INTERPRETATION

第506回 一元化

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

昨年度は出講先の大学授業がすべてオンラインでした。今年度の春学期からは大学の方でも本当に多大な努力をしてくれているおかげで、対面とオンラインのハイブリッド型となっています。私の担当講座は選択科目で演習がメインのため、基本的には対面授業です。

さて先日、クラウドファンディングのサイトを見ていたところ、懐かしいことばが目に入ってきました。それは「大学受験ラジオ講座」です。今の若い方にはピンとこないかもしれませんよね。これは旺文社がテキストを発行し、各受験科目をラジオで放送するというものでした。すでに終了した番組なのですが、私が高校生の頃は全盛期で、文化放送とラジオ短波で流れていたのです。放送時間が決まっているので、聞き逃さないようにしていました。当時はまだ録音するにしてもカセットテープを用意せねばならず、タイマーも別途買ってセットするという、実に煩雑な作業が必要だったのです。よって、そのような手間をかけるぐらいなら、何が何でもオンエア時間にラジオの前に座ろう、というのが大方の受験生のアプローチだったと思います。

で、件のクラウドファンディングですが、呼びかけをされた方は、コロナの今だからこそ、こうした講座を復活させてはと提案しておられました。ラジオ講座はリアルタイムで聴くものでしたので、部屋の中の自分は一人であっても、「ああ、今、この瞬間、全国で同じ受験生たちがこの放送を聴いているのだ」という連帯感があったのですね。それがとても励みになっていました。お互いに顔が見えなくても、「今、この先生のこの授業を一緒に聴いている」という感覚があったのです。毎月発行されるテキストには、確か読者のお便りコーナーや講師の激励メッセージも掲載されていたと記憶しています。ZOOMのようなチャット機能や顔、音声などが双方向に存在しなくても、受験生たちは頭の中のイマジネーションで頑張っていたのです。

もちろん、今は技術力のおかげで、私たちはZOOMなどの会議システムを使って双方向のやり取りをしたり、グループワークをしたり、リアルタイムで質疑応答ができたりと、たくさんの良さを享受しています。でも、悲しいかな、ネット環境というのはラジオのそれと比べるとまだまだ脆弱と言わざるを得ません。

たとえば私自身が経験した例としては、ZOOMで指導中に受講生側が「WIFIが弱くて途中で切れてしまった」「近所で工事(おそらくWIFI?)をしており、うまく接続できない」「家族が電子レンジを使ったら、なぜか落ちた」といった訴えを受けたことがあります。また、とあるセミナーに私自身が受講生として参加した際、おそらくホスト側の設定ゆえだと思うのですが、講師の声が小さすぎて聞こえないこともありました。また、別の講演会では、頻繁に講師のWIFIが切れて中断されたこともあったのです。ラジオであれば、放送局側がしっかりとそのあたりを電波に乗せてくれますので、リスナーは自分のラジオの音量ボタンで調節すれば問題ありません。

CNNの放送通訳現場でも、最近はもっぱら自宅からウェブ経由でインタビューに応じるゲストがほとんどです。でもこちらも回線不良で画面がフリーズしたり(しかも、妙な表情のところで止まってしまい、笑いをこらえながら同時通訳する羽目に)、向こうのマイクがオフになっていて口パク状態だったりと、ハプニングが少なくないのですね。その点、まだ「電話だけ」のインタビューの方がしっかりと聞こえてきます。その分、表情が読めないので通訳するのは大変ですが。

今やたくさんの技術が存在し、コンテンツも無数にあります。便利な時代です。でもその一方で、すべてが完璧というわけではありません。遠隔授業となれば、それぞれの学校の事情や学ぶ側のレベルもあり、一元化は難しいでしょう。けれども、様々な支障や格差を解消するのであれば、すでにラジオやテレビで放送されている放送大学やNHKの学校講座など、活用できるものはあると思います。そのようなコンテンツをバージョンアップさせたり、指導者の工夫でより充実させたりすれば、プラスアルファの労力だけで済むのではないでしょうか。

まだまだ出口が見えない新型コロナ。だからこそ、一元化や既存のものを活用することが見直されても良いように思います。

(2021年9月7日)

【今週の一冊】

「宅地崩壊」釜井敏隆著、NHK出版新書、2019年

随分前に熱海の某保養所を利用したことがあります。場所は過日、土石流が発生した伊豆山地区です。駅からタクシーで向かったのですが、あまりの急勾配に驚きました。日本には山が多いことはわかっていましたが、ここまで急斜面にある建物は初めてだったからです。

土石流のニュースが報道された際、一番気になったのはその保養所でした。どうやら無事のようですが、ずっと臨時休業です。すぐ脇を土石流が流れ落ちたことが写真からもわかり、自然災害の怖さを改めて感じました。

今回ご紹介する本には「なぜ都市で土砂災害が起こるのか」という副題が付いています。著者の釜井氏は京都大学で地質学を専門とされており、本書は一般読者にもわかりやすく土砂災害の話が書かれています。

中でも驚いたのは、日本ではすでに1950年代から都市部において土砂崩れが頻発していた、というくだりです。その大きな要因となっているのが、急速な宅地開発であり、その大元にある価値観が、日本人の抱く「持ち家志向」でした。この「持ち家政策」を強力に推進したのは政府です。

かつて暮らしたイギリスでは、土地や建物への規制が日本以上に厳しかったのを覚えています。たとえ自宅の庭に物置や犬小屋を設置するにしても、行政側に申請し、告示しなければなりません。自由気ままに「自分の土地建物だから」と修正を加えてはいけないのですね。

なお、本書の中で特に印象的だったのは、以下のくだりでした:

「本来、銀行は借金する人の能力を見極めてお金を貸すはずですが、実際には土地そのものの価値が主役になっています。日本の銀行は担保としての土地があれば融資しますが、個人の信用や可能性に対する融資には慎重です。この辺が、欧米のバンカーと日本の銀行マンとの違いです。」(p153)

つまり、土地さえ持っていればローンを組める、ということなのです。ずっと賃貸生活だった人がいざ住宅を購入しようとしても、担保となる土地がないとなかなか難しいということになります。

かつて幼児期を過ごした横浜市は平らな場所と言えば横浜駅や海岸沿いぐらいで、私が済んでいた内陸部は山が多く、最寄駅からは山を登っていました。今、東海道線に乗ると、保土ヶ谷駅を過ぎたあたりの進行方向左手に崖すれすれに建っている一軒家や、真後ろが崖というマンションも見られます。眺めは確かに良いでしょう。でも、実際に住むのであれば土砂崩れや地質に関する基礎知識も必要かと思います。

その大切さに気付かされた一冊でした。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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