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第1回 寺田真理子様

ハイキャリア編集部

工藤浩美のプロフェッショナル対談

工藤:「工藤浩美のプロフェッショナル対談」の第一回目は出版翻訳者の寺田真理子さんにお越しいただきました。寺田さん、今日はよろしくお願いします。

寺田:こちらこそよろしくお願いします。

工藤:寺田さんとはもう18年ぐらいのお付き合いになります。ハイキャリアを立ちあげた当初「マリコがゆく」というコラムを書いていただきました。通訳者の裏事情など面白おかしく書いてあったので、人気コンテンツでした。

寺田:あの当時は通訳の仕事をしていました。

工藤:今は「あなたを出版翻訳者にする7つの魔法」というコラム記事を担当していただいておりますが、そのコラムが今回書籍化されることになりました。出版おめでとうございます。寺田さんにとって何冊目の本になるのでしょうか?

寺田:監修させていただいた本も含めると15冊目になります。

工藤:今までハイキャリアではいろんなコラムを作ってきましたが、コラムが書籍化されたのは初めてです。今日は出版を記念して色々お話をお伺いしたいと思います。寺田さんは日本読書療法学会会長、パーソンセンタードケア研究会講師、日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラーという三つの肩書をおもちですが、まずは寺田さんと英語の出会いについて教えてください。

寺田:小学4年から父親の仕事の関係でコロンビアで過ごしました。日本人学校に通っていたんですが、英語の家庭教師につく生徒が多かったんです。ところがその先生はテキサス訛りの英語で、Newが「ニュー」じゃなくて「ヌー」みたいな発音が正しいと思っていました。中学はベネズエラに引っ越したのですが、そこで出会ったハーバード卒の英語の先生に徹底的に直されました。例えば TH の発音ができないと目の前に半紙を置いて「この半紙が吹き飛ぶぐらいの勢いでやりなさい!」と。英語はその後も好きで、帰国後はICU高校に入り、大学でもずっと英語の勉強はしていました。

工藤:東京大学の法学部ご卒業ですよね。将来は弁護士を目指されていたのでしょうか?

寺田:いえ、私の中では東大病だったのかも。東大に入らなければ自分には価値がないと思い込んでいました。卒業の時自分は一般企業には向いてないと思って通訳エージェントにコーディネーターとして入社しました。時々通訳者が手配できない時に通訳者として現場に出ることがあったのですが、コーディネーターの仕事より現場の通訳者の仕事が楽しかったんです。そこで通訳学校に通い、フリーランスの時期を経てからインハウス通訳者として複数の企業で働きました。

工藤:テンナインとの出会いはそのころでしたよね。

寺田:実はその前の現場があまりにハードだったので、心と体のバランスを失ってしばらくお休みしていました。そろそろ社会復帰したいと思ってテンナインに登録しました。

工藤:そういう辛いご経験があったとは知りませんでした。

寺田:今では心の病気は周りの理解がありますが、当時はうつ病になるともう社会復帰できないのではないかという恐怖心がありました。重度の人ほど病院に行けないといった逆転現象があり、私も行けませんでした。

工藤:自分がうつ病だとはどうやって分かったのですか?

寺田:そう思ったのはずっと後になってからです。小さい頃はメキシコで過ごしたので、帰国後も日本語が分からず、生活習慣も理解できず、学校でいじめられました。その後行ったコロンビアでも家が狙撃されたり、隣人が誘拐されたりと日本では考えられないような経験をしました。様々なストレスで、中学生から精神安定剤を服用するほどになったんです。それがハードな通訳の仕事で綻びが一気に出たみたいな感じでバランスを失ってしまいました。

工藤:どのように治療されたのでしょうか?

