TRANSLATION

Vol.19 翻訳者は成果物が全て

ハイキャリア編集部

翻訳者インタビュー

[プロフィール]
Mari Hodgesさん
マリ・ホッジェス

米国カリフォルニア州出身。17歳の時に初来日、飛騨高山の高校にて1年間学ぶ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校社会学部在学中、同志社大学に1年間留学。大学卒業後、在日・在米の日本企業にて通訳・翻訳者として勤務。現在はアルゼンチンに滞在し、フリーランス翻訳者として活躍中。

Q. 言葉に対する興味は昔から強かったのでしょうか?日本語を勉強しようと思ったきっかけは?

高校生の時は、ラテン語を勉強していました。ラテン語を学ぶと、英語の理解も深まりますし、スペイン語も少しは分かるようになるかなと思って。
ちょうどその頃、我が家では、アメリカに修学旅行でやってくる日本人学生をホームステイ先として受け入れていたんです。学生たちと仲良くなったことから、日本語を勉強してみようかなと思い、近くの大学で開講していた日本語講座を受けました。最初の授業のことは、今でも鮮明に覚えています。日本人の先生が、ミッキーマウスとミニーマウスの人形を持ってきて、「こんにちは」、「はじめまして、僕はミッキーです」と日本語で言ったんですよ。何のことやらさっぱり分からなくて、クラス中がパニック(笑)! 「英語じゃないから分からない!」と思いましたね。そしたら先生が、「もう一度やるから、よく聞いてください。ミッキーは何をしていますか? 」と言うんです。落ち着いて聞いたら、何となく挨拶のようなことを言っているのかなというのは分かりましたが。ここから私の日本語人生が始まったんです。

Q. 17歳の時に、初めて日本にいらっしゃったようですね。

ホームステイしていた日本の友人に会いたかったし、日本にも一度住んでみたいなと思っていたので、高校卒業後、ロータリークラブの奨学金を得て留学しました。留学先は、飛騨高山の高校です。1年間のプログラムでしたが、大変充実した毎日でした。日本に着いたばかりの頃は、それこそミッキーの挨拶ぐらいしかできませんでしたが(笑)、幸い担任の先生が英語のできる方だったので、毎日日本語の個人レッスンをお願いすることができました。自宅では参考書とにらめっこし、道を歩いていて耳に入ってきた不思議な言葉は必ずメモして先生に尋ねるようにしました。期間が1年間と限られていたので、とにかく「日本人になってみる」という思いで、いろんなことに取り組みました。お茶、お花、剣道そして柔道を習ったんですよ! 大変なこともありましたが、毎日が新しい発見の連続でした。
その後、大学時にも1年間日本に滞在したんですよ。

Q. その頃は、日本語を使って仕事をしようとは思っていなかったんですか?

もともと日本語に興味を持ったのも、友達と仲よくなりたかったからなので、そこまで真剣に「仕事で日本語を生かそう!」とは考えていませんでした。大学生の頃、カリフォルニアではかなりの日本語ブームが起こり、大学の日本語クラスには、何百人という学生がいました! 学生の多くは経済学専攻で、日本語を勉強するのも将来のことを考えてのこと。でも、その頃の私は、ビジネスにはあまり興味がなく、単純にもっと日本語が話せるように、そしてもっと読み書きができるようになりたいと考えていました。
漠然と思い描いていた当時の夢は、企業にてカウンセリング的な仕事をすることです。人と人が一緒にうまく行動できるよう、何か手助けができればと思っていました。例えば、アメリカで働く日本人が、うまく皆と溶け込めるよう、またはアメリカ人がうまく日本社会に溶け込めるような環境づくりという感じでしょうか。

Q. 大学時に、NHKビデオ基礎英語にご出演されたと伺いましたが。

そうなんですよ(笑)。大学の先生の紹介だったのですが、アメリカで面接がありました。当時の私の日本語には飛騨弁が残っていたらしく、「こういう人がいたら面白いんじゃない? 」と番組制作側が思ったようです。スキットに出てくる文法を解説するのが私の役目でしたが、当時の私にはあの長い台詞を覚えるのは非常に難しかったです。それから、なんとも不思議な衣装をとっかえひっかえ着せられ妙な気分でした。その後、日本の書店でNHK教材のビデオパッケージに自分の顔が載っているのを見つけた時には、顔から火が出るほど恥ずかしかったです!もはや市場に出回っていないことを祈るばかりですが……(笑)。

