訳していることもあれば、毎日6時間と決めているときもありますし、その時の仕事量にもよりますね。ただ、ずっとパソコンの前にいると疲れてくるので、多くても1日8時間にしようと努めています。身体も大事にしないといけませんからね。
仕事以外でも、できるだけいろんな活動をするよう心がけています。一人で家の中にいるのは、心身ともによくありませんし、翻訳をしていると時間の感覚も無くなってしまいがちです。ふと気づいたらご飯を食べていなかったり、身体の節々が痛かったり(笑)。会社勤めをしていた頃と違い、夜や週末に仕事をするのが当たり前になっています。そうそう、私は日本のエージェントから仕事を頂くことが多いので、時差を調節するために、夜から早朝にかけて仕事をし、昼間寝るという生活をすることもあります。
ご趣味は?
ダンスです。今はタンゴを習っています。その他に、自分でもダンスを教えているんですよ。ブラジルの踊りでズークというものです。それから、時間が空いたら友達と会ったり、飼っている2匹の犬と遊んだりしますね。
今後のキャリアプランは?
今の生活には大満足しているので、これからも翻訳者でいます!たまに、「次はどこに住もうか」と考えるんですが、ロンドンなんか面白いかもしれないと思っているところです。日本にもまた住みたいですね。たまに旅行や短期滞在で日本に行くと、あぁもっと長くいたいなぁと思ってしまいます。でも、フリーランスなら、パソコン環境さえあればどこにいても大丈夫ですよね。今はアルゼンチンでの生活が楽しいですし、将来自分がどこにいくかは全く考えていません。今のことしか考えていないんですよ。アルゼンチンの人には、いつも聞かれるんですけどね。「いつまでいるの? 」って(笑)。
翻訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。
私も過去にアドバイスされたんですが、とにかくたくさん読み、たくさん書くことです。また、分からないことがあっても、まぁいいやとか、このくらいならいいだろうとは思わないこと。納得のいくまで努力してください。それがひいては自分にかえってきます。翻訳という仕事は、少し語学ができると簡単に請けてしまう人もいるかもしれませんが、気をつけて頂きたいと思います。もちろんお金を支払う人が決めればいいことなのですが、やっぱり「それなりの仕事」になってしまうのではないでしょうか。また、翻訳者になるのに、特に資格は必要ありませんよね。大学の頃、どうして日本語を専攻しないのかと聞かれたことがありましたが、私には「日本語ができるという証明書」は特に必要ありませんでした。もちろん、自己啓発のために資格を取るのは素晴らしいことだと思いますが、もしなくても、翻訳ができるかできないかは、成果物を見れば一目瞭然ですよね?
編集後記
地球の裏側、アルゼンチン在住翻訳者さんへのインタビューをお届けしました。時差をうまく利用して仕事ができるのも、在宅翻訳ならでは。「日本語ができるという証明書は必要なかった」との台詞には感動しましたが、その言葉の重みを一番知っているのもマリさんご本人なんだろうなと思いました。今頃アルゼンチンは何時でしょうか......?
Mari Hodgesさんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください

Vol.18 きっかけは身近なところに転がっている

[プロフィール]
小竹真理子さん
Mariko Kotake

経歴:慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、大手証券会社国際部に秘書として勤務。1988年より在宅翻訳を開始、機械関係を中心に、通訳者としても経験を積む。その後、オンサイト翻訳を経て、現在はフリーランス通訳・翻訳者として活躍中。その傍ら、某米国ベンチャー企業の東京事務局長も務め、子育てと共に多忙な毎日を送る。

