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タイトル 天の火
著者 高倉 やえ
出版社 梨の木舎

<著者紹介>
高倉 やえ(たかくら やえ)
会議通訳、アイエスエスインスティテユート講師。
1937年生。
福岡県立小倉高等学校、東京女子大学英米文学科卒。
43歳から3年間ISSで通訳教育を受ける。
50歳から3年にわたり、エジンバラ、ツール、カーン各大学の夏期講習で経済、法律を学ぶ。
趣味は建築、絵画、現代音楽。夫と娘二人、孫四人。

<天の火を書いて>

 会議通訳になってから二十五年が過ぎました。その間、通訳学校で教えながら、明快な訳し言葉、つまり話し言葉とは何かを考えていました。
七年前に言葉を考える一つの方法として、小説を学び始めました。

 会議通訳として仕事は様々でした。その中に原子力発電がありました。通訳をしながら原子力発電の意味をいろいろに考えていました。今年三月に東日本大震災が起こったとき、原子力産業と結んだテーマのもとで人生について思うことを書きたいと思いました。書く中で日本語の美しさも追求したいと思いました。

 長く生きなければ出会わないこと、感じないことを書くために、主人公は中年の人、それも女性にしました。女性のほうが社会的に不利な場合が多いために、より敏感に社会の矛盾を感じているからです。より感じるということは人生をより深く考えることでした。考えることは喜びを伴うことが多く、そのときには不利が恵みに変身することがよくありました。
 書いているうちにこれまでいろんなことをしてきたと思いました。子育ての後、中年から始めて社会に出るのは大変でした。いろんな勉強に挑戦しました。なかで一つだけ通訳が職業になりました。
 夢中で勉強して仕事がかなり来るようになりました。より知識を得たいと思い、夏の間は英国とフランスに留学して経済、法律を学びました。子育ての後は自由で羨ましいと、若い通訳に言われました。私には若く通訳になっていればもっと仕事が出来ただろうという思いもありました。人は置かれた状態を感謝して進むほかはないと思いました。
 働く娘に子供ができました。娘には働き続けて欲しいと思い、病気の子を預かり、会議場から保育園に駆けつける日が続きました。
 金融の仕事が多くなったとき、MBAを取りたいと思いました。多少用意を始めてみてみましたが、老境になった夫の世話の傍らでは家庭に無理が出ると思いました。母も老いて、いつでも世話のできる体制にしておかなければならない時期でした。
 人生とは何歳になってもすべきことが現れるものだとこのごろ痛感しています。お陰で保育所の人とも看護の人とも知り合いになりました。
 仕事のほうは相変らず、めまぐるしい世界の動きを反映していました。日本が世界の注目を引かなくなると国際会議の多くが外国に移りました。エネルギーを含む資源獲得競争は激しくなり、いつになっても殺し合いは収まりません。天災もどこかで起こっています。だれが動かしているか分からない世界で一人ひとりの人間は夫々の生活を守っています。人は生続けています。
 この世界でどのように人間らしく生きていくのか、毎日の生活の中で探り続けていくほかはないと思っています。

 本を出していろいろな人から手紙や葉書を頂きました。これまで多くの人と出会ったことをいまさらながらに感じました。人と出会うことで考え、育てられました。いきいきした反応を読み返すと、これまで経験したことが苦しかったことも回り道をしたこともすべてを肯定する気持ちになります。
 今回、ハイキャリアライブラリーで作品を取上げていただくことになり、大変嬉しく感謝しています。読んでくださった方と意見を交換し、また人間の輪を広げることが出来ればさらに幸いです。

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