INTERPRETATION

Vol.33 「道は自らが拓くもの」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】
寺田真理子さん Mariko Terada
幼少時から中学までを、メキシコ、コロンビア、ベネズエラにて過ごす。東京大学法学部卒業後、国際会議コーディネーターを経て、通翻訳者デビュー。その後、数社にてインハウス通翻訳を経験し、2004年にフリーランス通翻訳者として独立。出版翻訳も手がける。

Q. 帰国子女だと伺いましたが。

生まれたのは日本ですが、幼少時からメキシコに4年半、コロンビアに2年半、ベネズエラに2年間滞在しました。最終的に帰国したのが、中学3年の時です。海外では日本人学校に通っていたので、教育は全て日本語です。幼稚園だけは、現地のスクールに通ったので、スペイン語でした。スペイン語はすっかり遠のいてしまったので、今では映画を見て少し理解出来るぐらいですね。英語に関しては、大学の時にダブルスクールでサイマル・アカデミーに通ったので、その頃から真剣に勉強し始めました。

Q. 海外滞在で印象に残っていることは?

コロンビア滞在時、自宅が狙撃されました。当時は治安も非常に悪かったのですが、ある日外出から戻ると窓ガラスが割れていたんです。床には銃弾が転がり、家具は散乱していました。同じ日に隣人が誘拐されたのでその関係かと思っていたら、警察の現場検証の結果、我が家が狙われていたことが分かったんです。さすがに怖かったですよ。
とにかく早く日本に帰りたかったのですが、親の仕事の関係上、いつ辞令が出るか分かりません。結果、単身で帰国し、中学卒業までを祖父母のいる長崎で過ごしました。
日本に戻ってきて驚いたのが、家の中で靴を脱ぐことです。そして、家の狭さ。とにかく、最初はいろんなことが不思議に思えて仕方ありませんでした。

Q. 大学ご卒業後は?

在学中は映画を作ったり、劇団に通ったりという毎日だったので、就職活動はしませんでした。卒業後、そろそろ働かないといけないかなと思い始めた頃、国際会議コーディネーターにならないかとの誘いを受けました。どういう仕事なのかは全く分かりませんでしたが、英語は使えそうだし、とりあえずお茶くみが出来ればいいだろうと軽い気持ちで入社したんです(笑)実際入ってみると、毎日非常に忙しく、通訳が足りない時など私が借り出されることもありました。私が担当したのは本当に簡単なものだったのですが、この思いがけない通訳デビューで、通訳の面白さに気づかせてもらったのかもしれません。「あ、これはコーディネーターより面白いじゃないか」と(笑)クライアントと通訳の板ばさみにならなくて済むというのも大きかったですね。

Q. その後、通訳学校に?

エージェント退社後、通訳学校に通い始めたら、いきなり逐次クラスからのスタートだったんです。入門クラスからきちんと勉強してきた生徒さんが多く、難しい単語が次々とみんなの口から出てくるのには感動しました! トータルで2年通いましたが、ここでは本当にたくさんのことを教えて頂きました。

Q. 数社でのインハウスを経て、フリーランスに転身されたのですね。

最初に入った会社は非常に厳しく、4時間休憩なしで同時通訳をするのが当たり前でした。ここですごく鍛えられたと思います。その後、いくつかインハウスを経験して、2004年にフリーランスになりました。それまでに単発の仕事も請けていましたが、本格的にフリーになったのはこれが初めてです。固定収入が保障されていないという不安もありましたが、自分の興味のある仕事ができることが嬉しかったです。通訳の他に、翻訳や商品ネーミングの仕事を頂くこともあるので、フリーになってよかったと思っています。今は、通訳・翻訳・ネーミング・出版と四本柱でやっているんですよ。

Q. 印象に残ったお仕事は?

あるオランダ人映画監督の雑誌インタビュー通訳です。麻薬が合法な国ということもあってか、インタビュー中、麻薬がいかに素晴らしいかを語るのです。「お酒の方がよっぽど危険なんだ。お酒を禁止して、麻薬を解禁するべきだ!」と……。社内通訳の場合は、会議内容もある程度予想出来ますが、こういったことはフリーならではのハプニングといいますか、訳しながら内心ひやひやしました。

Q. 今だから言える失敗談は?

日本語から英語に訳すはずが、間違えて日→日をやってしまうことです。普段は別として、あまりにハードな会議で頭が疲れているときは、メモを見ただけだと、これを日本語にするのか英語にするのか分からなくなることがあるんです。そうなると、無意識に日→日をしているようです。本人はいたって真剣なんですが、隣で外国人がぽかーんとしているのを見ると、「あれ?せっかく通訳したのに聞いてないのかな」と勝手に勘違いして(笑)通訳仲間からも、同じ話を聞いたことがあります。

Q. 得意分野は?

一番長かったITでしょうか。システム開発や基幹システム構築の通訳を担当しました。私自身はかなりアナログで、機械を見ると固まってしまいます。大分ましになりましたが、昔はフロッピーを二枚同時に入れようとしたこともありました。まぁでも通訳となると、また別ですよね(笑)?

