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放送通訳者直伝!

第362回 尊敬する人との出会い

毎年夏の初めに楽しみにしているものがあります。文庫本の冊子です。出版社が夏のおすすめ本としてまとめている、「〇〇文庫の100冊」という類のものです。店頭に置かれているので、目にした方も多いでしょう。

夏はまとまった休みがとれますので、読書には絶好の機会です。あの冊子は私が子どものころからあるのですが、自分なりの課題図書として活用してきました。振り返ってみれば、昔は芥川龍之介や夏目漱石、森鴎外に壷井栄といった文豪の作品がたくさん掲載されていました。しかし、時代の流れなのでしょう。最近は若手作家の本が増え、昔の「日本文学」は少なくなっています。それでも、今の時代の文学作品を知る上ではとても役に立つ冊子です。

ところで雑誌に出ている著名人インタビューを読む際、私が注目している質問があります。「尊敬する人は?」という問いです。その答えというのが様々で興味深く思うのです。偉人の名前を挙げる人、自分と同じ分野の大先輩の名前を口にする人など、同じ「尊敬する人」でも個々人の価値観が反映されています。

中でも多いのが「両親」という答えです。自分を育んでくれた父母への思いが伝わってきます。「幼いころ父にこういう言葉をかけてもらった」「母がいつもおいしい食事を作ってくれた」など、それぞれが両親への愛を語っているのがわかります。かけがえのない存在であることが感じられます。

ただ、私はこうも思うのです。「ぜひ親以外にも尊敬する人を持ってほしい」と。

なぜなら、両親の場合、ずっと共に過ごしていますので、価値観や物事の考え方というのは身近にあるからです。親の嗜好や趣味、愛読書なども必然的に自分には近い存在になっています。一方、家族以外で尊敬する人がいれば、自分の世界もさらに広がるように私は思うのです。

私には尊敬する人が6名います。3名は読書を通じてでした。たまたま読んだその著書に感銘を受けたのです。夏休みなどの長期休暇に読んだ本もあれば、社会人になった直後、通勤電車の中で読んだ本もあります。その一冊がきっかけとなり、その著者の本を読破したいと思うようになりました。さらにご本人がどのような本を読んできたのか、どんな音楽や美術を愛好していたのかなどにも興味を抱くようになったのです。著者の「追っかけ」をすることで、私の視野が大いに広がったと感じます。

一方、もう3名は実社会における出会いがきっかけでした。仕事を通じて知り合ったケースもあれば、たまたま出かけた講演で感銘を受けたこともあります。友人宅でお母様とお話するうちにとても感銘を受けたこともあります。いずれもふとしたきっかけにより「尊敬する人」ができた瞬間です。

故人であれ現役の方であれ、尊敬する方の出会いというのは、自分のその時の心理状態が大いに左右すると思います。とりわけ私の場合、悩みのさなかであったり、停滞期であったりという時ほど、そうしためぐり逢いに感動します。自分の中で突破口を見出したい。けれどもなかなかできない。そのような時期こそ、出会いにより光が差し込み、一歩踏み出す勇気をいただけるのです。

8月は始まったばかり。読書や実生活の中で、みなさんにも素晴らしい出会いがきっとあるはずです。どうか有意義な夏休みをお過ごしください。

(2018年8月6日)

【今週の一冊】
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「世界のしおり・ブックマーク意外史」 猪又義孝著、デコ、2017年

私は昔から「紙媒体のもの」が好きです。紙新聞、紙の本、紙の切符、紙地図など、挙げ始めたらきりがありません。電子書籍が誕生した当初、画面上に「しおり」を挟むことができると聞き、今一つ実感がわきませんでした。その後、手持ちの電子辞書にも文学作品が搭載されていることを発見。やはり「しおり機能」があったのですね。希望の場所をクリックすると、その部分が別の色でハイライトされるのです。それが電子辞書上のしおりなのでした。

紙の本の場合、しおりを挟み、本を立てて上から眺めると自分がどこまで読んだかが分量でわかります。大作を頑張って読み進めていると、「もうここまで読んだのか」とうれしくなります。読み終えてしまうのが惜しい本の場合「あと少しで読了なのね」と一抹の寂しさを感じます。しおりは読書のモチベーションに一役買ってくれるのです。