寺田:私は本に助けられました。うつ病になると処理能力が極端に低下するので、最初は文字が読めませんでした。本を開くと情報がたくさんあって、それだけで気持ち悪くなってしまうんです。最初はモノクロの写真集をめくるように、徐々にある程度文字のあるものを選びました。心理学や自己啓発的な本の中にロールモデルを見つけたりしました。どうしても暗く考え込んでしまうところがあって、自己否定をしてしまうのですが、自分の考え方のクセを知って学んでいくことで回復できました。その後に読書療法という分野があることを知って、自分で研究して学会を立ち上げました。

工藤:翻訳者なら誰しも一度は出版翻訳をしてみたいと憧れると思うのですが、どのような流れで出版翻訳のお仕事をされるようになったのでしょうか?

寺田:意識的にシフトしたというよりも偶然の流れです。本に助けられた経験から、将来自分でも出版したいという漠然とした夢がありました。ただ出版業界に知り合いもいないし、どうやって本を出すかわかりませんでした。その時出会った認知症介護関係の方に、この分野の翻訳がやりたいので何か機会があったら連絡くださいと声をかけたところ、日本で出版翻訳したい原書があるという大学の先生をご紹介いただいて、認知症の本の翻訳を任せていただくことになりました。

工藤:そもそもなぜ認知症に興味を持つようになったんですか?

寺田:うつ病と認知症は症状がよく似ています。うつ病はひどい時は外出ができなくなります。少し良くなって外に出られるようになってからも基本的な事が何もできない。例えばカバンを開けてお財布を取り出すという時に、カバンのファスナーをまず開けなきゃいけないということがわからず、パニックになって過呼吸になってしまいます。

工藤:まず興味があって、その分野を深く極める過程でチャンスがあったんですね。コラムの中で出版翻訳の営業について書かれていますが、営業方法は自分で考えられたんですか?

寺田:最初は自己啓発本などを参考にアプローチ先を研究して、飛び込み営業をしていました。それがだんだんご縁ができてお仕事に結びついています。今は実績と共に版元さんに任せることも増えてきました。

工藤:自分が書いていいのだろうかという心理的な壁があるという話が面白かったのですが、どうやって乗り越えられたんでしょうか?

寺田:最初は大御所の先生しか出版翻訳家と名乗ってはいけないのではと思っていました。ただ大御所の方だと読者から見たら遠すぎて、道のりがつかみづらいこともあります。そういう意味では私ぐらいのキャリアがかえってちょうどいいのかなと思いましたし、また客観的に考えた時にもう15冊ぐらい出版している訳なので私でも大丈夫だと思うようにしました。

工藤:英語の勉強法の本は出版される予定はないのでしょうか? 東大出身通訳翻訳者の英語勉強法はみんなの参考にしたいと思うんですが。

寺田:私の経験が参考になるでしょうか? 英語に限らず勉強全般に言えることですが、基本的なことをきちんとやるほうが結局は近道なんですよね。どうしても高得点を取るために、ヤマをかけたりしてしまいがちですが、一番肝心なのは、一つ一つ基礎を積み重ねていくことだと思います。私は元々精神的に体育会系なので、勉強の仕方がわからないという人は、分からないと簡単に言う前に、泣くまでやってみればいいと思ってしまうんですね。分からないところを10回やりなさい、それでもできなかったら100回やりなさいっていう感じなんです。

工藤: ご自身の体験を講演会でお話されていますよね? 参加者の方々からすごく共感されたのではないでしょうか。

寺田:そうなんです。実は私もうつ病を経験しましたとか、夫がうつ病で家を出られないとか、その反響に驚きました。日本読書療法学会の活動も9年目になります。立ち上げ当初は私もあまり情報がなかったので、イギリスの事例を調べたり、日本でどう活用するか研究したりしました。会員はうつ病経験者だけでなく、大学の先生など教育関係者、精神科医やカウンセラーなど心理関係者、著者や翻訳家、編集者など出版関係者、図書館員や司書などです。

工藤:どういった本を選ばれるのでしょうか?