Q. 出版翻訳を手がけるようになったのは?

認知症を抱える女性の本を読んだことがきっかけです。どうしてもその人に会いたくなって、コンタクトを取りました。ありがたいことに、実際にお会いするチャンスも頂き、その時に繋がりが出来たNPO団体の方に、大学教授を紹介して頂いたんです。「翻訳したい本があるのに、自分は時間がなくて」とおっしゃるので、私が翻訳させて頂くことになりました。
これまで経験してきた実務翻訳とは比べ物にならないくらい、日本語の処理に苦労しました。外資系企業にいたこともあり、ほぼカタカナのような言葉で通訳することも多かったのですが、今回は勝手が違います。認知症とその介護がテーマということで、読者もおそらく年齢層が高いのではないかということ、カタカナ日本語にも縁がないだろうと思いました。それなのに、「スキル」や「ナーシングホーム」という言葉を使っても、読み手には伝わりません。日本語の表現には細心の注意を払いました。
大手出版社のように派手な広告はなかなかできませんが、少しでも誰かの助けになればと、認知症に関係のあるところにはなるべく足を運び、営業部員のつもりで動いています。

Q. 休日はどのようにお過ごしですか?

絵が好きなので、ギャラリーや個展に行くことが多いですね。それから読書。仏教と万葉集の勉強も始めました。大好きな作家のエッセイに、万葉集のことが書いてあったので、興味を持ったのがきっかけです。直接お会いしたいなぁと思っていたところ、なんと万葉集の講座を開いているということが分かったので早速申し込みました。興味のあることに限っては、行動的なんです(笑)

Q. 今後のキャリアプランは?

これまで通訳メインでやっていましたが、少しずつ他のことにも手を広げ始めているので、それぞれが実になるといいなと思っています。私自身、通訳一本だと何となくバランスが取りづらく、つらい時もありました。コーディネーターを経験したからかもしれませんが、「フリーになっても、お高くとまった通訳にはならないでおこう」と思っていたのに、だんだん自分がそうなっていく気がして、これはよくないなと思ったんです。
もちろんこれからも通訳は続けていきますが、自分からも何か発信したいんです。今は、そういう意味で非常にバランスがとれていて、どれも楽しみながらやっています。欲を言えば、経済的なことをもう少しがんばらないといけませんね!

Q. もし、言葉を使う仕事に就いていなかったら?

アングラ劇団でしょうか。もう劇団には所属していませんが、言葉の道に進んでいなければ、お芝居を選んでいたかもしれませんね。
7つ道具と、現在読書中の本。

Q. これから通訳者を目指す人へのメッセージをお願いします。

まずは人間性、これが一番大事なのではないでしょうか。通訳は特殊な仕事なので、非常に頭を使いますが、疲労も特殊なので、なかなか理解してもらえません。こういう環境にいると、近視眼的になっていきやすいので、そうならないようにしてほしいですね。
それぞれ自分に合ったやり方で、自分の通訳道を開拓してください。狭き門と言われ、くじける人も出てくるかもしれません。学校では、会議通訳が通訳ピラミッドの頂点、のように言われることもありますからね。「みんなでここを目指すんだ!」みたいな。私自身、学校で学んだことは本当に大きいですが、あまりに学校が全て! と思い込んでしまうと、狭い通訳観に縛られてしまうこともあるかもしれません。既存のやり方が自分に合わなければ、新しい方法で道を開拓していくのもアリですよね? 好きで続けていけば、何らかの形で仕事に繋がっていくのではないかと思います。できることなら、楽しく勉強してください!

<編集後記>
みずみずしく可憐な花のような方でした。その向かいに座る私は、相当しおれていたようで、カメラマン中岡にも「二人が違いすぎる!」と笑われる始末。さておき、自分の通訳道を開拓する、素敵な言葉だなと思いました。道がなければ、自分で切り開くのですね!

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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