INTERPRETATION

第160回 わざわざ来てくれるありがたさ

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

授業やセミナーなどで「紙の新聞を読んでいますか?」と私はよく尋ねます。「読んでいる」と答える人は年々減り続けており、あるときは数十人中1名ということもありました。「紙の新聞育ち」という世代の人でも、あるいはそうした年代の親御さんを持つご家庭でも、紙の新聞はどんどん後退し、電子版に取って代わられているようです。

紙の新聞の最大の利点は「視認性」、つまり見開きの良さが筆頭に挙げられます。紙の新聞を広げるとそのサイズはA1で、縦59.4センチ、横84.1センチとなります。両手で持てる大きさです。最近の液晶テレビでこれに近いのが43インチ型と言われる縦53.6、横95.3 センチの画面です。

紙の新聞であれば何重にも「折り畳んだり」、その場でビリッと「切り抜いたり」、ぐるぐると「赤線で囲んだり」することができますよね。けれどもさすがに43インチの画面を「パタパタと折り畳んだり」「画面の一部を破いたり」「手持ちのペンで液晶画面に書きこんだり」といったことは無理です。それに近い機能はもちろんありますが、物理的にそうしたことを液晶画面に施しては機械が壊れてしまいます。

私はダイニングテーブルに紙の新聞を丸ごと広げて置き、立ったまま読むことがよくあります。このようにすると、見開きの状態でたくさんの情報が一度に目に入り、それらを解釈して処理することができるのです。本の広告も掲載されていますので「へえ、最近は孔子がリバイバルしているのか」と書籍タイトルから感じたり、週刊誌の特集から「なるほど、NISAとはこういうものか」と推測したりもできます。

もちろん、私自身、放送通訳の現場ではインターネットのニュースサイトを頻繁に覗いています。同時通訳を行いながら、横のPC画面で最新ニュースをチェックし、新たな情報を仕入れつつ声を発します。すばやく調べたいときなど、検索をかけるだけですぐに情報が出て来てくれますので、これほど便利なものはありません。

けれども、通訳者に必要な「幅広い知識と教養」を身につける上では、やはり紙の新聞が欠かせないと感じます。新聞には多種多様な記事や広告が載っており、一見雑多な印象もありますが、いずれも編集員の目を通してふるいにかけられたものばかりです。食べ放題の食事のごとく、あらゆるものが目の前に陳列されるわけですが、実は「秩序だった提示」だと私はとらえているのです。

たとえば4月19日土曜日の日経新聞朝刊には「賞味期限を延ばせるような工夫が施された食品容器の開発」といった記事を始め、「湯島天神の由来」「カナダからメキシコ湾に通じるパイプライン」「少子化に向けて大学はどう生き残るべきか」「低迷する法科大学院」といった話題がありました。見開きにした新聞のページをめくっていっただけで、幅広い内容が目に飛び込んできたのです。ネットでも確かに同じニュースは存在するでしょう。けれどもダイニングテーブルの前に立ってパラパラと頁をめくることわずか数分の間に、ここまで自分にとって面白いと思える記事にありつけるのは、やはり紙新聞の良さだと思います。

そう考えると、紙の新聞というのは「わざわざ情報が私の所に来てくれる」ということなのでしょうね。そのありがたさが身に染みるからこそ、紙の新聞は止められない。そう思っています。

(2014年4月21日)

【今週の一冊】

「美」福原義春著、PHP新書、2014年

福原義春氏は現在、資生堂の名誉会長。読書家として知られており、私は氏の書評や読書論が好きで、これまで何度か著作を読んだことがある。今回ご紹介するのは「美」に対する氏の考えが綴られた一冊。副題の「『見えないものを見る』ということ」の一文に惹かれて入手した。

「見えないものを見る」というのは、簡単なようで難しい。たとえば私の仕事の場合、ことばを耳から聞き、本人の表情や身振り手振りなどの動きを見て、「言いたいこと」を理解する必要がある。ことばを字面通りに訳すのであれば、それこそ辞書の定義を片端から覚えれば済むであろう。しかし、ことばというのはそう一筋縄にはいかない。見えない部分、書かれていない部分、聞こえなかった部分をどう解釈するか。それが通訳業という仕事であり、奥の深さだと思う。

今の時代は情報伝達手段の発達により、いつでもどこでも必要な情報を手に入れられるようになった。悠長に待つということはもはや時代遅れの感がある。いかに情報を選別し、手に入れ、自分のものにしていくか。そうした能力が求められる。

しかし、そのようなあり方はややもすると情報そのものに流されてしまい、自分の頭で考えられなくなるという欠点もはらむ。福原氏はそのような現象について「みんなが『美しい』といっているのを聞いて、自分では感じていなくても『美しい』と思い込んでしまう人も少なくない」と記す。自分の意見に自信を持てなくなるような社会。それは個人の自由を無くしてしまうと私は危惧する。生き辛い世の中となれば、人の心も荒廃してしまうだろう。

福原氏は、ことばについても次のように述べている。

「(外国人との)つき合いに必要なのは、語学力以上に教養であり、人としての魅力があること」

流暢さを追い求めるのでもなく、話す中身がないのに漫然と英語を学んだりするのでもなく、相手に迎合もしない。むしろ自分のことばで語ることの重要性を氏は説く。そのためにも幅広い教養を身につけること、五感を使って「美」を感じ取ることが必要と綴っている。

過日読んだ日経新聞に、最近の子どものメール返信は「2秒以内」との記事があった。かつてのメール返信は24時間だったはずだ。どんどん追い立てられて息つく暇もない世の中だからこそ、自分を見失わずに生きていきたいと思う。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者。獨協大学およびアイ・エス・エス・インスティテュート講師。
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2020年米大統領選では大統領・副大統領討論会、バイデン/ハリス氏勝利宣言の同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラムも執筆中。

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