英語との出会いは?
言葉に対する興味は、昔から強かったと思います。小学生ながら、机の上には必ず国語辞典を置いておかないと気がすまないような子供でした。新しい言葉に出会うと、「ねぇ、それどういう意味? 」と尋ねていましたが、親や学校の先生に聞いても満足のいく回答が得られない場合もあり、それなら自分で調べてみるかと。「分からない」ということが、ものすごく歯がゆかったんだと思います。
英語との初めての出会いは、テレビ番組「セサミストリート」です。初めて日本で放送を開始した時に、母親が見せてくれた番組なんですよ。画面に様々な三角形が次々と出てきて、'triangle'という音が聞こえてきたんです。「トライアングル......? じゃあ、音楽で使うあのちーんと鳴らす楽器も三角形だからtriangleというのか」と、外国語の音と物が初めて頭の中で合致した瞬間でした。そこから興味を持ちましたが、実際に英語の勉強を始めたのは中学校からです。成績がいいわけでもなく、発音も苦手でした。「あぁ、今日は当たらないといいなぁ」と毎回思っていたんですよ(笑)。
大学ご卒業後の進路は......?
法学部だったこともあり、大学ではそれほど英語そのものを勉強しませんでしたが、外国映画や洋書にどっぷり漬かっていました。映画に関しては、小学校の頃から毎日欠かさずテレビで洋画劇場を見ていました。今のように、ビデオやDVDが流通している時代ではないので、私にとっては非常に貴重な番組だったんです。洋書を読み出したのは、18歳頃からです。といっても、'Charlotte's Web'のような児童書で、本人は英語が出来るつもりでいるんですけど、実際はそうでもなかったという時代です(笑)。
卒業後は、証券会社に入りました。女性の総合職一期生のような時代だったので、四年制大卒女性の採用はほとんどなかったんです。何十社と受けても不採用の連続で、ある時もう履歴書に貼る写真が無くなってしまいました。仕方なく、その辺で適当に撮ったガハハ笑いのスナップ写真を貼り付けて送ったら、なんと採用! それが、証券会社でした。国際部担当役員の秘書だったので、英語の文書を読んだり、国際電話の対応をしたりと、少しではありましたが英語に接する機会はありました。
通訳・翻訳の仕事をするようになったきっかけは?
結婚して静岡に越したので仕事はやめましたが、何か自分で出来ないかと模索する日々が続きました。そんな時、登録していた派遣会社から連絡があり、「某大手企業の静岡工場で新プロジェクトが立ち上がるから、通訳として入りませんか? 」と言われたんです。耳を疑いましたね(笑)。要するに、東京から毎回高いお金を出して通訳を雇う余裕はないから、誰か静岡で英語が出来る人間はいないか? ということだったらしいのですが、当の本人はびっくり。
 最初は本当に分からないことだらけで、言っていることの半分も理解出来ませんでした。工場なので、エンジニアが何をやっているかは目で見れば分かります。でも、通訳が必要とされるのは、もっと細部についてなんです。専門的な化学用語に泣きましたが、ここで鍛えられたお陰で、その後は技術用語が苦にならなくなりました。いろんな人に助けられ、育てて頂いたと思っています。少し慣れてきたかなと思っていた頃、「オランダでプロジェクトが立ち上がるから、翻訳をやってくれないか」と頼まれました。普通であれば、こんな素人に専門的な翻訳を頼むはずがないのですが、たまたまいいタイミングだったんでしょうね。この偶然が重なったお陰で、今の私がいるんですよ。ここで学んだことは、今でも非常に役に立っていて、本当に貴重な経験をさせて頂いたと思っています。
それをきっかけに、この世界へ?
そうなんです。プロジェクト通訳の経験が目をひいたのか、その後は息つく暇もないぐらいに、いろんな仕事を紹介して頂きました。中でも某IT企業での仕事は非常に印象に残っています。オンサイト翻訳者として入りましたが、ちょうどPC98がヒットする直前で、マッキントッシュになるのか、ウィンドウズになるのか、そしてIBMまでOS開発にのりだしたりと、とても面白い時期でした。当時はまだワープロが優勢で、もちろん家庭にはパソコンなんて普及していませんし、マウスは研究対象の人しか使えなかったんです。そんな時に、いち早く最新機器に触れることが出来たことは私にとって大きな財産です。もちろん、最先端の機器を扱っているわけですから、文系畑の私にはちんぷんかんぷんなこともたくさんありました。そんな時は、周りのエンジニアの方に助けて頂き、代わりに私が彼らに英語での交渉術を伝授するなど、面白い関係が成り立っていました(笑)。振り返ってみると、当時は子供も小さく毎日バタバタしていましたが、刺激的な毎日でした。
その他に、印象に残っているお仕事は?
オペラの通訳です。未知の世界を垣間見ることができ、とても思い出深い仕事です。使う用語も新鮮で、例えば「金魚鉢」という言葉。舞台の向かいには、照明や音響を管理するオペレーティングルームがあり、そこを「金魚鉢」と呼びます。ある日、その金魚鉢に芸術家っぽい雰囲気の人がやってきたんです。一体この人は何をする人かしらと思っていたら、なんと「キュー」出しをする人だったんですよ。場面ごとの照明は、プログラムを組むのでボタン1つで切り替わりますが、舞台の進行スピードは当日の指揮者の振り方によって異なります。そのために、金魚鉢の中では指揮もできるような人がスコアブックを追い、キューを出すんです。こういう仕事もあるのか! と感激しました。また、リハーサルのためのピアノ伴奏者や、コーラスのみの指揮者がいることも初めて知りましたし、本番の指揮者は、最後のドレスリハーサルになって初めて現れるということは驚きでした。本当にいろんな人が関わって、一つの舞台が出来ているのだなぁと感動し、オペラがなぜあんなに高いのかということがようやく分かりました(笑)。
そうそう、この間私もキューを出したんですよ! ある大きなイベントで、外国人スピーチの際にスライドを使用したのですが、舞台裏のオペレータが英語が分からず、どのタイミングでスライドを替えていいのか分からないということで、私がスピーチ原稿を目で追い、キューを出すことに。楽しかったですが、そのスピーチには笑いを取るところがあり、タイミングを間違えると台無しになるので責任重大でした。
子育てと仕事の両立は?
まさにこれからキャリアを積もう! と思っていた矢先の妊娠でしたが、ここが踏ん張り時だと思いました。私が人に自慢できることがあるとしたら、「諦めないこと」でしょうか。ダメかもしれないとは思わないんです。例えば、子供が病気で預け先もないという時でも、「きっと誰かいるはずだ! 」と考えるんですよ。以前、どうしてもやりたかった仕事がありましたが、その仕事を請けてしまうと保育園のお迎えに間に合いません。でもどうしてもやりたい! そこで考えたのは、「近所の人にお金を払って預かってもらう」という荒業。そうと決まればやるしかないと、上の子供の小学校名簿を引っ張り出してきて、預けられそうな人に片っ端から電話をかけました。結果、2人のお母さんでシフトを組み、お迎えをして頂くことが出来ました。
私の場合、いつも直感で「大丈夫」と思うので、仕事が出来なくなるかもしれないと不安になったこともなく、遊びや楽しみも大事にしたいので、二人目の子供がお腹にいる時なんて会社を休んで海外旅行に出かけました。感じ方に個人差はあるかもしれませんが、子供は大きくなりますから、あぁもう大丈夫と思える時が必ずくると思います。それまでは仕事復帰の日を待ちつつ準備をするのもといいと思います。もう無理だ、とは思わずに長い眼で見るといいのではないでしょうか。
出産を決めた時に、「キャリアを無駄にするのか」と言われたこともありましたが、今ここで産まなければ絶対に後悔すると分かっていましたし、実際に産んでよかったと思っています。例えば、仕事を「正社員」というくくりで考えるのであれば、私は成功例ではないかもしれませんが、通訳・翻訳においては何よりも実績が物を言います。また、私の場合は出産によってキャリアに傷がついたということはなく、逆に仕事を呼んできてくれたような気がするんですよ。
子育てにおける、オンサイト・在宅、それぞれのメリットをお聞かせ下さい。
在宅のいいところは、常に緊張感があること。これがダメだったら、次はこないかもしれないと思っていつも仕事をしています。毎回分野も異なる上に、限られた時間で最大のパフォーマンスを出さないといけません。夜中に出来るということも、子育て中にはちょうどいいですよね。インハウスの場合は、保育園のお迎えがあるので、毎日午後5時には会社を出る必要があり、そこまでに必ず仕事を終わらせないといけないわけです。午後6-7時まで会社にいられる人には、そこまでの緊張感はありませんよね。終わらないと帰れない、でも子供は待っているということで、常に高い緊張感と集中力を保つことが出来たと思います。いずれにしても、限られた時間でやるからこそ、濃密な時間を過ごせるのではないでしょうか。
今後のキャリアプランは?
実は5年ぐらい前から、シリコンバレーにあるベンチャーキャピタルの東京連絡事務所を担当しています。だんだんネットワークも広がってきているので、将来何かここからつなげていければいいですね。私はIT専門の技術者ではありませんが、新しいビジネスに関われるのは、なんとも胸躍ることなんです。通訳・翻訳の仕事もこのまま続けていきたいので、ビジネスと両方で良い方向に進めていければいいなと思います。
ご趣味は?
映画、料理、そして食べることです。ジムにも通っています。体力はつけないといけませんからね!
もし通翻訳者になっていなかったら?
体力系の仕事をしていたような気がします。高いところが平気なので、とび職とかがいいかもしれません。そういえば、以前ある仕事を依頼されたのも、高いところがこわくなかったからなんです。他の通訳さんは、高いところに上って通訳するのがこわいがために、下から通訳していたらしいんですよ。私はそういうことが全く苦にならないので、重宝がられたようです。契約終了の時には、「もっといてくれる? 」と言われましたし、本当に何が幸いするか分からないですね。
これから目指している方へのアドバイスをお願いします。

