INTERPRETATION

Vol.34 「自然体で」

ハイキャリア編集部

通訳者インタビュー

【プロフィール】
三井聡子さん Satoko Mitsui
経歴:小学校から高校1年までを米国にて過ごす。日本大学芸術学部卒業後、数社にてオンサイト翻訳に従事。その後、通訳者としての活動も始め、現在はフリーランス通翻訳者として活躍中。2006年4月からは、外資系広告代理店にて、通訳者として勤務予定。

Q. 帰国子女だと伺いましたが。

米国に10年いました。小学校から高校1年生の終わりまでです。それまで日本で生活していたので、突然米国行きが決まった時は、母親もびっくりしたのではないかと思います。親や姉は、現地の生活に馴染むのに苦労したようですが、私は小さかったこともあって、割とすんなり溶け込んでいたようです。「アメリカにいるなら、英語が話せないと」という親の方針で、日本語教育に関しては二の次でした。姉とは英語で会話していましたし、親とは日本語で話すものの、分からない言葉は英語で話してしまうので、ほぼ日本語とは無縁の生活を送っていたのではないかと思います。

Q. 帰国後、日本語で苦労したのではないでしょうか。

相当苦労しました。ファーストフード店に入っても、店員の話している言葉が理解出来ず、注文すら出来ない状態でした。パニックになって、最後には日本人ではない振りをして、全て英語で通していました。テレビはほとんど理解出来ないし、通っていた高校は帰国子女が多かったので英語のまま、親とは変な日本語でも通じるので、日本に戻ったとはいえ、あまり日本語を使わない2年間を過ごしました。
状況が変わったのは、大学に入ってからでしょうか。ここでは、英語を話す人がおらず、逆に「どうしてこの人、日本語が話せないんだろう」と奇異な目で見られたのがくやしくて、必死に勉強しました。でも、英語と日本語のバランスがとれてきたのは、ここ数年のことですね。大学では日本語しか使わなかったため、英語力が低下してしまい、会社に入ってから自分の英語力に愕然としたこともあります。通訳翻訳を始めてからは、日本語も英語も日常的に使うようになったので、今の状態がちょうどいいのかもしれません。

Q. 大学卒業後に翻訳を?

アート関係に進みたくて、高校の頃からアトリエに通っていましたが、芸術の世界で食べていくのは相当難しいですよね。そんなこともあって、大学時代にアルバイトをしていた外資系人材紹介会社に入社することになりました。ここで初めて、翻訳を経験したんです。HPの翻訳や、日英両方向で記事を書く作業を任せられ、非常にやりがいがありました。もともと、文章を書くのが好きだったこともあり、翻訳をしていると、「ここには、こういう言葉を使うといいんじゃないか」と考えたり、適切な表現を自分で思いついた時の快感に酔いしれたりと(笑)、毎日がとても楽しかったのを覚えています。この頃から、翻訳で生きていけたらいいなと思い始めました。
ただ、英訳は評判がよくても、和訳はかなり不評でした。自分でも、日本語力がないことは分かっていましたが、「和訳は他の人に頼むよ」と言われる度に、自分のプライドも傷つきましたし、くやしかったんです。それまで、英語の本しか読んだことがなかったのですが、それからは日本語の本や新聞を読むようになりました。

Q. その後は?

子供が生まれたので、仕事を辞めようかと考えていた時に、会社から「残ってくれるなら産休を取っていいし、好きな時に戻ってきなさい」と言われたんです。しかも、お給料まで上げて頂けるというので、これは残るしかないな!と(笑)。ただ、復帰1年後、会社合併により翻訳の仕事が無くなったため、転職することにしました。
当初の最終目標は、在宅翻訳者になることだったので、オンサイトで経験を積むのが一番だと思いました。当時も自宅で仕事を請けていましたが、もっとスキルを磨く必要があると感じていました。子供も1歳になったばかりだったので、将来的に在宅翻訳が出来れば、子供との時間ももっと作れるだろうと思ったんです。その後入った会社もすごく理解があるところだったので、定時に会社を出て帰宅、ご飯を作って子供をお風呂に入れて、そして夜は翻訳という毎日でした。今から思うと、よくやったなと思いますが、体力があったからこそかもしれませんね。