今回ご紹介するのは、世界のしおりを集めた一冊です。自費出版本です。この本を知るきっかけとなったのが、日経新聞の最終ページ「文化欄」に紹介されていた記事でした。著者の猪又氏がしおりへの愛をつづった文章でした。

世界各地に目をやると、いかにたくさんのしおりがあるかが分かります。手のひらよりも細いサイズのしおりは、小さな芸術作品です。風景画あり、歴史的絵画あり、広告ありと、その多様性に驚かされます。書店独自のしおりも面白いですね。本書は全編カラーで、私自身が子どもの頃に見たことのあるしおりもいくつか掲載されていました。中でも325ページに出ていた「にりんそう」のしおりは、幼少期の実家の本に挟まれていたと記憶しています。押し花がそのまましおりになっているのです。

現在も新書や文庫本にはその出版社のしおりが入っています。書店で本を買えば、オリジナルしおりを入れていただけるかもしれません。たかがしおり、されどしおり。本好きにとってはたまらないアイテムです。



第361回 好奇心さえあれば

前にも書いたことがあるのですが、私は通訳デビューした直後、今でも忘れられない経験をしたことがあります。それは「ドタキャン未遂」です。

安定した会社員生活に別れを告げ、フリーランスで本格的に生きて行こうと私は決断をしました。そして100社ほどの通訳エージェントに履歴書をひたすら送る生活をしていたのです。その中でようやくご縁があった会社からお仕事を依頼され始めた時期のことでした。

その時に依頼されたのは、私にとって難易度の高い技術系の通訳案件でした。それなりに予習はしました。単語帳も作り、参考文献も読みました。けれども本番の前日、どうしようもない不安に駆られたのです。いてもたってもいられず、私は真夜中にそのエージェントに電話をかけました。「やはり私には無理です。降ろさせてください。」そう言おうと思っていました。

ところが時間が時間でしたので、オフィスには誰もおらず、呼出音は鳴り続けるばかり。仕方なく私はあきらめ、翌日、暗い気持ちのまま現地に向かったのでした。

結果的には私の不安も杞憂に終わりました。仕事からの帰路、「やはり断らないで良かった。もしそのようなことをしていたら信頼はガタ落ちになったはず。そんなことをしてしまったら、夢にまで見た通訳者の世界に私は二度と入れないだろう」と痛感したのでした。

あの体験があったからなのでしょう。通訳の勉強に日々取り組む際、私は「好奇心」をキーワードに進めることにしました。何事に対しても関心を抱くこと。面白いと思う心を持とうと決めたのです。そうして学び続けて行けば、きっと将来、どのような内容の依頼を受けても食わず嫌いにならずお引き受けできると思ったのです。

気になる本は手に取って読む、面白そうな記事を見つけたらスクラップする、知らないことは人に聞く、という具合に、「わあ、楽しそう!」「へえ~」という気持ちを大事にするようになりました。

その一環として、日常生活で出会う様々な事柄もすべて自分の学びにつながると信じています。たとえば先日のこと。電車に乗った際、警告表示に目をやりました。ちなみに私は電車内の広告なども勉強道具と思っています。

注目した警告表示文は緊急停止ボタンの横に書かれていました。英語で"If the button is pushed, the train stops"とあったのです。「ボタンを押すと電車が止まります」という意味です。

この文章をもっとシンプルにして、真剣さ溢れる(?)文章に書き換えるとしたら、自分ならどうするか考えてみたのです。と言いますのも、受け身の文章が何となく気になったからです。あれこれ考えながら行き着いたのが次の文章です:

Press button to stop the train

さあ、この後はインターネットで検索です。自分の作った文章が英語圏でも通用するか調べるのですね。同様のボタンをグーグルで画像検索し、英語圏の鉄道会社に絞り込んでみたところ、いくつか見つかりました。

たとえばロンドンの地下鉄の場合、Emergency Train Stopと大きいフォントで書かれています。箱型の停止ボタンで、蓋を開けて作動させる仕組みのものです。先の文の真下にはOpen door and press button to stop trainと出ていました。trainの前に定冠詞がないのも特徴です。

