INTERPRETATION

第505回 本当の強さとは

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

今から8年前、本サイト「ハイキャリア」が運営するテンナイン・コミュニケーションから業務依頼のメールが届きました。「通訳の案件かな?」と本文を開くと、何と「映画出演」のお話です。驚きました。放送通訳者としてニュース番組の同時通訳をしてはいますが、クレジットが載る「映画」に出るのは全く初めてだったからです。

映画タイトルは「謝罪の王様」(宮藤官九郎・脚本、水田伸生・監督)、主演は阿部サダヲさん、井上真央さん、竹野内豊さんをはじめとする豪華メンバーです。私の役は作品の中に出てくる「放送通訳者」でした。よって「声」の出演です。

この映画のテーマは「謝罪」です。オムニバス形式のストーリー展開となっており、それぞれのエピソードの中で、人はどのようにして謝罪をするのかが描かれています。どのシーンも見ごたえがあるのですが、一番印象的だったのは、主人公の阿部サダヲさんが、ラーメン店で熱い汁が飛び散ったのを浴びてしまう、というエピソードでした。本人はただ一言、謝ってほしかっただけなのに、それがどういうわけか極端な展開になってしまい、とうとう終いにはカウンターにアクリルパーティションが設置されたのですね。

この光景を見た2013年当初は、その大げさ加減に爆笑してしまったのですが、いやはや、昨今の感染症対策により、パーティションは日常の光景と化しています。あのときコメディとして描かれたことが、今や笑えない状況となっているのです。そう考えると、人生や世の中というのは、いつ何が起こるか本当にわかりません。

さて、「謝罪」で最近感じることがもう一つあります。それは、国における謝罪へのアプローチの違いです。幼少期およびBBC勤務時代に過ごしたイギリスでは、本当に自分に非があればもちろん謝りますが、そうでない場合、むやみやたらに「すみません」「ごめんなさい」とは言わない文化です。たとえば交通事故を起こしても、弁護士を立てるまでは決してこちらから謝罪をしないとされています。日本とは違いますよね。

一方、アメリカの場合、「大きいこと」「強いこと」が良しとされる文化です。よって、そうした高みを目指すのであれば、敗者復活戦も認められますし、どのような出自であってもトップに行こうと思えば上り詰めることができます。でも裏を返せば、弱さや敗北をたやすく認めることは芳しくないのですね。

CNNの放送通訳現場では、アメリカ政治がよくニュースになります。トランプ前大統領は、たとえ自分に非があっても「フェイクニュース」の一言で片づけ、alternative facts(もう一つの事実)という言葉をも生み出しました。ただ、こうした「非を認めない」という体質はトランプ氏だけではないのです。先日、セクハラ問題で辞職したニューヨーク州知事も、謝罪らしき言葉は述べたものの、その解釈を巡り議論が起きています。被害に遭った女性たちは、知事の言葉に謝罪や責任を見いだせていないからです。

一方、アフガニスタンは米軍撤退で大混乱となりました。衝撃的な映像が8月半ばには日本でも報道されています。このことについて、バイデン大統領はマスコミから、過去の発言と現状との矛盾を突き付けられました。しかしバイデン氏は、自らの非を全面的に認めることはしていません。それはアメリカという国が、「非を認めて謝罪する=弱い人物=信用できない」という文化があるからだと私は感じています。

もちろん、国家としての体面もありますので、そう安易に非を認められない事情はあるのでしょう。けれども日常生活の場面において、本当に強い人は自分の過ちを全面的に受け入れ、向き合い、謝罪をして状況を改善できるはずです。そうした謙虚さがあれば、人から赦しを得て、それがさらなる信頼に結び付くと思うのです。

外面的な強さ「だけ」が尊ばれてしまった場合、世の中はよりギスギスしたものになってしまうでしょう。国家のリーダーはもちろんのこと、組織や家族から個々人に至るまで、自分の弱さを認めることが見直されれば、昨今のSNS炎上問題やいじめ、家庭問題なども解決されるのではと個人的に感じています。

(2021年8月24日)

【今週の一冊】

「小さなことに左右されない『本当の自信』を手に入れる9つのステップ」水島広子著、大和書房、2013年

生きていれば誰もが山あり谷ありを経験しますよね。「最近、絶好調!」というときもあれば、「何をやっても今一つ」と気落ちしたくなることもあります。私の場合、後者の原因となっているのが「疲労」です。睡眠や栄養、運動不足など、「人間として生きる上で最低限守りたいこと」のどれかがおざなりになると、てきめんにネガティブになってしまいます。しかも昨今の感染症や自然災害ニュースなどがそうしたマインドに拍車をかけます。すると余計ストレスを抱え込んでしまうのですよね。

今回ご紹介するのは、精神科医・水島広子さんの一冊です。水島さんはかつて衆議院議員も務め、福祉分野などで尽力されています。本書の表紙にある「何があっても、大丈夫」の文字は、不確実な時代に生きる私たちに、灯をもたらしてくれます。

心をテーマにした本に共通して書かれているのが、過去や未来ではなく、「今」を生きる大切さです。水島氏も、今に集中することが自分のチカラを出すことにつながり、それが成長へ結びつくと説いています。一方、自信を失いがちな人に共通することは、自分のケアが苦手なのだそうです。なるほど、と思いました。と言いますのも、私自身、これまで「自分さえ頑張れば」「私が我慢すれば万事うまく収まる」と脅迫観念のように自分を封じ込め、自分のケアを怠ってしまい、そこから疲弊していった経験があるからです。

人としての本当の強さとは、「自分の弱さを受け入れる」(p92)ことであると著者は述べています。自分の忍耐力やとてつもない努力「だけ」で乗り切ろうとしても、いずれは破綻してしまいますよね。自分の弱さ、欠点、力の無さなどを丸ごと受容できる人こそ、真に強い人間であり、それが自信につながっていくのだと本書から私は感じたのでした。

Written by

記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

END