Q. その後、通訳をご経験されたのですね。

実はこの展開には自分が一番驚いています。私の中で、「通訳たるもの、ビシッとしたスーツを着て颯爽と歩いている女性に限る」、という感じだったので、そういう意味でも自分は無理だろうと思っていました(笑)。ところが、ある時知り合いに、「通訳が必要だが予算がない。聡子、通訳には興味あるか」と言われたんです。内容は、某大手外資系企業の戦略会議。二泊三日の泊まりこみです。知り合いの通訳者を紹介しようかと思ったのですが、皆バリバリの会議通訳者なので、金額が折り合いません。先方も、私が未経験なのは分かっていて、でもそれでもいいから、と言ってくださったので、「えぇい、一か八かやってみよう!」と思い切って請けることにしました。今から考えると、すごいですよね(笑)。
十数名の男性陣の中に入って、朝から夜の10時までウィスパリング。皆さん体育会系で、会議中も意見がまとまらないと、怒鳴りあいのようになるんです。私自身、これまでにないぐらいドキドキしているのに、そんなことはお構い無しで会議は進んでいき、一触即発のような緊張感が続いています。通訳初体験で、ものすごい洗礼を受けたのだと思います。
これをきっかけに、少しずつ通訳経験を積んできてはいますが、あれほどハードで熱い会議はありませんね。逆に、最初が大変だった分、今はある程度までのハードさであれば、全く苦にはなりません。実際に通訳をやってみて、すごく面白かったんです。通訳していると、テンションも上がってくるし、「あ、私これ向いているかもしれない!」と思いました。

Q. 通訳学校に通おうと思ったのは?

何人かに、「通訳が向いてる」と言われたり、翻訳で入った会社で、「三井さん、通訳はやらないの?」と聞かれ、そのまま社内ミーティングに入らせて頂くようになったりと、あれよあれという間に、『なんちゃって』通訳をするようになりました。技術や経験は足りませんでしたが、やる気だけはありました。
他の通訳さん達とも話すようになり、通訳学校での体験談を聞いていると、一度行ったほうがいいのだろうなという気になってきました。OJTが一番だけど、学校で通訳技術を学ぶことも必要だと全員が言うので、それなら行ってみるかと。通訳学校初日は、驚きの連続でした。各机にヘッドフォンが置いてあって、授業では大量の資料を渡されるんです。大変なところに来てしまったなと思いました(笑)。授業はもちろんですが、ここで出会った仲間は、志が一緒だということもあって、私も大いに刺激されました。決して出来のいい生徒ではなく、クラス前日になってようやくノートを開いたり、当日に電車の中でテープを聴くという体たらくでしたが、学校では本当にたくさんのことを教えて頂きました。

Q. 今だから言える失敗談は?

忘れもしない、雑誌翻訳事件(笑)!担当者からは、「この中の3ページのみ翻訳をお願いします」と言われていたのですが、ついうっかりしていて、雑誌一冊まるまる私が訳すんだ、と勘違いしてしまったんですよね。翻訳を始めたら、悲鳴を上げたくなるぐらいの量で、どうやったらこれを3日で訳せるんだろうかと気が狂いそうになりました。何とか半分ぐらい訳し終わったところで、担当者に「本当にこれ私が訳すんですよね」と聞いたら、私の質問が悪かったらしく、「はい、三井さんの理解されている通りでお願いします」という返事だったんです。それで、あぁやっぱり全部訳すんだよなと思って、家事も食事もそっちのけで、翻訳して納品しました。納品後、担当者から慌てた声で電話がかかってきて、3ページだけでよかったということを聞いた時には、笑うしかありませんでした。もちろん翻訳料も3ページ分でしたが、これは当然ですね(笑)。

Q. 現在の通翻訳の比率は?

翻訳8割、通訳2割といった感じでしょうか。4月から、オンサイト通訳の仕事が決まったので、これからはもっと通訳に集中出来るのかなと思っています。実績も積めますしね。でも、今までと同様に翻訳も続けていきたいので、忙しい毎日になりそうです!