Q. 大学ご卒業後の進路は?

東京で、日本の自動車メーカーに就職しました。マーケットリサーチが主な業務でしたが、日本語力を買われ、社内会議の通訳や翻訳も担当しました。これをきっかけに、何となく翻訳って面白いなと思い始めたんです。その後NYに引越し、日本の精密機器メーカーにて、会議での通訳や技術関係の翻訳を経験しました。その後、日本の新聞社に移ったのですが、ここでは人事担当として働くことができ、大学生の頃から思い描いてきた夢に近い仕事を経験できたことは大きな喜びでした。マネージャーは全て日本人でしたが、米国人社員もいたので、その間に立って仕事をするのは大変面白かったです。
その後、アルゼンチンに引っ越し、現在に至っています。
NYに引っ越した時、本当はフリーランスで翻訳をやろうかなとも思ったんです。ただ、サラリーマンの方がやっぱりお給料も保障されていて、環境も安定しているし、毎週きちんとお休みがあって、保険もカバーされているということを考えたときに、こわくなったんです。フリーになるということは、これまで当たり前のように感じていた環境がなくなるということですから。また、NYという新しい土地に対する不安もあり、まずは企業に勤めようと思ったわけです。それが変わったのは、アルゼンチンに引っ越してからでしょうか。きっかけは特にないのですが、ある時、何かがふっきれたというか。

Q. 通訳者になろうとは思いませんでしたか?

企業で働いていた時には会議通訳を多く経験しましたが、フリーランスになった今では、場所もアルゼンチンということもあってか、通訳の機会はそれほどありません。もし機会があれば、今後もやってみたいと思っています。ただ、性格的には翻訳の方が向いていると思います。通訳は、いろんな人に会うことができ、とても楽しい仕事ですが、個人的にはじっくり落ち着いて言葉を選んでいく方が好きです。

Q. アルゼンチンに引っ越した理由は?

2001年にアルゼンチンに移りました。何度か旅行で訪れていて、とても気に入っていたことと、私自身ダンスが好きなので、それなら1年ぐらい住んでみるかと思ったわけです。といいつつ、もう5年になるんですが(笑)。最初の3年間は現地にある日系企業で働きました。日本語とスペイン語の翻訳もしていましたが、プロジェクト・マネジャーとしてメインの業務は別にありました。そうそう、仕事ではスペイン語を使うんですが、最初は悲鳴をあげたくなるぐらい分かりませんでした。事前に勉強はしていたものの、いざ着いてみると、現地の人の話すスピードにはついていけないし、スペイン語は国によって少し異なるので、何がなんだかさっぱりわかりませんでした。最初は週に3-4回個人レッスンを受けて、何とか日常生活を乗り切りました。午前中は皆の話していることも何とか分かるんですが、午後になると頭が疲れてきてもうダメ……(笑)。5年経つ今では、ほぼ問題なく話せるようにはなりましたが。行動的だと周りには言われるものの、単に何も考えていないだけなのかもしれません。自ら大変な道を選んでしまうようです。

Q. お好きな分野は?

ビジネス関係、その中でも、人事・経営関係の翻訳は特に好きですね。社内規則や契約書の翻訳依頼があると、わくわくしてしまいます。

Q. 今だから話せる翻訳での失敗談は?

株主総会報告書を翻訳していた時のことです。エージェントからは、「このページだけ訳してください」と指定があったのですが、翻訳し始めたら夢中になって、すっかりそのページ指定を忘れて全部翻訳してしまいました。訳しながら、「この分量でこの納期なんてありえないじゃないの! 」と一人でつぶやいていましたが、本来は、全体の3分の1の量でよかったんですよね(笑)。納品後、エージェントから「申し訳ありませんが、頼んだのはこのページだけなので、お支払いもこの分だけになります」と電話が! 事実を知って、自分のことながら呆れました。依頼のメールはきちんと読まないといけませんね!

