TRANSLATION

Vol.18 きっかけは身近なところに転がっている

ハイキャリア編集部

翻訳者インタビュー

[プロフィール]
小竹真理子さん
Mariko Kotake

経歴:慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、大手証券会社国際部に秘書として勤務。1988年より在宅翻訳を開始、機械関係を中心に、通訳者としても経験を積む。その後、オンサイト翻訳を経て、現在はフリーランス通訳・翻訳者として活躍中。その傍ら、某米国ベンチャー企業の東京事務局長も務め、子育てと共に多忙な毎日を送る。

Q. 英語との出会いは?

言葉に対する興味は、昔から強かったと思います。小学生ながら、机の上には必ず国語辞典を置いておかないと気がすまないような子供でした。新しい言葉に出会うと、「ねぇ、それどういう意味? 」と尋ねていましたが、親や学校の先生に聞いても満足のいく回答が得られない場合もあり、それなら自分で調べてみるかと。「分からない」ということが、ものすごく歯がゆかったんだと思います。
英語との初めての出会いは、テレビ番組「セサミストリート」です。初めて日本で放送を開始した時に、母親が見せてくれた番組なんですよ。画面に様々な三角形が次々と出てきて、’triangle’という音が聞こえてきたんです。「トライアングル……? じゃあ、音楽で使うあのちーんと鳴らす楽器も三角形だからtriangleというのか」と、外国語の音と物が初めて頭の中で合致した瞬間でした。そこから興味を持ちましたが、実際に英語の勉強を始めたのは中学校からです。成績がいいわけでもなく、発音も苦手でした。「あぁ、今日は当たらないといいなぁ」と毎回思っていたんですよ(笑)。

Q. 大学ご卒業後の進路は……?

法学部だったこともあり、大学ではそれほど英語そのものを勉強しませんでしたが、外国映画や洋書にどっぷり漬かっていました。映画に関しては、小学校の頃から毎日欠かさずテレビで洋画劇場を見ていました。今のように、ビデオやDVDが流通している時代ではないので、私にとっては非常に貴重な番組だったんです。洋書を読み出したのは、18歳頃からです。といっても、’Charlotte’s Web’のような児童書で、本人は英語が出来るつもりでいるんですけど、実際はそうでもなかったという時代です(笑)。
卒業後は、証券会社に入りました。女性の総合職一期生のような時代だったので、四年制大卒女性の採用はほとんどなかったんです。何十社と受けても不採用の連続で、ある時もう履歴書に貼る写真が無くなってしまいました。仕方なく、その辺で適当に撮ったガハハ笑いのスナップ写真を貼り付けて送ったら、なんと採用! それが、証券会社でした。国際部担当役員の秘書だったので、英語の文書を読んだり、国際電話の対応をしたりと、少しではありましたが英語に接する機会はありました。

Q. 通訳・翻訳の仕事をするようになったきっかけは?

結婚して静岡に越したので仕事はやめましたが、何か自分で出来ないかと模索する日々が続きました。そんな時、登録していた派遣会社から連絡があり、「某大手企業の静岡工場で新プロジェクトが立ち上がるから、通訳として入りませんか? 」と言われたんです。耳を疑いましたね(笑)。要するに、東京から毎回高いお金を出して通訳を雇う余裕はないから、誰か静岡で英語が出来る人間はいないか? ということだったらしいのですが、当の本人はびっくり。
最初は本当に分からないことだらけで、言っていることの半分も理解出来ませんでした。工場なので、エンジニアが何をやっているかは目で見れば分かります。でも、通訳が必要とされるのは、もっと細部についてなんです。専門的な化学用語に泣きましたが、ここで鍛えられたお陰で、その後は技術用語が苦にならなくなりました。いろんな人に助けられ、育てて頂いたと思っています。少し慣れてきたかなと思っていた頃、「オランダでプロジェクトが立ち上がるから、翻訳をやってくれないか」と頼まれました。普通であれば、こんな素人に専門的な翻訳を頼むはずがないのですが、たまたまいいタイミングだったんでしょうね。この偶然が重なったお陰で、今の私がいるんですよ。ここで学んだことは、今でも非常に役に立っていて、本当に貴重な経験をさせて頂いたと思っています。