通訳、翻訳という言葉に少しでも反応した時点で、もう道は開けていると思うんですよ。例えば、私が他の職業に食指が動かないのは、「出来ないから」ではなく、やっぱり何か理由があるからだと思います。ですので、通訳という言葉に「ぴきぴーん! 」と反応したということは、可能性があるということです。ただ、それを「出来る」というところまで持っていけるかどうかですよね。
これを読んでいる方の中で、何もしないうちから、あれこれ頭で思い悩んで、勝手に高い敷居を設けている人はいませんか? 通訳学校を卒業したからといって、仕事が来るわけではありません。ただ待っているだけでは、「あなたは通訳です」と太鼓判おして仕事をくれるところはありません。もちろん、最初は暗中模索かもしれませんが、見晴らしの良いところにたどり着くにはにどうしたらいいか、試行錯誤してみてください。勉強が足りない、英語力が足りないということから仕事を眺めると、とてつもなく遠いかもしれません。でも、今の自分の実力で何か出来ることはないだろうかと考えてみると、また見え方が変わるかもしれませんよ。もちろん、仕事をしていく中で痛烈に自分の力の無さを感じる時もあるかもしれませんが、その時はそこから勉強して、次こそはと思うんです。私は今もその繰り返しです。

編集後記

カッコイイお母さんです! 「諦めないことが自慢です」とおっしゃっていましたが、必ずや何か道はあると信じて進む姿勢は本当に素敵でした。努力と成功は比例するのですよね、私までも背中を押してもらった気がします。

小竹真理子さんへメールを送る


弊社から転送させていただきます。
件名には「●●様」と宛先人を明記してください
内容によっては転送できませんので予めご了承ください


《 前 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次 》


↑Page Top