INTERPRETATION

第169回 何が原動力になるか

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

英語でもスポーツでも、最近は「楽しみながら学ぶ」というスタンスがとられています。数年前に家族旅行でスキーに出かけたとき、私はスキースクールに入ったのですが、インストラクターの方も同様のことを述べていました。昔は厳しく指導をしたものの、今は時代も異なり、褒めて楽しくレッスンを進めていくというのですね。それが学習者の励みになり、学びそのものが喜びに代るのであれば、いずれは学習者自身が自ら学んでいくことでしょう。

では「悔しさ」はどうでしょうか?

学びにおける「悔しさ」は大きな原動力になると私は考えます。「あのライバルに負けたくない」「もっと良い点をとって周囲をアッと言わせたい」ということは、大々的に公言すると憚られる感じがしますよね。けれども心の中で抱くこと自体は悪くないと思うのです。

私は幼少期に海外で暮らしていましたが、当時は肌の色が違うだけで別の扱いを受けたこともありました。今のように人種問題の啓もう活動が広がっていなかったためです。英語もダメ、スポーツも不得手でしたので、体育の時間にチームを結成するときは最後の最後までお荷物状態でした。

そうした悔しさがあったため、「数学では絶対に負けない」「ピアノの検定では上位を目指す」など、自分が勝負できるところを見極めて、勉強や練習に励みました。

私は「帰国子女」という過去を背景に通訳者になりましたが、周囲には海外経験ゼロで同時通訳者や英語指導者になった人がたくさんいます。そうした方たちの多くが「大学時代に周囲が帰国生ばかりで悔しかったから」「海外に行かなくても精いっぱい努力したから」という具合に、悔しさをバネにしています。

悔しさを一つのきっかけにし、自分の力を信じて伸ばし、それが仕事に結びついて社会への恩返しになる。

それこそが立派な社会貢献だと私は思うのです。

(2014年6月23日)

【今週の一冊】

「応援する力」松岡修造著、朝日新書、2013年

ここ数週間私の中では「古典回帰」が続き、新しい本はあまり買わない状況であった。書棚の中から昔読んだ古典を引っ張り出し、再読するという作業が続いたのである。若いころに書き込んだメモなどと「再会」でき、恥ずかしいような、思わずうなずくような読書を楽しんでいた。

今回ご紹介するのは古典とは打って変わって元プロテニス選手・松岡修造さんの本。松岡さんというとテレビでお見受けするエネルギッシュな姿が強烈にあるのだが、本を読んでみると、悩んだり苦しんだりとたくさんの経験を経て今に至っているのがわかる。特にテニスという競技は団体種目と異なり、孤独な戦いである。そうした中、異国に一人で遠征したり、交渉をしたりということが求められる。精神的なタフさも必要だ。

なぜこの本を手に取ったかというと、実はこのところ私自身、慌ただしい日々が続いており、少々息切れしていたからである。通訳現場や教壇に立てばエネルギーは出てくるのだが、家に帰ればもうグッタリ。どうしたらうまくバランスがとれるだろうと考える日々が続いた。

ずいぶん前にパイロットの訓練生の方にお話を伺ったことがある。その方によると、パイロット試験は一発勝負で、合格しなければ操縦することができないのだそうだ。厳しい訓練、そして試験に次ぐ試験。練習の成果がうまく発揮できず落ち込むことも少なくないという。

では本調子でないときはどうするか?パイロットの卵たちは、そのような時こそ「元気な人」と一緒にいるのだそうだ。落ち込んだ者同士が傷をなめ合ってしまうと、ますます暗くなってしまう。だからあえて調子の良い人のそばにいるようにと教官たちは指導しているのだそうだ。

松岡さんが綴る応援も、他者を励まし、また、応援する自分自身にエールを送ることになると私は解釈している。本書には応援の流儀を始め、松岡さんが携わったスポーツ選手へのインタビューや、ご家族との接し方などが掲載されている。4月の新年度から早3か月。梅雨が明ければ本格的な夏の到来だ。ちょっと疲れているかなあという人にお勧めの一冊だ。

それにしても778円で元気になれるとは!イギリス時代、本の価格に驚いた私にとって、日本の書籍は実にありがたい。

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柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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