TRANSLATION

第18回 人工知能に負けない

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは。近い将来、多くの仕事がAI(人工知能)に奪われる…なんて恐ろしげな報道を目にすることが多い昨今、翻訳業界にもAI化の波が押し寄せる予兆が感じられます。しかしながら、翻訳業界の中で最もAI翻訳が難しいのは、まず文学、次に金融分野じゃない?と思えるほどに、わたしが日々訳している金融英語は「自由奔放」。俗語こそほとんどないものの、「これ半分エッセイでしょ」と笑いたくなるような気取りまくり(失礼)の文章にも時々お目にかかります。従って金融翻訳の分野でAIが完璧な仕事をこなすようになるまでに、ちょっとは猶予がありそうです。

それでも安心してはいられません。実際、金融翻訳の元ネタを提供する金融業界ではすでにAIの活用が始まっており、この1月からは日本経済新聞社が新しいサービスを開始しました。東京証券取引所の運営する適時開示サイト「TDネット」に企業が公開した決算情報から、AIが売上高や利益率などのデータを読み取り、記事を作成・配信するサービスです。またSBI証券は、AIを活用した米国株式決算速報ニュースの提供を開始しました。どちらも発表から数分~30分で記事が配信されるそうです。

AIが書いた記事なら、AIによる翻訳に問題がないであろうことは、簡単に想像がつきます。人間独特の冗長性も脱線も間違いも一切ないからです(でも遠い将来、AI花子はAIジョージの書いた文章を訳すのが苦手、みたいな状況があり得るかも!?)。将来的には、速報性が求められる定型的な文章についてはAIに任せ、アナリストやストラテジストや証券・運用会社の幹部が気ままにダラダラ、もとい、格調高く書いた文章などは人間に任せる、という時代がやって来るかもしれません。

とりあえず今の段階でAI作成の文章を見ますと「AIの書いた文章だな」というのがよく分かります。別にAIが書いたと分かるから悪いわけではないのですが、読み手の立場に立った文章になっていないな、という印象を受けます。例えば以下の文章をご覧ください。

建設需要の減少があったものの、民間設備投資向け電線の需要が底堅く推移し、売上高は増加、営業利益は増加、経常利益は増加、親会社株主に帰属する四半期純利益は増加となった。

一読してどうでしょうか。日本語文法上は完璧な文章ですが、後半に至っては「あららら」と苦笑してしまいます。しかし仮にこれをAIが英訳する場合、恐らく自動的に

…sales increased, operating earnings increased, current profit increased, and quarterly net earnings attributable to shareholders of the parent company increased.

とするでしょう。少なくとも現段階では、これを「あららら」と思うか思わないか、それが人間と機械との違いだと思います。

そこで今回は、AI作のカチカチの英文をとりあえず直訳したものが上記の文章だと仮定して、これを読みやすく理解しやすい文章に変えてみましょう。訳文がどうしても直訳調になってしまう方は、こういったAIの日本語からの書き換えが良い訓練になるかもしれません。

●建設需要の減少があった

「建設需要が減少した」とするだけで、ずいぶん人間らしくなります。そのほか、「減少した」の部分は「鈍化した」「落ち込んだ」「縮小した」「衰えた」「後退した」など、様々な言い換えが可能です。文脈によっては「剥落した」なども使えます。

●民間設備投資向け電線の需要が底堅く推移し

悔しいことに、ここは文句の付けようがありません。他の可能性を探るとすれば、「堅調に推移し」とか「底堅い推移を示し」などでしょうか。この「示し」は不要な言葉ではあるのですが、意味はまったく同じながら、少しだけ柔らかい印象を与えることができますので、便利な表現です。

●売上高は増加、営業利益は増加、経常利益は増加、親会社株主に帰属する四半期純利益は増加となった

どんなに直訳が好きな翻訳者さんでも、さすがにこれはないですよね。例えば「売上高、営業利益、経常利益、親会社株主に帰属する四半期純利益はいずれも増加した」が最もシンプルで分かりやすい日本語かと思います。

そのほか財務分析上の観点から、例えば「売上高が伸びたほか、営業利益、経常利益、親会社株主に帰属する四半期純利益も増加した」などが考えられます。売上が伸びたからといって、利益が増えるとは限らないからです。

以上をまとめて、少し手を入れてみます。

建設需要は鈍化したものの、民間設備投資向け電線の需要が底堅く推移したことを受けて売上高が伸びたほか、営業利益、経常利益、親会社株主に帰属する四半期純利益も増加した。

いかがでしょうか。とりあえず人間らしい文章になったのではないかと思います(笑)。

さきほども言いましたが、訳文がどうしても直訳調になってしまって悩んでいる方は、英語からの翻訳ではなく、「日本語の書き換え」訓練をお進めします。「原文」が目に入ると、どうしても単語ごとの語義や構造に引きずられてしまうからです。

例えばdeclineで頭に浮かぶ語義は「減少、低下」程度ですが、「需要が減る」ことを示すのに使える日本語は、「鈍化」「縮む」「縮小」「衰退」「後退」「減退」「退潮」「先細る」「衰える」「落ち込む」など、いくらでもあります(もちろん文脈を考慮する必要はあります)。語義レベルだけでなく、構造レベルでも書き換え訓練は有効です(これについては、いつか1回分を割いて、同じ内容でどこまで書き換えが可能か、チャレンジしてみたいと思っています)。元ネタは、翻訳してから少し時間の経った自分の訳文でも構いません。

※今回の日本語文は、日本経済新聞・電子版のマーケット欄「決算サマリー(Beta)」から引用しました。

http://www.nikkei.com/markets/kigyo/page/?uah=DF_SEC8_KSSN__

記事タイトルの上に赤字で「※企業開示をもとに自動で作成」とあるのが、AI作成の記事です。人間の手は一切入っていないとのことです。

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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