第285回 夢から覚めたときに思い出す詩
不思議な夢を見て、ガバッと目覚めることありませんか。
冷静に振り返ってみると支離滅裂なのに、夢の中にいたときにはリアルに感じられた。
そんな風にして、夢から覚めたときの何とも言えないふわふわした感覚を覚えたときに、ふと思い出す詩があります。
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I Dreamt I Caught A Little Owl
Christina Rossetti
‘I dreamt I caught a little owl
And the bird was blue -’
‘But you may hunt for ever
And not find such a one.’
‘I dreamt I set a sunflower,
And red as blood it grew -’
‘But such a sunflower never
Bloomed beneath the sun.’
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小さなフクロウをつかまえる夢を見たよ
クリスティーナ・ロセッティ
「小さなフクロウをつかまえる夢を見たよ
青いフクロウの夢」
「そんなの探し回ったところで
見つかるわけないでしょ」
「ヒマワリの種を植える夢を見たよ
血みたいな真っ赤なヒマワリの夢」
「そんなヒマワリなんて
この世にあるわけないでしょ」
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これ、地球上のどこかで毎朝繰り広げられていそうな親子の会話ですよね。
‘I dreamt I caught a little owl
And the bird was blue -’
「小さなフクロウをつかまえる夢を見たよ
青いフクロウの夢」
青いフクロウというだけでも、なかなか突拍子もない夢なのですが、つかまえる夢を見たというのが、その突拍子のなさに拍車をかけています。
夢がありありとリアルに感じられるのは、ただ青いフクロウを見たからでなく、それをつかまえたという手触りがあるからですよね。
フクロウと言えば、西洋では知恵と知性の象徴。なにやら謎深い世界に入って行くように思えるのですが、寝ぼけまなこの子どもの目を覚ますような辛辣な反応が返ってきます。
‘But you may hunt for ever
And not find such a one.’
「そんなの探し回ったところで
見つかるわけないでしょ」
一刀両断!
かなりデフォルメされた古典的な親子の会話風ではあるのですが、冷静に考えても、「青いフクロウなんていないだから、それよりまず着替えなさい」と、子どもに言いたくなる気持ちも分からなくもないですよね。
「ヒマワリの種を植える夢を見たよ
血みたいな真っ赤なヒマワリの夢」
青いフクロウの次は、真っ赤なヒマワリ。
血みたいな真っ赤なヒマワリって!
いったいこの子どもは、寝る前にどんな恐ろしい絵本を読んでいたのか!それとも、なにか子どもの心理状態の危険な兆候か!
そんな風にドキドキしていると、またもや冷静な反応が親から返ってきます。
‘But such a sunflower never
Bloomed beneath the sun.’
「そんなヒマワリなんて
この世にあるわけないでしょ」
またもや一刀両断!
ここでふと気づきませんか。夢は、青いフクロウや真っ赤なヒマワリというディテールが鮮明なのに対して、反応はと言うと、「そんなことあるわけない」というシンプルな言葉。
ここで、両者で見えているものも、それを形容する言葉も異なるということが、分かってきます。これは、朝の親子の会話に限らないですよね。大人同士、仕事の現場でもよくあることです。
夢や構想、企画やプロジェクト。ビジョンを持つ人の頭の中では、すごく鮮明に見通せていることが、他の人にはピンとこないらしく、その熱量も伝わらず、冷たくあしらわれることがあります。
青いフクロウと真っ赤なヒマワリの詩を読んでいるだけなのに、「夢なんか見るな。現実を見ろ」という、古典的な漫画かドラマのセリフが聞こえてきそうです。
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今回の訳のポイント
寝ぼけまなこの子どもと、朝の支度に忙しい親の姿が思い浮かぶこの詩。
最後の行に、日本語訳ではそのニュアンスを伝えきれないフレーズがあるんです。
‘But such a sunflower never
Bloomed beneath the sun.’
「そんなヒマワリなんて
この世にあるわけないでしょ」
ポイントは、beneath the sun 「太陽の下で」つまり「この世に」という意味のフレーズです。「お日さまが照らすところ」とは、つまり「この地球上あらゆるところ」ということになるんです。
ニュアンスとしては、sunflower 「ひまわり」と言えば、太陽の方を向くわけですが、その太陽という単語を含む beneath the sun 「太陽の下で→この世に」が掛け言葉になっていて、これらの単語を見たときに、「ひまわり→太陽→この世のすべて」というつながりに、ニンマリしてほしいということなんです。
掛け言葉と言えば、日本の和歌も、掛け言葉が代表的なテクニックの一つになっています。
住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ
(住の江の岸に打ち寄せる波、夜の夢の中でさえ、どうして君は人目を避けるのだろうか)
藤原敏行朝臣
百人一首にも収録されている和歌ですが、「よる」が「寄る」と「夜」の掛け言葉になっていて、「よる」という言葉を見た瞬間に、この2つを連想してニンマリするということなんです。
「夢」と言えば、日本の和歌でも、思い人が夢に出てくれば出てくるほど相手も自分のことを思ってくれているのだ!という考えが根底にあって、古今和歌集にも夢を扱った和歌がたくさんあります。
英語の詩集を読んでいたら、そう言えば同じような掛け言葉の和歌があったなあと、日本の和歌集を読みたくなることが、自分はよくあるんです。そんな風にして、英語と日本語を行き来して、詩や和歌を楽しめる贅沢!みなさんにも味わってほしいです。