さらにその下の行にはYou are being filmedとあります。不適切な使用をけん制する上で、監視カメラが作動していることを知らせているのがわかります。

このようにして、表示文を自分の英語学習の道具にするのも、私にとっては楽しい作業なのですね。勉強というよりも、娯楽になりつつあります。

他にも電車内ではキャッチコピーを英訳したり、週刊誌に出ている見出しの数字を英訳したりすることもあります。頭の中だけでなく、こっそりと口パクで唱えることも少なくありません。勉強というのは何も教室に限ったことでもなく、教師や仲間、テキストなどがなくても意外と工夫次第で何とかなるというのが私の持論です。まだまだ私自身、試行錯誤をしていますが、あくまでも好奇心さえあれば日々を楽しく過ごせる。そのことを幸せに思います。

(2018年7月23日)

【今週の一冊】
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「大人の語彙力ノート」 齋藤孝著、SBクリエイティブ、2017年

通訳の仕事をしていると、どれだけ豊富な語彙を持っているかでアウトプットにも多くの差が出ることを痛感します。特に放送通訳の場合、いつも同じ語句ばかりを使っていると、視聴者にとっては稚拙に聞こえかねません。たとえば私がよく言いがちなのが「~ということです」「とても」「さて」などの連呼です。自分では「あ、さっきもこの言葉、使ったっけ。何か別の語に言い換えねば」とは思っています。けれども同時通訳をしていると、そこまでバリエーションに気を配る余裕がありません。いつもオンエア後に反省ばかりしています。

そのような私がとても重宝しているのが類語辞典や表現辞典です。言い換えをできればできるほど、そしてそれを同時通訳の瞬間に口から出せるほど、自分としても満足度の高いパフォーマンスができます。そのためにも日々の努力が欠かせないのですね。そうした方にぜひお勧めしたいのが本書「大人の語彙力ノート」です。

著者の齋藤孝先生は日本語関連の書籍の他、ビジネス書や文学、スポーツ、身体論など多様な本を出しておられます。昨年発売されたこの本は日常生活でつい使いがちな表現を、いかに洗練された言い回しにするかが事例として豊富に載っています。

たとえば「考えます」もたくさんの同類表現があります。「考慮する」「考察する」「知恵を絞る」などはその一例です。「当日は都合がつきません」も「残念ながら」「運悪く」「折悪しく」など、実は結構あるのですよね。このようにして眺めてみると、日本語は実に豊富な言語であることを改めて感じます。

ところで本書に出ていた「ご査収ください」という表現。これには私自身、赤面するような思い出があります。社会人1年目のとき、配属先の営業部で他社へ資料をお送りしたときのこと。送り状に「ご査証ください」と書いてしまったのです。そう、査証はビザのことですよね。自分では「難しい用語が使えた。よーし!」と大得意になっていたのですが、ポストに入れてからふと思い出して恥ずかしくなった次第です。


第360回 学びは意外なところに

先日、沖縄返還に関する映画を観ました。「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」というタイトルです。この作品は昨年8月にNHK-BSでドラマとして放送され、このたび劇場版用に再編集されました。ポレポレ東中野を皮切りに全国で上映予定です。

この映画を機に沖縄返還のことを改めて調べてみました。書籍やインターネット上の説明も参考になるのですが、ふと思い立って検索したのが「大学のシラバス」。まずは自分が指導している大学の授業案内を覗いてみました。

今の時代、インターネットでは各大学のシラバスが公開されています。開講科目の詳細を知ることができるのですね。本当に便利な時代です。しかも当該年度の全科目がアップされています。私が学生の頃はインターネットなどもちろんありませんでしたし、授業案内ももっと大まかなものでした。冊子になった講義案内では全容がつかめませんでしたので、サークルの先輩に尋ねたものでした。そうした意見を参考に履修科目を選んでいたのです。当時はいわゆる「楽勝」科目が大人気でしたね。

話を沖縄返還に戻しましょう。

大学のシラバス・ページに行くと検索ウィンドウが出てきます。講義や講師名、開講時期やキーワードなどで調べることができます。そこで「沖縄」「返還」「日米安保」「基地」などのキーワードを入れたところ、いくつかヒットしました。自分が教えている大学でこの授業があったとは知りませんでした!それもそのはず、私が担当している授業以外、あまり知らないまま数年が経っていたのです。