Q. 休日の過ごし方は?

最近車を買ったので、娘とドライブに出かけるのが楽しみです。プールにも通っています。自宅にいる時は、絵を描いたり、友人に頼まれた作品を作ったりしています。先日、友達の結婚式に作品を作ったら、お店の人が気にいって、買ってくださったんですよ!
また、10年前から毎年友人と山でパーティをやっています。山に、DJのターンテーブルやスピーカーを持ち込んで、一泊二日でテント泊。男性陣が機材・音響担当で、女性陣はデコレーションを担当します。デコレーションといっても、お金をかけられないので、新聞紙などを使って作るんですが、これが楽しくて!多分、こういうことで仕事とのバランスがとれているのだと思います。右脳も使わないといけませんね。
パーティの準備風景

Q. 将来のキャリアプランは?

今のうちに、やりたいと思ったことは片っ端からやってみて、少しずつ突き詰めていければ、「これだ!」というものが絞れてくるかなと思っています。翻訳を始めて6年になりますが、気がつくとマンネリ化して、同じような表現を使っている自分に気づくことがあるんですよ。そんな時に、上手な翻訳を見ると、あぁやっぱりまだまだだなと思います。そういう意味でも、これからも翻訳も通訳も両方続けていきたいですね。
また、自分の作品がもし売れるのであれば、どんどん売りたいですし(笑)、サーフィンや山登りにも挑戦したい、そして世界一周旅行にも行きたいです。計画性がないのが欠点なので、「もう少し計画性のある人間になる」というのも、今後の目標の一つに入れておこうと思います。

Q. もし、語学の道に進んでいなかったら?

旅する絵描き、でしょうか。毎年必ず1ヶ月お休みを頂いて、娘と旅に出かけているんです。昔から女性の一人旅にすごく憧れていて、19歳の時に「今ここで旅に出ないといつ行くんだ!」と思い立ち、青春18切符で沖縄まで行きました。とはいえ小心者なので、品川駅まで母が送ってくれたときには、「もういやだ、やめる」と泣きそうになりました。
お金を貯めて世界旅行に行くのが夢だったので、子供がいなかったら就職も考えていなかったかもしれません。通翻訳の世界にいることで、現実とのつながりを保っているのかもしれませんね。

Q. これから通翻訳を目指す人へのアドバイスをお願いします。

とにかく、どんどん経験を積んでください。仕事を始めたばかりの頃は、「私で大丈夫かな」と不安になることもあるかもしれません。事実、私がそうでした。でも、その機会を逃すと次につながりませんよね。最初は誰も経験なんてないし、いきなり完璧に出来るわけがありません。うまくなるためには、「とにかくやる」こと。だから、最初は失敗しても恥をかいても、どんどん仕事をしてください。
それから、言葉に関心を持ってください。例えば、話上手な人は、必ずポイントを押さえているし、文章も短くて的確です。そういう人を見つけたら、話し方を研究してみてください。英語でも日本語でも、気に入ったフレーズが見つかったら、頭の中にメモしておいて、「今度絶対使ってやる!」ぐらいの意気込みで日々を過ごしてみると、何かが変わってくると思います。何だか偉そうに語ってしまいましたが(笑)。
7つ道具:ICレコーダーと、電話インタビューで使う道具。これを電話口に差し込むと、相手との会話が録音できる。

<編集後記>
あぁ、かっこよすぎます!一気にファンになってしまいました。自然体でいることって、実はとても難しいことだと思います。文字数の制限上、ここでご紹介出来なかったエピソードもありますが、三井さんの周りには、いつも人がたくさん集まるのだろうなと思える素敵なお話ばかりでした。世界一周旅行、是非実現させてください!

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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