Q. それをきっかけに、この世界へ?

そうなんです。プロジェクト通訳の経験が目をひいたのか、その後は息つく暇もないぐらいに、いろんな仕事を紹介して頂きました。中でも某IT企業での仕事は非常に印象に残っています。オンサイト翻訳者として入りましたが、ちょうどPC98がヒットする直前で、マッキントッシュになるのか、ウィンドウズになるのか、そしてIBMまでOS開発にのりだしたりと、とても面白い時期でした。当時はまだワープロが優勢で、もちろん家庭にはパソコンなんて普及していませんし、マウスは研究対象の人しか使えなかったんです。そんな時に、いち早く最新機器に触れることが出来たことは私にとって大きな財産です。もちろん、最先端の機器を扱っているわけですから、文系畑の私にはちんぷんかんぷんなこともたくさんありました。そんな時は、周りのエンジニアの方に助けて頂き、代わりに私が彼らに英語での交渉術を伝授するなど、面白い関係が成り立っていました(笑)。振り返ってみると、当時は子供も小さく毎日バタバタしていましたが、刺激的な毎日でした。

Q. その他に、印象に残っているお仕事は?

オペラの通訳です。未知の世界を垣間見ることができ、とても思い出深い仕事です。使う用語も新鮮で、例えば「金魚鉢」という言葉。舞台の向かいには、照明や音響を管理するオペレーティングルームがあり、そこを「金魚鉢」と呼びます。ある日、その金魚鉢に芸術家っぽい雰囲気の人がやってきたんです。一体この人は何をする人かしらと思っていたら、なんと「キュー」出しをする人だったんですよ。場面ごとの照明は、プログラムを組むのでボタン1つで切り替わりますが、舞台の進行スピードは当日の指揮者の振り方によって異なります。そのために、金魚鉢の中では指揮もできるような人がスコアブックを追い、キューを出すんです。こういう仕事もあるのか! と感激しました。また、リハーサルのためのピアノ伴奏者や、コーラスのみの指揮者がいることも初めて知りましたし、本番の指揮者は、最後のドレスリハーサルになって初めて現れるということは驚きでした。本当にいろんな人が関わって、一つの舞台が出来ているのだなぁと感動し、オペラがなぜあんなに高いのかということがようやく分かりました(笑)。
そうそう、この間私もキューを出したんですよ! ある大きなイベントで、外国人スピーチの際にスライドを使用したのですが、舞台裏のオペレータが英語が分からず、どのタイミングでスライドを替えていいのか分からないということで、私がスピーチ原稿を目で追い、キューを出すことに。楽しかったですが、そのスピーチには笑いを取るところがあり、タイミングを間違えると台無しになるので責任重大でした。

Q. 子育てと仕事の両立は?

まさにこれからキャリアを積もう! と思っていた矢先の妊娠でしたが、ここが踏ん張り時だと思いました。私が人に自慢できることがあるとしたら、「諦めないこと」でしょうか。ダメかもしれないとは思わないんです。例えば、子供が病気で預け先もないという時でも、「きっと誰かいるはずだ! 」と考えるんですよ。以前、どうしてもやりたかった仕事がありましたが、その仕事を請けてしまうと保育園のお迎えに間に合いません。でもどうしてもやりたい! そこで考えたのは、「近所の人にお金を払って預かってもらう」という荒業。そうと決まればやるしかないと、上の子供の小学校名簿を引っ張り出してきて、預けられそうな人に片っ端から電話をかけました。結果、2人のお母さんでシフトを組み、お迎えをして頂くことが出来ました。
私の場合、いつも直感で「大丈夫」と思うので、仕事が出来なくなるかもしれないと不安になったこともなく、遊びや楽しみも大事にしたいので、二人目の子供がお腹にいる時なんて会社を休んで海外旅行に出かけました。感じ方に個人差はあるかもしれませんが、子供は大きくなりますから、あぁもう大丈夫と思える時が必ずくると思います。それまでは仕事復帰の日を待ちつつ準備をするのもといいと思います。もう無理だ、とは思わずに長い眼で見るといいのではないでしょうか。
出産を決めた時に、「キャリアを無駄にするのか」と言われたこともありましたが、今ここで産まなければ絶対に後悔すると分かっていましたし、実際に産んでよかったと思っています。例えば、仕事を「正社員」というくくりで考えるのであれば、私は成功例ではないかもしれませんが、通訳・翻訳においては何よりも実績が物を言います。また、私の場合は出産によってキャリアに傷がついたということはなく、逆に仕事を呼んできてくれたような気がするんですよ。