検索結果からクリックしてみると、授業内容の具体的な詳細が出てきました。中でも参考になったのは使用教科書と参考文献です。大学ではどの先生方も綿密に15週間分のカリキュラムを年度初めに組み立てます。学生たちの理解を深めるために段階的に学び進められるような工夫がなされているのです。また、使用テキストも20代前後の学生が理解しやすいものを厳選しています。そのような意味でも大学シラバスは出発点として大いに役立つと改めて思いました。

これに味を占めた(?)私は後日、大学へ行った際、紙版のシラバスを手に入れました。確かにネットでの検索でも十分です。けれども紙版をパラパラとめくることで「こういう講座もあるのね」「この授業も面白そう」と意外な出会いが期待できるのですね。実際にざっと斜め読みをしてみたところ、全カリ科目は文系や理系、スポーツ科目など多岐にわたることがわかりました。改めてシラバスを眺めてみることで、普段は接点のない分野を垣間見ることができたのでした。

この「出会い」というのは、紙新聞をめくったときと同じだと感じます。私は通訳者になってから日経新聞(紙版)を欠かさず読んでいます。ネットの場合、記事をクリックしなければ詳しい内容を知ることはできません。けれども紙新聞であれば、とりあえず紙面を毎日めくり続けるだけでも様々な分野に触れられます。これは目に見えない「知識の蓄積」となるのです。そのストックは大きく、何年も後になってから通訳現場で役に立ったことがたくさんありました。

通訳者になるために必要なこと。筆頭に上がるのは語学力の向上でしょう。けれども言語変換能力が高い「だけ」では通訳者になれません。日ごろのたゆまぬ努力が本番で大きな力を発揮するのです。そのためにも様々な角度からリサーチに取り組み、今、目の前のことが必ずいつか役に立つと信じて励むことが大切です。

最近は何でもインターネットで解決できそうな時代です。けれども新聞や今回ご紹介したようなシラバスなど、意外なところで知識をストックすることはできます。ぜひ皆さんも楽しみながら日々の知識量アップを図ってくださいね。


(2018年7月17日)

【今週の一冊】
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「隣人、それから。38度線の北」 初沢亜利著、徳間書店、2018年

6月は通常の業務に加えて、単発の仕事をたくさんいただきました。中でも準備に一番時間をかけたのが、6月12日の米朝首脳会談です。某民放からお声がけをいただき、丸一日缶詰めとなりました。歴史の瞬間を同時通訳する機会に恵まれ、私自身、時代の流れを自分の目で見届けることができ、ありがたく思っています。

この仕事の依頼を受けたのは、さかのぼること数週間前。そこから準備が始まりました。関連記事や過去の動画を調べたり、以前行われた6か国協議についてリサーチしたりと、調べることは広範囲にわたりました。

さらに意識して勉強したのが「一般社会の様子」です。北朝鮮の人々はどのような生活を送っているのか、政治体制は別としてどのような雰囲気の中で暮らしているのかに興味を持ちました。そこで手に取ったのが今回ご紹介する本書です。

著者の初沢氏はプロのカメラマンで、過去にも北朝鮮をテーマにした写真集を出版なさっています。今回の本はその続編とも言えます。全編カラーページで、人々の様子が手に取るように伝わってきます。北朝鮮と言うと、以前の大飢饉のイメージが私の中では強いのですが、今では人々の生活も落ち着いているようです。たとえば22ページに映し出されているとあるお宅の一室。サッカー好きなのでしょう。岡崎慎司選手のペナントも貼られています。机にはMarlboroたばこのステッカーもありました。外界の情報がすべて遮断されているというわけではないようです。

特に読みごたえがあったのは、巻末の初沢氏の取材記です。平壌空港に降り立った際、スマートフォンを没収されてしまうのですが、係官とのやりとりの文章は読んでいるだけでこちらが緊張してきます。写真集にある人々の一見穏やかな日常生活と、空港での様子。その対比を感じます。

