INTERPRETATION

第699回 通訳者あるある

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

ことばというのは時代と共に変遷します。たとえば「ら抜き言葉」。正しくは「見られる、食べられる」ですが、近年は「見れる、食べれる」もよく耳にします。私が放送通訳者になったのは90年代後半で、当時受けたアナウンス訓練でも「ら抜き言葉」は厳禁。今でもニュースキャスターは使っていませんが、バラエティ番組や街頭インタビューでは聞こえてきますよね。一方の「ヤバイ」も「新明解国語辞典」には元の意味として「犯罪者仲間などの隠語」とあります。でも、今では感動詞として使われているのです。時代の変遷を感じます。

もう一つ私が気になるのが「あるある」という単語。発音によって意味が異なります。たとえば「イギリスに行ったことある?」「あるある!」であれば、「あ」が強くなります。しかし、「部活あるあるネタ」(=部活の世界によくあること)であれば、「る」が高くなるのです。調べたところ、これは80年代後半からお笑いの世界で使われ始めたそうです。

ということで本日は「通訳者あるあるネタ」をお届けします。

1 準備なのに拡張深堀状態へ
毎回受験生並みの詰め込み予習をするのがこの世界。ところが私の場合、好奇心が止まらなくなり、リサーチが拡大・深堀と化すことがよくあります。たとえば某企業の技術に関する通訳を頼まれたのに、その会社のロゴの成り立ち、創業者の家系図、CMの変遷を動画でチェック、社歌の作曲・作者名などという具合。深入りしすぎて「ああ、いけない、本来の技術用語の予習をせねば」と慌てて立ち返ること数知れずなのです。
ちなみに私はこのリサーチを自分で勝手に「増田明美さん現象」と呼んでいます。増田さんも大会前の出場選手のリサーチが膨大ですよね。2021年東京五輪の際、鈴木亜由子選手の母方の祖母が詠んだ短歌まで調べておられました。
一方、落語家・林家たい平さんも念入りな下調べタイプ。3月に春風亭昇太さんが東海大学を卒業された際、たい平師匠は東海大学で中継をしていましたが、その日の東海大学卒業生の正確な数字まで語っていました。

2 単語リストが泥沼化
まだパソコンが無い時代(はい、そういう時代もございました!)はどの通訳者もノートに「手書き」で単語リストを作成していました。難解案件の場合、単語の数は膨大になり、手が痛くなっていたほど。その後私はエクセル派になり、並べ替えも簡単にできることから同じ単語リストの「英日版」と「日英版」も即座に作れるようになりました。
ところが!通訳現場では既知の単語も度忘れするという経験を何度もしたため、「知っている基礎単語もエクセルに入力」となったのです。その結果、最終的に出来上がる単語数は毎回100を超えてしまいます。それを並べ替えて、見やすいようにA4の2分割印刷にするのですが、それでも数ページになってしまう。ホチキス止めして直前まで暗記をするも、本番になると焦って口から訳語が出てこない、ということがあったのです。
そこで考えたのが、単語の前の「列」をもう一つ設けて、最重要単語のみを選んで「A」と書き込みました。このようにして並べ替えるとAと書かれた重要語が冒頭に並びます。他の数十個の中に埋もれることがないのですよね。これでだいぶ気持ちも楽になりました。

3 根を詰めすぎてPCの前に数時間
ついついリサーチが楽しくなり、単語リストもキリの良いところまで入力したくなり、気が付けば数時間も椅子に座りどおし、というのも「通訳者あるある」です。同時通訳や逐次通訳での集中力は10分なのに、なぜかPC前では数時間立ち上がらなくても平気に。私はこれを「通訳者のコアラ化現象」と称しています。コアラは微動だにせず最長4時間居続けられるのです。
でも人間の場合、座りすぎは甚大な医療リスクにつながります。とある調査によれば、「座る時間が2時間増えるごとに死亡リスクは1.15倍になる」とのこと。喫煙や飲酒に相当する健康被害です。いくら興が乗ってきたとは言え、意識的に椅子から離れることは大事ですよね。

ということで本日は「通訳者あるあるネタ」をお届けしました。でも、根本的に言えること。それは「たとえハードでもそれが楽しい!」と思えるのがこの仕事。「やめられない、とまらない」というわけです。

(2026年8月18日)

【今週の一冊】

「西村伊作の楽しき住家:大正デモクラシーの住い」田中修司著、はる書房、2001年

書店の減少が甚だしく、社会問題になっています。昔の私は大学や職場からの帰路、最寄り駅に降り立つとまずは駅前の書店へ。そこで立ち読みしたり、本を買ったりして一息ついてから家路についていました。最近はカフェが「サード・プレイス」となっていますが、私の場合は書店がthird placeだったのです。それだけに、自分の動線の中から書店が消えつつあるのはとても淋しいものです。

ただ私の場合、本を買っても積読という時期が長く続き、次第に読み切れなくなりました。そこで近年は基本的に図書館を活用。リクエストしておくと貸出カウンターで揃えて下さるので、お知らせが来たら借りに行く、というパターンになっています。時短になります。

ところが、リクエストから数週間経っていざ借りると、「はて、なぜ私はこの本を読みたいと思ったのだろう?」となる始末。実は今回ご紹介する一冊もそれに該当します。なぜ西村伊作に興味を抱いたのか、今となっては思い出せないのです。フシギ!

とは言え、紐解いてみると大正デモクラシーのころに西村が建てた家が沢山紹介されています。和歌山で19世紀末に生まれた西村はアメリカのバンガロー建築に影響を受けました。そして日本における「家族のだんらん」の重要性を唱え、デザインに反映していきます。当時は珍しかった上下水道なども自分で設計したのだそうです。

西村が設計した「旧石丸助三郎邸」は後に「ガーデンテラス広尾」という結婚式場になりましたが、今年春に閉業となり、今後については不明のようです。歴史ある建物が保存されることを切に願っています。

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柴原早苗

放送通訳者、獨協大学および通訳スクール講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2024年米大統領選では大統領討論会、トランプ氏勝利宣言、ハリス氏敗北宣言、トランプ大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラム執筆にも従事。

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