INTERPRETATION

第306回 40年後を見据える

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今から4年前、我が家はイギリスで10日間の夏休みを過ごしました。息子が生まれた街で短期滞在用アパートを借りるというものです。当時の生活を疑似体験でき、まさにノスタルジック・ツアーとなりました。

私はこれまでこの街で2度暮らしたことがあります。最初は父の転勤に伴ったときで、小学4年から中学2年にかけてでした。また、1990年代後半にBBCで働いていた際には結婚後、そこを拠点にしました。職場まで1時間以上かかりましたが、緑が多くゆったりとした街で息子と3人で暮らせたのも、今となっては幸せな思い出です。2013年に一家4人で再び訪れることができ、感慨深いものがありました。

ただ、定点観測的に同じ街を見てみて、色々と感じることもあったのです。「街の雰囲気」に関してでした。

私が子ども時代、その街の人口の大半は、いわゆる生粋のイギリス人でした。日本人もごく少数ですが暮らしていましたが、いわばマイノリティです。当時の駐在員一家には、どの会社も福利厚生の一環として大き目の住宅を提供していました。また、その子弟にも一流校へ行くための学費が援助されていたのです。だからこそ、私たちを始めとする日本人家族は悪目立ちしないように、現地の方々から反感を抱かれないように、そして日本人として恥ずかしくないようにという思いを抱いていたと思います。みな控えめに暮らしていました。

あれから数十年。世界はグローバル化し、国境を越えて人やモノが行きかうようになりました。私が暮らした街も、典型的なイギリス人の数がぐっと減っていたのです。代わりに移民や季節労働者、旧植民地の2世3世の姿が目立ちました。

2013年夏、私にとって驚きだったのは、その街の高級住宅街の様子でした。私が幼少期に見たアングロサクソン系英国人の姿がほとんどなかったのです。代わりに見られたのは、旧植民地出身移民の2世・3世と思しき方々でした。朝、散策をしていた際、私が目にしたのは大邸宅から出てくる子育て世代の男性や女性たちです。いずれも上質のスーツを着用し、出勤途上であることがわかりました。また、近所の公園でもそうしたご家庭のお子さんたちが拡張高い英語を話しながら遊ぶ姿が見受けられました。

さらにもう一つ、私にとって衝撃的だった光景がありました。1970年代、その街から車で20分ほど行ったところには悪名高い地域がありました。有色人種の割合が当時は非常に高く、生粋のイギリス人は寄り付かないような街でした。ところが2013年にその街を車で通りぬけてみると、街中を歩くのはアングロサクソン系の方々ばかりだったのです。つまり、40年ほどで住む場所が完全に入れ替わったことを意味します。

その街の端にあるパブへも行ってみたのですが、そこで食事をとっていたのも同様の方たちでした。かつてそのパブは私が子どもの頃、階級によって入口が違うお店でした。子どもの入店はもちろん禁止でしたので、当時の私は排他的な印象を受けましたね。ところがいつの間にか大改装しており、ファミリーレストランと化していたのです。提供しているメニューも油をふんだんに使った、決して健康に良いとは言えないようなものばかりでした。

つまりこの数十年でどうなったかを見てみますと、住む場所や食事処が人種によって逆転していたのですね。パブでの食事を見てみても栄養に対する認識が異なることがわかります。つまり、教育レベルも変化したと言えるのです。

30年、40年経てば世界は大きく変わります。これはイギリスに限ったことではありません。他の国もそうですし、日本も同様です。しかも日本は世界で最も速いと言われるぐらいの高齢化に向かっています。今、働き盛りの我々世代が老後になったとき、日本はどういう状況にあるのか、今のうちから考えねばならないのです。「遠い先のこと」ととらえるのではなく、逆算して課題に真剣に取り組まねばいけないのですね。

基礎学力をつける、英語を学ぶ、プレゼン能力を向上させるなど、「グローバル化」に向けた提言はすでにたくさん聞こえてきます。教育現場でもそれらを反映した授業が行われています。けれども生き延びるためのテクニック的なものだけでは、いずれ立ち行かなくなるでしょう。40年経ったイギリスの現状から、日本もおそらく数十年後を想像できるはずです。つまり、もっと私たち個人の問題として認識し、未来の世代に課題を丸投げすることなく、今、とるべき行動を考えることが求められると私は感じています。

(2017年5月8日)

【今週の一冊】

「知られざる空母の秘密」 柿谷哲也著、ソフトバンク・サイエンス・アイ新書、2010年

ここ数週間、CNNでは北朝鮮のニュースが頻繁に流れます。アメリカが韓国と合同軍事演習をした話題や、原子力空母カール・ビンソンが朝鮮半島に向かったことなども大きなニュースとなりました。インタビューでは現役・退役軍人が登場しますが、そこでも肩書きが出てきます。放送通訳の仕事をする際、軍事用語をしっかりと押さえることが求められるのですね。

通訳者は単にAという単語をBに置き換えるだけでは不十分です。大切なのは単語記憶力だけではなく、内容自体を把握していることなのです。そうしたことから、今回も北朝鮮情勢をきっかけに軍事分野の本を読もうと思いました。そこでご紹介するのが今週取り上げる一冊です。

本書は空母の歴史から各国の保有する空母に至るまで、様々な切り口からとらえる構成になっています。先日のニュースに出てきたカール・ビンソンも写真で紹介されていました。ちなみにカール・ビンソンは2010年のハイチ地震で被災者を救援する際に投入されています。原子力空母の場合、原子力関連の作業者には特殊な能力が求められ、たとえ空母の他乗員であれ原子力関連エリアには立ち入ることはできません。作業員は機密を厳重に守ることも求められるそうです。

カラー写真がふんだんに用いられた新書ですので、本書はとても手軽に読むことができます。中でも印象的だったのは、飛行甲板における艦載機の位置決定に関してでした。今の時代であればコンピュータでそうした計画を立てるのかと思いきや、平面ボード上にミニカーならぬミニ機体を置き、手で動かしながら考えているのだそうです。いまだにアナログなのですね。著者の柿谷氏いわく、この作業の電子化は過去に何度も試みられたものの、やはり使い勝手では指先で動かす方が効率的なのだそうです。

ソフトバンクのサイエンス・アイ新書シリーズには多様な理系分野のトピックが並んでいます。講談社のブルーバックス同様、文系の読者でも大いに親しめると思います。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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