初沢氏は私の卒業学科と同じでした。今後の活躍を応援したいと思います。


第359回 悩む時間はもったいない

時間をどのように節約して勉強タイムを捻出するか。忙しい時期になると、このような思いで日々を過ごすようになります。誰にとっても一日は24時間。そうなると、どこかで何かをあきらめて時間を浮かせるか、睡眠時間を削るか、何らかの方法で効率化を図るしか方法はなくなってきます。そうした工夫をあれこれしつつ、自分なりに納得のいくアウトプットができたときは、この仕事のやりがいを感じます。

ちなみに私の場合、この春は新しい定期の仕事が入ったり、通常とは別の業務があったりと、例年にも増して忙しい時期となりました。お声がかかるのは本当にありがたく、自分としても精一杯その期待に応えたくなります。特に通訳の仕事は「やり直し」がききませんし、じっくりと構想を練ったり推敲を重ねたりということも不可能です。よって、「通訳をするその一瞬」にいかにすべてのエネルギーを注ぎこめるかが鍵を握ります。日々の勉強もすべてそのためなのです。

けれども、あまりにも忙しくなってくると、自分でも呆れるほどに判断力・決断力が鈍くなることがあります。私が最近直面したのは「我が家のプリンタ問題」でした。

このプリンタは複合機で、電話・留守電・ファクス・スキャナ・コピーなどの機能が付いています。購入は平成24年ですので、もう減価償却も良いところでしょう。調べてみたところ、すでに販売は終了しており、メーカーのホームページにもひっそりと掲載されているだけでした。

我が家では、仕事柄、資料を印刷したりコピーしたり、ファクスで先方に送ったりと今までずいぶんこのマシンを酷使してきました。それでもめげずに(?)よく働いてくれます。それがここ最近になり、印刷結果が非常に悪くなってしまったのです。用紙に縦縞が入るようになったのでした。

トリセツやネット上のQAサイトを見ては、それなりの方法で改善を試みました。一瞬良くはなるのですが、やはりそれも束の間。縞々状態はさらに粗くなり、ほとんど解読できなくなってきました。子どもの頃に読んだ探偵マンガ本に似たような絵があり、かすれた文字を判読するシーンがありましたが、まさにそのような感じです。まさかこのようなプリントアウト資料を持って通訳現場に行くわけにはいきません。ただでさえ神経を使う同時通訳現場です。脳内で英日言語変換をしながら目の方は「かすれ文字判読作業」などをしていたら、それこそ目が回ってしまいます。

そこで意を決して買い替えることにしました。

けれどもここで2つの選択肢に私は直面しました。それは「新型モデルを買うか」「ネットの通販サイトで同一機種の中古品を買うか」でした。それぞれに長所・短所があるからです。

まず、完全に新しいモデルを買った場合、以下のプラス・マイナスがあります:

長所:機能もアップしており、故障時の補償もある。思ったより値段もお手頃。
短所:まったく新しい機種になるため、慣れるまで時間がかかる。今使っているプリンタ・インクの予備が大量にあり、それが使えなくなる。

一方、現在のものと同一モデルの中古品を買うと以下の長所・短所があります:

長所:使い慣れたものと完全に同じなので、機能に慣れる必要がない。ストック済みのインクも使える。
短所:生産終了品ゆえ、もし壊れても直してもらえない。すでにレアものとなっているため、価格は割高。

ざっとこのような具合です。

普段の私は何事においても即断即決を心がけています。ところが目下、繁忙期であるがために「新しい電子機器に慣れていくために時間を割くのがもったいない」という思いが強くあるのです。そのため、「どうしよう?」と悩み始めてしまったのでした。そして時間ばかりが経過してしまい、とうとうプリンタ自体が再起不能寸前に至ってしまったわけです。

こうなると自分一人で「あーでもない、こーでもない」と思えば思うほど、堂々巡りになります。そのような時はいっそのこと誰かに尋ねた方が楽です。私は早速家族に相談。すると家人は開口一番「あ、それはもう新品の方が良いって。生産終了品はリスクが高いよ」とのこと。

