INTERPRETATION

第708回 通訳 昭和ものがたり~夜の通訳編

柴原早苗

通訳者のひよこたちへ

通訳の世界において「夜の現場」などと書いてしまうと、いささかアヤシイ響きが感じられてしまいますよね。しかし、昭和から平成のころに駆け出し通訳者だった私にとって、それは艶かしいどころか、ひたすら「体力とコンシェルジュ並みの機転」を求められる現場でした。早速見てみましょう。

1 忘れられない人生初の「お座敷」
海外からのVIP訪日に伴い、日本海側の某地方都市を訪問。難解な専門用語が出る案件ではなかったからなのか、なぜか依頼は「逐次通訳一人体制」というもの。今、振り返ってみればワンオペ状態でした。その日は行政トップへの表敬訪問があり、複数の現地企業視察もありました。夕方になり、ヘトヘトの状態の私を待っていた夜の現場は、「お茶屋街でのお座敷」だったのです。

話には聞いたことがある「お座敷」。向かったのは昔からある伝統あふれる花街です。芸者さんたちの艶やかな演奏、目の前で見る日本舞踊に私の目は釘付けに。そしてあの「お座敷遊び」まで!海外のゲストも私も、初めて見る世界に見入ってしまいました。実に贅沢で刺激的な夜でした。

2 歌舞伎町で探し回ったモノ
同じ「夜」でもこちらの舞台は新宿歌舞伎町。この日は新宿界隈で丸一日のアテンド通訳をして、やはり体力は限界へ。「さあ、いよいよ現地解散!」と意気込んでいると、クライアントが突然こう仰せになりました:

「日本のカニカマを買いたい」

・・・ええっ?今?ここで?歌舞伎町でっ???

当時の新宿はオフィスとデパートと歓楽の街で、タワマンなど無い時代。よってスーパーを探すなど今風に言うなら「ムリムリムリ!!」だったのですね。とはいえ、お客様のニーズに高級ホテルコンシェルジュのごとく応えるのも通訳の仕事。そこでふと思い出したのです、靖国通り沿いの「三平ストア」を。実は老舗スーパーなのですよね。

当時の三平ストアは通路も狭く、海外基準から見たらまるでアリの巣の迷路のようだったのではと思います。でも無事カニカマを調達でき、お会計を済ませてリリースとなったのでした。

3 今なら一発アウトのハラスメントも
まだ「ハラスメント」という言葉自体が日本に存在しなかった当時。お酒の席でボディタッチはありました(もちろん無難な場所でしたが)。あの頃は「無礼講」「親しみを込めたコミュニケーション」という理屈が通っていたのです。

某地方都市での帯同通訳。スケジュールびっしりの一日を終えて夕食会も通訳。そろそろお開きの時間となり、「さあ、ホテルに帰って休もう」と思いきや、「これからカラオケに行きますので、通訳さんもぜひ」と言われて断れず。これ以上ノドを使いたくないものの、業務の一環と観念してアテンド。「通訳さんは何歳?ほお、若いんだねえ。結婚は?」など、夜の通訳の席がQ&Aセッションになることもありました。

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今にして思うと、上記のような現場は今日であれば労働条件含めて色々と再考の余地もあることでしょう。でも、それが許されたのがあの頃の現場。コンプライアンスも基準もすべて「ルール無き状態」でした。でも、駆け出し通訳者だった私は、あのような現場を体験したことで、世の中の一部を垣間見ることができたのかもしれません。今振り返ってみると、懐かしい思い出です。

次回は、「羽振りが良かったバブル時代」について振り返ってみます。

(2026年10月27日)

【今週の一冊】

「世界のしおり・ブックマーク意外史」猪又義孝著、株式会社デコ発行、2017年

昔から紙の書籍が好きな私にとって、「しおり」も本の大切な一部。それを特集したのが本書です。オールカラーで世界各地のしおりや歴史などが網羅されています。色とりどりのデザインはもちろん、紙だけでなく革や刺しゅうなどでつくられた各種しおりも見ごたえがあります。

印象的だったのが、戦前から戦後にかけてのしおり。戦意高揚のために、しおりにはスローガンが掲げられていました。女の子が描かれたしおりの裏に、「出せ、一億の底力」など、戦争をあおる文章があったのだそうです。今の時代を生きる私たちも万が一将来、戦争に近づいてしまった場合、たとえるなら動画サイトにこうした文章が出てきてしまうのでしょうか。そのような想像をすると、世情について改めて考えさせられてしまいます。

私が子どもの頃は近所で花を摘み、分厚い紙電話帳(今でいうところの六法全書並みの厚さ本)に挟んで押し花を作るのが流行していました。そしてその押し花をボール紙に貼りつけ、穴をあけて糸を通すとしおりになるのですね。そんなのどかな時代でした。ちなみに夏目漱石も留学先のイギリスからバラを押し花として持ち帰ったと本書に説明されています。

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記事を書いた人

柴原早苗

放送通訳者、獨協大学および通訳スクール講師。上智大学卒業。ロンドン大学LSEにて修士号取得。英国BBCワールド勤務を経て現在は国際会議同時通訳およびCNNや民放各局で放送通訳業に従事。2024年米大統領選では大統領討論会、トランプ氏勝利宣言、ハリス氏敗北宣言、トランプ大統領就任式などの同時通訳を務めた。NHK「ニュースで英語術」ウェブサイトの日本語訳・解説担当を経て、現在は法人研修や各種コラム執筆にも従事。

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