TRANSLATION

第110回 ジャンルの文体

寺田 真理子

あなたを出版翻訳家にする7つの魔法

「これも一種の翻訳だよね……」

原稿に手を入れながら、そう思いました。4月発売の著書の原稿を修正しているところなのですが、「ジャンルの壁」を越えないといけないのです。

もともと私が書いた原稿が「人文・学術書」のジャンルの文体になっていて、これを「自己啓発・ビジネス書」のジャンルの文体に変更しようと、ただいま奮闘中です。

別のジャンルの文体に変更するというのは、たとえば「~である」を「~です」に変える、といった単純な話ではありません。ジャンルが違えば、読者層も変わってきます。どんな方が読むのか、どんな言葉がその方にとって響くのかをていねいに考えていく必要があります。

今回の読者層は「ビジネスパーソン一般」なのですが、なかなか私にはうまく思い浮かべることができず、読者層と原稿にずれが生じてしまうのです。そこで編集者さんと読者層をもう一度細かく洗い出すことから始めました。どれくらいの年齢で、どんなお仕事をして、どんな生活をして、どんな悩みを抱えていて、普段はどんな本を読んで……という具合です。

「人文・学術書」の場合であれば、基本的には本の内容に興味を持っている方が読むことになります。だけど「自己啓発・ビジネス書」の場合には、そもそも内容に興味がないという方にも「ちょっと読んでみようか」と思ってもらう必要があります。間口を広げていかないといけないのですね。

そのためには実利的なことを謳う、つまり「こんなにすごいんですよ」「こんなにいいことがありますよ」というアピールが必要になってきます。ところがこういう手法は、「人文・学術書」だとむしろ読者との信頼関係を損ないかねないのです。

「人文・学術書」目線が私にあるので、「自己啓発・ビジネス書」向きのアピールをしようとしても、自分の中に「頑固じいさん」のような抵抗勢力がいるのです。「ワシはそんなことはやらんぞ!」「どうしてもやりたければワシを倒してから行け!」と暴れるのを、「まあ、そう言わずに……」と自分でなだめながら原稿を書いています(笑)

ジャンルの壁を越えるのは、技術的なことだけでなく、考え方やものの受け止め方などもすべて違うため、心理的な面でも難しいのです。

そこを越えるのは、やはり「本は誰のためのものか」という本質的な問いかけになるのだと思います。本は読者のためのもの。作り手がどんなこだわりを持っていようと、それが読者のためにならなければ、意味がないのですよね。

読者が実利的なことで動くなら、それをきちんと掲げる。読者が「語りかけてくれる文章」を好むなら、それをきちんと実践する。読者のために自分の心理的な課題を克服したうえで、届けるべきものを届けるための技術を身につける。それがジャンルの文体を身につけるということなのかと思います。

かくいう私も、現在進行形で習得中です。

ちなみに、ジャンルの文体を身につけるにはやはりそのジャンルの本を大量に読むことですが、「文体」に注目して考えるならレーモン・クノーの『文体練習』(この本を翻訳できたということもすごいと感心します)や和田誠さんの『もう一度 倫敦巴里』(『雪国』の冒頭を「五木寛之風」や「司馬遼太郎風」「星新一風」など色々な作家のバージョンで書き分けてあって、笑いつつも感服します)もすごく勉強になるので、ぜひご参考になさってくださいね。

※この連載を書籍化した『翻訳家になるための7つのステップ 知っておきたい「翻訳以外」のこと』が発売中です。どうぞよろしくお願いいたします。

Written by

記事を書いた人

寺田 真理子

日本読書療法学会会長
パーソンセンタードケア研究会講師
日本メンタルヘルス協会公認心理カウンセラー

長崎県出身。幼少時より南米諸国に滞在。東京大学法学部卒業。
多数の外資系企業での通訳を経て、現在は講演、執筆、翻訳活動。
出版翻訳家として認知症ケアの分野を中心に英語の専門書を多数出版するほか、スペイン語では絵本と小説も手がけている。日本読書療法学会を設立し、国際的に活動中。
ブログ:https://ameblo.jp/teradamariko/


『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと~パーソンセンタードケア入門』(Bricolage)
『介護職のための実践!パーソンセンタードケア~認知症ケアの参考書』(筒井書房)
『リーダーのためのパーソンセンタードケア~認知症介護のチームづくり』(CLC)
『私の声が聞こえますか』(雲母書房)
『パーソンセンタードケアで考える認知症ケアの倫理』(クリエイツかもがわ)
『認知症を乗り越えて生きる』(クリエイツかもがわ)
『なにか、わたしにできることは?』(西村書店)
『虹色のコーラス』(西村書店)
『ありがとう 愛を!』(中央法規出版)

『うつの世界にさよならする100冊の本』(SBクリエイティブ)
『日日是幸日』(CLC)
『パーソンセンタードケア講座』(CLC)

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