うーん、言われてみればそうなのかも。と言うよりも、冷静に考えてみれば多くの人がそう思うのでしょうね。

つまり、こういうことなのかもしれません。単に私が個人的に機械音痴・機械アレルギーであり、新しいものに費やす時間を億劫がっていただけなのです。ということで、ようやくお悩み解決!プリンタの新型モデルをその場で即・注文したのでした。

今回の私なりの結論。

「悩む→長所・短所を書き出す→結論を出せなければ潔く誰かに相談」

これで今後は進めようと思います。

(2018年6月25日)


【今週の一冊】
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「消滅遺産 もう見られない世界の偉大な建造物」 ナショナルジオグラフィック編、日経ナショナルジオグラフィック社、2018年

振り返ってみればここ数週間、このコーナーでご紹介しているのは「写真集」ばかりです。実は春先から現在に至るまで仕事が立て込んでおり、仕事に関連した本以外はほとんど読めずじまいなのです。例外は「写真集」。疲れた頭を解きほぐすには美しいものを見るに限ります。たとえ撮影現場に行けなくても、色とりどりの写真を見るだけで心が洗われるのですね。右脳・左脳という言葉で表すなら、言語活動は左脳です。以前お世話になった心理学の先生曰く、左の脳ばかりを酷使してしまうとグッタリしてしまうとのこと。美しい物を見たりおいしい物を食べたりすることで、右脳に栄養を与えるのも必要だそうです。

今回ご紹介するのは、この世から失われてしまった「遺産」たちです。たとえば表紙に描かれているのはバーミヤン。1500年間も存在したものの、タリバンによって2001年に破壊されました。その文化的損失は大きく、上智大学の石澤良昭先生はとある記事で「文化遺産の修復を通じた民族和解」と呼び掛けておられました。

私が本書の中でも特に注目したのがネパール・カトマンズの地震で全壊した寺院です。大きな揺れで街全体が壊滅的被害を受けたのが2015年、今から3年前のことです。再建活動はなされていますが、完全な復興にはまだ時間がかかるとのこと。この地震については放送通訳したニュースでずいぶん取り上げられていました。

地震と言えばもう一つ。ハイチの大統領宮殿も崩れ落ちました。その写真も本書には載っています。白亜の美しい建物が崩壊したのは2010年です。東日本大震災の1年前に起きたハイチ大地震ですが、復興は進んでいません。本書によると、ハイチは国自体が貧しく、援助団体も引き上げたり縮小したりしてしまい、ままならないのだそうです。

本書が紹介しているのはすべて建物です。けれどもその向こうには現地で生活する「普通の人々」がいます。「何の罪もない人々が今なお苦しんでいることを忘れてはいけない」。そのようなメッセージを私は本書から感じとっています。


第358回 セルフ打ち上げのススメ

通訳の授業を担当していると「どうすれば通訳者になれますか?」「どんな能力が必要ですか?」といった質問を受けることがあります。どのような仕事であれ、「これさえあればあなたもなれる!」といかないのが悩ましいところです。たとえばスポーツ選手であれば、身体能力はもちろんのこと、向上心や折れない心も求められるでしょう。本番の緊張感に打ち勝てるようなタフさも必要です。演奏家も同様です。音楽的な能力もいるでしょうし、オーケストラに所属していれば、他の演奏家と合わせることも求められます。通訳者も語学力、知識力、さらに体力などが大切になってきます。

これまで色々な通訳場面において先輩や同僚、後輩通訳者たちと仕事をしてきました。その通訳者誰にも共通していることは「勉強が好き」ということです。学び続けることを厭わないどころか、大変な量の資料読み込みや単語の暗記などをむしろ楽しんでいる人がほとんどです。とりわけ「わからないことはすぐ調べる」という点ではどの通訳者も同じなのですね。現場で不明なことが出てくると、皆、猛烈なスピードで調べ始めます。「疑問点をそのままにせず、すぐに解明しようとすること」に喜びを覚えているのでしょう。私もその一人です。

このような具合で通訳者というのは、準備段階から本番直前に至るまで、いえ、厳密にいえば本番中でも、緊張感と共存しながら高いテンションの元にいます。体のスイッチが常時「オン」になっているのです。アドレナリンが飛躍的に上昇し、それがさらに自分の体力にスタミナを生み出すような感じです。こと私に限って言えば、「ハイ」な状態が続き、良い意味での「躁状態」になっています。その結果、当日に良い通訳ができたり、お客様に喜んでいただけたりするととても報われた気分になります。この仕事のやりがいを感じます。

