TRANSLATION

第4回 勇気を出して原文から離れる(しかし離れ過ぎない)

土川裕子

金融翻訳ポイント講座

こんにちは、アースです。今回も引き続き、運用会社によるマーケットコメントを丁寧に見て行くことにしましょう。

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices. Once sanctions lift, Iran, desperate for cash, will sell all the oil it can, increasing global supplies and likely driving down prices. This one-time supply surge will, no doubt, take a while to have its full effect, until mid-2016 in all likelihood, but thereafter, slowdowns in production elsewhere in the world, including shale and tar sands in North America, should again begin to put upward pressure on the global price of crude. At this juncture, such increases promise to be moderate.(…)(2015年8月発行分)

先月の最後にお願いした一文目の翻訳は、トライしていただけたでしょうか。

3)among many other things/definitely(辞書の語義や品詞から離れる)

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices.

この文章の後半は、大したことを言っているわけではないのですが、厄介な要素が幾つも絡んで、なかなか訳しにくいですね。前回までの検討内容を反映しますと、直訳は

…it definitely points to, among many other things, lower oil prices.

…それは間違いなく、とりわけ原油価格の低下を示唆する。

となりますが、among many other thingsにせよdefinitelyにせよ、「副詞句」という英文内での役割にこだわる限り、このガチガチの直訳から逃れることはできません。またamong many other thingsは、英語の字面(多くの他のthingsの中で)にこだわっていると、なかなか自然な日本語になりません。

こういうときは「内容の流れ」だけを考えるようにしてみましょう。この文は全体として、

イランとの核協議はまだ合意に至っていない。

(→しかし協議が進めば/合意に至れば)

  →多くの影響が出る

   →影響としては、特に原油価格の下落が挙げられる

という流れになっていますので、それが伝わる文章になるなら、英文の構造や辞書の語義にこだわって読みにくい日本語になるよりは、勇気をもって原文から離れるべきです。

たとえば、

The nuclear deal with Iran is not yet settled, but it definitely points to, among many other things, lower oil prices.

①イランとの核協議は未だ合意されていないものの、原油安など多くのことを示唆し

 ていることは間違いない。

②イランとの核協議は、依然として合意に至っていないが、これが明らかに示唆する

 点として、特に原油価格の下落が挙げられる。

③依然妥結に至っていないイランとの核協議であるが、これが多くの影響、中でも原

 油価格の下落を示唆していることは明らかだ。

など、色々な訳が考えられます。(いまこの段階で、それぞれの訳に問題はないか、良い点があるとすればどこかを考えてみましょう)

①と③は、副詞(definitely)を最後に持ってくる手法です。

③の「影響」は原文にありませんが、文脈から見て適切と判断しました(さきほど「内容の流れ」を考えたときに、自然に思い浮かんだ言葉です)。何より、①のようにmany thingsを「多くのこと」とするのはやや稚拙に響くうえ、「多くのことを示唆していること」と、「こと」が連続してしまいます。文脈にうまく当てはまる日本語は他にもあると思いますので、考えてみてください。

but以降を前から訳して行く②は、根本的に構造の異なる英語と日本語をできる限り近づけ、訳文の流れを良くする方法として効果を発揮しますので、覚えておきましょう。②にはamong many other thingsに相当する部分がありませんが、「特に」の一言で「他にも多数ある」のニュアンスが出ていると考えることもできます。

ただ②は、「これ」が何を指しているのか分かりにくい、という難点があります。

そのため③では、前半の訳し方を工夫して、後半とのつながりが良くなるかを試してみました。後半の「これ」が「イランとの核協議」を受けていることが、②よりも分かりやすいように思うのですが、いかがでしょうか。

そのほか、「至っていない/至っていないものの」「原油価格の下落/原油」などの細かい言い替えにもご注意ください。今回はどれでも問題ありませんが、「原油安」でないとしっくり来ない、「~いない」では逆接の印象が強すぎる、微妙に原文とニュアンスがずれる、リズムが悪い――といったケースは驚くほど多いので、その時々に合った言い回しとするようにしましょう。

上記①②③は、まだまだ検討の余地のある訳文です。個々の訳語の組み合わせを変えるだけでも、まだ多くの訳文が作成できますので、実際に色々とやってみることをお勧めします。その際、頭の中だけで済ませず、必ず文字として書き起こすようにしましょう。

最後に一つだけ補足。今回のような英語では、勇気をもって原文から離れてみることも大切ですが、当然ながら、単なる補足とは言えない量の情報を付け加えたり、勝手に情報を削ぎ落としたりすることは基本的に避けなければなりません。そのあたりはクライアントさんや翻訳会社さんによっても方針が違いますので、できれば事前に問い合わせておくことをお勧めします。

次回は、段落全体を俯瞰して、この課題を終わりにしたいと思います。お楽しみに!

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記事を書いた人

土川裕子

愛知県立大学外国語学部スペイン学科卒。地方企業にて英語・西語の自動車関連マニュアル制作業務に携わった後、フリーランス翻訳者として独立。証券アナリストの資格を取得し、現在は金融分野の翻訳を専門に手掛ける。本業での質の高い訳文もさることながら、独特のアース節の効いた翻訳ブログやメルマガも好評を博する。制作に7年を要した『スペイン語経済ビジネス用語辞典』の執筆者を務めるという偉業の持ち主。

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