寺田:人によって様々です。まず本が読める状態かどうか、あとはその方の好みもありますね。絵本もよく使います。疲れていても文字数が少ないと読みやすい上にテーマが伝わりやすいからです。

工藤:パーソンセンタードケア研究会講師というのはどういった活動ですか。

寺田:認知症に興味を持ったきっかけはお話ししましたが、認知症関連の翻訳書を結構出版していますので、読者の方から講演を頼まれることも多くなりました。私は心理カウンセラーでもあるので心理学とパーソンセンタードケアを組み合わせてワークショップ形式で日本全国、医療施設や介護施設で研修を行っています。

工藤:それは認知症の介護をする方を対象とした研修でしょうか?

寺田:そうです。認知症の方は処理能力が落ちているので、「何飲みたい?」と聞かれても選択肢が多すぎると分からなくなります。でも「お茶入れたけど飲む? 飲まない?」と聞くと答えられる。そういったちょっとしたことを知っているだけで、コミュニケーションが取れます。今はコロナの影響で研修会ができなくなっていますが、これまでに数百回開催していました。

工藤:出版翻訳のことをもう少し聞かせてください。翻訳のご依頼は出版社からお声がかかるのでしょうか。

寺田:私の場合は半々です。翻訳をやっていく中で自分が目利きになって本を探すのが上手になってきます。私は割と感覚的に見つける場合が多いですね。「あ、これだ!」というひらめきがあって、どういうニーズがあるかというのは後から調査する、まずは感覚で論理は後からという形です。そしてその本を出せる環境も作っていくことが大事だと思ってます。

工藤:本を出せる環境とは?

寺田:例えば認知症に関する本には、セクシュアリティの話などが入っていると、高齢者の性ということで敬遠されがちです。でも今年は元々オリンピックがある予定でしたので、その流れで LGBTの問題が取り上げられ世の中の認識が変わっていくだろうということを期待して、その中でうまく出版できないかと考えていました。まずは問題への意識を高めるために、テレビ局の関係者や医師、研究者などに働きかけて、本を出しやすくするために動いています。

工藤:年間何冊ぐらい本を読まれるのでしょうか?

寺田:月20から30冊、年間300冊ほど読みます。図書館も結構活利用しています。

工藤:300冊はすごいですね。また産業翻訳と出版翻訳の大きな違いは何でしょうか?

寺田:産業翻訳の場合は読者というよりもそこで役に立つかどうかが大事ですが、文芸や出版は長く読んでもらうとか相手の気持ちにどう届くかというのを考える必要があります。特に小説の場合は10年20年勉強して翻訳者になられる方も多いですし、自己啓発本などに比べても出版翻訳の中でも一番難しいと思います。コラムの中にも書きましたが原文を読む人は少ないため、翻訳された本がその小説の表現のすべてになってしまいます。日本の読者の好みもありますし、どこまで合わせるかも重要になります。

工藤:いつか自分で小説を書きたいと思うことはありますか。

寺田:実は書いています。

工藤:やっぱり(笑)私も起業前はシナリオを書いていたので、いつか小説を書きたいと思っています。寺田さんほど筆力があったら自分の物語を書きたいと思うのは自然の流れです。

寺田:「虹色のコーラス」という小説を翻訳したのがきっかけで、小説の勉強をしています。小説は賞を取らないとなかなか出版できません。一次、二次は通るのですが最終選考に残るのが難しい。連作短編、中編、長編などを書いています。

工藤:是非読んでみたいです。どういった題材を書かれているのでしょうか。

寺田:題材は色々ですが、今は通訳者が主人公の小説を書いています。

工藤:是非今度読ませてください。将来直木賞作家になるかも知れないですね。今日はお忙しいところお時間を取っていただき本当にありがとうございました。

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ハイキャリア編集部

テンナイン・コミュニケーション編集部です。
通訳、翻訳、英語教育に関する記事を幅広く発信していきます。

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