ただ、注意すべき点があります。それは「大きな仕事が終わった後」に関してです。緊張感が絶え間なく続いた結果、それが終わりを迎えれば、体も心も緩みます。ホッとします。安ど感と共に、それまで感じていなかった疲労がドッと出てしまうのです。オン状態から突然オフになることを意味します。

私の場合、そこの切り替えに失敗するときがあります。「あ~、大仕事が終わった!」となるや、バタッと崩れてしまうのです。デビュー当時はそれがきっかけで寝込むほどの風邪に見舞われたこともありました。お休みすれば、エージェントやお客様に多大な迷惑を与えてしまいますので、休むことだけは避けたいものです。さらにフリーランスの場合、仕事を休めば無収入となります。家計的にも大変です。

欠勤とまではいかないまでも、私の場合、心が疲れて極端に落ち込むことも少なくありませんでした。躁状態が続いた反動なのでしょう。鬱のようになったこともあります。そうなると厄介です。ささいなことで気持ちがふさぎ込んだり、自分の能力不足を悲観したりと取り扱いが自分自身でも難しくなります。

こうしたことを避けるうえで工夫しているのは、「セルフ打ち上げ」です。大きなプロジェクトを完了したら、なるべく早いうちに自分にご褒美を与えるのです。映画や美術展を観に行く、おいしい食べ物をいただく、ぼーっとする、マッサージに行く、買い物をするといった具合です。オン状態で仕事を終えたら、そのまま「行動を伴うご褒美」を自分に与え、そこから少しずつunwindしていくのですね。その方が、「仕事完了→即オフ」よりも段階的に自分の体を休ませられます。

春や秋は通訳者にとって忙しい季節です。だからこそ、セルフ打ち上げをうまく取り入れながら乗り切りたいと思います。

(2018年6月18日)

【今週の一冊】
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「ロンドンパブスタイル 英国パブカルチャー&建築インテリア」 ジョージ・デイリー著、八木恭子訳、グラフィック社、2018年

この春から先日に至るまで、私の頭の中は「米朝首脳会談」一色でした。業務の依頼を受けると通訳者は準備を始めるのですが、私もやはり「寝ても覚めても米朝首脳会談の予習状態」だったのです。新聞をめくれば関連記事ばかりを探し出し、書籍も手当たり次第に参考になりそうな本だけを読み進めました。集中的に学ぶからこそ、それが当日へのアウトプットにつながるのですが、やはり人間は生き物です。どこかで息抜きを欲するのでしょう。

そのような中、手に取ったのが今回ご紹介する書籍です。全編カラー写真で、ロンドンの素晴らしきパブが紹介されています。これまでもパブをテーマにした本は出ていますが、この本は「建築」をキーワードにしています。

ロンドンのパブの中でもYe Old Cheshire Cheeseなどはガイドブックによく出ています。2月にロンドンへ出かけた際、私もその前を通りがかりました。本書を読んでみると、300年ほど前にこのパブのオーナーが店の一角を辞書編纂で有名なジョンソン博士へ捧げたそうです。今でもその席にはジョンソン博士の肖像画が飾られています。

他にもハイドパーク近くにあるThe Nags Headはミリタリーグッズが店内に所狭しと置かれています。一方、High Holborn近くのCittie of Yorkeは店内に特徴的なアーチ型天井があります。

ビールや食べ物を楽しむだけでなく、建築や装飾品を味わうパブ巡りをしたい方に、ぜひともお勧めしたい一冊です。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
放送通訳者。獨協大学・順天堂大学非常勤講師。 上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。 ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 NHK「世界へ発信!ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当。 ESAC(イーザック)英語学習アドバイザー資格制度マスター・アドバイザー。 通訳学校にて後進の指導にあたるほか、大学での英語学習アドバイザー経験も豊富。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)、「英検分野別ターゲット英検1級英作文問題」(旺文社、2014年:共著)。 「放送通訳者・柴原早苗のブログ」 http://sanaeshibahara.blog.
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