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ものを作り上げる、ということ

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

技術系の人々の仕事への取り組み方って、すごいなあ。そうしみじみ思う。

先日アマゾンで数十冊まとめ買いをした中に、「稲森和夫のガキの自叙伝」があったので、金曜日の帰り道に読み始めた。

基本的には「それは不可能です」というところから仕事が始まる。そう思える仕事を受注し、全身全霊を傾けて、何とか注文どおりのものを作り出そうとするのだ。

こんな一節がある。

<引用ここから>
ある日、深夜まで働いている社員を激励に行こうと夜中の二時ごろ工場を回ると、プレスの担当者が電気炉の前で悄然と立ち尽くしている。そばに寄ると肩を震わせて泣いているではないか。訳を聞くと、焼成炉内が均一の温度にならず、寸法に微妙な差が出てしまう。その日も今度こそという思いで炉を開け、取り出してみたが、やはり寸法がずれていた。それですっかり意気消沈していたというのだ。「今日はもう寝ろ」と私がいっても動こうとしない。私は担当者に「焼成する時に、どうかうまく焼成できますようにと神に祈ったか」と聞いた。神に祈るしかないほど、最後の最後まで努力を傾けたか、といいたかったのだ。「神に祈ったか。神に祈ったか」。その言葉を何度も繰り返した彼は「わかりました。もう一度一からやってみます」とうなずいた。やがてついにこの難題を克服したのである。
<引用ここまで>

もちろん製造業と通訳や教育という仕事は、完全に同一には語れないだろう。しかし、仕事に関わらず、何かに積極的に立ち向かっていく上で、大事なことを示唆してくれている文章だなと思う。「とにかく気合で何とかしろ」という、精神論ではない。しっかりした実践があり、それでもあと一息で越えられない壁がある。それをどう越えるかという話だ。

思うような結果が出ないで涙を流すというのは、それだけ一途に仕事に打ち込んだ証拠だろう。

あれこれと考え付く手はすべて打ってみる。それでもうまく行かないので、考え抜いた挙句の妙案を試してみて、なおも越えられない壁に対して挑み続ける。

寝ても覚めてもその壁を突破することを考えて、ついに「これならば!」と思った手を打ってみた。しかしやはり壁は厳然としてそこにある。涙が頬をつたうのは、そんなときに違いない。

新学期を迎えてあれこれと仕事が飛び込み、自分なりにあれこれ時間管理をしたり気合を入れて立ち向かったりしていたのだが、すでに敗色濃厚というか、負け戦的な雰囲気が漂っていた。第1週目にして早くも「修羅場」状態かよと肩を落としていたが、まだまだ甘い甘い。仕事をするというのは、それが基本なのだ。

通訳者としても、教師としても、まだ「神に祈って」はいないなと思う。まずは「電気炉の前で涙を流す」ところまで行かねばと思う。

そして、ゆくゆくは壁を乗り越える。そして、その経験を元に、壁の前で涙を流す学生たちに、「神に祈ったか?」と語りかけ、奮い立たせることが出来るような存在になりたいものだ。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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