Q. マリさんの強みは?

分野で言えば、人事・マネジメント関係が強いということ。興味を持っている、またその分野での実務経験があることから、言葉選びの感覚と資料の作り方は心得ています。
性格的には、細かいことにまでこだわるということでしょうか。プルーフリーディングの仕事を頂くこともありますが、翻訳された原稿の中には、とても成果物として出せないようなクオリティのものもあります。一体どうやってこれで翻訳者として仕事をしているのだろうと思ってしまいます。例えば、すごく簡単な仕事があったとして、すぐに翻訳が終わったとします。でも、もしその中に1箇所でも納得できない表現があったとしたら、私は一日かけてでも他にいい表現がないか考えます。決して効率的な仕事のやり方ではないかもしれませんが、一度頼まれた以上、いい加減な翻訳を提出することはできません。やっぱり、細かいところまで調べてこそプロだと思うんですよ。例えば、インターネットで調べて分からなければ、別の方法を考えるべきです。
プルーフリーディングの仕事をするまでは、他の翻訳者が一体どのくらいのクオリティのものを出しているのかは分かりませんでした。もちろん、素晴らしい翻訳者はたくさんいますが、逆に愕然とするようなレベルの人も翻訳者として働いているのだなということが分かりました。大切なのは、訳した後に、全体を読んで自分でちゃんと理解できるかどうか。一箇所でもつまづくようなところがあれば、それは成果物としての基準を満たしていません。性格かもしれませんが、早めに納品した後に、「あ、あの言葉って」と気になったので、書き直して納品したこともあるんですよ(笑)。

Q. 今の1週間のスケジュールは?

毎週違うので、一概にこうですとは言えません。朝から翌朝まで翻訳していることもあれば、毎日6時間と決めているときもありますし、その時の仕事量にもよりますね。ただ、ずっとパソコンの前にいると疲れてくるので、多くても1日8時間にしようと努めています。身体も大事にしないといけませんからね。
仕事以外でも、できるだけいろんな活動をするよう心がけています。一人で家の中にいるのは、心身ともによくありませんし、翻訳をしていると時間の感覚も無くなってしまいがちです。ふと気づいたらご飯を食べていなかったり、身体の節々が痛かったり(笑)。会社勤めをしていた頃と違い、夜や週末に仕事をするのが当たり前になっています。そうそう、私は日本のエージェントから仕事を頂くことが多いので、時差を調節するために、夜から早朝にかけて仕事をし、昼間寝るという生活をすることもあります。

Q. ご趣味は?

ダンスです。今はタンゴを習っています。その他に、自分でもダンスを教えているんですよ。ブラジルの踊りでズークというものです。それから、時間が空いたら友達と会ったり、飼っている2匹の犬と遊んだりしますね。

Q. 今後のキャリアプランは?

今の生活には大満足しているので、これからも翻訳者でいます!たまに、「次はどこに住もうか」と考えるんですが、ロンドンなんか面白いかもしれないと思っているところです。日本にもまた住みたいですね。たまに旅行や短期滞在で日本に行くと、あぁもっと長くいたいなぁと思ってしまいます。でも、フリーランスなら、パソコン環境さえあればどこにいても大丈夫ですよね。今はアルゼンチンでの生活が楽しいですし、将来自分がどこにいくかは全く考えていません。今のことしか考えていないんですよ。アルゼンチンの人には、いつも聞かれるんですけどね。「いつまでいるの? 」って(笑)。

Q. 翻訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。

私も過去にアドバイスされたんですが、とにかくたくさん読み、たくさん書くことです。また、分からないことがあっても、まぁいいやとか、このくらいならいいだろうとは思わないこと。納得のいくまで努力してください。それがひいては自分にかえってきます。翻訳という仕事は、少し語学ができると簡単に請けてしまう人もいるかもしれませんが、気をつけて頂きたいと思います。もちろんお金を支払う人が決めればいいことなのですが、やっぱり「それなりの仕事」になってしまうのではないでしょうか。また、翻訳者になるのに、特に資格は必要ありませんよね。大学の頃、どうして日本語を専攻しないのかと聞かれたことがありましたが、私には「日本語ができるという証明書」は特に必要ありませんでした。もちろん、自己啓発のために資格を取るのは素晴らしいことだと思いますが、もしなくても、翻訳ができるかできないかは、成果物を見れば一目瞭然ですよね?

<編集後記>
地球の裏側、アルゼンチン在住翻訳者さんへのインタビューをお届けしました。時差をうまく利用して仕事ができるのも、在宅翻訳ならでは。「日本語ができるという証明書は必要なかった」との台詞には感動しましたが、その言葉の重みを一番知っているのもマリさんご本人なんだろうなと思いました。今頃アルゼンチンは何時でしょうか……?

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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