Q. 子育てにおける、オンサイト・在宅、それぞれのメリットをお聞かせ下さい。

在宅のいいところは、常に緊張感があること。これがダメだったら、次はこないかもしれないと思っていつも仕事をしています。毎回分野も異なる上に、限られた時間で最大のパフォーマンスを出さないといけません。夜中に出来るということも、子育て中にはちょうどいいですよね。インハウスの場合は、保育園のお迎えがあるので、毎日午後5時には会社を出る必要があり、そこまでに必ず仕事を終わらせないといけないわけです。午後6-7時まで会社にいられる人には、そこまでの緊張感はありませんよね。終わらないと帰れない、でも子供は待っているということで、常に高い緊張感と集中力を保つことが出来たと思います。いずれにしても、限られた時間でやるからこそ、濃密な時間を過ごせるのではないでしょうか。

Q. 今後のキャリアプランは?

実は5年ぐらい前から、シリコンバレーにあるベンチャーキャピタルの東京連絡事務所を担当しています。だんだんネットワークも広がってきているので、将来何かここからつなげていければいいですね。私はIT専門の技術者ではありませんが、新しいビジネスに関われるのは、なんとも胸躍ることなんです。通訳・翻訳の仕事もこのまま続けていきたいので、ビジネスと両方で良い方向に進めていければいいなと思います。

Q. ご趣味は?

映画、料理、そして食べることです。ジムにも通っています。体力はつけないといけませんからね!

Q. もし通翻訳者になっていなかったら?

体力系の仕事をしていたような気がします。高いところが平気なので、とび職とかがいいかもしれません。そういえば、以前ある仕事を依頼されたのも、高いところがこわくなかったからなんです。他の通訳さんは、高いところに上って通訳するのがこわいがために、下から通訳していたらしいんですよ。私はそういうことが全く苦にならないので、重宝がられたようです。契約終了の時には、「もっといてくれる? 」と言われましたし、本当に何が幸いするか分からないですね。

Q. これから目指している方へのアドバイスをお願いします。

通訳、翻訳という言葉に少しでも反応した時点で、もう道は開けていると思うんですよ。例えば、私が他の職業に食指が動かないのは、「出来ないから」ではなく、やっぱり何か理由があるからだと思います。ですので、通訳という言葉に「ぴきぴーん! 」と反応したということは、可能性があるということです。ただ、それを「出来る」というところまで持っていけるかどうかですよね。
これを読んでいる方の中で、何もしないうちから、あれこれ頭で思い悩んで、勝手に高い敷居を設けている人はいませんか? 通訳学校を卒業したからといって、仕事が来るわけではありません。ただ待っているだけでは、「あなたは通訳です」と太鼓判おして仕事をくれるところはありません。もちろん、最初は暗中模索かもしれませんが、見晴らしの良いところにたどり着くにはにどうしたらいいか、試行錯誤してみてください。勉強が足りない、英語力が足りないということから仕事を眺めると、とてつもなく遠いかもしれません。でも、今の自分の実力で何か出来ることはないだろうかと考えてみると、また見え方が変わるかもしれませんよ。もちろん、仕事をしていく中で痛烈に自分の力の無さを感じる時もあるかもしれませんが、その時はそこから勉強して、次こそはと思うんです。私は今もその繰り返しです。

<編集後記>
カッコイイお母さんです! 「諦めないことが自慢です」とおっしゃっていましたが、必ずや何か道はあると信じて進む姿勢は本当に素敵でした。努力と成功は比例するのですよね、私までも背中を押してもらった気がします。

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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